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2019/07/18

  • 2023_ふる里の桜

    今年もブロ友の角瓶28号さんが、ふる里の桜風景を送ってくださいました。かつてあった日鉄赤谷鉱業所社宅の在処を示す数少ない遺産の一つである桜の木も年を経るごとに一本また一本と老いて枯れ朽ちて減っていくようです。●赤谷小学校と桜と焼峰。この地を故郷とする諸人は、こぞって郷愁に陥る風景でしょう。●東赤谷の旧観月橋のたもとから飯豊方面を眺めます。●右側の桜は枯れてしまったようです。この桜は職員用の浴場の側に...

  • 菅生野2023早春

    定点撮影と言うと、テレビではよく都会の街並みの変化が映し出されます。それは破壊と再生の凄まじいばかりの移り変わり様です。大して時も経ずに訪れた街で過去の記憶を頼りに歩くと迷う事がしばしばあって、心が不安だらけになってしまいます。それを思うと我がふる里の景色を前にした心の安寧はどうでしょう・・・。何十年、何百年も変わらぬ風景に心が安らぎます。ちなみに昨年冬の景色です写真提供:バクロのあんにゃさん※画...

  • カタクリの花

    天気予報ではお天気の悪い日が続くらしい。今日の午前中は何とか晴れ間が出るというので埼玉小川町へ片栗の花を見に行く。行ってみれば片栗の花の盛りは過ぎていたが、水芭蕉や桜は見頃であった。散策途中にある寺の手水舎は花手水となっており、その造作に思わずうっとりと清々しくなる。...

  • 赤谷線鉄道開通記念赤谷名所絵葉書_19(新潟電気飯豊川第二堰堤上流の朴名橋)

    飯豊川(加治川)の渓谷は深い。その両岸を結ぶ橋はいく本かあるのだけれど中でも「朴名橋」は歴史的に一番古い橋ではないかと私は思っている。それに「朴名(ほうな)」という橋の名が、ここ数年来とても気になっている。名の由来は何なのか・・・、赤谷地方の歴史を綴る文献を調べても載っていないし著者によっては語源を研究中という書籍もあった。私のブログに多くの写真を寄せて協力してくれた同郷の人にA藤子さんという方が...

  • 1000年の家と50年前の私

    私の父方の家も母方の家も神職である。ただ父方の家の方は後継者が居なく家は絶えてしまった。両家とも新発田市蔵光にあって、現在も続いている母方の本家は現当主で四十九代目の神主である。神職であったが故にその系図は比較的はっきりしていて、先頃まとめられた家系図によれば1〜3代目ははっきりわからないものの4代目は天禄元年(970年)に神職に就ていたらしい。実に1053年も前の事である。私は働きに出た都会での...

  • 還山さんのふるさと

    明日はこの辺りでも降雪の予報が出ている。新潟の豪雪地帯の生まれで雪の苦労は散々知っており、現在雪国に住まわれている方には大変に失礼とは思いながらも私は雪の降るのを待っている。そしてなお楽しい気持ちさえ浮かんでいる。毎年訪れる3メートルを越える豪雪の季節でも、それが普通であり日常であったから側からは思える苦労も不便も感じることは無かった。ただただ大人はモクモクと働き、子供はユウユウと遊んだ。私と同郷...

  • 豊山三代

    初場所は貴景勝の優勝という一番落ち着きのある形で終えたが、何かどこか寂しい。それは豊山という四股名が取組板に見えず、また館内にその四股名が響く事が無くなったせいだろう。大雪で列車の運行がままならず大勢の人が新発田駅の待合室で運転の再開を待っていた。それは昭和40年頃であったろうか・・・、待合室の上部に設置されたテレビジョンは豊山対大鵬の取り組みを映していた。人々の全ての頭は同じ方向を向き、制限時間...

