2024年11月1日 この日の城巡りは高知城と岡豊城で終了だったが、今回の四国旅...
多賀城 日本100名城 No.7 宮城県多賀城市市川 奈良時代、大和朝廷が蝦夷支配のため、大野東人に命じて現在の宮城県多賀城市に築かせた古代城柵。奈良時代から平安時代にかけて、役所である陸奥国府や軍事拠点である鎮守府が置かれ、11世紀中頃まで東北地方の政治・軍事・文化の中心地となる。9世紀初め、征夷
2日前に宮城入りして白石城、仙台城を訪れて、1日前は今回の遠征のメーンイベントである東北・みやぎ復興マラソンに参戦。目標としていた4時間30分以内は達成できず、4時間46分45秒でのフィニッシュとなった。もう1個所、残していた名城があったので、仙台でもう1泊してこの日、マラソンでボロボロになった両脚
仙台城 日本100名城 No.8 宮城県仙台市青葉区川内 1601年、伊達政宗が新たな居城として青葉山の上に築いた城。以後幕末まで伊達氏の居城・仙台藩の政庁となる。巨大な石垣の上に250m四方の本丸を誇るが、天守は築かれなかった。1639年、伊達忠宗が現在の東北大学川内キャンパスがある場所に二の丸を
白石城 続日本100名城 No.105 宮城県白石市益岡町 鎌倉時代に白石氏(刈田氏)の居館として建てられ、戦国時代、伊達氏が刈田郡を勢力下とするも、1591年、豊臣秀吉の奥州仕置により蒲生氏郷の所領となり、1598年に上杉景勝が会津入りするとその家臣の甘糟景継が城主となる。1600年、徳川家康の上
東北・みやぎ復興マラソンに出場するために、仙台へ。今回の遠征の主目的はマラソンだが、宮城の100名城・続100名城はいずれも未登城だ。全部で3つと数も多くないので、ついでに訪れることにした。往路。東京駅から東北新幹線に乗車するが、仙台までは行かずに福島で新幹線を下車。東北本線に乗り換え更に北上し、白
2023年10月38日 江戸城には100名城巡りを始めた2019年に訪れて100...
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2024年11月1日 この日の城巡りは高知城と岡豊城で終了だったが、今回の四国旅...
岡豊城 続日本100名城 No.180 高知県南国市岡豊町 信濃から土佐へ移住した長宗我部氏が13~14世紀に、国分川畔の岡豊山(標高97m)の上に築いた山城。戦国時代、長宗我部氏を含む「土佐七雄」が抗争を繰り返し、岡豊城は一度落城するが、1518年に長宗我部国親が復帰する。国親の子・元親の時代に長
高知城 日本100名城 No.84 高知県高知市丸ノ内 高知平野中心の大高坂山に築かれた平山城。南北朝時代に築かれた大高坂山城が基とされ、戦国時代には岡豊城の長曾我部氏が本拠をここに移そうと計画したこともあった。長宗我部氏が関ヶ原の戦いで敗軍の将となって改易され、代わって土佐に入って土佐藩を立てた山
3連休に有給休暇1日をプラスして4連休にして、四国へ。四国は伊予(愛媛)の100名城・続100名城は2021年に制覇していたが、その他の3県の名城はまだスタンプを1つも頂けていない。今回はその3件の名城制覇が目標だ。ただ、随分前から予定していた旅だったが、直前になって台風が日本をかすめる気配となり、
多気北畠氏城館 続日本100名城 No.153 三重県津市美杉町上多気 南北朝時代、南朝方だった伊勢国司の北畠顕能(田丸城を築いた北畠親房の三男)によって築かれた居館(多気御所)。西背後の霧山の上に築かれた詰城・霧山城と併せて「多気城」を構成する。跡地の北畠神社には国の名勝に指定されている庭園や「中
前日東京から乗車した夜行バスで朝の6時半頃、三重県・松阪駅に到着。松阪には前年12月に松阪城などの城巡りとみえ松阪マラソン出場のため既に訪れていたが、その時はマラソンの前後に訪れるには厳しい山城への登城を見送っていたので、今回はその時の「忘れ物」を回収しに来た格好だ。駅近くで朝食後、7時32分、JR
