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うえやま note https://note.com/akihisa_ueyama

ラ・サールから慶應に入り、創業7年目のベンチャー企業に就職した男の挫折の話。

うえやま
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2020/04/25

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  • SES交流会開きます!

    ちょっと長くなりそうだったので、 140字にどうにかまとめようとするのを 早々にあきらめ、noteに逃げてきました。 文字数に縛りがないと、 余計なことも言えて心地が良いですね。 前置きはほどほどにして本題に。 私、うえやま、SES交流会を主催します!🎉🎊 <開催概要> タイトル:SES交流会 日付:8/29(火) 19:00~ 場所: アークウィズコンサルティング市ヶ谷オフィス (東京都千代田区九段南4-6-5九段南ビル8F) 参加費:1,000円※簡単な懇親会も予定しております 特典:参加企業一覧 参加希望フォーム: https://forms.gle/N8hxxcA3JC

  • ITも営業も未経験から、SES営業を始めて

    8ヶ月の試行錯誤を公開してみる SES営業になってから丸8か月が経ちました。 鼻につくようなことを言いますが、褒めていただくことも多いので、もしかしたら上手く行ってる方なのかもしれません。 僕は昨年の9月まで、ITも営業もやったことがない。 キャリアで言うと 大卒→ベンチャーでマーケ →大学生をイベントに派遣するみたいな会社で起業 →上位会社の未払いで実質破産→SES営業 といった感じだ。 (見返すと本当に経歴汚い。親泣く。) が、SES営業を始めてからの成約数は以下の通り、そんなに悪くない。 (〇内の数字はSES営業を始めて〇ヵ月目の数字) ① 2件 ② 0件 ③

  • そんな野球部を辞めようと思った。

    ~焦り~ 高校2年、秋。 成績が伸び悩んでいました。 文系クラス37人中13,4番にまで落ちてきてしまっていました。夏休みを終えしばらくは一桁をキープしてた成績。僕は変わらず頑張っていたつもりでした。 朝6:30に起きて、7:00には電車に乗り、8:00に登校。授業は極力、真面目に。19:00まで部活をして20:00過ぎに帰宅。1時間で食事と風呂を済まして、21:00から2時間で予復習を最高のパフォーマンスで。30分だけテレビを見て11:30には寝る。高校2年まで4年ぐらいやって来たサイクル。 娯楽の漬け入る隙のない生活。 限界だった。少なくとも17歳の僕は思っていた。これ以上

  • 流れ着いたSES業界で。

    唐突ですが、僕は芸人さんの深夜ラジオが好きです いつも舞台やTVで、明るく気丈に振る舞う芸人さんが、ラジオでだけは弱音を見せてくれる。 TV番組での失敗談や、裏でプロデューサーにこっぴどく叱られた話。エゴサーチで見つけた悪口に心を痛めた話。 自分を慕ってくれる人しかいないところで、ファンである僕らを頼ってくれる。 僕にとってnoteってそういう場所なんです。 深夜ラジオが勝手に聴こえてくるものじゃないのと同じで、僕のnoteもわざわざ見てくれた人にしか届かない。 今、このnoteを読んでいるあなたを、僕はきっといつも頼りにしています。 このnoteを読んでいる人は、僕のこと

  • 感謝の一年。

    明けましておめでとうございます! どうなることかと思った2021年を、 良い年だったと振り返りながら お手製の蕎麦を啜っています。 上手くないですか?(ドヤ顔) 2020年の8月に始めた共同生活も 残すところあと8ヶ月。 最近はサボりがちだけど、 同居人に料理を作りまくった一年。 料理も引くほど上達しました。 そんな成長はさておき、 今年は3月に会社を辞めました。 初旬に事業を定めて、 営業がてら、ひたすら経営者に会い続けた6月。 7月は会社を起こして、人生の中に 「創業記念日」という特別な日が増えた。 9月ごろ、低迷期が来て仕事がなくなり、 一度は資本金に手をつけ

  • 会社ロゴとホームページができました!

