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  • 素敵なメッセージに出会う・・・

    先日のこと、「サワコの朝」で鎌田實氏に対するインタビューで素晴らしいメッセージに出会った。氏は貧しい家庭から世に出た人だが、父親から「弱っている人や困っている人達に役立つ人間になれ」と諭されたという。そして、医学の道を志して、素晴らしい業績を残し、社会貢献をされたと聞く。「弱きを助ける」が青雲の志となったようだ。我が身を顧みると、そんな高邁な志があっただろうか、反省することしきりだった。父親から厳しく「卑怯な人間にだけはなるな」と戒められた言葉が思い出された。父は明治の精神を持つ人間だったと懐しく思う。若き日の志は、人生を左右するようだ。瀧は流れゆく素敵なメッセージに出会う・・・

  • 梅雨明けとともに、蝉しぐれが・・・

    梅雨が明けたと思ったら、今度は灼熱地獄が始まった。朝・夕の散歩にも次第に酷暑が迫りくる。木立が立ち並ぶところでは、「蝉しぐれ」がけたたましい。庭先には、「蝉の抜け殻」が土から木によじ登った痕跡が、あちこちに残っている。道路には、時々、一生を全うした蝉の遺骸が、悲しそうに転がっている。この光景を見ると、「光陰の速きこと」を実感して、人生の儚さを感じる。若い頃は、あんなに元気盛んだったことを、懐かしんでしまう。彼らは短い一生を、精一杯謳歌しているんだ。そんな思いをしつつ、今朝も散歩に出かけよう。「蝉しぐれ」は、人生を暗示してくれているようだ。手水鉢の静けさ梅雨明けとともに、蝉しぐれが・・・

  • 類は類を呼ぶトランプ現象・・・

    EU離脱問題でもめたイギリスでメイ首相からジョンソン氏にバトンが渡された。難儀は覚悟しての登場だろうが、その言動は激烈で、「英国のトランプ」と云われる。米国大統領トランプ氏の登場前後から、個性豊かな世界のリーダー達が誕生してきている。トランプ氏を先頭にプーチン、金正恩、エルドアン、習近平、ドゥテーテル等「類は類を呼ぶ」ように思う。世界が向かう先はどうなるのか、皆目見当がつかない。混沌とした世界になったものだ。今こそ、世界の安定した秩序が求められる。自国優先も良いが、世界の協調を願いたい。世界平和を願って類は類を呼ぶトランプ現象・・・

  • 一言で簡潔に・・・

    回りくどい話しには、聴いていてイライラさせられる。特に不祥事や不正の記者会見には釈明になり「歯切れが悪い」傾向がある。自己に都合の悪い質問には、「釈明」に終始し、質問をはぐらかしては、自己の正当性を主張する。釈明は自己保身なりがちだ。「イエス」「ノー」を曖昧にする。何故、歯切れ良い応答が出来ないのだろうか。特に、国会の審議を聴いていると、ムシャクシャしてしまう。下手な言い訳は、かえって不信を招くものだ。潔白なら一言で明確に説明できないものか。水上の厳島神社一言で簡潔に・・・

  • 若さと過信は病気の大敵・・・

    二度の大病を患ってから、気が付いたのは「若さ」を過信することが病の元凶になることだ。病人が健常者に対して「過信」しないよう注意を促すのは僭越至極が、ツイ老婆心が出てしまう。病気とは縁がない人でも、「病」は突然襲ってくるものだ。元気な人ほど、「油断」しがちだ。そこに「落とし穴」が潜んでいる。病気を罹る寸前まで、ピンピンと元気であったのに、油断」があったと悔いるようになる。患って初めて知る「健康」のありがたさは、身に浸みる。当たり前の日常がどんなにありがたいことか、患って初めて知ることとなる。ユメユメ健康に「過信」する勿れである。「油断」こそ、病気を招く「大敵」である。凡人は、患って始めと「健康」のありがたさを知るようだ。ゴッホの作品から若さと過信は病気の大敵・・・

