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ブログタイトル
急性骨髄性白血病M0からCAに復職した話
ブログURL
https://note.com/koimaya
ブログ紹介文
2017年10月急性骨髄性白血病と診断され即入院。M0、7番染色体異常と2つの予後不良を抱え同年12月臍帯血移植。翌年3月退院。2020年3月念願の復職。振り返り闘病記です。
更新頻度(1年)

13回 / 35日(平均2.6回/週)

ブログ村参加:2020/09/17

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ハンドル名
こいまやさん
ブログタイトル
急性骨髄性白血病M0からCAに復職した話
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13回 / 35日(平均2.6回/週)
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急性骨髄性白血病M0からCAに復職した話

こいまやさんの新着記事

1件〜30件

  • 白血病からCAに復職した話 〈15〉

    〜友達〜 病気が発覚し即入院となった私は、家族以外の誰にこのことを伝えるべきかかなり悩みました。 心配をかけてしまうからこそ言いづらいというのもあるし、でも知らなかったというのも友達として寂しいかなと。 でも結局、半年の入院になると聞いていたのでその間に必ず連絡を取り合うであろう友達と仕事に関わる人にだけお知らせすることにしました。なので地元や距離があってなかなか会えない友達には知らせませんでした。 反応は様々でしたが、もう私は長くないと思った人、逆に今は治るから全く心配ないと思っていた人。前者は昔白血病は不治の病だったのでその印象が強い人、後者は親戚や知り合いの知

  • 白血病からCAに復職した話 〈14〉

    〜2度目の骨髄穿刺〜 最初の抗がん剤は寛解導入といい、ここで8割の人が寛解(骨髄液中のがん細胞が5%以下)に入るそうです。 抗がん剤を入れるとがん細胞だけではなく正常な血球も攻撃されてしまうので全体的に数値が低くなってしまいます。 そのため、赤血球や血小板の輸血をしなくては生命を維持できません。  私も輸血をしながら血球が上がってくるのをひたすら待っていたのですが、3週間経っても上がってこないばかりか末梢血(採血)に芽球(がん細胞)が出てくる始末…。 白血球が上がってくるときに出てくることもあるので場合によるのですが末梢血に出てくるということはその大元の骨髄液にはもっ

  • 白血病からCAに復職した話 〈13〉

    〜骨髄検査の結果〜 初日に採った骨髄液の検査結果が出たので11月に入り先生から説明がありました。 夫と一緒に診察室の様な小部屋に案内されました。 内容は * 末梢血(腕からの採血)ではがん細胞が20%だったが骨髄液には80%あったこと * FAB 分類(がんのタイプ)が M0 であり、これは予後が悪いこと。 * 更に7番染色体の異常が認められ、これも予後が悪いこと。 予後が悪いというのは先の見通しが悪い、つまり現在ある薬や治療法では治る確率が低いということです。 「恐らく今回投与した抗がん剤も効かず寛解(骨髄液中のがん細胞が5%以下の状態)に入らない可能性が高いと

  • 白血病からCAに復職した話 〈12〉

    〜髪の毛のこと〜 抗がん剤を投与する前に先生から副作用について説明された中に脱毛の話がありました。「抜けますが終わったらまた生えてきますからそんなに大したことでは無いです。」とのこと。 そっか、やっぱり抜けるよね。でも確かに命がかかっている事と天秤にかけるほどのことでは無いと私も納得していました。 その内髪の毛を短めに切っておいた方がいいんだろうな、抜けたときに少しでも少ない方がショックじゃ無いならいっそのこと坊主頭にするか…とぼんやり考えていましたがそれはやっぱり勇気がいることで迷っていました。 そんなときに知り合ったようちゃん、お話を聞いてみると坊主頭にしたよ、