唐沢山城 続日本100名城 No.114 栃木県佐野市富士町 平安時代の927年、のちに平将門の乱を鎮撫する藤原秀郷が下野国押領使を叙任し関東に下向して唐沢山に城を築いたのが始まりとされる。その後一時廃城となるが、1180年、秀郷より数えて9代の俊綱の弟・成俊が再びここに城を再興し、城は鎌倉時代に亘
栃木の名城もあと1つ。13時43分、JR両毛線に乗車して足利を出発。13分で佐野駅に到着し、下車。次の目的駅にコインロッカーが無いため、ここでコインロッカーに荷物を預ける。そのまま乗り換えようと東武線の改札に向かうと、「城山公園口」と書かれた案内板が目に入った。「城山」ということは、ここにも城があっ
金山城 日本100名城 No.17 群馬県太田市金山町 1469年、新田一族であった岩松家純により築城された山城。四方に延びる尾根を中心に金山を利用して曲輪とし、これを堀切・土塁・石垣や石敷きなどで固く守る難攻不落の名城だった。1528年頃に横瀬泰繁・成繁(のち由良に改姓)親子が城主の岩松昌純を殺害
足利氏館 日本100名城 No.15 栃木県足利市家富町 平安時代末期に、後の足利尊氏ら足利氏の祖・源義康が築いた居館。鎌倉時代初期、足利義兼が持仏堂、堀内御堂を建立して以降、真言宗大日派の本山であり、足利氏の氏寺である鑁阿寺(ばんなじ)として整備される。現在も館の名残である土塁や水堀が巡らされてい
群馬の名城を巡って前夜、県境を少し越えて栃木・足利駅前の宿で一泊。今回の名城巡り最終日は、栃木と、群馬で昨日行き切れなかった名城を巡る。早朝。まずは足利市内にある足利氏館(日本100名城 No.15)を訪れる。足利氏館は平安時代末期に、後の足利尊氏に始まり室町幕府の将軍を歴任した足利氏の祖・源義康が
沼田城 続日本100名城 No.116 群馬県沼田市西倉内町 利根川と薄根川の合流点東の台地上に1532年、沼田顕泰により沼田氏の拠点として築城された丘城。1560年、長尾景虎(上杉謙信)に落とされ、以後軍事上の重要拠点として上杉氏・後北条氏・武田氏の間で争奪戦が行われる。1580年、沼田城は武田方
名胡桃城 続日本100名城 No.115 群馬県利根郡みなかみ町下津 利根川と赤谷川の合流近くの断崖部に築かれた山城。1492年に沼田城の支城として上野沼田氏によって名胡桃館が築かれたのが最初とされる。1579年、武田勝頼が家臣の真田昌幸に命じて、後北条氏から沼田領を奪取するための前線基地として、昌
群馬・渋川から西方向の岩櫃城探訪を終えてJR吾妻線で、一旦渋川に帰還。渋川駅前の店で昼食を頂いた後、今度は上越線に乗車して北へと向かう。午後から目指したのは、名胡桃城(続100名城No.115)と沼田城(続100名城No.116)。いずれも岩櫃城同様、真田氏ゆかりの城で、後北条氏などの度重なる侵攻に
岩櫃城 続日本100名城 No.117 群馬県吾妻郡東吾妻町原町 群馬県吾妻川北岸の岩櫃山中腹に築かれた山城。伝説では、この地を鎌倉時代に治めた吾妻太郎助亮が築城したと伝わる。戦国時代に吾妻氏の子孫と称する斉藤憲次が岩櫃城を奪い、その子である斉藤憲広は上杉氏に属し、岩櫃城を拠点として吾妻郡一帯の地侍
群馬・渋川駅に隣接している宿で朝を迎える。予定の列車は6時50分発だが、宿の朝食は6時30分から。カレーライスに玉子焼き2切れを大急ぎで書き込んで駅へと向かう。 乗った路線は、西へ向かう吾妻線。40分ほどで到着した郷原駅で下車すると、北の空の下に奇岩をむき出しにした岩櫃山が屹立している。今回目指す名
箕輪城 日本100名城 No.16 群馬県高崎市箕郷町東明屋 戦国時代中期の16世紀前半、上野国西部を支配していた長野氏により榛名白川河畔の丘陵地に築かれた平山城。東西約500m、南北約1100m、面積約47haに及ぶ。長野氏は上杉氏(謙信)の後ろ盾を得て箕輪衆と呼ばれる在郷武士団を束ね、度々繰り返
