日課を欠かさずに実行することは、骨の折れることだ。最近は気候に恵まれて、朝は5時起床、約30分でブログを書き、午前と午後の2回に約3キロを散歩する。雨の日は、降らない時を見計らって、歩くようにしている。リハビリも根気がいるものだ。目下のところは、継続中である。この先寒くなると室内のウォーキングマシンで歩くようになるでしょう。頭は依然として「鉢担ぎ」のような状態で、フラツキは治っていない。今後ともフラツキは付き纏うことになりそうだ。外出して歩けるだけでもありがたいと思う。「話せない・歩けない・寝たきり」の友を思うと、辛いことだろう。肉体が不自由になると、気ばかり焦り、思うように動けないので、時として焦ってイライラする。元気な頃を想いだしながら、今日も散歩に出かけた。夜明け前日課は欠かさず・・・
老いを重ねるほどに、若さを羨むようになってくる。肉体的にも、精神的にも、若くありたいと願う。つい最近まで、精神も・肉体も人より若いと自惚れてきた。美しいものを見ては感動し、素晴らしいものに出会っては、心躍らせたものだ。3年前に大病を患って以来、肉体は不自由となり精神も老いを自覚するようになった。気持ちだけは若くありたいと願ってきたが、肉体がそれを許してくれないようだ。今だに感動する心は衰えないが、若さとは両々相まって成り立つものと思うようになった。精神・肉体は一体となって若さを保つが、精神が先だと今でも思っている。朝日に輝く若さは感動から・・・
フランシスコ教皇が長崎と広島を訪れて、人類にとって貴重な言葉を遺していかれた。13億人の信徒の上に立つ教皇の言葉として、心に響いた。核兵器を使用することは勿論、所有することも犯罪以外の何物でもないと世界に向けて発せられた言葉である。核兵器の使用・所有は倫理に悖るとも宣言された。これはモーゼの「十戒」にも匹敵する言葉だこの言葉が世界に向かってどのような波紋を描いていくのか、被爆者の方々のみならず、期待したい。流石は世界の指導者と感銘を受けたのは私だけではないだろう。平和の輪が波紋となって、世界に向かって広がって行くことを願ってやまない。平和こそ人類の願いだ。平和の波は広島・長崎からフランシスコ教皇が残していった言葉・・・
日本の食料自給率は37%という、何時の間にか、40%を割ってしまった。我々が食べているものの、過半数は外国産である。主要先進国では最下位になっている。穀物の自給率では世界で123位となっている。平時において問題なくとも、世界的規模の不作が続けば、完全にお手上げだ。世界的不作になれば、誰も助けてはくれまい。食糧問題になると、つい、戦時中の「食料不足による配給制度」を思い出してしまう。校庭まで耕して、芋や大豆を植えたのを忘れてしまったのか。何かがあれば、パニックになること必定だ。国民も食糧の自給率にもっと真剣に関心を持ってほしい。パパイヤ実る食糧自給率にもっと関心を・・・
「行く河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず、よどみに浮かぶ泡沫は、且つ消え、且つ結びて、久しくとどまりたるためしなし」と方丈記は言う。吉野川上流の大歩危・小歩危を旅して「鴨長明」の名作が頭をかすめた。水は流れて初めて、清流になる。元にとどまれば淀んでしまう。清流は美しく、清らかで澄んでいる。人の世もこのようにありたいものだ。物事が滞ると、淀むことになる。滞れば、清流は濁流になる。心が濁流になれば、悪の道が待っている。人生も水の如く、滔々と流れてほしいものだ、淀むことなく・・・。晩秋の十和田湖清流の如く美しく・清く・・・
昨日、38年ぶりにフランシスコ教皇が訪日された。核兵器の全面禁止を世界に向けて発信されるという。そんな時期に日本では武器の「国際見本市」が開催されているのは皮肉なことだ。武器の売買は「死の商人」と言われてきた。平和国家の日本で開催されているとはなんと皮肉な巡り合わせだろう。防衛器具といえば聞こえは良いが、「武器は武器」であることに変わりはない。「核兵器禁止条約」を批准しない日本、皮肉に皮肉が重なることになる。為政者は、戦争はいかなる理由があっても「絶対悪」だと認識してほしい。戦争の絶えない米国へ追従するのは、情けないではないか。儲けば良しとする価値観は、如何なものかと思う。文字通り「武器よ、さらば」と願いたい。平和の像それでも平和国家といえるのか・・・
