chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
leetorinnote
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2020/12/06

arrow_drop_down
  • 猫日記と主のつぶやき その後

    特発性膀胱炎になってしまったノブさん。その後ですが、病院に行って、点滴を受けると症状が一時的に治まるのですが、少し経つと、再びオシッコの出が悪くなる。特発性膀胱炎は、原因が分からないし、再発しやすいので厄介です。病院のオススメフードに切り替えてみたのですが、ノブさんの口に合わないようで、食べてくれない。そこで、ドライフードの量を減らし、生タイプの量を増やして、その生タイプに、フレーバー水(肉や魚のだし汁)をトッピングしたところ。症状が治まり、毎日、ジャ〜っといいシッコするように。しばらくこの水分をたっぷりとる方法で様子を見ていこうと思います。治るとイイな。シンクロ中の二匹ギュウギュウ。ベッドもう一個あるのにね。仲良しな二匹。ノブさん、タケちゃん。癒しをありがとう、来年もよろしくね。皆様も、今年一年間ありが...猫日記と主のつぶやきその後

  • 東京橋巡り 千住汐入大橋

    東京橋巡り千住汐入大橋(せんじゅしおいりおおはし)千住汐入大橋は、隅田川に架かる橋で、東京都道314号言問大谷田線を通しています。平成18年(2006)に開通しました。所在地東京都荒川区南千住8丁目最後に隅田川に架かる橋の中で、比較的に新しく架橋された千住汐入大橋。災害時の防災拠点として整備されている白鬚西地区とを主要結ぶ連絡路となっています。直線的な橋で、美しい姿だったのですが、全体を撮影し忘れてしまいました。失敗したなぁ😔東京橋巡り千住汐入大橋

  • 伊勢神宮に参拝へ行ってきました

    今日は、家族と伊勢神宮へ参拝に行ってきました。昨年は、12月30日に参拝したのですが、剣祓・角祓を購入するのにかなりの時間を要したので、今年は一日早く行くことにしました。まず最初に、理想的な順番ではないのですが、伊雑宮に参拝。伊雑宮鳥居境内の陽だまりで佇んでいると、上着がいらないのでは、と思えるくらい、暖かい気に包まれました。何度訪れてもいい神社です。伊雑宮・神田神田を眺めていると、伊雑宮の鎮守の杜から鳥たちの声が。集まった鳥たちの様子が一望できました。大変微笑ましかったです。さて次は、外宮に参拝しました。外宮鳥居去年より参拝客が多い。ワイらは、混雑を避けるため、正面を避け、横から参拝させていただきました。やはり、外宮はキリリとした気が流れ、心が引き締まります。参拝客が、昨年より多くいらっしゃりましたが、...伊勢神宮に参拝へ行ってきました

  • 東京橋巡り 綾瀬橋

    東京橋巡り綾瀬橋(あやせばし)綾瀬橋は、旧綾瀬川に架かる橋です。墨堤通り(都道461号)を通しています。現在の橋は、昭和36年(1962)に竣工されました。所在地東京都足立区千住曙町ー東京都墨田区隅田5丁目最後に綾瀬橋は、隅田川と荒川の間を流れる、450mと短い旧綾瀬川に架かる橋です。橋自体は、水色の鉄骨、下路式1径間アーチ橋で、すっきりとした美しい姿をしているのですが…頭上に首都高速6号が走っていて、遠くから見ると、全体的にゴチャゴチャとした印象を受けます。首都高速。ないと困る道路ですが、絵図ら的には、地下を走って欲しい、なんて思ってしまいます。東京橋巡り綾瀬橋

  • 東京名所巡り ニコライ堂

    東京名所巡りニコライ堂ニコライ堂は東京都千代田区神田駿河台にある正教会の大聖堂です。「ニコライ堂」は通称で、日本に正教会の教えをもたらしたロシア人修道司祭聖ニコライに由来します。正式名称は「東京復活大聖堂」です。所在地東京都千代田区神田駿河台4丁目1-3最後に現在の建物は、関東大震災で被災した後、1929年に修復された物だそうです。1891年に竣工した、東京復活大聖堂。駿河台の高台に建てられ、当時は、周りに高い建物もなく、さぞかし荘厳に見えたことでしょう。東京名所巡りニコライ堂

