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2019/07/07

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  • 守護国家論 現代語訳 12 (完)

    守護国家論 現代語訳 12 (完) 第七章 全体を七門に分けた第七として、問答形式によって答える。 もし末代の愚人が、上に述べた六門に依って、万が一も『法華経』を信じるならば、権宗の諸人は、自らの迷いに執着するために、偏った教えに執着するために、その『法華経』の行者を破ろうと、『法華経』以前の四十余年ならびに『涅槃経』などの諸経から多くを引用して、非難して来るであろう。 しかし、権教を信じる人は多く権力を持っており、あるいは世間の財力があり、あるいは世間を渡るために人々の心に従っており、あるいは、権教には学者が多く、実教には智者が少ないこともあり、このように万が一も実教を信じる者はいないのであ…

  • 『法華経』現代語訳と解説 その48

    『法華経』現代語訳と解説 その48 妙法蓮華経 普賢菩薩勧発品 第二十八 その時に普賢菩薩は、自在の神通力と偉大な威徳をもって、数えることのできないほどの多くの大いなる菩薩と共に、東方から来た(注1)。その経過したところ諸国はすべてみな震動し、宝の蓮華を降らせ、無量百千万億のあらゆる伎楽が響いた。 普賢菩薩はまた、無数の天龍八部衆に囲まれ、それぞれの威徳と神通力を現わして、娑婆世界の耆闍崛山に着き、釈迦牟尼仏の足を頭につけて礼拝し、右に七周して、次のように申し上げた。 「世尊よ。私は宝威徳上王仏(ほういとくじょうおうぶつ)の国において、遥かにこの娑婆世界で『法華経』が説かれていることを聞き、無…

  • 守護国家論 現代語訳 11

    守護国家論 現代語訳 11 第六章 全体を七門に分けた第六として、『法華経』と『涅槃経』に依る行者の心得を明らかにする。一代教門の勝劣・浅深・難易などについては、すでに前の段落で述べた。この段落では、一向に後世を願う末代の常に迷いに沈む五逆・謗法・一闡提などの愚人のために記す。概略的に三節に分ける。一節には、在家の諸人は、正法を護持すれば生死を離れ、悪法を持てば三悪道に堕ちることを明らかにし、二節には、ただ『法華経』の名号だけを唱えて三悪道を離れるべきことを明らかにし、三節には、『涅槃経』は『法華経』のための流通(るつう・補助・宣布という意味)であることを明らかにする。 第六章 一節 第一に、…

  • 『法華経』現代語訳と解説 その47

    『法華経』現代語訳と解説 その47 妙法蓮華経 妙荘厳王本事品 第二十七 その時に仏は、大衆に次のように語られた。 「無量無辺不可思議阿僧祇劫の遠い過去に、仏がいた。その名を雲雷音宿王華智多陀阿伽度・阿羅訶・三藐三仏陀(うんらいしゅくおうけちただあかど・あらか・さんみゃくさんぶっだ)という。その仏の教えを受ける者たちの中に王がいた。その名を妙荘厳(みょうしょうごん)という。その王の夫人の名を浄徳(じょうとく)という。二人の子供がいて、ひとりを浄蔵(じょうぞう)と名づけ、もうひとりを浄眼(じょうげん)と名づける。 その二人の子には、大いなる神通力、福徳、智慧があって、長い間、菩薩の行なうべき道を…

  • 『法華経』現代語訳と解説 その46

    『法華経』現代語訳と解説 その46 妙法蓮華経 陀羅尼品 第二十六 その時に薬王菩薩は、座より立って、右の肩を現わして合掌し、仏に向かって次のように申し上げた。 「世尊よ。もし良き男子や良き女子がいて、『法華経』を受持し、読誦し、深く理解し、経巻を書写するならば、どれほどの福を得るのでしょうか」。 仏は、薬王菩薩に次のように語られた。 「もし良き男子や良き女子がいて、八百万億那由他の大河の砂の数ほどの諸仏を供養したとする。あなたはどう思うか。その得るところの福は多いか少ないか」。 「非常に多いです。世尊よ」。 仏は次のように語られた。 「もし良き男子や良き女子がいて、この『法華経』のひとつの四…

  • 『法華経』現代語訳と解説 その45

    『法華経』現代語訳と解説 その45 妙法蓮華経 観世音菩薩普門品 第二十五 その時に無尽意(むじんに)菩薩は、座より立って、片方の右の肩を現わして(注1)、合掌し仏に向かって次のように申し上げた。 「世尊よ。観世音菩薩はどのような因縁によって、観世音と名づけられるのでしょうか」(注2)。 仏は無尽意菩薩に次のように語られた。 「良き男子よ。もし無量百千万億の衆生が、あらゆる苦悩を受けた時、この観世音菩薩の名を聞いて、一心にその名を唱えれば、観世音菩薩は即時にその声を聞き分け、みなその苦しみから脱することを得させるのだ。 もしこの観世音菩薩の名を保つ者は、たとえ大火の中に入ってしまっても、火はそ…

  • 『法華経』現代語訳と解説 その44

    『法華経』現代語訳と解説 その44 妙法蓮華経 妙音菩薩品 第二十四 その時に釈迦牟尼仏は、大いなる肉髻(にくけい)から光明を放ち、および眉間にある白毫(びゃくごう)から光を放って、東方にある、百八万億那由他の大河の砂の数の諸仏の世界を広く照らされた。それほどの数の仏国土を過ぎたところに浄光荘厳(じょうこうしょうごん)という世界があった。 その国に仏がおられて、その名を浄華宿王智(じょうけしゅくおうち)如来といい、供養を受けるべき方であり、遍く正しい知識を持ち、勝れた所行を具え、善い所に到達し、世間を理解し、無上のお方であり、人を良く導き、天と人との師であり、仏であり、世尊である。無量無辺の数…

  • 『法華経』現代語訳と解説 その43

    『法華経』現代語訳と解説 その43 宿王華菩薩よ。この経はすべての衆生を救うのである。この経はすべての衆生を、多くの苦悩から離れさせるのである。この経は大いにすべての衆生を導き、その願を満たすのである。それはまさに、清らかな池が、すべての渇いた者を満たすようであり、寒さを感じる者が、火を得たようであり、裸の者が衣を得たようであり、旅の商人が隊長を得たようであり、子が母を得たようであり、渡ろうとする者が船を得たようであり、病の者が医者を得たようであり、暗闇に燈火を得たようであり、貧しい者が宝を得たようであり、民が王を得たようであり、貿易商が海を得たようであり、灯が闇を除くように、この『法華経』も…

  • 『法華経』現代語訳と解説 その42

    『法華経』現代語訳と解説 その42 妙法蓮華経 薬王菩薩本事品 第二十三 その時に、宿王華(しゅくおうけ)菩薩は、仏に次のように申し上げた。 「世尊よ。薬王(やくおう)菩薩は、娑婆世界においてどのようなわざを行なうのでしょうか。世尊よ。この薬王菩薩は、百千万億那由他の難行苦行をしています。良き方である世尊よ。願わくは説いてください。多くの天竜八部衆、また他の国土より来た菩薩、および声聞たちはそれを聞いてみな喜ぶでしょう」(注1)。 その時に仏は、宿王華菩薩に次のように語られた。 「無量の大河の砂の数ほどの年数が過ぎた遠い過去に、仏がいた。その名を、日月浄明徳(にちがつじょうみょうとく)如来とい…

  • 守護国家論 現代語訳 10

    守護国家論 現代語訳 10 第五章 全体を七門に分けた第五として、正しい教えに導く善知識の人、ならびに真実の教えにはめぐり会うことは難しいことを述べるならば、これに三節ある。 一節は、人身は受け難く仏法は会い難いことを明らかにし、二節は、受け難い人身を受け、会い難い仏法に会うといっても、悪知識に会うために三悪道に堕ちることを明らかにし、三節は、正しく末代の凡夫のための善知識について明らかにする。 第五章 第一節 人身は受け難く、仏法は会い難いことを明らかにすれば、『涅槃経』第三十三巻には、「その時、世尊は地の少土を取ってこれを爪の上に置き、摩訶迦葉に告げて言われた。この土と十方世界の地の土と、…

  • 『法華経』現代語訳と解説 その41

    『法華経』現代語訳と解説 その41 妙法蓮華経 嘱累品 第二十二 その時に釈迦牟尼仏は、法座より立って、大いなる神通力を現わされた。右の手をもって無量の大いなる菩薩たちの頭の上をなでて、次のように語られた(注1)。 「私は測ることもできないほどの無量の歳月において、この得難い阿耨多羅三藐三菩提への教えを修習した。今、これをあなたがたに委ねる。あなたがたはまさに、一心にこの教えを広め、多くの人々を導くべきである」。 このように三度、多くの大いなる菩薩たちの頭の上をなでて、次のように語られた。 「私は測ることもできないほどの無量の歳月において、この得難い阿耨多羅三藐三菩提への教えを修習した。今、こ…

  • 『法華経』現代語訳と解説 その40

    『法華経』現代語訳と解説 その40 妙法蓮華経 如来神力品 第二十一 その時に、千の世界を微塵にしたほどの数の大いなる菩薩たち、および地より涌き出た菩薩たちは、みな仏の前において一心に合掌し、その尊い御顔を仰ぎ見て、仏に次のように申しあげた。 「世尊よ。私たちは世尊とその分身の諸仏の国土において、その仏の滅度の後、まさに広くこの経を説くべきと存じます。なぜならば、私たちもまた自ら、この真理であり清らかな大いなる教えを得て、受持し読誦し解説し書写して、これを供養しようと願うからです」。 その時に世尊は、文殊菩薩はじめ無量百千万億の娑婆世界の大いなる菩薩たち、および多くの僧侶や尼僧や男女の在家信者…