《前日に続いて》✖✖ハラースメントは日本社会全般に蔓延している。原型は①封建時代の悪しき名残り②男尊女卑③イジメにあるように思う。WEFの「女性の地位ランキング」では、日本は世界で110位、韓国は115位だそうだ。女性は「マタニティーマーク」を恥ずかしくて着用できないというではないか。職場や組織では上司や権力者が、尊大に振舞っている光景がしばしば見られる。ハラースメント(弱い者イジメ)は、人間関係のあり方の問題だ。社会全体が「弱い者イジメ」になっていないか、謙虚に見直すべきチャンスと思う。世界に通用する国家を目指すには、悪しき伝統は壊すべき時だと思う。「✖✖ハラースメント」を聞くにつけ、我々の精神構造を変えるしか方法はない。窓際のシクラメン人間関係の見直しを・・・
昨年来、パワハラ・セクハラが社会問題になっている。今回は続いて「マタニティ・ハラースメント」が指摘されている。「妊婦」に助けずに、嫌がらせをする行為をいう。いずれにしろ、子供の「イジメ」と同列の「弱い者いじめ」だ。日本人は、本来、心優しい国民であったはずだ。何時の頃から「イジメ」が横行するようになったのか。欲求不満が人を苛立せ、他人を思いやる優しさを失くしてしまったのか、悲しいことだ。少子化が問題視されている今、「妊婦」に対して、特段の優しさが求められる。苛立つと周りに当り散らすのが世の常だ。社会の病的現象と言わざるを得ない。宮島・紅葉谷の紅葉ハラースメントに思う・・・
選挙のある度ごとに想うことがある。それは、これからの日本の針路を示すビジョンがないことだ。各政党とも政策は羅列しているが、具体的ビジョンが見えてこない。この国をどういう国家に作り上げていくのが、判らない。平和国家を目指すなら、防衛費は最低限で良い。混沌としている世界で、平和国家の日本がリーダーシップを発揮すべき絶好のチャンスではないか。何時までアメリカの属国でいるつもりなのか。「核禁止条約」をリードする役割を放棄する気なのか。国民が納得するビジョンが是非とも必要だ。目標を示せない国家に未来はないように思う。長崎の夜景国家の進むべき道筋を・・・
最近、近郊の乗り合いバスに乗ると、無料パスで乗り降りする人が多くなった。彼らは男の高齢者が多く、多分、運転免許証を返納した人達だろう。池袋の親子殺傷事件以来、急増したように思う。私もその内の一人だが、以来、不便に甘んじている。しかしながら、今思うに、返納して良かったと思う。運転を始めて約40年間、よくぞ他人様に損傷を与えずに済んだものと驚いている。自損事故は3~4回はあったが、よくぞ今まで無事だったと感謝の念でいっぱいだ。負け惜しみではないが、返納して良かったと思う。自動車は現代の凶器だ。暮れゆく・嫁が島の夕陽人身事故ゼロでゴールイン・・・
またまたアメリカで高校生による銃乱射事件が勃発した。銃の保有を禁止しない限り、銃乱射事件は後を絶たない。民主国家のふりをしているが、野蛮国家と言わざるを得ない。何故、民主国家を標榜する米国が、銃規制に踏み切れないのか、理解に苦しむ。ライフル協会の反対と自分の命は自分で守ることを理由に放置してきた結果だ。オバマ大統領は、銃規制を推進しかかったが、阻止されてしまった。アメリカは今なお、野蛮国家だ。世界に胸を張れる国になってほしいものだ。戦争と銃による暴力は、絶対悪だ。戦艦大和のミニチュア版アメリカは銃乱射の野蛮国家・・・
全国津々浦々までにコンビニは広まってきた。コンビニは「ConvinienceStore」の略で、「便利な店舗」を意味する。人は便利な買い物を求めて「コンビニ」は発展してきたのだろう。便利は結構だが、果たして24時間営業する必要があるのだろうか。店主達から「人手不足」「採算性」などの理由から、反対運動が始まったのだろう。一部には必要かもしれないが、深夜に果たしてどれほどの必要性があるのだろうか。光熱費、従業員の確保、採算性等考慮すると、素人の私でさえ、不合理と考える。「地球温暖化」が叫ばれている今こそ、必要なところに限定すべきではないか。先ずは、便利さに拘らずに、営業時間を見直すべきである。海峡の朝コンビニの24時間営業に思う・・・
