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守護国家論 現代語訳 12 (完) 第七章 全体を七門に分けた第七として、問答形式によって答える。 もし末代の愚人が、上に述べた六門に依って、万が一も『法華経』を信じるならば、権宗の諸人は、自らの迷いに執着するために、偏った教えに執着するために、その『法華経』の行者を破ろうと、『法華経』以前の四十余年ならびに『涅槃経』などの諸経から多くを引用して、非難して来るであろう。 しかし、権教を信じる人は多く権力を持っており、あるいは世間の財力があり、あるいは世間を渡るために人々の心に従っており、あるいは、権教には学者が多く、実教には智者が少ないこともあり、このように万が一も実教を信じる者はいないのであ…
『法華経』現代語訳と解説 その48 妙法蓮華経 普賢菩薩勧発品 第二十八 その時に普賢菩薩は、自在の神通力と偉大な威徳をもって、数えることのできないほどの多くの大いなる菩薩と共に、東方から来た(注1)。その経過したところ諸国はすべてみな震動し、宝の蓮華を降らせ、無量百千万億のあらゆる伎楽が響いた。 普賢菩薩はまた、無数の天龍八部衆に囲まれ、それぞれの威徳と神通力を現わして、娑婆世界の耆闍崛山に着き、釈迦牟尼仏の足を頭につけて礼拝し、右に七周して、次のように申し上げた。 「世尊よ。私は宝威徳上王仏(ほういとくじょうおうぶつ)の国において、遥かにこの娑婆世界で『法華経』が説かれていることを聞き、無…
守護国家論 現代語訳 11 第六章 全体を七門に分けた第六として、『法華経』と『涅槃経』に依る行者の心得を明らかにする。一代教門の勝劣・浅深・難易などについては、すでに前の段落で述べた。この段落では、一向に後世を願う末代の常に迷いに沈む五逆・謗法・一闡提などの愚人のために記す。概略的に三節に分ける。一節には、在家の諸人は、正法を護持すれば生死を離れ、悪法を持てば三悪道に堕ちることを明らかにし、二節には、ただ『法華経』の名号だけを唱えて三悪道を離れるべきことを明らかにし、三節には、『涅槃経』は『法華経』のための流通(るつう・補助・宣布という意味)であることを明らかにする。 第六章 一節 第一に、…
『法華経』現代語訳と解説 その47 妙法蓮華経 妙荘厳王本事品 第二十七 その時に仏は、大衆に次のように語られた。 「無量無辺不可思議阿僧祇劫の遠い過去に、仏がいた。その名を雲雷音宿王華智多陀阿伽度・阿羅訶・三藐三仏陀(うんらいしゅくおうけちただあかど・あらか・さんみゃくさんぶっだ)という。その仏の教えを受ける者たちの中に王がいた。その名を妙荘厳(みょうしょうごん)という。その王の夫人の名を浄徳(じょうとく)という。二人の子供がいて、ひとりを浄蔵(じょうぞう)と名づけ、もうひとりを浄眼(じょうげん)と名づける。 その二人の子には、大いなる神通力、福徳、智慧があって、長い間、菩薩の行なうべき道を…
『法華経』現代語訳と解説 その46 妙法蓮華経 陀羅尼品 第二十六 その時に薬王菩薩は、座より立って、右の肩を現わして合掌し、仏に向かって次のように申し上げた。 「世尊よ。もし良き男子や良き女子がいて、『法華経』を受持し、読誦し、深く理解し、経巻を書写するならば、どれほどの福を得るのでしょうか」。 仏は、薬王菩薩に次のように語られた。 「もし良き男子や良き女子がいて、八百万億那由他の大河の砂の数ほどの諸仏を供養したとする。あなたはどう思うか。その得るところの福は多いか少ないか」。 「非常に多いです。世尊よ」。 仏は次のように語られた。 「もし良き男子や良き女子がいて、この『法華経』のひとつの四…
『法華経』現代語訳と解説 その45 妙法蓮華経 観世音菩薩普門品 第二十五 その時に無尽意(むじんに)菩薩は、座より立って、片方の右の肩を現わして(注1)、合掌し仏に向かって次のように申し上げた。 「世尊よ。観世音菩薩はどのような因縁によって、観世音と名づけられるのでしょうか」(注2)。 仏は無尽意菩薩に次のように語られた。 「良き男子よ。もし無量百千万億の衆生が、あらゆる苦悩を受けた時、この観世音菩薩の名を聞いて、一心にその名を唱えれば、観世音菩薩は即時にその声を聞き分け、みなその苦しみから脱することを得させるのだ。 もしこの観世音菩薩の名を保つ者は、たとえ大火の中に入ってしまっても、火はそ…
『法華経』現代語訳と解説 その44 妙法蓮華経 妙音菩薩品 第二十四 その時に釈迦牟尼仏は、大いなる肉髻(にくけい)から光明を放ち、および眉間にある白毫(びゃくごう)から光を放って、東方にある、百八万億那由他の大河の砂の数の諸仏の世界を広く照らされた。それほどの数の仏国土を過ぎたところに浄光荘厳(じょうこうしょうごん)という世界があった。 その国に仏がおられて、その名を浄華宿王智(じょうけしゅくおうち)如来といい、供養を受けるべき方であり、遍く正しい知識を持ち、勝れた所行を具え、善い所に到達し、世間を理解し、無上のお方であり、人を良く導き、天と人との師であり、仏であり、世尊である。無量無辺の数…
