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二十四孝に会いに行く! https://shousin.hatenadiary.org/

社寺巡りをしていると、お堂や社殿に彫刻が施されているのを見ますよね!日本の神話や中国の仙人、鳥や動物。その中でも中国の孝子たち、「二十四孝」の彫刻に絞って見ていきます。

小心
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2019/09/30

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  • 加須市 龍蔵寺山門・6 楊香(たぶん)

    さて肉眼では見にくい、上段の蟇股に取り掛かります。まずは山門正面から。山号の「古佛眼山」と書かれた額が掛けられています。 蟇股は4つ。 中央の額には葵の御紋。この額の右側の蟇股彫刻が二十四孝メンバーっぽいです。 パッと見、大舜かなと思いましたが。左にある白い部分が何なのか・・・。 大舜なら象がいる位置だけど、象にしては変な形よね。服装と手つきが下の絵と似ているので楊香かもしれません。楊香だとしたらお父さんは破損しちゃったのかな。左の白い部分は虎のお尻と尻尾ということでいいのかしら。額を一瞬外していただけると有難いんだけど(笑) 「二十四孝諺解」の楊香 ARC古典籍ポータルデータベースより 右端…

  • 加須市 龍蔵寺山門・5 曽参

    山門側面、ブロック塀側の下段左側の蟇股彫刻は曽参。 指を噛んでいるお母さん、破損前はどんな顔だったのかしらね。 薪が曽参のトレードマーク。二つの束は棒で繋がってますね。 二十四孝諺解の曽参。 ARC古典籍ポータルデータベースより

  • 加須市 龍蔵寺山門・4 庾 黔婁

    山門下段蟇股の二十四孝は残り二つとなりました。朱寿昌・閔子騫ペアとは反対の面、ブロック塀のあるほうの面です。 蟇股は上段と下段、二つずつ。 下段の二つはこちら。 右から見ていきます。庾黔婁ですね。左下は波が打ち寄せてるところです。庾黔婁の背後は山ですね。本の挿絵ではこのように崖みたいなところで祈っていることも多いです。 庾黔婁、庾 黔婁の前には祭壇、庾 黔婁の後ろにはお供えか何かを持つ童子が座っています。 そして空には北斗七星。狭いスペースにしっかり必要なアイテムが揃っています。 「崖の上に祭壇を据え、北斗七星に祈る庾 黔婁とお供の童子」という内容が凝縮されてますね。 もしかしたら祭壇の手前の…

  • 加須市 龍蔵寺山門・3 唐夫人

    この画像は山門をくぐって、境内から山門を見上げています。 昨日ご紹介した「閔子騫」の「継母」は下段右端です。 中央は鳥。キジかしら??? そして下段の左側が唐夫人。 ARC古典籍ポータルデータベース二十四孝諺解より

  • 加須市 龍蔵寺山門・2 閔子騫

    山門をくぐって、瓦葺の塀のある側へ回ります。瓦屋根に近い、下段左側の蟇股。 右は昨日ご紹介した朱寿昌、左が閔子騫です。 こちらが奥さんを追い出したお父さん。 これぞ閔子騫の決めポーズ。 本当なら閔子騫の指さす方向には父親に追い出された継母と乳児幼児がいるはずなのですけれど、なぜか朱寿昌を指さしてます。では継母親子はどこにいるのでしょう。 継母たちはこの白い丸の位置にいます。山門の本堂側、下段右端。黄色は閔子騫父子。 ねっ、ねっ、これ赤ちゃん抱いた継母と幼児の三人ですよね。 これも前回は「タイトル不明」で処理してました。閔子騫父子と並んでいないと難しいですね。 赤ちゃんを抱っこしながら後ろを振り…

  • 加須市 龍蔵寺山門・1 朱寿昌

    通りから参道に入り、山門を見上げます。蟇股は上に4つ、下に3つありますね。 まず見やすい下の段から見ていきます。 ↑こういう感じで3つ並んでいます。 一番右はこちら。これは仙人ですね。鉄拐仙人かな? 中央の彫刻がこちら。鳥ですね。何の鳥かしら。水鳥っぽいです。 そして左の彫刻がこれです。 前回記事にしたときは「タイトル不明」で処理してました。今回も山門の前でしばし悩みました。 人物が二人。左の人物は右の小柄な人物に手を引かれ介助をされている感じ。手を引かれるシーンがある二十四孝といえば「黄香」もしくは「朱寿昌」。介助されているのが男性なら「黄香」だけど、この左の人物はお団子頭で女性のよう。とい…