  • 一寸したアイデアが世界を瞬時に駆け巡る・・・

    SМS、ツィッター、フェースブック等、メディアの登場で、情報は瞬時に世界を駆け巡るようになった。一寸した主婦の知恵も、メディアで知られると、世界中に知れ渡るようになる。近藤麻理恵さんの著書「人生がときめく片付けの魔法」が日本でも世界でも認められた。「コンマリさん」の愛称で世界から注目されている。本のタイトルも魅力的だが、普通の家庭の主婦の生活の知恵にすぎないが、世界的有名になって、引く手も数多と聞く。。現代の通信手段は、一瞬のうちに世界中を駆け巡る時代になった。ささやかな生活の知恵も、生活に革命もたらし、まさに情報による生活革命にもなっている。情報も使い方によるが、悪用を見抜く眼力も必要だ。最後の晩餐(修復後)一寸したアイデアが世界を瞬時に駆け巡る・・・

  • 個性こそアイデンティティー・・・

    若かった頃、哲学の時間に「箸の上げ下げにも、その人の哲学が出る」と教わった。人の一挙手一投足をよく観察していると、全ての場面でその人の特徴=個性が出ていて面白い。「哲学」とは云わずとも、あらゆる面で「個性」が豊かに滲み出ているものだ。「個性」はこの世では二つとして存在しない「アイデンティティー」なのである。人と人との交わりの始まりは、「アイデンテイティー」の遭遇である。それだけに、自己の存在を無視されるのは、最高の侮辱である。ありきたりの存在には無関心になりがちだが、存在すること自体に価値がある。そんな心で人間としての触れ合いをしたい。互いに尊重される社会であってほしい。大塚国際美術館にて個性こそアイデンティティー・・・

  • 吉本興業に赤信号・・・

    吉本興業の闇営業問題で社長の歯切れの悪いインタビューを聞かせてもらった。社長など権力者は、我が身が窮地に追い込まれるとパワハラの挙に出てしまう。日本の会社や組織では、上位にある者は、弱い立場の者に対して、パワハラになりがちだ。日大のアメフト問題等、過去のパワハラ問題と同じ構造だ。弱い立場の者は、必死で真実を告白する。強い立場にある権力者は、自己保身と組織防衛に回ってしまう。最期には、曖昧な結論にして、お茶を濁そうとする。万人注視の中では、曖昧さと誤魔化しは許されない。日本の社会では、会社の上下関係が、あらゆる場面で人間関係に付き纏う。人間関係の改善こそ急務ではないか。仕事を離れては人間関係は対等であることを忘れないように・・・。未来ある若手芸能人達が希望の持てる改革を期待したい。大塚国際美術館(2)吉本興業に赤信号・・・

  • ストレスから逃れるのは心のユトリから・・・

    現代は、ストレス社会と云っても差しつかえないだろう。ストレスの最大の要因は、脳神経の過労からくる。自律神経が疲れ果て、身心に影響するからだ。対人関係、情報過多、嫌な思いをする事件・事故の多発等々数えればキリがない。特に情報過多は、神経が休む暇を与えてくれない。ゆったりと寛ぐ時間を持つことが大切だ。あまり、周囲の事ばかり気にせずに「ノンビリすることだ。他方、適度なストレスは緊張感を呼び覚まし、必要でもある。厄介な代物である。スマホの多用、テレビの見過ぎ等々身近なところから改めるのが、ストレスから逃れる術ではないか。情報過多には特に要注意だ。少しはノンビリする時間をもとうではないか。花でも眺めて、リラックスストレスから逃れるのは心のユトリから・・・

  • 教育の無償化の実現を・・・

    教育の無償化が、参院選挙の公約に掲げられていた。子供の教育は、将来への投資である。経済的に恵まれない子供達にも、公平に教育の機会を与えてやるのが親達の責務である。「孟母三遷」の例えにあるように教育の「環境整備」こそ喫緊の課題である。苦学して大成した著名人も存在したが、貧しさのために進学を諦めた子供達も大勢いたと思う。勉学に勤しむ子供には、環境を整えて欲しいものだ。森羅万象の真理を追求する子供達を、何を置いても支援していきたい。政治家の本気度を試したい、このの参院選挙で。教育の無償化は、将来に希望を託する確実な投資である事を肝に銘じておこう。牧場で祈る教育の無償化の実現を・・・

