仁徳天皇国史で史実と確定されている最初の天皇でもある。大国主の鎮魂エピ(ダミー)じゃないの?大体、日本の第16代天皇で応神天皇の皇子で日本武尊(ヤマトタケル)のひ孫という設定が既にファンタジー。応神天皇が日向髪長媛と言う美少女を後宮に入れたいと欲したため、仁徳天皇が迎えに行く事になったが気に入ってしまい、歌を読むなど作戦を駆使して自分の側室にした。事実上の横取りである。※ 日向髪長姫とは、誰だ?※ 仁徳...
神社仏閣・日本神話・古代史について語ります。 好きな神様は出雲系・水神様・龍神様。 仏様は定義山西方寺を崇敬。伊達家家臣の末裔です。
スサノオ様・スセリヒメ様・クシナダヒメ様推しです。 日本の神話は現実の古代史を反映している派なので、謎解き記事を書いています。 神話情報に偏りがちなので、考古学方面も勉強中です。 呪術都市仙台の話題も。
1冊目の『石神さんを訪ねて 出雲の巨石信仰』と、2冊目『続 石神さんを訪ねて 出雲神話から石見の巨石信仰へ』があります。とにかく石、石、石、岩、岩、岩、の本で、新聞の連載記事を元に編集された本です。地元や一部のマニアのものだと思われた巨石信仰(※作中引用)の連載の大反響に驚いて2冊の発行となったそうです。確かに私はマニアを名乗るのもおこがましい浅学で、出雲となると遠すぎて土地勘ゼロ、っていうか関西以西...
ニニギは栄える子孫を得ましたが、神の寿命を子々孫々に渡って永遠に失いました。ホムチワケは言葉を話せるようになりましたが、子を得ることは出来ませんでした。垂仁帝に寵愛されていましたが、天皇の位を継ぐこともありませんでした。元々、ホムチワケは垂仁帝の最初の皇后・狭穂姫の子で、その狭穂姫は謀反を起こした兄・狭穂彦と運命を共にしてしまい、その後に次の皇后・ヒバスヒメが立てられていますから、ヒバスヒメの子が...
父と息子、どっちも日向の長い姫を妃に迎えてるんだし、応神=仁徳なんじゃないかと思えてきた……元々この親子は事績が被っていることから同一説があるんですね。じゃあ、《長い姫》にはどんな意味、役割があるんだろう?と考えてみます。個人的には、イワナガヒメの場合は醜かったから返されたのではなく、異形だったからニニギが尋常じゃない怖れ方をしたんだと思っています。例えば、見るなの法則をお約束通りに破った山幸彦です...
応神天皇が日向から妃を手に入れようとしたのは、単に美女だからと言う俗っぽい理由だけではなく、政治的な意図があったと見るべきでしょう。ズバリ言えば、髪長媛は人質みたいなものです。日向の勢力を従えておく必要があった、ということです。でも、私は髪長姫と磐之媛は同体だと思っています。髪長姫の父に当たる人の役職が、この時しか出て来ない=つまり存在したかよく分からない人だからです。創作だとしても、「磐」と「長...
実は、神代で具体的な物語に登場する阿多の女性は、いずれもろくな目に遭っていません。1.コノハナサクヤヒメ(神阿多都比売) ニニギに不貞を疑われ嘲われたので、火中出産という危険を冒すことになる。 日本書紀によると、3人の子を無事に産んだだもののサクヤヒメの怒りや恨みは消えず、ニニギと不仲になり離婚を暗示させる描写も在る。出雲のヤシマジヌミもしくは播磨の伊和大神に嫁いだという伝承もある(古事記の系図で...
仁徳天皇が皇子時代に日向髪長媛を父・応神天皇から譲られたのは、スサノオから愛娘スセリヒメを託されたのに似ている。そして、皇后磐之媛と日向髪長媛の名とエピソードは、嫉妬深さを強調されたスセリヒメと日向の阿多にいたイワ ナガヒメの設定が混ざっている。髪長姫が殊更に入宮をに反対したのは八田皇女、スセリヒメの嫉妬を恐れて因幡に帰ってしまったのは八 上姫(ヤ ガミヒメ)。理由は様々今回省きますが、私はスセリヒ...
仁徳天皇の即位にあたっては、奇妙な経緯があります。既に応神天皇の皇太子に決まっていた菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)という皇子がいました。でも、この皇子は後の仁徳天皇ではありません。古事記には単に夭折ということになっていますが、日本書紀ではエピソードがかなり違います。皇后の子ではありませんでしたが、応神天皇に寵愛されていたと記述されています。応神天皇の寵愛を受けて皇太子となったはずの菟道稚郎子皇子...
