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ブログタイトル
急性骨髄性白血病M0からCAに復職した話
ブログURL
https://note.com/koimaya
ブログ紹介文
2017年10月急性骨髄性白血病と診断され即入院。M0、7番染色体異常と2つの予後不良を抱え同年12月臍帯血移植。翌年3月退院。2020年3月念願の復職。振り返り闘病記です。
更新頻度(1年)

36回 / 365日(平均0.7回/週)

ブログ村参加:2020/09/17

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ハンドル名
こいまやさん
ブログタイトル
急性骨髄性白血病M0からCAに復職した話
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36回 / 365日(平均0.7回/週)
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急性骨髄性白血病M0からCAに復職した話

こいまやさんの新着記事

1件〜30件

  • 白血病からCAに復職した話 〈38〉

    〜今のところ(最終回)〜 それから半年間順調に体力も回復し念願の復職が決まり、同僚達も温かく迎えてくれて手取り足取り復職に必要な知識や情報を教えてくれました。 本当に私は人に恵まれていると思います。 会社のトレーニングを無事に終え感慨深いものがありました。最初の乗務ではここに戻って来られたんだと感激して泣きそうになっている自分と以前乗務をしていた頃のようにすぐに馴染んでいる自分もいて、何年も会っていない昔の友達に会ったらその頃に戻ったような、そんな感覚でした。それは会社の雰囲気が良く、楽しい職場だからだと思います。 がん経験の同僚が「違って見える景色を体験して欲しいか

  • 白血病からCAに復職した話 〈37〉

    〜復職に向けて〜 病気になってからずっと復職はできないだろうなと諦めていました。大好きな仕事なので辞めたくないと思いつつ、もうあの場所には戻れないのかと寂しく思っていました。まだ自宅でできる仕事なら可能性はあるだろうけど体力が必須となるCAの仕事は身体が楽になっただけでは叶わぬことだと。でもひと握りの可能性にかけて所属はしていたいと思い、職場に戻ることが私の元気になるモチベーションの一つになっていました。傷病休暇をギリギリまで取りそのとき無理なら諦めると決めていました。 その期日まで退院してから約1年半ありました。最初の1年は復職を考えることは全くできませんでし

  • 白血病からCAに復職した話 〈36〉

    〜ゆうさん〜 これまでもよく登場していただいた闘病仲間のゆうさん。 実は昨年2019年9月に旅立ちました。 2018年春に退院した後はゆうさんの方がずっとずっと元気でお出かけしたり、娘さんの結婚に向けてウェディングドレスを見に行かれたり、両家挨拶に出席するなど積極的に行動されていました。 私はそんなゆうさんを目標にしていました。私が元気になったらどこかでランチでもしましょうと言ってくれていました。 入院中、「いつか外で会う約束ができるなんて今は夢のようだけどできたらいいね。」と話していたのでそれが実現できるんだととても楽しみにしていました。 退院後同じ曜日の外来だ

  • 白血病からCAに復職した話 〈35〉

    〜言葉の力〜 病気になってから多くの方に様々な言葉をいただきました。 皆さんとても心配してくれて優しい言葉に溢れていました。 それは間違いなく私の心の支えになりましたし、人の温かさやありがたみをひしひしと幸せに感じることができました。 よく取り上げられる言葉で『頑張って』と言われるのが辛いという話を聞きます。私は言われたとき応援してくれているんだと素直に受け止めることができましたが、その人の感じ方やそのときの状況に大きく左右されるのだと思います。それで言うと私はピークに辛いときに「病は気だから、しっかり気持ちを持って。」と言われたことかなと思います。 私も『病は気か

