ベースは、短いリフをただ繰り返す。無機質なビルとビル、コンクリートの白い壁ドラムは、激しくビートを刻む。ハイハットのクラッシュを数回まだ、ハイハットスティックが、そこだけ狙い打つ。次の瞬間、タムを駆け回る。アクセル踏んで、駆け回る。シンバルが成り、終わる。リムショットが、静寂を刻む。ピアノは、小声でささやく。つぶやく。話しかける。外を向きながら、道を外れてゆく。坂道を転げそうになりながら、歩けない。つまずきようになりながら、酔いにまかせているのだ。道に倒れたまま、不協和音の雨粒が落ちてくる。現実ではない、空間のゆがみ。ガードレールがゆがみ、枯れ葉が渦を巻く。倒れたまま、眠りの奥深く連れ出される。空の青がズレてゆく。つながらないメロディ。急に曲がりくねるメロディ。メロディにならない音の粒たち。そのざらついた音の粒...ブラッド・メルドーを聴く
リラックスタイム疲れた脳『ボサノバギター』を聴いている。夕日は沈み終え、港を包む夕闇。海は、黒く闇に沈むよう。ビルや建物の灯り通りを歩く人暖かさと冷たさの交じった、透き通った白い風バルコニーのリクライニングチェアーの夢覚めずにまどろむ今日の疲れた風の中ボサノバに浮かびながらアコースティックギターの波に流されてゆく脳にやさしいボサノバギター
起承転結はない。風景をじっと見る。できるだけ深く見る。まだまだ見切れていない。身近な風景を味わう試み。成功はしていない。長く歩けない楽しみを投影している。「書くこと」のカタルシスを感じる。今後は、これを表現していきたい。刺激を極力抑える。欲望について、SNS、メディアから切り離してみる。その後の行方は、書きながら考えていきたい。散歩放浪解説
放送大学TV視野の広がりと深まり13:50読書は兼好に、著者を友として心の会話を交わす喜びをもたらした。しかし、観念的な世界である書物の中から抜けだせない落とし穴に追い込まれていった。生身の人間とうまく関係を結べず、袋小路へと追い込まれていった。「徒然草に書いてあることは、誰もが知っていることではあるが、あのように書くのは難しい」日常生活を引き合いに出しながら、深い含蓄に富む内容を書き表すことの力。それが徒然草にはあるのです。ごく平凡なことが書かれてある。一見平易に思える内容が、深い文体で綴られている。わかりやすく読めて、共感できる。あらましも昨日に今日は変わるかな思ひ定めぬ世にし住まへば兼好法師こうしたいと思う気持ちも昨日と今日とでは、違ってくるそれも致し方のないことだなあ。その世の中自体が、定めのないものな...徒然草について
ブログ興味あるテーマで、1時間以上書いてしまった。脳は、殴られたあとのようにダメージを被っている。反省。まだ、記事を書きたかった。脳は、非常に拒否している。脳梗塞後
放送大学TV18世紀後半ニューオリンズ黒人奴隷が街の広場で打楽器を奏でたり、祭事で演奏した。ヨーロッパ、メキシコ、カリブ海、中南米音楽も影響している。現地生まれ、混血の人々=クレオールと呼び、ジャズの誕生に寄与したとも言われている。アメリカに住む、アフリカ系の人々は、ニグロと呼ばれていた。ラグタイムスコット・ジョップリン1900年ころエンター・ティナー映画「スティング」ジャズの初めての録音1917年オリジナル・デキシーランド・ジャズ・バンドビクター1924年ルイ・アームストロング黒人の絵画、文学などがいっきに花開いた。デュークエリントン楽団ヨーロッパツアーも行った。1930年代グレンミラー、ベニーグッドマン白人の出現1935年以降国民音楽となっていく。世界へ広がる。ジョン・ハモンド「スイング・ジャズこそが、文化...即興芸術
街を歩く堤防の上を歩く。道の両脇は、黄色い花びらが咲き乱れている。遠く、終わりのわからない黄色い道。ゆるやかな水色の風が、黄色い花びら同士を押し合っている。群青色の川の流れに、黄色の道が、浮き上がっている。青い帯のような流れに黄色い花びらたちが、笑いながら遠ざかっていく。右手に階段が見えた。黒っぽい灰色の石段を一段ずつ、ゆっくり降りてゆく。周囲は、民家が並んでいて、通りには、まばらに人が歩いている。細い路地を抜けると、喫茶店が見えてきた。入ろうかと思ったが、思ったより人が多い。その三軒隣に古本屋がある。ここは、ローマ字やカタカナの古本屋ではない。昔からある店である。よく営業できているなと思うが、店主は、儲けは考えていないと言う。昔なじみの客は、当然であるが、若い人の中にもビンテージものの価値を求める動きもあり、...散歩放浪