忍城 続日本100名城 No.118 埼玉県行田市本丸 1478年ごろ、地元の豪族・成田正等・顕泰父子がこの地を支配していた扇谷上杉家に属する忍一族を滅ぼし、築城したといわれる。広大な沼地に島や自然堤防を巧みに利用して建造され、難攻不落の名城と呼ばれる。1479年、扇谷上杉家に忍城を攻められるも同家
夏。特に2024年の夏は「観測史上最高の暑さ」と言われた。そんな夏真っ盛りのこの日、私が下り立った駅はよりによって「日本一暑い街」ともいわれる埼玉の熊谷駅だった。なぜ一番暑い夏の一番暑い街に来てしまったのか...それは、これから始めようとしている北関東の群馬・栃木の城巡りはJRの在来線を多用すること
9時41分、御殿場ルート頂上から下山開始。吉田ルートしか下ったことが無ければ「下りは楽」と考えてしまうだろうが、それ以外のルートでは「下りだから楽」ということは無い。確かに息は楽だが、岩がち且つ砂がちで勾配のある御殿場ルートでは、下りで足を踏み外したり滑らせたりしてしまうリスクがある。下りだからこそ
仙台城 日本100名城 No.8 宮城県仙台市青葉区川内 1601年、伊達政宗が新たな居城として青葉山の上に築いた城。以後幕末まで伊達氏の居城・仙台藩の政庁となる。巨大な石垣の上に250m四方の本丸を誇るが、天守は築かれなかった。1639年、伊達忠宗が現在の東北大学川内キャンパスがある場所に二の丸を
白石城 続日本100名城 No.105 宮城県白石市益岡町 鎌倉時代に白石氏(刈田氏)の居館として建てられ、戦国時代、伊達氏が刈田郡を勢力下とするも、1591年、豊臣秀吉の奥州仕置により蒲生氏郷の所領となり、1598年に上杉景勝が会津入りするとその家臣の甘糟景継が城主となる。1600年、徳川家康の上
東北・みやぎ復興マラソンに出場するために、仙台へ。今回の遠征の主目的はマラソンだが、宮城の100名城・続100名城はいずれも未登城だ。全部で3つと数も多くないので、ついでに訪れることにした。往路。東京駅から東北新幹線に乗車するが、仙台までは行かずに福島で新幹線を下車。東北本線に乗り換え更に北上し、白
2023年10月38日 江戸城には100名城巡りを始めた2019年に訪れて100...
新高山城 続日本100名城 No.173 広島県三原市本郷町本郷 鎌倉時代に、現在の広島県三原市本郷の沼田川東岸に建てられた小早川氏の居城・高山城の副塁として、対岸(西岸)の山に建てられた山城。戦国時代、毛利元就の息子・小早川隆景が小早川家を継いで、新高山城を拡張して本拠とする。1596年、隆景は本
三原城 続日本100名城 No.172 広島県三原市城町 戦国時代、毛利元就の子・小早川隆景が現在の広島県三原市の沼田川河口エリアに築いた水軍施設が始まり。織田信長の中国攻めの際は毛利輝元がここに本陣を置く。豊臣秀吉に服従後、隆景は福岡に封ぜられるが、子の秀秋に家督を譲って三原城を隠居城とする。隆景
福山城 日本100名城 No.71 広島県福山市丸之内 江戸時代初期、現在の広島県福山市に封ぜられた譜代大名・水野勝成が西国外様大名への牽制に築いた城。層塔型5重6階の天守が建てられ、一国一城令発布後に築かれた最後の大規模近世城郭となる。水野氏の後も松平氏、阿部氏と譜代大名が治めた。明治の戊辰戦争で
岡山3日目。岡山の100名城・続100名城は前日までに制覇していたが、岡山には、広島県東部の三原まで4200円で3日間列車乗り放題の「岡山ワイドパス」というお得な切符があり、初日、2日目と、この切符で城巡りをしてきた。東広島にもこの切符で行くことができる城があるので、この日はそちらを目指すことにする
鬼ノ城 日本100名城 No.69 岡山県総社市奥坂、黒尾 岡山県総社市の、標高400mの鬼城山(きのじょうさん)に、大和朝廷によって7世紀後半に築かれた古代山城。倭(日本)の防衛のために築かれた施設の1つだが、史書に記載が一切無く具体的な歴史は不明。周囲を土塁で囲み、要所に石垣(特に屏風折れの石垣