  • 世界中に衝撃が走った、京アニ放火事件・・・

    京都伏見の放火事件は世界中の同情と哀悼の意が寄せられている。かつて5年ほど居住した京都の伏見の街である、私には強烈な衝撃が走った。優秀で才能に恵まれた多くの若人たちの無念を思う時、怒りが込み上げてくる。献花する方々の涙の祈りを見る時、余程彼等から愛され期待されていたことが判る。まさにアニメ文化に対する「テロ」だ。動機が判らないが、許されることではない。聞けば、「京都アニメ」は、社員を大切にする世界に冠たる企業と聞く。犯人は「精神異常者」としか、考えられない。酷い酷い放火事件であった。心の闇が引き起こした事件に相違ない。心からご冥福を祈る。最後の晩餐(修復前)世界中に衝撃が走った、京アニ放火事件・・・

  • 雄弁は金、無駄口は災いのもと・・・

    近年、権力者の発言を聴いていると、「無駄口」と「軽口」が多すぎるようだ。社会的責任を担っている人の発言は、もっと、慎重であって欲しい。ツィッターや「軽口」が飛び交う昨今の風潮は、嘆かわしい。彼等なりの計算ヅクメだろうが、「沈黙は金なり、雄弁は銀なり」を贈りたい。発言には、「重み」と「責任」と社会への「影響」を考えてもらいたい。時々の「感情」を軽々しくしてもらっては、国民が迷惑する。責任ある立場の人ほど、無駄口は謹んで欲しい。言葉を選んで無駄口は慎むべし、時に、身の破滅になることを自覚して発言してもらいたい。ゴッホの自画像雄弁は金、無駄口は災いのもと・・・

  • 智慧こそ最高の誉れ・・・

    人間が「認識」することを「知る」と云い、「知る」は知識の初めでもある。「知る」ことは「知識」となり、さらに「知恵」「智慧」へと進む「階層」があるようだ。「智慧」に至れば、高度な「悟り」に達する状態をいうのではなかろうか。単に、「知識」に止まっていては、知っているにすぎない。行動を伴ってこそ、「知恵」には価値があるのだ。「知恵」がさらに「智慧」に昇華すれば、「悟り」となって「真理」に肉迫する。「知恵」、「智慧」が言動となって初めて「人徳」となっていく。「知識」とはその第一歩かもしれない。知識は必要だが、知識に溺れてはならない。現代社会は「知識の洪水」のように思えてならない。セザンヌの風景画智慧こそ最高の誉れ・・・

  • 公共企業の民営化に想う・・・

    かつての3公社5現業を皮切りに、「郵政民営化」を最後に公共企業の民営化は終わった。そのトップバッターが、私の属した「電電公社」であった。多くの職員は、処遇の改善、将来の展望等期待に夢膨らませての船出であった。民営化当初は、真藤社長のリードもあって、内外とも盛り上がっていた。「民営化」により、社員の意識は向上した。一方、成果主義が強く求められるようになった。現在問題になっている「郵便局」のノルマによる不正事件は、起こるべくして起こったように思えてならない。何故なら、「民営化」=経営の合理化=成果主義=ノルマに陥ってしまうからだ。このことを中間管理者層は、しっかりと認識しておかなければならない。公企業のサービスは間違いなく向上したが、民営化のヒズミは必ず生じるものだ。特に、地方で顧客との触れ合う機会の多い「郵便局員...公共企業の民営化に想う・・・

  • 過ちを改めるのも、勇気なり・・・

    身の危険を恐れずに、突き進むことを勇往邁進という。「勇気」を伴う行為であり、決断である。力の限りを尽くして戦うことを、「勇気」と讃えられてきた。「勇気」も時に蛮勇となる。特に、戦前・戦中は国策により「特攻精神」が「勇気」と褒め讃えられた。戦後になってからは、「勇気」は影を潜めつつあるように思う。近年、勇気ある言動として印象に残ったのは、金融危機で倒産した日興証券社長の悲痛な叫びだった。会社の倒産は「社員が悪いのではない、私の責任だ」と涙ながらに告白したことだ。この潔さと発言が、退く者の勇気ある発言ではないか。責任逃れと自己保身に憂き身を窶している輩が多い昨今、過ちを素直に改める「勇気」を求めたい。新緑に誘われて過ちを改めるのも、勇気なり・・・

