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鑑三翁に学ぶ[死への準備教育] https://blog.goo.ne.jp/tsuguchan4497

内村鑑三翁の妻や娘の喪失体験に基づく「生と死の思想」の深化を「死への準備教育」の一環として探究してみたい。

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2020/12/12

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  • [Ⅴ258] 泣きべそ聖書(18) / 爆死の子を埋む

    ◎わが目は涙のためにつぶれ、わがはらわたはわきかえり、わが肝はわが民の娘の滅びのために、地に注ぎ出される。幼な子や乳のみ子が町のちまたに息も絶えようとしているからである。(哀歌、2:11)旧約聖書「哀歌」は文字通り人間の哀しみを歌っている。「哀歌」の元の名称はヘブル語で「エーカー」で、これは「どうしてなのか」という問いかけだ。著者は諸説あるらしいが”涙の預言者”エレミヤとされている。聖都エルサレムはダビデによって神の都として定められ、ソロモン王によって神殿が完成し聖都として栄えてきた。しかしユダの民の不誠実と背信のゆえに神の裁きを受け、エレミヤの預言どおりにバビロンのネブカデネザル王によってBC605年に第一回の捕囚が始まり、586年にはエルサレムが破壊された。「哀歌」は、南王国ユダが滅亡しその民が捕囚と...[Ⅴ258]泣きべそ聖書(18)/爆死の子を埋む

  • [Ⅴ257] 泣きべそ聖書(17) / 21世紀の今も捕囚の涙は流れる‥

    ◎われらはバビロンの川のほとりにすわり、シオンを思い出して涙を流した。(詩篇137:1)旧約聖書「エゼキエル書」によれば、ユダの民の捕囚民の大部分はバビロニアのケバル川沿いに移住させられた。バビロン帝国のネブカドネザル王が荒廃した都を立て直すために労働力が足りず、ユダの民の捕囚は恰好の労働力だった。その労働は過酷で、捕囚となったユダの民は殺された多くの同胞や拉致された娘たちの事を思い起こし、労働の過酷さとあいまって、砂漠の向こうの二千キロ離れた故郷エルサレムを思い日々涙を流していた。シオンはイスラエルの象徴である。「われらはその中のやなぎにわれらの琴をかけた。われらをとりこにした者が、われらに歌を求めたからである。われらを苦しめる者が楽しみにしようと、「われらにシオンの歌を一つうたえ」と言った。われらは外...[Ⅴ257]泣きべそ聖書(17)/21世紀の今も捕囚の涙は流れる‥

  • [Ⅴ256] 泣きべそ聖書(16) / エステルの涙‥

    ◎エステルは再び王の前に奏し、その足もとにひれ伏して、アガグびとハマンの陰謀すなわち彼がユダヤ人に対して企てたその計画を除くことを涙ながらに請い求めた。(旧約聖書エステル記8:3)バビロンの捕囚から帰国したユダヤ人モルデカイは孤児となったエステルを養女として育てた。彼女はその美しさゆえペルシャ王クセルクセスの后に選ばれる。一方悪徳の奸臣ハマンはモルデカイに怨念を持っておりユダヤ人を皆殺しにする奸計をめぐらせていた。これを密告によって知ったエステルは、ユダヤ人を救うべく王に対して決死の嘆願行動に出て真実を伝えた。その思慮深い行動によってユダヤ人は救われ逆にハマンは死刑に処せられた。※戦争の理不尽は国家同士の利益収奪から始まる。市民同士の戦いは仮にあっても妥協が適時適正に行われ短期間で終了する。なぜならば相互...[Ⅴ256]泣きべそ聖書(16)/エステルの涙‥

  • [Ⅴ255] 泣きべそ聖書(15) / しえたげられる者の涙(5)   

    「涙」からいささか離れてしまった。鑑三翁も伝道者も世俗世界に真の救いはないことを繰り返し記す。呆れてモノが言えないのが世間というわけだ。であれば鑑三翁/伝道者はどうしたのか。【《官吏社会の愚(伝道の書9:11)》行政機関の官吏社会の生存競争においては、優れた者が必ずしも勝者とはならず、能力の劣った者が必ずしも敗者になるわけでもない。官吏社会にあっては、多くの場合学識はかえって昇進の妨げとなるもので、かえって無学が立身出世には好都合である。愚者が恩恵を受け、知者はかえって官位を避けて遠ざけられる(注:原文は「貶黜(へんちゅつ)」)のだ。実にこの社会というものは奇怪なものだ。知者が食物を得られるのではなく、賢者が財貨を得るわけでもなく、識者が恩恵を得られるのでもない。官吏の社会の真実を物語る言葉でこれほど(9...[Ⅴ255]泣きべそ聖書(15)/しえたげられる者の涙(5)  

  • [Ⅴ254] 泣きべそ聖書(14) / しえたげられる者の涙(4)   

    どこを見ても世間には腐敗が横行し、正しい事は行われず、頼みにしている司法世界も邪悪さに支配されている。当然のことながら政治世界はさらにひどい状況‥こう私は記しながら今の日本の政治状況を目の当たりにしている。東南アジアのある国の大統領は汚職撲滅にあらゆる手段を講じてきたが、一向に止まる気配もない有り様に「汚職は風土病だ」と歎じたという記事を読んだことがある。言い得て妙である。鑑三翁は明治政府の薩長政治に不正と邪悪を見ていたことは既に記した。鑑三翁の政治情勢への指弾は止まらない。続けて鑑三翁を読む。鑑三翁の政治観だ。【《政治は婬婦の如きもの》「貧しくて賢いわらべは、老いて愚かで、もはや、いさめを入れることを知らない王にまさる。たとい、その王が獄屋から出て、王位についた者であっても、また自分の国に貧しく生れて王...[Ⅴ254]泣きべそ聖書(14)/しえたげられる者の涙(4)  

  • [Ⅴ253] 泣きべそ聖書(13) / しえたげられる者の涙(3)

    鑑三翁も奈辺は十分に心得ていたことだろう。鑑三翁はキリスト教国がこぞって参戦した第一次世界大戦が、いかに反キリスト教的な戦いであるのかを下記のように記す。【《欧州の戦乱(※第一次世界大戦)と基督教》信仰を持たない人たちはこう考えるだろう、キリスト教信者は神の恩寵を受ける人たちであり、彼らはどんな罪を犯しても神は彼らを罰することはない、と。しかしこれは大きな誤りである。キリスト教の信者は神から愛される者であるがゆえに、神は信者が罪を犯す場合には、不信者を罰するよりも厳格に信者を罰せられるのだ。我ら信者が時に神から受ける刑罰は不信者が予想も出来ないほど厳しいものだ。そのようにキリスト教国家は非キリスト教国家よりもはるかに厳格に神に罰せられるのだ。‥国家が(国民の)全ての関心と注意を国威発揚と国力発展だけに奪わ...[Ⅴ253]泣きべそ聖書(13)/しえたげられる者の涙(3)

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