  • 埼玉県加須市 龍蔵寺(りゅうぞうじ)山門

    明日からは埼玉県加須市の無着山 龍光院 龍蔵寺(むちゃくさん りゅうこういん りゅうぞうじ)の二十四孝彫刻をご紹介していきます。 山門の蟇股にたくさん彫刻があります。彫刻は二十四孝のほかに仙人、鳥など混在しています。 えー、こちらの山門の彫刻は以前いくつか紹介したことがあるのですが、自分で撮った写真がほとんどピンボケで、なおかつ当時の知識不足も相まって、途中で記事を書くのを投げ出してしまったのでした。先月リベンジ撮影に行ってきましたので改めて掲載しなおします(以前の記事は削除しました)。 ふっふっふ・・・。蟇股がたくさんありますね。正面から見ただけでも上段(額の掛かっている段)に4つ、下段に3…

  • 書籍/二十四孝教近道(北尾重政二世1832)・24 呉猛(完)

    ラストは呉猛。親に自分の着物を着せて、自分は蚊に悩まされる呉猛。お父さんは平気な顔して寝てます。 国立国会図書館デジタルコレクションより 夏夜無帷帳 蚊多不敢揮 恣渠膏血飽 免使入親闈 呉猛(ごもう) 呉猛は 八才にして孝ある人なり いへまづしくして よろづにこころたらざりけりさればなつになりけれども帷帳もなし 呉猛みづから思ひけるは わがころもをぬぎおやにきせ わが身はあらはにして蚊にくはせたらば蚊もわが身をくはば おやをたすけんと思ひすなはちいつも よもすがらはだかになりわがみを蚊にくはせおやのかたへ蚊のゆかぬやうにして つかへたるとなりいとけなきもののかやうに孝行はふしぎなりし事どもなり…

  • 書籍/二十四孝教近道(北尾重政二世1832)・23 田真・田廣・田慶

    親の遺産の木を伐って三人兄弟で分けようとしたものの、木が悲しんで枯れ始めたので伐るのをやめました。すると木は元気を取り戻しました。 国立国会図書館デジタルコレクションより 海底紫珊瑚 群芳総不如春風花満樹 兄弟復同居 田真 田廣 田慶(でんしん でんくはう でんけい) 此三人は兄弟なり親におくれてのち 親の財宝を三つにわけてとれるが庭前に紫荊樹とて 枝葉さかへ 花もさきみだれたる木一本ありこれをも三つにわけてとるべしとて 夜もすがら三人評議しけるが夜すでにあけければ 木をきらんとて 木の下へいたりければきのふまでさかへたる木が にはかにかれたり 田真これを見てさうもく(草木)こころありて きり…

  • 書籍/二十四孝教近道(北尾重政二世1832)・22 黄山谷

    この絵を見ると漢文帝みたいな黄山谷。 国立国会図書館デジタルコレクションより 貴顕聞天下 平生孝事親 汲泉涓溺器 婢妾豈無人 山谷(さんこく) 山谷は宋の世の詩人なり 今にいたりて 詩人の祖師といはるる人なりあまたつかひ人もおほく またつまもありといへどもみづから母の大小便の うつはものをとりあつかひてけがれたるときは手づからこれをあらひて母にあたへ あさゆふよくつかえて おこたる事なしされば一をもつて万をしるなれば そのほかの孝行おしはかられたるとてこの人の孝義 天下にあらはれたるとなり此山谷の事は 余人にかはりて 名のたかき人なり ーーー

  • 書籍/二十四孝教近道(北尾重政二世1832)・21 張孝張礼

    兄弟愛の深さを感じる張孝と張礼のお話。親孝行な部分は、自分が殺される前に母にご飯を食べさせたい、と盗賊に懇願したところでしょうね。 国立国会図書館デジタルコレクションより 偶値緑林児 代烹云痩肥人皆有兄弟 張氏古今稀 張孝 張礼(ちやうかう ちやうれい) 張孝張礼は兄弟也 世間の飢饉の時に 八十あまりの母を養へりこのみをひろひに行きたれば 一人のたえつかれたる者来つて 張孝(正しくは張礼?)を殺してく喰らはんといへり張礼いふやうは 我老たる母をもてり今日いまだ食事を参らせず候ほどに暇たまはれ 母に食事を参らせ やがて参らんもし此約束たがへば家に来て 一族迄殺し給へといひて約束のごとく彼者の所へ…