  • メモはブロガーの武器・・・

    人間の記憶は、忘れ去る通路のようなものである。脳裏に浮かんだことは、余程意識しない限り、忘却の彼方に消え去っていく。後になって思い返そうとしても、記憶はなかなか蘇ってこない。これを補ってくれるのが「メモ」である。頭に浮かんだことを「メモ」に一筆書き残しておくと、容易に思い出すことができる。ブロガーにとっては、一寸とした「メモ書き」が強固な武器となる。「継続は力なり」というが、「メモ」あっての継続だ。忘れないようにするには「メモ」は必須アイテムである、私にとっては・・・。阿蘇遥かにメモはブロガーの武器・・・

  • 必然は偶然の積み重ね・・・

    人との出会いは、偶然でもあり、必然でもあるようだ。顧みると、全てが必然であったように思える。その時々には、偶然と見えても、長い目で見れば必然性があったように思う。神の「見えざる手」で、出会いの機会に恵まれたように思えてならない。人との出会いは、その人にとって人生を左右する決定打になるように思う。我が人生は、偶然の積み重ねであったと思えるが、人との出会いは必然だったように思えてならない。特に、晩年の出会いはありがたく、必然の印象が強い。人との出会いを疎かにしてはならない。この先、どんな出会いが待ち受けているか想像もできないが、「善き出会い」を信じることにしよう。「邂逅の喜び」こそ、恵まれた人生と肝に銘じつつ・・・。福山のバラ園にて必然は偶然の積み重ね・・・

  • 集中力は精神統一にあり・・・

    スポーツ選手は、勝利後のインタビューで必ず「集中力」についてコメントする。アスリートに限らず、「集中力」は大事を成し遂げるには欠かせない。「精神一到、何事か成らざらん」の言葉どおり重要である。一心不乱に精神を研ぎ澄ましてことに臨むことを「集中力」という。「集中力」を昂揚することは、「成功」の鍵だ。散漫な「集中力」では、成功は覚束無い。何事も心の持ちようが肝要と見た。短距離走、水泳競技等のスタートダッシュの「瞬発力」を見て、「集中力」の重要さを再認識した。一瞬に賭ける姿には美しくもあり、尊い姿がそこにはある。整然と植えられて集中力は精神統一にあり・・・

  • 先入観が偏見にならぬよう・・・

    熟慮に対して、「先入観」は直感的であり、「思い込み」の蓄積である。後になって冷静になった時、何故あの時にもっと慎重に考えなかったかと反省することが多々ある。「先入観」は経験則からくる「経験値」なのかもしれない。しかしながら、間違って「思い込み」になっていることが多い。自然体でよく観察して、行動するのが賢明のようにように思う。時に「先入観」は「偏見」になりがちである。「偏見」にならぬよう注意したい。「偏見」を客観視することによって克服したい。アヤメ艶やかに先入観が偏見にならぬよう・・・

  • 堪忍袋の緒が切れたか、日韓関係・・・

    昔から「向う三軒・両隣」は仲良くすべきだと云われてきた。とはいえ、世界各地では近隣諸国間はいずれも根深い対立が横たわっているようだ。過去の恨み・つらみが、隣国間の間にあるからだろう。「日韓関係」においても例外ではない。日本も韓国に対し「負い目」があるから、理不尽にも我慢して耐えてきた。ここに来て終に韓国の理不尽な振る舞いに「堪忍袋の緒が切れた」ようだ。韓国の執念深さは、日本人には理解しがたいし、国家間の約束事は守ってもらいたい。過去の大統領を次々裁いて牢屋に送り込んできた歴史にも注目して見ていきたい。一時の感情で処理してはならない。未来指向の姿勢で臨んで欲しいものだ。アヤメの季節堪忍袋の緒が切れたか、日韓関係・・・

  • 広島カープの低迷には・・・

    昨年まで3連覇した「広島・カープ」が低迷している。ある野球評論家によると、チームのまとめ役が居なくなって、チームがガタガタになっているという。的確な指摘だ。チームとしてまとまらないと、チーム力は弱くなるのは必至だ。「新井選手」や「黒田選手」が引退して、チームのまとめ役が居なくなったのは確かだ。監督一人ではまとめきれないのではないか。野球に限らず組織はまとめ役のスタッフが揃って初めて、機能するものだ。私の過去の経験から、良いスタッフに恵まれて、その成果が発揮される。「カープ」も石井、新井、黒田という素晴らしいスタッフが居て、3連覇の偉業が達成されたのではないか。チームは一人のスーパースターだけでは勝てないし、チームが一丸とまとまってこそ力を発揮できるのだ。九十九島彼方に広島カープの低迷には・・・