  • 神社参拝日記 一口太田姫神社元宮

    一口太田姫神社元宮太田姫稲荷神社はもともとこの場所にあり、昭和六年(1931年)に、御茶ノ水駅の総武線拡張により、遷座されました。主祭神倉稲魂命(うかのみたまのみこと)略縁起室町時代中期に太田道灌の娘が天然痘を患い生死の境をさまよい、京都の一口稲荷神社(いもあらいいなり)が小野篁(おののたかむら)にまつわる縁起により天然痘に霊験があると聞いた道灌が一口稲荷神社に娘の回復を祈願したところ、天然痘が治癒したといいます。道灌はこのことに感謝し、長禄元年(1457)に一口稲荷神社を勧請し、旧江戸城内に稲荷神社を築いたとされています。所在地東京都千代田区神田駿河台2丁目最後に最初は、旧江戸城内に、その後、徳川家康の江戸入府後、江戸城の改築により、神田川の辺りに遷座されました。明治5年(1872)に、太田姫稲荷神社と...神社参拝日記一口太田姫神社元宮

  • 東京橋巡り 万世橋

    東京橋巡り万世橋(まんせいばし)万世橋は、東京都千代田区にある、神田川に架かる橋です。初めは、明治17年(1884)に架橋された木橋で、「昌平橋」と呼ばれていましたが、その後、「新万世橋」、「万世橋」と名称を変えました。万世橋現在の万世橋と昌平橋の間に江戸城の見附の一つである筋違門がありました。1872年(明治5年)に門が撤去されその石材を用いて架けられたのが万世橋(萬世橋)です。石造アーチの形状は眼鏡橋と通称され、東京名所として錦絵などにも描かれました。1903年(明治36年)、現在の位置に新たに万世橋が架橋された後、石造の萬世橋は1906年に撤去されました。現在の橋は関東大震災後1930年(昭和5年)に架けられました。甲武鉄道(後の中央線)のターミナル駅として万世橋駅が1912年(明治45年)に開業す...東京橋巡り万世橋

  • 東京橋巡り 昌平橋

    東京橋巡り昌平橋(しょうへいばし)東京都千代田区にある、神田川に架かる橋です。最初に橋が架設されたのは寛永年間(1624~1645年)と伝えられています。所在地東京都千代田区1丁目最後に昌平橋ですが、松住町架道橋の印象が強くて、あまり覚えていないんです。しかし、写真を整理しながら、昌平橋の全体の姿を見てみると、赤茶色の橋脚が渋くて、なかなか良い橋だったと気付きました。神田川橋梁と松住町架道橋と昌平橋が並ぶ姿は、絵になりますね。東京橋巡り昌平橋

  • 東京橋巡り 松住町架道橋

    東京橋巡り松住町架道橋(まつずみちょうかどうきょう)松住町架道橋は、東京都千代田区外神田1丁目・2丁目にある鉄道橋です。JR東日本総武本線と通しています。関東大震災の震災復興事業として計画され、のちに帝都に於ける失業救済事業の一環で、1932年(昭和7年)い総武本線が両国駅から御茶ノ水駅まで延伸された際、交差点に架けられた橋梁です。所在地東京都千代田区最後に総武線に乗っていると、秋葉原駅と御茶ノ水駅との間で、ガタンガタンと音を立てる場所があります。あ~鉄橋を渡っているのか~、と思ってはいたのですが、神田川ではなく交差点を渡っていたのですね。しかも、総武線の線路、結構高い場所を通っていたのですね。総武線の車窓から、緑色の鉄骨が見えていたのですが、地上から眺めてみると、緑色のトラス構造による二重アーチが印象的...東京橋巡り松住町架道橋

  • 東京橋巡り 神田川橋梁

    東京橋巡り神田川橋梁(かんだがわきょうりょう)神田川橋梁は、東京都千代田区外神田1丁目・神田淡路町2丁目にある鉄道橋です。JR東日本・総武線を通しています。御茶ノ水駅と秋葉原駅間の神田川に架けられた橋梁です。所在地東京都千代田区外神田1丁目・神田淡路町2丁目最後に八の字形のラーメン形式の橋脚。たった二本の脚で重い線路と電車を支えているのですね。しかも、数々の災害を乗り越えて来たとは、すごいとしか言いようが無いです。東京橋巡り神田川橋梁