  • 白血病からCAに復職した話 〈34〉

    〜再び髪の毛のこと〜 最初の寛解療法の抗がん剤では全ての髪の毛は抜けませんでした。 一般病棟で知り合ったようちゃんによると寛解導入で使われる抗がん剤が抜け毛の原因なのでその後は大丈夫そうよと教えてくれました。 が、私はそれから移植に入り更なる強い抗がん剤が待っていたので再び抜ける覚悟はしていました。 前処置で使われる抗がん剤はやはりとても強くその後しばらくして見事にツルツル頭になりました。眉毛やまつ毛はほとんど抜けなかったのが救いでしたが頭は全部無くなりました。 そしてその抗がん剤が終わってから約3ヶ月後に生え始めたので「お、来ましたか!」と喜んでいたのです。 し

  • 白血病からCAに復職した話 〈33〉

    〜退院後半年くらいまで〜 無事に退院でき幸せを噛み締める反面、身体の不調が軽減されずこの先ずっとこのままなのかもしれないと不安に駆られていました。 少しずつ改善されているとはいえ不眠が続き、みぞおちが辛くて何もできず食事もままならない状態が続きました。また常に身体が冷えていて寒くて寒くてずっと湯たんぽを抱えていたり足湯をしているのにいつまで経っても温まる感じがしませんでした。 それに加え、腕に湿疹ができ始め日に日に熱を帯び痒く全身に広がっていきました。あまりに痒さが強くなってきたので先生に電話し急遽診てもらうことになりました。「おそらく慢性GVHDでしょう。」とステロ

  • 白血病からCAに復職した話 〈32〉

    〜お試し退院と本退院〜 まず2泊のお試し退院をすることになりました。金曜に帰り日曜の夜に病院に戻ってきました。 5ヶ月半ぶりの自宅に現実味がなくて実感するのに少し時間がかかりました。夢にまで見た我が家でした。もしかしたらもう戻って来られないかもしれないと覚悟もしていました。念願の湯船にもつかれました。あれだけしたかったことの一つだったのにガリガリに痩せてしまって体力もなく気持ちいいと感じられずすぐに上がりましたがそれでも心が温まりました。夜ご飯も私がリクエストしていたものを作ってもらったのですが口が乾いていて味覚もまだ戻りきっていなかったのでいつもの味を感じられず正直

  • 白血病からCAに復職した話 〈31〉

    〜移植仲間〜 移植のために移った無菌室の階は生着までの病棟と生着後退院までの病棟の半分に分かれていてお互い行き来はできない造りでした。私は生着までの部屋でずっとゆうさんとご一緒でした。ゆうさんはいつも人に気遣いをする方で私にも看護師さんにも絶対迷惑はかけない人でした。 先生から言われることも「そうですか。」「分かりました。」「お願いします。」「ありがとうございます。」とどんなに辛いときでも愚痴をこぼさず前向きに頑張っていました。私は遠慮なく「それ嫌です。」とか「めちゃくちゃ辛いです。」と思ったことをすぐ口にしていたのでゆうさんのことをすごい人だといつも思っていました。

  • 白血病からCAに復職した話 〈30〉

    〜退院が見えてきて〜 血液検査はこの時期にしては特に問題になるデータはなく先生はいつも「順調です。」と言ってくれました。湿疹や手の痛みも治り先生の言葉を信じてはいましたが不眠からくる精神的な苦しさやめまい、みぞおち辺りの辛さが取れず毎回「本当ですか?」と聞いていました。同じ部屋のゆうさんは「寝られなくてもそれで亡くなる人はいないから大丈夫!リラックスリラックス。」と言って励ましてくれました。 弱めの睡眠薬が少し強めの錠剤に変わり、それに加えて夜中は点滴で睡眠導入剤を入れてもらうようになりました。 点滴薬の後は少し眠れましたが全体的にはぐっすりという感じがしませんでした

