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2020/07/12

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  • 空の空。すべては空。

    空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。日の下でどんなに労苦しても、それが人に何の益になるだろうか。(伝道者1:2-3) きょうから『伝道者の書』に入る。 諸説あるようだが、一般に著者はソロモンとされる。 たしかに、それと思われる表現が多々あるので、ここでもソロモンによる書として進めたい。 エルサレムの王、ダビデの子、伝道者のことば。(1) この書き出しに続いて、冒頭の2~3節がある。 「空」は、英語の聖書では「meaningless」とか「vanity」となっている。 意味がない、空しい、といった意味だ。 「空の空。すべては空。」とは、どことなく仏教を思わせる言葉で興味深い。 一つの世代が…

  • 麗しさは偽り

    麗しさは偽り。美しさは空しい。しかし、主を恐れる女はほめたたえられる。(箴言31:30) 1ヶ月にわたって味わってきた『箴言』も、今回で最後だ。 31章の最初には、こうある。 マサの王レムエルが母から受けた戒めのことば。(1) つまりこの章は、珍しく母から息子への格言である。 その点に留意しながら読むと、興味深い。 あなたの力を、女たちに費やしてはいけない。王を滅ぼす者たちに、歩みを委ねてはいけない。(3) 「私の子よ、何を語ろうか」(2)と自問して、最初に出てきた言葉がこれだ。 「女」の恐ろしさは男より女の方がよく知っている、ということだろう。 さらに「酒」に関する注意と(4-7)、弱者のた…

  • 貧しさも富も私に与えず

    二つのことをあなたにお願いします。私が死なないうちに、それをかなえてください。むなしいことと偽りのことばを、私から遠ざけてください。貧しさも富も私に与えず、ただ、私に定められた分の食物で、私を養ってください。私が満腹してあなたを否み、「主とはだれだ」と言わないように。また、私が貧しくなって盗みをし、私の神の御名を汚すことのないように。(箴言30:7-9) 30章は、「アグルのことば」とされている。 どういう人物かは不明のようだ。 ただ、独特の表現が多く、読み応えがある。 彼は、「二つのこと」を神に願った。 一つは、「むなしいことと偽りのことば」を遠ざけていただくことだ。 「むなしいこと」とは、…

  • 高ぶりはその人を低くし

    人の高ぶりはその人を低くし、へりくだった人は誉れをつかむ。(箴言29:23) 「『高ぶれば低くされ、へりくだれば高くされる』、これが聖書全体の重要なメッセージです」と、わたしの師はよく語っておられた。 何度も聞いているにもかかわらず、何度も心に留めなければならない。 それほど人は、高ぶりやすい。 なぜ人は高ぶるのだろうか。 一つには、「高ぶり」が罪の本質そのものだからだ。 サタンは神に対して高ぶり、サタンとなった。 そのサタンが人間を惑わし、神に高ぶる罪へと引きずり込んだ。 もう一つには、罪の結果として神の愛を見失った人間は、人間からの承認(評価)を求めるようになった。 他者の上に立ち、他者を…

  • 国に背きがあるときは

    国に背きがあるときは、首長が多くなるが、判断力と知識のある一人の人により、安定は続く。(箴言28:2) 「国に背きがあるとき」とは、国内が混乱状態にあるときという意味であろう。 日本の歴史でいえば、戦国時代などがそれに当たる。 そういうときはあちこちに「首長」が現れるが、「判断力と知識のある一人の人」、戦国時代なら徳川家康(?)のような人により、安定する。 さて、いまの日本はどうだろうか。 利息や高利によって財産を増やす者は、貧しい者たちに恵む者のためにそれを蓄える。(8) 貧しい者たちに恵むために蓄えるのではなく、「貧しい者たちに恵む者のために」蓄える。 ここは、新共同訳がわかりやすい。 利…