    2021年7月15日に創業して、まもなく4ヶ月になります。 「すみません、創業したてで...笑」 と言って許されてきたホームページや名刺も、そろそろないとおかしな時期になってきました。 実はかれこれ2ヶ月ほど前から学生団体時代の友人に相談してロゴを作り始めていました。 初めは、相方と2人で「明日までに5案持ってこよう!」とか言って、下手くそなデザインを持ってきたりしていて笑 このままだと変なのしかできなさそうだったので、美大を出てる友人に相談。 会社設立の経緯や、目指したいところ、自分が好きなデザインやら色々とヒアリングをしてもらいました。 懸念はしていたが案の定頑張り

  • 会社を立ち上げました。

    2021年7月15日、私、上山晃寿は、 Acrosstudio株式会社の代表取締役に就任しました。 今日は簡単な挨拶を兼ねた現状報告です。 (我ながら今回の一文目、気持ち悪いですね☆彡) 上にも書いた通り、会社を作りました。 友人と二人で作ったものです。 今年の1月頃、一緒に会社を作らないか?と誘ってもらったのがきっかけでした。 新卒で入った会社で命を燃やしていた僕を、手を変え品を変え口説いてきていたのが懐かしい。笑 この会社を作るまでに、僕は会社員を辞め、フリーランスになり、起業するという順序を辿りました。 僕がまず会社を辞めてフリーランスになろうと決断できたのは2つ理

  • 選挙に行ったことない人のこと、どう思いますか?

    小学校のとき、嫌いな先生がいた。 このnoteではあまりネガティブなことは書かないようにしてるのだが、人が怒ったり、不快感を示すものは、価値観の鏡だと思うので、書いてみようと思う。 その先生は3年生のときの担任だった。 僕が高学年になるときくらいに、どこかの教頭先生になったと聞いた。そのときに、齢(よわい)10歳ながら学校教育にため息をついたことを覚えている。これが教頭になってしまうのか、と。 その先生のことを嫌いだったのには、理由がある。僕は、至極真っ当なものだと思っているのだが。 その先生は、採点が甘かったのだ。 甘い、というか、間違っていても丸をつけていた。 今でも

  • うつ病を告白して

    うつ病を告白して、心が楽になった。 自分が軽度だったからかもしれないが、周りは変わりなく接してくれるし、弱みを見せ合える仲間が増えた気がした。 「私も実は...」 僕のnoteを見て、自身もうつ病だと 告白してくれた人が、実に9人もいた。 みんな闘ってたんだなぁと思う。 今日は、そんなうつ病に対しての偏見を少しでも変えられたら良いなと思って書いてみる。 〜ハローワークに行ってみた〜 3/15を持って、立派な失業者になった僕はやることがいくつかあった。 ①国民健康保険証の作成 ②年金の手続き ③失業手当金の申請 という3つだ。 いずれも、もしすぐに転職するなら

  • Independence Day

    うつ病になり、会社を辞めました。 今後、こんなにインパクトのあるノンフィクションな一行目を書くことは無いと思います。 今日は、僕が会社を辞めるまでの物語です。 人から心配の声をもらいたがる、メンヘラみたいな趣味はないので、結論から言うと大丈夫です。 2月9日からうつ病で会社を休職し、1週間と少し、寝込みました。 1月の下旬ごろから、仕事がある平日の朝、毎日毎日、嗚咽と腹痛が止まらなくなってしまったんです。身体は過敏性腸症候群という病気にかかり、心は同時にうつ病に侵されていきました。 過敏性腸症候群というのは、めちゃくちゃ簡単に説明すると、精神面からくる腸の不調で

  • ホモハウス生活3ヶ月目。

    知ってる人は知ってるが、僕は今、 会社の同期と男3人で暮らしている。 構成が男3人と言うこともあり、 現在我が家はホモハウスと呼ばれ、 社内ではすっかり定着した。 あんまり自覚していないようなので この場を借りてしっかり伝えるが、 同居人の2人は変なやつだ。 1人は、女の子を連れ込めるはずもないのに、 やたら部屋に間接照明をつけたり、 ディフューザーを置いたりする変なやつ。 もう1人はシンプルに天然だ。 「3人で生活してて不満とかないの?」 とよく声をかけてくれるが、 たぶん思ってるより快適に過ごしてるし、 僕としては大きな不満はない。 家事も、 ○上山 料理 ○同

  • 一人称にまつわる価値観

    今回は男の子が小学生くらいのときに上るちっちゃい大人の階段の話。エロくないですよ。 「男の子って可愛いなぁ」ぐらいの気分で読んでくれれば良いです。 僕は幼稚園のとき、 クレヨンしんちゃんが大好きでした。 毎週金曜日の19:30からかぶりつくようにテレビを見てたし、2ヶ月に1回通ってた床屋ではボロボロの漫画版しんちゃんを真剣に読み漁ってました。 しんちゃんは、自分のことを「おら」と呼ぶ。 なので、幼稚園年少の時「ぼく」だった一人称を年中になって数ヶ月だけ「おら」にしたことがある。 思い返せば恥ずかしい。 でも当時初めて「おら」に一人称を変えたとき、妙な高揚感があった。