『法華経』現代語訳と解説 その43 宿王華菩薩よ。この経はすべての衆生を救うのである。この経はすべての衆生を、多くの苦悩から離れさせるのである。この経は大いにすべての衆生を導き、その願を満たすのである。それはまさに、清らかな池が、すべての渇いた者を満たすようであり、寒さを感じる者が、火を得たようであり、裸の者が衣を得たようであり、旅の商人が隊長を得たようであり、子が母を得たようであり、渡ろうとする者が船を得たようであり、病の者が医者を得たようであり、暗闇に燈火を得たようであり、貧しい者が宝を得たようであり、民が王を得たようであり、貿易商が海を得たようであり、灯が闇を除くように、この『法華経』も…
『法華経』現代語訳と解説 その42 妙法蓮華経 薬王菩薩本事品 第二十三 その時に、宿王華(しゅくおうけ)菩薩は、仏に次のように申し上げた。 「世尊よ。薬王(やくおう)菩薩は、娑婆世界においてどのようなわざを行なうのでしょうか。世尊よ。この薬王菩薩は、百千万億那由他の難行苦行をしています。良き方である世尊よ。願わくは説いてください。多くの天竜八部衆、また他の国土より来た菩薩、および声聞たちはそれを聞いてみな喜ぶでしょう」(注1)。 その時に仏は、宿王華菩薩に次のように語られた。 「無量の大河の砂の数ほどの年数が過ぎた遠い過去に、仏がいた。その名を、日月浄明徳(にちがつじょうみょうとく)如来とい…
守護国家論 現代語訳 10 第五章 全体を七門に分けた第五として、正しい教えに導く善知識の人、ならびに真実の教えにはめぐり会うことは難しいことを述べるならば、これに三節ある。 一節は、人身は受け難く仏法は会い難いことを明らかにし、二節は、受け難い人身を受け、会い難い仏法に会うといっても、悪知識に会うために三悪道に堕ちることを明らかにし、三節は、正しく末代の凡夫のための善知識について明らかにする。 第五章 第一節 人身は受け難く、仏法は会い難いことを明らかにすれば、『涅槃経』第三十三巻には、「その時、世尊は地の少土を取ってこれを爪の上に置き、摩訶迦葉に告げて言われた。この土と十方世界の地の土と、…
『法華経』現代語訳と解説 その41 妙法蓮華経 嘱累品 第二十二 その時に釈迦牟尼仏は、法座より立って、大いなる神通力を現わされた。右の手をもって無量の大いなる菩薩たちの頭の上をなでて、次のように語られた(注1)。 「私は測ることもできないほどの無量の歳月において、この得難い阿耨多羅三藐三菩提への教えを修習した。今、これをあなたがたに委ねる。あなたがたはまさに、一心にこの教えを広め、多くの人々を導くべきである」。 このように三度、多くの大いなる菩薩たちの頭の上をなでて、次のように語られた。 「私は測ることもできないほどの無量の歳月において、この得難い阿耨多羅三藐三菩提への教えを修習した。今、こ…
『法華経』現代語訳と解説 その40 妙法蓮華経 如来神力品 第二十一 その時に、千の世界を微塵にしたほどの数の大いなる菩薩たち、および地より涌き出た菩薩たちは、みな仏の前において一心に合掌し、その尊い御顔を仰ぎ見て、仏に次のように申しあげた。 「世尊よ。私たちは世尊とその分身の諸仏の国土において、その仏の滅度の後、まさに広くこの経を説くべきと存じます。なぜならば、私たちもまた自ら、この真理であり清らかな大いなる教えを得て、受持し読誦し解説し書写して、これを供養しようと願うからです」。 その時に世尊は、文殊菩薩はじめ無量百千万億の娑婆世界の大いなる菩薩たち、および多くの僧侶や尼僧や男女の在家信者…
『法華経』現代語訳と解説 その39 妙法蓮華経 常不軽菩薩品 第二十 その時に仏は、大いなる得大勢菩薩(とくだいせいぼさつ)に次のように語られた。 「あなたはまさに知るべきである。もし、『法華経』を保つ僧侶や尼僧や男女の在家信者に対して、悪口を言い、罵ったり誹謗したりするならば、大きな罪の報いを受けることは、すでに述べたとおりである。また、『法華経』を保つ者は、その功徳によって、先に説いた通り、その者の眼、耳、鼻、舌、身体、心の働きはみな清らかとなる。 得大勢菩薩よ。数えることも測ることもできないほど遠い昔に、仏がおられた。その仏の名は、威音王(いおんのう)如来という。その仏の時代の名は離衰(…
『法華経』現代語訳と解説 その38 また次に常精進菩薩よ。もし良き男子や良き女子が、この経を受持し、読誦し、解説し、書写するならば、千二百の舌の功徳を得るであろう。 好ましい味、好ましくない味、おいしい味、まずい味、および多くの渋い味、苦い味など、この舌の器官においては、すべて良い味と変わり、天の甘露のようになり、好ましくないものなどないであろう。 もしその舌の器官を用いて、大衆の中において演説するならば、深く妙なる声を出して、よく人の心に入り、聞く者たちは喜びに満たされるであろう。また多くの天子、天女、帝釈天や梵天などの天的存在は、その深く妙なる声をもって演説される内容を聞いて、みな集まって…
