秋篠宮皇嗣殿下、お誕生日おめでとうございます。大文字にしてしまいました。そのくらい尊いのです。 ←太文字にしてしまった何ヶ月放置してんだ?このブログ。と今更思い出しましたが。今日こそはお祝いしないと!!ツイッター(私は青い鳥が好きだ)にもたくさんのお祝いメッセージが……!(感涙)秋篠宮家がどれほど皇室に貢献しているか、国民に尽くしていらっしゃるか、わかる人はちゃんと解っているのです。どうか、ネットの誹...
神社仏閣・日本神話・古代史について語ります。 好きな神様は出雲系・水神様・龍神様。 仏様は定義山西方寺を崇敬。伊達家家臣の末裔です。
スサノオ様・スセリヒメ様・クシナダヒメ様推しです。 日本の神話は現実の古代史を反映している派なので、謎解き記事を書いています。 神話情報に偏りがちなので、考古学方面も勉強中です。 呪術都市仙台の話題も。
悠仁親王殿下、17歳のお誕生日おめでとうございます。小泉首相の時代だったでしょうか?皇室にはもう男子は望めまいと女性天皇や女系天皇の議論が始まった時、神の計らいのように生まれて来て下さったのが、悠仁親王殿下でした。9月6日。この尊い日がある限り、この国は大丈夫だと思えるのです。悠仁親王殿下と秋篠宮家の方々へ天皇弥栄。...
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秋篠宮皇嗣殿下、お誕生日おめでとうございます。大文字にしてしまいました。そのくらい尊いのです。 ←太文字にしてしまった何ヶ月放置してんだ?このブログ。と今更思い出しましたが。今日こそはお祝いしないと!!ツイッター(私は青い鳥が好きだ)にもたくさんのお祝いメッセージが……!(感涙)秋篠宮家がどれほど皇室に貢献しているか、国民に尽くしていらっしゃるか、わかる人はちゃんと解っているのです。どうか、ネットの誹...
これが、《かたげ》じゃありませんように、とスセリヒメ様が断トツ推し女神の私としては、もう祈るしかありません。《かたげ》というのは、文字通り女性を担いで強奪することです。通い婚にも一応ルールが有って、まずは女性の親に許可を取るのです。だから、身篭もったサクヤ様に「自分の子ではないだろう」と嘲ったニニギはカスですが、一目惚れ求婚をされて「私は答えられませんので父にお尋ね下さい」と答えたサクヤヒメも、そ...
前回、自分で辿り付いた癖に、自分でショックを受けてしまった……とにかく糸魚川市のHPを見れば分かることなんですが、地元伝承でのヌナカワヒメの運命は悲惨です。大己貴に連れて行かれるのを嫌がって、逃走して自死したとか、ヌナカワヒメには夫がいたのに戦争で殺されてしまったとか…いつ子供を産む暇があったんだ?と思うほどです。出雲国風土記は、ミホススミが所造天下大神とヌナカワヒメの子だと伝えているので、信用しまし...
玉櫛入彦厳之事代神って神武のことじゃね?という過去の思い付きを検証してみたいと思います。後代に『イリ王朝』なるものが出現しますが、私は入彦っていうのは婿入りだと思っています。※ 崇神・垂仁についてはまたの機会に玉櫛姫の婿だから、ただの玉櫛彦じゃなくて、玉櫛入彦です。アシナヅチはテナヅチの婿ですし(神話的に普通に同母兄妹で夫婦かもしれませんが)、スサノオはクシナダヒメの婿ですし、大己貴はスセリヒメの...
前回の推測を整理すると、ニニギ=山幸彦=ウガヤフキアエズ=神武(ヒコホホデミ)という、全部一緒という身も蓋も無い感じになるか、ニニギ=山幸彦(ヒコホホデミ)=ウガヤフキアエズ→ 神武(ヒコホホデミ)という、おじいちゃんにあやかって同じ名前を貰うのはアリで、かろうじて二代になるか、ニニギ=山幸彦=ウガヤフキアエズ=五十猛=神武という、私にとってイヤアアアアア…なことになるか、※ 私は五十猛兄さんを推してい...
