盗撮や痴漢などの性犯罪で逮捕された際に「不起訴処分」を目指すために弁護士に依頼すべきこと・自分で取り組むこと
このnoteは、 盗撮や痴漢などの性犯罪で逮捕された本人 「夫やパートナーが盗撮や痴漢などの性犯罪で逮捕された」という方 を対象としています。 内容は、被疑者が「不起訴処分」を目指すために弁護士に依頼すべきこと・自分で取り組むべきこととなります。 一般的には、示談金と反省文を用意して示談を目指すという方法が主になると思いますが、本noteでは示談書以外のアプローチについても言及しています。 具体的には、被害者様や精神科医、家族に作成を依頼する文章を7つ程話題として挙げています。各種文章の雛型も可能な限り載せています。 また、その他の検察庁への提出物についても言
薬物の摂取をやめると、離脱症状と呼ばれる身体の症状が起こる状態のこと。 耐性や精神依存が生じた状態で、多量の依存性薬物を連用するようになると、やがて身体依存が形成されます。 もともと体は依存性薬物を摂取した状態では呼吸や脈拍などの機能に影響を受けます。ところが身体依存の状態になると、薬物を摂取した状態が普通の状態であると身体がみなすようになり、その薬物が体内にあっても身体が正常に機能するようになります。そして逆に、薬物が切れると離脱症状と呼ばれる症状が現れるようになります。 例えばアルコールに対して身体依存が形成されると、アルコールが切れてくるときに脈拍が速くなったり、発汗・イラ
依存性薬物を連用することにより、薬物が欲しくなる状態のこと。ある薬物を繰り返し摂取し、習慣的に使用していると、しだいに「ないと物足りない」「その薬物なしではいられない」という状態になります。このように薬物に対する渇望・欲求が生じる状態を精神依存といいます。精神依存が形成されると、その薬物がないと家の中を探し回ったり、わざわざ出かけて買いに行ったりするなど、行動に変化が見られるようになります。このような状態になると、その薬物をやめようと思っても、しばらくすると薬物が欲しくなるため、やめることが難しくなり、さまざまな理由をつけて薬物の摂取を続けるようになってしまいます。実際は、本人はそのよ
現時点で性依存症に対して認可されている薬はありません。 しかし、現場ではいくつかの薬剤が使われているので紹介します。 抗男性ホルモン薬 抗男性ホルモン薬は研究によって効果があると認められています。理屈は単純で、男性の性的欲動は男性ホルモンによって支配されているからです。実際に抗男性ホルモン薬を内服すると、性的欲求の低下や勃起の抑制などが生じるとわかっています。 本来この薬は前立腺がんや前立腺肥大症の治療薬で、性依存症の治療として認可されている薬ではありません。しかし、アメリカ、フランス、韓国などでは性犯罪者の治療として用いられています。日本では、前立腺肥大症がある場合など特殊な
異なる2つ以上の依存症を同時に発症していること。 アルコール依存+共依存 摂食障害+クレプトマニア 薬物依存+セックス依存 など相性の良い依存症があります。 治療をする際は、両方の依存症に目を向ける必要があります。
自分が置かれた状況を俯瞰・客観視しながら、自分の行動・考え・感情を自分で観察し記録すること。 チェックシートなどのテンプレート化された用紙に記入していく方法もあれば、白紙のノートに記載していく方法もあります。日記もセルフモニタリングの一つです。 心理学者のKanferは、セルフモニタリングすると自己評価・自己強化が起こり、これが動機づけとなって自己調節行動が生じるとしています。心理学者のNelsonらはセルフモニタリングするだけで行動頻度に変化が生じることを指摘し、セルフモニタリングが行動変化を起こすための誘発因子として機能しているとしました。 依存症の治療においては、 渇
1985年に心理学者カンツィアンによって提唱された、依存症についての仮説。 その内容を要約すると下のようになります。 心理的な痛みこそが依存症や嗜癖行動の中心的問題である。困難や苦悩を抱えた人は、その物質や行動が(一時的ではあるが)安らぎをもたらすことを発見してしまったがゆえに、依存性物質や嗜癖行動に頼らざるを得なくなっている。 依存症を抱えている人は、決して手探り次第に「気分を変える物質や行為」に手を出しているのではなく、困難や苦悩を緩和するのに役立つ物質や行為を選択している。 依存の成立に必要な報酬は、物質がもたらす快感やハイな気分だけに限らない。どう考えても苦
薬物依存症の人たちに対して、違法でも罪には問わず、公衆衛生や経済、そして、薬物使用による健康への悪影響の軽減を重視した薬物依存への“寛容な政策”。 ハームリダクションの主な施策は、ヘロインと同じ効果があり効き目が長い鎮痛剤メタドンを投与する「メタドン維持療法」や、注射器の配布・交換、注射室などユーザースペースの設置、医療・福祉相談などがあり、国ごとに採用している内容は違います。 今では、ハームリダクションは世界の80以上の国や地域で政策の一部に取り入れられています。 ポルトガルでは2001年に、少量の違法薬物の所持・使用については刑罰を与えないとし、注射器の代わりに経口摂取できる薬物
問題行動をやめている最中に、問題行動をしてしまうこと。 スリップというのはアルコール依存症から派生した用語ですが、現在では依存症全般に使われています。 スリップの意味は「滑る」ですが、Sobriety Loses Its Priorityの頭文字をとってSLIPと表現するのが本来の意味です。 ※Sobriety:酒に酔っていないこと、しらふ、節酒、禁酒 Priority:優先事項 スリップは依存症の再発(=リラプス)ではありません。スリップを放置し、そのまま問題行動を続けることによって依存症は再発するのです。つまり、スリップとは依存症再発のきっかけになり
様々な心の病に対する有効性が医学研究で立証されている心理療法。 近年、様々な心の病に対して、心理療法の有効性が、信頼すべき医学研究により立証されつつあります。中でも認知行動療法は、うつ病、パニック障害、強迫性障害、統合失調症、依存症に対する治療効果が、繰り返し確認されています。 認知行動療法は、ある状況に出くわした時に、私たちが持つ感情と行動が、その状況をどうとらえるか(認知)によって影響を受けることに着目します。 例えば、うつ病で起こるとらえ方は、「100点でなければ、60点とれていても0点と同じだ」といった評価を下しがちです。その結果、気分が落ち込み、何かをやろうという気持ちが失せ
神経伝達物質の一つで、快く感じる原因となる脳内報酬系の活性化において中心的な役割を果たしています。 ドパミンは神経伝達物質のひとつで、カテコールアミンと呼ばれる種類に属します。アミノ酸のチロシンから酵素の働きによって合成されます。 依存症の問題行動をすることで快く感じるのは脳内の報酬系と呼ばれる神経系が活性化するためと考えられます。この報酬系ではドパミンが中心的な役割を果たしています。アルコール・麻薬・覚せい剤などの依存を形成する薬物の多くはドパミンを活発にする作用があり、そのために報酬系が活性化し、快感をもたらすと考えられます。
同じ問題をかかえる人たちが集まり、相互理解や支援をし合うグループ。 同じ問題をかかえている人たちが対等な立場で話ができるため、参加者は孤立感を軽減されたり、安心して感情を吐露して気持ちを整理したり、グループの人が回復していくのをみて希望を持つことができたりと様々な効果が期待できます。 「言いっぱなし、聞きっぱなし」という原則が守られていることが一般的で、発言を批判されたり、誰かの発言をもとにして議論することはありません。
精神に作用する化学物質の摂取や、快感やスリルを伴う行為を繰り返し行った結果、それらの刺激を求める欲求が生じている状態のことです。 物質依存では、物質が欲しくなる状態のこと、行動嗜癖では問題行動をしたい状態のことを指します。 渇望は耐えがたい欲求であり、非常に強力なものです。報酬を期待するだけでドーパミンが報酬系を活性化し、前頭前野の血流が低下するために自制心もそがれてしまいます。「コントロール不能」な衝動が襲ってくるイメージです。 しかし、渇望の持続時間は短いという特性があります。渇望を感じたときには、あらかじめ決めておいた緊急避難的な行動をとることで、渇望を逸らせる方法があります。タ
今までの問題行動では満足できなくなり、同じ効果を得るのにエスカレートしないといけなくなること。 依存症の特徴として、耐性が作られることがあります。もともと軽い問題行動で興奮を得ていたのに、問題行動を繰り返すうちに、同じ問題行動では物足りなくなってきます。 アルコールで言えば、強くなった状態です。同じ量では充分に酔えず、同じ効果を得るために量を増やさないといけなくなります。結果的に、多量の飲酒をすることになり、さらに依存が悪化していきます。
依存症者の家族が回復できるようにするため、専門病院や自助グループなどで開催されている会。 依存症者の家族は、金銭的困難・解雇などの被害や悪影響を受け機能不全家族となっていることがあります。 家族がイネイブラーとして機能してしまうと、依存症者に過剰な世話をすることで問題を覆い隠し、依存症からの回復を遅らせることもあります。 家族は依存症の正しい知識を共有したり、依存症者からの害に関しては避難し、つらい気持ちなどを他者と共有する場が必要です。 そのため、専門病院や自助グループなどでは家族を対象にした家族会が開催されています(保健所や精神保健福祉センターでも依存症家族教室が開催されていること
依存症者に必要とされることに存在価値を見いだし、ともに依存を維持している周囲の人間の在り様。 例えばアルコール依存症の妻は、依存症に巻き込まれた被害者と言えます。一方で家族研究から、妻はアルコール依存症者のそばで病気の維持に手を貸している面があり、間接的にアルコールに依存しているという「共依存」ではないかという考えがでてきました。 共依存者は被害者であるとともに共犯者でもあり、相手(依存症者)に必要とされることで自分の存在価値を見いだすためにそのような相手が必要であるという、自己喪失の病気であるといえます。 アルコール依存を例とすると共依存として以下が挙げられます。 共依存の例 1.