前回『その1』のような内容の記紀を読んでみて思ったのは、仁徳天皇って名君の代名詞みたいに言われながら、オオクニヌシみたいに女にだらしないどーしよーもない男だな~(呆&白い目)ということでした。因みに書き忘れていたのですが、仁徳天皇は日本書紀に「天皇幼而聰明叡智。貌容美麗。及壯仁寛慈惠。」(原文)と書かれるほど、現代語訳:天皇は幼い時から聡明で、叙智であらせられた。容貌が美しく、壮年に至ると、心広く...
『私はイワナガヒメを推していますが何か。』という連載をやっていた時、岩=ゴツゴツしていて醜い、という価値観は有り得ない!と思って、神名や皇族名で『いわ』はあるかどうかを調べてみましたが、実際結構ありました。神武天皇からして神日本磐余彦天皇(かんやまといわれびこのすめらみこと)ですし。※ by日本書紀※ 因みに古事記は神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと)イワレというのは地名という事になってい...
久々に本の紹介です。序章の1.神秘の異境 より引用します。>青い海原と、青い天の原の教会がくっきり見える日もあるが、茫洋として境界線が見えない日も多い。この
島が3つあっても、セットの「比売神」を神降ろしする巫女はひとりでいい。3人の巫女が大麻焚いて別々のことを言ったら混乱しますし、このような重要な役割の巫女は女王級で、巫女の中でもトップでしょう。だから、タキリとタキツが似通った名前なのに、一柱だけ異色の名がある。市杵嶋姫(いちきしまひめ)又は狭依毘売(さよりひめ)という名の女神。意味はそれぞれ「島を斎祀る姫」「神聖な依代の姫」であって、これは神懸かり...
そうすると、あれ?じゃあ、チルヒメがヤシマジヌミに嫁いだとか、播磨風土記で伊和大神(大己貴であると言われている)の元にコノハナサクヤヒメが嫁いできたとかいう伝説は?という謎が発生します。これはもう、サクヤ=チルヤ様が、大己貴の妻のひとりになったのでしょう。「一夜で孕むとか有り得なくねwwwどうせ地祇の子だろwwwww」とニニギが嘲り笑いやがりなさったので、激おこサクヤ様は「あんたの子なら無事に生まれるでし...
※ 1ヶ月ぶりのイワナガヒメを推しているシリーズです。前回の『その8』は、2023/10/12 の記事となります。イワナガヒメについて検索してみると、よく出て来るのが「コノハナサクヤヒメは咲き誇る花のように美しく、イワナガヒメはゴツゴツした磐のように醜い」というような文章です。スピ系だとその後は大体この2つに分かれます。イワナガヒメは内面が美しいのです!! orイワナガヒメは醜かったのではなく見にくい=見えな...
所造天下大神(あめのしたつくらししおおかみ/大己貴・大国主)が綾門日女をうかがったエピソードが出雲国風土記にあり、しかも求婚された綾門日女は断り逃げ回って、最後には黄泉の穴に隠れてしまった。求婚された女性が《形だけ》逃げるという習わしはあったようですが、綾門日女のように山から山へと長距離ガチ逃げしたという事は、本当ガチのガチで逃げたのでしょう。そして黄泉の穴に隠れてしまい、その後のふたりのことは語...
このシリーズ、こんなに長く続くとは思わなかった『その11』でございます。前回までのあらすじ。 須勢理比売(スサノオの末娘で出雲女王)=宇迦之御魂(大年/饒速日の同母妹)=綾門日女(大綾津日神の妹or妻)=大屋津比売(大屋毘古/五十猛とヒメヒコor妻)今更ですが、ヒメヒコ制というのは、兄妹統治or姉弟統治のことです。つまりヒメが姉妹でヒコが兄弟です。古代、姉妹は兄弟に神秘的な力を与える特別な存在でした。沖縄で...
移動したのは五十猛や大屋津比売ではなく、この神々(祖霊・氏神)を祀る人々だった可能性です。いずも、という地名はヤマトにもあるし阿波にもあるし、出雲が国譲りという名の侵略を受け、大和で長髄彦が殺され乗っ取られたりという事柄に実際の歴史が反映されているならば、出雲の民は出雲や大和に残る者も居たし、他の土地に逃げて移住した人もいたことでしょう。移住した人々は、その土地に自分たちの神話を持ち込み言い伝え、...