  • 東京橋巡り 桜橋

    東京橋巡り桜橋(さくらばし)桜橋は、東京都の隅田川に架かる橋です。1985年(昭和55年)に竣工しました。隅田川唯一の歩行者専用橋で、両岸の隅田公園を結ぶ園路の役割を持ちます。所在地東京都墨田区向島2丁目・5丁目ー東京都台東区今戸1丁目最後に頭上から見るとXの形をしている桜橋。連続鋼X形曲線箱桁橋と初めてみた形式の橋です。面白い形ですね。(出典・Wikipedia)ただ、気になる点は、桜橋と名前なのに、何で黄色なんだろうと。近くに桜餅で有名な長命寺もあるし、いっそのこと薄紅色とお抹茶色の塗装でも良いのでは無いかと思っちゃいました。桜並木と桜色の橋、可愛いと思うんだけどなぁ。東京橋巡り桜橋

  • 東京橋巡り 言問橋

    東京橋巡り言問橋(ことといばし)言問橋は、隅田川に架かる橋です。国道6号を通しています。関東大震災の復興事業として1928年(昭和3年)に竣工されました。所在地東京都墨田区向島1丁目~台東区浅草6丁目最後に両国橋と大阪の天満橋と並び三大ゲルバー橋と呼ばれた言問橋。川端康成は、小説の中で、「清洲橋が曲線の美しさとすれば、言問橋は直線の美しさなのだ。清洲は女だ、言問は男だ。」と記しています。なるほど~訪れた際には、普通の橋だと思っていたのですが、よくよく見ると美しい橋ですね。清洲橋二つの橋を見比べると、川端康成氏の表現にも頷けます。東京橋巡り言問橋

  • 東京橋巡り すみだリバーウォーク

    東京橋巡りすみだリバーウォーク2020年に開通した、隅田川に架かる連絡歩道橋です。7時から22時まで開門しており、浅草から東京スカイツリーまで最短で行くことができます。所在地東京都墨田区向島1丁目最後に7時から22時まで開門しており、浅草から東京スカイツリーまで最短で行くことができるすみだリバーウォーク。通行料は無料とのこと。全長160mの遊歩道内にあるガラス床からは、隅田川の水面や船を除くことができ、さらに、東武鉄道の隅田川橋梁の下流側に添架されているので、橋を渡る電車を間近で見ることができるそうです。散策の際、時間がなくて渡ることを諦めたのですが、無料なら渡ってみるべきだったと後悔。東京橋巡りすみだリバーウォーク

  • 東京史跡巡り 高田馬場跡

    東京史跡巡り高田馬場跡現西早稲田一丁目、および三丁目にあった馬場です。1636年、徳川三代将軍家光の命により、旗本太刀の馬術の訓練や流鏑馬などのための馬場が造営し、名称を高田馬場としました。広さは、東西へ約650m、南北へ55mありました。旧跡高田馬場跡所在地新宿区西早稲田三丁目一・二・十二・十四番西早稲田三丁目一・二・十二・十四番を含む長方形の土地が、江戸時代の高田馬場跡である。馬場は寛永十三年(一六三六)に造られたもので、旗本たちの馬術の練習場であった。また、穴八幡神社に奉納するため催された流鏑馬などが行われ、将軍の供覧に入れたところでもある。享保年間(一七一六~一七五三)には馬場の北側に松並木が作られ、八軒の茶屋があったとされている。土地の農民が人出の多いところを見て、茶屋を開いたものと思われる。ま...東京史跡巡り高田馬場跡

  • 東京橋巡り 面影橋

    東京橋巡り面影橋(おもかげばし)面影橋は、東京都を流れる神田川に架かる橋です。面影橋ー郷土愛をはぐくむ文化財ー文京区教育委員会平成10年3月面影橋の由来目白台から続く鎌倉街道と推定される古い街道沿いにあり、姿見の橋ともいわれていました。橋名の由来には諸説あり、高名な歌人である在原業平が鏡のような水面に姿を映したためという説、鷹狩りの鷹をこのあたりで見つけた将軍家光が名付けたという説、近くにいた和田靭負(ゆきえ)の娘であった於戸姫(おとひめ)が、数々の起こった悲劇を嘆き、水面に身を投げた時にうたった和歌から名付けられたという説などが知られています。なお、姿見の橋は面影橋(俤橋)の北側にあるもので、別の橋だという説もあります。所在地東京都豊島区高田2丁目最後に現在は、何の変哲もないコンクリートの橋ですが、太田...東京橋巡り面影橋