過日、テレビから懐かしい歌声が聞こえてきた。「故郷」「旅愁」「庭の千草」等々の混声コーラスだった。静かに聞き入っていると、詩の美しさに気が付いた。嘗て学校で習った懐かしい曲は、言葉が洗練されていたと感心させられた。練りに練った美しい歌詞だと思った。日本語は素晴らしく、美しい響きがあるものと新めて感心した。古来の名作には、美しい言葉と響きとリズムがある。新語ばかりに興味が行っているような昨今だ。新しく生まれてきた「新語」も美しい言葉として、後世に残したいものだ。窓際のシクラメン日本語は美しく輝いている・・・
口は命の出入り口だ、「口は禍の元」というではないか。悪い物を食べれば病を招き、一旦吐いた言葉は元に戻らず、命取りになることがある。口はその人の生命を背負っているといっても過言ではない。一歩誤れば「口は禍の元」になってしまう。特に「言葉」は、使い方によっては「凶器」にもなるし、優しい言葉は「愛の泉」になることがある。美しい言葉は詩になり歌となって、人の心に潤いを与える。美しい言葉は、人に「品格」を与える。普段は無造作に使っている口だが、命の根幹を支えてくれているのだ。口には生命の泉が湧き上がるのだ。お伽の国・広島ドリミネーション食は命の入り口、言葉は出口・・・
人物写真を撮っていて、感じることがある。人の笑顔は、美しく素敵だと思うことだ。人を撮るときには、連写することにしている。刻々変化する表情を写し取って、最も素敵な笑顔を選んで残すことにしている。ある時、テレビで「君が笑えば、世界が輝く」というフレーズを聞いたときに思った。人間の笑顔ほど、輝いて美しいものはない、どんなに美しい景観よりも・・・。世界中の人が心から笑えば、どんなに平和な世界になるだろうと想像してみた。笑顔のある社会を作りたいものである。バラ香る君が笑えば、世界が輝く・・・
天皇陛下の「即位の礼」も、滞りなく終わり、祝賀パレードも晴れやかに行われた。沿道には、十数万人の国民がこれを熱狂的に祝った。陛下のライフワークは、「水の研究」という。水はカメレオンのように、千変万化する。一滴の水は山を下り、やがて大河となって、生命に潤いをもたらす。暴れだすと豪雨となり土砂崩れ津波を招き、空前の災害をもたらす。生命にとっては、水は空気と同様に絶対無くてはならないものである。ギリシャの哲学者「タレス」は「万物の根源は水である」と言った。陛下の水の研究と弥栄を願ってやまない。記憶に残る佳き一日であった>。菊花香る水は自然の恵み・・・
この間、理髪店で頭を整髪してもらっている間、店主と世間話となった。その際、記憶に残っているのは、若者達の姿・形だった。身長は伸び、骨格は逞しいが、顔・形はほっそりして、小顔になってきた。顎はツルリとして、下顎の張っている子たちが少なくなったことだ。多分、肉食や固いものを食べなくなってきたからではないか。「男子」は優しく女性的に、「女子」は逞しく男性的に変ってきているようだ。それは「生活習慣」と「食生活」によるものではないか。時の流れによって、人の人品・骨柄も変わっていくものだと思った。吉野ケ里遺跡の風景食は人品骨柄まで変える・・・
親しい友人・知人との別離は寂しくて悲しい。別れて初めて分かるのは、真の友情と人情だ。離れていても会いたい、語り合いたい人が本物の友と思う。共に活動しているときは、特段の親密さはなくとも、離れて初めて知る友情もある。親密に付き合っていても、別れてから、疎遠になる人も多い。「去る者日々に疎し・・・」の格言があるが、それが普通の付き合いなのだろう。時には別れて初めて知る友情もある。生きてる間に解り合えれば良いと思っても、気付かないこともある。今頃になって、己の鈍感さに気が付く始末である。「朋有り、遠方より来る、亦、楽しからずや」と論語にもある。関門海峡の朝別れて初めて知る真の友情・・・
