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2019/05/12

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  • 映画「空海」と「Karaの復活」

    映画「空海」、は1984年、北大路欣也主演のドラマで、最澄は加藤剛さんが演じました。印象的な言葉が三つある。1,妙適淸淨句是菩薩位-男女交合の妙なる恍惚は、清浄なる菩薩の境地であるこれは密教の理趣経に書かれており、空海は東大寺の別当でもあったから、東大寺では理趣経は今も大事な経典らしい。むろん密教系にとって最高の経典の一つであることは言うまでもありません。性交は仏の境地、性欲は仏の境地無軌道な性欲の発動は社会の秩序を乱すから、この理趣経の考えは「小難しい哲学的解釈をもって改変」されてきました。道徳的になるように。しかし私は素直に読むべきだと思います。「男女の合意さえあれば、性欲の発動は生きる活力であり、つまりは元気の源である」ということです。「男女の合意」というのは「現代風の私の解釈」だが、空海においても...映画「空海」と「Karaの復活」

  • 「鎌倉殿の13人」スピンオフ小説・「比奈の乱」(仮)序章

    比奈・・義時の正妻であった「姫の前」のこと。本名は不明だが、ここでは「鎌倉殿の13人」にリスペクトを込めて「比奈」とする。太郎泰時は実子ではない。実子に北条朝時、後の幕府連署、北条重時がいる。「全く失礼な話だわ」と比奈は憤慨している。それにこの屋敷の様子はどうであろう。手はかけられているがどこか人間の生活感がない。「それでも左近衛権中将様が会ってくれるのですから」と侍女の「お駒」は比奈を慰めた。「あたり前です。勝手に人を死んだことにしたのですから、抗議しなくてはなりません」比奈の憤りは収まらない。やがて一人の公家がしずしずと現れ着座した。どこか貧弱で体の線が細い。男は黙って比奈を見ている。何も言わない。比奈も何も言わない。慌ててお駒が挨拶した。「こちらは鎌倉の北条義時殿の前室であるお比奈さまでございます、...「鎌倉殿の13人」スピンオフ小説・「比奈の乱」(仮)序章

  • 「鎌倉殿の13人」感想・第45回・「八幡宮の階段」

    ほとんどの大河ドラマを見てきましたが「鎌倉殿の13人」は「きわめて秀逸で画期性がある作品」です。しかも私の好きな北条義時を主人公にしています。さらに主人公の美化を行わず、泰時の美化は行っているものの「泰時はかなりポンコツ」として描かれています。畠山重忠だって死ぬ回以外は、かなりドライに悪行に手を染めていました。つまり美化される人物が存在しない。これは私の好きな路線の作品です。ということで「文句を書き」ます。私は本当にファンなので、まず文句から書きます。・公暁が実朝を殺しても「鎌倉殿になれない」という自明の問題は「私は名を残したかった」という公暁の弁で「一応クリアー」していた。公暁の行為は「全く意味不明で、奇々怪々、うっぷん以外の説明がありえない」とこのブログで書いてきた私としては、「あっ、名を残す」という...「鎌倉殿の13人」感想・第45回・「八幡宮の階段」

  • 「権門体制論」の「正しい理解と批判」のための序論

    権門体制論には黒田俊雄氏の「オリジナル権門体制論」つまり「シン・権門体制論」と、そこから思想性とかいろんなものを抜いてしまった「現代風権門体制論」があります。多くの学者が、今依拠しているのは単純化された「現代風権門体制論」です。それは極めてシンプルな考えで、果たして「論」と呼ぶべきものなのかも分かりません。A,中世(平安末期から室町中期または安土桃山時代まで)において日本を支配していたのは、公家、武家、寺家の3大勢力である。終わり。基本的にはこれだけです。もうちょっとだけ複雑にするとB,中世において日本を支配していたのは公家、武家、寺家の3大勢力である。彼らは天皇を中心にしてゆるく結合しながら、相互補完を行っていた。これだけです。「現代権門体制論」は単純すぎて理論とは言い難い。図書検索をして「権門体制論」...「権門体制論」の「正しい理解と批判」のための序論

