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yabukarasuさんのプロフィール

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ブログタイトル
緑の谷・赤い谷
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https://yabukarasu.blog.fc2.com/
ブログ紹介文
新潟県にかつてあった鉱山と周辺の昭和の記録…と散歩。
更新頻度(1年)

16回 / 113日(平均1.0回/週)

ブログ村参加:2019/07/18

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yabukarasuさんの新着記事

1件〜30件

  • 道の行方(日曹飯豊下流集落と上流集落をつなぐ道)

    古里から遠く離れ、かつまた幾十年も経った身ではあるけれど、ふとした瞬間に幼い頃の記憶がよみがえることがある。それは顔にあたる風の強さや匂いであったり、知らぬ街や山里のちょっとした道のカーブに出会ったりした時などに、頭の中というよりは体の感覚として先ずよみがえる。だから正確に言えば脳が記憶として蓄えているわけではないので、通常の記憶と呼ばれているものとは別のものであるのかも知れない。ふわっとした感覚...

  • 東赤谷連続隧道(スノーシェッド)補修工事完了後の姿

    赤谷から加治川治水ダムに至る県道滝谷上赤谷線の途上に、この連続したトンネル(スノーシェッド)はある。かつての東赤谷集落から、およそ2キロの地点より4つのトンネルが連続して続く。最近それが「すごい産業遺産」として雑誌にも取り上げられ、単にトンネルとかスノーシェッドと言われていたものが「東赤谷連続隧道」といういかにも興味を引きそうな名で呼ばれているのに驚いた。その「東赤谷連続隧道」の補強工事が今年始ま...

  • 樽口峠にて

    曇天の中、樽口峠に行ってみたが紅葉にはちょっと早かった〜。早いと分かっては居ても、ざんね〜ん。...

  • 東赤谷の人口について

    私は常々、昭和の東赤谷にはどれ位の人たちが住んで居たのだろうか?・・・という事にモヤモヤとした思いを持っていた。東赤谷といっても、それはほとんど日鉄社宅の人口で、その地に18歳迄しか住んでいなかった私には、そこに何人の人々が暮らしていたのか?などとはチョッピリとも考える余地はなかった。ところが先日、昭和36年の東赤谷における中学生徒数は56名であったという記事に触れ、ますます当時の東赤谷の人口が気...

  • 鉱山(ヤマ)の子供_4

    いつだったか何気なくテレビを見ていたら現代の産婆さんとかで、80を超えたおばあさんが現役で働く姿が映っていた。番組の中で、ある家族は三代に渡ってお産のお世話になっているような事を言っていた。 それはそれですごい事だなと思ったのだが、私の生まれ育った日鉄社宅にも産婆さんはいて、折しもベビーブームの真っ只中、その手で取り上げた赤ん坊の数は相当なものだったと思う。 手元に昭和36年度の赤谷中学校の生徒数...

  • 鉱山(ヤマ)の子供_3

    なんとまぁ狭い世界だこと…。グーグルアースで見下ろす我がふる里は、俗に言うところの猫の額の世界でしかない。原野に還ってしまったふる里は、うっかりすると通り過ぎてしまう。 でも広かった。あの当時は、そこが全ての世界だったのである。 鉄道が走り駅があり。県道があり車が走り。購買所がありマーケットにお店が並び。床屋があって浴場があって。踊りに芝居に映画も観れて。肥後守で手を切り木から落ち蜂に刺され転んで...

  • 鉱山(ヤマ)の子供_2

    私は三人兄弟である。ちなみに長男…。今でこそ一人っ子は沢山いるが、あの頃は兄弟のいない方が珍しいくらいであった。子供同士の付き合いの上で、同学年あるいは下の学年の子に兄がいる場合は、扱いに少々の注意が必要だった。なぜならケンカの後の兄の出現が怖かったからである。口げんかで収まるにしても「兄貴に言いつけてやる」と言われれば、思わず怯んでしまう。三学年くらい上の兄がいて、それが利かん坊であると特にそう...

  • 鉱山(ヤマ)の子供_1

    とにかく子供はたくさんいた。そこら中にたむろしていた。遊んでいた。ケンカをしていた。泣いていた。 路地路地に…。山の中に…。川の辺に…。 何かしら手に持ち、何かしらポケットに入れ、振り回し、蹴っ飛ばし、投げつけ…。 大きいのから小さいのまで、ゾロゾロと歩き回っていた。●祭りの日に●仲良し●みそっかすにされて。撮影:松岡 勇さん撮影年:昭和30年代中頃...

  • 岩殿山安楽寺(吉見観音)

    昨日と打って変わって今日は暑い陽射しの中に涼やかな秋の風、誘われて武蔵の古寺へ・・・。 阿吽のお二人に迎えられて。 とりあえず門前のお茶屋さんにて厄払い。 山門をくぐると・・・。 立派な三重塔もあります。 柱もただの柱ではありません。 お地蔵様の後ろにも素晴らしい彫り物があります。 雷雨まもない境内の帰り道、鮮やかな苔の道は踏んで歩くに憚られます。...

  • 「きっと見に行きたくなる すごい産業遺産」

    かつて東赤谷に住んでおられた方から、このような本が出版されているとの情報を頂き、早速取り寄せてみました。 その本は昭文社ムックの「きっと見に行きたくなる すごい産業遺産」というものです。 その表紙の写真を見て、赤谷近在あるいは新発田市近郊にお住いや、この地にご縁のある方には説明なしに、ここはどこかということはお分かりになることでしょう。 そうです、このトンネル(スノーシェッド)は、かつて国鉄東赤谷...