  • 「元気出して」という言葉への違和感

    「元気出しなよ」「自信もっていいからね」 恐らく世間で最もポピュラーな励ましの言葉です でも、僕はどうにもこの言葉たちに違和感を覚えてしまうんです。 自信も、勇気も、元気も何かきっかけがあって、湧き上がってくるものだと思うから。 ただ、どうしようもなく落ち込んだ友人や恋人を前に僕らはかける言葉を失って、このテンプレートに逃げるんです。 しかし実際、この言葉をもらうと少し心が楽になります。何かに砕けて地面に這いつくばった自分に、手を差し伸べてくれることは、やっぱり嬉しい。 でもこれは絶対、根本的な解決にならないと思うんです。 この言葉は、治療ではなくて、痛み止めだから。

  • わざわざ言うことでもない話

    コンビニのレジ袋が有料になりましたね。 みなさん、お元気ですか、うえやまです。 有料にするのはいいんですけど、 「大と小、どちらになさいますか?」 ではなく、 「このくらいでしたら小で十分かと思いますよ」 と提案してほしいなぁと思いませんか?笑 たぶん店員さんは見た瞬間パッとどの大きさが何枚必要か分かるんでしょうけど、けっこうそれが素人には難しかったりする。 そもそも、地球温暖化対策なんでしょ?だったら出来るだけ使わない、使うとしても最小に、という方向で世の中が動くといいなぁと思うんです。 お客さん目線に立ちながら、世の中の真理に沿うように働くのって、やっぱ難しいんだなぁ

  • 2つの人生の傍観者

    最近、一つ下の後輩が面白いことを始めた。 鳥部祐生という後輩だ。 高校のときから部活は違うのにときどき一緒に帰ったりしてて、大学の後輩にもなったからちょこちょこ会うようになってた。 思い出せば、会って話すたびに何かしら相談ごとを持ってきてくれていた気がする。 何か建設的なアドバイスができるわけでもなく「いいじゃん、好きにしなよ」としか言わない自分のところへ。 大学3年間、こいつは迷走しつづけてた。 何をやってもしっくり来てなくて、でもずっと何かしらやりたいことを探してた。ずっと行動してた。 らしくないことというか、意外なことにも挑戦してたけど、あのとき止めなくて良かったなと

  • そういえば上山何してる

    昨日久しぶりな友達とZOOM飲み会をしたら、そういえば上山何してるんだっけって話になったので、今回は特別捻ったことはせず、何してるかの生存報告をします。 なんやかんやで大学はストレートで卒業できたので、4月からLegaseedという人事コンサルの会社で働いています。 まだ創業から7年の会社で、数年前まで社員が段ボールを敷いて会社で寝泊まりしながらめちゃくちゃ仕事していたそうです。 今は、数年後に上場することを目指して色々な部分を整えつつある段階なので、すぐできる改善点も多く、入社2ヶ月ながら「こうした方がいいんじゃないか」「こんなことも始めてみたい」が結構聞いてもらえる会社です

  • モノは言いよう

    世の中が「なんて不幸なんだ」で溢れてる。 僕たちの世代は大学の卒業式がなくなった。 ほとんどの会社では、入社式がなくなった。 学生から社会人になる門出を迎えず、 そのままなんとなく社会人に突入した。 なんて不幸なんだ。 毎日あくせく働くやつもいる一方で、大学の同期は、訳もわからず社会人になった人もいて、仕事がなくて毎日暇みたいだ。 なんて不幸なんだろう。 1つ下の代に目を向けると就活が大変そうで、 世のカップルにとっては会えない毎日。こんなにも不幸なことがあってたまるか。 自分もときどきなるけど、悲劇のヒロインを演じてしまう。自分が一番不幸だ。人と一緒に何かできないこと