レモン色の風に、白い絵の具をスーッと塗って駆け抜けていった。赤いペンキを大空に、思いきり左右に塗り込んでゆくモノクロな太陽、少しだけまぶしい太陽紺色を2分の1薄めたコンクリートの壁その前にこげ茶、炭で焼いたようなこげ茶、炭も交じってるそんなテーブルそこに、主役の顔した緑色の花瓶がたたずんでいる。緑色は、年季の入った重みがある。下の方が少しかすれている。深緑に近い。花瓶は、どちらかというとスマート。口が開いている。手を左右に開いているよう。薄い紫色の葉が、4本、左右に無造作に開いている。中心には、濃い黄色の花。黄色、レモン色、オレンジを少々、何度も何度も塗り込んだ。その左側に少し小さい、真っ白な花。少し斜め外を向いている。微笑んでいる。こちらを見ている。その前を真っ青な風が、ゆっくりと通り過ぎようとしている。フリーライト1
アシア・ジェバール「愛、ファンタジア」1842年フランス占領軍により、地元の女たちは、洞窟で焼き殺された。その女たちの聞き届けられることのない叫びを代償にした文学。パレスチナにヨーロッパのユダヤ人のための国を建設する。これこそ植民地主義的な侵略であった。侵略されたパレスチナアラブ人の文学バイリンガルとは、祖国喪失の経験である。クルド人は、4つの国に分断された。作家は、クルド語とアラビア語で分断を描く。「クルドの痛みをアラビア語で伝えたい」どちらの言語も愛しているという作家もいる。この複雑な言語関係こそアラブ文学の特徴である。母国のことをアラビア語で書く。アラブのことをアラビア語以外で書くなどアメリカ社会で、アラブ人がどのように生きているか。同時多発テロ以来、アメリカに住む苦悩するアラブ人。その苦悩がアメリカで、...アラブ文学3
イスラームアラビア語以外にも、クルド語、ベルベル語も保持されている。イスラム世界イスラームが一元的に信仰されているイメージが強い。排他的なイメージ。歴史的には、様々な信仰が共生してきた。3つの信仰の聖地であるエルサレムは、その象徴である。むしろヨーロッパキリスト教世界の方が、近代以前は、キリスト教の信仰が、絶対的なものとして一元的に社会を支配してきた。モロッコのモザイク・タイル(伝統建築)は、色とりどりのデザインであり、様々な民族や信仰が共生する社会だったことを象徴している。アラブ世界は、文化的に多元性であることに歴史的特質がある。西アラブ文学作品カテブ・ヤシン植民地支配の暴力と解放による苦闘を描いたものがある。支配国のフランス語教育を受けた作家。「私がフランス語で書くのは、フランス人たちに言ってやるためだ。私...アラブ文学2
放送大学TVを見て文学とは、人間が生きる生の現実の細部遠くの他者との人間としての出会いアラブ世界の人々に人間的共感を寄せることができる。アラブ地域=北アフリカ、中近東20か国以上1400年間アラビア語、イスラム教が続いてきたアラビア語は、地方ごと外国語のように異なっている。キリスト教、ユダヤ教少数派書き言葉は、共通。植民地支配を受け、現在もその影響がある。独立後、独裁政権も経験している。チュニジア革命(2010年)、エジプト革命(2011年)1988年ノーベル文学賞ナギーブ・マフフーズ(エジプト)感想日本では、植民地支配についてほとんどの人は、人権抑圧などの経験、意識はあまりないのではないかと思われる。中には、アメリカ、その他からの抑圧を強く意識される人もいると思われるが。革命などの文学は、圧倒されて、言葉もで...アラブ文学岡真理先生
固いドラムのスネア16ビートが70年代の電子ピアノが水の落ちる響を放つボーカリストは、ささやくように、胸の高鳴りを街に投げつけるだんだんと思考が、溶けだしてゆくよもとに戻れなくなるよ波のようなビートに欲望が流されてゆくんだ悲しさも、はかなさも、やるせなさも、水平線の向こうへまだ、16ビートと欲望が交じり合い、溶け合っている。ビートは、止まってもまだブルースの中から抜け出せない。R&B