  • 東京坂巡り 胸突坂

    東京坂巡り胸突坂(むなつきざか)胸突坂は、東京都文京区目白台1丁目にある坂です。急な坂で、胸を突くようにして登らなくてはならないことからこの名前がついたと言われています。別名・水神坂(すいじんざか)とも呼ばれています。胸突坂(むなつき)文京区関口2-11と目白台1-1の間目白通りから蕉雨園(もと田中光顕旧邸)と永青文庫(旧細川下屋敷跡)の間を神田川の駒塚橋に下る急な坂である。坂下の西には水神社(神田上水の守護神)があるので、別名「水神坂」ともいわれる。東は関口芭蕉庵である。坂がけわしく、自分の胸を突くようにしなければ上れないことから、急な坂には江戸の人がよくつけた名前である。ぬかるんだ雨の日や凍りついた冬の日に上り下りした往時の人々の苦労がしのばれる。所在地文京区関口2-11と目白台1-1の間最後に傾斜は...東京坂巡り胸突坂

  • 東京橋巡り 吾妻橋・改訂版

    東京橋巡り吾妻橋(あづまばし)吾妻橋は、隅田川に架かる橋で、東京都道463号上野月島線吾妻橋支線(雷門通り)を通しています。徳川家康の入府から江戸時代にかけて隅田川に架橋された5つの橋のうちの最後の橋で、1774年(安永3年)に、それまで「竹町の渡し」があった場所に創架されました。はじめは、「大川橋」と呼ばれていましたが、江戸の東にあるため町民たちには「東橋」と呼ばれ、のちに慶賀名として「吾妻」とされた説と、東岸方面に「吾嬬神社」に通ずる道であったことから「吾妻」となった説があります。現在の橋は、昭和6年(1931)6月に、関東大震災の復興事業で東京市が架け替えました。鬼平情景吾妻橋(大川橋)江戸時代、両国橋、新大橋、永代橋に次いで隅田川に架けられた四番目の橋です。安永三(一七七四)年、長谷川平蔵二十九才...東京橋巡り吾妻橋・改訂版

  • 東京史跡巡り 小名木川五本松跡

    東京史跡巡り小名木川五本松跡(おなぎがわごほんまつあと)江戸時代、小名木川北岸の丹波綾部藩九鬼家の屋敷に良い老松があり、名所となりました。明治の末にこの松は枯死しましたが、昭和63年(1988)に、現在の場所に復活しました。所在地東京都江東区猿江2丁目16最後に松尾芭蕉がこの場所に舟を止め、「川上とこの川しもや月の友」の句を詠んだそうです。また、歌川広重もこの場所を描いています。江戸の名所を訪れると、松尾芭蕉と歌川広重が作品にかいている場所を訪れることになることが多いです。江戸で美しい場所は、江戸初期と後期でも変わらなかったということですね。しかし、現在その場所を訪れると江戸の姿が、全くなくなっていることが多いです。東京史跡巡り小名木川五本松跡

  • 東京橋巡り 小名木川橋

    東京橋巡り小名木川橋(おなぎかわばし)東京都江東区の小名木川に架かる橋です。所在地東京都江東区扇橋2丁目ー江東区猿江2丁目最後にこの写真では見づらいのですが、優雅に緩やかなカーブを描く欄干、その欄干に施されたモチーフのデザインが美しい橋でした。東京橋巡り小名木川橋

  • 東京橋巡り 小松橋

    東京橋巡り小松橋(こまつばし)小松橋は、東京都江東区にある小名木川に架かる橋です。昭和56年に架設されました。所在地東京都江東区猿江1・2丁目ー扇橋1・2丁目最後に単径間鋼製トラス橋で、渋い色合いの鉄骨、武骨な感じがいいですね。また、補強材のギザギザがいいデザインになっています。あまりにもカッコイイ橋なので、様々な角度から何枚も撮影したことを思い出しました。東京橋巡り小松橋

  • 東京橋巡り 市ヶ谷橋

    東京橋巡り市ヶ谷橋(いちがやばし)JR市ヶ谷駅前から新宿区に通じる靖国通りの橋です。江戸時代の寛永13年(1636)に外濠開削と同時期に江戸城の外郭門として市ヶ谷御門が作られ、見附橋である市ヶ谷橋が架設されました。現在の橋は、昭和2年(1927)に架設されたものです。所在地千代田区九段北四丁目ー市ヶ谷八幡町6最後に江戸時代の寛永13年(1636)に外濠開削と同時期に架橋された市ヶ谷橋。見附橋だったことを今回知りました。訪ねた場所を調べ、新たに知ることは楽しいものです。参考千代田区観光協会HP東京橋巡り市ヶ谷橋

