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ブログタイトル
歴史とドラマをめぐる冒険
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大河ドラマ・歴史小説・歴史の本などを中心に、色々書きます。 コメントはご自由に。
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60回 / 365日(平均1.2回/週)

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歴史とドラマをめぐる冒険

東行さんの新着記事

1件〜30件

  • 麒麟がくる・隠されたメッセージ・屹立するエンタメ性

    「隠された」とかいう意味ありげな言葉は嫌いなのですが、他に適当な言葉が浮かびません。大河ドラマは公共放送が放映しています。あまり明確なメッセージを出すと批判が起きます。「平和は大事」とか「家族は大事」とか「ほぼ批判がでない」メッセージならいいのです。しかし無理なものもあります。例えば「風と雲と虹と」には、当時の世相を反映して「おおやけ(公=政府)が何をしてくれる。腐っている。」とかいうセリフが多用されます。いろんな人が言うのです。かぶせてくる。あれを今やると、批判が出るような気がします。「麒麟がくる」には「隠されたメッセージ」があるように思えてきました。その具体的内容はここではまだ自信がなくて書けないのですが(笑)「麒麟がくる」はエンタメ作品です。そこに社会的メッセージを組み込む。それは簡単ではありません。そこ...麒麟がくる・隠されたメッセージ・屹立するエンタメ性

  • 麒麟がくる・第二十四回「将軍の器」・感想

    2回見ただけなので、武士の棟梁という一点のみをテーマにして短く。予想通り「武士の棟梁」という言葉が重要ワードになってきました。「武士の誇りを忘れぬ男・明智光秀」、、この言葉を聞いた時、私は随分考えて、それでも理解不能でした。武士の誇りというのは江戸武士的(観念的)で、戦国時代の武将で「大河において」ですが、そういう観念にこだわった人物をあまり思いつきません。真田の誇りとか上杉の誇りなら分かります。明智の誇りでも分かる。でも武士の誇りを「戦国武将が口にする」というのは、長く大河を見ている私にとっては驚きです。実際例えばこの作品でも斎藤道三は武士の誇りなんて言葉は全く口にしていません。十兵衛だけが何故か(実はその理由はおぼろげに分かっていますが)、道三から「ほこり」のみを継承するのです。本来なら兵の駆け引きとか、政...麒麟がくる・第二十四回「将軍の器」・感想

  • 麒麟がくる・第23回・「義輝、夏の終わりに」・感想・明智光秀と足利義輝

    感想、二回目です。一回目のやつはだらだら長いだけだったので、なるべく短く。永禄7年9月です。旧暦なら秋ですが、まあそんなのどうでもいいと思います。9月は夏の終わりです。足利義輝を描いているのか、十兵衛を描いているのか、それが気になりました。結論としては十兵衛の「忠」を描いていると思います。義輝については「肝心のところ」が描かれていないのですね。「身勝手とは」どういうことか。なぜ人心が離れているのか。なぜ細川藤孝までが離反するのか。具体的には分かりません。「諫言をきかず、勝手気まま」という風になっています。でもその具体的な様子も分かりません。「史実」に即するなら、義輝は近衛家などを通して遠国の大名を手を握り、幕府権力を強化し、御所は石垣を備えた壮大な城郭となり、また鉄砲をはじめとする武器の宝庫にもなっていたようで...麒麟がくる・第23回・「義輝、夏の終わりに」・感想・明智光秀と足利義輝

  • 麒麟がくる・第23回・「義輝、夏の終わりに」・感想

    1回見ただけだから、ざくっとした感想です。何度も見るのです。信じられないほど何度も見ます。NHKオンデマンドも契約しているし。どうも向井理さんの義輝とか、眞島さんの細川藤孝に僕はあんまり興味がないようです。今のところまだ義昭さんにも。史実じゃなくてドラマの話ですよ。そうなるとこの回の場合、光秀が御内書を持っていき、信長が「かんべんしてよ」と応じる。で、ずる賢さそうな藤吉郎が出てくる。このシーンが僕にとっては最大の見せ場となります。「織田三介との」と御内書に書いてありました。織田信長が三介だったという知識は僕にはありません。調べてみよう。そこがとても興味深かった。あと明確に信長が将軍を「そこそこ重んじていればいい」という風に思っている、そういう設定なんだと分かった。これも今後の展開を考える上で興味深かったと思いま...麒麟がくる・第23回・「義輝、夏の終わりに」・感想