放送大学TVパレスチナ(アラブ人)イスラエル(ユダヤ人)の占領ナクバ民族浄化(シオニズム)パレスチナの思い今も続いているパレスチナ文学70年虐殺が今も続くリヤーナ・バドル『鏡の目』数千人規模の虐殺1976年1993年オスロ合意イスラエルの占領が拡大していくだけの合意第二次反占領抵抗運動インティファータバドル映画製作違法のキャンプに暮らす難民たちユダヤ国家のアラブ人として生きる人々生きながらの死に等しい、完全封鎖に耐えるガザの人々軍事占領化の西岸地区の住民たち今日もこれらの苦難を生き続けているパレスチナ人これら同朋の苦難を表現することが、知識人であるパレスチナ人の責務であり、実存である。今、暴力的現実を生き延びることが、最重要課題。これらの苦難を「文学」にするということなどは、「贅沢」でしかない。この困難の中で生...パレスチナ文学
ネットニュース欲望が次々に生まれるまた、次のページをクリックする目の前を上から下にニュースが流れた流れ去った次にYouTubeだ。様々な声、音、色、思想が流れていく見終わった。思い出せない。時間をゴミ箱に捨てた。その中に価値あるものを必死で探したい価値あるものを掴んだと思ったら、手からすり抜けていった。鳥が飛んでいる。野原の餌をついばんでいる。川の流れに木の葉が、岸にぶつかりながら流されている情報から離れて、心の動きを止めてみるしばらくすると、ネットニュースだ。中毒と化し、渦の中へ縄文時代か笑いながら、泣きながら欲望にしがみつきながら渦の中へメリーゴーランドだったらいいのに欲望の時代の終わり
チョン・キョンファ聴いて思い浮かべ随分聴きなれた巷に漂っている優しく穏やかな調べそれ以上深く思ったことはなかったしかし、苦難のニュースのあふれる中G線上の調べが、違って聴こえてきた今、地上で苦しむ私たちを包み込むように見届けている倒れ、傷を負った人たちをどうしようもない、救いきれないやるせなさとともにそのやるせない気持ちが、届けられそれにまた、なぜか少しだけ救われる傷ついたままで、抱え上げ風に包まれて永遠へ浮かびながらG線上のアリア
放送大学塚本邦雄太宰治を日本一と称した天才、奇才、あふれるロマン、これにからまる虚無とダダイズム傍若無人、天真爛漫の作品集『晩年』で成し遂げた奇跡の世界を、短歌で作り出したかった。兵役により自分を苦しめている怒り、憎しみ、無力な自分へのもどかしさなど複雑な感情が込められている。新古今和歌集の静謐(せいひつ)な古典世界の美学に目覚めていた。友人杉原一司よりランボー、マラルメの影響を受ける。殺戮の果てし野にとり遺されしオルガンがひとり奏でる雅歌を水葬物語緑色研究医師は安楽死を語れども逆光の自転車屋の宙吊りの自転車感想激しく、生と死のエネルギーがマグマのように地下で吹き溜まり、突き破るタイミングを今か今かと歯ぎしりしながら、渇望している。戦争の体験が、ここまで心を砕かれたのか。現代においても、災害等において同じような...短歌アバンギャルド
自由が善悪を取り違える時ニューヨーク、東京退屈しない中毒性それはドラッグ食べ物おいしいものばかりおいしそうなものがあふれてる体に最悪なものすべてのメディアが、私たちを不自由にさせている自由にブログを書いている私は、自由に書いているのか。炎上はないかもしれないが、(見る人が少ないので)他人を気づ付けないか、著作権などなど気にしている自分がいる。私たちは、自ら進んで奴隷となることを選択している。私たちは、スマホに支配されている。私は、ブログに支配されている。読んでもらうことより、自己表現の快楽中毒化。ショーペンハウワー欲求を満たすことはできるが、欲求を欲することはできない。決定論物事は初めから決まっている自由意志はある社会システムにより、生き方は決められている無力感アメリカは、自分が理想とする自由を他国に押し付けて...Eテレマルクス・カブリエル欲望の時代
写真を1日100枚撮る。目に映る、感覚が反応したら撮る。名所を廻る。後で見て、思い出に浸る。と思っていたら、ファイルに眠っているデータ約10万枚。データは、データでない。記憶の隅に刻まれたあの海辺の夕日、丘の上の夜景、グラスを重ねあったバー。写真の中に感情があふれてくる。語りかけてくる。今頃になって、語りかけてくる。写真の中に、後悔と優しさがあふれている。そんな写真が何枚あるだろう。写真
