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「観るだけ美術部」部長のブログ https://mirudakeartclub.hatenablog.com

「観るだけ美術部」勝手に部長です!最近描いていない、描いたことがない、美術展めぐりはすきだけど・・、そういう部員を募っています。入部希望者は、コメント欄にメッセージを残してくださいね。折り返し、勧誘に伺います(笑)。

「観るだけ美術部」部長
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2019/08/17

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  • [講演会]★ラース・クリスティアン・コッホ、アンリエット・ラヴォー・ヴィクレール「ウポポイ/国立アイヌ民族博物館開館5周年記念 ウィーン万博とアイヌコレクション展 オープニング記念講演会」

    (ウィーン万国博覧会とアイヌ・コレクション展) ★ラース・クリスティアン・コッホ、アンリエット・ラヴォー・ヴィクレール「ウポポイ/国立アイヌ民族博物館開館5周年記念 ウィーン万博とアイヌコレクション展 オープニング記念講演会」 ウポポイ/国立アイヌ民族博物館、2025年7月5日(土)10:00 (WEBサイト→) nam.go.jp 明治政府が国の威信をかけて初めて参加した1873年(明治6年!)のウィーン万国博覧会。西洋にはない精巧な美術工芸品を中心に、地域の物産を出品し、日本は国際舞台に躍り出ていくことになります。そのなかで、アイヌ・コレクションは北海道の物産として開拓使や博覧会事務局によ…

  • [特別展]★三岸好太郎と三岸節子 永遠のオマージュ展

    (三岸好太郎と三岸節子 永遠のオマージュ展) ★三岸好太郎と三岸節子 永遠のオマージュ展 北海道立三岸好太郎美術館、2025年6月28日(土)-8月28日(木) (WEBサイト→) artmuseum.pref.hokkaido.lg.jp 三岸好太郎の画業をかたわらで支えたのは、画家で妻である三岸節子(1905年-1999年)でした。節子は、好太郎の死後、3人の子どもを育てながら、戦中戦後を生き抜き、画家として成功をおさめます。手放した夫・光太郎の作品を手元に集めた節子は、好太郎の故郷・札幌に「小さな宝石箱のような三岸美術館を贈ろう」と決断。1967年(昭和42年)北海道発の美術館として北海…

  • [常設展]★三毛別羆事件関係資料ほか(苫前町郷土資料館 収蔵品常設展)

    (三毛別羆事件 復元地。文句なしに怖いです) ★三毛別羆事件関係資料ほか(苫前町郷土資料館 収蔵品常設展) 苫前町郷土資料館、常設展示(通年開館) (WEBサイト→) www.town.tomamae.lg.jp 苫前町においては、明治20年代の後半になると原野の開墾が始まりました。未開の原野への入植者がつづきましたが、掘立小屋に住み、粗末な衣服を身につけ空腹に耐えながら原始林に挑み、マサカリで伐採し、ひとくわひとくわ開墾したのでした。 1915年(大正4年)12月9日・10日両日、町内三毛別(三渓)で冬ごもり前の一頭のヒグマが、空腹から凶暴性を発揮し、10人の婦女子を殺傷(7人が殺され、3人…

  • [特別展]★アルフォンス・ミュシャとコマーシャルの時代展

    (アルフォンス・ミュシャ『ジョブ』、1896年、リトグラフ) ★アルフォンス・ミュシャとコマーシャルの時代展 北海道立帯広美術館、2025年6月14日(土)-7月6日(日) (WEBサイト→) artmuseum.pref.hokkaido.lg.jp (アルフォンス・ミュシャ『ジスモンダ(部分)』、1894年、リトグラフ) アルフォンス・ミュシャ(1860年-1939年)は、19世紀末から20世紀初頭にヨーロッパで起こった芸術運動「アール・ヌーヴォー」を代表する芸術家です。現在のチェコ共和国モラヴィア地方で生まれています。パリに移って、大女優サラ・ベルナールのポスターで一躍脚光を浴び、故郷に…

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