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2019/07/07

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  • 天台四教儀 現代語訳 20(完)

    『天台四教儀』現代語訳 20(完) 第二節「十乗観法」 次に正式な修行における十乗観法(じゅうじょうかんぽう・観心において常に認識すべき十種の事柄)について述べる。これについては、四教でそれぞれ十種の名称は同じだが、その内容は異なる。今ここでは、円教について述べることにして、他の教えについては、この記述を通して知るべきである(注:四教それぞれで、観心の対象となる境も、観心の主体となる智も異なる)。 一つめは、観不思議境(かんふしぎきょう)である。一念の心を観じる時、すべての世界における性・相などの十如是、つまりと百界千如は、すべて備わっていて欠けるところはない、ということである。すなわち、この…

  • 天台四教儀 現代語訳 19

    『天台四教儀』現代語訳 19 第四章「観心」 しかし、上に述べた四教によって修行する時、それぞれの教えにふさわしく、方便の修行と正式な修行ある。つまり、二十五方便(にじゅうごほうべん)と十乗観法(じゅうじょうかんぽう)である。もし各教えにおいてそれぞれを述べれば、その文は煩瑣になるであろう。その教えによって、その内容は異なるが、名称と教えは別ではないので、ここで総合的に明らかにする。それぞれの教えに合った形は、その内容から理解できるであろう。 (注:「もし各教えにおいてそれぞれを述べれば、その文は煩瑣になるであろう」とあるが、『法華玄義』においては、各教えにおける十乗観法について詳しく記されて…

  • 天台四教儀 現代語訳 18

    『天台四教儀』現代語訳 18 第二項「十信の位」 円教の八つの位について、二番めの十信の位について述べるが、これは六根清浄位(ろっこんしょうじょうい)ともいう。初信の位で見惑を断じて真理を顕わす。蔵教の初果と通教の八人地と見地と別教の初住と同じである。位不退を証する。次の二信から七信の位に至るまでは、思惑を断じ尽くす。蔵教と通教の二仏と別教の十住の位の中の七住の位と同じである。三界の苦諦と集諦とを断じ尽くして余りはない。このために、『仁王般若経』に「十善の菩薩は大いなる心を発し、長く三界苦輪海と別れる」とある。この経文の意味は、この十善とは、それぞれの位の十善を具足することである。別教の十信は…

  • 天台四教儀 現代語訳 17

    『天台四教儀』現代語訳 17 第一項「五品弟子位」 円教の八つの位について、まず最初の五品弟子位について述べる。この五品の一つめは随喜品である。『法華経』の「分別功徳品」に、「もしこの経を聞いて批判せず、その内容に対して喜びの心を起こす」とある通りである。 問う:どんな教えに対して喜びを起こすのか。 答える:それは妙法である。妙法とは、すなわち心(しん)である。妙と心はそのまま一つである。自由自在にどのようなものでも出すことができ、しかも自らは変わらない如意宝珠のようである。心と仏とおよび衆生の三つは無差別である。この心は、即空即仮即中である。常に智慧の対象に色形はない。常に智慧は条件によって…

  • 天台四教儀 現代語訳 16

    『天台四教儀』現代語訳 16 第四節「円教」 (注:これ以降、化法の四教の四番めである円教の説明となるが、結局、円教が天台教学における究極的な教えであり、ここまでの蔵教・通教・別教とは次元を異にする。そのため、これまでは比較的用語だけを並べるような説明であったが、これからの箇所では教えの内容や行位も含めて詳しい説明となり、内容も長くなる)。 次に円教について述べれば、「円」には円妙・円満・円足(円具足の略)・円頓などという意味がある。このために円教と名付ける。いわゆる完全円満という意味であり、煩悩を完全に抑えること、完全な信心、煩悩を完全に断つこと、完全な修行、完全な位、仏の自らの行による完全…