依存症者を手助けすることでかえって依存症の回復を遅らせてしまう周囲の人間の行為のこと。 依存症ではそれを取り巻く家族をはじめとする親しい人間が、様々な問題行動に巻き込まれます。早い段階では、依存症者の社会生活が損なわれないように、周囲の人間が問題を小さくするよう協力・援助してしまいます。例えば「問題の後始末」「尻拭いをする」などがあります。具体的には、問題行動による借金を肩代わりして支払ったり(親がすることが多い)、職場への対応を一緒にしたり、などです。 このような援助を依存症者におこなっている者がイネイブラー(支え手)で、その行為をイネイブリングと言います。依存症の回復のためには依存
自分が依存症であると認めないこと。 依存症の人は誰もが持っている心理。 「自分は依存症ではない」「自分には問題はない」と問題を全く認めないことだけではなく、「確かに問題はあるが、やめようと思えばいつでもやめられる」「依存症だと思うが、それほど重症ではない」などと考えるのも、問題を実際よりも軽く考えているという点で、否認であるといえます。 ほかにも「仕事を頑張ったのだからこれくらいしてもいい」などと、欲求をコントロールできないことをほかの原因に求めたり、「やりたいことをやって逮捕されるなら本望だ」「どうせ止めてもいいことはない」などと、最初からあきらめてしまうのもよく見られる否認です。
アルコール依存の自助グループであるAA(アルコホリックアノニマス)には「スリップしないためにHALTに気をつけろ」という文言があります。スリップしやすい状況4つの頭文字となっています。性依存にも通ずる部分があると思います。今回はこのHALTを解説してきます。 HALT · Hunger:空腹 · Anger:怒り · Loneliness:孤独 · Tiredness:疲労 ちなみに、HALTはドイツ語で止まれの意味で道路標識などに使われています。 Hunger:空腹 アルコール依存の方はもともとカロリーの多くをアルコール飲料から得ていました。つまり、腹が減ったら酒を飲むという思考
”底つき“という用語の確認と、底つきでの気晴らし方法について解説していきます。 底つきとは どん底というのを精神科・心理学では底つき状態といいます。 たとえば、依存症が原因で人生を崩壊させてしまった場合などが底つき状態です。 大体の性依存症の方は、パートナーとの離別(離婚など)や、家族関係の悪化、失職などを経験しますし、犯罪として逮捕される場合は刑事罰も重くのしかかってきます。 まさに”人生のどん底”といえるような底つき状態は、依存症に自分が陥っているということを感じるために必要だと考えられています。 逆に、底つき状態を経験しなければ、「まだ大丈夫」「まだ自分は依存症
定義 サディズムもマゾキズムも、苦痛との関連によって(苦痛を与えたり、苦痛を受けたり、そうした行為を空想することによって)性的満足を得るものである。時には一人の人間が同時に、あるいは時間を変えてサディストであったり、マゾキストであることも多い。そこで両者をまとめてサドマゾキズムSadomasochismと呼ぶ。 サディズムは『美徳の不幸』『ジュスチーヌ』などを書いたフランスの貴族マルキ・ド・サドMarquis de Sade侯爵の名前に、マゾキズムは『毛皮のヴィーナス』などを書いたオーストリアの貴族マゾッホLeopold von Sacher-Masochの名前にちなんでクラフト・エ
スカトロジア、スカトロマニア、不潔なものへの性的愛好と一括したものの中に、糞便愛、尿愛、不潔(汚物)愛、浣腸愛などが含まれる。いずれの場合も、これらの不潔物が性的な刺激・興奮・満足を与えるフェティッシュとなる場合と、性行動の中で自分かパートナーかの自発的・強制的・援助的な排泄行為が性的興奮・快感を与える場合がある。 浣腸愛については、幼児期に母親に浣腸を受けた体験と、愛され世話される満足とが条件反応として結合したものとする解釈がある。スカトロジア一般については、サディズムーマゾキズムとの関連、条件学習によるフェティシズムの形成、タブーを侵犯することによる興奮と快楽など、様々な要因が説明
痴漢とは着衣の上から異性の身体を触ったり、押したりすることに性的な興奮を感じることで、混雑する公共的空間(電車やバス)がその舞台となる。痴漢を行うのはおおむね男性である。手の甲や手のひらで女性の乳房・性器・尻・腿を触れるのが普通であるが、時にはペニスを押し付けたり、ペニスを露出して性液を女性の衣類にかけたりする事例もある(婦女汚損)。痴漢行為の間に興奮しオーガズムに達する場合は少数ながらあり、痴漢行為後に自慰空想の素材になることもある。痴漢の心理は露出症者のそれと似ているが、相手に気付かれないように工夫する点で、露出症者よりはシャイであると言える。
定義 窃視症は他人の身体、性器、性行動、排泄行動など日常的には秘匿されている対象を相手の承諾なしに見ることによって性的興奮を得ることである。 窃視症者は、他人の家、浴室、トイレ、脱衣所、寝室などを盗み見るために徘徊し、侵入し、待機するなどの大きな危険を犯す。 この場合、その行為が禁止されており、発覚によって危険が予想される状況そのものが彼らにとっては必要なスリルであり、性的興奮のための必要条件である。 したがって、ヌーディストビーチやストリップショーで興奮や満足を得ることはできない。 このような欲求が人間に普遍的に存在することは、同内容のアダルトビデオなどの存在からうかがい知ることが
定義 露出症では、行為者(普通は男性)が自分の性器を被害者(成人女性または少女)に、相手の合意のない状態で露出することによってその時に性的な満足を得るか、露出行為後のマスターベーションによって満足を得る。露出時にマスターベーションを行うことは稀である。 露出行為の場所は電車・バス内、人通りの少ない街路、公園、駐車した自動車の内部などが多く、少女を対象とする事例では通学路がよく報告されている。 露出に対する欲求そのものが人間にとって普遍的なものであることは、ヌーディスト村、挑発的な水着や下着の存在からもうかがい知ることができる。精神分析学者は、人間の露出欲求は、性器の露出に始まって、身
問題行動をしないようにするコツがあります。 それは、視野を広くすること(理性を保つこと)です。 私の場合は、「どういう風になったら満足なの?」「どういう結果を求めているの?」と自問自答すると、なんだか自分のことが馬鹿らしくなり、視野が広くなったり、理性を保つことができて、問題行動を避けることができます。 「問題行動がしたい」と思ったとしましょう。 それは、脳科学的にドーパミンを出したいとか、心理的に自己重要感などを求めているとか、いろいろ言われていますが、はっきり言って、「問題行動には一時的にメリットがある」ということです。 一方で、問題行動をした先を考えると、人間関係が破綻
治療を受けていても、スリップする人としない人がいます。 その違いは何なのでしょうか。 大原則として、依存症は問題行動をしたい気持ちとしたくない気持ちが共存している病気です。 スリップする人は「問題行動をしたい気持ち」が一時的に強くなり、一定の水準を超えてしまった人です。 スリップしない人は「問題行動をしたくない気持ち」がずっと続いた人ということです。 もちろん、問題行動をしたいという気持ちには波があります。 友達と遊園地で遊んでいるときに問題行動をしたいという人はいませんし、 楽しい予定の前に問題行動をしたい人はいないでしょう。 誰かと不仲になったり、いやなことがあった
先日、精神科の仲間と登山に行きました。 埼玉県秩父にある日和田山という山です。 登るのは2回目です。 1回目は、4年くらい前に登りました。 当時は、やはり精神科の仲間内で登山をしようという話になり、 登山に詳しい人が引率してくれました。 私はそれについていったのですが、そこで登山の魅力に触れて、現在に至ります。 初めての登山以降、登山の道具を、靴、リュック、ズボン、アウター、バーナーなどひとつひとつそろえていきました。 それなりの値段がしますが、私の生活も整ってくるのに合わせ、登山道具も充実してきました。 一人で登ったり、仲間と登ったりいろいろな経験をしました。 初