『法華経』現代語訳と解説 その37 妙法蓮華経 法師功徳品 第十九 その時に仏は、大いなる常精進菩薩に次のように語られた。 「もし良き男子や良き女子がいて、この『法華経』を受持し、あるいは読誦し、あるいは解説し、あるいは書写したとする。その人は、まさに現世から未来世において(注1)、八百の眼の功徳、千二百の耳の功徳、八百の鼻の功徳、千二百の舌の功徳、八百の身の功徳、千二百の心の功徳を得るであろう。この功徳をもって、あらゆる器官を優れたものとし、清らかにするであろう。 この良き男子や良き女子は、生まれながらの清らかな肉眼をもって、あらゆる世界の内外にある山林や川や海を見ることができ、下は地獄の底…
『法華経』現代語訳と解説 その36 妙法蓮華経 随喜功徳品 第十八 その時に大いなる弥勒菩薩は、仏に次のように申し上げた。 「世尊よ。もし良き男子や良き女子がいて、この『法華経』を聞いて随喜するならば、どのような福を受けるのでしょうか」。 さらに偈の形をもって次のように申し上げた。 「世尊よ 仏の滅度の後に この経を聞いて随喜する者は どのような福を受けるのでしょうか」 その時に仏は、弥勒菩薩に次のように語られた。 「阿逸多よ。如来の滅度の後に、もし僧侶や尼僧や男女の在家信者、および他の智者であっても年配者であっても若者であっても、この経を聞いて、喜んで教えの場から出て、それぞれの場所に行った…
守護国家論 現代語訳 09 第四章 全体を七門に分けた第四として、謗法の者を対治すべきである証拠の文を出すならば、これに二つある。一つめは、仏法は国王大臣ならびに僧侶や尼僧や男女の在家信者に委ねるべきことを明らかにし、二つめは、まさしく謗法の人が王の治める国にいるならば、必ず対治すべきである証拠の文を明らかにする。 第一に、仏法は、国王大臣ならびに僧侶や尼僧や男女の在家信者に委ねるべきことを明らかにする。 『仁王経』には、「仏は波斯匿王(はしのくおう・歴史的釈迦の在世に、中インドを支配していたコーサラ国の王。息子の祇陀太子(ぎだたいし)は、祇園精舎のために土地を寄進し、娘の勝鬘夫人(しょうまん…
守護国家論 現代語訳 08 ただし『往生要集』は、序文を見る時は法華・真言を顕密の内に入れて、ほとんど末代の人々に相応しくないと記されているようだが、本文に入って委細に一部三巻の全体を見れば、第十の問答料簡の中で、まさしくあらゆる修行の勝劣を定める時、『観仏三昧経』・『般舟三昧経』・『十住毘婆沙論』・『宝積経』・『大集経』などの『法華経』以前の経論を引いて、すべての行に対して念仏三昧をもって王三昧(おうざんまい・最高の瞑想という意味)と定めている。そして最後に一つの問答があり、そこでは、『法華経』以前の禅定念仏三昧は、『法華経』の一念信解に百千万億倍劣ると定めている。また問いを通じて、念仏三昧…
『法華経』現代語訳と解説 その35 また如来の滅度の後に、もしこの『法華経』を聞いて、非難せず、喜びの心を起こす者があるとすれば、まさに知るべきである、これも深く信じ理解した姿である(注1)。 ましてや、読誦し受持する者はなおさらである。この人は、如来を背負っているようなものである。阿逸多よ。この良き男子や良き女子は、私のために塔や寺を建て、僧坊を作り、多くの僧のすべての生活を支えて供養する必要はない。それはなぜであろうか。この経典を受持し、読誦するこの良き男子や良き女子は、すでに塔を起て、僧坊を造立し、多くの僧を供養していることになるのだ。すなわち、仏の舎利(しゃり)をもって梵天に届くほどの…
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守護国家論 現代語訳 12 (完) 第七章 全体を七門に分けた第七として、問答形式によって答える。 もし末代の愚人が、上に述べた六門に依って、万が一も『法華経』を信じるならば、権宗の諸人は、自らの迷いに執着するために、偏った教えに執着するために、その『法華経』の行者を破ろうと、『法華経』以前の四十余年ならびに『涅槃経』などの諸経から多くを引用して、非難して来るであろう。 しかし、権教を信じる人は多く権力を持っており、あるいは世間の財力があり、あるいは世間を渡るために人々の心に従っており、あるいは、権教には学者が多く、実教には智者が少ないこともあり、このように万が一も実教を信じる者はいないのであ…
『法華経』現代語訳と解説 その48 妙法蓮華経 普賢菩薩勧発品 第二十八 その時に普賢菩薩は、自在の神通力と偉大な威徳をもって、数えることのできないほどの多くの大いなる菩薩と共に、東方から来た(注1)。その経過したところ諸国はすべてみな震動し、宝の蓮華を降らせ、無量百千万億のあらゆる伎楽が響いた。 普賢菩薩はまた、無数の天龍八部衆に囲まれ、それぞれの威徳と神通力を現わして、娑婆世界の耆闍崛山に着き、釈迦牟尼仏の足を頭につけて礼拝し、右に七周して、次のように申し上げた。 「世尊よ。私は宝威徳上王仏(ほういとくじょうおうぶつ)の国において、遥かにこの娑婆世界で『法華経』が説かれていることを聞き、無…
守護国家論 現代語訳 11 第六章 全体を七門に分けた第六として、『法華経』と『涅槃経』に依る行者の心得を明らかにする。一代教門の勝劣・浅深・難易などについては、すでに前の段落で述べた。この段落では、一向に後世を願う末代の常に迷いに沈む五逆・謗法・一闡提などの愚人のために記す。概略的に三節に分ける。一節には、在家の諸人は、正法を護持すれば生死を離れ、悪法を持てば三悪道に堕ちることを明らかにし、二節には、ただ『法華経』の名号だけを唱えて三悪道を離れるべきことを明らかにし、三節には、『涅槃経』は『法華経』のための流通(るつう・補助・宣布という意味)であることを明らかにする。 第六章 一節 第一に、…