  • 菅生野の冬

    頂いた写真は、まるで定点観測のように季節の移ろいをはっきりと感じさせる。我が母校赤谷小学校の立つ菅生野の「田植えの春」「繁りの夏」「実りの秋」そしてこの度の「雪眠りの冬」・・・。季節感の乏しい、おぼろに時が過ぎて行く土地に住む私に、いま更に生きる活力を与えてくれそうだ。写真提供:バクロのあんにゃさん※画像などの無断使用はお断り致します。...

  • 令和五年正月の東赤谷に昭和を思う

    故郷の象徴である山の焼峰を仰ぎ見ている限り、それほどの歳月の移ろいを感じ無いのですが、いざ振り向いてかつての住居跡を見れば、そこは切ないばかりに六十年を経た風景が広がっているのです。●令和5年正月と昭和39年冬。東赤谷より東方飯豊山方面を望む。●令和5年正月と昭和41年冬。東赤谷より北方棚橋山方面を望む。●令和5年正月と昭和43年冬。東赤谷より西方新発田方面を望む。古い写真を見ると昔は現在より多く雪...

  • ふるさとの空

    雪国特有の鬱々とした雲が広がっています。野辺の草も生気を放ち終え、あとは雪に埋もれるを待つばかりです。かつての私は、紛れもなくこの風景の中で育ち生きていた訳ですが、今その時の心境を思い浮かべようとしても湧いてくるものはありません。ですがこの風景の醸し出す「気」は、私の人生の指標の一部に間違いなく存在している訳で、自分を語る上で大切な場所となっているのです。●旧日鉄社宅跡付近から●加治川治水ダムに通じ...

  • ふるさとと言う魂

    秋と冬の狭間の晩秋とも初冬とも言い表しても良いようなこの時期は、雪国生まれの私達にとってどこか哀愁のようなものが漂い故郷がひとしお恋しくなる季節なのかもしれない。さらに時を絞れば昼と夜の間の太陽と月が主役を交代するほんの数刻が、体の内に潜む故郷の魂みたいなものが覚醒される時間なのかもしれない。令和4年12月3日午後4時頃、新潟県新発田市大字東赤谷1046の1にて同地に産する者が撮影。※画像の無断使...

  • 晩秋の峠道

    県道14号新発田津川線の中々山から月岡方面の荒川剣竜峡に至る林道新発田南部線は平成21年の開通で私も一度通ったことがありますが、とても眺望の良い林道です。私の通ったのは夏頃で、秋になればさぞかし紅葉も美しいのではなかろうかと思ったものですが、先日晩秋の峠道の写真を頂いたので掲載致します。●峠道から焼峰・蒜場山・二王子岳、そして奥に飯豊連峰を望む。見える湖水は内ノ倉ダム湖。●紅葉が終われば人にも猿にも...

  • 東赤谷2022秋_その5(滝谷応援団と紅葉)

    私のブログには嬉しい事に、故郷に縁のある方が時折訪ねて下さいます。今日の写真もご両親が滝谷出身のM.Kさんが送ってくれたものです。M.Kさんは子供の頃よく滝谷に遊びに行き、時間に余裕のできた現在もしばしば滝谷に通っておられるようです。そして寂れていく滝谷集落に元気を取り戻そうと様々に活性化に尽力なされているとの事です。滝谷応援団との思いだそうで、私も応援いたします。●治水ダム上流方面。遠方に雪の被る山は...

  • 東赤谷2022秋_その4(加治川治水ダムと紅葉)

    当初はおらが古里にできた巨大なダムに大変な違和感を覚えたが、これも半世紀も経てば周囲の風景に溶け込んで穏やかな眼で眺めることが出来るようになった。写真提供:角瓶写真館IIさん。※画像などの無断使用は禁じます。...

  • 東赤谷2022秋_その3(鉱山遺構と紅葉)

    東赤谷駅から鉱山のある鉄山駅まで引かれていた日鉄赤谷鉱山専用線には、まだ僅かではあるが痕跡が残っている。昨日掲載した東赤谷連続洞門もその一つだが、飯豊川やその支流にかかる橋梁もそうである。特に使われなくなって半世紀以上経つ飯豊川橋梁は、紅葉の時期になんとも言えぬ趣を醸し出している。写真提供:角瓶写真館IIさん。※画像などの無断使用は禁じます。...