  • 大河ドラマ「麒麟がくる」第22話「京よりの使者」の感想

    大雑把な感想です。1、細川藤孝、玉ちゃんをいだく後の細川ガラシャですね。藤孝の息子の嫁。関ケ原でまあいろいろとあります。この「藤孝がいだく」という描写は、小説「国盗り物語」にあります。ただし6歳ぐらいの玉ちゃんだったかな。「抱くなら上物の布でくるんで抱いてくれやい」とか、子供の玉ちゃんが言います。藤孝はそのプライドというか、高貴な感じに驚く、、だったかな。記憶だけで書いています。2、足利義輝、帝に文句、三好暗殺を考えたり、考えなかったり。正親町天皇を「高貴で美しい帝」とし、その弟を小朝さんで、コンプレックスの強い延暦寺の長官・比叡山延暦寺住持にするようです。高貴で美しい帝に、いきなり義輝は文句を言ってました。この辺り、脚本のバランス感覚ですね。ただし、実際に義輝は5回ぐらいしか帝に参内してないのかな。信長は後に...大河ドラマ「麒麟がくる」第22話「京よりの使者」の感想

  • 織田信長は何故「哀しき覇王」なのか。麒麟がくる。

    織田信長は、前は革命児でしたが、今は「保守的中世的側面もある」とか言われます。つまり「保守的中世的側面もある中世をかなり破壊した革命児的人物」というややこしいことになります。長い。こういうのはブームであって、一歩引いた所で眺めてみたほうがいいかと。前も「天皇最大の敵」とか、その真逆の「勤皇家」とか色々言われてきた人です。人気者なんで、みんな自分の思想に合わせて好き勝手に信長像を作る。これは学者も同じというか、学者こそそれを「やってしまう」ことが多いと思います。頭で生きているから。一次資料を大事に「解釈」しながら、、、。ちなみに私だってたぶん同じです。学者じゃないけど。さて、これはドラマのお話。歴史秘話ヒストリアでは「世にもマジメな魔王」と呼ばれたこともあります。NHKは「おんな城主直虎」あたりであれだけ「とんで...織田信長は何故「哀しき覇王」なのか。麒麟がくる。

  • 大河「麒麟がくる」の明智十兵衛は何故本能寺の変を起こすのか。A案。

    大河はフィクションですから、史実の明智光秀と大河の明智十兵衛は「違う人物」です。だからここでは大河の光秀を「十兵衛」と表現します。理由のヒントは明示されています。①武士の誇りのため②麒麟を呼ぶためこのうち十兵衛が実際にこだわっているのは①に見えます。そうなると「信長に頭を叩かれた」とか「四国の件で面目を失った」などという理由も十分に成立可能です。しかしドラマですから、よく描かれてきた「足蹴にされた」とかにはしないでしょう。「四国問題」も一般視聴者にはピンとこない理由です。となると「武士の棟梁である将軍なくして武士は存在できない」という十兵衛がよく使う言葉が気になってきます。つまり「信長が幕府をつぶしたから」という理由です。これはストレートに「将軍義昭の追放」を意味していません。①追放しても戻すと十兵衛は思ってい...大河「麒麟がくる」の明智十兵衛は何故本能寺の変を起こすのか。A案。

  • 織田信長の「天下布武」の本当の意味

    織田信長が美濃を攻略後1568年頃から使った「天下布武」の意味については、従来はこんな説明がなされてきました。①「天下」は五畿内のことで日本全土ではない。②「武」はほこをおさめる。つまり平和という意味である。③または「武」は室町将軍の武威を表している。織田信長については「その業績をなるべく小さい感じで表現しよう」というのが、最近の信長論の潮流です。天下統一など狙っていなかった。五畿内を守ろうとしたら、その「外」と戦いになってしまい、それが全国統一戦争のように見えるというわけです。これが「従来の説」です。ぼちぼちこういう信長論にも、批判の声が出てきています。ちらほらという感じなのですが。④まず「天下」は「地方との関係において天下」なのだ。⑤信長の時代においても「天下」の意味は流動的に変化した。それを五畿内と限定し...織田信長の「天下布武」の本当の意味