『法華経』現代語訳と解説 その47 妙法蓮華経 妙荘厳王本事品 第二十七 その時に仏は、大衆に次のように語られた。 「無量無辺不可思議阿僧祇劫の遠い過去に、仏がいた。その名を雲雷音宿王華智多陀阿伽度・阿羅訶・三藐三仏陀(うんらいしゅくおうけちただあかど・あらか・さんみゃくさんぶっだ)という。その仏の教えを受ける者たちの中に王がいた。その名を妙荘厳(みょうしょうごん)という。その王の夫人の名を浄徳(じょうとく)という。二人の子供がいて、ひとりを浄蔵(じょうぞう)と名づけ、もうひとりを浄眼(じょうげん)と名づける。 その二人の子には、大いなる神通力、福徳、智慧があって、長い間、菩薩の行なうべき道を…
『法華経』現代語訳と解説 その46 妙法蓮華経 陀羅尼品 第二十六 その時に薬王菩薩は、座より立って、右の肩を現わして合掌し、仏に向かって次のように申し上げた。 「世尊よ。もし良き男子や良き女子がいて、『法華経』を受持し、読誦し、深く理解し、経巻を書写するならば、どれほどの福を得るのでしょうか」。 仏は、薬王菩薩に次のように語られた。 「もし良き男子や良き女子がいて、八百万億那由他の大河の砂の数ほどの諸仏を供養したとする。あなたはどう思うか。その得るところの福は多いか少ないか」。 「非常に多いです。世尊よ」。 仏は次のように語られた。 「もし良き男子や良き女子がいて、この『法華経』のひとつの四…
『法華経』現代語訳と解説 その45 妙法蓮華経 観世音菩薩普門品 第二十五 その時に無尽意(むじんに)菩薩は、座より立って、片方の右の肩を現わして(注1)、合掌し仏に向かって次のように申し上げた。 「世尊よ。観世音菩薩はどのような因縁によって、観世音と名づけられるのでしょうか」(注2)。 仏は無尽意菩薩に次のように語られた。 「良き男子よ。もし無量百千万億の衆生が、あらゆる苦悩を受けた時、この観世音菩薩の名を聞いて、一心にその名を唱えれば、観世音菩薩は即時にその声を聞き分け、みなその苦しみから脱することを得させるのだ。 もしこの観世音菩薩の名を保つ者は、たとえ大火の中に入ってしまっても、火はそ…
『法華経』現代語訳と解説 その44 妙法蓮華経 妙音菩薩品 第二十四 その時に釈迦牟尼仏は、大いなる肉髻(にくけい)から光明を放ち、および眉間にある白毫(びゃくごう)から光を放って、東方にある、百八万億那由他の大河の砂の数の諸仏の世界を広く照らされた。それほどの数の仏国土を過ぎたところに浄光荘厳(じょうこうしょうごん)という世界があった。 その国に仏がおられて、その名を浄華宿王智(じょうけしゅくおうち)如来といい、供養を受けるべき方であり、遍く正しい知識を持ち、勝れた所行を具え、善い所に到達し、世間を理解し、無上のお方であり、人を良く導き、天と人との師であり、仏であり、世尊である。無量無辺の数…
『法華経』現代語訳と解説 その43 宿王華菩薩よ。この経はすべての衆生を救うのである。この経はすべての衆生を、多くの苦悩から離れさせるのである。この経は大いにすべての衆生を導き、その願を満たすのである。それはまさに、清らかな池が、すべての渇いた者を満たすようであり、寒さを感じる者が、火を得たようであり、裸の者が衣を得たようであり、旅の商人が隊長を得たようであり、子が母を得たようであり、渡ろうとする者が船を得たようであり、病の者が医者を得たようであり、暗闇に燈火を得たようであり、貧しい者が宝を得たようであり、民が王を得たようであり、貿易商が海を得たようであり、灯が闇を除くように、この『法華経』も…
『法華経』現代語訳と解説 その42 妙法蓮華経 薬王菩薩本事品 第二十三 その時に、宿王華(しゅくおうけ)菩薩は、仏に次のように申し上げた。 「世尊よ。薬王(やくおう)菩薩は、娑婆世界においてどのようなわざを行なうのでしょうか。世尊よ。この薬王菩薩は、百千万億那由他の難行苦行をしています。良き方である世尊よ。願わくは説いてください。多くの天竜八部衆、また他の国土より来た菩薩、および声聞たちはそれを聞いてみな喜ぶでしょう」(注1)。 その時に仏は、宿王華菩薩に次のように語られた。 「無量の大河の砂の数ほどの年数が過ぎた遠い過去に、仏がいた。その名を、日月浄明徳(にちがつじょうみょうとく)如来とい…
守護国家論 現代語訳 10 第五章 全体を七門に分けた第五として、正しい教えに導く善知識の人、ならびに真実の教えにはめぐり会うことは難しいことを述べるならば、これに三節ある。 一節は、人身は受け難く仏法は会い難いことを明らかにし、二節は、受け難い人身を受け、会い難い仏法に会うといっても、悪知識に会うために三悪道に堕ちることを明らかにし、三節は、正しく末代の凡夫のための善知識について明らかにする。 第五章 第一節 人身は受け難く、仏法は会い難いことを明らかにすれば、『涅槃経』第三十三巻には、「その時、世尊は地の少土を取ってこれを爪の上に置き、摩訶迦葉に告げて言われた。この土と十方世界の地の土と、…