  • 明日のことを誇るな

    明日のことを誇るな。一日のうちに何が起こるか、あなたは知らないのだから。(箴言27:1) 27章も、印象的な格言がたくさん出てくる。 「明日のことを誇るな」。 いったい、「明日のこと」を誇る人がいるだろうか。 人が誇るのは、たいてい「昨日のこと」「過去のこと」ではないだろうか。 では、「夢を語る」のはどうか。 夢をもって生きることや夢を語ることは、いまの世において素晴らしいことと受け取られる。 たしかに、それは人を前進させる力になるし、夢も希望もなく生きるよりは良いかもしれない。 しかし、その「夢を語る」態度に何らかの「誇り」が混ざっているなら、主の忌み嫌われるところとなるだろう。 自分はこん…

  • 陰口をたたく者

    薪がなければ火が消えるように、陰口をたたく者がいなければ争いはやむ。(箴言26:20) 恥ずかしい話だが、わたしは「陰口をたたく者」である。 いや、もちろん、進んでそうしたいわけではない。 そうしているつもりもない。 ただ、気づくと陰口、つまりそこにいない人についてとやかく言うことを、楽しんでしまっている。 そう、困ったことに、陰口は楽しいのだ。 陰口をたたく者のことばは、おいしい食べ物のよう。腹の奥に下って行く。(22) 「陰口をたたく者がいなければ争いはやむ」と、賢者は言った。 表立って言い合うだけでなく、“陰”でこそこそ言うことも、争いのもとということだ。 不思議なもので、陰口はしばしば…

  • 柔らかな舌は骨を砕く

    忍耐強く説けば、首領も納得する。柔らかな舌は骨を砕く。(箴言25:15) 「柔らかな舌は骨を砕く」、このみことばは箴言の中でも印象深く心に残っている。 骨を砕く、すなわち相手の硬い心を開くのは、鋭利な言葉ではない。 「柔らかな舌」なのだ。 22章には、つぎのようなみことばもあった。 心のきよさを愛し、優しく話をする者は、王がその友となる。(箴言22:11) ところで最近、おもにネット上でよく見かける言葉に“論破”というのがある。 つくづくイヤな言葉だと思う。 相手の心を開くつもりもなければ、ましてや相手の話を聞こうなどという気持ちはさらさらない。 議論することで真理に近づこうといった高尚な目的…

  • 七度倒れても、また起き上がり

    悪しき者よ、正しい人の住まいを狙うな。彼の伏す所を荒らすな。正しい人は七度倒れても、また起き上がり、悪しき者はわざわいでつまずくからだ。(箴言24:16) 「正しい人」だからといって倒れないわけではない。 「悪しき者」の策略によって倒されることだってある。 しかし彼は、「悪しき者」にやり返したりはしない。 また起き上がって、成すべきことを成すのだ。 あなたの敵が倒れるとき、喜んではならない。彼がつまずくとき、心躍らせてはならない。主がそれを見て心を痛め、彼への怒りをやめられるといけない。(17-18) 「正しい人」は、敵が倒れようと倒れまいと、関与しない。 喜ぶことすらしない。 人は人、自分は…

  • 自分の喉に短刀を当てよ

    あなたが支配者と食事の席に着くときは、前にある者によく注意するがよい。あなたが食欲の盛んな人であるなら、自分の喉に短刀を当てよ。そのごちそうを欲しがってはならない。それは偽りの食物である。(箴言23:1-3) 「自分の喉に短刀を当てよ」、このことばをわたしは何となく、“食べ過ぎ”に対する警告のようにとらえていた。 しかし前後の節を読むと、そうではなく、自分を騙そうとする者の“罠”に対する警告だとわかる。 「支配者」は、力づくで支配しようとするばかりではない。 相手の欲を刺激し、自分に逆らえない状況を作ることで取り込んでいく。 人はみな、どんなにしっかりしているように見えても欲には弱い。 大酒飲…