  • 『法華経』現代語訳と解説 その39

    『法華経』現代語訳と解説 その39 妙法蓮華経 常不軽菩薩品 第二十 その時に仏は、大いなる得大勢菩薩(とくだいせいぼさつ)に次のように語られた。 「あなたはまさに知るべきである。もし、『法華経』を保つ僧侶や尼僧や男女の在家信者に対して、悪口を言い、罵ったり誹謗したりするならば、大きな罪の報いを受けることは、すでに述べたとおりである。また、『法華経』を保つ者は、その功徳によって、先に説いた通り、その者の眼、耳、鼻、舌、身体、心の働きはみな清らかとなる。 得大勢菩薩よ。数えることも測ることもできないほど遠い昔に、仏がおられた。その仏の名は、威音王(いおんのう)如来という。その仏の時代の名は離衰(…

  • 『法華経』現代語訳と解説 その38

    『法華経』現代語訳と解説 その38 また次に常精進菩薩よ。もし良き男子や良き女子が、この経を受持し、読誦し、解説し、書写するならば、千二百の舌の功徳を得るであろう。 好ましい味、好ましくない味、おいしい味、まずい味、および多くの渋い味、苦い味など、この舌の器官においては、すべて良い味と変わり、天の甘露のようになり、好ましくないものなどないであろう。 もしその舌の器官を用いて、大衆の中において演説するならば、深く妙なる声を出して、よく人の心に入り、聞く者たちは喜びに満たされるであろう。また多くの天子、天女、帝釈天や梵天などの天的存在は、その深く妙なる声をもって演説される内容を聞いて、みな集まって…

  • 『法華経』現代語訳と解説 その37

    『法華経』現代語訳と解説 その37 妙法蓮華経 法師功徳品 第十九 その時に仏は、大いなる常精進菩薩に次のように語られた。 「もし良き男子や良き女子がいて、この『法華経』を受持し、あるいは読誦し、あるいは解説し、あるいは書写したとする。その人は、まさに現世から未来世において(注1)、八百の眼の功徳、千二百の耳の功徳、八百の鼻の功徳、千二百の舌の功徳、八百の身の功徳、千二百の心の功徳を得るであろう。この功徳をもって、あらゆる器官を優れたものとし、清らかにするであろう。 この良き男子や良き女子は、生まれながらの清らかな肉眼をもって、あらゆる世界の内外にある山林や川や海を見ることができ、下は地獄の底…

  • 『法華経』現代語訳と解説 その36

    『法華経』現代語訳と解説 その36 妙法蓮華経 随喜功徳品 第十八 その時に大いなる弥勒菩薩は、仏に次のように申し上げた。 「世尊よ。もし良き男子や良き女子がいて、この『法華経』を聞いて随喜するならば、どのような福を受けるのでしょうか」。 さらに偈の形をもって次のように申し上げた。 「世尊よ 仏の滅度の後に この経を聞いて随喜する者は どのような福を受けるのでしょうか」 その時に仏は、弥勒菩薩に次のように語られた。 「阿逸多よ。如来の滅度の後に、もし僧侶や尼僧や男女の在家信者、および他の智者であっても年配者であっても若者であっても、この経を聞いて、喜んで教えの場から出て、それぞれの場所に行った…

  • 守護国家論 現代語訳 09

    守護国家論 現代語訳 09 第四章 全体を七門に分けた第四として、謗法の者を対治すべきである証拠の文を出すならば、これに二つある。一つめは、仏法は国王大臣ならびに僧侶や尼僧や男女の在家信者に委ねるべきことを明らかにし、二つめは、まさしく謗法の人が王の治める国にいるならば、必ず対治すべきである証拠の文を明らかにする。 第一に、仏法は、国王大臣ならびに僧侶や尼僧や男女の在家信者に委ねるべきことを明らかにする。 『仁王経』には、「仏は波斯匿王(はしのくおう・歴史的釈迦の在世に、中インドを支配していたコーサラ国の王。息子の祇陀太子(ぎだたいし)は、祇園精舎のために土地を寄進し、娘の勝鬘夫人(しょうまん…

  • 守護国家論 現代語訳 08

    守護国家論 現代語訳 08 ただし『往生要集』は、序文を見る時は法華・真言を顕密の内に入れて、ほとんど末代の人々に相応しくないと記されているようだが、本文に入って委細に一部三巻の全体を見れば、第十の問答料簡の中で、まさしくあらゆる修行の勝劣を定める時、『観仏三昧経』・『般舟三昧経』・『十住毘婆沙論』・『宝積経』・『大集経』などの『法華経』以前の経論を引いて、すべての行に対して念仏三昧をもって王三昧(おうざんまい・最高の瞑想という意味)と定めている。そして最後に一つの問答があり、そこでは、『法華経』以前の禅定念仏三昧は、『法華経』の一念信解に百千万億倍劣ると定めている。また問いを通じて、念仏三昧…

  • 『法華経』現代語訳と解説 その35

    『法華経』現代語訳と解説 その35 また如来の滅度の後に、もしこの『法華経』を聞いて、非難せず、喜びの心を起こす者があるとすれば、まさに知るべきである、これも深く信じ理解した姿である(注1)。 ましてや、読誦し受持する者はなおさらである。この人は、如来を背負っているようなものである。阿逸多よ。この良き男子や良き女子は、私のために塔や寺を建て、僧坊を作り、多くの僧のすべての生活を支えて供養する必要はない。それはなぜであろうか。この経典を受持し、読誦するこの良き男子や良き女子は、すでに塔を起て、僧坊を造立し、多くの僧を供養していることになるのだ。すなわち、仏の舎利(しゃり)をもって梵天に届くほどの…

  • 『法華経』現代語訳と解説 その34

    『法華経』現代語訳と解説 その34 妙法蓮華経 分別功徳品 第十七 その時に、仏の寿命の劫数がこのように長遠であることを聞いて、無量無辺阿僧祇の衆生は、大いに仏からの利益を得た(注1)。 そして世尊は、大いなる弥勒菩薩に次のように語られた。 「阿逸多よ。私が如来の寿命が長遠であることを説いた時、六百八十万億那由他恒河沙の衆生は、無生法忍(むしょうほうにん・注2)を得た。また、その千倍の大いなる菩薩は、聞持陀羅尼門(もんじだらにもん・注3)を得た。また、一つの世界を微塵に砕いた塵の数ほどの大いなる菩薩は、楽説無碍弁才(ぎょうせつむげべんざい・注4)を得た。また、一つの世界を微塵に砕いた塵の数ほど…

  • 『法華経』現代語訳と解説 その33

    『法華経』現代語訳と解説 その33 たとえば、智慧が豊かで、薬の知識が豊富で、よく多くの病を治す良医がいたとする。その人の子供たちは多く、十、二十、あるいは百人以上だったとする。ある時、用事があって遠い国に出かけた。その間に子供たちは毒薬を飲んでしまい、苦しんで地に転げまわった。そして父が家に帰ったが、子供たちの中には、毒を飲んで本心を失ってしまった者もあり、あるいは失っていない者もいた。遠くに父の姿を見て、みな大いに喜んで挨拶し、次のように言った。『よくご無事で帰られました。私たちは愚かにも、毒薬を飲んでしまいました。願わくは治療してくださり、命を長らえさせてください』。父は、子供たちが苦し…

  • 『法華経』現代語訳と解説 その32

    『法華経』現代語訳と解説 その32 妙法蓮華経 如来寿量品 第十六 その時に仏は、多くの菩薩とすべての大衆に次のように語られた。 「多くの良き男子たちよ。あなたたちはまさに、如来の真理を明らかにする言葉を信じ理解すべきである」。 また大衆に次のように語られた。 「あなたたちはまさに、如来の真理を明らかにする言葉を信じ理解すべきである」。 また多くの大衆に次のように語られた。 「あなたたちはまさに、如来の真理を明らかにする言葉を信じ理解すべきである」。 この時に、菩薩たちと大衆は、弥勒菩薩を筆頭として、合掌して仏に次のように申し上げた。 「世尊よ。ただ願わくは、これを説いてください。私たちは仏の…

  • 『法華経』現代語訳と解説 その31

    『法華経』現代語訳と解説 その31 その時に弥勒菩薩、および大河の砂の数を八千倍したほど多くの菩薩たちは、みな次のように思った。 「私たちは昔より今まで、このような大いなる菩薩たちが、地より涌き出して、世尊の前にあって合掌し供養して、如来に挨拶をするようなことは、見たことも聞いたこともない」 その時に大いなる弥勒菩薩は、その多くの菩薩たちの心を知り、ならびに自分自身の疑念を解決しようと思い、仏に合掌し、偈の形をもって次のように申し上げた。 「この無量千万億の多くの菩薩たちは 昔より今まで見たことがありません 願わくは尊い師よ 説きたまえ 彼らはどこから来たのでしょうか 何の因縁をもって集まった…

  • 『法華経』現代語訳と解説 その30

    『法華経』現代語訳と解説 その30 妙法蓮華経 従地涌出品 第十五 その時に、他の方角の仏国土から来た、大河の砂の数を八倍したほど多くの数の大いなる菩薩たちは、大衆の中において起立し、合掌し、礼拝して仏に次のように申しあげた(注1)。 「世尊よ。私たちが仏の滅度の後に、この娑婆世界にあって、努め精進し、この経典を受持し、読誦し、書写し、供養することをお許しいただけましたら、この国土において、広くこの教えを述べ伝えます」。 その時に仏は、多くの菩薩たちに次のように語られた。 「良き男子たちよ。やめなさい。あなたたちがこの経を守り保つ必要はない。なぜならば、私の国土である娑婆世界には、すでに大河の…