梅の花は、咲き続けている。春を喜んでいる。人間の喜び、苦悩。それでも、暖かな風にそよがれ咲いている。子供たちは、ひとりで食事することになっても。菜の花も咲いている。春の日差しの中、圧倒的な存在感を放ちながら。人間の苦悩。それでも咲き続ける。僕は、夏になっても覚えているかな。ここに、梅の花や菜の花がいたことを。梅の花
ブログ書いた後、横になる。脳の炎症を感じる。痛みはない。燃えている。横になっていると、冷めてくるのだ。頭の重さは、9/10→7/10になる程度だ。脳梗塞後
ファブリス・ミリシェー(トロンボーン)中川賢一(ピアノ)遠くの山々から響き渡る深い緑の中を駆け出してくる見渡せば、緑と風に覆われた春の草原どこまでも広がってゆく青く果て無く、宇宙の風と共に消えていくトロンボーンは、高貴で重厚な深みをみせ高音のピアノの羽ばたきをまろやかに包み込んでゆくスピードに飛び乗り、駆け巡る今追いかけても追いつかないピアノは、小さくささやくトロンボーンは、穏やかにほほ笑むゴールデンスランバーレノン&マッカートニーより街のざわめき散りばめられて石畳の上を転げまわる拭い去れぬ想いビルを超えてすくい上げてホフマニアーダ(グラドキフ)より重く、重くなり響くトロンボーンピアノの低音に揺れ、なびく光と空間の温度冷たいときに春風触れるトロンボーンは、主旋律を歌いながら空間に溶けながら、空間を突き抜けてゆく...トローンボーンとピアノ
今、大型トラックでアメリカ大陸を横断しようとしている。BGMは、STAFFというフュージョンが流れている。エレキギターが、軽やかに弾みながら歌っている。これまで仕事の過労、いくつかの病気、家族の問題など様々な出来事があった。突然、思い付きでアメリカを横断して、生まれ変わりたいと考えたのだ。もちろん、それくらいで生まれ変われるはずはない、と思っている。そんなことはどうでもいい。とにかく、広く大きな大地と戯れたい、格闘したいのだ。楽しいばかりではないだろう。怖い思いもするのだ。突然、2メートル近い大男から、怒鳴られたり、酒場でからまれたりもした。これは、日本でも同じだ。しかし、全体を黄土色に染め、乾ききった広い果てしない大地の中、俺は一匹のアリでしかない。車内はスタッフの軽やかなギターが鳴り響き、土と風の匂いに溢れ...フュージョンと大型トラック(創作)
結論からいうと、簡単にポイントを述べることもできない。華道に関わらず、「道」に関しては、語るより実践が大切であろう。それでも、私は言葉で表現できないかと、もがきたいのである。実践されている方からみたら、聞くに値しないことは承知している。全く、華道をしらない者が、少し近づくには、イメージは、などを考えてみたいし、興味があるのである。「華道では、草木や花を人間と同じいのちのあるものとして見つめ、その美しさを花瓶の上で表現します。」という、説明文をみた。禅の思想からみたら、花と自分が一体となる。形を作る行為が、「無」となる。良いものを作ろう、美しくしようとも思わない。自然と一体となり、「無」の空間に身を置いて、ただ花を挿す。限りなく白に近いピンクの花びらが、雲の切れ間から見え隠れしている。手元にある花びらが、遠く果て...華道の思想東山文化
音楽は、それなりにたくさん聴いてきたつもりである。「尾崎豊」のアルバムは、一度も聴かず今に至った。なぜ、避けてきたのか。今まで、深く考えたことはなかった。ただの好き嫌いと言えば、それまで。あの青い、未熟な、どうしようもない、行き場のない、それらの歌を受け止めるには、自分がそうだったから。目の当たりにるることが、苦しかったのかもしれない。その青さ、未熟さを自分の胸に突き付けられる気がして、耐えられなかった。聴ける人は、同一化されるか、冷静に聴ける「大人」の心を持って受け止められるかだったのではないか、と勝手に考えた。おそらく、誰の中にも「尾崎」はある。それを見ないようにしている。未熟さをさらけ出せる尾崎に、私は圧倒されるのである。松岡英明氏は、歌唱の技術がすごい、と言っていた。シンガー、アーティスト、クリエーター...神保町歌謡倶楽部尾崎豊特集をみて