  • 怒りっぽい者と交わるな

    怒りっぽい者と交わるな。激しやすい者と一緒に行くな。あなたがその道に倣って、自分が罠にかからないために。(箴言22:24-25) 怒りっぽいことに対する警告ではなく、怒りっぽい者と交流することへの警告だ。 自分も同じようにならないように、それは罠になると。 すぐ思いつくのは、ネット上のやり取りだ。 ネットでは毎日おびただしい数の罵詈雑言、敵意、衝突が繰り広げられている。 敵をつくり、攻撃し、同調者を増やすのは、ひとつの手法だ。 注意しないと、あっという間に呑み込まれる。 ところで、子どもが癇癪を起こすのと、大人のそれとでは、なにか違うだろうか? わたしは、たいした違いがないように思う。 癇癪を…

  • 義と公正を行うこと

    義と公正を行うことは、主の前で、いけにえより望ましい。(箴言21:3) 箴言は人生のあらゆる面についての格言であるが、語られていることはとてもシンプルだ。 義、公正、誠実、勤勉、自制、あわれみ、主を恐れること。 主に祝福され、幸福に歩むことは、実はそれほど難しいことではないのかもしれない。 勤勉な人の計画は利益をもたらし、すべて慌てる者は損失を招くだけだ。(5) 偽りの舌をもって財宝を得る者は、吹き払われるもやのよう。死を追い求める者だ。(6) 罪人の道はねじれている。しかし、純粋な人の行いは真っ直ぐだ。(8) どれも、至極全うなことを言っている。 難しくするのは、自分の内にある罪の性質であり…

  • 怠け者は冬に耕さない

    怠け者は冬に耕さない。刈り入れ時に求めても、何もない。(箴言20:3) 箴言にはこれまでにも、「勤勉」に関する格言がたくさん出てきた。 怠け者よ、蟻のところへ行け。そのやり方を見て、知恵を得よ。・・・夏のうちに食物を確保し、刈り入れ時に食糧を集める。(箴言6:6・8) 無精者の手は人を貧乏にし、勤勉な者の手は人を富ませる。夏のうちに集める者は賢い子。刈り入れ時に眠る者は恥知らずな子。(箴言10:4-5) 自分の畑を耕す者は食に満足するが、空しいものを追い求める者は良識がない。(箴言12:11) 無精者は獲物を火であぶらない。勤勉さは人間の貴重な財産である。(箴言12:27) 怠け者の心は欲を起…

  • 貧しくても誠実に歩む者

    貧しくても誠実に歩む者は、唇の曲がった愚かな者にまさる。(箴言19:1) 「貧しくても誠実に歩む者」、このひとことだけで大きな力を与えられる。 みことばは食べるものと言われるが、そのとおりだ。 たったワンフレーズが、その日を歩む力となる。 富んでいて不誠実な歩みをしたいか、貧しくても誠実な歩みをしたいか。 ただ人の世の難しいところは、誠実に見えて不誠実だったり、不誠実に見えて誠実だったりすることだ。 まあ、それは他人事。 自分はどう歩みたいのかを問おう。 愚かな息子は父にとって破滅。妻のいさかい好きは、滴り続ける雨漏り。(13) この後段は、思わず笑ってしまう。 やはりソロモンは相当こりごりな…

  • 自らを閉ざす者

    自らを閉ざす者は自分の欲望のままに求め、すべての知性と仲たがいする。(箴言18:1) 読んだ瞬間、ドキッとした。 まさに、わたしのことではなかろうかと。 「自らを閉ざす者」が、直訳では「自分を人から分離させる者」であるのを見て、さらにそう思った。 わたしは、昔から、他人に対して自分をさらけ出すことができない。 どこか取り繕ったり、かっこつけたり、肩肘張ったり、何かしら装っている。 もしかすると、あなたもそうだろうか。 だから、天真爛漫に自分をさらけ出し、それでいて人から愛され(だから愛されるのだろうが)、屈託なく生きている人を見ると、心から羨ましくなる。 これは性格でもあろうから、どうすれば直…