  • 守護国家論 現代語訳 07

    守護国家論 現代語訳 07 第三章 全体を七門に分けた第三として、『選択本願念仏集』が謗法にあたる理由を述べる。 問う:何の証拠をもって、法然源空が謗法の者だと言うのか。 答える:『選択本願念仏集』の文を見ると、釈迦一代の聖教を二つに分けている。一つめは聖道・難行・雑行・雑行であり、二つめは浄土・易行・正行である。この中の聖道・難行・雑行とは、『華厳経』・『阿含経』・「方等経」・『般若経』・『法華経』・『涅槃経』・『大日経』などである。一方、浄土・易行・正行とは、「浄土三部経」の称名念仏などである。聖道・難行・雑行がなぜ退けられるのかといえば、末代の凡夫がこれらを修行しても、百人のうちに希に一…

  • 『法華経』現代語訳と解説 その29

    『法華経』現代語訳と解説 その29 また文殊菩薩よ(注1)。大いなる菩薩が、後の末の世の、教えが滅びようとしている時に『法華経』を受持する者は、在家、出家の人の中において、大いなる慈しみの心を起こし、菩薩ではない人の中において、大いなるあわれみの心を起こして、まさに次のような思いを持つべきである。『この人たちは、如来が相手の能力に応じて説く教えを大いに失っている。聞きもせず、知らず、悟らず、質問せず、信ぜず、理解しない。この人たちはこの経について、質問せず、信ぜず、理解しないといっても、私が阿耨多羅三藐三菩提を得たならば、どこにあっても、神通力と智慧の力をもって、彼らを導き、この教えの中に入ら…

  • 守護国家論 現代語訳 06

    守護国家論 現代語訳 06 問う:上にあげたところの曇鸞・道綽・善導・慧心などの諸師は、みな法華・真言などの諸経に対しては、末代不相応だとの解釈をしている。これによって、源空ならびに、その教化を受けた弟子たちは、法華・真言を雑行として難行道と排除し、その行者を群賊・悪衆・悪見の人たちと罵り、あるいは祖父の履物を孫が履こうとしても履けないようなものだと聖光房(せいこうぼう・法然の弟子の弁長)は言い、あるいは、享楽の歌にも劣ると南無房(なむぼう・良忠)は言っている。これらの意趣をみれば、すべて時機不相応の義があるということである。これらの人師の解釈をどのように理解したらいいだろうか。 答える:釈迦…

  • 『法華経』現代語訳と解説 その28

    『法華経』現代語訳と解説 その28 妙法蓮華経安楽行品第十四 その時、文殊菩薩は仏に次のように申し上げた。 「世尊よ。この多くの菩薩たちは大変尊い者たちです。仏を敬い従うために、大いなる誓願を立てました。後の悪しき世において、この『法華経』を護持し、読誦し、説くでありましょう。世尊よ。菩薩たる者、後の悪しき世において、どのようにこの経を説くべきでしょうか」。 仏は文殊菩薩に次のように語られた。 「もし菩薩たる者、後の悪しき世においてこの経を説こうとすれば、まさに次の四つに安住すべきである(注1)。 第一は、菩薩の行処(ぎょうしょ)、親近処(しんごんしょ)であって、そこに安住して、衆生のためにこ…

  • 守護国家論 現代語訳 05

    守護国家論 現代語訳 05 第二章 全体を七門に分けた第二として、正法・像法・末法の時代に関して、仏法の興廃を明らかにする。そしてここでは、さらに二節ある。一節として、『法華経』以前の四十余年の間に説かれた諸経と「浄土三部経」との、末法における久住・不久住(注:長く存在するかしないか、という意味)を明らかし、二節として、『法華経』・『涅槃経』と、「浄土三部経」ならびに他の諸経との久住・不久住を明かかにする。 第二章 第一節 第一に、『法華経』以前の四十余年の内の諸経と「浄土三部経」との、末法にける久住・不久住について明らかにする。 問う:如来の教法は大小・浅深・勝劣を論ぜず、ただ時機に依って行…

  • 守護国家論 現代語訳 04

    守護国家論 現代語訳 04 第一章 第四節 第四に、権教を捨てて実教に就くべきことを明らかにする。 問う:その証文は何か。 答える:十の証文がある。『法華経』には、「ただ大乗経典を受持することを願って、他の経の一偈をも受けないようにせよ」。これがひとつめである。『涅槃経』には、「了義経(りょうぎきょう・完全な教えが説かれた経典という意味)に依って不了義経に依らないようにせよ」。四十余年の経典を不了義経という。これがふたつめである。『法華経』には、「この経は持ち難い。もししばらくでも持つ者がいれば、私は歓喜する。諸仏もまた同じである。このような人は諸仏が褒めるのである。これが本当の勇猛というもの…

  • 守護国家論 現代語訳 03

    守護国家論 現代語訳 03 第一章 第二節 第二に諸経の浅深を明らかにする。 『無量義経』には、「初めに四諦を説き、阿含、次に方等十二部経・摩訶般若・華厳海空を説き、菩薩の修行の経る過程を述べる」とある。また、「四十余年には未だ真実を顕わさず」とある。また、「無量義経はこの上なく尊い」とある。これらから、釈迦仏の四十余年間語られた諸経は、この『無量義経』より劣っていることは疑いない。 問う:『密厳経』には、「(この密厳経は)一切の経の中で最も勝れている」とある。また『大雲経』には、「(この大雲経は)諸経の転輪聖王である」とある。『金光明最勝王経』には、「(この金光明最勝王経は)諸経中の王である…

  • 守護国家論 現代語訳 02

    守護国家論 現代語訳 02 第一章 大きく分けた中の第一として、如来の経典の教えには、権実二教が定められていることを明らかにするが、さらにここでは、四節に分ける。第一節は、釈迦一代の経典の分類であり、第二節は、諸経の教えの浅深を明らかし、第三節は、大乗と小乗を分け、第四節は、権教を捨てて実教に就くべきことを明らかにする。 第一章 第一節 第一に、釈迦一代の経典の分類についてである。 問う:仏は最初にどのような経典を説かれたのか。 答える:『華厳経』である。 問う:その証拠は何か。 答える:『六十華厳経(注:『華厳経』の六十巻本のこと。もう一つに八十巻本がある)』の「離世間浄眼品」に、「このよう…

  • 守護国家論 現代語訳 01

    守護国家論 現代語訳 01 守護国家論 正元元年(1259) 三十八歳 序章 (注:この序章という見出しを含め、以下、第一章・第一節などは便宜上のものであり、原文にはない) じゅうぶん、数えきれないほどの悪しき世界のどこかに生まれて来るはずのところ、それを免れて、私たちは奇しくもこの日本に生を受けたのではないか。しかし、せっかく日本に生まれて来ても、結局、多くの人々は死後、数えきれないほどの悪しき世界に堕ちてしまうことは疑いがない。 さらに、この生の後に、悪しき世界に堕ちてしまう理由は、今の日本においては、ひとつやふたつではない。妻子や親族などを思うため、あるいは、殺生や悪しき行ないによる重い…

  • 『法華経』現代語訳と解説 その27

    『法華経』現代語訳と解説 その27 妙法蓮華経勧持品第十三 その時に薬王菩薩摩訶薩と大楽説菩薩摩訶薩は、二万の付き従う菩薩たちと共に、みな仏の前において、次のように誓って言った。 「ただ願わくは世尊よ。ご心配なさらないように。私たちは仏の滅度の後に、まさにこの経典を保ち、読誦し、説くことをいたします。後の悪しき世の衆生は、善根は少なく、高慢であり、自分の利益を貪り、さらに不善根を増し、悟りから遠く離れています。そのような人々を教化することは難しいと言っても、私たちはまさに大いなる忍耐の力を起して、この経を読誦し、保ち説き、書写し、さまざまに供養して、身命を惜しむことはいたしません」。 その時に…

  • 『法華経』現代語訳と解説 その26

    『法華経』現代語訳と解説 その26 妙法蓮華経提婆達多品第十二 その時に仏は、多くの菩薩および天や人や僧侶や尼僧や男女の在家信者たちに、次のように語られた。 「私は、過去の無量の劫の中において、『法華経』を求めることに、たゆむことはなかった。多くの劫の中において、常に国王となって、願を発して、この上ない悟りを求め続け、心が退くことがなかった。六波羅蜜を満たそうと、布施を行なったが、象や馬や珍しい七宝、国や城や妻子、奴隷や従者、さらに自分の頭や目や髄や脳、身の肉や手足を惜しむ心はなく、命さえ惜しまなかった。 その時の世の民たちは、その寿命が無量であった。教えのために、国における位を捨て、政治を太…

  • 『法華経』現代語訳と解説 その25

    『法華経』現代語訳と解説 その25 その時に釈迦牟尼仏は、分身の諸仏がみな集まり、それぞれの立派な座に着いたことをご覧になり、そして諸仏が同じく、宝塔を開くことを願っていることを聞かれ、すぐに座より立って、空中に上りそこに留まられた。すべての人々は起立して合掌し、一心に仏を見上げた。 そこで釈迦牟尼仏は、右の指をもって七宝塔の戸を開かれた。そのとき、まるで大きな城の門の閂(かんぬき)を抜いて開く時のような、非常に大きな音がした。すぐにすべての会衆は、多宝如来が宝塔の中の立派な座に着き、滅度したにもかかわらず、全身が崩れることなく、禅定に入っているかのような姿を見た。さらにまた「良いことだ、良い…

  • 『法華経』現代語訳と解説 その24

    『法華経』現代語訳と解説 その24 妙法蓮華経見宝塔品第十一 その時、仏の前に七宝の塔があった。高さは五百由旬、縦と横の広さは二百五十由旬である。地より涌出して空中に留まった。その塔は、あらゆる種類の宝物をもって飾られていた。五千の欄干があって千万の部屋があった。無数の旗をもって厳かに飾られ、宝の瓔珞が垂れ、万億の宝の鈴がその上に掛けられていた。四面から多摩羅跋(たまらばつ・注1)と栴檀の香りが醸し出され、世界に充満した。その多くの旗は、金・銀・瑠璃・硨磲・碼碯・真珠・玫瑰の七宝をもって造られ、高さは四天王宮に至った。三十三天(さんじゅうさんてん・注2)は天の曼陀羅華を降らして宝塔に供養し、他…