  • 白血病からCAに復職した話 〈11〉

    〜闘病仲間〜 入院当初の私の部屋には同じ血液内科にかかっている方はいませんでした。それぞれの病気を抱えて皆さん大変そうでしたが、やっぱり同じ病気の方と話せたらいいのにと思っていました。  入院から1週間経った頃、消灯間近に慌てて歯を磨きに共同の洗面所に行くと医療用帽子を被っている女性がいたのでもしかしたらと思い「入院長いんですか?」と声を掛けてみました。 「白血病で抗がん剤3クール目が終わって明日一時退院なんですよ。」と気さくに答えてくれました。その間に消灯になってしまったのですが、暗闇の中少し話を続けました。 「最初は辛いけどきっと大丈夫だから。」と力強く言ってく

  • 白血病からCAに復職した話 〈10〉

    〜同部屋さん〜 最初に入院した部屋は廊下側、真ん中、窓際と3つベッドが並んでいました。 私が窓側だったので真ん中のお隣さんとよくお話しさせていただきました。 前回書いたように病院の主(ぬし)の様な方で(失礼でしょうか…)、ここでは『しのさん』と呼ばせていただきます。 しのさんは母と同じくらいの年齢で病室の過ごし方をよく知っている方でした。 折り紙でいつも小物入れだったり、鶴をアレンジして複雑なものを作っていました。 「時間つぶしにもなるけど手のリハビリにもいいのよ。」と私にも折り紙を分けてくれて元気なときは教えてもらいつつ私も一緒に折っていました。 ある日廊下側の方

  • 白血病からCAに復職した話 〈9〉

    〜大部屋〜 私が最初に入院した部屋は一般病棟の3人部屋でした。 窓側を希望したので空いている部屋がそこしかなく割とナースステーションに近い場所だったので窓側でもナースコールがひっきりなしに聞こえました。看護師さんの大変さがよく分かります。結局その場所には2ヶ月間いることになりました。 2ヶ月もいると同部屋の患者さんがよく変わります。 他の科の患者さんばかりで循環器系疾患や骨折した方、また外科手術を受けられる方などがいました。年配の方がほとんどで病院の主の様な方も。「1年の約3分の2くらいは病院生活なのよ」とその主さんは長年入退院を繰り返されているそうで、入院初日から親

  • 白血病からCAに復職した話 〈8〉

    〜抗がん剤開始〜 翌週から抗がん剤が始まりました。 抗がん剤を投与するときは看護師さんがピンクの紙ガウンとフェイスシールドとマスク、そして手袋を二重にするというフル装備でやってきます。知らなかったのですが、抗がん剤は皮膚にかかると溶けてしまうくらい強いものだそうです。毒を持って毒を制すということなのでしょうが、がん細胞だけを狙って退治してくれる訳ではなく正常な血球もやっつけてしまうのが辛いところです。 看護師さんのフル装備に比べ患者側は何もしないのでかなり無防備な私たちは大丈夫なのかと正直不安でした。 病院によっては首から管を静脈に入れてそこから抗がん剤を流すところも

  • 白血病からCAに復職した話 〈7〉

    〜初めてのことだらけ〜 私はそれまで入院をしたことがありませんでした。 子供を産むときに入院はしましたが、木をふんだんに使った素敵なお家でした。分娩台を使わず自然に産むのをコンセプトにしたところだったので入院というよりお泊まりさせてもらった感じでした。 なので今回は大きな病院の入院初、点滴初で私にとっては新しいことばかり。これから始まる抗がん剤、家族の負担が増えることに不安と心配を抱えながらのスタートでした。 入院2日目のヘモグロビン値が6.9と更に減ってしまったので早速輸血をしました。ちなみに入院中は数えきれないほどの輸血をしました。献血をしてくださった方の善意

  • 白血病からCAに復職した話 〈6〉

    〜入院生活スタート〜 そんなこんなで急に始まった入院生活。 当時は、青天の霹靂のような病気の告知でしたが実は私自身あまり深刻に受け取っていなかったような気がします。 そういうと少し誤解されそうですが不安と恐怖はありながらもそれまで普通に生活していたということもありますし、きっと抗がん剤さえすれば治るのだろうと思っていたりなってしまったものはしょうがないという思いもありました。また先生方や看護師さんたちに不思議がられる程自覚症状がなかったので実感が湧かなすぎて私の採血されたものが取り違えられたり何かの陰謀でわざと取り替えられたりしたのかも、と半分本気で思っていました(映