五十猛=射楯神→五楯神神屋楯比売→神八楯姫五十はの読みはどういう訳か「いそ」と「そ/十のこと」が省略された「い」とどちらもありますが、八十は「やそ」であり、「や」という一文字に省略された例は私は知りませんし、多分無いと思います。例:八十神(やそがみ)/オオナムチをいじm…を通り越して殺意満々の兄神?たちの事。やがみ、とは読まない。でも、もしお揃いの名前の男神と女神なら、このくらいは誤差の範囲だと思いま...
大屋津比売=綾門日女の可能性がある。そうすると、奇妙な構図が出てきます。それは、スセリヒメ=アヤトヒメ=オオヤツヒメ=オオヤビコの同母の姉か妹という等式です。なぜ同母の姉妹かというと、似たような名前の神様で、末尾が「ひこ」「ひめ」となる一対は、大抵は両親が同じ兄妹であり夫婦です。皇族の名前でも、○○皇子と○○皇女、となればやはり天皇×同母の兄妹or姉弟です。それは、同母の兄妹・姉弟だと生まれた場所や育っ...
前回(2023.10.21)をおさらいしますと、結論:綾門日女=須世理比売=宇迦之御魂=稲荷神ということになります。(出雲の伝承的には)それぞれの神名の意味ですが、稲荷神=ウカノミタマは「ウカ」が食であり、スセリヒメの宮殿は「宇迦宮」であり、現在でも宇賀(うかごう)にはアヤトヒメが祀られている。……と書くと、綾門日女の「あやと」って何?という疑問が出てきます。綾から連想されるのは、綾(あや)織物、絹織物辺りで...
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仁徳天皇国史で史実と確定されている最初の天皇でもある。大国主の鎮魂エピ(ダミー)じゃないの?大体、日本の第16代天皇で応神天皇の皇子で日本武尊(ヤマトタケル)のひ孫という設定が既にファンタジー。応神天皇が日向髪長媛と言う美少女を後宮に入れたいと欲したため、仁徳天皇が迎えに行く事になったが気に入ってしまい、歌を読むなど作戦を駆使して自分の側室にした。事実上の横取りである。※ 日向髪長姫とは、誰だ?※ 仁徳...
アメノミチヒメ《天道日女命》名古屋神社ガイド櫛玉比賣命神社祭神は、天道日女命・御炊屋姫命だが、天道日女命一座の説もある[2]。...
秋篠宮御一家。心洗われるよきお写真です。この尊い御一家に、恩返しが出来るこの国でありますように。...
秋篠宮皇嗣殿下、お誕生日おめでとうございます。大文字にしてしまいました。そのくらい尊いのです。 ←太文字にしてしまった何ヶ月放置してんだ?このブログ。と今更思い出しましたが。今日こそはお祝いしないと!!ツイッター(私は青い鳥が好きだ)にもたくさんのお祝いメッセージが……!(感涙)秋篠宮家がどれほど皇室に貢献しているか、国民に尽くしていらっしゃるか、わかる人はちゃんと解っているのです。どうか、ネットの誹...
これが、《かたげ》じゃありませんように、とスセリヒメ様が断トツ推し女神の私としては、もう祈るしかありません。《かたげ》というのは、文字通り女性を担いで強奪することです。通い婚にも一応ルールが有って、まずは女性の親に許可を取るのです。だから、身篭もったサクヤ様に「自分の子ではないだろう」と嘲ったニニギはカスですが、一目惚れ求婚をされて「私は答えられませんので父にお尋ね下さい」と答えたサクヤヒメも、そ...
前回、自分で辿り付いた癖に、自分でショックを受けてしまった……とにかく糸魚川市のHPを見れば分かることなんですが、地元伝承でのヌナカワヒメの運命は悲惨です。大己貴に連れて行かれるのを嫌がって、逃走して自死したとか、ヌナカワヒメには夫がいたのに戦争で殺されてしまったとか…いつ子供を産む暇があったんだ?と思うほどです。出雲国風土記は、ミホススミが所造天下大神とヌナカワヒメの子だと伝えているので、信用しまし...
玉櫛入彦厳之事代神って神武のことじゃね?という過去の思い付きを検証してみたいと思います。後代に『イリ王朝』なるものが出現しますが、私は入彦っていうのは婿入りだと思っています。※ 崇神・垂仁についてはまたの機会に玉櫛姫の婿だから、ただの玉櫛彦じゃなくて、玉櫛入彦です。アシナヅチはテナヅチの婿ですし(神話的に普通に同母兄妹で夫婦かもしれませんが)、スサノオはクシナダヒメの婿ですし、大己貴はスセリヒメの...