  • 『法華経』現代語訳と解説 その23

    『法華経』現代語訳と解説 その23 妙法蓮華経法師品第十 その時に世尊は、薬王菩薩をはじめ、八万人の菩薩たちに次のように語られた(注1)。 「薬王よ。あなたはこの大衆の中の、多くの天、魔、人および僧侶、尼僧、男女の在家信者、そして、声聞を求める者、辟支仏を求める者、仏の道を求める者を見るか。この者たちで、仏の前において、『妙法蓮華経』の一偈一句を聞いて、一念においてだけでも喜ぶ者に対して、私はみな記を授ける。彼らはまさに阿耨多羅三藐三菩提を得るであろう」。 仏は引き続き、薬王菩薩に次のように語られた。 「如来の滅度の後に、ある人がいて、『妙法蓮華経』の一偈一句を聞いて、一念においても喜ぶ者には…

  • 『法華経』現代語訳と解説 その22

    『法華経』現代語訳と解説 その22 妙法蓮華経授学無学人記品第九 その時、阿難(あなん)と羅睺羅(らごら)は、このように思った。 「私たちも記が授けられれば、どんなにうれしいことだろう。」 すぐに阿難と羅睺羅は座より立って、仏の前に進み、頭を仏の足につけて礼拝し、共に次のように語った。 「世尊よ。私たちにも、記を授かる恵みを与えて下さい。私たちの帰するところは、ただ如来のみです。また私たちは、すべての天や人や阿修羅にまで知られています。阿難は常に侍者として、多くの教えを守り保っています。羅睺羅は仏の子です。もし仏が、阿耨多羅三藐三菩提を得るという記を授けられるならば、私たちの願いはすでに満ち、…

  • 『法華経』現代語訳と解説 その21

    『法華経』現代語訳と解説 その21 妙法蓮華経五百弟子受記品第八 その時に富楼那弥多羅尼子(ふるなみたらにし・注1)は、仏からこの智慧と方便について詳しく説かれた説法を聞き、さらに、多くの大弟子に、阿耨多羅三藐三菩提を得るという記が授けられたこと、また前世の因縁を聞き、また諸仏が大いなる自在の神通力を持つことを聞き、未曾有のことを得て踊り上がるほど喜び、即座に立って仏の前に進み、仏の足を頭につけて礼拝し、片隅に座って仏の顔を目をそらさずに見上げ、次のように思った。「世尊は不思議な力をお持ちで、その行ないは非常に優れている。世間にいる人々の能力の違いに従って、方便の知見を用いて教えを説かれ、衆生…

  • 『法華経』現代語訳と解説 その20

    『法華経』現代語訳と解説 その20 多くの僧侶たちよ。私はこのように沙弥であった時、無量百千万億の大河にある砂の数ほどの多くの衆生を教化した。私に従って教えを聞いた衆生は、阿耨多羅三藐三菩提を得るように導かれたのである。この多くの衆生は、今も声聞である者もいるが、私は常に阿耨多羅三藐三菩提を得るように教え導いている。この者たちも、この教えによって、やがて仏の道に入るであろう。なぜならば、如来の智慧は信じがたく理解しがたいからだ。 その時に私が教化した無量の大河の砂の数ほど多くの衆生は、今のあなたたちであり、さらに、私が滅度した後の未来世の声聞の弟子たちなのである。私が滅度した後は、弟子であって…

  • 『法華経』現代語訳と解説 その19

    『法華経』現代語訳と解説 その19 その時、大通智勝如来は、十方の梵天王をはじめ、十六王子の願いを受け、四諦と十二因縁の教えを説いた(注1)。僧侶や婆羅門、あるいは天、魔、梵天および他の世の人が説くことのできない教えである。 四諦は次の通りである。すべては苦しみである、苦しみの原因は執着が集まったものである、執着を滅ぼせば苦しみも滅びる、その苦しみを滅ぼす道に八正道がある。 また、十二因縁(注2)を説かれた。すなわち次の通りである。無明(むみょう)があるから行(ぎょう)が生じ、行があるから識(しき)が生じ、識があるから名色(みょうしき)が生じ、名色があるから六入(ろくにゅう)が生じ、六入がある…

  • 『法華経』現代語訳と解説 その18

    『法華経』現代語訳と解説 その18 また僧侶たちよ。東南方の五百万憶の国土のあらゆる梵天王は、各々の宮殿が、まばゆいばかりの光明に包まれ、今までになかったほど光輝いていることを見て、躍り上がるほど喜んだ。このため、多くの梵天王が互いに集まって議論をした。その中に、ひとりの大梵天王がいた。名前を大悲(だいひ)という。彼は多くの梵天たちのために、次の偈を述べた。 何の因縁があって このようなことが起きているのだろうか 私たちの宮殿の光明は 今までになかったほど光輝いている 大いなる徳を持つ者が天に生まれたのであろうか 仏が世に現れたのであろうか このようなことは今まで見たことがない まさに共に心を…

  • 『法華経』現代語訳と解説 その17

    『法華経』現代語訳と解説 その17 妙法蓮華経化城喩品第七 仏は多くの僧侶たちに次のように語られた。 「昔、無量無辺不可思議阿僧祇劫の過去に、仏がいた。大通智勝如来(だいつうちしょうにょらい)といい、供養を受けるべき方であり、遍く正しい知識を持ち、勝れた所行を具え、善い所に到達しており、世間を理解しており、無上のお方であり、人を良く導く方であり、天と人との師であり、仏であり、世尊であった。その国を好成(こうじょう)といい、その仏の現われる劫を大相(だいそう)といった(注1)。 僧侶たちよ。その仏が滅度してから今までの歳月は、非常に長いのである。たとえば、すべての世界の土地を細かく擦って、それで…

  • 『法華経』現代語訳と解説 その16

    『法華経』現代語訳と解説 その16 妙法蓮華経授記品第六 その時、世尊はこの偈を説き終って、多くの大衆に次のように語られた。 「私の弟子の摩訶迦葉は、未来世において、三百万憶の諸仏世尊に仕え、供養し師事し敬い讃嘆して、広く諸仏の無量の大いなる教えを説くことになろう。そして、最後の生において仏となるだろう。その名を、光明如来といい、供養を受けるべき方であり、遍く正しい知識を持ち、勝れた所行を具え、善い所に到達しており、世間を理解しており、無上のお方であり、人を良く導く方であり、天と人との師であり、仏であり、世尊である。その国を光徳といい、その仏が出現する時代は、大荘厳(だいしょうごん)という。仏…

  • 『法華経』現代語訳と解説 その15

    『法華経』現代語訳と解説 その15 妙法蓮華経薬草喩品第五 その時世尊は、摩訶迦葉(まかかしょう)および多くの大弟子たちに、次のようにおっしゃった。 「良いことだ。良いことだ。迦葉よ。よく如来の真実の功徳について説いたものだ。誠にその通りである。如来にはまた、数えることのできないほどの多くの功徳がある。あなたたちにそれを説いたとしても、いくら時間と歳月があっても尽くすことはできない。迦葉よ。まさに知るべきである。如来はあらゆる教えの王である。その中に、空しい教えなど一つもない。すべての教えにおいて、智慧による方便をもって説くのである。その説かれた教えは、すべてを知る仏の智慧に至らせる。如来はす…

  • 『法華経』現代語訳と解説 その14

    『法華経』現代語訳と解説 その14 この時、摩訶迦葉は再びこのことを述べようと、偈をもって次のように語った。 私たちは今日 仏の教えを聞き 歓喜踊躍して 未曾有のことを得た 仏は声聞も仏になるということを説かれた 無上の大きな宝を 求めていないにもかかわらず 得ることができた たとえば ある子供が 余りにも愚かであったため 父を捨てて遠くの土地に行ってしまった 諸国を流浪すること五十余年 父は子を思って四方に探し求めた そのあげく捜すのに疲れ ある町に留まっていた 家を造り 平穏な生活に身をゆだねていた その家は非常に富んでいて 金・銀・硨磲・瑪瑙・真珠・瑠璃も多く 象・馬・牛・羊・輿・車・田…

  • 『法華経』現代語訳と解説 その13

    『法華経』現代語訳と解説 その13 妙法蓮華経信解品第四 その時、須菩提(しゅぼだい)と摩訶迦旃延(まかかせんねん)と摩訶迦葉(まかかしょう)と摩訶目揵連(まかもっけんれん)は、仏から聞いた驚くべき教えと、世尊が舎利弗に最高の悟りを開いて仏となると記を授けたことについて、希有で尊いことだという心を起こし、躍り上がるほど喜び、座を立って衣服を整え、右の肩を出して、右の膝を地につけ、一心に合掌して身を曲げて尊敬の意を表し、仏の尊い顔を見上げて次のように言った。 「私たちは、僧侶の筆頭として長い年月が経ち、すっかり年を取りました。自ら、すでに涅槃を得て、これ以上の最高の悟りなどないと思い、それを求め…

  • 『法華経』現代語訳と解説 その12

    『法華経』現代語訳と解説 その12 舎利弗よ 私は衆生のために この譬喩をもって 一仏乗を説く あなたたちがもしよく この言語を信じ受ければ まさにそのすべての者は 仏道を成就することができるのだ この一仏乗は微妙であり 清浄第一であり 多くの世にあって この上ないものであり 仏の喜ばれるところであり すべての衆生が 称賛し 供養し礼拝すべきところである この車には 無量億千もの 多くの力と解脱 禅定と智慧 および他の仏の法がある このような車に乗せて 子供たちを数えきれないほどの劫数に日夜 常に遊戯することができるようにし 多くの菩薩 および声聞たちを この宝の車に乗せて 真っすぐに悟りの道…