『法華経』現代語訳と解説 その41 妙法蓮華経 嘱累品 第二十二 その時に釈迦牟尼仏は、法座より立って、大いなる神通力を現わされた。右の手をもって無量の大いなる菩薩たちの頭の上をなでて、次のように語られた(注1)。 「私は測ることもできないほどの無量の歳月において、この得難い阿耨多羅三藐三菩提への教えを修習した。今、これをあなたがたに委ねる。あなたがたはまさに、一心にこの教えを広め、多くの人々を導くべきである」。 このように三度、多くの大いなる菩薩たちの頭の上をなでて、次のように語られた。 「私は測ることもできないほどの無量の歳月において、この得難い阿耨多羅三藐三菩提への教えを修習した。今、こ…
『法華経』現代語訳と解説 その40 妙法蓮華経 如来神力品 第二十一 その時に、千の世界を微塵にしたほどの数の大いなる菩薩たち、および地より涌き出た菩薩たちは、みな仏の前において一心に合掌し、その尊い御顔を仰ぎ見て、仏に次のように申しあげた。 「世尊よ。私たちは世尊とその分身の諸仏の国土において、その仏の滅度の後、まさに広くこの経を説くべきと存じます。なぜならば、私たちもまた自ら、この真理であり清らかな大いなる教えを得て、受持し読誦し解説し書写して、これを供養しようと願うからです」。 その時に世尊は、文殊菩薩はじめ無量百千万億の娑婆世界の大いなる菩薩たち、および多くの僧侶や尼僧や男女の在家信者…
『法華経』現代語訳と解説 その39 妙法蓮華経 常不軽菩薩品 第二十 その時に仏は、大いなる得大勢菩薩(とくだいせいぼさつ)に次のように語られた。 「あなたはまさに知るべきである。もし、『法華経』を保つ僧侶や尼僧や男女の在家信者に対して、悪口を言い、罵ったり誹謗したりするならば、大きな罪の報いを受けることは、すでに述べたとおりである。また、『法華経』を保つ者は、その功徳によって、先に説いた通り、その者の眼、耳、鼻、舌、身体、心の働きはみな清らかとなる。 得大勢菩薩よ。数えることも測ることもできないほど遠い昔に、仏がおられた。その仏の名は、威音王(いおんのう)如来という。その仏の時代の名は離衰(…
『法華経』現代語訳と解説 その38 また次に常精進菩薩よ。もし良き男子や良き女子が、この経を受持し、読誦し、解説し、書写するならば、千二百の舌の功徳を得るであろう。 好ましい味、好ましくない味、おいしい味、まずい味、および多くの渋い味、苦い味など、この舌の器官においては、すべて良い味と変わり、天の甘露のようになり、好ましくないものなどないであろう。 もしその舌の器官を用いて、大衆の中において演説するならば、深く妙なる声を出して、よく人の心に入り、聞く者たちは喜びに満たされるであろう。また多くの天子、天女、帝釈天や梵天などの天的存在は、その深く妙なる声をもって演説される内容を聞いて、みな集まって…
『法華経』現代語訳と解説 その37 妙法蓮華経 法師功徳品 第十九 その時に仏は、大いなる常精進菩薩に次のように語られた。 「もし良き男子や良き女子がいて、この『法華経』を受持し、あるいは読誦し、あるいは解説し、あるいは書写したとする。その人は、まさに現世から未来世において(注1)、八百の眼の功徳、千二百の耳の功徳、八百の鼻の功徳、千二百の舌の功徳、八百の身の功徳、千二百の心の功徳を得るであろう。この功徳をもって、あらゆる器官を優れたものとし、清らかにするであろう。 この良き男子や良き女子は、生まれながらの清らかな肉眼をもって、あらゆる世界の内外にある山林や川や海を見ることができ、下は地獄の底…
『法華経』現代語訳と解説 その36 妙法蓮華経 随喜功徳品 第十八 その時に大いなる弥勒菩薩は、仏に次のように申し上げた。 「世尊よ。もし良き男子や良き女子がいて、この『法華経』を聞いて随喜するならば、どのような福を受けるのでしょうか」。 さらに偈の形をもって次のように申し上げた。 「世尊よ 仏の滅度の後に この経を聞いて随喜する者は どのような福を受けるのでしょうか」 その時に仏は、弥勒菩薩に次のように語られた。 「阿逸多よ。如来の滅度の後に、もし僧侶や尼僧や男女の在家信者、および他の智者であっても年配者であっても若者であっても、この経を聞いて、喜んで教えの場から出て、それぞれの場所に行った…
守護国家論 現代語訳 09 第四章 全体を七門に分けた第四として、謗法の者を対治すべきである証拠の文を出すならば、これに二つある。一つめは、仏法は国王大臣ならびに僧侶や尼僧や男女の在家信者に委ねるべきことを明らかにし、二つめは、まさしく謗法の人が王の治める国にいるならば、必ず対治すべきである証拠の文を明らかにする。 第一に、仏法は、国王大臣ならびに僧侶や尼僧や男女の在家信者に委ねるべきことを明らかにする。 『仁王経』には、「仏は波斯匿王(はしのくおう・歴史的釈迦の在世に、中インドを支配していたコーサラ国の王。息子の祇陀太子(ぎだたいし)は、祇園精舎のために土地を寄進し、娘の勝鬘夫人(しょうまん…