  • 足利義輝と朝廷・織田信長と朝廷・信長の画期的朝廷政策

    2020年です。最近は「戦国足利将軍はカイライではなかった」という学者さんの本が多くあります。別に「カイライであってほしい」とも思ってないし、足利義昭は傀儡じゃなかったから信長によって追放されるわけです。だからそれはいいというか、今、私の興味の範囲にないのですね。いつか考えればいいかと。昨日、足利義輝さんに関する本を読んだのです。するとそこに義輝さんが、軍事的にも経済的にもそこそこ潤っていた。義輝の二条城なんてそりゃ立派なもんなんだという記述があったのです。そこで「うん?」と思ったのですね。義輝さんがそういうご身分なら、どうして朝廷を援助しないのだろうと。そりゃ信長のように大金はたくのは無理としても、ちょっとは朝廷の権威回復に動いてもいい。Wikipediaにこうあります。諸大名の任官斡旋には力を尽くしたものの...足利義輝と朝廷・織田信長と朝廷・信長の画期的朝廷政策

  • 麒麟がくる・「将軍追放・天下静謐作戦」・勝手なあらすじ

    なんの資料にも基づいていません。ガイドブックなどに頼ってもいません。題名も私が勝手に考え、内容も勝手に考えています。だからネタバレはないはずですが、「史実の一部」はネタバレします。内容は史実に基づいていませんし、軽いノリの文章です。さて上洛後の信長です。「美濃は帰蝶のためにとった。京都は将軍のために占領した。帰蝶は喜んでくれた。将軍も天皇も喜んでくれた。京都の人々も歓迎してくれた。まずは嬉しい限りだ。」と考えています。1569年頃の話です。十兵衛は幕臣ですが、織田家の派遣社員でもあります。帰蝶「まずは良かったですね。これで天下も泰平です」信長「まあ、そうじゃがな。だが、この後どうすればいいのかな」帰蝶「美濃も伊勢も近江も、まだ落ち着いてはいません。ここからは内政ですよ」信長「内政か、、、苦手だな。十兵衛、京都を...麒麟がくる・「将軍追放・天下静謐作戦」・勝手なあらすじ

  • 司馬遼太郎さんは織田信長を描きたくなかった。

    割と有名な話ですが、司馬遼太郎さんは「国盗り物語」を斎藤道三編だけで終える予定でした。でも編集者から信長も描いてくれと言われた。で、仕方なく描くわけです。その後も、織田信長をまともに描いた作品はありません。「新史太閤記」他、信長が出てくる作品はあります。しかし信長を主人公とした作品はありません。小説「功名が辻」には信長は登場しません。「国盗り物語」後編にしてからが、光秀とのW主人公です。大河ドラマで信長ブームが起きたのは1965年「太閤記」の時です。私はむろん見てません。ビデオも本能寺の回しか残っていません。高橋幸治さん演じるクール極まりない織田信長に人気が集まり、助命嘆願が起きます。その結果「本能寺の変」は全52話の42話になるのです。10話だけが「太閤の時代」です。作家は吉川英治さんなんですね。だから司馬さ...司馬遼太郎さんは織田信長を描きたくなかった。

  • 大河「麒麟がくる」・「信長を暗殺せよ」・染谷織田信長が「左京大夫」にならなかったことの意味

    麒麟がくるはフィクションです。織田信長の第一回の上洛時に、足利義輝が信長に「左京大夫」や「幕府相伴衆」に勧めたなんて史料はありませんが、フィクションですからそこはどうでもいいのです。ドラマの展開として「じゃあ信長は何をしに行ったのか」という問題は発生します。今川との仲介を頼みにいったわけですよね。それは承諾しているわけです。仲介の手紙は書いてくれるのでしょう。それに加えて今川義元よりも「高い官位」や「高い幕府内での地位」をくれるというのです。「断る理由がない」わけです。しかし信長は冷めた目で見て、何も言いません。十兵衛には「効果がないだろ」と確かめます。松永久秀には「がっかりした」と言ったようです。仲介の手紙も書いてくれて(たぶん)、地位もくれるという。目的達成です。なんで「がっかりする」のか。それ以上何を望む...大河「麒麟がくる」・「信長を暗殺せよ」・染谷織田信長が「左京大夫」にならなかったことの意味

