中国の古典を読みその中の人物について感想をつづったものです。古典と言っても主として三国志、漢書(前漢書)などです。
王皇后が立てられて 9 年後、景帝が没し、王皇后の子 ( 徹 ) が帝位に就きます。これが歴史に名高い武帝です。王皇后は景帝の死後、皇太后になったのですが、皇太后の母親の 臧児が平原君 になります。父親の王仲は追尊され共侯となります。これだけなら驚かないですが、皇太后の父親の王...
前回、栗姫の生んだ皇太子である栄に、長公主が自分の娘を押し付けようとして断られた話を書きましたが、今度は長公主は娘を王夫人の息子にやる、という話を持ち掛けました。王夫人はこれを受け入れたのです。長公主を敵に回したくないという考えもあったとおもいます。 薄皇后が廃されたのがこ...
景帝の皇后となった薄氏には子供ができなかったのは前回書いた通りです。 しかし景帝には息子が 14 人もいました。すべて側室が生んだ訳です。そして薄氏の廃せられたあと皇后の空位時代がつづきました。景帝の時代に呉楚七国の乱がおきたのですが、そのあとで景帝は栗姫(リツキ)の生んだ...
漢書;外戚伝 第六十七上(5) -竇皇后(iii) 薄氏(追補)
竇皇后関係ではまだ偉くなった人がおります。竇皇后の従昆弟 ( 小竹さんの訳では“いとこ”と振り仮名されています。 ) の竇嬰 ( トウエイ ) で、魏基侯に封ぜられています。外戚としての竇氏から侯になれたのは竇氏の兄弟二人と従昆弟一人の合計三名です。なお、従昆弟は小竹さ...
さらに竇皇后の兄弟が被る恩恵があります。 竇姫はもともと良家の娘として呂后に選抜されたはずなのですが、その後の記述では竇皇后の兄である長君(おそらく字と思います。本名は書いてありません。)、その弟の広国、字は少君は微賤の身分の者として登場します。 広国...
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