前回の推測を整理すると、ニニギ=山幸彦=ウガヤフキアエズ=神武(ヒコホホデミ)という、全部一緒という身も蓋も無い感じになるか、ニニギ=山幸彦(ヒコホホデミ)=ウガヤフキアエズ→ 神武(ヒコホホデミ)という、おじいちゃんにあやかって同じ名前を貰うのはアリで、かろうじて二代になるか、ニニギ=山幸彦=ウガヤフキアエズ=五十猛=神武という、私にとってイヤアアアアア…なことになるか、※ 私は五十猛兄さんを推してい...
前回、垂仁天皇×狭穂姫のエピソードが、ニニギ×サクヤヒメ・山幸彦×玉依姫の2代に渡るエピソードとほぼ同じ。というのと、山幸彦(彦火火出見)=神武天皇(彦火火出見)って、同一人物じゃね?(祖父の名を貰ったというのはアリのような気もしますが)という疑問を合わせると、ニニギ=山幸彦=神武、ということになり、じゃあウガヤフキアエズは何処に入る?という新たな疑問に突き当たり、※ 祖父の名前を貰うのはアリだとして...
この際なので、ちょっとアジスキ兄さんから離れて、ループ例を挙げたいと思います。1.山幸彦・ウガヤフキアエズの妻が姉妹&神武・綏靖の妻が姉妹2.コノハナサクヤヒメの火中出産&垂仁天皇皇后・狭穂姫の火中出産3.子供を置いて去って行く玉依姫に、山幸彦は「子の名前を何とつけたら良いだろうか?」と尋ね、玉依姫は「彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊/ヒコナギサタケウガヤフキアエズにしましょう」と言って去る。&火中出産の狭...
つづきです。少し落ち着きます神代の物語は、神武東征の辺りと、神武に嫁いだ姫達と姫の両親の系図がゴチャついていてイラッとするのですが、その理由のひとつが前回大文字で叫んだとおり、その1.事代主が複数人出てくるから 『事代主』とは、卑弥呼の男弟のような立場と推測します。後代に『誰々が事代して云々』という記述があり、『事代する』は神懸かりの神託を告げることを意味する一般動詞です。 『主/ぬし』とつく...
前日の『比売多多良伊須気余理比売と媛蹈鞴五十鈴媛は別人じゃないのか?:その11』で、稚国玉(わかのくにたま)という称号を持つ女王・下照姫(御年/イスケヨリヒメ)が、2回結婚している、という話を書きました。1回目:天稚彦(そっくり=アジスキタカヒコネ)2回目:神武天皇ということは、可能性として1.アジスキタカヒコネが、いも(妹/妻)である次期出雲女王を、神武に献上した。2.アジスキタカヒコネ=神武天皇……...
前回書いたとおり、天稚彦=下照姫の夫=アジスキタカヒコネ。つまり、天稚彦という無個性な名前は、単にダミーだからでしょう。ダミーなので、死んだという点はノットイコールですが、姿形と自分が葦原中国を支配しようと企んだというところは、イコールなのでは?結果を見れば、実際にそうなっています。大王(男王)の地位と権力は神武一族にくれてやる体で、アジスキタカヒコネの妹や娘の血を引く子孫が天皇の后や妃になり、そ...
下照姫の夫・天稚彦が死んでしまって葬儀をしていたら、系図上は下照姫の同母兄・アジスキタカヒコネ兄さんがやってきました。何でも、天稚彦のお友達なんだとか。妹婿なら義理の兄弟ですから、友人として親しくしていても不思議ではありません。でも、強烈に不思議なのは、兄さんが天稚彦と一卵性双生児レベルでそっくりだった、ということです。天稚彦の家族は、やって来た双子状態の兄さんを見て、良かったーーー!!息子生きて...
取り敢えず、天知迦流美豆比売の子神の神名を見て、ハッキリと女神(女性)だと分かるのは、オキツヒメだけです。そして、どういう訳か他の子神は《神》なのに、オキツヒメだけ《命/みこと》である辺り、謎ではありますが人間っぽい気がします。皇族の和風諡号って、みんな《命》とか《尊》とか付いているので、亡くなれば祖神、ということなのでしょうか。ヌナカワヒメは少なくともひとりは姫を産んだ記録があり、それは御穂須須...