守護国家論 現代語訳 08 ただし『往生要集』は、序文を見る時は法華・真言を顕密の内に入れて、ほとんど末代の人々に相応しくないと記されているようだが、本文に入って委細に一部三巻の全体を見れば、第十の問答料簡の中で、まさしくあらゆる修行の勝劣を定める時、『観仏三昧経』・『般舟三昧経』・『十住毘婆沙論』・『宝積経』・『大集経』などの『法華経』以前の経論を引いて、すべての行に対して念仏三昧をもって王三昧(おうざんまい・最高の瞑想という意味)と定めている。そして最後に一つの問答があり、そこでは、『法華経』以前の禅定念仏三昧は、『法華経』の一念信解に百千万億倍劣ると定めている。また問いを通じて、念仏三昧…
『法華経』現代語訳と解説 その35 また如来の滅度の後に、もしこの『法華経』を聞いて、非難せず、喜びの心を起こす者があるとすれば、まさに知るべきである、これも深く信じ理解した姿である(注1)。 ましてや、読誦し受持する者はなおさらである。この人は、如来を背負っているようなものである。阿逸多よ。この良き男子や良き女子は、私のために塔や寺を建て、僧坊を作り、多くの僧のすべての生活を支えて供養する必要はない。それはなぜであろうか。この経典を受持し、読誦するこの良き男子や良き女子は、すでに塔を起て、僧坊を造立し、多くの僧を供養していることになるのだ。すなわち、仏の舎利(しゃり)をもって梵天に届くほどの…
『天台四教儀』現代語訳 20(完) 第二節「十乗観法」 次に正式な修行における十乗観法(じゅうじょうかんぽう・観心において常に認識すべき十種の事柄)について述べる。これについては、四教でそれぞれ十種の名称は同じだが、その内容は異なる。今ここでは、円教について述べることにして、他の教えについては、この記述を通して知るべきである(注:四教それぞれで、観心の対象となる境も、観心の主体となる智も異なる)。 一つめは、観不思議境(かんふしぎきょう)である。一念の心を観じる時、すべての世界における性・相などの十如是、つまりと百界千如は、すべて備わっていて欠けるところはない、ということである。すなわち、この…
『天台四教儀』現代語訳 19 第四章「観心」 しかし、上に述べた四教によって修行する時、それぞれの教えにふさわしく、方便の修行と正式な修行ある。つまり、二十五方便(にじゅうごほうべん)と十乗観法(じゅうじょうかんぽう)である。もし各教えにおいてそれぞれを述べれば、その文は煩瑣になるであろう。その教えによって、その内容は異なるが、名称と教えは別ではないので、ここで総合的に明らかにする。それぞれの教えに合った形は、その内容から理解できるであろう。 (注:「もし各教えにおいてそれぞれを述べれば、その文は煩瑣になるであろう」とあるが、『法華玄義』においては、各教えにおける十乗観法について詳しく記されて…
『天台四教儀』現代語訳 18 第二項「十信の位」 円教の八つの位について、二番めの十信の位について述べるが、これは六根清浄位(ろっこんしょうじょうい)ともいう。初信の位で見惑を断じて真理を顕わす。蔵教の初果と通教の八人地と見地と別教の初住と同じである。位不退を証する。次の二信から七信の位に至るまでは、思惑を断じ尽くす。蔵教と通教の二仏と別教の十住の位の中の七住の位と同じである。三界の苦諦と集諦とを断じ尽くして余りはない。このために、『仁王般若経』に「十善の菩薩は大いなる心を発し、長く三界苦輪海と別れる」とある。この経文の意味は、この十善とは、それぞれの位の十善を具足することである。別教の十信は…
『天台四教儀』現代語訳 17 第一項「五品弟子位」 円教の八つの位について、まず最初の五品弟子位について述べる。この五品の一つめは随喜品である。『法華経』の「分別功徳品」に、「もしこの経を聞いて批判せず、その内容に対して喜びの心を起こす」とある通りである。 問う:どんな教えに対して喜びを起こすのか。 答える:それは妙法である。妙法とは、すなわち心(しん)である。妙と心はそのまま一つである。自由自在にどのようなものでも出すことができ、しかも自らは変わらない如意宝珠のようである。心と仏とおよび衆生の三つは無差別である。この心は、即空即仮即中である。常に智慧の対象に色形はない。常に智慧は条件によって…
『天台四教儀』現代語訳 16 第四節「円教」 (注:これ以降、化法の四教の四番めである円教の説明となるが、結局、円教が天台教学における究極的な教えであり、ここまでの蔵教・通教・別教とは次元を異にする。そのため、これまでは比較的用語だけを並べるような説明であったが、これからの箇所では教えの内容や行位も含めて詳しい説明となり、内容も長くなる)。 次に円教について述べれば、「円」には円妙・円満・円足(円具足の略)・円頓などという意味がある。このために円教と名付ける。いわゆる完全円満という意味であり、煩悩を完全に抑えること、完全な信心、煩悩を完全に断つこと、完全な修行、完全な位、仏の自らの行による完全…
『天台四教儀』現代語訳 15 第三節「別教」 次に別教について述べる。この教は界外の菩薩の法だけを明らかにするものである。教・理・智・断・行・位・因・果は前の二教と別であり、後の円教とも別であるために、別教と名付ける。 『涅槃経』に、「四諦の因緣に無量の相がある。声聞と縁覚が知るところではない」とある。あらゆる大乘経典に広く述べられているところの、菩薩が長い期間に渡って経るべき修行の行位の順番については、互いに共通したところがない。そもそもそれ自体が、別教で明らかにするところなのである。 具体的にあげると、まず『華厳経』では、十住・十行・十迴向の行位を「賢位」として 十地を「聖位」とし、さらに…