  • 東赤谷2022秋_その2(東赤谷連続洞門)

    子供頃、何気なく通っていた道も風景も年月を経て記憶が熟成されると、豊かな芳香を放つ思い出となるようだ。写真提供:角瓶写真館IIさん。※画像などの無断使用は禁じます。...

  • 東赤谷2022秋_その1(焼峰)

    私は山が好きだったので随分とあちこちの紅葉を見てきた。そして思うのだけれど贔屓目なしに私の故郷「東赤谷」の紅葉がトップクラスの美しさを持っている。その美しさをブログ「角瓶写真館II」さんが送ってくれた。いくつかに分けてお届けしたいと思う。●言わずと知れた焼峰ですが、私がいた頃より周辺に随分と広葉樹が増え広がり紅葉が見事になっているように思われます。写真提供:角瓶写真館IIさん。※画像などの無断使用は禁じ...

  • 上州の山は小春日和

    暖かくて穏やかな秋日和が続くので、、いてもたっても居られず久し振りに山に出かけて参りました。●山頂部はすでに紅葉は終わり冬を待つばかり。標高1000メートル付近で紅葉が盛りでした。...

  • 昭和の明治神宮球場

    日本シリーズ2022でヤクルト対オリックスの熱戦が続いておりますが、昨年と違い多くの観客も戻り、やっと日本シリーズらしくなってきました。第一戦・第二戦と明治神宮球場で試合は行われましたが、私もかつて一度だけ神宮球場に行った思い出があります。それは昭和46年(1971年)のこと、友人に誘われて行った6大学野球の早慶戦でした。そこで行われた両校の応援合戦にいたく感動したのを覚えています。...

  • 昭和41年、体育の日

    体育の日(スポーツの日)が国民の休日として制定された東京オリンピックの年から2年後の新発田市立赤谷中学校の運動会における応援風景である。今にも「フレー フレー し~ろ~ぐ~み。フレッフレッ し・ろ・ぐ・み」と聞こえてきそうな思いがする。赤谷中学校は2クラスしか無かったので、当然ながら「赤組」と「白組」の二組で対抗する。他の子は知らないが、私には赤は平家、白は源氏という思いがあって、赤組になるととて...

  • 加治川治水ダムより望む旧日曹飯豊鉱山下流集落

    新発田市街の東を流れる加治川は、そこから20キロ程も遡れば深く穿たれた険しい渓谷となる。源流となる飯豊山地に一度大雨が降れば、あっという間に平野部に流れ込み時には大水害を引き起こす。それを防がんとして建設されたのが加治川治水ダムであり、昭和42年に着工された。そして一つの鉱山街が一部を残してダムの底に沈んだ。その鉱山の名前は「日曹飯豊鉱山」。鉱山集落は二つの河岸段丘にあって上流集落は「かみ」、下流...

  • 赤谷、菅生野(すごうの)の実り

    時の移ろいは様々な事象で感ずる事ができますが、日本人としてはやはり稲作をめぐる変化に大いにそれを感じてきたのではないでしょうか。今からおよそ360年余前の万治年間、赤谷の菅生野(すごうの)新田は開かれたと伝えられています。現在に至るまで360回の稲刈りがあった訳です。そう言うと何だか短いのか長いのか分からなくなりますが、私の人生のおよそ5倍の長さと考えると、私自身はとてつもない長さに思えてきます。...

  • コロナ退散 神楽舞

    赤谷ではコロナ禍もあって中止されていた夏祭りが、今年は久し振りに開催されたようだ。伝統の神楽舞も披露されて、徐々に日常の生活が戻りつつあるのは嬉しいことです。●獅子頭に歴史の古さを感じる。(写真:バクロのあんにゃさん)●昭和39年(1964年)新潟国体において、上赤谷の本通りにて神楽舞が披露された。※画像などの無断使用は禁じます。...