  • 東京公園巡り 千代田区立外濠公園

    東京公園巡り千代田区立外濠公園(そとぼりこうえん)外濠公園は、東京都千代田区にある公園です。江戸城の外濠の土手や濠の跡を利用として作られており、濠に沿って約2㎞にわたって続く、細長い公園です。所在地東京都千代田区最後に江戸城の外濠の土手や濠の跡を利用して作られた公園、外濠公園。濠に沿って2㎞にわたって続く細長い公園は、緑豊かで散歩にはもってこいの公園でした。東京公園巡り千代田区立外濠公園

  • 東京史跡巡り 四谷大木戸・下諏訪宿 道標

    東京史跡巡り四谷大木戸・下諏訪宿道標四谷大木戸と下諏訪宿の道標です。四谷大木戸(よつやおおきど)は、江戸時代に四谷に設けられていた、甲州街道の大木戸です。下諏訪宿(しもすわしゅく)は、中山道六十九次のうち江戸から数えて二十九番目、かつ甲州街道の終点にあたる宿場です。所在地東京都新宿区四谷4丁目最後に四谷四丁目の交差点、周りとは明らかに異なる一角がありました。何だろうと近づいてみると、四谷大木戸と下諏訪宿の文字が。どうやら江戸時代の道標が、いまだにその姿を残しているようです。東京史跡巡り四谷大木戸・下諏訪宿道標

  • 東京史跡巡り 四谷大木戸跡

    東京史跡巡り四谷大木戸跡四谷大木戸(よつやおおきど)は、江戸時代に四谷に設けられていた、甲州街道の大木戸です。明治維新後、石畳や石垣は交通の障害になったため、明治9年(1876)に撤去されました。四谷大木戸跡碑四谷大木戸碑(この説明板の裏側にある)は、昭和三十四年十一月、地下鉄丸ノ内線の工事で出土した玉川上水の石樋を利用して造られた記念碑である。実際の大木戸の位置は、ここより約八○メートル東の四谷四丁目交差点のところで、東京都指定旧跡に指定されている。平成二十四年六月新宿区教育委員会所在地東京都新宿区内藤町4丁目9-12最後に街道を利用して江戸に出入りする通行人や荷物を取り締まっていた関所である大木戸。明治維新後は撤去され、石碑がポツンと建てられているだけ。現在は何も残っていませんでした。東京史跡巡り四谷大木戸跡

  • 東京史跡巡り 内藤新宿開設三百年記念碑

    東京史跡巡り内藤新宿開設三百年記念碑内藤新宿(ないとうしんじゅく)は、江戸時代に設けられた宿場の一つで、甲州街道に存在した宿場のうち、江戸日本橋から数えて最初の宿場であり、宿場内の新宿追分から甲州街道と分岐している成木街道(青梅街道)の起点でした。その内藤新宿の開設300年を記念として建てられた記念碑です。内藤新宿開設三百年記念碑元禄十一年(一六九八)六月、浅草阿部川町の名主・高松喜兵衞(後の喜六)らの願いにより、ここから新宿三丁目交差点付近までの約一kmに、新たな宿場として「内藤新宿」が開設された。この宿場は、享保三年(一七一八)に一旦廃止されたが、五十四年後に再興されて以降、甲州・青梅両街道が交差する、交通の要衝として、また文化と娯楽の町として繁栄をつづけ、平成十年(一九九八)、開設三百年を迎えること...東京史跡巡り内藤新宿開設三百年記念碑

  • 名所江戸百景 図絵 秋の部

    名所江戸百景(めいしょえどひゃっけい)名所江戸百景(めいしょえどひゃっけい)は、浮世絵師の歌川広重が製作した全119枚の浮世絵名所絵です。広重の晩年の作品で、死の直前まで製作が続けられましたが、最終的には完成せず、2代目広重の補筆が加わりました。版元は魚屋栄吉。作品は江戸の人々を魅了し、ベストセラーとなりました。その魅力は、国内のみならず、ゴッホなど海外の画家に多大な影響を与えました。(参考・出典・Wikipedia)図絵秋の部第74景 「市中繁栄七夕祭」第75景 「大伝馬町こふく店」第76景「神田紺屋町」第77景 「京橋竹がし」第78景 「鉄炮洲稲荷橋湊神社」第79景「鉄炮洲築地門跡」第80景「芝神明増上寺」第81景「金杉橋芝浦」第82景 「高輪うしまち」第83景 「月の岬」第84景「品川すさき」第85...名所江戸百景図絵秋の部