  • 書籍/二十四孝教近道(北尾重政二世1832)・20 陸績

    けなげな孝行息子の陸績。出されたおやつの果物を袂に入れて母の為に持ち帰りますが、見とがめられて弁明しているところです。 国立国会図書館デジタルコレクションより 孝悌皆天性 人間六歳児 袖中懐緑橘 送母報含飴 陸績(りくせき)字 公紀(あざな かうき) 陸績 六歳のとき 袁術といふ人の所へゆき侍り袁術 陸績がために 菓子にたちばなを出せり陸績これを取て 袖にいれてかへるとて袁術に礼をいたすとて たもとよりおとせり 袁術 是を見 陸績どのは おさなき人に似あはぬことといひはべりければあまりに見事なるほどに 家にかへり 母にあたへんためなりと申はべり袁術これをききて おさなきこころつけ 古今まれなり…

  • 書籍/二十四孝教近道(北尾重政二世1832)・19 庾 黔婁

    父の病気が治るように北斗の星に祈る庾黔婁。 国立国会図書館デジタルコレクションより 到縣未旬日 椿庭逢疾深願持身代死 北望啓憂心 庾黔婁(ゆきんらう) 庾黔婁は 南斉のときの人なり 孱陵といふ所の官人になつて すなはち孱陵県へ至りけるがいまだ十日にもならざるが たちまちに むなさはぎしけるほどに父の病みたまふかと思ひ 官を捨ててかへりければあんのごとく大にやめり黔婁 医者によしあしをとひければ 医師 病者の糞をなめて見るにあまくにがからばよかるべしとかたりければ黔婁やすき事なりと なめて見ければ あぢはいよからざりけるほどに 死せんことをかなしみほくとの星にいのりかけて 身がはりにたたんことを…

  • 書籍/二十四孝教近道(北尾重政二世1832)・18 蔡順

    桑の実を分別していたので命拾いした蔡順。 国立国会図書館デジタルコレクションより 黒椹奉親闈 啼飢泪満衣赤眉知孝順 牛米贈君帰 蔡順(さいしゆん) 蔡順は汝南といふ所の人なり王莽といへる人の時分の末に天下大にみたれ又飢饉して 食事に乏しければ 母のために くわのみをひろひけるが 熟したると熟せざるとをわけたり此とき世のみだれにより 人をころし はきどりなどする者ども来て蔡順に問ふ様は なにとて二色にひろひ分けるぞといひければ蔡順 ひとりの母をもてるが この熟したるをは母にあまへ(あたへ?) 熟せざるは我ため也と語りければ 心つよきふ道(不道)のものなれども かれが孝をかんじて米二斗と 牛のあし…

  • 書籍/二十四孝教近道(北尾重政二世1832)・17 剡子

    鹿の皮をかぶって山の中へ入った剡子。猟師に討たれそうになります。 国立国会図書館デジタルコレクションより 老親思鹿乳 身掛褐毛衣若不高声語 山中帯箭皈 剡子(ぜんし) 剡子は親のために 命を捨てんとしける程の 孝行なる人なり其故は 父母おいて ともに両眼を煩し程に 目の薬なりとて鹿の乳をもとめたり 剡子 元より孝なる者なれは 親の望をかなへんと思ひすなはち鹿のかはをきて あまたむらかりたる鹿の中へまきれいり侍れは 狩人これを見て まことの鹿そと心得て弓にてゐんとしけりそのとき剡子 是はまことの鹿にはあらす剡子といふものなるか 親の望をかなへたく思ひいつはりて鹿のかたちとなれると こゑをあげてい…