  • 夏の終わり、菅生野。

    夏もいよいよ終わりを告げようとしている。帰郷した5月に田に植えられていた早苗も出穂を迎え、いよいよ実りに向かってまっしぐらのようである。赤谷に菅生野と呼ばれる台地がある。かつては水が引けずに荒れた土地であったが、水の豊富な隣村との交渉の末、念願叶い引水し豊かな水田となった。それが旧赤谷小学校を囲む一帯の水田である。ここの田んぼの景色は美しい。何が美しいのか考えてみるに、圃場整備されていないからと思...

  • 故郷とはなんぞや

    歳を取って来たせいか、最近故郷についてよく考えるようになった。今日もそうだ。5月に故郷で撮ってきた写真を見て、そこに写る田植えする人も私にとっては故郷なのだなと至極当たり前と言えば当たり前のようであるけれども、何か今発見したように新鮮な思いに浸されている。田植えしている本人にとっては、周りの風景は故郷と認めても自分自身が故郷という感覚はないはずで、そんな所に地元の人間と遠く他所に住む人間との間の故...

  • 74年前の夏

    以前にも書いたような気もするが、私が初めて海を見たのは小学校4年生の時の遠足においてである。もう記憶がおぼろであるが、確か新潟の白山神社から先生の引率の下、海辺に出たのであった。そのおぼろな記憶のうちに残っている風景は、松林の間からキラキラと輝く白く抜けた海と空が一体となったような光景である。そして何故か学帽を被った私が逆光となって、その光景を眺めているのである。以後再び海とまみえ、その塩っ辛い水...

  • 赤ちゃんコンクール

    赤ちゃんコンクールという言葉を聞かなくなってから久しい。以前は結構聞いたような気がしてネットで調べてみると、どうやら1960年代には終焉を迎えたようだ。「乳児の健全な育成と育児知識の普及を目指し、自治体やミルクメーカーなどの主催で盛んに各地で開催された」と新聞の記事にはある。廃止の理由は色々あるようだが、・栄養状態の改善と育児知識の普及により乳児死亡率が大幅に低下した。・スポンサーは乳業会社であり、そ...

  • 連絡用Yahooメールアドレス変更のお知らせ

    本ブログの連絡用にしておりましたYahooメールのアドレスが変更になりました。今後は以下のアドレスにお願い致します。yabukarasu@ymail.ne.jpよろしくお願い致します。...

  • 旅立ちの日と柳行李

    私には故郷を離れて以来、苦楽を共にしてきた友がいる。友の棲家は我が家の押入れの奥、半ば埃にまみれ中身も無く、くすみほつれて形骸を晒している。私が故郷を離れたのはかれこれ55年前、私の出立に先立って彼(柳行李)は一足先に都の落ち着き先に送られて行った。かの地で合流した後は、私の人生の歩みと共に6度の引越しを経て現在に至っている。昨日、このところ精を出している断捨離の中で、彼は久し振りに姿を現した。そ...

  • 飯豊川第一ダム工事殉死者追悼碑

    それはまさに森の中にひっそりと立っている。あたりは適度に明るく開け、木漏れ日が優しく石碑にあたる様は、刻まれた文字に反して心を和ませるかのようであった。大正四年八月建立工事殉死者追悼碑新潟水電株式会社と刻まれている。それを見てふと違和感を覚えたのは「殉死者」という文句だ。仕事で亡くなった場合の文句としては「殉職者」が常套句ではないだろうか・・・?、と思ったのである。あえて「殉死」と刻む所にこのダム...

  • 春が萌えています

    東赤谷は桜も終わり、新緑の美しい季節になりました。夏草の生い茂る前のほんのひと時の時季ですが、枯れ草と若葉の合間に往時の社宅の姿が垣間見られます。●飯豊川第一発電所と飯豊川(加治川)。2枚目は焼峰山。●日鉄社宅跡写真提供:バクロのあんにゃさん(4月30日)※画像などの無断使用は禁じます。...

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