  • 名所江戸百景 図絵 冬の部

    名所江戸百景(めいしょえどひゃっけい)名所江戸百景(めいしょえどひゃっけい)は、浮世絵師の歌川広重が製作した全119枚の浮世絵名所絵です。広重の晩年の作品で、死の直前まで製作が続けられましたが、最終的には完成せず、2代目広重の補筆が加わりました。版元は魚屋栄吉。作品は江戸の人々を魅了し、ベストセラーとなりました。その魅力は、国内のみならず、ゴッホなど海外の画家に多大な影響を与えました。(参考・出典・Wikipedia)図絵冬の部第100景「浅草金龍山」第101景「よし原日本堤」第102景「浅草田圃酉の町詣」第103景「箕輪金杉三河しま」第104景「千住の大はし」第105景「小梅堤」第106景「御厩河岸」第107景「深川木場」第108景「深川洲崎十万坪」第109景「芝うらの風景」第110景「南品川鮫洲海岸」...名所江戸百景図絵冬の部

  • 名所江戸百景 図絵 夏の部

    名所江戸百景(めいしょえどひゃっけい)名所江戸百景(めいしょえどひゃっけい)は、浮世絵師の歌川広重が製作した全119枚の浮世絵名所絵です。広重の晩年の作品で、死の直前まで製作が続けられましたが、最終的には完成せず、2代目広重の補筆が加わりました。版元は魚屋栄吉。作品は江戸の人々を魅了し、ベストセラーとなりました。その魅力は、国内のみならず、ゴッホなど海外の画家に多大な影響を与えました。(参考・出典・Wikipedia)図絵夏の部第43景 「日本橋江戸ばし」第44景 「日本橋通一丁目略図」第45景 「鎧の渡し小網町」第46景 「昌平橋聖堂神田川」第47景 「王子不動之滝」第48景「赤坂桐畑」第49景「赤坂桐畑雨中夕けい」第50景「増上寺塔赤羽根」第51景 「佃しま住吉の祭」第52景「深川萬年橋」第53景 「...名所江戸百景図絵夏の部

  • 名所江戸百景 図絵 春の部

    名所江戸百景(めいしょえどひゃっけい)名所江戸百景(めいしょえどひゃっけい)は、浮世絵師の歌川広重が製作した全119枚の浮世絵名所絵です。広重の晩年の作品で、死の直前まで製作が続けられましたが、最終的には完成せず、2代目広重の補筆が加わりました。版元は魚屋栄吉。作品は江戸の人々を魅了し、ベストセラーとなりました。その魅力は、国内のみならず、ゴッホなど海外の画家に多大な影響を与えました。図絵春の部第1景 「日本橋雪晴」第2景 「霞かせき」第3景「山下町日比谷外さくら田」第4景「永代橋佃しま」第5景「両ごく回向院元柳橋」第6景「馬喰町初音の馬場」第7景 「大てんま町木綿店」第8景 「する賀てふ」第9景 「筋違内八ツ小路」第10景 「神田明神曙之景」第11景 「上野清水堂不忍ノ池」第12景 「上野山した」第13...名所江戸百景図絵春の部

  • ねこ日記と主のつぶやき 危ない奴

    ご訪問ありがとうございます。12月のあたま、下痢ピ〜と特発性膀胱炎を患ってしまったノブさん。獣医さんから薬、そして点滴を処方され療養しておりました。薬を一週間分処方されたのですが、ちょうど飲みきるあたりで無事完治しました。獣医さんの予想、凄いです。さて、今回の騒動でわかったことですが、コイツ、改めて、危ない奴だと判明しました。そもそも下痢ピ〜の原因とは?昔からの読者さまはご存知と思いますが、ノブさん幼少時、ヘヤゴム、マスクの紐を食べて大変な目にあっております。その悪食治ったかというと…今回の原因は、ウンコから出てきた糸くず(結構な太さのもの)だと思われます。最近では、糸くずだけでなくワイらの髪の毛すら食べてしまう。(キモっ)俺は、キモくない。掃除機を1日に2回もしているのに、何処からともなく髪の毛を探して...ねこ日記と主のつぶやき危ない奴