  • しょうもないものを買いなさい

    お久しぶりです。 深夜に何を思ったか、YouTubeで延々と島田紳助の動画を漁ってました。 紳助が親戚の子にお年玉をあげたとき言ったのが 「しょうもないものを買え」 という言葉でした。 子供は自分の耳を疑うんです。 いつもなら 「大事に使いなさいよ〜」 というテンプレートに、 「はぁい」 と、思ってもないテンプレートを重ねるのが、 お正月の風物詩のはず。 子供に話を聞かせたいときは、初めに常識を壊してあげるのがコツだそうで。この時点で子供は興味深々なんだそうです。 「ママの香水なんて、臭い水やろ?パパのゴルフクラブなんて、謎の鉄骨やろ? それなのにお前がな

  • Ageだった理由。

    楽しかったはずだったんだけどなぁ。 いつから違和感を覚え、心を遠ざけるようになってしまったのだろうか。 すごく些細なことを、少し大袈裟に描く。 僕にとって些細なことではないのだけれど。 サークルに行かなくなる。 大学ではよくあるし、よく聞く話だ。 僕はなんだか物事を真剣に考えすぎる節があるみたいだ。 入ったサークルは野球サークルだった。 当初何か意識してたわけではないのだが、自然と同期である1年生を仕切るようになっていた。 色々不完全で、自分で仕切った方が早くて安心できたからだろう。 6月の誕生日当日には40人近くの同期がサプライズに来てくれたりしたから、そんなに不満なく

  • 大学へ~プロローグ~

    2016年4月。 慶應義塾大学経済学部入学。 履歴書に何回か書くだけの大した意味のない肩書きを手に入れた。 学歴なんて関係ねぇんだなと思い知らされる4年間が始まる。 1年生。 学校にわりとちゃんと行って、野球サークルに入って遊ぶ、テンプレートみたいな大学生活。 でも入ってすぐ、気づいちゃったんだ。 大学の授業は、面白くない。 サークルでは、真剣や一生懸命が必ずしも褒められたものではない。 小学生から、勉強が好きで好きで、塾でも中高でも本当に魅力的な先生に恵まれ。 勉強が嫌いになったわけではないのだ。 勉強が好きだったから、許せなかった。 大学の授業のいい加減さ、教授もプレ

  • 負けるということ

    これは、東大に落ちてから慶應に入学するまでに起きた小さな物語である。 こいつとの出逢いは小学生のときであった。 学年が40人ぐらいしかいない小さな小さな学校で覇権を争う小競り合いをしていた未熟な僕が、塾に行くようになり、初めて「勝てない」と思った人間だった。何度も出てきた、井上裕貴。 塾でも良く話すようになり、一緒にラ・サールに入学した。 こいつがきっかけで野球部に入り、一緒に本当に辛くて楽しかった6年間を過ごした。 勉強はラ・サールに入って僕がどれだけ成績を上げても常に僕の上にいた。 勝ったことなんて数えるほどしかないだろう。 確実に東大に行くと思っていた。 だが、僕が浪

  • 諦めないということ

    ~就活記~ たった20分の一方的な面接で何がわかるの? 探り探りの1時間のグルディスで伝わるのが、20年生きてきた私たちの全てなのでしょうか? 僕は常日頃から言ってたようにコピーライターになりたかったんです。言葉を扱う仕事がしたかった。 ただ、面接がすごく苦手で。 僕と仲良い人なら分かってくれると思うんですけど、僕って起承転結の「転」の能力が突出して高くて、「結」の能力が異様に低い。 まぁ例え話が好きだったりするのが良い例ですね。ただ、その例え話がどんどん展開してってなに話してたんだっけってなっちゃう。 そんなこんなで受けた広告代理店はESは全て通過したものの、面接は1次で

  • 学ぶということ、浪人するということ。

    「ここに集まるような人たちは絶対に遠くない将来現れる。」 東京大学に再び挑む僕らに大島先生が言う。 受験前最後の授業。 「いつか必ず訪れるぞ。 『お願いです、助けてください、あなたの力が必要なんです。』 って、誰かがお前らに言うんだ。 そのとき言えんのかよ。 サボっていたのであなたを助ける資格も力も用意できませんでしたって言えんのかよ。」 1つだけ、息を吐く。 「人は、チャンスが来ないことをしばしば憤慨しますが、チャンスが来ないことよりももっと恐ろしいことがある。 それは、自分の番が回ってきたときに、自分がその順番に答えられない自分であることに気づいてしまう