  • 書籍/二十四孝教近道(北尾重政二世1832)・16 朱寿昌

    母親と感動の再会、朱寿昌。 国立国会図書館デジタルコレクションより 七歳生離母 参商五十年一朝相見面 喜気動皇天 朱寿昌(しゆじゆしやう) 朱寿昌は 七さいのとき 父そのははをさりけりさればその母をよくしらざりければ この事をなげきはべれどもついにあはざること五十年におよべり朱寿昌 官人なりといへども 官禄をもすて 妻子をもすて秦といふ所へたづねにゆきけるとて母にあはせて給へとみづから身より血をいだし 経をかきて 天道へいのりをかけて たづねたれば こころざしのふかきゆへに ついにたづねあへるとなり ーーー

  • 書籍/二十四孝教近道(北尾重政二世1832)・15 郭巨

    生活が苦しいのはこの子のせい、といわんばかりの郭巨の行動。自分の仕事を増やそうとか変えようとかは考えません。子どもを埋める一択。 国立国会図書館デジタルコレクションより 貧乏思供給 埋児願母存黄金賜天所 光彩照寒門郭巨(くわくきよ)郭巨は 河内(かだい)といふ所の人也 いへ貧しうして母を養へり妻一子を生みて 三歳になれる 郭巨が老母 彼孫をいつくしみ わが食事をわけあたへける 或時郭巨 妻に語る様は貧しければ 母の食事さへ心に不足と思ひしに その内を分けて孫にたまはれば 乏しかるべし これ偏にわが子のありし故也所詮汝と夫婦たらは 子ふたたび有べし母はふたたび有べからず此子を埋(うづみ)て母をよ…

  • 書籍/二十四孝教近道(北尾重政二世1832)・14 王裒

    雷が苦手だった母親のために、母の死後も雷が鳴るたびにお墓に来る王裒。 国立国会図書館デジタルコレクションより 慈母怕雷聞 氷魂宿夜臺阿香時一震 到墓遶千回 王裒(わうほう) 王裒は営陰といふ所の人なり父の王義 不慮の事によりて 帝王よりはつと(法度)におこなはれ死けるを恨みて 一期のあゐだ その方へはむかふて座せざりしとなり父の墓所にゆき ひざまつき礼拝してかしはの木に取付て泣きかなしむ程に涙かかりて木も枯れたり母は平生 雷をおそれたる人なりければ 母むなしくなれる後にも 雷電のしける折には いそぎ母の墓所へゆき王裒これにありとて 墓をめぐり 死したる母にちからをそへたり かやうに死してのちま…

  • 書籍/二十四孝教近道(北尾重政二世1832)・13 黄香

    父親の寝具を扇いで涼しくしている黄香。お上が立札まで立ててくれました。介護やーめた、なんて言いにくくなるわね。 国立国会図書館デジタルコレクションより 冬月温衾暖 夏天扇枕涼児童知子職 千古一黄香 黄香(わうきやう) 黄香は 安陵といふ所の人なり 九歳のとき母におくれ 父によくつかへて ちからをつくせり されば夏のきはめてあつき折には まくらや床(とこ)をあふいで すずしめて 又ふゆのいたつてさむき時には ふすまのつめたき事をかなしむとてわが身をもつて あたためてあたへたりかやうに孝行なるとて太守列護(劉讙?)といひし人ふだをたてて かれが孝行をほめたるほどにそれよりして人みな黄香こそかうかう…

  • 書籍/二十四孝教近道(北尾重政二世1832)・12 董永

    天に帰る織姫を見送る董永。董永の脇には鍬と反物。 国立国会図書館デジタルコレクションより 葬父貸方兄 天姫陌上迎織絹償債主 孝感尽知名 董永(とうゑい) 董永は いとけなきときに母にはなれ家 貧にして常に人にやとはれ農作をし ちん(賃)をとつて日をおくりたり父老いて足もたたざれば 小車をつくり 父を乗せて 田のあぜにおいて やしなひたりある時父におくれて葬礼をととのへたく思ひはべれども元よりまづしければ叶はず料足十貫に身をうり 葬礼をいとなみけりさて かの銭主のもとへゆきけるが 道にて一人の美女にあへりかの人董永がつまになるべしとて ともにゆきて一月にかとりの絹 三百匹 織りて主のかたへ返した…

