元ライターが書く昔懐かしのエッセイです。時代は1980〜90年代。アホで食いしん坊で全力投球だった末っ子が、田舎の家族(祖父、祖母、父、母、姉、兄)と過ごした話を綴ります。読むと元気が出るよ!
しず子。38歳。夫と娘と3人暮らし。B型。左利き。好きなアーティスト:ハーパニエミ。子どものときに好きだったもの;にこにこぷんのピッコロ。子どものときになりたかった職業:ピンクのうさぎ。好きなドラえもんの道具:グルメテーブル掛け。1日だけホグワーツに行けたら:ファイアボルトに跨ってクィディッチのビーターやりたい。
小学6年生の頃、仲のいい友達がいなかった。たいてい、それぞれに仲良しの子がいたけど、自分にはいなかった。仲のいい子達がいて、そこに自分も金魚の糞のようにぶら下がる形だった。寂しいのに、プライドが高くてそれを言えなかった。私の寂しさを紛らわせてくれたのがエニ
美容室に行った。カラー剤を定着させている間、お茶を出された。それを飲むと少し尿意を催した。シャンプーが終わったら、トイレに行こう。しかし、シャンプー台を降りる頃尿意が消えた。美容師に「お手洗いには行ききますか」と聞かれたが、私は首を横に振った。美容師がド
あるとき、コンタクトレンズを作りに行こうと思い立った。敢えて駅前の、繁華街にある店舗を選んだ。私はペーパードライバーを克服したものの、繁華街には慣れていない。苦手意識のある場所の一つだ。それが、自分の行動範囲を狭めていて良くないなと、前々から感じていた。
志村けんが見たい。子どもの時はいつも、そればかり願っていた。土曜の夜8時になると「カトちゃんケンちゃんごきげんテレビ」が放映される。カトちゃんこと加藤茶も好きだったが、私は断然、ケンちゃんこと志村けん派だった。しかし、当時の私の両親は志村けんを観ることに反
暑い暑い夏休みのこと。小学生の私も兄も自宅で退屈していて、何をして遊ぼうか考えていた。「そうだ!いっぱい着よう」兄が唐突にこんなことを言い出した。私はこんな意味不明な提案に即座に乗った。そうだな。こんな暑い日には、いっぱい着ればいいんだな。私は、上半身に
小学5年生のとき、家庭科の授業で調理実習があった。実習を行うのは来週にせまり、担任の教師が卵料理を作りましょうと言った。我が班では厚焼き卵を作ることになった。班員は、普段から家事を手伝っているランちゃんと、縄跳びやマラソンで私を鍛えてくれたコーチ、私が密か
私が中学3年生のとき、ピアノ教室の先生が夏に発表会をやると言った。先生は私のレベルを見て、発表会はバダジェフスカの「乙女の祈り」か、モーツアルトの「トルコ行進曲」はどうかと訊いてきた。乙女の祈りは姉が弾いていたので知っている。色んな子が弾いてるし、ありきた
これは2006年、当時24歳の自分が初めて書き起こしたエッセイです。「HJ引越しコンテスト」というサイトに投稿し、エッセイ部門で優秀賞を受賞しました。このサイトは現在なくなっており、元原稿も無くしてしまっていたのですが、姉が印刷して14年間大事に保管し、郵送してく
高校一年生の冬だった。私は連日の部活人生に嫌気がさしていた。古い体質の吹奏楽部は上下関係に厳しいどころか、地獄だった。すでに三年生は引退していて、先輩である二年生と後輩である一年生しかいないという環境で、ほぼイジメのような状況が続いていた。特に、私は目上
6歳くらいのときのことだった。祖父がイモ掘りをすると言い出したので、兄と一緒に庭へ出た。この年はたまたまサツマイモの種をまいたらしく、陽当たりのいい庭には濃い緑の葉が所狭しと並んでいた。そこへ、同じ保育園に通う友達のエミコちゃんが遊びにやってきた。これから
小学3年生くらいの頃、自分の部屋の押入れの中で、一枚の懸賞ハガキを見つけた。差出人のところに父の名前が書いてある。よく見ると応募締め切りから1ヶ月以上経過していた。そういえば数ヶ月前、父にこのハガキを出すよう頼まれていた。言われたことなんでも後回しにする私