  • 東京公園巡り 玉川上水内藤新宿分水散歩道

    東京公園巡り玉川上水内藤新宿分水散歩道新宿御苑の脇にある遊歩道です。散歩道入口新宿区では、玉川上水の歴史的価値を次世代に継承していくために、「玉川上水・内藤新宿分水散播道」をかつての流れに沿って新宿御苑散策路に整備しました。全長540mあります。所在地東京都新宿区内藤町最後に新宿御苑の隣にある、玉川上水・内藤新宿分水散播道のかつての流れに沿って作られた新宿御苑散策路。細長く続く遊歩道。緑豊かで、静けさが漂い、都会にいることを忘れてしまうような、そんな遊歩道です。新宿御苑は有料ですが、こちらの遊歩道は無料。ちょっと得した気分で歩いたことを思い出します。東京公園巡り玉川上水内藤新宿分水散歩道

  • 東京史跡巡り 玉川上水水番所跡

    東京史跡巡り玉川上水水番所跡(たまがわじょうすいみずばんしょあと)江戸時代に玉川上水の水量や水質を管理した水番所があった所に、明治28年(1895)に建てられた石碑です。史跡玉川上水水番所跡所在地新宿区内藤町八十七番地玉川上水は、多摩川の羽村堰で取水し、四谷大木戸までは開渠で、四谷大木戸から江戸市中へは石樋・木樋といった水道管を地下に埋設して通水した。水番所には、水番人一名が置かれ、水門を調節して水量を管理したほか、ごみの除去を行い水質を保持した。当時、水番所構内には次のような高札が立っていた。定一、此上水道において魚を取水をあびちり芥捨てべからず何にても物あらひ申問敷並両側三間通に往来候並木下草其外草刈取申間敷候事右之通相背輩あらば可為曲事者也元文四巳未年十二月奉行東京都指定有形文化財(古文書)水道碑記...東京史跡巡り玉川上水水番所跡

  • 東京名所巡り 伊勢丹 新宿店 アイ・ガーデン

    東京名所巡り伊勢丹新宿店株式会社三越伊勢丹が運営する呉服店を起源とする日本の老舗百貨店です。1933年に神田店を閉店し新宿本店を開店しました。伊勢丹は全国に関連会社を含め12店舗を展開しており、新宿店が売り上げの6割を占めています。本館の施工は現在の清水建設。外装はアール・デコ様式で、東京都の歴史的建造物に指定されています。アイ・ガーデン2006年に屋上にオープンした、芝生広場と、桜や紅葉などの雑木林が植えられた屋上庭園です。朝日弁財天伊勢丹新宿店屋上にある神社です。朝日弁財天の由来太田道灌が江戸城築城の際、鬼門よけに弁財天を祭った故事にちなんだものです。ある僧侶から霊験あらかな弁財天を、伊勢丹の守護神として祭るようにすすめられ、明治三十年頃から市ヶ谷支店(あまさけや呉服店)に鎮座されていたものを、昭和八...東京名所巡り伊勢丹新宿店アイ・ガーデン

  • 東京名所巡り 東京都庁舎

    東京名所巡り東京都庁舎(とうきょうとちょうしゃ)東京都新宿区西新宿にある東京都庁の庁舎です。現在の都庁舎は1991年に完成しました。所在地東京都新宿区西新宿2-8ー1最後に調べてみますと、東京都庁は、一般行政職員だけでも約2万人、また学校部門や警察部門、消防部門のなど他の職員を含めると総計17・4万人もの職員がいらっしゃるそうです。凄い、巨大な組織なのですね。そりゃ、庁舎もデカいはずです。第一本庁舎の高さは243m。展望室が、第一本庁舎45階(地上202m)にあり、「南展望室」と「北展望室」の分かれています。入室料はいずれも無料とのこと。バーや喫茶店やお土産店も併設されているそうです。都庁舎を調べていると、庁舎が新しくなった頃、友人の付き添いで訪れたことを思い出しました。その際は、手続きしてすぐに帰ってし...東京名所巡り東京都庁舎

  • 東京公園巡り 新宿区立新宿中央公園

    東京公園巡り新宿区立新宿中央公園東京都新宿区西新宿二丁目にある新宿区立の都市計画公園です。新宿区立の公園としては最大の面積を誇る公園です。当地はもともと、隣接する熊野神社の敷地の一部で、戦前は小西六写真工業(現・コニカミノルタ)の工場敷地などでした。戦後に新宿副都心計画の一環として淀橋浄水場の跡地と合わせて公園として整備されました。所在地東京都新宿区西新宿2丁目11最後に都会のど真ん中にいるとは思えないほど、広々として緑豊かな公園です。木々の緑、空の青そして高層ビルとの面白い共演が見ることができ、楽しい気分になりました。東京公園巡り新宿区立新宿中央公園

