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2019/05/12

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  • 「鎌倉殿の13人」・第33回「修善寺」・感想と考察

    義時が冷酷な悪人になったのは、実は先週と先々週だけで、それまでは「迷い」がありました。迷いなく殺したのは、比企一族と一幡だけで、それも史実から言えば時政がやったことです。私はやや義時びいきですので、今回、また義時が多少の「迷い」を持ってくれたことは嬉しい限りです。悪漢ヒーローも良いけれど、この時代、あまり非道なのは「ただ嫌われるだけ」ですから「歴史的存在としての義時」にかわいそうです。今回の頼家の死については「幕府のみんなで決めたこと」なのに、結局義時ひとりで刺客を放った感じになっていて、そこはまた悪人を引き受けることになって、かわいそうでしたが、泰時を「頼家救出に向かわせ、かつ冷酷な政治の力学を体験させる」ためには、必要な「設定」だったのでしょう。泰時はどこまでも善を引き受けるようです。頼家に関しては善...「鎌倉殿の13人」・第33回「修善寺」・感想と考察

  • 源頼朝「すでに朝の大将軍たるなり」が鎌倉幕府を滅亡させた説

    私が上記のような「奇説」を書くのは「歴史は自分の頭で考えないと分からない」と考えているからです。つまり「人の書いたものを理解するだけではいけない」と思っているから。まあ本当は、そういう「真面目な動機」と、「自分で考えないとつまらない」という「自分勝手な動機」が混在しています。「奇説」ですが、一応いろんな学者さんの本を参考に書いています。源頼朝は反乱軍として(平家が官軍)スタートし、朝廷とは関わりなく勝手に土地の「安堵」を行っていきます。ただそのうちにやや路線が変わって「朝廷ともうまくやっていこう」となります。挙兵には後白河法皇の院宣があったという方もいますが、その証拠は全くありません。それどころか、奥州藤原氏戦争は、後白河法皇の強い反対を押し切って強行されます。法皇は「追認」という形で、形式を整えました。...源頼朝「すでに朝の大将軍たるなり」が鎌倉幕府を滅亡させた説

  • 鎌倉幕府の性格・公武協調か公武対立か。

    鎌倉幕府が朝廷や公家と「基本的に協調していたのか」または「基本的に対立していたのか」。今は「基本的に協調していた」が学会の「常識」となっているとされている。というか、学者さんもつらい立場で「協調史観」か「対立史観」かの「踏み絵」を踏まされているようなのである。もちろん数は多くないが「対立か協調か自体がくだらない話だ」と言い切る学者さんもいる。そもそも石井進さんや佐藤進一さんが「公武対立史観の立場をとった」とされ、それが教科書的歴史観になったと「された」ことから、こういう面倒な問題が始まる。教科書は「単純化」されているから、なるほど「単純な対立的把握」をしている部分も存在する。その方が「教えやすい」からでもあろう。ただ石井さんや佐藤さんの「原著」を読めば、単純に「対立構造だ」と言っていないことは明らかである...鎌倉幕府の性格・公武協調か公武対立か。

  • 鎌倉幕府と承久の乱に関する一つの奇妙な仮説

    歴史学の巨人である佐藤進一さんが「日本の中世国家」で「王朝国家」と「鎌倉政権」を「二つの国家」と書いたのは1983年です。既に黒田俊雄さんの「権門体制論」の賛同者は増えていましたが、佐藤さんはそれに対して一つの見解を述べたわけです。今は文庫になっていますが、もう「感動的」というか「涙もの」です。知識が人間業じゃない上に、論理も明確すぎるぐらいです。この本が「正しいか否か」はとりえず置くとしても、「こんな美しい文章はめったにない」とまず私はそこに感動しました。「論理文に感動」というのはおかしいですが、時々そういう文章に出会います。佐藤さんは中世を基本的に「分裂の時代」とみています。「権力の分散」とも言います。それに対して権門体制論は「統合」を主張します。「ゆるい統合」ですね。王朝国家、または朝廷?、天皇のも...鎌倉幕府と承久の乱に関する一つの奇妙な仮説

  • 「鎌倉殿の13人」・北条時政とは一体何者なのか。

    北条時政に関しては「開発領主である」「在庁官人であるらしい」ということがよく言われます。開発領主奈良時代の743年。聖武天皇が墾田永年私財法を出します。「私財」と言っても「完全な私財」ではなく、いろいろ制限条件が付きます。税金も取られます。で、地方では資金や権力を持つ「院宮王臣家」という貴族たちが中心となって、それに国司も加わって、とんでもなくエグい開発競争が始まります。バブルです。法律的には制限があるのですが、院宮王臣家は法律なんて「知ったこっちゃない」というわけで、とにかく際限なく欲望を開花させます。土地の領主(管理人)である武士が、ほぼ「院宮王臣家」(貴族)の子孫を名乗っているのはこのためです。北条時政が生きた時代は1138年以降ですが、この時には「富豪農民」や「郡司層」などが土地の開発を行って「開...「鎌倉殿の13人」・北条時政とは一体何者なのか。

  • 読書報告 黒田俊雄氏「権門体制論」・永原慶二氏「荘園」・呉座勇一氏「戦国武将、虚像と実像」

    今どんな本を読んでいるかをぐだぐだ書くだけです。書評とかじゃないし、本の紹介でもないので、期待はしないでください。黒田俊雄氏は権門体制論を主張した方ですが、「権門体制論」という本は、ありません。昔々、、、「中世の国家と天皇」で、初めてまとまった形で「権門体制」を主張しました。公家、武家、寺社を「中世における支配層」と考え、「荘園に基盤を置く点において同質性を持っている」としました。上皇は「公家」に含まれます。何度読んでもやや難解です。ただし短い論文です。「公的存在としての天皇」はこの3つの勢力に「公のお墨付き」を与えるとしました。錦の御旗みたいなもんです。中世を支配していたのはあくまで公家、武家、寺社。それらはかなり私的な勢力なのですが、「あたかも公的」に見えるのは天皇の「お墨付き」のおかげというわけです...読書報告黒田俊雄氏「権門体制論」・永原慶二氏「荘園」・呉座勇一氏「戦国武将、虚像と実像」

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