  • 書籍/二十四孝教近道(北尾重政二世1832)・11 楊香

    父を守る楊香、娘を守る気ゼロの父親。 国立国会図書館デジタルコレクションより 深山逢白額 努力搏腥風父子倶無恙 脱身纔口中 楊香(ようきやう) 楊香はひとりの父をもてり ある時父とともに山中へゆきしにたちまちあらき虎にあへり 楊香父のいのちをうしなはんこ事をおそれて虎を追ひさらんとし侍りけれども かなはざる程に天の御あはれみをこひ ねがはくは わが命をとらにあたへ 父をたすけ給へとこころざしをふかくして いのりければ さすが天もあはれと思ひ給ひけるにや今までたけきけしきにて とりくらはんとせし虎 にはかに尾をすへてにげしりぞきければ 親子ともに虎口の難をまぬかれ つつがなく家に帰りはべるなりこ…

  • 書籍/二十四孝教近道(北尾重政二世1832)・10 唐夫人

    唐夫人。 国立国会図書館デジタルコレクションより 孝敬崔家婦 乳姑晨盥(梳?)此恩無以報 願得子孫如 唐夫人 唐夫人は しうとめ長孫夫人 年たけて よろづ食事 は(歯)にかなはざれば ち(乳)をふくめ あるひはあさごとに髪をけづり そのほかよくつかへて 数年よくやしなひはべりあるとき長孫夫人わづらひつきて このたびは し(死)せんと思ひ一門一家をあつめていへることは わが嫁 唐夫人の数年の恩情を報ぜずして今 死せん事のこりおほしわが子孫 此唐夫人の孝義をまねてあるならばかならず すへも繁昌すべしといひはべりかやうに しうとめに孝行なるは 古今まれなりとて人みなこれをほめたりとさればやがてむくひ…

  • 書籍/二十四孝教近道(北尾重政二世1832)・9 姜詩

    義母のために水を汲むお嫁さん。お姑さんの視線で背中が痛い。 国立国会図書館デジタルコレクションより 舎側甘泉出 一朝双鯉魚子能知事母 婦更孝於姑 姜詩姜詩は母に孝行なる人なり 母つねに江の水をのみたく思ひまた なまいを(生魚)の鱠(なます)をほしくおもへりすなはち姜詩 妻をして六七里の道をへだてたる江の水をくましめうをの鱠をよくしたためてあたへ夫婦ともにつねによくつかへりあるとき姜詩が家のかたはらに たちまちに江のごとくして水わきいで 朝ごとに水中に鯉ありこれすなはちとりて母にあたへりかやうのふしぎなることの ありけるは ひとへに姜詩夫婦の孝行を感じて天道よりあたへ給ふなるべし ーーー 八千戈…

  • 書籍/二十四孝教近道(北尾重政二世1832)・8 老莱子

    子どもになりきって踊る老莱子。 国立国会図書館デジタルコレクションより 戯舞学嬌痴 春風動(綵?)衣 双親開口笑 喜色満廷圍 老莱子 老莱子は二人の親につかへたる人なりされば老莱子七十にして 身にいつくしき衣をきておさなきもののかたちになり 舞ひたはふれ 又 親のために給仕をするとてわざと けつまづきてころび いとけなきものの泣くやうに泣きたりこのこころは 七十になりければ としよりて かたちうるはしからざるほどにさこそ このかたちを 親の見給はば わが子のとしよりたるをかなしく思ひ給はんことをおそれ また親の年もよりたると思はれざるやうにとのためにかやうのふるまひをなしたるとなり ーーー 高…

  • 書籍/二十四孝教近道(北尾重政二世1832)・7 王祥

    体温で氷を解かし、母親の為に鯉を捕まえて持ち帰った王祥。 国立国会図書館デジタルコレクションより 継母人間有 王祥天下無至今河水上 一片臥氷摸 王祥 王祥 いとけなくして母をうしなひ 父また継母をもとめ その名を朱氏といひはべり 継母のくせなれば 親子のなかをあしくいひなしてにくましはべれども うらみとせずして けいぼにもよく孝行をいたしける かやうの人なる程に もとの母 冬のきはめてさむき折ふしなま魚をほしく思ひける故に 肇慶府といふ所の川へ もとめにゆきはべりされども冬のことなれば こほりとぢて うを(魚)みへずすなはち衣をぬぎて はだかになり こほりの上にふし魚なき事をかなしみゐたれば …

