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温泉クンの旅日記 https://blog.goo.ne.jp/onsendaisuki-gogo

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2019/12/28

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  • 読んだ本 2024年11月と12月

    <読んだ本2024年11月と12月>「破れ星、燃えた」は「破れ星、流れた」に続く二巻目の、脚本家“倉本聰”の自伝だ。ある年、倉本聰はNHKと喧嘩別れみたいな形で大河ドラマ「勝海舟」を突如降板、札幌に逃避してしまう。札幌ススキノで無頼の日々をおくるが、やがて北海道に“終の棲家”にする理想の地を探し始める。中標津、根室など一年半かけて北海道を廻り、積丹の美国に決まりかけたが、土地が岩盤で水が出ないことで、また振り出しの“ゼロ”に戻る。「フラノって知ってるかい?」ある晩、ススキノで知り合った見知らぬ書道家が一つの地名を持ち出した。それが、富良野という地との運命的出逢いだった。森の中に山小屋を建て、富良野に移住した。『わが家につながる森の林道に大きな岩が顔を出していて尖ったその角がジープの車輪を傷つける。取り除こ...読んだ本2024年11月と12月

  • 寒川神社と素ラーメン(1)

    <寒川神社と素ラーメン(1)>太鼓状の石橋と、檜造りの、明神鳥居と呼ばれる大きな「三の鳥居」・・・年間約200万人に及ぶ参拝者が訪れるという、相模國一之宮「寒川神社」である。御影石造りの太鼓橋は「神池橋」で神様がお渡りになる橋といわれている。橋の下の水の流れも、右手にある神池も、思い切り濁っていた。今日は東海道線の茅ヶ崎で、相模線に乗換え、寒川駅で降りた。ホームから改札口に向かう階段に「寒川神社の最寄り駅は『宮山駅』です」としつこい程あったが、あえて完全無視して寒川駅を起点として歩くことにしたのだ。ちなみに寒川神社までの距離は、寒川駅から約1.5キロで徒歩20分くらい、次駅の宮山駅からは約600メートル、徒歩7、8分だ。寒川神社参拝が目的であるなら、宮山駅の利用をお薦めする。「三の鳥居」をくぐり、ゆるやか...寒川神社と素ラーメン(1)

  • 奈良、東大寺・二月堂へ(6)

    <奈良、東大寺・二月堂へ(6)>「え、前回の二月堂(5)の記事で終りじゃないの?」「ナニィ~、この上まだ引っ張るの?」まあまあ、そういわず付き合ってほしい。くだくだとした能書きは読まずに飛ばし、画像だけでもみてくれればと。「大仏殿(1)~(4)」と「二月堂へ(1)~(6)」の10の記事で、東大寺のオオドコロをほぼほぼ網羅しているのだから、ね。書いているこっちも南大門から大仏殿、二月堂をみたあたりで、たっぷり東大寺は満喫満足。肩からガックリ“力”が抜けてしまったのである。でもでも、頑張ってあと少しだけ廻るぞ。四月堂の東側にある大きなお堂が「東大寺法華堂(三月堂)」である。「三月堂」は、東大寺の法華堂の異称で、旧暦の3月に法要が行われることからその名が付けられた。『東大寺要録』によれば、天平5年(733年)か...奈良、東大寺・二月堂へ(6)

  • 奈良、東大寺・二月堂へ(5)

    <奈良、東大寺・二月堂へ(5)>二月堂は天平勝宝4年(752年)に「良弁」の弟子「実忠」によって創建されたが、寛文7年(1667年)に失火により焼失してしまう。現在の堂宇は寛文9年(1669年)に再建されたもので、正面7間、奥行10間に及ぶ大建築である。急な斜面の上にあって、京都の清水寺と同じ「舞台造(懸造)」になっている。堂の北側から回廊に上がる。「この回廊を、錬行衆が燃え盛る『籠松明』を持って駆け抜けるわけか・・・」『二月堂縁起』によれば、修二会の創始者・実忠(じっちゅう)は、笠置の山中で目にした天界の菩薩たちの法要に感動し、人間界でも行いたいと願い出たが、「天界の速い時間の流れに追いつくために走って法要を行う」と誓ったことで、これを行うことを許されたという。しかし、通常の松明で重さ40キロと、小柄な...奈良、東大寺・二月堂へ(5)

  • 奈良、東大寺・二月堂へ(4)

    <奈良、東大寺・二月堂へ(4)>掟破りのようだが、二月堂北側の階段に吸い寄せられるように向かってしまった。本来の順路としては、南側にある「青石壇(あおいしだん)」と呼ばれている石段を使って二月堂へ昇り、参詣した後に北側にある茶屋で休憩してから北側階段を使って降りてくる正規なルートだそうだ。北側の階段は屋根付きで「登廊」と呼ばれ、修二会(しゅにえ)で選ばれた「練行衆(れんぎょうしゅう)」が参籠宿舎から二月堂へ上堂する際に通る通路である。遠くから登廊を発見してしまったわたしは、瞬時に、ついこの前に行った<長谷寺の登廊>を思いだし懐かしくなったのだ。ところで、わたしの登廊の評価だが、長谷寺のほうが上である。登廊の石段を昇りつめると、大きくて立派な手水鉢があった。たしか正式な「手水舎」は、南側の青石壇を昇ったとこ...奈良、東大寺・二月堂へ(4)

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