備中高松城登城を達成し、備中高松駅から吉備線(桃太郎線)で1つ総社駅寄りの服部駅に移動する。小さな無人駅を出るとすぐ、次に目指す鬼ノ城(100名城 No.69)を確かに見ることができた。(直線距離で)4㎞先の鬼城山の上に...しかも服部駅からの標高差は350m。中間地点の砂川公園までは平坦に近いが、
備中高松城 続日本100名城 No.171 岡山県岡山市北区高松 備中松山城を本拠に備中を治めていた戦国大名・三村氏の命で石川氏が築いた城。1575年の備中兵乱で石川氏が三村氏とともに毛利氏に滅ぼされた後は、三村氏から毛利氏に臣従した清水宗治が城主となる。1582年、織田信長の家臣・羽柴秀吉の中国攻
備中松山城 日本100名城 No.68 岡山県高梁市内山下 岡山・高梁の臥牛山(松山)の山頂近くに秋庭氏が鎌倉時代に建てた城をベースに、戦国時代、三村氏が拡張する形で築いた山城。江戸時代初期、水谷勝宗によって3年がかりで修築され、今の天守の姿になる。戦に備えて築かれた「詰の城」で常用はされず、江戸時
朝一番の7時半前に伯備線の列車に乗り込んで岡山駅を出発。武家屋敷で有名な倉敷を経由(既に過去に2度訪れていたこともあり今回は通過)して、8時18分、備中高梁駅に到着。時間によっては登城口までバスもあるのだが、この時間帯は生憎バスが無く、2㎞弱の道を歩いて向かう。駅を出発して程なくして、目指す備中松山
津山城 日本100名城 No.67 岡山県津山市山下 室町時代中期に山名忠政が築いた鶴山城が原型。一度廃城となるが、1603年に津山藩主に封ぜられた森忠政(織田信長家臣・森可成の六男)が、13年の歳月をかけて今の形に築いた城。4重5階地下1階の層塔型天守のほか、櫓、城門などを合わせ80余棟が建ち並ぶ
岡山城 日本100名城 No.70 岡山県岡山市北区丸の内 戦国時代に岡山の地を支配した宇喜多直家が居城とし、息子の秀家が継ぐが関ケ原の戦いで西軍につき敗れて八丈島に流され、その後を関ケ原の戦いで西軍を寝返り東軍を勝利に導いた小早川秀秋が入る。しかし秀秋が死去し小早川家が断絶したため池田輝政の次男忠
午前10時前、羽田空港からのJAL便で岡山に到着。今回の城巡りは岡山と、東広島の8城を目指す。リムジンバスで岡山駅へ。駅近くの宿に大きな荷物を預け、岡山市コミュニティサイクル「ももちゃり」を活用して早速、1つ目の城・岡山城(100名城 No.70)へと向かう。岡山城は戦国時代、宇喜多直家・秀家親子、
大垣城 続日本100名城 No.140 岐阜県大垣市郭町 美濃守護・土岐一族の宮川吉左衛門尉安定により、1535年に創建されたと伝えられる。戦略上重要な地点であったため、戦国時代には争奪戦が繰り返され、織田氏、斎藤氏、織田氏と支配権が移り変わる。賤ヶ岳の戦いの後は羽柴秀吉配下となり、池田恒興・輝政親
玄蕃尾城 続日本100名城 No.140 福井県敦賀市刀根、滋賀県長浜市余呉町柳ケ瀬 福井県と滋賀県境の柳ヶ瀬山の尾根上に築かれた山城。織田信長の死後、羽柴秀吉と柴田勝家が争った賤ヶ岳の戦い(1583年)において、柴田勝家の本陣が置かれた。曲輪・櫓台・土塁・虎口・空堀・土橋など保存状態が良好で、当時
佐柿国吉城 続日本100名城 No.139 福井県三方郡美浜町佐柿 戦国時代、若狭国と敦賀国の国境の「城山」に、武田氏重臣の粟屋勝久が築いた山城。越前国の朝倉氏の度重なる来襲を退け、「難攻不落の城」として称えられた。1570年、朝倉攻めに向かう織田信長率いる3万の軍勢を迎え入れ、木下藤吉郎、徳川家康
小谷城登城を達成し、河毛駅に戻って北陸本線で更に北へ向かう。近江塩津で列車を乗り継ぎ、滋賀県を越えて福井県へ。敦賀で小浜線に乗り換え、今度は西へ進む。美浜駅で下車。駅に併設された観光案内所でレンタサイクルを借りて、線路沿いに東へ20分進む。次に目指すは、佐柿国吉城(続100名城 No.139)。戦国