  • 天台四教儀 現代語訳 15

    『天台四教儀』現代語訳 15 第三節「別教」 次に別教について述べる。この教は界外の菩薩の法だけを明らかにするものである。教・理・智・断・行・位・因・果は前の二教と別であり、後の円教とも別であるために、別教と名付ける。 『涅槃経』に、「四諦の因緣に無量の相がある。声聞と縁覚が知るところではない」とある。あらゆる大乘経典に広く述べられているところの、菩薩が長い期間に渡って経るべき修行の行位の順番については、互いに共通したところがない。そもそもそれ自体が、別教で明らかにするところなのである。 具体的にあげると、まず『華厳経』では、十住・十行・十迴向の行位を「賢位」として 十地を「聖位」とし、さらに…

  • 天台四教儀 現代語訳 14

    『天台四教儀』現代語訳 14 第二節「通教」 次に通教について述べる。前の藏教に通じ、後の別教と円教に通じるために、通教と名付けられる。また、この教えの特徴によって名を得る。つまり、声聞と縁覚と菩薩の三人が同じく真理は言葉では表現できないという教え(=無言說)をもって、色形があると思われるすべてがそのまま空である、と悟ることによって、通教と名付けられる。 (注:蔵教では、すべての存在を分析して、実体がない、つまり空であると悟る教えであるが、通教では、分析するのではなく、すべてそのままが実体のないものだ、と体得するため、蔵教を析空観(しゃっくうがん)というのに対して、体空観(たいくうがん)という…

  • 天台四教儀 現代語訳 13

    『天台四教儀』現代語訳 13 ③「菩薩」 次の菩薩の位は、初発心(しょほっしん・初めて悟りを得ようという心を発した時という意味)の最初から四諦を修行の対象として、四弘誓願(しぐせいがん・四つの優れた誓願という意味。後述あり)を起こし、六波羅蜜(ろくはらみつ・六度ともいう。波羅蜜は完成という意味の古代インド語のパーラミタ―の音写。菩薩の六つの修行項目。すなわち、施しをする布施波羅蜜、戒律を保つ持戒波羅蜜、忍耐をする忍辱波羅蜜、努力をする精進波羅蜜、禅定を修す禅定波羅蜜、智慧を悟る般若波羅蜜の六つ)を修す。 その四弘誓願の四つは次の通りである。一つめは、まだ苦しみから脱していない者を苦しみから解放…

  • 天台四教儀 現代語訳 12

    『天台四教儀』現代語訳 12 ②「縁覚」 次の縁覚は、またの名を独覚(どっかく・一人で悟るという意味)という(注:独覚については後述される。まず述べられる十二因縁の教えを受けた縁覚は、厳密には独覚とは言えない)。 縁覚は、仏がこの世にいる時代にあって、仏から十二因縁の教えを受けた者である。十二因縁とは(注:これから十二因縁の説明の箇所となるが、ここでの説明は、十二因縁を、人間が過去世の因によって受胎し、そして生まれてから死ぬまでの段階を表現するものという解釈に立っている。しかし、そのような生物学的にも思える解釈ではなく、あくまでも魂の働きという目に見えない霊的動きを十二段階に分けて表現するもの…

  • 天台四教儀 現代語訳 11

    『天台四教儀』現代語訳 11 第三項「修行」 (注:先に、三蔵教の教理として四諦があげられたが、次に三蔵教の修行について述べられる。これを「行位(ぎょうい)」ともいう。 なお、特に蔵教の教理と修行については、非常に項目が多い。なぜなら、蔵教はこの世の事象的な次元ですべてを考えるので、大変具体的に説かれるからである。これが、次第に教えが理法的な次元になっていくと、空(くう)とか中道(ちゅうどう)などという抽象的な教えが中心となり、多くの項目が説かれるのではなく、定型化された修行の段階が中心となって説かれるようになる。しかしそれは、この世の日常を超えた次元のことと言わざるを得ず、かえって具体的でな…

  • 天台四教儀 現代語訳 10

    『天台四教儀』現代語訳 10 ②「集諦」 四諦の第二は、集諦(じったい・苦しみの原因は煩悩であるということ)である。集諦はすなわち、見思惑(けんしわく)のことであり、または見修(けんしゅう)といい、または四住(しじゅう)という。 (注:集諦の段落では、煩悩とは何か、という説明となる。天台教学においては、断ち切るべき最初の煩悩は「見思惑」であるという。以下に記されている名称は、見思惑の別名に過ぎない。見思惑は、「見惑」と「思惑」の二つのことである。見惑とは、この世で生きながら身についてしまった誤った見解、思想、考え方のことである。これが最初に断ち切られるべき煩悩であり、確かに、これはどのように誤…