前回、垂仁天皇×狭穂姫のエピソードが、ニニギ×サクヤヒメ・山幸彦×玉依姫の2代に渡るエピソードとほぼ同じ。というのと、山幸彦(彦火火出見)=神武天皇(彦火火出見)って、同一人物じゃね?(祖父の名を貰ったというのはアリのような気もしますが)という疑問を合わせると、ニニギ=山幸彦=神武、ということになり、じゃあウガヤフキアエズは何処に入る?という新たな疑問に突き当たり、※ 祖父の名前を貰うのはアリだとして...
この際なので、ちょっとアジスキ兄さんから離れて、ループ例を挙げたいと思います。1.山幸彦・ウガヤフキアエズの妻が姉妹&神武・綏靖の妻が姉妹2.コノハナサクヤヒメの火中出産&垂仁天皇皇后・狭穂姫の火中出産3.子供を置いて去って行く玉依姫に、山幸彦は「子の名前を何とつけたら良いだろうか?」と尋ね、玉依姫は「彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊/ヒコナギサタケウガヤフキアエズにしましょう」と言って去る。&火中出産の狭...
つづきです。少し落ち着きます神代の物語は、神武東征の辺りと、神武に嫁いだ姫達と姫の両親の系図がゴチャついていてイラッとするのですが、その理由のひとつが前回大文字で叫んだとおり、その1.事代主が複数人出てくるから 『事代主』とは、卑弥呼の男弟のような立場と推測します。後代に『誰々が事代して云々』という記述があり、『事代する』は神懸かりの神託を告げることを意味する一般動詞です。 『主/ぬし』とつく...
前日の『比売多多良伊須気余理比売と媛蹈鞴五十鈴媛は別人じゃないのか?:その11』で、稚国玉(わかのくにたま)という称号を持つ女王・下照姫(御年/イスケヨリヒメ)が、2回結婚している、という話を書きました。1回目:天稚彦(そっくり=アジスキタカヒコネ)2回目:神武天皇ということは、可能性として1.アジスキタカヒコネが、いも(妹/妻)である次期出雲女王を、神武に献上した。2.アジスキタカヒコネ=神武天皇……...
前回書いたとおり、天稚彦=下照姫の夫=アジスキタカヒコネ。つまり、天稚彦という無個性な名前は、単にダミーだからでしょう。ダミーなので、死んだという点はノットイコールですが、姿形と自分が葦原中国を支配しようと企んだというところは、イコールなのでは?結果を見れば、実際にそうなっています。大王(男王)の地位と権力は神武一族にくれてやる体で、アジスキタカヒコネの妹や娘の血を引く子孫が天皇の后や妃になり、そ...
下照姫の夫・天稚彦が死んでしまって葬儀をしていたら、系図上は下照姫の同母兄・アジスキタカヒコネ兄さんがやってきました。何でも、天稚彦のお友達なんだとか。妹婿なら義理の兄弟ですから、友人として親しくしていても不思議ではありません。でも、強烈に不思議なのは、兄さんが天稚彦と一卵性双生児レベルでそっくりだった、ということです。天稚彦の家族は、やって来た双子状態の兄さんを見て、良かったーーー!!息子生きて...
取り敢えず、天知迦流美豆比売の子神の神名を見て、ハッキリと女神(女性)だと分かるのは、オキツヒメだけです。そして、どういう訳か他の子神は《神》なのに、オキツヒメだけ《命/みこと》である辺り、謎ではありますが人間っぽい気がします。皇族の和風諡号って、みんな《命》とか《尊》とか付いているので、亡くなれば祖神、ということなのでしょうか。ヌナカワヒメは少なくともひとりは姫を産んだ記録があり、それは御穂須須...
注:『その8』は推敲中にウッカリ自動で送信投稿してしまったので、本稿が書き直しです。さて、ヌナカワヒメの祖父の名は意支都久辰為命(おきつくしい)、父は俾都久辰為命(へつくしい)。そして、子神についてはwikiから引用します。>天知迦流美豆比売(あめちかるみづひめ)との間の子奥津日子神(おきつひこ) - 熾の神。奥津比売命(おきつひめ) - 同上。別名 大戸比売神(おほへひめ)。竈神(かまど)の女神。※ 何故か...
さて、ヌナカワヒメの祖父の名は意支都久辰為命(おきつくしい)、父は俾都久辰為命(へつくしい)。そして、子神についてはwikiから引用します。>天知迦流美豆比売(あめちかるみづひめ)との間の子奥津日子神(おきつひこ) - 熾の神。奥津比売命(おきつひめ) - 同上。別名 大戸比売神(おほへひめ)。竈神(かまど)の女神。大山咋神(おほやまくひ) - 別名 山末之大主神(やますゑのおほぬし)。比叡山の山の神で日吉大社・...