『天台四教儀』現代語訳 14 第二節「通教」 次に通教について述べる。前の藏教に通じ、後の別教と円教に通じるために、通教と名付けられる。また、この教えの特徴によって名を得る。つまり、声聞と縁覚と菩薩の三人が同じく真理は言葉では表現できないという教え(=無言說)をもって、色形があると思われるすべてがそのまま空である、と悟ることによって、通教と名付けられる。 (注:蔵教では、すべての存在を分析して、実体がない、つまり空であると悟る教えであるが、通教では、分析するのではなく、すべてそのままが実体のないものだ、と体得するため、蔵教を析空観(しゃっくうがん)というのに対して、体空観(たいくうがん)という…
『天台四教儀』現代語訳 13 ③「菩薩」 次の菩薩の位は、初発心(しょほっしん・初めて悟りを得ようという心を発した時という意味)の最初から四諦を修行の対象として、四弘誓願(しぐせいがん・四つの優れた誓願という意味。後述あり)を起こし、六波羅蜜(ろくはらみつ・六度ともいう。波羅蜜は完成という意味の古代インド語のパーラミタ―の音写。菩薩の六つの修行項目。すなわち、施しをする布施波羅蜜、戒律を保つ持戒波羅蜜、忍耐をする忍辱波羅蜜、努力をする精進波羅蜜、禅定を修す禅定波羅蜜、智慧を悟る般若波羅蜜の六つ)を修す。 その四弘誓願の四つは次の通りである。一つめは、まだ苦しみから脱していない者を苦しみから解放…
『天台四教儀』現代語訳 12 ②「縁覚」 次の縁覚は、またの名を独覚(どっかく・一人で悟るという意味)という(注:独覚については後述される。まず述べられる十二因縁の教えを受けた縁覚は、厳密には独覚とは言えない)。 縁覚は、仏がこの世にいる時代にあって、仏から十二因縁の教えを受けた者である。十二因縁とは(注:これから十二因縁の説明の箇所となるが、ここでの説明は、十二因縁を、人間が過去世の因によって受胎し、そして生まれてから死ぬまでの段階を表現するものという解釈に立っている。しかし、そのような生物学的にも思える解釈ではなく、あくまでも魂の働きという目に見えない霊的動きを十二段階に分けて表現するもの…
『天台四教儀』現代語訳 11 第三項「修行」 (注:先に、三蔵教の教理として四諦があげられたが、次に三蔵教の修行について述べられる。これを「行位(ぎょうい)」ともいう。 なお、特に蔵教の教理と修行については、非常に項目が多い。なぜなら、蔵教はこの世の事象的な次元ですべてを考えるので、大変具体的に説かれるからである。これが、次第に教えが理法的な次元になっていくと、空(くう)とか中道(ちゅうどう)などという抽象的な教えが中心となり、多くの項目が説かれるのではなく、定型化された修行の段階が中心となって説かれるようになる。しかしそれは、この世の日常を超えた次元のことと言わざるを得ず、かえって具体的でな…
『天台四教儀』現代語訳 10 ②「集諦」 四諦の第二は、集諦(じったい・苦しみの原因は煩悩であるということ)である。集諦はすなわち、見思惑(けんしわく)のことであり、または見修(けんしゅう)といい、または四住(しじゅう)という。 (注:集諦の段落では、煩悩とは何か、という説明となる。天台教学においては、断ち切るべき最初の煩悩は「見思惑」であるという。以下に記されている名称は、見思惑の別名に過ぎない。見思惑は、「見惑」と「思惑」の二つのことである。見惑とは、この世で生きながら身についてしまった誤った見解、思想、考え方のことである。これが最初に断ち切られるべき煩悩であり、確かに、これはどのように誤…
『天台四教儀』現代語訳 09 第二項「四諦」 (注:この三蔵教の教理として、四諦があげられる。この箇所の記述は大変長い) この三蔵教においては、声聞と縁覚と菩薩の三乗の違いがある。最初の声聞の人は、「生滅四諦(しょうめつのしたい・一般的に言われる四諦とはこれである。諦とは真理という意味。天台教学では後の箇所に述べられるが、『涅槃経』の経文に基づいて、これを含めて四種の四諦を説く。生滅四諦はその第一である)」の教えによる。 ①「苦諦」 四諦の第一は、苦諦(くたい・すべては苦しみであるということ)である。これは、二十五有(にじゅうごう)と依正二報(えしょうにほう)のことである。 (注:依正二報の「…
『天台四教儀』現代語訳 08 第三章「化法の四教」 第一節「三蔵教」 第一項「三蔵教とは」 これから化法の四教について述べる。第一の三蔵教の三とは、『四阿含経』などの修多羅蔵(しゅたらぞう・修多羅とは、すでに述べられたように、十二部経の分類から見れば散文の経典を指すが、すべての経典一般を指す場合もあり、ここではその後者であって経蔵ともいう)、『倶舎論(くしゃろん)』『毘婆沙論(びばしゃろん)』などの阿毘曇藏(あびどん・阿毘曇とはアビダルマの音写文字で、意味は経典を解釈した論書のこと。論蔵ともいう)、『五部律』などの毘尼藏(びにぞう・毘尼とはビナヤの音写文字で、戒律という意味。律蔵ともいう)の三…