最近は自分の人生を考えることがあります。 振り返ったり、これからのことを考えたり。 過去を振り返ると、つくづく思うのが、私は「自分のことが分かっていなかった」ということです。 そして、分かろうともしていなかった。 私の問題は性加害です。被害にあわれた方や関係者を傷つけてしまいました。多くの信頼を失いました。 それは事実です。実際に起きたことです。 では、その原因となった心の動きは何だったのか。その目的は何だったのか。 そういう振り返りを最近はしています。 深いところに潜っていく感じです。 一つの仮説が浮かびました。 自分は破滅したかったのではないか。 一種の精神的
最近は、いらないものをメルカリで売っています。 値段を安めにしているので、どんどんと売れていきます。 ふと考えると、どうしてこんなにも不用品が家にあるのかと悲しくなります。 どうしてなんでしょうか。 買ったけど着ていない服。 もう一生読まないであろう本。 これらを見ると不思議な気持ちになります。 自分で能動的に入手したのに、 結果として手放している。 なにかがおかしい。 私なりに、熟考してみたのですが、 欲しいと思ったときに、「入手した後の感情」が考えられていないという結論に達しました。 もう少し具体的には、 服を買うときであれば、どういう組み合わせで、どうい
以前のデイケアで、キャパシティカップについてのワークがありました。 キャパシティカップというのは、感情の容量のことのようですが、私は勝手に、メンタル的にあふれそうなときの自分の状況を書いてみました。 厳密的に正しいのかどうかはよくわかりません。 さて、書いてみると、実は自分で分かっている自分の側面を再確認できます。 だぶん、自分のことって自分はよくわかっていなくて、そばにいる人のほうが的確にかけると思いますが… 書いてみた感じは、こんな感じです。 皆さんはどうなりそうですか?
先日、デイケアに参加してきました。 SST、ヨガ、診察、回復に向けた研究会と盛りだくさんでした。 そのなかでも、ヨガの時に教えていただいた「アパリグラハ」という言葉が印象的でした。 「アパリグラハ」とは「不貪」や「むさぼらない」と訳されます。 必要以上のものを欲しがらず、執着しないということです。 私は、「断捨離」・「ミニマリスト」という言葉が概念的に近いように感じました。 やはり、部屋がきれいになっていると気持ちがいいです。 また、考え方が整理されているほうが、何かと生活がスムーズでしょう。 お金も、過度な消費をしたり、過度な貯金をするのはよくないでしょう。適度な循環
とある日、電車のホームで人身事故に遭遇しました。 家族とキッズランド(一人1000円くらい払って遊ぶ、室内遊園地みたいなところです)に行った帰りでした。 ホームで電車を待っていると、電車が聞いたこともないくらい大音量の汽笛を鳴らしながらホームに入ってきました。 そして、大きく予定とはズレた位置に電車が停止しました。 その時は、何が起こったか私はわかりませんでした。 人が線路の近くにいて危なかったのかな、なんて考えていましたね。 しかし、周囲を見回すと、泣いている人や叫んでいる人がいます。 そして、一つのカバンがホームに落ちています。 その近くの男性に声を掛けたら、 「
「致命傷というのは何事にもあるな」とふと思いました。 将棋のミス 依存症のスリップ スポーツ選手のケガ など。 一瞬にして、今までの努力・名声・信頼・形勢などを失墜させたりひっくり返してしまいます。 コツコツためたものも失うのは一瞬です。 「今までの努力が水の泡」なんて言葉もありますよね。 人生において、「勝つ」より「負けない」方が大切なんじゃないかと考えます。 特に、大負けは、再起不能になることもありますからね。 負けないためにはどうしたらいいか。 ケースバイケース、千差万別だとは思いますが、 自分の人生については、 自分自身との対話をするこ
自責というのが、あまりメンタルにはよろしくないといいます。 自分に対して、あまりにも厳しく接し、減点方式で自己評価し、もうだめだとネガティブになってしまうと、自暴自棄になったり、スリップしたりするでしょう。 「自分もよく頑張っている」という温かい言葉がけを自分にしたほうが良いと思います。 しかし、一方で、過信はよくありません。 もうずっとスリップしていないのだから… と油断してルール違反してしまうと、スリップすることもあるでしょう。 つまり、自分への優しさは必要ですが、過信するほどに自分を甘やかしてはいけないことになります。 言い換えると、自分への寛容さに、至適なレベルが
「俺はいいけどYAZAWAが何て言うかな?」 矢沢永吉さんは、地方のコンサートの時は、必ずスイートルームに泊まるそうです。 経済活性化とか、景気づけとか、いろいろな意図があるのだと思います。 とあるコンサートで、スタッフのミスによりスイートルームがとれなかったときがあるそうです。 その時の矢沢さんの発言が冒頭のものです。 「俺はいいけどYAZAWAが何て言うかな?」 これを聞いたスタッフは、他のホテルのスイートルームを手配したそうです。 この逸話は、精神科の講義で聞きました。 この講義でのポイントは、 主語を「私」ではなくて、「自分のフルネーム」にしてみよう という
先日の精神科での講義を聞いて考えたことが本日のブログのテーマです。 ~しなければ、というmust思考はよくありません。 なぜ、must思考がいけないのか。 それは、被害者意識を形成することです。 私は本当は嫌だけど○○を頑張っているのに、どうしてあなたは… なんて、他人との軋轢を生むでしょう。 実際は、mustな事(しなければならないこと)などは存在しません。 皿洗いでも、スーツを着ることも。 それは、自分で選択しています(主体性)。 なぜ、それを選んだかというと、それには理由があります。 一言でいえば、自分にメリットがあるからです。 皿を洗ったほうがきれいになる
先日の精神科での講義を聞いて、考えさせられたことが、本日のブログのテーマです。 「私には生きる価値がない」という発言はいたるところで散見されます。 生きる価値というのは、まず「なければならない」と考える時点で傲慢です。 「私は自分に価値がないと許せない」ということですからね。 本当は、価値というのは、自分に使う言葉ではないでしょう。 自分で生まれるのを決めたわけでもないですし、自分がいなくても社会は動きますから。 むしろ、自分の人生に意味はないと考えたほうが、私はすんなり腑に落ちます。 一方で、自分の周りの人にとっては、私が「代わりがきかない人」なのかどうかはポイントとな
一人称単数 (文春文庫 む 5-17) amzn.to 792円 (2025年03月16日 01:48時点 詳しくはこちら) Amazon.co.jpで購入する 村上春樹さんの『一人称単数』を読みました。 その中で、『品川猿』という短編があります。 『品川猿』では、言葉をしゃべるサルが登場します。 そのサルはオスで、人間の女性に性的な興味を抱くとのことでした。 しかし、女性を性的な対象にするといっても、種族が違います。性的な関係はおろか、親密になることすらできません。 そこで、サルは、女性の身分証を盗み、「念力
久しぶりにありありとした夢を見ました。 通院する精神科が、移動したという知らせを受けて、新しい場所に行くと、 そこはパン屋になっていました。 院長が食パンを一つ700円で売っていました。 断面に黒豆のようなレーズンのようなものが見えていました。 「院長は精神科医をやめて、パン屋になったのか。そのほうが儲かるのかな?」なんて考えました。 そのあと、 「これから診察や薬はどうしたらいいですか?」と聞くと、 「ほかのクリニックに転院してください。」と言われてしまいました。 困ったな、ほかの先生に診てもらう気はあまり起きないけれど、薬は同じものが欲しいかな。 薬だけ出しても