  • 天台四教儀 現代語訳 09

    『天台四教儀』現代語訳 09 第二項「四諦」 (注:この三蔵教の教理として、四諦があげられる。この箇所の記述は大変長い) この三蔵教においては、声聞と縁覚と菩薩の三乗の違いがある。最初の声聞の人は、「生滅四諦(しょうめつのしたい・一般的に言われる四諦とはこれである。諦とは真理という意味。天台教学では後の箇所に述べられるが、『涅槃経』の経文に基づいて、これを含めて四種の四諦を説く。生滅四諦はその第一である)」の教えによる。 ①「苦諦」 四諦の第一は、苦諦(くたい・すべては苦しみであるということ)である。これは、二十五有(にじゅうごう)と依正二報(えしょうにほう)のことである。 (注:依正二報の「…

  • 天台四教儀 現代語訳 08

    『天台四教儀』現代語訳 08 第三章「化法の四教」 第一節「三蔵教」 第一項「三蔵教とは」 これから化法の四教について述べる。第一の三蔵教の三とは、『四阿含経』などの修多羅蔵(しゅたらぞう・修多羅とは、すでに述べられたように、十二部経の分類から見れば散文の経典を指すが、すべての経典一般を指す場合もあり、ここではその後者であって経蔵ともいう)、『倶舎論(くしゃろん)』『毘婆沙論(びばしゃろん)』などの阿毘曇藏(あびどん・阿毘曇とはアビダルマの音写文字で、意味は経典を解釈した論書のこと。論蔵ともいう)、『五部律』などの毘尼藏(びにぞう・毘尼とはビナヤの音写文字で、戒律という意味。律蔵ともいう)の三…

  • 天台四教儀 現代語訳 07

    『天台四教儀』現代語訳 07 第七節「問答」 (注:ここでは、これまで記されてきたことについての問答形式の内容となる)。 問う:この『涅槃経』に四教が説かれていると言うが、前の方等時の経典も四教を説いている。それらは同じとするのか、異なっているとするのか。 答える:名称は同じであっても、意義は異なっている。方等時の経典で説かれる四教について述べれば、まず円教においては、最初から最後まで(注:修行の初心者も究めた者も、という意味)、共に常住を知っている。別教においては、すなわち最初は知らずに、最後で知る。蔵教と通教では、最初も最後も知らない。しかし、『涅槃経』における四教では、最初も最後も知って…

  • 天台四教儀 現代語訳 06

    『天台四教儀』現代語訳 06 第二項「涅槃経」 (注:第六節「法華涅槃時」の第二項となる。先に『法華経』について述べられたので、次に第二項として「涅槃経」とする)。 次に『涅槃経』について説く。 (注:原文では、「次に大涅槃を説く」と表記されている。「大涅槃」という言葉は、大いなる涅槃という意味である。「涅槃」は、古代インド語の「ニルヴァーナ」の音写語で、煩悩が完全に消え去ったという意味であり、またそこから仏の入滅を指す言葉となる。『涅槃経』に分類される経典にはいくつかあるが、大乗仏教においては『大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)』が用いられる。その経典名も大涅槃と意味的には同じであるが、『大…

  • 天台四教儀 現代語訳 05

    『天台四教儀』現代語訳 05 第六節「法華涅槃時」 (注:前回見たように、化儀の四教はすでに終わった。ここからは、五時と五味のみの範囲となる。五時は法華涅槃時であるが、本文ではまず『法華経』について述べられるので、第六節第一項として「法華経」とする)。 第一項「法華経」 次に『法華経』について説く。前に述べた頓教と漸教を開いて、非頓非漸に会入(えにゅう)する。このために、開権顕実(かいごんけんじつ)という。また廃権立実(はいごんりゅうじつ)という。また会三帰一(えさんきいつ)という。これらの名称は、『法華経』以前に説かれた経典でも見られるが、その意義は『法華経』では異なっているのである。 (注…

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