  • 白血病からCAに復職した話 〈29〉

    〜更なる不眠と薬の副作用と〜 生着後からの不眠が酷くなり神経がかなり高ぶった状態が続きました。 全てにおいて過敏になり、ニュースも見られなくなりました。めまいがあったのでテレビは気持ち悪くなり殆ど見ていませんでしたがネットニュースなどチラッと目にすることさえ辛くなってきました。というのはニュースは基本、楽しくなれる内容が殆どないからです。事故や殺人があった、天災で何人亡くなった、著名人が亡くなった、政治や経済で暗い話などそれらの全てが直接自分に降りかかったような気になり更に気持ちが沈んで暗い影が付き纏うような感覚に陥りました。だからと言ってラジオで楽しそうな話を聞こう

  • 白血病からCAに復職した話 〈28〉

    〜家族〜 入院すると家族のサポートは本当にありがたいものです。 物資のサポートは勿論ですが何より精神的な支えになってくれます。 我が家は夫を筆頭に娘や私の母、夫の母には直接手助けしてもらいました。 母は二人とも元気なのですが、高齢になってきていますし遠くに住んでいます。 娘が小さいときは私のフライト毎に交代で来てもらっていたので、やっと手助け無しにやっていけるようになってホッとしていました。仕事が続けられたのはフットワークが軽く快く来てくれた母達のお陰です。 もう私のことで世話になることはないだろうと思っていた矢先の病気でした。 最初の頃は夫が頑張ってくれて家事も娘

  • 白血病からCAに復職した話 〈27〉

    〜不眠と3回目の骨髄穿刺〜 移植治療に移ってから夜眠れない日が多くなりました。 元々寝ることが好きでいつでもどこでも眠れる人でした。仕事の時間も不規則だったり時差があるのでいつでも眠れる私は同僚から羨ましがられる程でした。滞在先のホテルでも夜中に目が覚めて眠れないときは本を読んだり動画を見たりしてまた眠くなったら寝ればいいやと眠れないストレスも殆ど感じたことがなかったのです。 でもこの頃の眠れない状態は違っていました。身体が辛いので眠れるとその間は辛くないし悪いことを考えなくてもいい、でも脳は覚醒していて頭によぎることは全て悪いことばかり。夜の9時消灯後朝6時の起床ま

  • 白血病からCAに復職した話 〈26〉

    〜生着後〜 無事に生着が確認され大きな山は一つ越えましたが身体が楽になるわけではありません。 その頃には口の中も綺麗に治っていて白血球恐るべしと実感していましたが、その他の症状がまた色々と現れました。 まず湿疹が出てきました。湿疹は太ももから下に移って行き二の腕から指に向かって移動して行きました。熱を帯びていて痒くて水泡も出てきたのでステロイド入りの塗り薬を処方され、毎日塗っていました。痛いのも辛いですが痒いのも辛いものです。 アイスパックをもらって冷やしていましたが手足だけなので身体は寒くホットパックをお腹に当てていました。先生は「おっ、GVHDだね。いいよ、いいよ

  • 白血病からCAに復職した話 〈25〉

    〜生着まで〜 移植をしてから生着するまで私は臍帯血移植だったので時間がかかりました。 個人差はあるにしろ骨髄移植だと約2週間、末梢血移植だともう少し短めに比べ臍帯血は3週間ほどかかります。 生着は血液中の好中球が500以上になることでありその数が3日続いたらその初日を生着日というそうです。それは新しく入れた細胞が骨髄の中で自ら正常な血液を作っている証拠なので移植が成功したと言えます。ただ、その生着するまでが大変でウィルスやカビに対抗できる免疫力がほぼ皆無なのでその間に何かに感染し亡くなる人もいて生着まで長ければそれだけ危険に晒されるということです。 3日先に移植したゆ