問題行動ができたと仮定します。 そうすると、大した結果にはならないということがわかります。 女性を思いのままにしたり、理想的な射精をしたところで、、、 まあ、大したことはないですよね。 パンチラ見放題とか、女性触り放題とか、そんなにいいものではないです。 少なくとも、人生は良い方向には向かわないです。 性依存症者の理想的な状況って、思ったほどいいもんじゃないんです。 「できない」と思うとやりたくなってしまいますが、 「好きにしていいよ~」となると、案外、そっけないものです。 禁止されているからやりたいのかもしれないですね。 そして、むしろ、問題行動を好き放題できると
SNSをみていたら、 「心を取り戻す治療」 という言葉をみかけました。 とても、考えさせられる言葉だと思いました。 依存症は、 「心を奪われてしまう」 状態です。 自分自身の深いところが侵されてしまい、 何かに依存してしまいます。 「好きだ」とかそういう好みの問題ではなくて、 もっと暴力的な欲求です。 それを渇望というわけです。 渇望というのは、 のどがかわいた人が水を欲するように、切実に希望することです。 飲水欲求と同じように、何かの物事を欲するっていうのは、大変強力な欲です。 そのくらい、脳みそがジャックされてしまうのが依存症です。 「心を奪われてし
人間にはいろいろな欲望/欲求があります。 欲望/欲求などと堅苦しい言葉を使わなくても、 「○○してみたいな」と思うことはあると思います。 たとえば、 セックスがしたいな 盗撮がしたいな ドーナツが食べたいな 水が飲みたいな お金が欲しいな 青い服が欲しいな などです。 この欲望/欲求はどこから来るのか。 グーっと深くまで探っていくと、 自分の中で「価値観・信念」のようなものがあるのに気が付くでしょう。 その「価値観・信念」というのは中立ではありません。 偏りがありますし、個性的です。(というよりも、この偏りが個性を作っている?)
依存症なのかどうかは全く分かりませんが、 私的に、「何らかの依存症じゃないかな」と感じて、ひそかに応援していた方々が、ぞくぞくとcome backしています。 山口達也さん 各種媒体で久しぶりに拝見するお顔がとても穏やかなのが印象的でした。 自分自身と向き合い、新たな道を歩まれる山口さんの幸福を願わずにはいられません。 ASKの資格をとるなかで、いろいろな苦労もあったと思いますが、きっと良い出会いもあったはず。 2024年11月2日に再婚されました。 山口さんはきっと大丈夫。そう確信しています。 アンジャッシュ渡部さん 2020年6月にスキャンダルで芸能活動を全面自粛
依存症の治療というのは、何をするのでしょうか? 依存症のことを知らない人も、知っている人も、この疑問はお持ちだと思います。 依存症の治療では、一言で言うと、「変わる」ことが必要です。 何かが変わっていればいいと私は思います。 しかし、「変わる」ということは、実はものすごくストレスです。 学生が転校や席替えで動揺するように、自分自身の習慣や考え方、ライフスタイルが変化するのは辛いはずです。 なので、ゆるやかに変わっていければ良いと思います。 私自身が3年の依存症の治療に取り組んで下記の通りいろいろなものが変化しました。 神経伝達物質 他者への寛容さ 自分へ
『カラマーゾフの兄弟』を読了しました。 11月22日から読み始めたので、5か月かかりました。 難解な文章だったので(とくに、「大審問官」の章は理解できませんでした)、途中でほかの本を読みながらでした。 かなり時間がかかってしまいました。 ここで、まず、皆さんに申し上げたいことは、作者ドストエフスキーはギャンブル依存症だったということと、複雑な女性関係であったということです。 ギャンブルについては、時計や妻の所有物までも質に入れたことがあるほどでした。ギャンブルで金に困っていたから、出版社との契約で小説を作ったこともあります。 女性関係については、最初の妻マリアは既婚であり、
「気持ちよくあり続けるには」と一口に言っても、そんなに簡単なことじゃないんですよね。ただごろんと芝生に寝ころんでいても、なかなかリンゴは勝手に落ちてこない。気持ちよくあり続けるためには、やはりそれなりの努力を払わなくてはならない。 『村上春樹、河合隼雄に会いに行く』 上の村上春樹さんの本にある通り、「気持ちよくあり続ける」というのは難しいですよね。 ずっと芝生に寝転んでいると、「面白いことないかな~」とか、「仕事したいな~」とか、「張り合いがないな~」となるかもしれません。 バリバリに仕事していると、「休みたいな~」となるかもしれません。 家にいると、「旅行に行きたいな~」とな
今日はデイケアに行ってきました。 1か月ぶりくらいです。 講義を聞いての感想ですが、 人生において、どこに行くべきか・どこに行きたいのかを考えるのが大切なのに、普段はあまり意識することがないという点が印象的でした。 そして、「○○を回避したい」ということで行動を決めていることも多いと感じました。 恥ずかしい状態になりたくない、孤独になりたくない、馬鹿にされたくない、などです。 しかし、何かを避けるというのは、結局、人生の方向性がバシッと決まるわけではないですよね。 何かを避けることはできますが、向かいたい方向は定まっていないからです。 まずは、自分の目標・ゴールを定めて
今日はデイケアにいってきました。 院長講義ではドーパミンの話でした。 ドーパミン ドーパミンが分泌されるのは、 食事・仕事の完了・性行動 と復習がありました。 では、それを踏まえ、依存症の人はどういう風になってしまうのか。 酒飲みは食事がおろそかになり、 性的なことに関心がなくなれば不潔になり、 タスクの完了を望まなければ、だらしなくなります。 結局は、問題行動や依存性物質でドーパミンを出す習慣ができてしまうと、 健全な形でドーパミンを出そうとしても出ない・出が悪い 健全な社会活動で達成感がない という風になるのだと思います。 特
今日は、自分が自分に向けて書いた文章を整理していました。 書いたのは、1年以上前です。 思うところがありましたので、今回はその文章をブログに転載します。 幸せの定義 問題行動したいと思うことはある。ふと頭に浮かんで、できたら幸せだろうなと思う。しかし、そこで、自問する。「幸せ」とは何か。幸せの定義が問題行動では悲しいではないか。 幸せの定義② 依存症になると、幸せの定義が乱されてしまう。その定義を正したいと思っているが、なかなか難しい。文字通り、染みついてしまっている。 自問 今は、自問できる自分がいる。ここが、治療を1年受けた成果だと思っている。時間稼ぎができる。問題
恋愛依存症 - 苦しい恋から抜け出せない人たち amzn.to 1,430円 (2025年03月16日 01:22時点 詳しくはこちら) Amazon.co.jpで購入する 『恋愛依存症』を再読しました。 これは、とても良い本です。 最初読んだときは、性依存症の治療を始めて間もないときでしたから、とても新鮮でした。 久しぶりに読み返してみると、臨場感のある具体例を交えながら、深層心理や治療するコツにも言及されていて、とても読み応えのある本だと再確認できました。 恋愛依存症というものの中に、セックス依存症や性犯罪も
調子が良いとき、具合のいい時に、なにかを決心することって多いですよね。 お腹がすいていないときにダイエットの決心をしたり デイケアにいるときに問題行動をやめる決心をしたり しかし、問題行動ができる状況になったときの自分の弱さを思い出すと、安全な状態で決心をしても意味がないということは皆さんよくわかっていると思います。 何かを決心するよりも、自分の弱さを受け入れて、諦めることが大切なように思います。
「大人になる」という表現がありますが、何をもって大人かというのは、実に難しい問題です。 私が最近思うのが、大人は感情の予測がつくということです。 子供のうちは、なかなか長い目で物事をみることはできません。 食べ放題にいけば、すべて食べてみたい。 熱いお風呂に入っていれば、水風呂に入りたい。 夏は早く冬になったらいいなと願い、冬は早く夏にならないかと願います。 長い目で見ることができないので、 すべて食べたら気持ち悪くなってしまうな 水風呂に入ったら、最初はいいけれど、だんだん寒くなるだろうな 結局、季節は巡るので、現状を楽しむしかないな などと予測することができない