  • 書籍/二十四孝教近道(北尾重政二世1832)・6 曽参

    母の身に何かあったのではと、薪を背負って山から飛んで帰ってきた曽参。 国立国会図書館デジタルコレクションより 母指纔方噛 児心痛不禁負薪帰来晩 骨肉至情深 曽参 曽参あるとき 山へ薪を取にゆきはべり 母るすにゐたりけるに したしき友来れりこれにもてなしたく思へども 曽参はうちにあらずもとより家貧しければかなはず 曽参がかへれかしとてみづから指をかめり曽参山に薪をひろひゐたるが にはかに むなさはぎしけるほどに いそぎいへにかへりたれば母ありすがたをつぶさにかたりはべりかくのごとく ゆびをかみたるが とほくへこたへたるは 一段の孝行にして 親子のなさけふかきしるしなりそうじて曽参の事は 人にかは…

  • 書籍/二十四孝教近道(北尾重政二世1832)・5 閔子騫

    冷たい継母の仕打ちにも黙って耐えた閔子騫。 国立国会図書館デジタルコレクションより 閔子有賢良 何曽照(怨?)晩娘尊前留母在 三子免風霜 閔子騫 閔子騫 いとけなくして母をうしなへり 父また妻をもとめて二人の子をもてり かの妻 我が子をふかく愛して 継子をにくみ 寒き冬の日も葦の穂を取りてきる物に入れて着せける間 身も冷へて たへかねたるを見て父 後の妻を去らんとしければ 閔子騫がいふやうは かの妻を去りたらば 三人の子さむかるべし今我一人寒さを こらへたらば 弟の二人は暖かなるべしとて 父をいさめたるゆへに これを感じて 継母ものちには へだてなく いつくしみ もとの母と同じくなれり ただ人…

  • 書籍/二十四孝教近道(北尾重政二世1832)・4 丁蘭

    亡くなった親の像を祀って毎日生きている人に対するように仕えた丁蘭。奥さんはしぶしぶ従ってます。 国立国会図書館デジタルコレクションより 刻木為父母 形容在日新寄言諸子姪 聞早孝其親 丁蘭 丁蘭は 河内の野王といふ所の人なり十五の年 母におくれ ながきわかれをかなしみ母のかたちを木像につくり いける人につかへぬるごとくせり丁蘭が妻 ある夜のことなるに 火をもつて 木像のおもてをこがしたればかさのごとくに はれいで 膿ながれて 二日をすごしぬれば妻のかしらの髪が 刀にてきりたるやうになりて おちたるほどにおどろいて わびことをするあいだ丁蘭もきどくに思ひ 木像を大道へうつしおき つまに三年わびこと…

  • 書籍/二十四孝教近道(北尾重政二世1832)・3 孟宗

    雪の中から生えてきたタケノコを収穫する孟宗。 国立国会図書館デジタルコレクションより 泪滴朔風寒 蕭々竹数竿須臾春筝出 天位報平安 孟宗 字恭武あざな けうぶ 或子恭 あるひはしけう 孟宗は いとけなくして父におくれ ひとりの母をやしなへり母年おいて つねにやみいたはり 食のあぢはひも たびごと かはりければ よしなきものを のぞめり ふゆの事なるに 竹の子をほしく思へり すなはち 孟宗 竹林に ゆきもとむれども ゆきふかき折なればなどかたやすく得べきひとへに天道の 御あはれみをたのみ奉るとて いのりをかけて大にかなしみ 竹によりそひける所に にはかに大地ひらけて 竹のこ あまた おへ出侍りけ…

  • 書籍/二十四孝教近道(北尾重政二世1832)・2 漢文帝

    漢文帝。着物や床、調度品まで模様が細かく描きこまれてます。 国立国会図書館デジタルコレクションより 仁孝臨天下 巍々冠百王漢廷事賢母 湯薬必親嘗 漢文帝 漢の文帝は 漢の高祖の御子なり いとけなき御名をば恒(ごう)とぞ申侍りき 母薄太后に孝行也よろづの食事をまいらせらるるときはまづみづからきこしめ召 こころみ給へり兄弟も あまた ましましけれども此みかどほど 仁義を おこなひ孝行なるは なかりけりこのゆへに 陳平周勃などいひける臣下達 王になしまいらせたりそれより漢の文帝と申侍りきしかるに孝行の道は 上一人より下万民まであるべき事也としるといへど 身におこなひ心に おもひ入ことはなりがたきをか…

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