保育園では2月頃に「お遊戯会」と呼ばれる、学芸会のようなものがあり、我が年中クラスでは白雪姫のお芝居をやることになった。 女の子の大半は白雪姫をやりたがり、じゃんけんになった。勝ったのはマキちゃんだった。なのに、今の保育現場では到底考えられそうにないことだ
実家にはリビングも暖炉もない。長テーブルもなければ、銀色に輝く燭台もない。クリスマスツリーやリースもなければ、庭にクリスマスローズやポインセチアが咲いているはずがなく、教会を訪れる習慣もあるわけがなかった。あるのは茶の間で、そこに座卓や座布団やアナログテ
私が4歳くらいのときのことだ。家族と親戚、総勢10名以上の大所帯で新潟にスキーへ行った。一面が雪で覆われた銀世界に到着した一行は、リフトに乗ってスキーを始めた。幼い兄と私だけは、ゲレンデのふもとでソリ滑りに興じていた。このソリにはハンドルもブレーキも無い。た
中学2年生の一学期が終わろうとしていた、7月の半ば過ぎのことだった。私はいつも通り学校に行き、吹奏楽部の朝練に行き、ホームルームの前に女子トイレへ寄った。 鏡を見ると、なんだか自分の顔が少し赤らんでいるような気がする。けど、気のせいかもしれないと思い直した
前跳びも、後ろ跳びもできる。あや跳びも、交差跳びだってできる。だけど、二重跳びができなかった。そのまま、小学6年生になった。3学期を迎えた1月の寒空のもと、体育の授業で縄跳びをやることになった。先生が体育の成績をつけるにあたり、二重跳びは30回以上跳べるように
目の前で母猫が死んだ。それは衝撃的だった。私が小学5年生のとき、実家の物置に野良猫がいるのを父が見つけた。父は子猫達をダンボールに入れると裏庭に放り出したという。そのうち鳴き声に気づいた親猫が迎えにきて、居なくなってくれることを期待して。動物好きの私はそれ
ダーン!「各馬一斉にスタート」という競馬実況者の声が脳内再生された。正確には、女子生徒が一斉スタートである。私の高校には女子生徒が約600人いた。マラソン大会では学年ごとに分けず、1年生から3年生まで一斉に走る。私が一年生のときの順位は144位で、二年生の時は143
小学校入学当時。私は走ることが得意だった。1年生の女子が45人ほど居るなか、マラソン大会では4位だった。2年生になると、順位を落として12位だった。3年生になると、18位だった。この頃には外でほとんど運動せず、休み時間には友達とノートに漫画を描くのが常だったのが原
今日はウエストがゴムのズボンを履いてきた。そういう思い込みは、日常から多々ある。スーパーで食料品を買い、トイレに行った。洋式トイレがすべて埋まっていたので、和式トイレに入った。買い物袋とバッグを荷物棚に置き、手をズボンのウエスト部分にあてる。それをグッと
小学6年生の時点で、私は跳び箱を3段しか跳べなかった。クラスメイトの大半が4段以上跳べるなか、これは格好悪いことだった。自分より背の低い子、つまり手足の短い子が跳んでいる。そんな彼らよりも自分はウスノロのレッテルを貼られていることになる。しかし、あんなに難し
部屋を片付けていたら、テトリスが見つかってしまった。確か「テトリスJr.」という名前だったコレに、大学時代に大ハマりしていた。それがうっかり今ここで見つかってしまったのだから、もうやるしかない。チャーラララーララチャーラララーララチャーラララッラッチャッチャ
一戸建ての我が家には一階と二階にそれぞれトイレがある。私は主に一階を使っていて、あまり二階のトイレは使わないのだが時々使うことになったとき、毎回げんなりする。男という生き物は、どうして尿を飛び散らせたまま放置しておくのか。便器にはいつも茶色くなった尿の跡
深夜。時刻は午前3時だ。 だらだらと夜更かししていると、腹が空いた。旦那も娘もとっくに夢の中である。若い頃だったらこんな時間でも好き勝手に食べていたが、この頃はどうもあまり好きではない。大人になったんだな。そう思うと嬉しいようで寂しいが、もっぱら自分の楽し