AにするかBにするか悩んだときに、 強く主張する方は、よりドパミンが分泌される方です。 弱く主張する方は、「本当は、するべきなんだけど…」という自分の良心です。 真実の声は小さいです。 しかし、その小さい声に従うのが、生きるコツなのかもしれません。
『エッセンシャル思考』を読み、トレードオフについて考えました
エッセンシャル思考を読了しました。 エッセンシャル思考 最少の時間で成果を最大にする amzn.to 1,584円 (2025年03月14日 00:20時点 詳しくはこちら) Amazon.co.jpで購入する この本は、本当にためになる本でした。1日で読んでしまいました。 一番感銘を受けたのは、「断ること」 何もかもはできないですし、何かをするということは、何かを犠牲にすることです。 「これやってくれませんか?」と言われたときに、Yesというのは簡単ですし、無難な回答ですが、 実際は、自分の中にある価値
女優の水原希子さんがAbemaのバラエティー番組にて 「痴漢って日本独特の文化だよね。他の国はないから」 「日本の携帯だけですよ、音出るの。iPhone」 と発言して、注目されています。 痴漢は「文化」と表現されていますが、明らかに性犯罪ですので、文化と表現するのは誤りだと思います。 しかし、痴漢が日本に多いのは事実だと感じます。 『男が痴漢になる理由』という本にも、「世界に知られるChikan大国・日本」という見出しがあります。詳細は本をご覧ください。 盗撮に関しては、韓国でも音が鳴ります。スマホによるプライバシー侵害を防止するため、シャッター音が出るよう03年に義務化
幸福のキーポイントは2つあるのだそうです。 1つは「今を生きること」 後悔や不安が多い人は幸せではありません。 つまり、過去のことや未来のことを考えると、それは不幸だということになります。 余計なことは考えない がポイントのようです。 2つ目は、脳内物質。 セロトニン オキシトシン ドーパミン の3つが大切なのだそうです。 具体的には、どのようなときにそれぞれの脳内物質が分泌されるかというと、 下記のようになるそうです。 セロトニン:心身の健康 オキシトシン:愛・つながり ドーパミン:金・成功・達成感・充実感 ここで、大切
私はnoteを書いていますが、なぜ書いているのか。 自問自答することがあります。 話は変わりますが、依存症の自助グループでも、問題行動の内容によって、PR方法といいますか、目立つ・目立たないがあります。 薬物依存に関しては、かなり目立ちますね。 全国的にダルクを展開し、いろいろと積極的な印象があります。 アルコール依存に関しては、真逆で、とても大人しい印象があります。 ギャンブル依存症はというと、有名なYoutubeもありますし、こちらもやはり積極的な印象ですね。 クレプトマニアは…あまり耳にしないですね。 では、性依存症はというと、ちょくちょく、SNSなどで発信してい
先日登山していた時に、男子大学生の会話が聞こえてきました。 「最近、相手のことを気にしながら話すことができるようになった。 今までは言いたいことを言っていたから、大きな進歩だ。」 とのことでした。 おそらく、人間関係が円滑になったり、よい影響があったのだと思います。 会話は人間関係に欠かせませんからね。 一方で、好きなことを話せないというのは、自分を表現することができないということなので、ストレスがたまるかもしれません。 相手が喜ぶことをしゃべる、って疲れると思うのです。 じゃあ、どういうバランスがいいのか。 それは、相手との関係で決まると思いますが、 お互いが尊重
依存症の方のYoutube動画を見ていて、 その方が、一番楽しかったのは学生時代、という趣旨のコメントをされていました。 社会人になって依存症になってしまったようなのですが、 それまでの学生時代は楽しかったのだそうです。 たしかに、学生時代は、勉強に、放課後の遊び、部活やサークルなどいい意味で忙しいですし、 良くも悪くもコミュニティーの中にいるわけですから、毎日いろいろな人と話す機会があります。 修学旅行とか遠足も、とても楽しいイベントでした。 社会人になると、急に仕事が重くのしかかります。 一日に通勤なども入れると、8~10時間くらいは仕事に拘束されているのではないで
風俗というのは、「男が女性を思いのままに操れる」という風に見れば、男性に主導権がありそうです。(だから、風俗がいたるところにある) しかし、見方を変えると、「男が性欲ビジネスのカモにされている」という風に考えることもできます。 そうなると女性に主導権があったり、そもそも風俗を運営する運営元が最も利益を得ているのではないかと考えることもできます。 風俗に関しても、いろいろな考え方がありますよね。 もし、あなたが風俗通いをやめたいのであれば、 どれが、「自分の未来が大きくなる」考え方でしょうか? いい考え方を(自分が納得したうえで)採用し、意思決定していきたいですね。
心のもやもやをどう解決するかという問題は、未解決な事項に対してどう対峙するかと言い換えられます。 その際に、 重要かどうか コントロールできるかどうか の2点が大切です。 重要・コントロールできる → 解決に向けてできることをやる 重要・コントロールできない → あきらめる・受け入れる 重要でない・コントロールできる → とっとと解決する 重要でない・コントロールできない → 無視する 注目ポイントは、コントロールできないものは、無視したりあきらめたりするしかないということです。 そして、コントロールできるものは、優先順位を決め
帰りが遅いときは問題行動していないか心配。 電話が鳴ると警察からじゃないか心配。 家族の思い。 信じてほしい。 自分なりに頑張っている。 当事者の思い。 お互いの思いはなかなか交わることがない。 どうしたらいいのか。 救いはないのか。 相手を否定するために一緒にいるのか。 一緒にたどり着きたい未来はあるか。 信じられなくても信じたくて 自分を変えたくても自分はなかなか変わらなくて。 安心して暮らしたい。 笑顔で暮らしたい。 みている未来は同じなのに、 相手を攻めてしまう。 卑屈になってしまう。 別れればいいじゃないかという極論がある。 しかし、相手
人を見ていると、2種類に分けられるのではないかと思います。 生きずらさを抱えて、それを原動力に生きている人 生きずらさを手放す人 前者の人生はどんな感じなのか。 生きずらさを、芸術や仕事に昇華させることで、大成功を収めるひともいれば、空回りをすることも。 そのような人は、「人にどう見られるか」を気にします。芸能人・社長など。 だいたい、ブランド品を持っています。 後者の人生はどんな感じか。 質素倹約。ミニマリズム。無欲。 「人にどう見られるか」を手放します。僧侶・ホームレスなど。 顕示的消費がないので、ブランド品とは無縁です。 皆さんは、どちらの人生が
精神科のお世話にならずに、メンタル的にも全く困らないで一生を終える人がいます。 そういう人は、「孤独が好き」で「欲が少ない」らしいです。 逆に、「人と仲良くしたいのに、舐められたくない」という人は、精神科のお世話になることが多いと聞きました。 「うん。それ、私のことだな。」 と頷きましたね。 私はさみしがりやだけど、いろいろなことを自慢したいんです。 なので、最近は、自慢するのをやめたいと思っています。 あとは、話していて、心地よいと相手が思ってくれるような話をしたいと思っています。 なかなか難しそうですが。。。
精神科の講義で以下のことを習いました。 自分が成長したいと思っている人は、優れた人を見たときに、「学びたい」「参考にしたい」と思う。 成長したくない人は、優れた人を見たときに「妬む」。 私は、他人に対して「羨ましいなぁ」と思ってしまうことが多いです。 自分も同じレベルになれるように頑張るぞ、と励みにすることもなくはないのですが、 やはり妬みというのは捨てきれません。 皆さんはいかがですか?