  • 黒嶋敏 著「秀吉の武威、信長の武威」のおもしろさ① 「一次史料」の嘘

    武威とは「武力を行使して人をつき従わせること、またその圧倒的な力」のことです。黒嶋敏さんの「秀吉の武威、信長の武威」の副題は「天下人はいかに服属を迫るのか」という題です。冒頭から秀吉や信長の「嘘ばっかりついて自分を大きく見せている手紙」が紹介されます。そういう種類の手紙等の分析を通して、「曖昧な惣無事令の再考」と「信長はどこまで達成したのか」を考えていくというのが筆者の狙いのようです。内容自体も実に興味深いものです。しかし私が感じたのは、ちょっと違うことです。あるいは「著者の狙い通りのこと」かも知れません。ズラーと「嘘ばかりの文章」が並ぶのです。中には「嘘は少ない文章」も含まれます。ほとんどが「一次史料」です。ここまで嘘ばかりの資料が並ぶと、自然に「当時の手紙は信じてはいけない」ということに気が付きます。と同時...黒嶋敏著「秀吉の武威、信長の武威」のおもしろさ①「一次史料」の嘘

  • うわさになりたい

    こんな遊びは久しぶりよそれぞれが自慢のパートナーを連れてすさんでた頃と仲間も彼も違うけどわたしだけの助手席見つけた誰かがあなたにそう告げ口するまで昔の私を隠していたい愛を守るためにつくろう偽りは嘘にはならないと言って眠気覚ましに休みふりして彼らの群れからはぐれては来たけど二人は夕べ抜け駆けしたとこの胸をくすぐるよなうわさになりたいうわさになりたい

  • 織田信長の目指したもの・天下布武と天下静謐

    織田信長は美濃を攻略すると「天下布武」の印章を用いるようになります。これについてはよくこう解説されます。・天下とは五畿内のことで、日本全土ではない・武とは「七徳の武」のことで、平和にするという意味(他の大名にそんなこと分かったのかな?という疑問はありますが)・「天下布武」とは「五畿内を平和にするという意味」、これは室町将軍の当時のあり方を反映している。(室町将軍の支配地域は五畿内で、そこの安定を目指していた)五畿内とは山城国・摂津国・河内国・大和国・和泉国のことです。ほぼ京都、大阪、奈良、兵庫の一部、、に相当します。現代語の天下統一とは「日本全土の統一」でしょう。すると信長は天下統一なんて目指していなかったということになります。最後は目指したかも知れないが、少なくとも1568年段階では目指していなかった、これが...織田信長の目指したもの・天下布武と天下静謐

  • 徳川家康と豊臣秀頼の「二重公儀」という言葉を聞いて考えたこと。

    私は研究者でも何でもないので、雑感に過ぎません。徳川と豊臣の二重公儀についての。なんでそういう風に「ややこしく、面倒な考え方をしたがるのだろう」と思いますね。二重が好きだなと。「潜在的支配者=天皇」と「実際の時の支配者=徳川とか日本政府とか」を分けて考えたいのでしょうね。へたすると今の日本も二重公儀なのかも知れません。皇室と日本政府の。「潜在的支配者である室町将軍」と「実際の支配者である織田信長」「潜在的支配者である豊臣秀頼」と「実際の支配者である徳川家康」なんでもかんでも二重です。でも豊臣秀吉は関白なので、つまり朝廷の朝臣なので「二重じゃない」のでしょう。皇国史観の亜流としか私の目には映りません。すでに二重という「色眼鏡」があって、そこから歴史を見ているわけですから、なんでもかんでも二重に見えるのでしょう。し...徳川家康と豊臣秀頼の「二重公儀」という言葉を聞いて考えたこと。

  • 麒麟がくる・「信玄西上・三方ヶ原の戦い」・勝手なあらすじ

    以下は「デタラメな趣味の文章」です。勝手に題名つけて、勝手に書いています。麒麟がくる、のネタバレはないはずです。ただし史実を全く知らない方にとっては、一部史実がネタバレします。文章そのものは史実と関係ありません。史実をちょっと基にしたフィクションです。軽いノリのふざけた文章でもあります。家康のセリフは大河「国盗り物語」のパクリです。さて目出度く足利義昭さんが将軍になれたのは、1568年の年末のこと。織田信長は1569年の正月には、殿中掟16条というルールを作ります。が、義昭さんはニコニコです。「信長殿は本当に足利家のことを心配してくれているんだ」と喜んでいます。善良な人なんです。十兵衛は基本は幕臣として、そして織田家にも属すると言う「両属状態」で働いていました。義昭さんのことは信頼しています。奈良で托鉢増の姿に...麒麟がくる・「信玄西上・三方ヶ原の戦い」・勝手なあらすじ