  • 白血病からCAに復職した話 〈24〉

    〜移植前後の症状〜 移植前後数日は症状的に楽な期間だと聞いていたのですが、私はキツいままでした。 酷い倦怠感、強い吐き気。 なのに移植数日前に「比較的順調そうなので部屋移動をお願いします。ここにはもっと重篤な方に来ていただきますので。」と一番奥の4人部屋に移動するよう言われました。これでも順調なんだ…。 きっと想定内だからだとは思いますが、荷造りだけでも辛くて看護師さんがワゴンで荷物の移動を手伝ってくれますがその荷解きもまた辛い。 ゆうさんも一緒に移動になり、また同じ部屋の斜め前になりました。 私がグッタリしてなかなか動けない横で「頑張ってやらないと迷惑になるから。」

  • 白血病からCAに復職した話 〈23〉

    〜移植〜 前処置が終わりその2日後臍帯血移植をしました。 私は当時1歳くらいになるA型の女の子の臍帯血をいただきました。 その子とお母様には提供していただいたこと、感謝してもしきれません。 臍帯血は提供者に直接お礼が伝えられないのがとても残念です。 私はB型だったのでこの移植によりA型に変わりました。 人の血液型って変わっちゃって大丈夫なの?と最初は驚きました。そして私の性格も変わってしまうのかと思ってしまいましたが皆同じことを考えるようで「そんなことはありません。」とコーディネーターさん。残念ながら実際変わっていません(笑)。 移植日は見学オッケーとのことで夫と実

  • 白血病からCAに復職した話 〈22〉

    〜前処置〜 前処置が始まりました。白血球を0にするために寛解導入とは比べものにならないくらいの致死量に近い抗がん剤を入れるとあって2日目くらいから吐き気が強くなってきました。もう身体中が嫌がっているのが分かります。 手指や口中は常に綺麗にしておかないといけないので消毒やうがい歯磨きを頻繁にしますが、身体も許す限り毎日シャワーをして清潔に保って下さいと言われていたので私は発熱があるとき以外は毎日シャワーを浴びました。 辛くてお風呂まで行くのも億劫、そこから服を脱ぐのも辛い。でも寒いから急いで熱いシャワーを浴びたい。首に入っている管が点滴棒に繋がれたままシャワー室に入り管

  • 白血病からCAに復職した話 〈21〉

    〜髄注とCV〜 前処置や移植に向け首の静脈から心臓近くまで管を入れるCVをすることになりました。 腕のルートだと細いので薬や栄養剤をたくさん入れられないそうです。 他の病院では寛解導入からCVで入れるところもあるようなので怖がりの私としては良かったと思っています。 それは聞いていたので知っていたのですがその前に髄注もすることを前日に知りました。看護師さんが「明日の予定です。」と紙を持ってきて「10時から髄注とその後CVですね。」というので「? ず、髄注とは。」と聞くと「あれ、聞いてないですか?皆さん漏れなくすることですしマルクより楽だと思いますよ。」と教えてくれました

  • 白血病からCAに復職した話 〈20〉

    〜無菌病棟〜 移植のためのクリーンルームは最上階でした。入院当初からここだけは来たくないと思っていたのに結局来ることになってしまいました。 無菌病棟に入るとそこから移植後生着して血球が正常値近くにならないと出ることはできません。 あまり考えないようにしていましたが最初に足を踏み入れたとき、また自分の足でちゃんと出られますようにと祈りながら入りました。 家族やお見舞いの人は病棟に入る前に荷物をロッカーに入れ、入ったらすぐに手洗いをし消毒をしてマスクとガウンを着用しなくてはいけません。 小学生以下の子供は入室できないので当時中学1年生だった娘が入ることができたのは不幸中

  • 白血病からCAに復職した話 〈19〉

    〜移植の説明〜 移植コーディネーターさんから改めて移植の説明があり、夫と一緒に聞きました。 より具体的に私の治療方針に基づいて抗がん剤の種類や副作用、気をつけなければいけないこと、臍帯血の候補リストなど。 かなりキツい内容でした。治療中や移植後にあり得る症状は聞くだけでも辛くなります。 命を落とす可能性は高まる。上手くいけば大体3ヶ月くらいで退院できるけれど体力は絶対落ちる。階段が自分の足だけで上がれず手を使って這い上がらないといけない人もいるくらいなのでなるべく毎日理学療法士さんと運動すること。 すぐ感染する状態なので手洗いうがいはしょっ中行い、消毒液を頻繁に使