『くし』とは、『櫛』『奇』と表記されることが多く、素戔嗚尊の妻や男系の子に引き継がれることが多い呼称です。高皇産霊サイドではなく、神産巣日(カミムスビ)サイドと言えばいいでしょうか。或いは、筑紫国(つくしのくに)の『クシ』で、そのルーツを筑紫に遡ることが出来る、という推察も出来ます。ここでは、取り敢えず旧大和勢力も含めた出雲族が持つ美称だとして扱いましょう。櫛名田比売(奇稲田姫/くしなだひめ・くし...
後の綏靖天皇・ヌナカワミミは、誰を次の后に選んだかということですが、一番メジャーな説を取って『五十鈴依媛/いすずよりひめ』ということにして話を進めます。ヌナカワミミの母『姫踏鞴五十鈴媛/ひめたたらいすずひめ』と非常によく似た、紛らわしい名前です。イスズヨリヒメの『ヨリヒメ』は、イチキシマしめの別名『サヨリヒメ』、彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊の妻で、神武天皇の母『タマヨリヒメ』のように、神が依りつく姫=巫女...
私が以前から引っ掛かっていたのは、第二代綏靖天皇の諱が『神渟名川耳尊/かむぬなかわみみ』であるということです。何故ここでヌナカワヒメ由来とおぼしき名前が?神武の跡継ぎである大王なのに?ヌナカワヒメは糸魚川周辺の伝承によると大己貴に強奪され、越は継承者である姫もしくは女王を失った、つまり敗者の女性です。『神渟名川耳』と同母兄とされる『彦八井耳命/ひこやいみみ』、は時期大王『神渟名川耳』が相応しいと譲る...
例えば、大年(ニギハヤヒ?大物主?大国主の幸魂・奇魂?)と宇迦之御魂(スセリヒメ・宗像三女神)はスサノオ×神大市比売の子、という同母兄妹設定です。この系図が、スセリヒメが神大市比売の娘で、大年が婿入りしたのを同母兄妹のように見せかけている可能性がある、ということです。そうでないと、ニギハヤヒは同母妹のスセリヒメと結婚したことになってしまいます。※ 籠神社の公式見解によると、太陽神・饒速日の妻は月神・...
下照姫の母・スセリヒメがニギハヤヒの大后・三炊屋媛(ミカシキヤヒメ/長髄妹)であれば、推古天皇の諡号『豊御食炊屋姫尊/とよみけかしきやひめ...
私が『スス』が付く女神としてここで思い出すのは、御穂須須美(みほすすみ)という女神です。能登半島にも祀られていて、ヌナカワヒメの娘神と伝えられています。古事記では大国主として3人の女性が妻として登場しますが、そのうちのひとりが越国の姫・ヌナカワヒメです。今ひとりは因幡の白兎で有名なヤガミヒメです。ヤガミヒメは(多分)オオナムチの最初の妻であったのに、オオナムチがスセリヒメに乗り替えて嫡妻にしてしま...
神代、つまり『神話ですよ』という建前の時代の女王とは巫女王で、婿は政治王なのですが、古代は巫女の方が上位です。巫女は神降ろしをして神と同体になれる存在なので、あくまでも人でしかない男王とは格が違います。兄妹・姉弟によるヒメヒコ統治の場合は、兄か弟が政治を担当し(卑弥呼の男弟みたいな?)、旧大和では御炊屋姫の兄・長髄彦が政治権力をニギハヤヒに譲渡して部下となり、軍事を担当し神武一行と戦うことになった...
うんざりするほど女傑過ぎる女帝・持統天皇は天智天皇の娘ではありますが、天智天皇の皇后・倭姫王(やまとひめのおおきみ)の娘ではなく、妃のひとりである蘇我遠智娘(おちのいらつめ)という蘇我氏の娘です。皇后が蘇我系の皇族で、夫人も蘇我氏の娘。(后>妃>夫人)もうガッツリ蘇我。そのくらい、宗家が滅びてなお蘇我氏は貴種だったのでしょう。皇室と並ぶほどの大王家だったのかもしれません。しかも出雲族系の。初期の天...