  • 『法華経』現代語訳と解説 その11

    『法華経』現代語訳と解説 その11 仏は重ねてこの義を述べようと、偈をもって語られた。 たとえばある長者に 一つの大邸宅があった その家は古く壊れかけており 建物は高く危うく 柱の土台は腐り 梁や棟は傾き歪み 土台の石は崩れ砕 塀や壁は破れ裂け 泥壁は剥げ落ち 覆っている茅は乱れ落ち 垂木やひさしはずれて脱落し 家の周りの垣根は曲がり 汚物が満ちていた 五百人の人々が その中に住んでいた トビやフクロウやクマタカや鷲 烏やカササギや鳩や家鳩 トカゲや蛇やマムシやサソリ ヤスデやゲジゲジ ヤモリやムカデ イタチや貍やハツカネズミや鼠など あらゆる害虫が 縦横無尽に走り回っている 糞尿の臭い 不浄…

  • 『法華経』現代語訳と解説 その10

    『法華経』現代語訳と解説 その10 仏は舎利弗に次のように語られた。 「その通りだ、その通りだ。あなたが言う通りである。舎利弗よ。如来また同様である。すなわち仏はすべての世間の人々の父である。あらゆる怖れ、悩み、憂い、無知、不快などを永遠に尽くしており、余りあることはない。しかも、すべての無量の知見、力を成就しており、畏れるところなく、大神力および智慧の力があって、方便波羅蜜や智慧波羅蜜を具足している。大いなる慈悲を常に働かせ、絶えず善事を求めてすべての衆生に利益を与える。しかも三界(さんがい・注1)の古びて朽ちた燃える家に出現したことは、衆生の生、老、病、死、憂い、悲しみ、苦悩、愚痴、不快、…

  • 『法華経』現代語訳と解説 その9

    『法華経』現代語訳と解説 その9 その時、僧侶と尼僧と男女の在家信者、天、龍、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩睺羅伽などの大衆は、舎利弗が仏前において阿耨多羅三藐三菩提の記を受けるのを見て、心は大に歓喜し踊躍すること測り知れなかった。それぞれに身に着けていた上衣を脱いで仏に供養した。釈提桓因、梵天王などの無数の天子もまた、天の妙衣、天の曼陀羅華、摩訶曼陀羅華などを仏に供養した。その天衣は、虚空の中にあって自らひるがえった。諸天の百千万種の伎楽、虚空の中において共に同時に奏でられ、その天子たちは多くの天華を降らして、次のように語った。 「仏は昔、鹿野苑において初めて教えの法輪を転じ、今ま…

  • 『法華経』現代語訳と解説 その8

    『法華経』現代語訳と解説 その8 その時、仏は舎利弗に次のように語られた。 「私は今、天、人、出家者、婆羅門たちの大衆の中において語る。私は昔、かつて二万億の仏のもとにおいて、あなたを究極の悟りのために常に教化した。あなたは長い間、私に従って受学した。私は方便をもってあなたを導いたために、今生においても、私の教えを受けることになった。 舎利弗よ。私はあなたが仏道を志願するようにしたが、あなたは今生においてすべてを忘れて、自らすでに滅度を得たと思った。私は再びあなたが前世において行じた道を思い出させようとして、多くの声聞のためにこの大乗経の菩薩の教えであり、仏が護念するところの妙法蓮華経を説くの…

  • 『法華経』現代語訳と解説 その7

    『法華経』現代語訳と解説 その7 妙法蓮華経譬喩品第三 その時、舎利弗は踊躍(ゆやく)歓喜して、すぐに座より立って合掌し、尊い仏を仰いで次のように申し上げた。 「今、世尊に従いこの法の教えを聞いて、未曾有のことと心躍りました。なぜならば、私は昔、仏に従い、このような教えを聞き、多くの菩薩が記を受け仏となることを見ましたが、私たちはそれに預かりませんでした。私自身が、如来の無量の知見を失っていることに心を痛めました。世尊よ。私は常にひとり山林の樹下にあって、座りまた歩きながら、その度に次のように思いました。私たちも同じく世尊の弟子である。どうして如来は小乗の教えをもって導かれるのだろうか。これは…

  • 『法華経』現代語訳と解説 その6

    『法華経』現代語訳と解説 その6 諸仏の最初からの誓願は 仏の修した仏道を 普く衆生にも また同じく得させようと願うものである 未来世の諸仏も 百千億 無数のあらゆる法門を説くであろうが それらは実は一乗なのである(注1) 両足を持つ人間の中で最も尊い諸仏は 常に変わることなく その教えの本性はなく 仏となる道は縁に従って表わされると知っている このために一乗を説かれるのである(注2) 一乗の法は常に不変であり 一乗の表われである世間において一乗は常に存在することを 道場において悟られた導師である仏は それを方便を通して説かれるであろう 天人の供養する現在の十方の仏 その数が大河の砂の数ほど多…

  • 『法華経』現代語訳と解説 その5

    『法華経』現代語訳と解説 その5 その時、世尊は重ねてこの義を述べようと、偈をもって語られた。 僧侶と尼僧の中で 増上慢を抱く者 男子の在家信者の高慢な者 女子の在家信者の不信心な者 このような四衆ら その数五千人 自らその咎を省みることなく 学ぶべきところに欠点があって その傷を守り惜しむ そのような愚か者はすでに出て行った 彼らは会衆の中の粕(かす)である 仏の威徳の故に去って行った その人は福徳少なくして この法を受けるに堪えない 今の会衆には枝葉はない ただ多くの真実の者たちがいる よく聞け舎利弗よ 諸仏所得の法は 無量の方便の力をもって 衆生のために説きたもう 衆生の心の所念 種々の…

  • 『法華経』現代語訳と解説 その4

    『法華経』現代語訳と解説 その4 その時、世尊は舎利弗に次のように語られた。 「あなたはすでに、三度も熱心に懇願した。どうして説かないことができようか。あなたは今、明らかに聞き、よくこれを思念せよ。私はまさにあなたのために、分別し解き明かそう」。 その言葉を説かれた時、会衆の中の僧侶と尼僧と男女の在家信者たちの五千人は、すぐに座より立って、仏に礼をして退出した。なぜであろうか。この者たちは、罪の根が深く重く、さらに増上慢であって、まだ得ていないものを得たと思い、まだ証(あかし)されていないものを証されたと思っているためである。このような誤りがあるために、この場にいることができなかった。世尊は黙…

  • 『法華経』現代語訳と解説 その3

    『法華経』現代語訳と解説 その3 妙法蓮華経方便品第二 その時に世尊は、三昧より安らかに立たれ、舎利弗に告げられた。 「諸仏の智慧ははなはだ深く無量である。その智慧の門は理解しがたく入り難い。すべての声聞や辟支仏が知ることのできないものである。なぜなら、仏はかつて百千万億の無数の諸仏に親しく仕え、諸仏の無量の道法を行じ尽くし、勇猛精進して、その名は普く聞えている。はなはだ深く未曾有の法を成就して、適宜に説かれるその意趣は理解し難い。 舎利弗よ。私は成仏して以来、種々の因縁、種々の譬喩をもって、広く言葉を持って教えを述べ、無数の方便をもって、衆生を導き、あらゆる執着を離れさせた。なぜなら、如来は…

  • 『法華経』現代語訳と解説 その2

    『法華経』現代語訳と解説 その2 その時、文殊師利菩薩は弥勒菩薩およびあらゆる大菩薩に次のように語りました。「善き男子たちよ。私が思うに、今、仏である世尊は、大いなる法を説き、大いなる法の雨を降らし、大いなる法の螺(ほらがい)を吹き、大いなる法の鼓を打ち、大いなる法の義を述べようとしておられるのであろう。 あらゆる善き男子たちよ。私が過去、諸仏の国において、この奇瑞と同じことを見たが、仏はその光を放ち終わって、大いなる法を説かれた。このためにまさに知るべきである。今、仏が光を現わされたのも、またこれと同じく、衆生に対して、すべての世間において信じ難い教えを、ことごとく聞いて理解させることを望ま…

  • やさしい『法華経』現代語訳 その1

    やさしい法華経現代語訳 その1 妙法蓮華経序品第一 このように私は聞きました。 ある時、釈迦仏は、インドの王舎城(おうしゃじょう)にある耆闍崛山(ぎしゃくっせん)にいらっしゃいました。 そこには、一万二千人もの偉大な修行者たちが共にいました。これらの人々は、みな悟りを開かれた人たちで、阿羅漢(あらかん)と呼ばれます。煩悩なく、自己をよく制御でき、生死に束縛されることがなく、心の自在を得ていました。 その名をあげますと、次のようになります。 阿若憍陳如(あにゃきょうじんにょ)、摩訶迦葉(まかかしょう)、優楼頻螺迦葉(うるびんらかしょう)、伽耶迦葉(がやかしょう)、那提迦葉(なだいかしょう)、舎利…

  • 法華取要抄 その4 (完)

    法華取要抄 その4 疑って言う:多宝仏の証明や十方諸仏の助言、地涌の菩薩の涌出などは、誰のためか。 答える:世間の人々は、『法華経』が説かれたその世のためだと言うだろう。しかし、日蓮は次のように言う。舎利弗や目連などは、この現世においては智慧第一、神通第一の大聖である。また、過去世においては、金竜陀仏や青竜陀仏である。そして未来世においては、舎利弗は華光如来であり、『法華経』の説かれた霊鷲山の会衆においては、三惑をすみやかに断じ尽くした大菩薩であり、本地については、内に菩薩を秘め、外には声聞と現われた古菩薩である。文殊弥勒などの大菩薩は、過去の古仏であり現在では、人々を導くために大菩薩として現…