『天台四教儀』現代語訳 07 第七節「問答」 (注:ここでは、これまで記されてきたことについての問答形式の内容となる)。 問う:この『涅槃経』に四教が説かれていると言うが、前の方等時の経典も四教を説いている。それらは同じとするのか、異なっているとするのか。 答える:名称は同じであっても、意義は異なっている。方等時の経典で説かれる四教について述べれば、まず円教においては、最初から最後まで(注:修行の初心者も究めた者も、という意味)、共に常住を知っている。別教においては、すなわち最初は知らずに、最後で知る。蔵教と通教では、最初も最後も知らない。しかし、『涅槃経』における四教では、最初も最後も知って…
『天台四教儀』現代語訳 06 第二項「涅槃経」 (注:第六節「法華涅槃時」の第二項となる。先に『法華経』について述べられたので、次に第二項として「涅槃経」とする)。 次に『涅槃経』について説く。 (注:原文では、「次に大涅槃を説く」と表記されている。「大涅槃」という言葉は、大いなる涅槃という意味である。「涅槃」は、古代インド語の「ニルヴァーナ」の音写語で、煩悩が完全に消え去ったという意味であり、またそこから仏の入滅を指す言葉となる。『涅槃経』に分類される経典にはいくつかあるが、大乗仏教においては『大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)』が用いられる。その経典名も大涅槃と意味的には同じであるが、『大…
『天台四教儀』現代語訳 05 第六節「法華涅槃時」 (注:前回見たように、化儀の四教はすでに終わった。ここからは、五時と五味のみの範囲となる。五時は法華涅槃時であるが、本文ではまず『法華経』について述べられるので、第六節第一項として「法華経」とする)。 第一項「法華経」 次に『法華経』について説く。前に述べた頓教と漸教を開いて、非頓非漸に会入(えにゅう)する。このために、開権顕実(かいごんけんじつ)という。また廃権立実(はいごんりゅうじつ)という。また会三帰一(えさんきいつ)という。これらの名称は、『法華経』以前に説かれた経典でも見られるが、その意義は『法華経』では異なっているのである。 (注…
『天台四教儀』現代語訳 04 第五節「秘密教・不定教」 (注:前に、化儀の四教は、頓教・漸教・秘密教・不定教の四つであると述べた。そしてここまで、頓教と三つの漸教の計四つの教えについて見てきた。そして、ここから、残りの秘密教と不定教について見るわけだが、この二つの教えの分類については、今までとパターンが異なってくる。頓教と漸教に対しては、常識的な思考がじゅうぶん通用すると言える。つまりわかりやすい。しかし、この秘密教と不定教については、常識的な思考に執着すると、「そんなわけがないだろう」という思いが湧いてしまうのである。つまりこれから見る箇所は、信心をもって読み、さらに、これは常識を超えた霊的…
『天台四教儀』現代語訳 03 第二節「三蔵教」 第二の漸教には、三教がある。一つめは鹿苑時(ろくおんじ=三蔵教)であり、二つめは方等時(ほうとうじ=方等教)であり、三つめは般若時(はんにゃじ=般若教)であり、それぞれに五味の喩えの一味ずつが当てはまる。漸次すなわち段階的に悟りに導く教えなので、「漸」と名付けられる。声聞と縁覚(えんがく・釈迦の弟子ではないが、釈迦と同じ悟りを自ら悟り、また弟子を作らず終生一人でいる者を指す)と菩薩の三乗(さんじょう・乗とは教えを乗り物に喩えた言葉。ここでは声聞と縁覚と菩薩の三種を指す)によってそれぞれ導かれるべき能力の人々は、頓教では無益だったので、本体はその寂…
『天台四教儀』現代語訳 02 第二章「五時・五味のたとえ・化儀の四教」 第一節「頓教」 最初に五時と五味および化儀の四教について述べ、次に、化法の四教である蔵教・通教・別教・円教について述べる。 (注:これから述べられる順番としては、前にも述べたように、経典が説かれた順番の五時と、人々を教化する形式である化儀の四教は密接な関係があるので、最初に経典が語られた順番を示す五時と、この五時を乳製品の発酵過程にたとえた五味のたとえ、そしてそれと共に教化する形式を示す化儀の四教について述べられ、それが終わってから次に、経典の教えの内容を明らかにする化法の四教が述べられることになる)。 化儀の四教の第一は…
『天台四教儀』現代語訳 01 天台四教儀 (注:天台四教儀(てんだいしきょうぎ)は、天台教学の入門書として広く読まれてきた仏教書である。しかし、その内容は、『法華玄義』を読むにあたっての「手引書」の性格があると私(この現代語訳の訳者)は考えている。その証拠に、この書の最後には「若要委明之者。請看法華玄義十卷」、訳せば、「もし詳しく知りたいなら、法華玄義十巻を読むように」と記されている。この天台四教儀は一巻と短いものであるが、その現代語訳を通して、この書の真実の姿を明らかにしたい)。 高麗の沙門である諦観が筆録する。 (注:諦観(たいかん)は、朝鮮半島の高麗の僧である。生没年は不詳。中国仏教は、…