  • 白血病からCAに復職した話 〈18〉

    〜移植前健康診断〜 さて移植が決まってからといってもすぐにできる訳ではなく手続きが進められる中私は変わらず病室で過ごしていました。寛解に入っていないので血球が上がって来ず、ずっと巨大空気清浄機が置かれたベッドで過ごしていました。 先生も「一度は家に帰してあげたいんだけどね…。」と言ってはくれるもののやはり許可は下りませんでした。 その内移植へ向けて健康診断が始まりました。 歯科で口腔内のチェックとマウスピースの型を取りました。マウスピースは移植の際、免疫機能がゼロになるので口内炎予防や睡眠時に自分の歯で舌を傷付けないように守る役目があります。私は結局違和感が気になりす

  • 白血病からCAに復職した話 〈17〉

    〜移植に向けて〜 とうとう“移植”という道に進まなくてはいけなくなりました。 色んな方が今まで受けたどんな治療より辛いと書いてあるのを本やブログで読んでいました。 命を賭けた壮絶な治療。 移植はやりませんって言えるんだろうか、でもそれは私にとって死を意味するよね…。 こうしている間もがん細胞が増え続けている。でも移植の治療中に亡くなることも十分ある訳だし、と私の中ではぐずぐずとした思いで堂々巡りでしたが移植の話は進んでいきます。 まずドナー選びですが私は最初からかなり躊躇しました。 移植に関する情報や冊子を読むとドナー(人)の負担も少なからずあるからです。 ブロ

  • 白血病からCAに復職した話 〈16〉

    〜2回目骨髄穿刺の結果〜 2回目の骨髄穿刺(マルク)が終わり、それからの2週間はあっという間に過ぎました。 何度か熱が出てその度に培養検査のため両腕から採血されたりして、朝の採血やラインの交換など私の腕は針山ですかとツッコみたくなる程毎日腕にチクチク針を刺されていましたが点滴も抗生剤くらいで比較的元気だったのでときどき輸血をするくらい。 でも周りでは移植に向けて動いているのが分かりました。 「まだするって決まってないけど一応ね。」と言われ、血液検査もいつもはやらない項目がたくさんあったり、理学療法士さんがベッドに来るようになり平日は毎日軽く運動をするようになりました

  • 白血病からCAに復職した話 〈15〉

    〜友達〜 病気が発覚し即入院となった私は、家族以外の誰にこのことを伝えるべきかかなり悩みました。 心配をかけてしまうからこそ言いづらいというのもあるし、でも知らなかったというのも友達として寂しいかなと。 でも結局、半年の入院になると聞いていたのでその間に必ず連絡を取り合うであろう友達と仕事に関わる人にだけお知らせすることにしました。なので地元や距離があってなかなか会えない友達には知らせませんでした。 反応は様々でしたが、もう私は長くないと思った人、逆に今は治るから全く心配ないと思っていた人。前者は昔白血病は不治の病だったのでその印象が強い人、後者は親戚や知り合いの知

  • 白血病からCAに復職した話 〈14〉

    〜2度目の骨髄穿刺〜 最初の抗がん剤は寛解導入といい、ここで8割の人が寛解(骨髄液中のがん細胞が5%以下)に入るそうです。 抗がん剤を入れるとがん細胞だけではなく正常な血球も攻撃されてしまうので全体的に数値が低くなってしまいます。 そのため、赤血球や血小板の輸血をしなくては生命を維持できません。  私も輸血をしながら血球が上がってくるのをひたすら待っていたのですが、3週間経っても上がってこないばかりか末梢血(採血)に芽球(がん細胞)が出てくる始末…。 白血球が上がってくるときに出てくることもあるので場合によるのですが末梢血に出てくるということはその大元の骨髄液にはもっ