性教育を初めて受けたのは小学4年生のときである。三学期になり、学年集会のため児童達は体育館に集められた。最初は普通に集会だった。なのに途中から男子だけ退場させられ、女子だけ残った。当時10歳の私には衝撃的な内容だった。女子の体の仕組みと男子の体の仕組みはどう
おはようございます。うーん、Twitterでまたバグ起こってる。毎朝開くの楽しみなのに。早く解消されないかなあ。こんなときこそエッセイ投稿しようかな。
いつも二番なのが、嫌だった。小学校にあがって初めての写生会があった。皆で牧場に行き、牛の絵を描く。絵を描くことが得意だった私は入選して、近隣の市町村の展覧会で飾られた。でも、それは私だけではなかった。クミコちゃんも同じだった。「いい絵だな」祖父は家族のな
小学校を入学する直前に、学習机を買ってもらった。天板は大きくて広い。引き出しが6つもついている。細長い蛍光灯と、照射角度を変えられる白熱球ライトがつき、明るくて作業しやすい。椅子はピンクのチェック柄で、足元にも荷物を入れるスペースがついている。自分だけの机
翌日になって、私はタッちゃんを問い詰めた。なぜ手を挙げたのかと訊くと、「だって誰もやりたがらなかったじゃん。しょうがねえから俺が責任者になってやったんだよ」という回答が返ってきた。なんという嫌な奴なんだろう。しかも、今日からはこいつと一緒に選挙活動をしな
小学校も5年生ともなると、児童会の選挙がある。中学生以降でいうところ、生徒会である。児童会の役員は選挙で選ばれるのだが、各クラスから誰が立候補するかという学級会が開かれた。対象となる役職は児童会会長、副会長、書記である。会長にはクミコちゃん、副会長にはノリ
祖父の母、曽祖母は総入れ歯だった。祖母の部分入れ歯と違い自分の歯が一本もなく、すべてこの人工的な歯に委ねている点で潔いと、私は感心していた。私がこの入れ歯が好きだと言うと、ほかの家族は皆一様に顔をしかめた。姉も兄も気持ち悪がった。母に限っては「気味が悪い
小学6年生のとき、市内で長縄跳び大会が開催されることになった。なんでも優勝すれば、ヘリコプターに乗せてもらえるという素敵な特典がつくらしい。私は興味が無かったが友達に誘われ、補欠扱いであるものの学校代表で参加することとなった。どうせ自分の出番はない、そうタ
20代半ばの頃、女友達と初めてクリームバスを受けに行った。都内某所、雑居ビルの中に目的のお店はあった。店内はインドネシアのバリのような雰囲気で、温もりある間接照明やエキゾチックな観葉植物、水のしたたる心地よい音、店員の品の良い挨拶が、我々を出迎えてくれた。
鶏という生き物は、弱い生き物だと思っていた。いつ頃からか、中学校の隣の公園に、鶏が居た。誰に飼われているわけでもない。野良鶏である。中学校の給食でパンが出ると、量が多かったのでほぼ毎回残していた。残したパンを家に持ち帰ることもあったが、途中で公園に寄り、
実家の近所に、エイタという犬がいた。オスのビーグル犬で、ふさふさの、八の字型の眉毛がある可愛い犬だった。私が中学校にあがると、帰り道に毎日、エイタと顔をあわせることになった。そんなエイタが、飼い主を困らせているシーンをよく目撃した。「さっきあげたばかりで
前回に続く、ウインナー病。それは27歳になったときに悪化した。この時期はダイエットをしていて、カロリーの高いウインナーを食べることを控えていた。塩茹でした鶏ささみだの、鶏胸ひき肉で作ったハンバーグだの、ウインナーの代用として味気ないものでしのいでいた。一ヶ
私は幼い頃からウインナーソーセージが病的に好きである。母は私が大のウインナー好きなことを知っていたから、私が食べようとすると「二本だけ!」とか必ず数を指定してきた。私はしぶしぶ承諾したが、その数で満足できることはなかった。あるとき、祖母以外の家族が外出し
小学生の頃、喜んでやっていた遊びの一つに、お化け屋敷ごっこがある。我が家で行う場合は、一階の南東の部屋と決まっていた。他の和室と違って入り口が一つしかなく、室内にはピアノやレコーダー、フランス人形、押入れなどがあり、演出に必要なものが揃っていたからだ。遊