なかなかうまくいかない 誰も自分の気持ちをわかってくれない 心が晴れない などなど、メンタル的に不調になるときは、皆さんあると思います。 私は仕事のことやお金のことなど、主に将来のことを考えると不安になってしまいます。 そんな不安と向き合うのがすごく大変です。 生きていくのは、問題と直面しては対処・解決していく連続です。 その時に、満たされないストレスを言語化していくのがすごく大切なんだそうです。 自分のストレスがよくわかっていないことがあります。 ぐっと自分の意識の深いところまで潜っていくと、 安全に生活したいんだな ドキドキ生活したいんだな
小林弘幸さんの「整える習慣」という本を読みました。 整える習慣 (日経ビジネス人文庫) amzn.to 792円 (2025年03月13日 23:58時点 詳しくはこちら) Amazon.co.jpで購入する いい本です。 生活のアドレスが具体的にあります。 私が傾倒している「ミニマリズム」「シンプリズム」の概念もあって興味深かったですね。 そして、今日のタイトルにも書いたのですが、 「大問題ほど小さく考え、ささいなことほど大きく考える」という教えです。 この言葉、どこかで聞いたなと感じたのですが、確か
今日は精神科デイケアに参加してきました。 嗜好品の講義がありました。 嗜好品とは何か お茶、コーヒー、アルコール、たばこ の4つが嗜好品の四強なのだそうです。 嗜好品の特徴は、 栄養摂取を目的としていないこと 気分を変えるために摂取することがある ネガティブな感情を忘れるために摂取することがある(負の強化) ポジティブな面(人と交流できる、シャキッとする、集中力が上がるなど)を享受するために摂取することがある(正の強化) 摂取しないと、「手持ち無沙汰」「口さみしい」気持ちになる ということを習いました。 ノンアルコールビールはなぜ存在する
何かやめたい習慣があるときは、別のことでドーパミンを出せばいいんじゃないか、と考えましたが、 ドーパミンの量が血液検査でわかるわけでもないので、「ドーパミンを出しましょう・温存しましょう」というのは、まぁ大変です。 とりあえず、「運動する」というのが、間違いのない解答だと思いますが。 ドーパミンという言葉自体は理解を深めるのには役立つと思うのですが、気軽に測定できないので、そのあたりにもどかしさを感じます。 しかし、わかっていることもあります。 それは、いろいろな出来事に触れながら(多くの刺激に接しながら)ドーパミンを能動的に出すのがよいということです。 1つの物事でドーパ
サウナとかストレートのウイスキーとか激辛料理とかタバコとか登山など、 最初は「辛い」と感じることが多いと思いますが、ハマる人はハマります。 と精神科で習ったのですが、 「確かにその通りだな~。不思議だな~」と思いました。 痛みとか苦しみ、不快感などのストレスに対応するためにドーパミンが出てくることで、ハマるのではないかと教えていただきました。 いろいろなところでドーパミンの話題が出てきて面白いですね。 ちなみに性的なものとドーパミンの関連ってどうなんだろうと家に帰ってから考えました。 最初から性的なもの大好きというわけではないとおもうんですよね。 生まれたばかりの赤ちゃ
歩き方にも癖がある 先日、夏に履き倒したビルケンシュトックのサンダルの裏を見たら、右足のかかと部分だけすり減っていました。 ほかの靴を見てみたのですが、やはり右足のかかと部分だけすり減っています。 そんなに左右差があるとは思っていなかったので驚きました。 次の日から、自分の歩き方とか、重心の移動とかを意識しながら生活したのですが、いろいろと発見がありました。 電車を降りるときも、階段を上るときも、必ず「右足から」なのです。 そして、平地を歩いているときは、「右足だけ地面にこすって」いたのです。 生まれて初めて自分の歩き方の癖を実感しました。 その時に、先日精神科で
lavor of Lifeというのは、宇多田ヒカルさんの曲のタイトルです。 和訳すると「人生の風味」となるそうです(ご本人による和訳) なるほど、人生の風味かぁ そんな風に感じることあるよなぁ と一人でうなずいていました。 ところで、最近は、「村上さんのところ」という本を読んでいます。 この本は、村上春樹さんが読者から寄せられたメールに回答するという形式です。 ひろゆきさんのYoutubeがそのまま村上春樹さんバージョンで書籍となった感じですかね。 そこで、興味深い質問がありました。 「なぜ人を殺してはいけないのか」という質問です。 村上春樹さんが、心理学者の河合隼
「依存症」という病気で通院していますが、 「依存症」という病気は本当にとらえにくいものです。 病気という側面、つまり、(コントロール障害をもっているから)自分の意志とは無関係に行動してしまうという側面があります。 「誰もがなってしまう可能性のある病気だから、あまり自分を責めなくていいんだよ~」と甘やかされたりもします。 一方で、関係者や他者に迷惑をかけてしまいますから、その責任の所在はどこ?となったときに、やはり「やりたくてやっている」んだから、本人が悪い(本人に責任はある)ということになります。 「いや、本当はやりたくて、やりたくないんだ。自分は病気なんだ。」などと両価性に
私は最近思うのですが、「行動」というのは、本当になんとなく始まってしまったり続けてしまうものだなと思います。 お菓子を食べていて、文字通りあっという間になくなってしまうことがあります。 全然味わっていない、と感じることもあります。 「無意識に食べていた」なんて言われることもありますが、実際その通りで、何にも意識していなくても次々とお菓子を口の中に放り込んでいることがあります。 ほかにも、貧乏ゆすりとか、腕を組むとか、足を組むとか、何も考えずにやっている行動(動作といったほうが良いかもしれませんが)が私たちにはたくさんあると思うのです。 そして、問題行動も、こういった「無意識に
人を動かす対話術 心の奇跡はなぜ起きるのか (PHP新書) amzn.to 657円 (2025年03月13日 23:40時点 詳しくはこちら) Amazon.co.jpで購入する ようやく読み終わりました。 とても内容の濃い、実践的な本でした。 会話ってなんとなくしていますが、こんなにも手法が研究されていたのかと目から鱗が落ちました。 本書では、依存症の人にどう声をかけるか、自分を損なうことが分かっているのに問題行動がやめられない人にどう声をかけるか、などといった点についても言及されています。 たとえば、
あなたは依存症なのか あなたは依存症なのか。 いろいろなところで、チェックリストがあったりします。 自己判断・自己診断するにはどうしたらいいのでしょうか? もちろん、私は精神科医ではありませんから、安易なことをここで書くと、間違った情報で読者の方をミスリードしてしまう危険があります。 しかし、そうは言っても、個人のnoteなので、持論を展開しようと思います。 精神科で教えてもらったことも含まれています。 2つあります。 「〇〇すれば、いまの問題行動は止まる」と思ったかどうか 1つが、「〇〇すれば、いまの問題行動は止まる」と思ったかどうか 例えば、セックス依存症の人は