  • ツィッターが世界を駆け巡る・・・

    トランプ氏が米国大統領に就任して以来、ツィッター政治が始まった。ツィッターには、即時性と個性と、本音を窺がうことになる。スタッフと事前に打合わせもせずに、いきなり本音を曝すとは、危険極まりない。専制政治が罷り通り通ることとなる。「本音」を示す事は、迅速な解決に繋がることもあるが、「熟慮」することを求めたい。世界のリーダーたるもの、軽々に行動してはならない。時には「ツィッター」は、凶器になることを自覚してもらいたい。選挙目的だとすれば、狂気の沙汰である。池の畔にてツィッターが世界を駆け巡る・・・

  • 歯医者には技術的格差が歴然と・・・

    随分以前になるが、歯槽膿漏による抜歯、義歯の作成など歯科医院にはお世話になった。地域事情に疎い身だから、ついつい近隣の歯科医を訪ねることになる。様々な医師に出会ったが、技量、見立てに格差があることを発見した。優秀な歯科医師はあまり抜歯は奨めないし、口腔内の三次元空間が良く見えているようだ。幾度も調整しなくとも一度の微調整で見事に済ましてしまう。結果として、治療後は違和感も無く、歯の寿命は長持ちする。歯医者さんを選ぶには、慎重を期すに限る。名医には、無駄が無く、後々まで効果テキメンである。よくよく下調べをしてから、歯科医を選ぶべきである。これが歯医者に罹った経験則だ。医学の世界にも、技術格差のあるものだ。白樺林歯医者には技術的格差が歴然と・・・

  • 欲望には限りがない・・・

    日常生活は、淡々として過ぎていく。変化も、刺激もない。そんな中に平安と幸せがある。そんな時、欲望は次から次に出てくる。平凡な幸福に満足できないからだろう。欲望は人間にとって進化を求めるシグナルかもしれない。しかし、何の変化もない日常にこそ、幸せが宿っている。平凡な日々に満足するところに、「青い鳥」が待っているのだ。所謂「足るを知る」心だ。病んで不自由になって知るところとなった。何気なく日々行っている「洗顔」「トイレ」「入浴」「歯磨き」「散歩」等にも、健康のありがたさがある。生きているという喜びを実感する。余分なことは求めまい。新緑の欅欲望には限りがない・・・

  • 現代にも杞憂が・・・

    岩国基地が増強されて以来、飛行訓練による騒音が激しくなってきた。特に、夜間訓練の影響は大きい。テレビもラジオも、有線放送も聴き取れない騒音がある。「杞憂」という故事を思い出した。空が落ちてくるという「不要の心配」をさす「故事」である。散歩の時には、小鳥の糞が落下してくるし、現代も「杞憂」の恐れがある。自然災害とともに、天空にも注意しなければならない世になってきた。心配事が絶えない世の中になったものだ。ツブヤイてみたくなった。宇宙競争も良いが、空の清掃もキチンとやってもらいたいもの。陽はまた登る現代にも杞憂が・・・

  • 米国はリーダーの余裕を無くした・・・

    世界の警察官を自他ともに任じてきた米国が、なりふり構わぬ斜陽の国に成り下がっている。不都合な国に対しては、強要・脅迫し、結んだ約束事は反故にしてしまう。1950年代までは、ユトリがあった所為か「鷹揚」だった。ヴェトナム戦争を機に、変わり始めたように思う。映画にしても芸術にしても、余裕と「ロマン」があり、世界の「憧れの的」であった。同盟国には厳しく基地負担を求め、各種条約は反故にする。世界のリーダーにあるまじき振る舞いが目に付く。米中関係の縺れは、米国の覇権の終焉を意味するのではないか。そんな気がする昨今の米国の振舞いである。日本の活躍する場なのかも知れない。エル・グレコの作品から(大阪国際美術館にて)米国はリーダーの余裕を無くした・・・

  • 高齢者にも果たすべき役割がある・・・

    「アイデンティティー」という言葉がよく使われる。人間の存在感を表わす言葉だ。人それぞれ果たすべき役割は異なるが、生まれると同時に何らかの役割がある。加齢に従って、その意識が希薄になっていく傾向がある。高齢者には、孫末代まで語り継ぐ大きな役目があることを自覚しておこう。我々が体験した歴史的事実、人生経験等、後々の世代にとって貴重な宝庫となるのだ。放棄する手はないだろう、次世代に是非とも語り伝えよう。高齢者も自信をもって生き抜こう。雨を待つ紫陽花高齢者にも果たすべき役割がある・・・