  • ねこ日記と主のつぶやき 参ったなぁ

    久しぶりのねこ日記です。仲良くお昼寝中の二匹。元気そうに見えるのですが、ノブさんは、ちょっと病気になってしまいました😔最初の症状は、下痢ぴ〜から始まり、久しぶりに病院のやっかいに。下痢止めと抗生剤を処方され、下痢ぴ〜は治ってきたのですが…次第にオシッコの出が悪くなり、ついには、あちこちできばっては、ちびって歩く始末。その頻度があまりに多いので、またまた病院に。家では検尿できる量を採取できなかったので、病院でカテーテルによる採尿になりました。嫌がるノブさん。検査結果。結石や細菌の数値は低く、ただ尿の濃度が異常に濃かったため特発性膀胱炎になったようです。下痢ぴ〜になってから水をあまり飲まなかったからなぁ。尿の出を良くするために、点滴を受けることになったノブさん。そりゃもう、暴れてジャンプしまく...ねこ日記と主のつぶやき参ったなぁ

  • 東京駅巡り 都庁前駅

    東京駅巡り都庁前駅東京都新宿区西新宿二丁目にある、1997年に開業した都営地下鉄「大江戸線」の駅です。東京都庁舎の最寄り駅となっています所在地東京都新宿区西新宿2丁目8-1最後にワイが東京に住んでいた頃にはなかった路線「大江戸線」。今回の散策の際、初めて利用しました。綺麗な駅で、駅を出るとすぐさま中央公園の緑が出迎えてくれました。清々しい気分になったことを思い出します。東京駅巡り都庁前駅

  • 東京橋巡り 萬年橋

    東京橋巡り萬年橋(まんねんばし)萬年橋は、小名木川に架かる橋です。江東区道第3124号線を通しています。所在地東京都江東区常盤1丁目ー江東区清澄1・2丁目最後に渋い色合いの鉄骨に、緩やかなダブルアーチが美しい橋です。もっと様々な角度から写真に収めておきたかったのですが、車が多数停まっていて撮影しづらく断念したことを思い出しました。東京橋巡り萬年橋

  • 東京橋巡り 清洲橋

    東京橋巡り清洲橋(きよすばし)清洲橋は、隅田川に架かる橋で、東京都道474号浜町北砂町線を通しています。関東大震災の震災復興事業として計画され、昭和3年に竣工しました。所在地東京都中央区日本橋中洲ー江東区清澄1丁目最後に私が、鉄橋好きになったきっかけが「清洲橋」です。優美なデザインでどの角度から見ても美しい橋です。また、萬年橋の袂から眺める清洲橋は、ケルンの眺めといわれています。ケルンの眺めここから前方に見える清洲橋は、ドイツ、ケルン市に架けられたライン河の吊橋をモデルにしております。この場所からの眺めが一番美しいといわれています。萬年橋からの清洲橋その清洲橋のモデルとなったケルン市に架けられたライン河の吊橋は、第二次世界大戦で破壊されたため、別の橋が架けられています。その吊橋はどのような姿だったのでしょ...東京橋巡り清洲橋

  • 東京橋巡り 新大橋

    東京橋巡り新大橋(しんおおはし)新大橋は、隅田川にかかる橋です。東京都道・千葉県道50号東京市川線を通しています。最初に新大橋が架橋されたのは、元禄6年(1693)で、隅田川3番目の橋で、「大橋」と呼ばれた両国橋に続く橋として「新大橋」と名付けられました。当時の橋は現在の位置よりもやや下流側にありました。現在の橋は昭和52年(1977)に架け替えられたものです。所在地東京都中央区日本橋浜町2・3丁目ー江東区新大橋1丁目最後に名所江戸百景で、描かれた新大橋。歴史を調べると、新大橋は、20回以上も破損や流出、焼落しました。そのため江戸幕府は維持管理を諦め廃橋を決めましたが、民衆の嘆願により諸経費を町方が全て負担することを条件に存続を許されたそうです。町民に支えらた新大橋、明治18年(1885)に西洋式の木橋と...東京橋巡り新大橋

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、leetorinnoteさんをフォローしませんか?

ハンドル名
leetorinnoteさん
ブログタイトル
リートリンの覚書
フォロー
リートリンの覚書

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用