  • 「オリジナル権門体制論」と「象徴天皇制的権門体制論」

    黒田俊雄氏のオリジナル権門体制論はきわめてシンプルな考え方である。中世(平安末期から江戸幕府の成立前まで)において国家を支配したのは公家・武家・寺家の3大勢力である。以上。これで「終わり」である。つけ足すとすれば「天皇の位置」だが、「天皇の位置」まで言及するとなると「シンプル」にはいかなくなる。「天皇を中心としてゆるく結合」は実は間違っている。そんな粗雑な分析で「こと足れり」とはならない。黒田俊雄氏は1960年代、「天皇制の権力構造の解明」の為に「オリジナル権門体制論」を提唱した。そして天皇制の分析に多くの労力を費やした。それを「ゆるく統合」などという粗雑な言葉で表現することは不可能である。「ゆるく統合」は現代の「象徴天皇制を過去に投影した権門体制論」の産物である。もっとも、黒田氏の「思いなら」、「シンプ...「オリジナル権門体制論」と「象徴天皇制的権門体制論」

  • 鎌倉殿の13人、勝手にスピンオフ「北条泰時の野望・鶴岡八幡宮の雪」

    石段に差し掛かると、源実朝は北条義時の目を見てこう言った・「叔父上、腰を痛めていると聞きました。この寒さはこたえましょう。ここで結構です。もうお帰りください」それを聞いていた源仲章は得意満面の笑みを浮かべた。「執権殿、ご老体にはこたえましょう。ささ、その太刀は私が持ちますゆえに」「おお仲章、気が利くな。叔父上に代わり、太刀持ちをお願いしよう」それにしてもこの太刀は、と仲章は思った。ずしりと重い。どうやら本身の刀である。「ここは武家の都、武家には武家の作法があります」と義時は笑った。実朝は何も言わない。仲章は黙って太刀を受け取った。義時と実朝は目で合図を送りあった。拝賀は終わった。しばし休息。実朝は雑色頭の重蔵を呼んだ。「仲章様の様子はしかと見ました。束帯の下に着込みをしておりまする」「これと同じか」と実朝...鎌倉殿の13人、勝手にスピンオフ「北条泰時の野望・鶴岡八幡宮の雪」

  • 秋篠宮邸のリフォームと礼の思想

    このブログは、「露骨に政治的なこと」は書かないし、他にブログもやっていないので、政治的意見の表明は「面倒なので避けている」わけです。ただ私は歴史学者と同じように、「後鳥羽上皇」を基本「後鳥羽」と書きます。「冷静な分析の対象」として「実朝」「後鳥羽」であるべきだと思っているのです。信長は信長です。「信長公」とは書きません。信長は多少好きですが、それでも分析の対象であることには変わりありません。実際、熱烈なファンでもありません。信長関係の本をよく読むというだけです。「秋篠宮」は「秋篠宮さま」と書くべきなんでしょうか。よく分かりません。「宮」は敬称でしょうか。これは「辞書的問題」ではなく、「今の日本人が秋篠宮の宮を敬称ととらえるか」ということです。本当は秋篠宮さんと書きたいのです。「宮さん」という言葉は、時代劇...秋篠宮邸のリフォームと礼の思想

  • 「それでも実朝の右大臣昇進は官打ちである」説

    身にそぐわない出世をした人間が、その為に不幸になる「状態」を「官打ち」という。と辞書にありました。「状態をいう」ということは「実朝が死んだという状態」が「官打ち」なわけです。後鳥羽院が「殺してやろう」と思っていなくても、実際死んでしまえば「官打ち」「位打ち」なのです。まずこれが「日本語の字義にこだわった場合」、そうなるということです。しかし「辞書の説明は絶対」なわけはないので、誰かが誰かを「陥れるために位を上げること」とするなら、話は変わってきます。承久記は「実朝の死は後鳥羽院による官打ち」であるとしています。後鳥羽院が実朝の不幸の為に、官打ちをしたのか。これを肯定する学者はほぼいません。なぜならオカルトめいた迷信だからです。しかしそれでもずっと「官打ちじゃないのかな、官打ちは合理的説明になるな」と日本人...「それでも実朝の右大臣昇進は官打ちである」説

  • 北条義時ファンの私は非暴力主義者

    「主義」とか「イデオロギー」というのは怖いものなので、なるべく持たないようにしていますが、非暴力だけはどうも「私の主義」のようです。そもそも子供のころから、暴力が嫌いでしたし、人に振るった記憶にありません。「ブス」とかは言いました。自分が不細工であることに気づきもせず、女子に言いました。そういう言葉の暴力は、あると思いますが、人を殴ったことは人生で一度もありません。兄貴は私より多少暴力的です。兄貴は私をよくいじめましたので、私の母は優しい人でしたが、小学校入学以前は「兄貴の頭をはたく」ぐらいはしたようです。つくづく教育に暴力は必要ないと思います。暴力で教育すると、だいたい子供も暴力的になってしまう。虐待と同じで、連鎖するのです。まあ兄の暴力も私が中学生になる頃にはだいぶ収まりました。殴りはしません。押さえ...北条義時ファンの私は非暴力主義者