アメリカ合衆国は、元々移民で成り立った国だ。州と州とが合併して合衆国になったのだ。トランプさんは、中南米や中東から押し寄せる難民を阻止する動きに出た。そのために、メキシコとの国境沿いに膨大な塀を築き、法的にも阻止しようとした。ところが、難民達は次から次へと押し寄せてくる。地球は人が住むために存在する。自国を捨ててまで亡命する難民を止めることは困難だ。移民の国が移民を排斥することは、自己矛盾だ。難民を受け入れる余地の有無が問題だ。アメリカにはその余地がないのなら、理解できる。ヨーロッパにしても、避難民の受け入れを拒絶する国々がある。ドイツのメルケル首相は苦境に立っているが立派だ、人道主義に立っいる。気宇雄大に大山移民の国が移民を排斥する・・・
毎日毎日、凶悪な犯罪が多発している。昔人間の我々には、想像もできないことである。きっと、心の「闇=病(ヤミ)」が乗り移ったのかもしれない。「心の闇」に「サタン(悪魔)」が棲みついたのだろう。常識では考えにくい事件が多い。犯罪者に良識と良心があれば、あんな惨ったらしい犯罪はできない筈だ。特に心が痛むのは、幼児虐待事件である。幼い子供を夫婦の一方がなぜ阻止できなかったのかと不思議に思う。幼児虐待事件は、昔からもあっただろうが、昨今はあまりに多すぎる。「躾」とか「教育」と称して、我が子を折檻する親達の気が知れない。広島・呉港にて心に巣くう闇=病(ヤミ)・・・
先ごろNHKで「発達障害」に関する特別番組が放送された。「発達障害」は子供特有の「知的障害」とばかり思っていた。ところが大人になっても存在することを聞いて、驚くとともに、衝撃だった。自閉症(ASD)」や注意力散漫・物忘れ(ADHD)等は大人になっても見受けられる。自分自身問題ないかと心配になり、拝聴することにした。日常生活で支障ない限り、心配することはないとのことで安堵した。確かに成人しても、「自閉症」や「物忘れ」等は身近にも存在していると思う。「発達障害」は画家の山下清さんも該当するらしいが、注意しなければならない。特に「物忘れ」については要注意だ。タマクサギ発達障害に驚く・・・
人生いろいろ、人は10人十色、夫婦は100組100様だ。恋愛結婚した夫婦、媒酌による夫婦、その他夫婦の組み合わせも多様だ。性格不一致で別れる夫婦、熟年離婚等夫婦の離別の原因も様々だ。夫婦になれば、時に衝突もあるが、大切なことは後味の悪い思いを残さないことだ。添い遂げることは、容易なことではない。拘りを捨て去ることが肝要だ。我が友人・知人夫婦を見れば、面白い組合せが多々見受けられる。性格が真反対のカップルが、意外なことに、仲良くやっていることに驚く。短気と悠長な夫婦、饒舌と寡黙な夫婦、理想と現実派の夫婦等々カップルも多様だ。性格が正反対のカップルが、相互補完で、仲良くやっているのには驚く。夫婦の長年の忍耐と努力によって築いていくものと思う。離婚の増加は、忍耐不足と諦めの速さと思われてならない。秋のバラ二輪夫婦アラカルト・・・
誰でも元気で長生きしたいのは、万民の願いである。今、100歳の長寿社会を迎えてようとしている。人々は、アンチエイジングのために、健康体操をはじめ様々な努力をしている。80路の坂を越えた今、我が死生観は揺らぎながら彷徨っている。友たちは次々と世を去ってしまい、我が人生も終盤にさしかかってきている。生死は、人の意志で決めるものではなく、自然=神様が決めることだ。長寿を願うからには、老後にも「夢と希望」と「目標」が必要だ。今から生きる目標を見出していきたい。生存する意義を自らのテーマにしたい。願わくば、美しい老いを生き抜きたい。宍道湖の夕日長生きは果たして幸せか・・・
住めば都という例えがあるが、あまり他人様に勧められたものではない。私は戦後の混乱期もあって、約23回の転居を経験した。住めば都というけれど、少年時代は住居は定まらず、転校の連続だったように思う。物心ついてからは、貧乏暮らしが続いたせいか、懐かしい思い出は少ない。強いてあげれば、生まれ故郷の能登の「七尾市」と現役最後の「米子市」ぐらいだ。少年の頃は、浮き草のような暮らしだった。現在住んでいる「廿日市市」は約30年になるが、やっと安住の地を得たように思う。それぞれの地には、微かな思い出は残っているが、惨めな思い出の方が多い。「孟母三遷」の例えもあるが、故郷は長年住み慣れた土地がよいと思う。「故郷は遠くにありて想うもの」というが、能登の地で「雪遊び」をした日が懐かしい。能登の列車(花嫁のれん号)住めば都というが…