  • 織田信長と武田信玄が直接対決していたら。三方ヶ原の戦いのことなど。

    昨日、織田信長の大家である谷口克広さんの「信長と家康の軍事同盟」という本を読んでいたのです。当然、三方ヶ原の戦いが出てきます。良質な資料というのは皆無らしいですね。「武田信玄が生きていたら、織田信長などつぶされていた」と言われることがあります。谷口さんの見解だと「そんなことはない」そうです。三方ヶ原の戦いは新暦だと1573年の1月です。この時信長の敵というと・浅井朝倉、しかし信長軍は小谷城を囲む勢いで優勢・本願寺、一向一揆、長島など・松永久秀などそこに武田信玄が2万以上の兵力で西上してくるわけです。西上って日本語、あるのでしょうか。とにかく西上です。で、まず三方ヶ原の戦いで徳川軍+少しの織田軍がぶつかります。ここで徳川織田軍がコテンパンにやられるので、その後、信玄が生きていたら、ずっとコテンパンだったという推測...織田信長と武田信玄が直接対決していたら。三方ヶ原の戦いのことなど。

  • 大河ドラマにおける徳川家康像・不思議な人気

    ツイッターをやってみて、徳川家康が大人気だということが分かりました。特に今川時代とか。どうやら「おんな城主直虎」の影響もあるようです。さらに家康の持つ安定感とか、常識人っぽいところも人気の秘密のように思います。秀吉や信長に比べると、狂気度が相対的に薄いのかも知れません。山岡さんが描いた勤皇家の家康も影響しているのかな?「おんな城主直虎」は、非常に評判のいい作品です。しかし私はところどころしか見ていません。最後の方は見た。信長が「ザ魔王」でびっくり。あそこまでデフォルメするとは。光秀にまたびっくり。結局、信長、光秀、家康の描き方しか見ていないから、作品に入り込めないのです。主役は直虎と二人の男です。大河「徳川家康」が放映されたのは1983年で、むろん生きてはいたのですが、なぜか見ませんでした。その後DVDになって...大河ドラマにおける徳川家康像・不思議な人気

  • 織田信長・北条氏はなぜ「征夷大将軍」にならなかったか。

    私にとってこういうことを考えるのは「趣味」であり、一種の思考実験であることを書いておきます。ただ「楽しいから」書いているだけです。これが真実だ的な誇大妄想はありません。子供の頃、「鎌倉北条氏は身分が低かったので将軍になれなかった」とよく言われていました。子供だから「ああそうなんだろうな」と思っていました。実際そうなのかも知れません。ただ北条得宗家という存在を知ってからは、ちょっと考えが変わりました。得宗家というのは北条義時嫡流です。鎌倉後期となると、執権よりこの得宗の方が権力を持っていたようです。得宗が執権を務めることもむろんあります。得宗というのは律令制の身分ではありません。京都の官位だと北条貞時で従四位上のようです。しかし「実質的には鎌倉殿」であり、鎌倉政権のトップであったようです。将軍は天皇の息子です。上...織田信長・北条氏はなぜ「征夷大将軍」にならなかったか。

  • 足利義昭追放後の織田信長、足利義尋のことなど

    織田信長が室町幕府の存続を「それでも望んでいた」か。非常に難しい問題だと思います。武将には「戦略」があります。平気で嘘もつきます。どこまでが戦略で、どこからが真実なのか。もしかしたら信長本人だってその明瞭な境目がなかったかも知れません。結果として分かっている信長の行動は「鞆幕府は存続したとしても、京都において存続はさせなかった」ということです。1573年の足利義昭追放の時、その子足利義尋を人質にとっています。人質じゃないかも知れない。将軍候補かも知れない。でも結局は将軍としてたてなかった。立てるつもりがあったかという気持ちの問題は先述の戦略問題があるので分かりません。立てようと思えば立てることもできた。でも立てなかった。その「信長の実際の行動」が全てです。足利義尋さんは興福寺の大僧正として生を終えたようです。昨...足利義昭追放後の織田信長、足利義尋のことなど