  • 乾いたパンが一切れあって

    乾いたパンが一切れあって平穏なのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる。(箴言17:1) 結婚した人への色紙に、よく書いたみことばだ。 たしかにその通りだ。 どんなに豊かで、毎日ごちそう三昧であっても、家族間の関係が冷え切り、けんかばかりしているなら、幸福とはいえない。 とはいえ、わたしのような“ひねくれ者”は、「一切れのパン」しかなくて果たして平穏でいられるだろうか、などと考えてしまう。 明日が不安にならないだろうか。 自分がみじめにならないだろうか。 ごちそうを食べたいと泣きたくならないだろうか。 「一切れのパン」で平穏にいる人は、どんな人だろう。 第一に、感謝している人だ。 「きょうも、こ…

  • あなたのわざを主にゆだねよ

    あなたのわざを主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画は堅く立つ。(箴言16:3) この「ゆだねよ」という言葉は、直訳では「転がせ」だそうだ。 あなたのわざを主に転がせ。そうすれば、あなたの計画は堅く立つ。 おもしろい表現だ。 聖書のほかの「ゆだねよ」も同じなのだろうか。 いずれにせよ、言葉の意味において、そのような捉え方をしたことはなかった。 「転がす」とは、どういうことだろうか? 第一に、「転がす」とは手離すことだ。 何かを持ったままで転がすことはできない。 手離すことは、転がすための大前提だ。 主に転がすためには、自分のわざから手を離す必要がある。 第二に、「転がす」とは目に見えぬ重力を信…

  • 𠮟責を大事にする者

    愚か者は自分の父の訓戒を侮る。叱責を大事にする者は賢くなる。(箴言15:5) 前回は、怒ることと叱ることの違いについて考えた。 今回は、“叱られる”ことについてのみことばが並ぶ。 道を捨てる者には厳しい懲らしめがあり、叱責を憎む者は死に至る。(10) 嘲る者は叱られることを好まない。知恵のある者にも近づかない。(12) 叱られることが好きだという人はいないだろう。 誰だって、叱られるのはおもしろくない。 問題は、“聞く耳”があるか無いかだ。 人からの叱責や忠告に、真摯に耳を傾ける備えがあるかどうか。 愚かな者の特長は、5節で「侮る」、10節で「憎む」、12節では「嘲る」と表現されている。 そこ…

  • 愚かな者は怒りやすく

    知恵のある者は慎重で、悪を避けるが、愚かな者は怒りやすく、自信が強い。(箴言14:16) 前回は、次のみことばから、“子どものしつけ”について考えた。 むちを控える者は自分の子を憎む者。子を愛する者は努めてこれを懲らしめる。(箴言13:24) 14章では、“愚か者の怒り”についていくつかの格言が出てくる。 よく言われることだが、「叱る」と「怒る」は違う。 「叱る」は、相手のためを考えてそうする。 あくまでも理性的だ。 「怒る」は、相手のことなど考えず、自分の感情のままにそうする。 理性は失っている。 12章には、こんなみことばもあった。 愚か者は自分の怒りをすぐ表す。(16) 思うに、短期で怒…

  • むちを控える者は自分の子を憎む者

    むちを控える者は自分の子を憎む者。子を愛する者は努めてこれを懲らしめる。(箴言13:24) 昔、スイスの登山鉄道に乗ったときのこと。 青空と美しい山並みの中、ゴトンゴトンと列車が走り、乗客たちも談笑してくつろいでいた。 突然、「パン、パン、パン」と大きな音が響いた。 驚いて振り向くと、一人の母親が5~6歳くらいの男の子を抱え上げ、叱り飛ばしながらお尻を叩いている。 その凄まじい迫力にも驚いたのだが、さらに驚いたのはまわりの乗客の反応だ。 まったく無反応だったのだ。 日本でときどき見られる、関わらない方が良いというような無関心さとは違う。 「あー、やってるな」と言わんばかりの平常さで談笑を続けて…