先ごろ、世界文化遺産だった「首里城」が焼失してしまった。焼け落ちる姿を見ると、パリのノートルダム寺院の焼失を見るようだった。現地の人達はもとより、文化関係者は沈痛な思いをされたに違いない。私も10年以上前になるが、沖縄ツアーでその豪華絢爛たる姿を拝し、残念至極だ。形あるものはいずれは無くなる運命にあるが、未だ火災の原因が不明だ。ノートルダム寺院同様、多くの寄付と早期の再建が待たれる。大切な沖縄の文化遺産だ、微力ながら再建に協力したい。放火や、テロでないことを祈っている。在りし日の首里城首里城焼失の悲劇・・・
文部科学大臣の「身の丈発言」は、大臣にあるまじき暴言ではないか。発言を撤回して、英語の試験の実施予定を延期することとなった。今後、公平の観点から見直すとのことだが、教育は軽々しく扱ってもらっては困る。大臣は、首相補佐官時代から、物議を醸す発言が多い人だった。私には「驕り高ぶった人物」に見えてならない。「身の丈発言」は経産相、法相、に続く3人目の辞任に値する暴言だ。「貧乏人は麦飯を喰え」に匹敵する、差別発言だ。なんとお粗末な大臣達よ、任命権者の責任を問いたい。口先だけの謝罪では済ませてはならない。水は清し文科相の「身の丈発言」について
今年も渋谷の交差点で、ハロウィンのバカ騒ぎで逮捕者が出た。ハロウィンはヨーロッパの祭りだったが、日本に上陸してきたようだ。お祭り騒ぎの大好きな日本、飛び付くのは分るが、社会を乱すバカ騒ぎになるのは理解できない。初物食いで飽きっぽい日本人だから、そのうちに収まるだろうと思っていた。しかし今年も逮捕者が出る始末だ。クリスチャンでもないのにクリスマスを祝うのと同じ構造だ。祭りには、祭りの来歴があるはずだ。ノンポリでバカ騒ぎする心が知れない。マスコミとコマーシャリズムが背景にあるように思う。若者の欲求不満がそれに便乗しているように思えてならない。クリスマス・リースハロウィンのバカ騒ぎに思う・・・
人と人の争い、国家間の紛争は様々な原因があるが、人々の心にあるようだ。最も多いと思われるのが、「憎しみ」「恨み」「誤解」ではなかろうか。「憎しみ」と「恨み」は時が経っても忘れることがない。執念深い代物だ。忘れてしまうことは容易いだが、執念深く思っていることは、忘れないものだ。これが積もり積もって戦争に発展して爆発する。発火するのは決まって些細なことからだ。争いごとを無くすには、「怨念」を忘れることである。心がクリアだと、争いも少なくなり、心の断捨離が必要なのかも・・・。津和野・マリア聖堂争いを無くすには、忘れること・・・
都会では、いたるところで人の行列ができる。日本人はよくも我慢強く整然と並んで待つものと感心する。私は並んで待つのは嫌だから行列を避けてしまう。多分、気が短くて短気なのだろう。「短気は損気・・」といわれるが、悠長に構えられない。老いてからは変わると思っていたが、未だにイライラが募る。何事も、ゆとりをもって臨みたいが、改められない。イライラしても早くなるわけはないが、「短気は損気」と知りつつ、生れつきとあきらめている。妻からは指摘されるが、生れつきの性格はなかなか変わらない。きっと、貧乏性なのだろう。見事な紅葉(1)短気は損気というが…
多角的に観察することは大切なことである。一枚の写真を撮るにしても、正面から見ただけでは観察が足りない。「上下左右」から見て、撮る角度を決める必要がある。複雑な社会を見通すには、俯瞰して複眼で見ないと見えてこない。急ぎすぎると誤って判断してしまう。いわゆる「視野狭窄」になってしまう。困り果て追い込まれると、とかく視野が狭くなりがちだ。落ち着いて、大所高所から見て決断したいものだ。自然も、人生も複雑で見極めにくいものだ。宮島の紅葉1大所高所から見て、判断すること・・・
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