chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
わた☆あめ 脳内読書会 https://wataamebook.hatenablog.com/

会話形式で本の感想を綴っています。あまり長くならず、楽しく本を紹介できるよう試行錯誤中です。 あるある、こういう読書傾向ね~とひっそり共感してもらえると嬉しいです。

わたあめ
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2019/12/24

arrow_drop_down
  • 「資格」ではなく「場」の共有によるタテ社会--そうした社会であれば日本でなくても同調圧力や自粛警察は生まれる:『タテ社会の人間関係』

    社会を成り立たせる構造として「資格」による社会と「場」による社会があるそうです。 資格による社会は横(同業者)のつながりが強く資格によって集団を移動することができます。一方、場による社会は目に見える枠がないため、実質は烏合の衆です。組織を保つためにはその内部で結束を強化する必要があります。そのため構成員の相互接触が高まり、エモーショナルな関係が重視されます。 いう間でもないことですが、日本は後者の場による社会です。資格と言った明確な基準がないため、絶えず「ウチ」「ヨソ」を意識。そうしないとずるずると枠がほどけ、社会構造は溶解してしまいます。場による社会というのは日本に限ったものではないようです…

  • 日本も橋本さんも揺れに揺れた:『橋本治という立ち止まり方』

    2010年、橋本治さんは顕微鏡的多発血管炎という難病で入院します。当初は一ヶ月ほどで済むと思われていた入院は、結局四カ月にも及びました。自分もじーさんだけど病院はじーさん・ばーさんばかり、と好奇心をもって病院生活を送った橋本さんですが、やはり四カ月もの入院生活で体力が落ちたようで、退院後の文章はどこか元気がない。自分でもがっくりきて自信喪失というか、ぐらぐらしている感じが伝わってきます。 そんな中で東日本大震災が起こり、体力がないと驚いたり不安になったりすることもできない、と橋本さんは書いています。この本の最終章は2011年に書かれたエッセイですが、橋本さんにしては珍しく、政治に対しての怒りを…

  • やっぱり福沢諭吉は偉かった:『国家を考えてみよう』

    よく理解できないことがあって迷っている時、つい橋本治さんの本を手に取ってしまいます。(もう新作が読めないとは本当に残念です)読むと「すっきり」することはなく、橋本さん特有の語り口であっちへやられこっちへやられ、読み終わった時には「どういうこと?」と思うのですが、「すっきりすることは危険だよ」ということなのかもしれません。 橋本さんの『双調平家物語』は中断をはさみながら何年も読んでいますが、平家物語なのに中国の王朝から物語が始まるのには驚きました。でも読んでいくと日本の王朝がどういった性質のものなのか中国との対比で浮き彫りになり理解が深まるように感じます。 この本も「『考える』ってあるけど、きっ…

  • 「おろんくち」、「がらんど」、「まだ息がある」---。 認知症の老婆が夕方になると口にする言葉。その言葉を辿っていくと、一本の恐ろしい木に辿り着いた:『フォークロアの鍵』

    旅は紙の上に書いた計画通りには行かない。いくら綿密に計画しても当日の体調や気候によって計画は結構変わってしまう。人の記憶も紙に書かれたような「順序立って分かりやすいもの」にはならない。話し手が「あれ、おかしいなぁ」と口にしながら話す記憶の方が、その「おかしいなぁ」という感覚を含めて「記憶していることだ」と感じる。 この物語は認知症を患っている老人たちが暮らすホームが舞台。口頭伝承を研究する民俗学者の卵・千夏は自身の研究のためにホームでの聞き取りを始めた。ある夕暮れ、「くノ一」とあだ名される美しい老女・ルリ子が口にした「むかし、むかし、あるところに」という呟きを偶然、耳にする。彼女は意思の疎通が…

  • 日本人は「得か、損か」で動く:『(日本人)』

    どこか日本人離れをしている著者が日本人について考察した本。きっかけは、やはり東日本大震災。あの出来事の後、様々な日本人像が論じられた。それを一文で言うと「日本の被災者は世界を感動させ、日本の政府は国民を絶望させた」と著者は言う。ここに全く異なる二種類の日本人がいると。 日本がなぜこのような社会になっているのか、なぜこのような意思決定をするのか、とても気になって色々な本を読んでいるが、その中で気付いたことは「日本的といわれていることは東アジア、東南アジアでは共通的な振る舞いである」ということ。農耕社会は退出不可の社会で、共同体内での不満を抑え社会の安定を図るに意思決定は員一致の妥協の結果。例えば…

  • オーストラリアで生きることを選んだ少年はMasatoからMattになった:『Matt』

    『Masato』の続編が『Matt』であると知って「真人、オーストラリアでうまくやっているんだな」と嬉しかった。前作『Masato』ではオーストラリアで脱サラして新たに商売をするという父親と共にオーストラリアに残ることを選んだ真人。オーストラリアを、英語を選んだ真人に母親は「この国にあなたをとられた」と泣き日本へ帰る。その母親から「まあくん」と呼ばれていた真人は今では自らMattと名乗るようになっている。真人がオーストラリアに残ることを選んだのは父親の肩を持ったわけではもちろんなくて、オーストラリアの文化、そこで出会った人々、特に友人達と離れがたく日本ではなくオーストラリアで中学へ進むことを選…

  • 漱石への愛が、すごい:『日本語が亡びるとき:英語の世紀の中で』

    英語圏に一年半ほど暮らしたので英語は世界共通言語である前に暮らす場所の言葉で、しかし英語がこれほどにも世界共通言語でなければ、いずれ母国に帰る短期滞在者にすぎない自分が日々これほどまでに「英語を習得しなければ」という焦燥を感じることはなかっただろう。例えば思いもかけず期間限定でフランスに暮らすことになったとして、フランス語ができずにその滞在が終わっても、そんなに気にしないんではないか。もちろんちょっとでも話せるようになれば素敵だけれども、それはいわば「お土産」のようなもので、だけど英語はそんな「お土産」のようには思えない。もうアングロ・サクソンだけの言語を超えてる。 英語が母国語の人はこの英語…

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、わたあめさんをフォローしませんか?

ハンドル名
わたあめさん
ブログタイトル
わた☆あめ 脳内読書会
フォロー
わた☆あめ 脳内読書会

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用