  • 新発田歩兵第16聯隊飯豊山行軍登山

    明治35年(1902年)1月の青森歩兵第5聯隊210名による八甲田山雪中行軍は有名であるが、我が故郷の新発田歩兵第16聯隊による飯豊山行軍登山はあまり知られていない。その行軍内容は ・行軍日程  明治43年(1910年)旧7月17日~7月24日(新8月17日~8月24日)、7泊8日間。 ・行軍人員  160名 ・全行程  聯隊営舎→関川村→小国町→長者原→切歯尾根(ダイクラ尾根)→飯豊本山→三国岳→弥平四郎→実川島→津川→大日原演習...

  • 女坂

    男坂やら女坂、わたしゃ迷わず女坂。...

  • 昭和の盆踊り

    ♪♪つきがぁ~でたでたぁ~つきがでたぁ~ぁヨイヨイ♪♪ 言わずと知れた炭坑節ですが、我が里の盆踊り歌の定番でありました。 子供の頃に踊ったきりですが、今だって部分的には踊れますとも・・・。あの手のひらを返して地面を掘る動作は、まじまじと眼に浮かびます。 わが町は炭礦町ではなく鉱山町ではありましたが、同じ掘るという動作に対して近しい感じが皆にあったと思います。 盆踊りといえば広場です。歴史ある村々なら寺...

  • 昭和30年代、新潟「湯ノ平(ユノヒラ)温泉」

    旧飯豊鉱山(現加治川治水ダム)から飯豊川(加治川)を遡ること10Km余りに「湯ノ平温泉」はある。 何年か前、地元の自治体がこの温泉に至る道標にフリガナを付けた。それは「ユノタイラ温泉」・・・。普段身近にこの温泉に接してきた近隣集落の人々、そして遠く離れては居てもこの地を故郷とする人々には、「ユノタイラ」という呼称に対して何とも言えぬ戸惑いと違和感があった。私たちは「ユノヒラ温泉」とずっと呼んでいたから...

  • 新潟県新発田市赤谷郵便局風景印(平成11年7月)

    表書きに文面を書くのはいけないことではありますが、兎にも角にも暑くてたまらないので、皆様お見舞い申し上げます。 描かれているイラストを推察するに、手前のダムは「飯豊川第一ダム」で現在は取り払われた上部のゲートが描かれています。(かつてウジノ沢を遡行した時、帰りにここを歩いて渡りました) 次の吊橋は「袖上橋」で、奥に描かれている建物は三代目の「湯の平温泉小屋」です。 そして眺望される山は、左か...

  • もしもカラーがあったなら

    カラーフィルムという物がまだ無かった時代、あるいはあっても高額でなかなか手に取ることが出来なかった時代の、白黒フィルムに投影された何気ない風景に想いを馳せる事がある。撮影者は実際どのような色を見て、どのような思いを込めて人差し指でシャッターボタンを押し込んだのか…。今の時代にあって色は自由自在、ちょっと撮影者の気持ちになってファインダーの向こう側を覗いてみよう。撮影:松岡松岡勇さん撮影年:昭和30年...

  • これも陸の孤島?

    どこからか最初の移住者は流れ着いたのでしょうね。 一族郎党は繁栄して住めば都。 なにやら山に囲まれた我が里に結びつけたくもなります。 広い駐車場のただ中、じっと見れば葉っぱのハートが愛おしくも感じられます。...

  • 赤谷鉱山と飯豊鉱山周辺の橋_上流集落下吊橋編

    採掘場を職場として、そこに至る道程を通勤路とすれば、これほど過酷な通勤はあるまい。無雪期ならまだしも冬季においては、まさに命がけで通うことになり、送り出す家族としても心中の不安は計り知れないものがあったはずである。集落から飯豊川を渡って採掘場に行く途上のこの吊橋は、時によって三途の渡しとなるのである。 ●飯豊川にかかる吊橋と上流集落。 ●採掘場から吊橋を渡って帰る途上。・...

  • 赤谷鉱山と飯豊鉱山周辺の橋_下流集落下吊橋編

    地形図上からこの橋の意味を考えた時、緊急避難用の橋ではないかと考えた。 下流集落は鉱山従事者の居住区であり、多くの人が起居している。 集落の前後道路には急峻な断崖があり、もしも土砂なり冬期の雪崩などで道が塞がれてしまえば、まさに陸の孤島となってしまう。 そういった非常事態になった場合、橋で対岸に渡れば日鉄鉱山の場割沢に出ることができ、場割沢の地下からは日鉄専用線の電気機関車が国鉄東赤谷駅まで走って...

  • 赤谷鉱山と飯豊鉱山周辺の橋_袖上橋編

    焼峰山の南面から飯豊川本流に流れ落ちる大きな沢に、ウジノ沢と袖ノ沢があります。 その袖ノ沢出合から、やや上った飯豊川右岸にある台地を袖ノ上平(袖上平)と呼び、そこから左岸に渡る吊橋が袖上橋です。かつてはこの橋の付近に日鉄鉱山専用線の鉄山駅がありました。橋を渡れば簀立沢を経て簀立沢鉱区に至ります。 前回の猿橋は、飯豊山への登拝や湯ノ平温泉への湯治の人々が明治以前江戸期より利用していたと思われるのに対...

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