  • 法華取要抄 その3

    法華取要抄 その3 問う:『法華経』は誰のために説かれたものなのか。 答える:「方便品第二」より「授学無学人記品第九」に至るまでの八品に、二つの意義がある。上より下に向けて、次第通りにこれを読めば、第一は菩薩のため、第二には二乗のため、第三は凡夫のためである(注:この箇所では、将来に仏になる者たちへの約束(記)を中心として説かれているからである)。また、「安楽行品第十四」より「勧持品第十三」、「提婆達多品第十二」、「見宝塔品第十一」、「法師品第十」と逆にこれを読めば、仏の滅後の衆生を中心として説かれたものである(注:特に逆に読む必要もないが、これらが、仏の滅度の後の人々に対する勧めという意味で…

  • 法華取要抄 その2

    法華取要抄 その2 そもそも諸宗の人師たちは、旧訳の経論を見て新訳の聖典を見ず、あるいは新訳の経論を見て旧訳を捨て置き、あるいは自宗の曲がった解釈に執著して、自らの義に従い、愚かな見解をもって注釈し、それを残して後代に加えているのである。たとえば、木の切り株に当たって死んだ兎を見て、次からは切り株を見守り、また、智慧が丸い扇を見ることによって得られたからと言って、次からは扇のような天の月を仰ぐような誤りを捨てて、理法を直接取る者が智慧のある人である。インドから見れば末端に位置するような論師や、日本において教派を立てた人師の邪義を捨て置いて、もっぱら本となる経論を引き見れば、釈尊の五十年あまりの…

  • 法華取要抄 その1

    法華取要抄 その1 法華取要抄(ほっけしゅようしょう) 文永十一年(1274)五月 五十三歳 富木常忍に与える 身延において 扶桑沙門日蓮、これを述べる。 そもそも、月支国(げっしこく・インドを意味する)より西域を経て中国、日本に渡来するところの経論は、五千七千巻余である。その中の諸経論の勝劣、浅深、難易、先後について、自らの見解に任せて語ることは、その分に及ばない。また人の説に従って、あるいは宗に依つてこれを知る者は、その義において紛糾する。 いわゆる華厳宗では、「一切経の中では、この経(『華厳経』)が第一である」といい、法相宗では、「一切経の中では、『解深密経』が第一である」といい、三論宗…

  • 波木井殿御報

    波木井殿御報(はきいどのごほう・日蓮上人最後の書状。口述筆記) 慎んで申し上げます。 ここまでの道のりは、無事に池上まで着くことができました。その途中、山といい、川といい、それなりに難儀はしましたが、御子息たちに守られて、これと言ったこともなく、ここまで着きました。恐れ入りながら喜んでおります。 後にまた帰りに通る道ではありますが、病の身でありますから、もしものことがあるかもしれません。 しかし、この日本国のどこにおいても身を持て余していたこの身を、九年もの間、帰依されたその御心ざしには言葉もありません。どこで死んでも、墓は身延の沢に置いて下さい。 また、ここまで乗って来た栗鹿毛の馬は、あまり…

  • 種種御振舞御書 その15 (完)

    種種御振舞御書 その15 みな、弘法大師や慈覚大師を謗る人は、どうして用いられようかと思っている。しかし、他人はさておき、安房の国の東西の人々は、この事を信じるべきである。なぜなら、それは眼前している現証があるからである。いのもりの円頓房、清澄の西暁房(さいぎょうぼう)、道義房・かたうみの実智房などは、尊いと言われていた僧であった。しかしその臨終はどうであったかを尋ねてみるべきである。 これらはさておいて、円智房は清澄の大堂において、三年間一字三礼(注:経文の一文字ごとに五体投地をしながら写経すること)の『法華経』を自身で書写し、十巻すべてを暗誦し、五十年の間、昼夜に二部ずつ読まれた。人はみな…

  • 種種御振舞御書 その14

    種種御振舞御書 その14 (注:ここより最後までは、日蓮上人の記した文と思われる)。 もともとわかっていたことではあったが、三度も国を諫めても、用いられなければ国を去るべし、ということで、同年五月十二日に鎌倉を出て、この山(身延山)に入った。 (注:儒教の聖典である『礼記』の、「人臣たるの礼、顕わには諫めず。三たび諫めて聴かざれば、則ち之を逃る」による。『報恩抄』にも、「平左衛門尉(平頼綱)に対面して、さまざまなことを申し上げた中で、今年、蒙古は必ず攻めて来る、と言いました。同じ五月十二日に鎌倉を出て、この身延山に入りました。これはひたすら、父母の恩・師匠の恩・三宝の恩・国の恩に報いようとして…

  • 種種御振舞御書 その13

    種種御振舞御書 その13 (注:この段落の内容は、『報恩抄』にもあり、「文永十一年四月十二日の大風は、東寺第一の智者とされる阿弥陀堂加賀法印が雨ごいした結果の逆風です。善無畏・金剛智・不空の悪法を、少しも違えることなく伝えたためでしょうか。気の毒なことです。気の毒なことです」とある)。 さて、帰って聞いたところによると、同年四月十日より阿弥陀堂法印(加賀法印定清。真言宗の僧侶)が幕府に命じられて、雨ごいの祈祷をした。この法印は東寺第一の智者であり、御室(おむろ・仁和寺のこと)などの諸師、さらに、弘法大師、慈覚大師、智証大師の真言の秘法を鏡にかけたように身に付け、天台宗や華厳宗の諸宗の教えを、み…

  • 種種御振舞御書 その12

    種種御振舞御書 その12 また念仏者が集まって協議した。 「こうなっては、我々は飢え死にしてしまう。どうやって、この法師を亡き者とすることができようか。すでに国中の者も多くは彼に従っている。どうしたらいいものか」と相談し、念仏者の長者の唯阿弥陀仏、真言律宗の長者の性諭房(しょうゆぼう)、良観の弟子の道観などが鎌倉へ走り上って、武蔵守宣時殿(北条宣時)に次のように訴えた。 「この御房が島にいる限り、堂塔一つも残らず、僧侶も一人もいなくなってしまうでしょう。阿弥陀仏を焼き払い、あるいは川に捨て流しています。夜も昼も高い山に登って、日月に向かって大声をあげて、お上を呪詛(じゅそ)しています。その音声…

  • 種種御振舞御書 その11

    種種御振舞御書 その11 (以下にこの訳者の補足の注を記す。 伝染病が流行すれば、もうこれがこの世の終わりの兆候だ、終末だ、とか言い、大きな災害があれば、これは神の裁きだ、終末の始まりだ、などと言い、その言葉を受け入れて、狂信的になる者たちが起こる。まさに今この時も、そのような事が起っている。これは、いつの時代でも同じであり、危機的に見える出来事に対するこの人間の思考が、日蓮上人自身の歩みを大きく左右し、さらに、上人の伝記的記述をゆがめていることは明らかである。 この前後の段落は、すでに述べたように、後の世の創作者が挿入した文であるが、それでも、前の段落の最後には、「このようなことがあり、しば…

  • 種種御振舞御書 その10

    種種御振舞御書 その10 さて、塚原に論争をするために集まって来た者たちはみな帰ったので、去年の十一月から構想を練っていた『開目抄』という文二巻を記した。これは、もし首を切られても、日蓮の身に起った不思議を留めておこうと思って構想を練っていたものである。この文の主旨は次の通りである。 「日蓮によって日本国の存続は決まるのである。たとえば、家に柱がなければ建物として保たれず、人に魂がなければ死人である。日蓮は日本の人の魂である。平左衛門尉はすでに日本の柱を倒してしまった。そのため、今、世の中が乱れて、それということもなく、夢のように偽りの言葉が流れて、北条御一門が同士討ちをし、後には他国から攻め…

  • 種種御振舞御書 その9

    種種御振舞御書 その9 (注:前の段落は、さまざまな人々からの迫害があったからこそ、自分は『法華経』の行者となれたのだ、という内容であり、多くの経典や経論からの引用、そして中国や日本の史実を交えて記されていた。ところが、この段落からは、再び単なる小説のような文体と変わる。それはここからまた、後に創作して挿入された文となるからである)。 このように過ごしていたが、庭には雪が積もって、人も来ることもなく、堂宇には荒々しい隙間風以外に訪れる者もない。『摩訶止観』や『法華経』を読み、口には「南無妙法蓮華経」と唱えて、夜は月星に向って、諸宗の誤りと『法華経』の深い意義を説くほどに、年も改まった。 どこで…

  • 種種御振舞御書 その8

    種種御振舞御書 その8 中国の李陵(りりょう・前漢の軍人)が胡国(ここく・中国から見た異民族。匈奴)に入って巌窟(がんくつ)に閉じ込められたのも、法道三蔵(ほうどうさんぞう・永道。北宋の僧)が微宋皇帝(きそうこうてい・北宋の王。仏教弾圧をして永道に諫められた。一度、永道を追放したが、翌年撤回して再び用いた)皇帝に責められて顔に焼き印を押されて、江南に追放されたのも、今と同じだと思う。 ああ嬉しいことだ。檀王(だんおう・釈迦の過去世の須頭檀王(すずだんおう)のこと)は、阿私仙人(あしせんにん・提婆達多の過去世の姿)に仕えて厳しい修行をして、『法華経』の功徳を得られた。常不軽菩薩は増上慢の比丘たち…

  • 種種御振舞御書 その7

    種種御振舞御書 その7 同年十月十日に依智を立って十月二十八日に佐渡の国へ着いた。 (注:『寺泊御書』の冒頭には、「今月十月なり十日相州愛京郡依智の郷を起つて武蔵の国久目河の宿に付き、十二日を経て越後の国寺泊の津に付きぬ。此れより大海を亘つて佐渡の国に至らんと欲するに、順風定まらず、其の期を知らず、道の間の事心も及ぶこと莫く、又筆にも及ばず。但暗に推し度る可し。又本より存知の上なれば、始めて歎く可きに非ざれば之を止む」とある。訳すと、「今月十日(文永八年・1271)、相州愛京郡依智の郷(現在の神奈川県厚木市)を出発して、武蔵国久目河の宿(現在の東京都東村山市)に着き、十二日間を経て、越後国の寺…