  • しっかりした妻は夫の冠

    しっかりした妻は夫の冠。恥をもたらす妻は、夫の骨の中の腐れのようだ。(箴言12:4) このことばの前段はすばらしいが、後段は強烈な言いようだ。 ソロモンは女性のことでかなり痛い目にあったのではと、いぶかりたくもなる。 ありがたいことに、わたしの妻は前段だ。 これまで妻を悪く言う人に会ったことがない。(わたしに言うはずもないが) 反対に、お褒めの言葉はよくいただく。 つい先日も、「うちの社長は奥様のことを、すばらしい方だと言っています」と言われたばかりだ。 あんまり皆さんから褒められると、「こんなダンナについて行って、ほんとにすばらしい」と言われているような気さえしてくる。 わたしの半世紀弱の生…

  • おおらかな人は豊かにされ

    おおらかな人は豊かにされ、他人を潤す人は自分も潤される。(箴言11:25) この直前には、こうある。 気前よく施して、なお富む人があり、正当な支払いを惜しんで、かえって乏しくなるものがある。(24) わたしのような貧乏性は、つい、「いやいや、富んでいるから気前よく施すことができるんでしょう」と言いたくもなるのだが、読者のみなさんはどうだろうか。 「正当な支払いを惜しんで」とある。 要するにケチくさいわけだが、そもそもそういう者は「正当な支払い」すらしていないのではないだろうか。 わたしも商売を営む身として、ハッとさせられる。 「料金以上には与えませんよ」という考えが少しでもあると、その分も与え…

  • 自分の唇を制する

    ことば数が多いところには、背きがつきもの。自分の唇を制する者は賢い人。(箴言10:19) 10章からは、正しい人と悪者を対比させた短い格言が並び、テンポ良く読める。 中でも、言葉に関する教えが多い。 無駄口をたたく愚か者は滅びに落ちる。(8・10) 正しい人の口はいのちの泉。悪しき者の口は不法を隠す。(11) 悟りのある者の唇には知恵があり、良識のない者の背中にはむちがある。(13) 知恵のある者は知識を蓄える。愚か者の口には滅びが迫る。(14) 憎しみを隠す者は偽りの唇を持ち、そしりを口に出す者は愚かな者である。(18) といった具合で、冒頭の19節もそうだ。 人は、言葉によって元気づけられ…

  • 浅はかな者はみな、ここに来なさい

    知恵は自分の家を建て、石の柱を七本、切り出し、いけにえを屠り、ぶどう酒を混ぜ合わせ、その食卓も整え、侍女たちにことづけて、町の最も高い所で呼びかけさせた。「浅はかな者はみな、ここに来なさい」と。(箴言9:1-4) 9章には、「浅はかな者はみな、ここに来なさい」ということばが二度出てくる。 ひとつは、上にあげた「知恵」からのことばとしてだ。 ここには、次のように続く。 また、良識のない者に言った。「さあ、わたしのパンを食べなさい。わたしが混ぜ合わせたぶどう酒を飲みなさい。浅はかさを捨てて、生きなさい。分別のある道を、まっすぐに歩みなさい」と。(4-6) これらは「浅はかな者」「良識のない者」に向…

  • 知恵は呼びかけないだろうか

    知恵は呼びかけないだろうか。英知はその声をあげないだろうか。(箴言8:1) 8章では、「知恵」が「わたし」という人称で語りかける。 これもまた、聞き手に強く印象づける工夫であろう。 「人々よ、わたしはあなたがたに呼びかける。人の子らに向かって声をあげる。」(4) 「わたしの口のことばはみな正しい。そこには、ねじれたことや曲がったことはない。」(8) しだいに「わたし」は、より人間的な、人格を伴う表現で語りだす。 「わたしは高ぶりと、おごりと、悪の道と、ねじれごとを言う口を憎む。」(13) 「わたしを愛する者を、わたしは愛する。わたしを熱心に捜す者は、わたしを見出す。」(17) 圧巻は、22節か…