  • 織田信長は中世の破壊者なのか

    織田信長は中世の破壊者なのか。こうかくと「破壊者ではない」という結論を予想すると思いますが、「破壊者です」ということを書きます。近年の研究について何も知らないのかと言われそうですが、そりゃ全部知ってはいません。でも30冊ぐらいは本を読みました。日本史学者、比較的まともな研究者の本です。「織田信長は中世を少しも破壊していない」と言い切る学者等は一人もいないと思います。程度の問題なんです。つまり「近世権力というには信長の政治体制は不徹底であった」。近世は秀吉をもって始まるということだと思います。信長が保守的というのも、「保守的側面も強かった」「意外に強かった」と言われます。「意外に」ということは、革新的部分も多いということです。資質としては保守的というか、伝統、朝廷、宗教、室町幕府、宗教なんかを尊重していたよ、とい...織田信長は中世の破壊者なのか

  • 織田信長・天下静謐と天下統一

    最初に天下静謐という言葉を聞いた時、私は「大東亜共栄圏」とか「八紘一宇」という言葉を思い浮かべました。極めて政治的なイデオロギーを感じたのです。その思いは、今もそんなに変わっていません。むろん現代の造語ではなく、織田信長が実際に使った言葉です。しかしそれをことさらに取り出してきて「天下統一ではない、天下静謐だ」と強調することには、なにやら違和感を感じます。実際にはどっちも武力行動を伴っています。天下静謐といっても、そのために戦ってばかり。時には皆殺しまで行います。私は天下統一でいいと思います。やってることは「同じ」だからです。国家神道的なものに親和性を感じる方は「天下静謐」が好きなのでしょう。天皇を中心とした王道楽土というところか。私は相対的に政治色の薄い「天下統一」を使うべきだと思います。織田信長・天下静謐と天下統一

  • 麒麟がくる・第二十三回ぐらいか・「将軍義輝の戦い」・勝手なあらすじ

    勝手なあらすじです。つまり趣味で書いた文章に過ぎません。しかし情報は得ているので、一部は当たると思います。ネタバレに注意してください。ただし「基本こうはなりません」。史実とも違っています。さて時は桶狭間の1560年から飛んで1564年、つまり足利義輝の死の一年前、十兵衛は藤孝からの知らせで、三好長慶が死んだことを知ります。三好家が松永派と三好三人衆派で割れているとも書いてありました。十兵衛は相変わらず寺小屋経営です。ただし十兵衛の名誉を思って金を送ってこない帰蝶に代わり、信長が多少のお金、現代価値で15万円くらいを月々送ってきていました。桶狭間の「水の代金」だそうです。一族8人ぐらいでなんとか食べていけるほどの暮らしです。次の年、1565年。十兵衛はユースケ義景に呼び出されます。京都へ行けと言います。細川藤孝が...麒麟がくる・第二十三回ぐらいか・「将軍義輝の戦い」・勝手なあらすじ

  • 麒麟がくる・第二十一回・「決戦!桶狭間」・感想

    「信長公記」によれば信長が人間五十年を舞ったのは「桶狭間の時」なのですね。で、私は染谷信長に「舞わせるか」に注目してたのです。舞って欲しいが、普通には舞わないだろうなと予想していました。結果としては「まず口ずさむ」、しかも「有為の雲に隠れ」という「人間五十年のちょっと前」から口ずさむ。一たび生をうけ、で本格的に舞おうとするが、そこで止める。つまり滅せぬもののあるべきか、の部分はやらない。その代わり会話で「死のうは一定」を入れてきました。でも満足です。さすがにやってもらわないと。父親の位牌に抹香投げつけなかったのだから、ここは少しはサービスしてほしい所です。しかも「桶狭間」、ちゃんと「桶狭間山」と「山」としたのに、義元の位置はちょっと谷になった部分でした。だから「坂を下って攻撃」です。「逆落とし」というほど急な坂...麒麟がくる・第二十一回・「決戦!桶狭間」・感想

  • 麒麟がくる・比叡山焼き討ちはどーなるのか。

    「麒麟がくる」の台本はだいぶ修正されたようです。合戦シーンが特に問題で、コロナ問題とかかわります。だから合戦はほとんど「なくなる」のかなと思います。本圀寺・金ケ崎・長篠・本能寺ぐらいなのかなと思っています。長篠に光秀いたかどうかは説が分かれているようですが、光秀はどこにでもいるので大丈夫でしょう。武家・公家・寺社・天皇、これらは「持ちつ持たれつだった」というのが多くの日本史学者の前提で、これは仮説なんですが、いつの間にか仮説じゃないような扱いになっています。信長と義昭も持ちつ持たれつ、信長と寺社も持ちつもたれつ。仮説が一人歩きしているようで、どうも科学的な方法とは思えないのですが。でも私は研究者でも学者でもない。「比叡山焼き討ち」なんぞも持ちつ持たれつにしないといけないので、「そんなに焼いてない」とか「信長だけ...麒麟がくる・比叡山焼き討ちはどーなるのか。

