法人内の評判は芳しくないことも感じており、定年でもって法人と縁を切ろうと決意、田舎暮らしを目指した。
田舎暮らしはまんざらでもないが、東京から完全に離れてしまうことには決心がつかない。
今いるのが4代目。1代目から3代目までは、卵を産まなくなったら潰して食べちゃったそう……
私たち夫婦が一緒に生活したのは、結婚して初めの5年ぐらい。いま、二度目のハネムーンというわけ。
敷地内は、田んぼや畑、夫が果樹園と称している場所、鶏のお庭、単なる草ボーボーの原っぱなどになっている。
受診予約の電話をすると、「県外からの患者さんには、まずPCR検査を受けていただきます」とのこと。
うちの庭、というより原野のような、だだっ広いところを歩くと、いろいろな草に混じって山菜が見つかります。
家を建てるとき、夫は断熱にこだわりました。「Z工法」を採用し、夏も冷房なしで過ごせます。
東京を離れ、とある山の中に引っ込みました。仕事を辞め、夫が10年前に移住した山村に引っ越しました。
当時、今で言うところの絶叫マシーンが、いち早く取り入れられたのが「後楽園ゆうえんち」である。
48歳のときには始めていたと思う白髪染め。30年近く続けたヘアマニキュアをやめて、5か月が経った。
学生の頃、劇団四季の「トロイ戦争は起こらないだろう」という芝居を観に行った。1965年だったと思う。
「戦後、強くなったのは、靴下と女」というフレーズがある。ナイロンストッキングという画期的な発明によるものだ。
昭和こぼれ話7「ひょっこりひょうたん島」と「夢であいましょう」
高校1年生だった私たちは、自習の時間に勉強せず、「上を向いて歩こう」を合唱していた。
あのとき娘に言ってしまったことを思い出し、娘の心を傷つけたことに胸が痛んだ。ほんとうにごめんなさい。
「ブログリーダー」を活用して、tamichatさんをフォローしませんか?
指定した記事をブログ村の中で非表示にしたり、削除したりできます。非表示の場合は、再度表示に戻せます。
画像が取得されていないときは、ブログ側にOGP(メタタグ)の設置が必要になる場合があります。