  • この女は多くの者を切り倒し

    この女は多くの者を切り倒し、殺された者は数えきれない。(箴言7:26) 昔、バイブルキャンプでのこと。 友人と聖書を開いて語り合っていたところに、U君が「何のみことばを話し合っているの?」と入って来た。 上のみことばを指し示すと、正直なU君は、「んがーっ」と言いながら両手で頭をかきむしった。 その仕草が可笑しかったのと、彼の正直さに感銘したことで、いまもよく覚えている。 主にある兄弟なら、彼の葛藤に共感できるだろう。 さて、箴言に入って7つ目の章になるが、あらためて、“姦淫への警告”が多いことに気づく。 そもそもが、聞き手として若者を想定していることもあるだろう。 さらに興味深いのは、語ってい…

  • 蟻のところへ行け

    怠け者よ、蟻のところへ行け。そのやり方を見て、知恵を得よ。(箴言6:6) 一度聞いたら忘れられない、ユニークなみことばだ。 「蟻」は無知無力な存在と思いがちだが、神は“蟻から学べ”と言っておられる。 何を学ぶかと言えば、その“勤勉さ”だ。 蟻には首領もつかさも支配者もいないが、夏のうちに食物を確保し、刈り入れ時に食糧を集める。(7-8) たしかに、蟻は働き者だ。 「働き蟻」と呼ぶくらい働き者だ。 子どもの頃、蟻の巣をつぶすいたずらをよくやった。 砂で埋まった巣穴を見て、呆然と立ち尽くす蟻はいなかった。 戸惑いながらも、すぐに修繕に取り掛かる。 人間はちょっと働けば「さて一服」となるが、蟻が「そ…

  • よその女

    よその女の唇は蜂の巣の蜜を滴らせ、その口は油よりも滑らかだが、終わりには苦よもぎのように苦くなり、両刃の剣のように鋭くなるからだ。(箴言5:3-4) 2章に続いて、「よその女」という表現が二度目の登場だ。 狭くとれば肉的な、広くとれば霊的な意味合いがあると思われるが、いずれにせよ“姦淫”に対する警告となっている。 5章は2章よりも、より性愛的な表現が強いのが特徴だ。 「よその女」がもたらす「蜜」は、最終的に「苦よもぎ」となる。 この女の足は死に下って行き、その足取りはよみをつかみ取る。その女はいのちの道に心を向けない。彼女が通う道はあてどもなくさまよう。しかし彼女は、それを知らない。(5-6)…

  • あなたの心を見守れ

    何を見張るよりも、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれから湧く。(箴言4:23) このようなみことばに出会うたびに、いま、強く思う。 わたしたちは、新型コロナウイルスを警戒するほどに、悪魔の惑わしを警戒しているだろうか、と。 マスクをし、消毒をし、換気をし、人込みを避け、仕切りを設け・・・と、あらゆる対策をしながら、人々はウイルスを警戒する。 しかし、悪魔がそっと吹き込んでくる「悪い考え、殺人、姦淫・・・」といった悪い思いに対しては、驚くほど無防備ではなかろうか。 イエスさまの言葉を聞こう。 「口から出るものは心から出て来ます。それが人を汚すのです。悪い考え、殺人、姦淫、淫らな行い、盗み、偽証…

  • 自分の悟りに頼るな

    心を尽くして主に依り頼め。自分の悟りに頼るな。あなたの行く道すべてにおいて、主を知れ。主があなたの進む道をまっすぐにされる。自分を知恵のある者と考えるな。主を恐れ、悪から遠ざかれ。(箴言3:5-7) 『箴言』のなかでも、もっともよく知られた聖句と言っていいだろう。 心を尽くして主に依り頼め。 「心を尽くして」とは、徹頭徹尾ということだ。 「あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」(マルコ12:30) 徹頭徹尾主に依り頼み、徹頭徹尾主を愛すること。 これが、聖書のいう“信仰”だ。 自分の悟りに頼るな。 なんとわたしは、「自分の悟り」に頼ってい…

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