  • 描かないこと

    浪人編の恋愛面を描くのを止めました。 質問箱とかに早く読みたいとか書いてくれてた人すみません。 僕が好きになった人への礼儀でもあります。 迷惑がかかるから。 色々考えて、この話は公開すべきではないと思いました。 本当の自分のノートに綴って、それで終わりにしようと思う。 そして少しだけ、何故か読んでいるらしいあなたへ。 お久しぶりです。お元気でしょうか。 3年も会ってないのにこんなのを見つけてくれて、読んでくれてありがとう。 前置きが長くなってもしょうがないですね。 3年前の浪人時代、目的を忘れてしまうほどあなたに恋をしました。 大切な人生の邪魔をしてしまいました。

  • 浪人とは失恋のようなものだ

    ~もつれる足~ 2016年4月。 初めて親元を離れ、千葉の市川にある予備校の寮に入った。 ベッドと机と本棚しかない殺風景な部屋。 物語はこんな小さな部屋から始まる。 家族のいない生活。 素直に寂しく感じた。 母が作ってくれたご飯が美味しかったことに気づく。誰も起こしてなどくれない。家に帰ってもテレビをつけて静かに笑う父の姿もない。共用の洗濯機の回し方も分からなかった。 お隣さんの生活音が聞こえる。 あまりにも静かだった。受験期も笑顔の絶えなかったラ・サールを、心から愛しく感じた。 仕送りは定期券代を除いて月3万円。 朝夕は寮で食事が出るから1ヶ月の昼飯代として。遊ぶことがで

  • ここまで書いてみて

    完全にストーリーとは関係ないんですけど、色々話したいことがあって笑 そもそもこれ書き始めたのが就活の面接対策なんです。 noteと面接...? と、程遠い存在に見える両者なんですけど、すごく役立つことを確信したのでお話しますね。 そもそもこれやろうと思ったきっかけはひょんなことなんですけど、書くことを決心させたのは大学のとき入ってたAGESTOCKっていうサークルの一つ上の先輩・長井辰樹さんからされたこんな話でした。 「なぁ、アメトーークってなんで面白いと思う?」 考えたこともなくて言葉に詰まるんです。 毎週録画して観てるアメトーーク。 確かに回によっては豪華な面々と言い

  • 浪人へ ~プロローグ~

    ~まどろみの中で~ 東大に落ちた。 なんで落ちたのだろう? あの二人を見て決意した8月。ケータイの電源を切って引き出しの奥にしまい、入試の日まで電源を入れなかった。800冊以上あった大好きなマンガは段ボールに詰めて、亡くなった祖父母の家に全て送った。 机の周りには本棚に入りきらない参考書が山積みになっていた。その麓には、ボロボロのノートが何百冊もあった。 自分の番号がないことを確認し、ベッドで心と身体を折り畳む。 まだどこかで不合格を幻と願っている僕が、まどろみの中に見たこの努力の跡たちは、確かに存在していた。 「がんばったよなぁ」 少しだけ自分をねぎらい、渇いたままの目を閉

  • 業火に焼かれて

    ~選択~ ラ・サールには独特の文化がある。 ほとんどの高3は部活を引退したあと、10月に控える体育祭に向けて應援団に入る。約6割といったところだろうか。 東大・医学部の受験を控えた7月からの3ヶ月、他の超進学校と呼ばれるところは血眼で勉強にいそしむ。 そんな中、ラ・サールの高3の大半は体育祭のための本格的な演舞の練習を100時間以上しているのだ。 「なんで...?」「勉強しなよ...」 世間からはそんな声が聞こえてきそうだ。何よりまず、普通なら学校がそんなことを許さないであろう。合格実績で世間からの学校の評価が決まってしまう悲しい社会。 ラ・サールも超進学校の名を背負う身

  • 本当の受験戦争へ ~戦争前夜~

    ~ラ・サール高校~ まずは地方の実態を知っていただく必要がある。 鹿児島には予備校がない。 正確な言い方をすると、ラ・サール生が通うに値する予備校が鹿児島にはない。 嫌な言い方だが、あとで納得させてみせましょう。 東大や医学部を目指すための塾は近くても福岡。あとは関西関東圏にしか存在しないのだ。鹿児島くんだりでそんなハイレベルな塾は存在しない。 つまり、本気で東大・医学部を目指すなら、本来予備校でやるはずだったカリキュラムは全てラ・サール高校の教師が進めなければならない。 たぶんだが、並の高校教師は1週間ともたない。高1までに高校過程をほぼ全て修了させるハイレベルハイスピー