  • 種種御振舞御書 その6

    種種御振舞御書 その6 正午ごろ、依智(えち・厚木市に合併される前は、依知村という地名で残っていた)という所に行き着き、本間六郎左衛門(ほんまろくろうざえもん・本間六郎左衛門尉重連(しげつら)。北条宣時に仕えた武士。佐渡の代官であり、依智にも領地があった)の邸宅へ入った。 酒を取り寄せて、兵士たちに飲ませたところ、彼らは帰ろうとして、頭を下げ、手を合わせて次のように言った。「今まではどのようなお方であるのか知りませんでした。ただ、私たちが信じている阿弥陀仏を謗っていると聞いていたので、憎んでいましたが、目の当たりに拝見すれば、その尊さに感動いたしました。それで、長年称えてきた念仏は捨てます」と…

  • 種種御振舞御書 その5

    種種御振舞御書 その5 そして、十二日の夜、武蔵守殿(注:北条宣時)に預けられた身となっていたが、夜半になって、首を切られるために鎌倉から出た。若宮小路(=若宮大路)に出た時、周りは兵士に囲まれていたが、日蓮は、「おのおの方、騒がないでもらいたい。ほかでもない。八幡大菩薩に最後に申し上げることがある」と言って、馬より降りて大声で叫んだ。 「いかに八幡大菩薩はまことの神か。和気清麻呂(わけのきよまろ)が首をはねられそうになった時、長さ一丈の月と現われ、伝教大師の『法華経』を講義された時は、紫の袈裟を布施されたではないか。今、日蓮は日本で第一の『法華経』の行者である。その上、身に一分の誤りもない。…

  • 種種御振舞御書 その4

    種種御振舞御書 その4 去る文永八年(1271)九月十二日に、幕府からの迫害を被った。その時の迫害は、尋常ではなく非常識極まりないものであった。 了行(りょうこう・幕府転覆の陰謀を企てた僧侶)が謀反を起こし、大夫の律師(だいぶのりっし・鎌倉幕府創建時に活躍した三浦義村の子。出家して良賢と名乗っていた。三浦氏が滅ぼされる時に捕らえられた)が世を乱そうとしていたところを捕えたことをも超えるものである。平左衛門尉が大将となって、数百人の兵士に胴丸と烏帽子を着けさせて、眼をいからし声を荒げてやって来たのである。 そもそもこのことを考えれば、太政入道の平清盛が天下を取りながら、国を滅ぼそうとしたことに似…

  • 種種御振舞御書 その3

    種種御振舞御書 その3 (注:この直前、つまり「その2」の最後の部分の原文は、「仏の御使ひとなのりながら、をくせんは無下の人々なりと申しふくめぬ」となっている。日蓮上人は弟子たちに、幕府からどのような脅しが来ても、仏の使いという自覚をもって、恐れることがないようにと、私(日蓮上人)は、弟子たちに説いたのである、という言葉で終わっているのである。そして原文でも何ら段落分けもなく、今回の文となるわけであるが、この冒頭には、「さりし程に念仏者・持斎・真言師等、自身の智は及ばず、訴状も叶はざれば、上郎尼ごぜんたちにとりつきて、種々にかまへ申す」となっている。訳せば、「こうしているうちに、念仏者や真言律…

  • 種種御振舞御書 その2

    種種御振舞御書 その2 このようなことを知って、日蓮はむしろ喜んで言うのである。これはもとより知っていたことである。雪山童子(せっせんどうじ・釈迦の前世のうちの一人。帝釈天が姿を変えた鬼の説く「諸行無常/是生滅法」という偈を聞いて、その後半の「生滅滅已/寂滅為楽」を聞くために鬼に身を投げたという)は、半偈のために身を投げ、常啼菩薩(じょうたいぼさつ・人々が苦しむ姿を見て、常に泣いていたということからこの名がある。ある時、教えを請いに法涌菩薩のところに行こうとして、その供物を買うために、帝釈天が姿を変えた婆羅門に、自らの骨肉や血を売ろうとした)は身を売り、善財童子(ぜんざいどうじ・『華厳経』に記…

  • 種種御振舞御書 その1

    種種御振舞御書 その1 種種御振舞御書(しゅじゅおんふるまいごしょ) 建治二年(1276年) 五五歳 (注:この書は、建治二年に身延にて、光日房という弟子宛に日蓮上人が記したものということになっているが、実際は、後世、自伝的な内容の短い書が集められて編集されたものである。この中には、日蓮上人の言葉や、その言葉に基づく記述も確かにあるだろうが、一方、特に幕府からの迫害が始まる箇所は急に文体が変わり、まるで演劇の台本のようになる。それは、そのような箇所は後世の創作であるためと考えられる。そもそも、そのような内容は、他の日蓮上人の書には全く見られないものであり、この書にのみ記されているものである。 …

  • 『摩訶止観』抄訳 その8

    『摩訶止観』巻第一の上 「序分縁起」の段より 止観の明静であることは、まさに前代未聞である。 天台智者大師は、大隋開皇十四年四月二十六日より、荊州の玉泉寺において、一夏(いちげ・夏安居(げあんご)の期間・四月中旬から七月中旬ごろ)の期間に、朝と夕の二回にわたって講述された。しかし、熱意をもって語られたが、第七章七節の諸見境まで講述されたところで止められ、それ以降は語られていない。 ここで、川の流れの水をくんで水源を尋ね、香をかいでその元を知ろう。『大智度論』に、「私の修行に師匠はない」とある。また経典には、「(釈迦は)仏になる記を定光仏(=燃灯仏)から受けた」とある。『論語』には、「生まれなが…

  • 『摩訶止観』抄訳 その7

    『摩訶止観』巻第一の下 「六即に約す」の段より ◎六即について 六即によって真実を表わす(第一章「大意」の第一節「発大心」の第三項「是を顕す」に、「四諦に約す」「四弘誓願に約す」「六即に約す」の三目があり、その第三目)。 問う:(注:「問う」は原文にはない)初心が真実とするのか。修行の後の後心が真実とするのか。 答える:『大智度論』の燃える灯心の喩え(注:燃える灯心を無明などの煩悩に喩え、灯心を焼く焔をその段階に相応した智慧に喩え、やがて灯心が燃え尽きる時、悟りを得るとする)の通りである。真実は初心ではなく初心を離れず、後心ではなく後心を離れない。もし智慧と信心が具足していれば、一念はそのまま…

  • 『摩訶止観』抄訳 その6

    『摩訶止観』巻第一の上 「三種の止観」の段より (注:「◎三種の止観」の後半となる) 〇経を引用して述べる ここでは、漸次止観と不定止観とは置いて論じない。ここでは、経典によって、さらに円頓止観について明らかにする。 非常に深い妙徳に了達している賢首菩薩が、『華厳経』の中で次のように言っている通りである。「菩薩が生死において最初に発心する時、ひたすら菩提を求め、堅固にして動くことはない。その一念の功徳は深く厚く極まりない。それを如来が分別して、劫を経て説いたとしても、すべてを尽くすことができない」。 この菩薩は円法を聞き、円信を起こし、円行を立て、円位に入り、円の功徳をもって自在に荘厳し、円の…

  • 『摩訶止観』抄訳 その5

    『摩訶止観』巻第二の下 「感大果」「裂大網」の段より (注:『摩訶止観』の構成は、五略十広(ごりゃくじゅっこう)というが、全体は「十広」といわれる十章に別れ、その第一章が、「五略」といわれる全体を概略的に記した五節からなる「大意」である。そして、この五略の第三が「感大果」で、第四が「裂大網」であり、第五が「その4」で見た「帰大処」である。しかし、この十広の第八章にあたる「果報」と、第九章の「起教」と、第十章の「旨帰」は結局説かれておらず、欠落箇所となっている。また、文の中で、第八「果報」を概略的に説いたものが「感大果」であり、第九「起教」を概略的に説いたものが「裂大網」であり、第十「旨帰」を概…

  • 『摩訶止観』抄訳 その4

    『摩訶止観』巻第二の下 「帰大処」の段より ◎帰すべき境地 第五に、すべては絶対的な空(注:原文は「畢竟空」。絶対的な空を意味し、空でないことに相対しない空)であるという究極的境地(大処)に帰すために、正しい止観(注:原文は「是の止観」。是は正しいという意味)を説くことについて述べる。 手に膠(にかわ)を塗れば、物は付やすくなり、寝ている夢は覚めやすい。経論の文に執着して意義を狭めて解釈し、それを自ら正しいという。争うようにして瓦礫を取って瑠璃の珠だと言い、目の前のことや、言葉に明らかにされたことさえ知らない。これではどうして深い理法や秘密の教えを知ることができるだろうか。どうして迷わないこと…

  • 『摩訶止観』抄訳 その3

    『摩訶止観』巻第五の上 「観不可思議境」の段より 一心に十法界(じっぽうかい・地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天、声聞、縁覚、菩薩、仏という人が経るところの十種の世界)が具わっている。各一法界にまた他の十法界が具(そな)わっていれば、百法界である。一法界に三十種の世間(三種世間×十如是)が具わっていれば、それが百法界となると三千種の世間が具わっていることになる。この三千世間は一念の心にある。もし心がないとするならば、すべてはない。少しでも心があれば、そこに必ず三千世間が具わっているのである。 また、まず一心があって、すべては後に生じるとはいわない。また、まずすべてがあって、一心は後に生じるとはいわ…