先日は久しぶりに精神科に行き、いろいろと学びがありました。 依存症の症状として、「他のことへの興味が薄れること」があるということを聞きました。 これは、本当にそう思います。 依存症があると、そればっかりが頭の中にあり、いわば問題行動が趣味になってしまいます。 しかし、趣味として堂々と人に話すことができるわけではなくて、いつかやめなきゃな、と罪悪感がありながら、しかしやめることができない、そんな感じかと思います。 興味が限定されてしまうと、人はだらしなくなったり、礼節がなくなったりします。 つまり、その人の魅力なり、気力なり、深みなどが消失してしまうわけです。 そうすると、
最近は村上春樹さんの『羊をめぐる冒険』を読みました。 羊をめぐる冒険 (講談社文庫) amzn.to 1,100円 (2025年03月12日 01:40時点 詳しくはこちら) Amazon.co.jpで購入する とっても面白かったです。 この小説の中では、羊が邪悪なもののメタファーとなっているようです。 しかし、私はこの小説から世代間をまたいで伝承される「悪・憎悪・怒り・自己顕示」のようなものを感じました。 歴史上の暴君、新興宗教団体の教祖、そういった属性の人を私は想起しました。 タイトル通り羊を追い求め
何かの作戦を考えているときは、とても冷静な自分なはずです。 そして、作戦を実行に移すときは、その場その場で必死な自分だと思います。 ダイエットでも、勉強でも、なかなか戦略通りにはいきません。 どうしてかというと、冷静な時の自分が、自分を過大評価しているからだと思うのです。 「これくらいの勉強スケジュールはこなせるだろう」 「これくらい我慢できるだろう」 こんな感じで、自分はできるという思い込みがあります。 ところが実際は、シナリオ通りにはいかないものです。 私が受験生のころに考えていた対策があるのですが、それは、日曜日は予定を入れないという方法です。 月曜日から土曜日
依存症は「平和ボケ」なのだそうです。 衣食住が満たされていないと依存症になることはありません、と習いました。 たしかに、そんな気もします。 ところで、依存症の治療で、衣食住を満たさないようにする、ということはありません。 そんな治療は「虐待」に近いので、できません。 一方で、刑務所に入ることは、すくなくとも自由を奪われるので、依存症は軽快します。 興味は早く出所することや、刑務所内での待遇などでしょう。 そういう時には、依存症の問題行動はおろか、画策すらしないものです。 結局は、依存症治療の根本にある「平和ボケ」という状況を打破するためには、刑務所がそうであったように、
アルコール依存症の方が、ノンアルビールを飲むのはOKですか? 性依存症の方が、風俗を利用するのはOKですか? 私はNGと考えます。 やめるという決心ができていませんし、とらわれから逃れられていません。 脳科学的には、疑似的行為を通してドーパミンを分泌させているわけですから、 耐性が生じてエスカレートするのは目に見えています。
疲れというのは、疲労がたまっていることではなく、 「目標がない状態」なのだそうです。 確かに、筋トレ後の疲労は、疲れと呼ぶにはあまりに晴れやかなものであり、 熱中して読書しても、充実しているからか、疲れ知らずです。 「目標がない」という状態は、やることがないわけですから、「暇」とも言い換えられます。 すべてを三段論法的にまとめてみると、 「疲れ」=「目標がない」=「暇」 ということになりますね。 デイケアプログラムで教えてもらいました。 興味深かったので、シェアさせて頂きます。
水をおいしく飲むために砂漠にわざわざ行く人は少ない(ほとんどいない)と思いますが、 ご飯をおいしく食べるために腹をすかせておいたという経験は誰もがあると思います。 そのような感じで、達成したときに得られる感情を楽しむために「ギリギリのところ」に行くことがあるんですね。 これのドキドキ感を追い求めるバージョンが、ギャンブルや性の依存症なのです。 「借金するかしないか」「これで負けたら人生終わり」 「逮捕されるかされないか」「これで逮捕されたら懲役」 こういったギリギリのシチュエーションが「ドキドキ感」を味わうためには必要なのです。 不幸にもそこで問題行動を実行してしまい、借
HALTは菓子パンを食べて、友人に「今やばい」と電話すればすべてが解決してしまう
問題行動をするための正当化の道具として有名なものがHALTです。 ハングリー、アングリー、ロンリー、タイアド 空腹、怒り、孤独、暇 これがあると、 「仕方ないじゃん」 という思考になって、問題行動をしやすくなります。 このHALT、じつは菓子パンを食べて、友人に「今やばい」と電話すればすべてが解決してしまうんですね。 食べ物を常に持っておく 電話できる友達を確保しておく こんなことも、依存症治療になるのかもしれません。
頑張っている自分に酔っている 反省しているぜというパフォーマンス 被害者ポジション・事故憐憫 そういったことを目的として、自分への戒めをすることがあります。 悲しい記憶や悲惨な記憶を想起させる品物を取っておく 性犯罪被害者の手記を読む そういった苦行を行うべきかどうかは議論があると思いますが、私は反対派です。 実は私も、と苦い記憶を想起させるものをとっておいたことがあります。 「あの時のことを忘れない」という決心でした。 しかし、その背景にある認知は、「苦しみを忘れなければ再犯はしない」という認知です。 つまり、これは否認なんですよね。 性の問題行動にお
認知というのは、 物事があったときに、どう考えるかです。 例えば、悪い出来事があったときに、 「罰が当たった」 「準備不足だった」 「これは試練だ」 「ピンチはチャンス」 「最悪だ。終わりだ。」 いろいろな認知の人がいるでしょう。 認知行動療法を受けていくと、 複数の認知を持てるようになります。 そして、自分に都合のいい認知を選択できるようになります。 そうすると、生きやすくなります。 先ほどの例でいうと、 罰が当たったは、宗教的な考え方だと思いますが、何か大きいものの存在にゆだねてしまうと楽になれる人がいるかもしれません。逆に、能動的な人生にはならないかも
法務省が作った資料「犯罪白書 平成27年版 性犯罪特集」を紹介したいと思います。 性犯罪再犯があった者について,再犯が可能となった日から再犯までの期間を類型別に見ると,上図のとおりです。 再犯が可能となった日から再犯までの期間というのは、執行猶予者については調査対象事件の裁判確定日から,懲役刑となり刑務所に入ってから出所した受刑者については刑事施設を出所した日から,それぞれ最初の性犯罪再犯の犯行日までの日数ということです。 図の見方ですが、 具体的には,性犯罪者類型ごとに,再犯期間の短い者から順に左から並べ, 全体の4分の1番目に当たる者の再犯期間がオレンジ色の箱の左端
ジャンクニュースという言葉を皆さんはご存知でしょうか? 文字通り、「ゴミみたいなニュース」のことです。 インターネットを使っていると、SNSやまとめニュースサイト、Youtube、広告など色々な情報の誘惑に合います(誘惑としか言いようがありません)。 あれも見てみたい、これも見てみたい。 ちょうどぶらぶらとショッピングモールをさまようような感じですが、 インターネットの場合は指先だけですぐにリンク先に飛び移ることができるので、ショッピングモールよりも厄介です。 朝起きて、「今日はネットニュースを2時間見るぞ~」と目標を立てる人はいません。 「だらだらと内容も何もないYou