《出雲の大己貴》には大国主とかいう偉そうな神名を被せて、地祇の王として抹消しなければならなかった。でも、《大和のニギハヤヒ》は天孫のひとりという高貴な天津神でなければならないんです。出雲という土地自体は皇室にとっては逆らいさえしなければどうでもいい場所ですが、大和国とその周辺はどうでもよくありません。大和はその後末永く皇室と縁を持つ土地で、記紀編纂に関わった天武天皇や持統天皇の時代の都は平城京で、...
タイトルの通りなんですが、「別だよ」っていう意見が多いですよね。少彦名が幽世に行ってしまって途方にくれていた大国主(古事記では大己貴の成長バージョン)の所に、海を光(照)してやって来た神がいて、 「私はあなたの幸魂・奇魂である」 「そうですか。分りました。あなたは私の幸魂奇魂です。今、どこに住みたいと思われますか?」 「私は日本国の三諸山に住みたいと思う」という謎の会話(紀)を交わした結果、《そこ...
90歳のお誕生日おめでとうございます。上皇陛下弥栄。...
ここ2日ばかり、サブジャンル連続1位とか私何かしたっけ?と思っていたら、皇室関係の記事を読みに来て下さった人がいるんですね。なので、最近書いてなかった皇室の記事を書いてみようと思います。ズバリ、タイトルの通りです。愛子さまを天皇にしてはならない。はい、ここで気分が悪くなった方、静かにページを閉じて下さい。様々な考え方の人がいるのが世界というものです。上手に棲み分ける良識を持って頂きたいと思います。...
アジスキタカヒコネは根っこ、《祖》という意味でしょう。子孫には『根子』がつきます。正しい血筋ですよ!という意味かと思います。神武帝から時代が進むと、第七代孝霊天皇の和風諡号が『大日本根子彦太瓊天皇』で、突然根子=正当な子孫です主張が始まります。この『根子』は第9代天皇まで続くので、この世代に何かあったのかも知れません。出雲サイドに生まれながら、『根』の名を持ち迦毛大御神とかオオヒルメレベルの尊称を...
播磨国風土記には、伊和大神(オオナムチと同一視されている)の元へ、あの『コノハナサクヤヒメ』が嫁いできたと伝えられています。『コノハナチルヒメ』ではなく、サクヤヒメの方です。コノハナチルヒメというのは、オオナムチとイコールか?という可能性があるヤシマジヌミの正妻だろうかと思われる姫神です。えっ、宮崎県からわざわざ!?というのは、あまり考えなくていいと思います。海人族的には日向はさほど遠くなかったの...
父→息子、という形で絶え間なく続いてきた(建前の)皇統が、仁徳帝×磐之媛の子供達の代から、兄弟間の皇位継承が出てくるのです。※ 例外:成務天皇→仲哀天皇(ヤマトタケルの子)の時には叔父→甥の継承となったが、ヤマトタケルの説話自体は数人のヤマトの英雄を統合した架空の人物という説がある磐之媛が産んだ4人の皇子のうち、3人が天皇となります。応神天皇のwikiにある系図を見て頂きたいのですが、皇后を立てることなく...
『日向髪長媛』という阿多の姫を応神帝が息子に譲ったということは、まだ皇太子ではなかった大鷦鷯皇子がいずれ皇位を継ぎ、聖帝とよばれるほどの治世を築くということを予見させるエピソードだったのだと思います。『髪長媛』を得た大鷦鷯皇子は仁徳天皇となり、磐之媛を立后します。これで、仁徳天皇は『カミ』と『ナガ』と『イワ』と『アタ』を手に入れました。彼の治世には、様々な試練が訪れますが、いずれも乗り越えて平安へ...
先日、家族で「47都道府県の白地図を全部埋められるか?」という遊びを思い付いてやってみたのですが、ごめんなさい。全正解は東北と関東だけで、ほかはちょこちょこ間違えました。つか、行きませんもん。京都・奈良は学生時代に行きましたけど、新幹線に乗ったら途中はよくわからないものです。ちなみに、正解は以下の通りです。私はとことん出雲贔屓ですが、海人系出雲族が大和まで勢力を伸ばし、先住のナガスネ兄妹のところに婿...
スサノオ:稲田宮主夫妻(アシナヅチ・テナヅチは結構すごい異名を持っている)の末娘クシナダヒメをゲットで須佐と須賀の王オオナムチ:スサノオの末娘のスセリヒメをゲットして出雲王…という構図を見ると、出雲族って単なる末子相続じゃなくて、母系の末子相続だったりしない?と思います。以前『神話にはどうして兄と妹しかいないのか?』という記事を書きましたが、これで合っていていれば女児が産まれている場合、必ず女児が...