  • そんな野球部を辞めようと思った。

    ~焦り~ 高校2年、秋。 成績が伸び悩んでいました。 文系クラス37人中13,4番にまで落ちてきてしまっていました。夏休みを終えしばらくは一桁をキープしてた成績。僕は変わらず頑張っていたつもりでした。 朝6:30に起きて、7:00には電車に乗り、8:00に登校。授業は極力、真面目に。19:00まで部活をして20:00過ぎに帰宅。1時間で食事と風呂を済まして、21:00から2時間で予復習を最高のパフォーマンスで。30分だけテレビを見て11:30には寝る。高校2年まで4年ぐらいやって来たサイクル。 娯楽の漬け入る隙のない生活。 限界だった。少なくとも17歳の僕は思っていた。これ以

  • 野球部という宝物

    中2になって後輩が入ってきました。 真面目で、素直で、僕が評価するのもおこがましいほど優秀でした。 たぶん、ここが僕の後輩との接し方の原点になります。大学に入って、約300人の後輩に恵まれました。後輩が本当に好きでした。 このときも大学でも大切にしていたのは 「これから君たちを1人の大人として扱う」 という最初のHRの広岡先生の言葉。 僕はここからたくさんの後輩に追い抜かれてゆきます。別に気になどしなかった。学年なんて関係ない。そんな本質的でないことで優劣を付けてどうする。 ベンチの僕はグラウンドで活躍する後輩に心からの声援を送りました。バッターボックスから帰って来たやつには

  • ラ・サールの日々の始まり

    母の愛の形 少し本編を逸れて脱線を。ラ・サールへの進学が決まった頃、母は内職をやめ、病院で働き始めた。 「息子が中学生になったら」 なんて初めから決めてたのかもしれない。でも、今思えばラ・サールだったからなんじゃないかって思うんだ。公立に比べて、やっぱり授業料は高くて。勉強に無縁の家庭から、ひょんなきっかけで塾に通うようになり、勉強が好きになった息子の成長に経済的な事情がブレーキをかけてはいけないと思ったのだろうか。母はこれから、毎朝5:00に起きて、お弁当を作り、寝起きの悪い息子と毎朝大激戦を繰り広げ、息子を6年間見送り続けた。多くを語らない母でした。素敵な母親だと思います。

  • 憧れたラ・サールへ。~プロローグ~

    いつもそうなのだ。 自分に自信がある。 ほどなくして少年は環境に敗れ、自信の正体が過信だったことを知る。 ラ・サールという学校を知らない人のために簡単な説明を。まぁ鬼の進学校です。自称じゃないやつです。偏差値76です。どんだけ謙遜してもすごいやついっぱいいました。中3までの普通の授業で英語ペラペラになったやつとか、単純に全国模試1位とか。 こんなのを相手にすると、自分なんて中途半端で。「ある程度勉強ができること」はアイデンティティじゃなくなりました。 求められたのは激しすぎる競争に置いていかれないだけの学力と、それ以外でした。 衝撃の入学式 2009年4月、ラ・サー

  • 僕にとっての勉強と、いじめ

    「息子さんを勉強させてみてはいかがですか?」 母が、僕が小学1年生のときの二者面談で、担任の外薗先生から言われた言葉らしいです。 僕の両親はどちらも高卒でした。父は一応自営業で、土地家屋調査士という仕事。母は当時専業主婦で、暇だったのか家で内職をしていました。落ち着きのない息子がいたせいもあったのでしょう。 要するに、勉強とは無縁の家庭でした。 全くもって『教育ママ』なんかではなく、すごくのびのびと生活してました。 そんなこんなで家から一番近い小学校に行き、冒頭に出てきた先生に出逢います。今思えば、変わった先生だったと思います。塾に行くことを母に勧めました。 勉強とは無縁

  • 自己紹介

    完全に晒名の影響で始めます。 こんなこと言いたくないですけど僕の人生から引き算できない登場人物の一人なので後々登場することにはなるでしょう。 名前:上山晃寿(うえやまあきひさ) 生年月日:1996/6/14 出身:鹿児島県鹿児島市 大学:慶應義塾大学経済学部 中学・高校:ラ・サール中学・高校 浪人期(1年):駿台予備学校御茶ノ水3号館 趣味・好きなこと:料理、美味しいもの巡り、プレゼント選び、ファッション、漫画 ひとまずの目的は就活です。 自分の半生を綴ることを通じて、どうしてこんな変な生き物が生み出されてしまったのかを自分なりにひもといてみようと思います。 せっかくなので

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