「あの頃に戻れたら、絶対に○○はしないのに」というのは後悔です。 「過去を踏まえて、今後は○○しない」というのは決心です。 後悔は時間の不可逆性を無視していますから、全くもって意味がありません。 決心も、本質的に当人が変わっていなければ、やはり意味がないでしょう。決心を必要といている時点で事態は厳しいものです。 「あの頃に戻ったとしても、自分は○○してしまうだろう」 「固く決心しても、自分は○○してしまう」 という諦観(悟りの境地にあって物事をみること)が、自分の行動を変えていく第一歩だと思います。 この諦観に至れない状態のことを「否認」と呼んでいるのだと思います。
吉野弘さんに詩に次のようなものがあります。 1955年に、吉野弘さんが子どもの寝顔を眺め、愛する娘に向けて綴った詩です。 赤い林檎の頬をして 眠っている奈々子。 お前のお母さんの頬の赤さは そくっり 奈々子の頬にいってしまって ひところのお母さんの つややかな頬は少し青ざめた お父さんにも ちょっと 酸っぱい思いがふえた。 唐突だが 奈々子 お父さんは お前に 多くを期待しないだろう。 ひとが ほかからの期待に応えようとして どんなに 自分を駄目にしてしまうか お父さんは はっきり 知ってしまったから。 お父さんが お前にあげたいものは 健康と 自分を愛する心だ。 ひとが
とても、温かい気持ちになれる詩をご紹介します。 私は自分だけでは生きていけません。 色々な人に助けられています。 そんなことを、つくづく実感します。 生命は 自分自身だけでは完結できないように つくられているらしい 花も めしべとおしべが揃っているだけでは 不充分で 虫や風が訪れて めしべとおしべを仲立ちする 生命は その中に欠如を抱いだき それを他者から満たしてもらうのだ 世界は多分 他者の総和 しかし 互いに 欠如を満たすなどとは 知りもせず 知らされもせず ばらまかれている者同士 無関心でいられる間柄 ときに うとましく思うこと
やさしさとは何か。辛さとは何か。 献身・貢献・自己犠牲。 私はこの詩を読むと考え込んでしまいます。 いつものことだが 電車は満員だった。 そして いつものことだが 若者と娘が腰をおろし としよりが立っていた。 うつむいていた娘が立って としよりに席をゆずった。 そそくさととしよりが坐った。 礼も言わずにとしよりは次の駅で降りた。 娘は坐った。 別のとしよりが娘の前に 横あいから押されてきた。 娘はうつむいた。 しかし 又立って 席を そのとしよりにゆずった。 としよりは次の駅で礼を言って降りた。 娘は坐った。 二度あることは と言う通り
吉野弘さんの『I was born』という詩を紹介します。 確か 英語を習い始めて間もない頃だ。 或る夏の宵。父と一緒に寺の境内を歩いてゆくと 青い夕靄の奥から浮き出るように 白い女がこちらへやってくる。物憂げに ゆっくりと。 女は身重らしかった。父に気兼ねをしながらも僕は女の腹から眼を離さなかった。頭を下にした胎児の 柔軟なうごめきを 腹のあたりに連想し それがやがて 世に生まれ出ることの不思議に打たれていた。 女はゆき過ぎた。 少年の思いは飛躍しやすい。 その時 僕は<生まれる>ということが まさしく<受身>である訳を ふと諒解した。僕は興奮して父に話しかけた
この詩はすごく身に沁みました。 二人が睦まじくいるためには 愚かでいるほうがいい 立派すぎないほうがいい 立派すぎることは 長持ちしないことだと気付いているほうがいい 完璧をめざさないほうがいい 完璧なんて不自然なことだと うそぶいているほうがいい 二人のうちどちらかが ふざけているほうがいい ずっこけているほうがいい 互いに非難することがあっても 非難できる資格が自分にあったかどうか あとで疑わしくなるほうがいい 正しいことを言うときは 少しひかえめにするほうがいい 正しいことを言うときは 相手を傷つけやすいものだと 気付いているほうがいい
「調子の悪いときは悪いなりに、自分のペースを冷静に的確につかんで、その範囲でなんとかベストを尽くしてやっていくというのも、大事な能力才能のひとつであろうと思う。そんなに無理をしないで、首をすくめてこつこつしのいでやっていれば、そのうちにまた少しずつ調子は戻ってくるのだから。」 上に書いたのは、村上春樹さんの言葉です。 深く共感しました。 自転車は走っていないと倒れてしまいますが、人生も似たようなもんじゃないのかな、と最近は考えています。 大人になると、立ち止まれません。 心の調子が悪くても、仕事や育児、家事、介護をやめるわけにはいきません。 それぞれが、自分の役割を手放すこ
性依存症者の中には「このままでいいんじゃないか」という気持ちが少しはあるでしょう。 「ここは変えなくていい」 「自分はこのままで大丈夫」 という考え方です。 確かに、生きていますから、このままで大丈夫です。このままの生き方で、生存できるでしょう。 むしろ、性依存症の問題行動をしていながらも、なんとかなっている(うまくやっている)という風に自分を捉えていれば、そんなに悪くない自己評価になるはずです。 性依存症者の口から良く発せられる言葉が、 「首の皮一枚つながった人生」 です。 私も言ったことがありますが、本当に皆さんよく口にします。 この言葉の中には、 「たくさん
向上心といえば聞こえがいいですが、「現状に満足できない」とも言えます。 向上心はストレスです。 人間は「優越性の追求」というクセがあるようで、どうしても向上心を捨てることができません。 「周囲と比べて自分が優れている」という状況を目指してしまいます。 他者との比較は、蹴落とす・蹴落とされるの闘争ですから、安心感が得られません。 また、必ず1位になれるとも限りませんから、不本意な敗北に心を痛めるときもあるでしょう。 一方で、「過去の自分との比較」というのは、心が温まります。 過去の自分よりも優れているということ、それは「成長」です。 今日はここが成長出来たな、と寝る前に考
知性が下がると、「俺が正しい」という主張をしてしまいます。 酔っぱらうと態度が大きくなる、というのもその一例です。 知性が保てていると、「ひょっとして自分が間違っているんじゃないか」という自問自答ができます。 それが、客観視の第一歩だと思うのです。 今、自分、姿勢悪いんじゃないか。 自分の声って、思っている声と違うんじゃないか。 そんな風に自分をとらえるのが、客観視だとすると、 鏡で自分の姿を見たり、自分の声を録音して聞いてみたり。 そういう工夫が大切だと思います。 しかし、そういう工夫は恥ずかしいものです。 自分を知るのは恥ずかしい。 だから、直視したくないので
そこそこ優秀な人は、進化したいけれども、進化するのが下手なのだそうです。 そこそこ優秀な人はポテンシャルが高いので、ある程度の成功をおさめます。(ある程度、というのがポイントです) そうすると、いわゆる「安全地帯」がまあまあ広いわけですし、その「安全地帯」の中にいればそれなりに快適なわけですから、「安全地帯」から出ようとしません。 変わりたくない気持ちや怖さも「安全地帯」から出るのを阻むでしょう。 しかし、そこそこ優秀な人というのは、他人を羨ましく思う気持ちもあるし、向上心もあります。現状には満足できません。 つまり、あなたが進化できなくて悩んでいるのは、あなたがそこそこ優秀
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