御歳神(ミトシ)も情報が少ないです。ただし、向日神とも言われ、神社伝承では神武皇后とイコールになっていますが、これは多分正しいと思っています。日に向かうとか太陽神と向かい合うとかいう大袈裟な感じじゃなくて、嫡妻(むかいめ)だから向日神なのでしょう。スセリヒメも出雲大社で『御向社/みむかいのやしろ』に祀られているのと同じです。横に逸れますが、有名な撞賢木厳之御魂天疎向津媛(つきさかきいつのみたまあま...
『仁徳天皇と大国主の鎮魂』シリーズの執筆が長引いて重くなってきたので、気晴らしに日頃の疑問を記事にして見ます。※ シリーズはちゃんと〆まで書く所存です日頃の疑問。日本の神話に関心を持った人なら、一度は必ず考え込んだであろう、謎。神様だからって世代が合わなすぎる件。私の最推し女神様はスセリヒメなのですが、もうここから既に躓きます。スサノオ様(男神最推し)の愛娘なのに、何でスサノオ様の6世の孫と結婚し...
1冊目の『石神さんを訪ねて 出雲の巨石信仰』と、2冊目『続 石神さんを訪ねて 出雲神話から石見の巨石信仰へ』があります。とにかく石、石、石、岩、岩、岩、の本で、新聞の連載記事を元に編集された本です。地元や一部のマニアのものだと思われた巨石信仰(※作中引用)の連載の大反響に驚いて2冊の発行となったそうです。確かに私はマニアを名乗るのもおこがましい浅学で、出雲となると遠すぎて土地勘ゼロ、っていうか関西以西...
ニニギは栄える子孫を得ましたが、神の寿命を子々孫々に渡って永遠に失いました。ホムチワケは言葉を話せるようになりましたが、子を得ることは出来ませんでした。垂仁帝に寵愛されていましたが、天皇の位を継ぐこともありませんでした。元々、ホムチワケは垂仁帝の最初の皇后・狭穂姫の子で、その狭穂姫は謀反を起こした兄・狭穂彦と運命を共にしてしまい、その後に次の皇后・ヒバスヒメが立てられていますから、ヒバスヒメの子が...
父と息子、どっちも日向の長い姫を妃に迎えてるんだし、応神=仁徳なんじゃないかと思えてきた……元々この親子は事績が被っていることから同一説があるんですね。じゃあ、《長い姫》にはどんな意味、役割があるんだろう?と考えてみます。個人的には、イワナガヒメの場合は醜かったから返されたのではなく、異形だったからニニギが尋常じゃない怖れ方をしたんだと思っています。例えば、見るなの法則をお約束通りに破った山幸彦です...
応神天皇が日向から妃を手に入れようとしたのは、単に美女だからと言う俗っぽい理由だけではなく、政治的な意図があったと見るべきでしょう。ズバリ言えば、髪長媛は人質みたいなものです。日向の勢力を従えておく必要があった、ということです。でも、私は髪長姫と磐之媛は同体だと思っています。髪長姫の父に当たる人の役職が、この時しか出て来ない=つまり存在したかよく分からない人だからです。創作だとしても、「磐」と「長...
実は、神代で具体的な物語に登場する阿多の女性は、いずれもろくな目に遭っていません。1.コノハナサクヤヒメ(神阿多都比売) ニニギに不貞を疑われ嘲われたので、火中出産という危険を冒すことになる。 日本書紀によると、3人の子を無事に産んだだもののサクヤヒメの怒りや恨みは消えず、ニニギと不仲になり離婚を暗示させる描写も在る。出雲のヤシマジヌミもしくは播磨の伊和大神に嫁いだという伝承もある(古事記の系図で...
仁徳天皇が皇子時代に日向髪長媛を父・応神天皇から譲られたのは、スサノオから愛娘スセリヒメを託されたのに似ている。そして、皇后磐之媛と日向髪長媛の名とエピソードは、嫉妬深さを強調されたスセリヒメと日向の阿多にいたイワ ナガヒメの設定が混ざっている。髪長姫が殊更に入宮をに反対したのは八田皇女、スセリヒメの嫉妬を恐れて因幡に帰ってしまったのは八 上姫(ヤ ガミヒメ)。理由は様々今回省きますが、私はスセリヒ...