  • 白血病からCAに復職した話 〈13〉

    〜骨髄検査の結果〜 初日に採った骨髄液の検査結果が出たので11月に入り先生から説明がありました。 夫と一緒に診察室の様な小部屋に案内されました。 内容は * 末梢血(腕からの採血)ではがん細胞が20%だったが骨髄液には80%あったこと * FAB 分類(がんのタイプ)が M0 であり、これは予後が悪いこと。 * 更に7番染色体の異常が認められ、これも予後が悪いこと。 予後が悪いというのは先の見通しが悪い、つまり現在ある薬や治療法では治る確率が低いということです。 「恐らく今回投与した抗がん剤も効かず寛解(骨髄液中のがん細胞が5%以下の状態)に入らない可能性が高いと

  • 白血病からCAに復職した話 〈12〉

    〜髪の毛のこと〜 抗がん剤を投与する前に先生から副作用について説明された中に脱毛の話がありました。「抜けますが終わったらまた生えてきますからそんなに大したことでは無いです。」とのこと。 そっか、やっぱり抜けるよね。でも確かに命がかかっている事と天秤にかけるほどのことでは無いと私も納得していました。 その内髪の毛を短めに切っておいた方がいいんだろうな、抜けたときに少しでも少ない方がショックじゃ無いならいっそのこと坊主頭にするか…とぼんやり考えていましたがそれはやっぱり勇気がいることで迷っていました。 そんなときに知り合ったようちゃん、お話を聞いてみると坊主頭にしたよ、

  • 白血病からCAに復職した話 〈11〉

    〜闘病仲間〜 入院当初の私の部屋には同じ血液内科にかかっている方はいませんでした。それぞれの病気を抱えて皆さん大変そうでしたが、やっぱり同じ病気の方と話せたらいいのにと思っていました。  入院から1週間経った頃、消灯間近に慌てて歯を磨きに共同の洗面所に行くと医療用帽子を被っている女性がいたのでもしかしたらと思い「入院長いんですか?」と声を掛けてみました。 「白血病で抗がん剤3クール目が終わって明日一時退院なんですよ。」と気さくに答えてくれました。その間に消灯になってしまったのですが、暗闇の中少し話を続けました。 「最初は辛いけどきっと大丈夫だから。」と力強く言ってく

  • 白血病からCAに復職した話 〈10〉

    〜同部屋さん〜 最初に入院した部屋は廊下側、真ん中、窓際と3つベッドが並んでいました。 私が窓側だったので真ん中のお隣さんとよくお話しさせていただきました。 前回書いたように病院の主(ぬし)の様な方で(失礼でしょうか…)、ここでは『しのさん』と呼ばせていただきます。 しのさんは母と同じくらいの年齢で病室の過ごし方をよく知っている方でした。 折り紙でいつも小物入れだったり、鶴をアレンジして複雑なものを作っていました。 「時間つぶしにもなるけど手のリハビリにもいいのよ。」と私にも折り紙を分けてくれて元気なときは教えてもらいつつ私も一緒に折っていました。 ある日廊下側の方

  • 白血病からCAに復職した話 〈9〉

    〜大部屋〜 私が最初に入院した部屋は一般病棟の3人部屋でした。 窓側を希望したので空いている部屋がそこしかなく割とナースステーションに近い場所だったので窓側でもナースコールがひっきりなしに聞こえました。看護師さんの大変さがよく分かります。結局その場所には2ヶ月間いることになりました。 2ヶ月もいると同部屋の患者さんがよく変わります。 他の科の患者さんばかりで循環器系疾患や骨折した方、また外科手術を受けられる方などがいました。年配の方がほとんどで病院の主の様な方も。「1年の約3分の2くらいは病院生活なのよ」とその主さんは長年入退院を繰り返されているそうで、入院初日から親

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