  • あえて「#鎌倉殿の13人反省会」

    私は歴代大河の95%を見ていますが、「主人公を美化しない」という点において、基本的には「誰も美化しない」という点において、「鎌倉殿の13人」は画期的です。素晴らしい作品だと思います。だから「あえて反省会」をして、文句を書きます。「素晴らしい作品だから文句を書く」ということです。我ながら悪趣味です。実朝について考えます。愚人ですね。ちゃんと愚人として描いていると思います。・人はいい。でも為政者として時に冷酷になるという覚悟がない。・頼家の死因について知らない。知ろうと思えば、いつでも情報は入ったはず。・変な船をつくってみんなに迷惑をかけた。その反省がほぼない。・和田合戦を止められなかった自分の未熟さをあまり反省しない。・そして後鳥羽に頼るとか言い出す。要するに「おれは虎の威を借りるぞ」ということで、みっとも...あえて「#鎌倉殿の13人反省会」

  • 鎌倉殿の13人・公暁くんは何がしたかったのだろう。

    一応の区別として「公暁くん」「平六くん」「義時くん」は大河の物語の登場人物。「公暁」「平六」「義時」は歴史上の人物ということで書きます。途中で混交してしまったらすみません。「公暁くん」(ドラマの)、を見て改めて思ったのですが、「何がしたいのか」が分からない。それは歴上の公暁も同じである。「実朝を討って、御家人に北条の犯罪を明かし、実朝に正統性が存在しないことを説けば、御家人は納得する」と「公暁くん」は言う。「平六くん」も「いい考えだ」とか言う。そんなわけないじゃん。誰が自分たちの棟梁を殺されて「ははー」と従うのだろう。北条義時が同時に死んだとすると、それをきっかけに御家人の主導権争い、また源氏系の「鎌倉殿の地位争奪戦」が起きるだけである。「三浦」が私たちが今日思っている以上に御家人への統制力を持っていたと...鎌倉殿の13人・公暁くんは何がしたかったのだろう。

  • 「鎌倉殿の13人」と「公武協調または公武対立史観」

    「鎌倉殿の13人」のオープニング映像。最後は兵馬俑の像のような「武士」が「貴族に挑んでいる、刀を抜こうとしている」シーンで終わります。明らかに昔ながらの「公武対立史観」を採用しています。「昔ながら」に批判の意識はありません。私は基本的に公武対立史観を支持しているからです。源実朝は「上皇」と強く協力していこうとしますが、北条義時も三浦義村も「表面上は上皇を敬いながらも」、何度も「西のやつら」の「好きにされてたまるか」という言葉を口にしています。そもそも北条義時の兄である北条宗時の「遺志」が「源氏も平家のいらない。西のやつらに指示されたくない。俺たちの坂東を作る。そこで北条が頂上に立つ、というもので、その遺志を北条義時は「継いで」いるのです。もっとも三谷さんは「王家の犬になりたくない」とか登場人物に言わせませ...「鎌倉殿の13人」と「公武協調または公武対立史観」

  • 小説「北条泰時の野望・民のために」・下書き・唐船の巻

    舞台1216年、実朝の死(この小説では死なない)の2年前設定北条泰時・・実朝側近。聖人君子ではなく、自分の政治をしたいという野望に溢れた男、いとこの実朝を同志と思っており、人のいないところでは「金剛、千幡」と幼名で呼び合っている。33歳。源実朝・・生まれたからずっと坂東で育った野趣溢れる男。上皇を抑制するため、上皇の言うことを従順に聞く上皇懐柔政策をとっているが、それにもそろそろ限界を感じている。24歳。安達景盛・・頼朝最側近安達藤九郎の息子。実朝最側近。かつて頼家に女性をとられそうになった過去を持つ。後、宝治合戦を引き起こす武闘派だが、実朝や泰時とは気が合い「3人グループ」を形成している。史実上、娘を北条泰時の子に嫁がせている。執権北条経時、時頼兄弟の祖父である。北条執権の元で、御家人代表として安達氏は...小説「北条泰時の野望・民のために」・下書き・唐船の巻

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