子どもの頃、母の焼く卵焼きが好きだった。砂糖をたっぷり使っていて甘い。外側は黒焦げだったけど、そんなものだと思っていた。あるとき、小学校で社会科見学があり、現地でお弁当を食べることになった。クラスメイトのお弁当を見て、衝撃を受けた。彼女のお弁当箱のなかに
子どもの時、近所の婆さんらの間で「にや様」という集まりがあった。詳細不明だがにや様は安産や子育て祈願の神様らしく、女達が集って崇めていたのが会の始まりらしい。要は婆さんらのお茶会である。各家庭の取り決めで、月に一度、持ち回りでにや様は開かれた。婆さんらは
小学生の頃。兄もその悪友達も、「サバイバル」と呼ばれる遊びが大好きだった。要はおもちゃの銃でバンバン撃ち合う遊びで、その銃の中に装填されていた弾がBB弾である。サバイバルの現場は近所の空き地である。ちょうどブロック等の資材が積まれており、それらに身を隠しな
実家の近所には、歌右衛門(うたえもん。仮名)という犬がいた。その名の通り、まるで歌うように鳴いていた。田舎だから周囲に目立った商業施設がないため、毎週きまった時間に移動販売の車がやってくる。その車のBGMがポール・モーリアの名曲、「オリーブの首飾り」だ。マジ
楽しみにしていた美容室の日。朝起きたら、寝違えていた。さいわい、首自体は無事らしい。重症なのは左肩と左肩甲骨、左腕の付け根である。首を右に回すのは辛くないが、左に回すと左肩に響いて痛い。今回、予約したメニューはカットとカラーだ。2時間はかかるのに、果たして
※お断り※この記事は相当気持ちの悪い内容なので、デリケートな方は絶対に読まないでください。 ————————————————————幼い頃から、兄は薄情だった。私達が小学生の頃である。夏が近づくと兄と虫採りをした。コナラだかクヌギだか、木の名称こそ覚えて
私が高校三年生のときの、秋だった。学校の帰り、駅でホームに立っていると、電車が停車した。私と入れ違いに、白髪の、ボロボロの服を着たおじいさんが降りた。おじいさんは座席に荷物を置いたまま降りてしまっている。また車内に戻るつもりなんだろう。ところが、おじいさ
登校拒否をしている甥がいる。本人はとても素直でいい子だし、もともと勉強もスポーツもできる子だから、姉夫婦が長いこと心を痛めているのは、想像するに容易い。そんな甥は、私のことをとても慕ってくれている。本人の母親と違って下品だし(殿方の前で平気で放屁するとか
旦那と喧嘩した。 喧嘩というか、私が旦那のしょうもない行いにウンザリした。その途端、胃痛が始まった。客観的に見ても旦那は愚かだと思う。どう愚かなのかを例えるならば、おつむてんてんなフンコロガシが東大の法学部を受験をして、不合格なことにキレて、転がすのがラ
今日は半年ぶりにスーパー銭湯に行ってきた。家から一番近い銭湯なのに、これだけ長い期間行っていないと懐かしい。場内のいたるところに「マスク着用」「会話禁止」など徹底したコロナ対策の掲示がなされており、スタッフも全員、マスクを着用しているので幾分、緊張感が漂
Twitterでこのツイートを見てからずっとソワソワしていた。旦那の前で…ガバーッと…乳を…出す…?確かに旦那、モヤモヤしてるときあるよな。私と違って徹底的に無言になる。不快な苔にまみれた大岩みたいに、じっとして動かない。今もなんかちょっと元気なくない?なんなの
「しず子、今日、一緒に寝よう」姉がそう言ってきた。私は「えー、やだ!」と冷たくあしらうと、姉は悲しそうに部屋に戻っていった。私が中学生の頃。当時大学生の姉が、失恋した。正確に言うと、姉が彼氏を振った。姉が高校時代から付き合っていた彼氏である。中学生ながら
子どもの頃から、祖母のことがあまり好きではなかった。祖父のような優しさもない。父のようなユーモアもない。母のような強さもない。若い頃はかなりの器量良しで、スタイルも良かった。結婚するときは大変な嫉妬にあったと祖父から聞いた。だから祖母自身は大ボラ吹きでう
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