  • 一病息災は長寿をもたらすか・・・

    一生を通じて、願わくば「無病息災」に超したことはない。無病で一生を過ごすことは、誰しも望むことだ。不幸にして一度病と縁が出来ても、用心して「一病息災」でありたいもの。私は30歳の頃、「腎炎」を患ったことがある。仕事の所為か不養生の所為か、医者からは①減塩②不摂生③体を冷やさないことのを注意された。以来、この教えを守って今日に至っているが、「無病」と同等の価値があると信じている。一度重篤になった人は、注意を徹底するはずだ。「一病息災」は長寿の鍵かもしれない。過ちは「懲りること」が必要のようだ。あちこちに紫陽花咲く一病息災は長寿をもたらすか・・・

  • 持とう自信、慢心は怪我のもと・・・

    すべて順調の時には、身体の芯から自信が湧き上がってくる。この時期に落とし穴が潜んでいる。「慢心」するからだ。順調に事が運んでいる時ほど、謙虚に振る舞うことだ。「昂ぶれば低くされ、低くへりくだれば、高く持ち上げられる」というではないか。とかく順調にいっていると「有頂天」になりがちであり、勝って兜の緒を締めよだ。。油断こそ健康の大敵だ。大いに反省している。内に秘めた自信は持つべきだが、自信過剰による慢心は禁物だ。プリマヴェーラbyボッチェッリー持とう自信、慢心は怪我のもと・・・

  • 予測不能な世界になってきた・・・

    本年、上半期が何時の間にか終わってしまった。元号改変、米中貿易戦争、米朝関係、対イラン経済制裁、英国のEU離脱問題等世界は流動化している。世界がどう変わっていくのか、未透視がきかない。予測不能な世界と向き合っている。世界のリーダー達は、ユニークさを極め、何を言い出すか、仕出かすは判らない。世界は今、大海を漂う小舟のように漂流して、新しい秩序を求めている。貿易の保護主義、ナショナリズムの抬頭、覇権争いなど複雑で予測不能な状態だ。一人の発するツィッターで揺れ動く世界は、決して尋常とはいえない。今、世界で起きている現象は世界秩序の再編と見た。いずれ5~10年で安定を取り戻すのではなかろうか。近視眼的に見てはならない。一喜一憂する勿れ、それまでジッと静観することにしよう。ルノワールの作品から予測不能な世界になってきた・・・

  • 全身を動かして、健康を維持・・・

    先頃、テレビのインタビューで「菊池和子」さんを拝見した。「きくち体操」創始者だ。彼女の説くところによると、全身にある部位は「頭脳」に繋がっている。健康を維持するには、各部位を動かしてやることだという。30年ほど遡るが、その頃から私は納得して実行してきたことがある。それは、足の指に手の指をそれぞれ挿入して、意識を集中、手足の筋肉を動かすことだ。それが「健康」に良いという。試してみれば、確かに身体がシャンとするではないか。「下駄や草履」の時代には、足の指を使って歩行していた。「靴やズック」を履くようになってからは、足の指を使わないようになり、「偏平足」増加したのだ。身体の隅々まで使ってない箇所は無いか点検してみよう。「歩くこと」は最高の健康法だ。ヴィーナス誕生大塚国際美術館にて全身を動かして、健康を維持・・・

  • 年金の将来について・・・

    金融庁によると、95歳まで生きる為には、年金以外に約2000万円必要というが、これが物議を醸した。庶民には、破格の金額と云えよう。大臣・議員諸氏には、大した金額ではないだろうが、批難轟々だった。若い人達は、将来、年金を貰えないと諦めきっているようだが、この先どうなることか。年々受給額は減少し、受給開始年齢は、上がっていくことは、間違いない。少子・高齢化が招いた必然の結果だろう。それを100年は心配ないと、騙し騙しやってきた付けが回ってきたと思う。この度の参院議員選挙では、その是非が問われるだろう。政治はもっと正直に、実のある審議をした貰いたい。誤魔化しは何時かはバレル。我々も減額の覚悟はしておいた方がよさそうだ。紫陽花寂しく年金の将来について・・・

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