  • 麒麟がくる・織田信長の大失敗・越前攻め

    信長は義昭さんを奉じて上洛後、一年半ぐらい後には越前の朝倉義景を攻撃します。ユースケ義景です。で浅井長政さんに裏切られて金ヶ崎となって、人生最大のピーンチとか言われますが、本当のピンチはその後です。朝倉・浅井との戦いは泥沼化していきます。とっても不思議だと思うのです。当時、畿内はまだ全然おさまっていませんでした。三好三人衆とか篠原長房、六角承禎とか伊勢の抵抗勢力、さらにまだ総決起していないものの本願寺勢力。そういう勢力があるのに、わざわざ越前を攻める。リスクが高いし、結果としても大失敗します。やがて信長は姉川の戦いで、浅井朝倉にかろうじて勝利、ほぼ引き分け。その後浅井朝倉が反攻。比叡山に籠ります。これが本当のピンチでした。本願寺は決起するし、三好三人衆とも戦うし、長島一向一揆とも戦う。長島では弟とか森可成が戦死...麒麟がくる・織田信長の大失敗・越前攻め

  • 麒麟がくる・「美濃攻略」・完全に想像で勝手に書く

    ツイッター連動ですが、ブログではネタバレは一切気にしません。もっとも、これは私の趣味の文章で、麒麟がくるは「こうはなりません」。つまり以下の文章は完全な想像で、実際の「麒麟がくる」とはほぼ関係ありません。さて桶狭間の翌年1561年、蹴鞠をする「ユースケ、アリ義景」を信用できない十兵衛はまだ牢人のままです。そこに左馬助が「斎藤高政が病死した」という情報を持ってきます。結局は道三の呪縛から逃げられず、ストレスで体を壊した果ての若死にでした。しかし尾張の侵攻にはよく耐え尾張を守った。34歳。あとはまだ13歳の龍興が継いだと言います。十兵衛は合掌します。左馬助によれば、美濃は重臣たちの共同統治制になっており、13歳の龍興でもそう簡単に崩れることはないそうです。ところが1564年、岐阜城が落ちているという驚くべき情報を左...麒麟がくる・「美濃攻略」・完全に想像で勝手に書く

  • 麒麟がくる・なんとなく本能寺の変・原因設定

    麒麟がくる・この十兵衛が本能寺の変を起こす原因についてはある意味最初から明示されています。。①武士のほこりのため②麒麟をよぶためのどっちか、または両方です。で、なんとなく考えてみます。①頭を信長にぶたれた子供みたいな理由ですが、十兵衛は「母にも頭を殴られたことはなく、お尻をぶたれた」人間です。私も高校生以降、人に頭を殴られたことはない。相当頭にくると思います。武士のほこりを守る理由としては十分なんですが、視聴者は「はあ」となるし、なにより今までも描かれており、新鮮味がありません。②母親が人質になって殺されたこれは採用されるわけがない。嘘ですから。採用したらSNSは批判の嵐です。③室町幕府をつぶした十兵衛も加担してますし、義昭さんの追放から時間がたちすぎています。それに義昭さん、毛利の領地で元気ですし。④天皇家を...麒麟がくる・なんとなく本能寺の変・原因設定

  • 麒麟がくる・室町幕府・室町将軍と信長の関係の描き方

    ツイッターではネタバレに気を付けてはいますが、ブログでは一切ネタバレを気にしないので、注意してください。私のような大河ファンにとっては室町ってよく分からない時代です。室町将軍が描かれた作品は「太平記」と「花の乱」ぐらいです。義輝さんと義昭さんは除きます。どうも建て前としては本州の関東以西は「室町幕府のもの」で、そこに代官として守護がいるという感じらしい。江戸幕府などとは本質的に違うらしい。そこがよく分からないのです。ただ戦国ともなると、そういう建て前はもうなくなっています。いや建て前はあるのかな。信長は将軍に代わって尾張を平定した。それを将軍に報告したということになるのかも知れません。もはや「建て前とも言い難いな」と思います。だから戦国でも義輝さんの幕府も義昭さんの幕府も「機能していた」と言われても、何がどう機...麒麟がくる・室町幕府・室町将軍と信長の関係の描き方

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