  • 白血病からCAに復職した話 〈5〉

    〜病気発覚まで (後編)〜 私の身体がそんなに危ないんだと実感が湧かない中、続けて先生が「病気を詳しく知るために骨髄検査をします。」と言うではありませんか。 「えっ、いつですか?」 「今日です。この後にでも。」 このことにもショックを受けました。 今までテレビなどで骨髄穿刺がどういうものか何となく知っていたからです。私が強烈に覚えているのはもう随分前ですが、あるドキュメンタリー番組で白血病の子供が入院していて骨髄穿刺(マルク)をしないといけないという場面で、その子は何度も経験しているのでその言葉を聞いただけで号泣するんです。でも泣いてもわめいてもしなきゃいけないことな

  • 白血病からCAに復職した話 〈4〉

    〜病気発覚まで (中編)〜 翌日、早速紹介状を持って病院に行きました。その病院にはたまたまママ友が看護師として勤めていて外来の混雑具合を前日に聞いていました。人が多く待ち時間が長いと言うので、朝の通勤ラッシュ時の電車に乗って行きました。今考えるとこれはとても危険でした。かなり免疫力が低下していたのに強烈な人混みの中マスク無しです。夫も心配して同じ時間の電車で通勤の途中まで一緒に行ってくれました。 朝イチに行ったのに慣れない大病院に右往左往してまず診察室に行くまで時間がかかりました。そしてひしめき合うように外来に来ている大勢の患者さんを見て、世の中にはこんなに身体の悪

  • 白血病からCAに復職した話 〈3〉

    〜病気発覚まで (前編)〜 私は小さいときから大した病気もせず健康体で過ごしてきました。 風邪はときどき引くけれど市販の漢方や風邪薬で済ませていたのでかかりつけの病院はありませんでした。 振り返ってみると、私が自分の身体の変化に気づいたのは病気発覚から2ヶ月ほど前のことです。 2017年8月、家族でバリ島へ旅行に行きました。 旅行中、山奥にある観光地へ行くことにしました。 殆どの人は観光バスや車で行くところ、夫が自転車をレンタルして行こうと言い出しました。約10キロ、しかもずっと緩やかな登り坂なので当時中学1年生の娘はかなり渋っていました。なので私は彼女の後ろにつ

  • 白血病からCAに復職した話〈2〉

    〜志村大輔くん〜 私の話の前に志村大輔くんの話をさせていただきます。 白血病患者さんの中には名前をご存知の方もいらっしゃると思います。 NPO法人全国骨髄バンク推進連絡協議会の志村大輔基金のご本人です。 この基金では血液疾患の患者さんを対象に生涯かかるであろう高額な分子標的薬の治療費や、若くして発病した男性患者さんの精子保存にかかる費用を助成しています。 私はどちらにも該当しませんが、この note でいただくサポート金を全て志村大輔基金に寄付します。 志村くんは私の小学校のときのクラスメイトでした。 彼が転入してきて同じクラスになり1年後には私が転出したので重な

  • 白血病からCAに復職した話 〈1〉

    〜自己紹介〜 こいまやと申します。 夫と高校生の娘の3人家族です。 健康だけは自信があった私ですが… 2017年10月     急性骨髄性白血病と診断され即入院        M0、7番染色体の異常と2つの予後不良を抱え寛解導入で予想通り寛解に入らないまま    12月  臍帯血移植へ 2018年3月  退院 〜 自宅療養を続け 2020年3月  ついに復職❗️ もう無理だと思っていた復職が実現したことをきっかけにブログを始めることにしました。 入院中、私は記録や日記を一切つけていませんでした。 辛い治療を振り返ったり思い出に残したくなかったのだ

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