先日は、興味を持って、、調べものをしてブログを書いた。延べ2~3時間の作業だったと思う。昨夜、目が覚め、脳がかなり疲労しているのを感じた。考え事をすると疲労感が、重くのしかかってきた。何かを考えるというより、思考が自然に働くという感じ。自然に考えが浮かんでくる。きつくなる。昨日、触れた「禅」の考え方を行ってみようと思った。いつも見慣れている花瓶、その造花。近くにある飾り物。日用品をじっと見つめた。考えないようにして、じっと見つめた。色、形をじっと見つめた。すると、いつも近くにあるこれらのものに対し、こんなにも見てなかったのかと驚かされた。その色、形を初めてみたような感じになった。これまで意識しておらず、記憶に残っていなかった。なんとなく、思考が停止されていた。見てなかったという驚きがあったので、「思考停止」とい...脳梗塞後
茶道と禅ネット情報により、自分なりに考えをまとめました。日記としてのつぶやきなので、フィクションとして読んでいただけたら幸いです。茶道には、作法があります。その動作一つ一つに心を集中する。雑念があっても、動作に心を向ける。良い作法をしようとも考えない。動作にのみ念を入れる。亭主と客が一体となる。区別の概念がなくなる境地。~朝日カルチャー「禅語教室」より~風定花猶落鳥鳴山更幽(詩人玉屑)風定まって花猶落ち鳥鳴いて山更に幽なり風は吹きおさまっているのに、椿の花が落ちる。静かな山中に、響き渡る鳥の叫びの一声の後に来る静寂は寂寥感を感じさせ、一層山中の静かさをもたらす。風が全く無く静まりかえった庭先で、ぽとりと花が落ちる。桜の花のようなぱらぱらでもひらひらでもなく、ぽとりというひとつの音が、かえって静けさを気づかせ、静...茶道と禅
枯山水と禅ネット少し調べてみて思ったこと。偏見、思い込み、知識など前提条件を取り除き、心を無にし、足りない、抽象的な庭を見て、心に風景を描く。水の流れ、木々の姿など欠けている庭欠けている現実世界では、満たされている景色、庭とは足りないものを足していく庭に収まり切れなくなる美しい風景はなくなる心は満たされない足りない景色が、美しく、はかなく、今となっては満たされる景色となった。東山文化庭園と禅
ブログを書いた。脳が炎症起こしている感じ。いつものことだ。意欲的に書いた後、ぼーっとする。ズキンズキン。脳が熱い。30分の作業。しばらく、冷まそう。脳梗塞後
気の向くまま漫然と描いた「北斎漫画」北斎が命名した。市井の人々の仕事や日常の一コマをユーモラスに描いた。動植物、魚介類、山、森、家並みなども描いた。3900図森羅万象、妖怪など多様なデザイン絵の百科事典55歳頃「富嶽三十六景」2年で全46枚72歳「凱風快晴」朝日に一瞬、上部が赤く染まり、青の空に横雲が幾筋もたなびき麓は黒から緑へと変わり、赤へとつながる。富士山だけが、厳然とそびえている。「神奈川沖波裏」前面の画面いっぱい盛り上がった巨大な波が、人間の船を襲ってくるような迫力巨大な波は崩れ去っていくまた、巨大な波が立ち上がっては、くだけていく繰り返される波のうねりの中で、富士は奥に静かにある自然の大きさ、人間の思いなどはるかに超えた悠久に繰り返される自然の営み北斎は、日本の伝統、西洋絵画を学び、吸収した。生涯3万...葛飾北斎
江戸後期国学賀茂真淵『万葉考』外来思想による仏教、儒教に雲らされない日本固有の道の究明個人の心と言葉を知ることによって初めて可能になる。本居宣長『古事記伝』物の哀れ論26年かけ全44巻刊行『源氏物語玉の小櫛』然る所以は、神慮にある。「神のみしわざ」塙保己一「群書類従」古典の類型化40年かけ530巻刊行した。化政文化ウィキペディアから江戸時代後期に江戸を中心として栄えた町人文化を、その最盛期とされる文化・文政期(1804年-1830年)を中心に据えて定義される文化、また時代区分である。政治・社会の出来事や日常の生活を風刺する川柳が流行し、文学では、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』のように、庶民生活を面白おかしく描いた、滑稽な作り話が好まれた。版画では、多彩な色彩を表現できる技術が向上し、そのような技術で作られた版画...江戸国学化政文化(放送大学)
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