  • 『摩訶止観』抄訳 その2

    『摩訶止観』巻第三の上 「止観の名義」の段より 第二章 止観の名義 第二章として、止観の名称を解釈する。止観についての大意はすでに説いた。ではまたどのような意義をもって、止観の名称を立てるのか。これには概略的に四つある。 一つめは相待(そうだい)であり、二つめは絶待(ぜつだい)であり、三つめは異名をあげて融合させ、四つめは三徳に通じさせる。 (注:今回は、四つのうちの最初の二つのみを現代語訳する)。 ◎相待止観 一つめの相待とは、次の通りである。相待止観における「止」と「観」には、それぞれ三つの意味がある。 〇相待の止の意味 まず、「止」には息(や)むという意味があり、停(とど)まるという意味…

  • 『摩訶止観』抄訳 その1

    『摩訶止観』巻第一の上 「三種の止観」の段より (注:見出しは訳者が便宜上付ける) 〇三種の止観 天台智者大師は南岳慧思禅師より三種の止観を伝えられた。一つは漸次止観(ぜんじしかん)、二つは不定止観(ふじょうしかん)、三つは円頓止観(えんどんしかん)である。 これらはみな、大乗であり、共に実相(じっそう・真理そのものの姿)を対象とし、同じく止観と名付けられるものである。漸とは、すなわち最初は浅く、次第に深くなるということである。梯子を上るようなものである。不定とは順番が前後することである。ダイヤモンドを太陽の光に照らせば複雑に輝くようなものである。円頓とは最初も最後も不二(ふに・二つであり同時…

  • 『摩訶止観』抄訳 はじめに

    『摩訶止観』を抄訳する理由 先に完訳した『法華玄義』は、『法華経』がすべての経典を総括するということが述べられている。そのため、その範囲は広大であって、その論理は、蔵教、通教、別教、円教のいわゆる「化法の四教」を中心として、緻密な、そして膨大な段落によって構成されている。ほぼ、その内容は完璧としか言いようのないものであり、天台大師以降の仏教の祖師たちは、天台教学に限らず、どのような学者であっても、『法華玄義』を避けて通ることができなくなっている。 一方、天台大師自身も、教学と修行実践は、車の両輪のようなもの、鳥の両翼のようなものであり、どちらが欠けても不可であると述べている。そこで、『法華玄義…

  • 開目抄 その17 (完)

    『法華文句』には、「問う。『涅槃経』では、国王に従って弓矢を持ち、悪人をくじけと明らかにされている。一方、『法華経』では、権勢から離れ、謙遜に慈善を行なえとあり、この剛と柔が互いに真逆となっている。これがどうして異なっていないことがあろうか。答える。『涅槃経』はひとえに折伏について論じているが、仏は同じく子を思う人々と共に住んでいる。どうして摂受がないことがあろうか。『法華経』はひとえに摂受について明らかにしているが、この経を誹謗する者の頭は七分に割れるともある。折伏がないわけではない。それぞれ一端を挙げて時に応じて記しているのみである」とある。『涅槃経疏』には、「出家も在家も、法を護ろうとす…

  • 開目抄 その16

    疑って言う:どうしてあなたが受けた流罪や死罪などを、過去の業の因縁だとわかるのか。 答える:銅鏡は色形を映し出すものである。秦王の験偽(けんぎ・嘘を見抜くこと)の鏡は現在の罪を映し出すという。仏法の鏡は過去の業の因縁を映し出す。『般泥洹経』には、「良き男子よ。過去において無量のさまざまな罪、あらゆる悪業を犯したための罪報は、この世では、軽蔑されたり、あるいは、姿形が悪かったり、衣服が不足したり、飲食が粗末だったり、財を求めても利益がなく、貧賎の家、邪見の家に生まれ、あるいは、王難にあい、およびあらゆる人間の苦の報いとして現われるであろう。それでも、こうして現世では軽く受けて済むことは、仏法を守…

  • 開目抄 その15

    『摩訶止観』第一巻の冒頭には、「散乱する心を鎮め、明らかな智慧で照らす止観は、今までなかった法門である」とある。『止観輔行伝弘決』第一巻には、「漢の明帝が、仏教が伝わるという夢を見てから陳朝の天台大師に及ぶまで、禅門に預かって衣鉢を伝授される者は多い」とあり、『法華三大部補注』には、「衣鉢を伝授されるとは達磨を指す」とある。『摩訶止観』第五巻には、「また一種の禅人、そして盲従する師や弟子たちは、共に堕落する」とあり、『摩訶止観』第七巻には、「十乗観法の第一の観心を除いた九つの意義は、世間の文字ばかりの法師と同じではない。また、事相の禅師と同じではない。ある禅師はただ観心の一つの意義だけしかない…

  • 開目抄 その14

    このように、『法華経』と『涅槃経』の太陽や月のように明らかであり、妙楽大師とその弟子の智度大師の明らかな鏡によって、今の世の諸宗ならびに国中の禅・律・念仏者の醜い顔を浮かべれば、そこに一つの曇りもない。『法蓮経』の「勧持品」には、「仏滅度の後の恐怖すべき悪世の中」とあり、「安楽行品」には、「後の悪世」とあり、また「末世の中」とあり、また「後の末世の法が滅びようとしている時」とある。「分別功徳品」には、「悪世の末法の時」とある。「薬王品」には「後の五百年」とある。 『正法華経』の「勧説品」には、「滅後の末世」とあり、また「後に来たれる末世」とある。『添品法華経』にも同様にある。天台大師は、「像法…

  • 開目抄 その13

    このようなことはさて置く。私たちの一門の者のために記そう。他人は信じなければただの逆縁(ぎゃくえん・正しい教えに対する妨げという意味)である。一渧をなめて大海の塩を知り、一華を見て春を感ぜよ。万里を渡って宋に入らずとも、三年をかけてインドの霊鷲山に行かなくても、竜樹のように竜宮に入らなくても、無著菩薩のように弥勒菩薩に会わなくても、『法華経』の二処三会の座にいなくても、釈迦一代の教えの勝劣は知ることができるのである。 蛇は七日前から洪水が来ることを知る。竜の眷属だからである。烏は年間の吉凶を知る。過去世に陰陽師だったからである。鳥は飛ぶ徳は人よりも勝れている。日蓮は諸経典の勝劣を知ることにおい…

  • 開目抄 12

    『密厳経』には、「『十地経』『華厳経』など、『大樹経』と『神通経』・『勝鬘経』および他の経典など、みなこの経典から出ている。このような『密厳経』は、一切経の中で勝れている」とある。『大雲経』には、「この経典はすなわち諸経典の転輪聖王のような王である。それはなぜか。この経典の中に、衆生の実性、仏性常住の法蔵が説かれているからである」とある。 『六波羅蜜経』には(注:これ以降の各経典の引用文は、それぞれ非常に長いので注意が必要である)、「過去の無量の諸仏が説いた正法、および私が今説くところの、いわゆる八万四千の諸の妙法蘊(みょうほううん・妙なる教えの集まりという意味)を総合的に見て、五つに分類でき…

  • 開目抄 その11

    私がこのことを考えるに、『華厳経』・『観無量寿経』・『大日経』などを読み修行する人を、その経典に説かれている仏・菩薩・天などが守護するのであろう。このことは疑うことはできない。ただし、『大日経』・『観無量寿経』などを読む行者たちが、『法華経』の行者に敵対すれば、その行者を捨てて、『法華経』の行者を守護するはずである。たとえば、親孝行の子であっても、その父親が王の敵となれば、父を捨てて王に参上することが、親孝行の至りである。仏法もまたその通りである。『法華経』の諸仏・菩薩・十羅刹たちが、日蓮を守護されるばかりではなく、浄土宗の六方の諸仏、二十五の菩薩、真言宗の千二百の菩薩など、七宗の諸尊、守護の…

  • 開目抄 その10

    このように、釈迦の過去の事実が明らかにされたならば、諸仏はみな、釈迦仏の分身であることがわかる。しかし、『法華経』以前の経典や、『法華経』の迹門の中では、諸仏は釈迦仏と肩を並べてそれぞれの修行をした仏である。そのために、その諸仏をそれぞれ本尊とするならば、釈迦仏を卑下していることになる。久遠実成の釈迦が明らかにされた以上、『華厳経』の台上・「方等経」・『般若経』・『大日経』などの諸仏は、みな釈尊の眷属であることになる。仏が三十歳で成道された時は、大梵天王・第六天などが所領としていた娑婆世界を奪い取られたのである。そして久遠の仏が明らかとされた今、『法華経』以前・『法華経』の迹門では、十方の仏国…

  • 開目抄 その9

    開目抄 下 文永九年(1272)二月 五十一歳 (これよりは、『開目抄』の下となる) また、今より諸大菩薩も梵天・帝釈天・日月天・四天王なども、教主釈尊の御弟子となるのである。したがって、「見宝塔品」には、これらの大菩薩を仏は自らの弟子たちとしたために、「諸の大衆に告ぐ。私の滅度の後に、誰がよくこの経を護持し読誦するだろうか。今仏前において自ら誓いの言葉を説け」と宣言して語られたのである。また諸の大菩薩に対しては、「たとえば、大風が小樹の枝を吹くようだ」とあり、吉祥草が大風になびき、川の水が大海へ流れ込むように、仏に従って来たのであるが、霊鷲山での『法華経』の説法は、まだ日浅く夢のようであり、…

  • 開目抄 その8

    『法華経』の「方便品」において、概略的に開三顕一(注:三乗すべての人が一仏乗となる、すなわち、声聞、縁覚、菩薩のすべてが仏になれる、ということ)を説かれた時、仏は、概略的に一念三千の心中の本懐を述べられた(注:天台大師は、特に止観の実践修行の中のこととして、一念に三千(すべてという意味)が備わっていることを語っている。一念にすべてが備わっているので、一念こそ、観心修行の対象となる、という意味である。しかし、天台大師は、一念三千という言葉自体は用いていない。一念三千という言葉を用いて、この教えが、天台教学の中心に位置すると述べたのが、妙楽大師湛然である)。 しかし、このような教えは初めて聞くこと…

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