注:『その8』は推敲中にウッカリ自動で送信投稿してしまったので、本稿が書き直しです。さて、ヌナカワヒメの祖父の名は意支都久辰為命(おきつくしい)、父は俾都久辰為命(へつくしい)。そして、子神についてはwikiから引用します。>天知迦流美豆比売(あめちかるみづひめ)との間の子奥津日子神(おきつひこ) - 熾の神。奥津比売命(おきつひめ) - 同上。別名 大戸比売神(おほへひめ)。竈神(かまど)の女神。※ 何故か...
さて、ヌナカワヒメの祖父の名は意支都久辰為命(おきつくしい)、父は俾都久辰為命(へつくしい)。そして、子神についてはwikiから引用します。>天知迦流美豆比売(あめちかるみづひめ)との間の子奥津日子神(おきつひこ) - 熾の神。奥津比売命(おきつひめ) - 同上。別名 大戸比売神(おほへひめ)。竈神(かまど)の女神。大山咋神(おほやまくひ) - 別名 山末之大主神(やますゑのおほぬし)。比叡山の山の神で日吉大社・...
『くし』とは、『櫛』『奇』と表記されることが多く、素戔嗚尊の妻や男系の子に引き継がれることが多い呼称です。高皇産霊サイドではなく、神産巣日(カミムスビ)サイドと言えばいいでしょうか。或いは、筑紫国(つくしのくに)の『クシ』で、そのルーツを筑紫に遡ることが出来る、という推察も出来ます。ここでは、取り敢えず旧大和勢力も含めた出雲族が持つ美称だとして扱いましょう。櫛名田比売(奇稲田姫/くしなだひめ・くし...
後の綏靖天皇・ヌナカワミミは、誰を次の后に選んだかということですが、一番メジャーな説を取って『五十鈴依媛/いすずよりひめ』ということにして話を進めます。ヌナカワミミの母『姫踏鞴五十鈴媛/ひめたたらいすずひめ』と非常によく似た、紛らわしい名前です。イスズヨリヒメの『ヨリヒメ』は、イチキシマしめの別名『サヨリヒメ』、彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊の妻で、神武天皇の母『タマヨリヒメ』のように、神が依りつく姫=巫女...
私が以前から引っ掛かっていたのは、第二代綏靖天皇の諱が『神渟名川耳尊/かむぬなかわみみ』であるということです。何故ここでヌナカワヒメ由来とおぼしき名前が?神武の跡継ぎである大王なのに?ヌナカワヒメは糸魚川周辺の伝承によると大己貴に強奪され、越は継承者である姫もしくは女王を失った、つまり敗者の女性です。『神渟名川耳』と同母兄とされる『彦八井耳命/ひこやいみみ』、は時期大王『神渟名川耳』が相応しいと譲る...
例えば、大年(ニギハヤヒ?大物主?大国主の幸魂・奇魂?)と宇迦之御魂(スセリヒメ・宗像三女神)はスサノオ×神大市比売の子、という同母兄妹設定です。この系図が、スセリヒメが神大市比売の娘で、大年が婿入りしたのを同母兄妹のように見せかけている可能性がある、ということです。そうでないと、ニギハヤヒは同母妹のスセリヒメと結婚したことになってしまいます。※ 籠神社の公式見解によると、太陽神・饒速日の妻は月神・...
下照姫の母・スセリヒメがニギハヤヒの大后・三炊屋媛(ミカシキヤヒメ/長髄妹)であれば、推古天皇の諡号『豊御食炊屋姫尊/とよみけかしきやひめ...
私が『スス』が付く女神としてここで思い出すのは、御穂須須美(みほすすみ)という女神です。能登半島にも祀られていて、ヌナカワヒメの娘神と伝えられています。古事記では大国主として3人の女性が妻として登場しますが、そのうちのひとりが越国の姫・ヌナカワヒメです。今ひとりは因幡の白兎で有名なヤガミヒメです。ヤガミヒメは(多分)オオナムチの最初の妻であったのに、オオナムチがスセリヒメに乗り替えて嫡妻にしてしま...
まるまる半年放置していたこのブログ。半年ぶりの思い付きを、タイトル通りにつらつらと書いてみます。古事記によると、神武天皇の大后は比売多多良伊須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ)です。日本書紀によると、媛蹈鞴五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)因みに、古事記の場合は、敢えて私がここで語らずともこんなブログに来る人なら誰でも知っているアホな理由で富登多多良伊須須岐比売(ほとたたらいすすきひめ)というセ...