日本全国の喫茶店に配布している創刊25周年を迎えるコーヒーPR誌『四季の珈琲』。『四季の珈琲 online』は、では『四季の珈琲』に掲載された一部記事を紹介しています。
コーヒービジネスに関わる企業が、どのように環境問題に取り組んでいるかということを、前回ご紹介しました。今回はドイツでのお話です。 ドイツの新興企業、「Kaffeform」が(ドイツ語を知らない私としては、この会社の名前をいったいどう読めばいいのか分かりませんが)、たいへん面白い事業に取り組んでいます。コーヒーを作った後のコーヒーの残りを、カップやフタに使うというのです。 コーヒーの残りというと、何だか分かりにくいかもしれませんが、コーヒーショップでコーヒーを作った後に捨ててしまう、いってみれば、「コーヒーの出しがら」のようなものです。今では、一般家庭でも、コーヒーメーカーを使った後に捨ててしまうことが多いと思います。それです。 そういえば、昔は、今ほどタバコに対して厳しい時代ではありませんでしたから、喫茶店の灰皿にコーヒーの出しがらが、恐らくは消臭目的として入れられているのをよく見ました。自分の家でもそれを真似したりしました。 このドイツのベンチャー企業は、その「コーヒーの残り」を使って、コーヒーカップやフタを作ろうというのです。食洗機で洗っても長持ちするし、もし捨ててもすぐに自然に帰るとか。これが本当に実現すれば、確かにエコ問題の大きな解決策かもしれません。 『四季の珈琲』2019 vol.48
「コーヒーは健康に良い」と結論付ける研究が多く発表されています。これまでも同様のニュースをいろいろご紹介しましたが、今回はなんと「1日8杯ものコーヒーを飲む人でも、飲まない人より長生きしている」という、インターネットで見つけた、CNBCというアメリカのニュース専門局のサイトの記事です。 記事によると、約50万人のイギリスの成人を対象とした研究において、コーヒーを飲む人は飲まない人に比べて、死亡リスクがわずかに少ないということが報告されました。 約50万人の被験者は自分の血液を提供し、コーヒー消費量、喫煙や飲酒の習慣、病歴などを含む、ライフスタイルに関する多くの質問に回答しました。 そしてこの約50万人の被験者を10年間追跡調査したところ、その10年間で1万4200人が亡くなったのですが、どれくらいの量を飲んでいるかにほとんど関わらず、コーヒーを飲んでいる人の方が飲んでいない人よりも長生きしているというデータが得られたというのです。研究によれば、10年間において、コーヒーを飲む人は飲まない人より約10〜15%死亡者が少なかったという結果が出ました。そして、コーヒーを飲む量の違いや遺伝的な差異はほとんど影響がなかったといいます。 そういうことから、このニュースのタイトルが、「1日8杯も飲む人でも長生きできる」という風になったようです。 記事では別の研究についても紹介しています。 例えば、コーヒーの中の成分が、炎症を抑えたり、インシュリンの働きを適切にして糖尿病の進行を防ぐなどの可能性も指摘されているそうです。また、別の研究では、1日3〜4杯のコーヒーが、早期死亡の可能性を大きく下げるといった報告もあるそうです。 『四季の珈琲』2019 vol.48 参考・引用文献 Drinking as many as eight cups of coffee a day could help you live longer, study says
四季の珈琲vol.45でニューヨークを舞台にしたいくつかの映画を挙げた。その中の一つ「恋に落ちて」。主演はフリーランスのグラフィックデザイナーのモリーを演じるメリル・ストリープ、建築技師のフランクを演じるロバート・デニーロ。モリーには総合病院に勤める医師の夫が、フランクにはガーデニング好きな妻と二人の息子がいる。役になりきることで有名なこの二人の俳優が演じるラブストーリーである。 まだ見知らぬ同士の二人はクリスマス・イヴの夕方、ニューヨークの大型書店「リゾーリ」で出会う。もちろんこの時点で数か月後に互いにかけがえのない存在になることを知ることはない。モリーは夫に、フランクは妻へのプレゼントに買った本を入れた手提げ袋がぶつかり本が散らばってしまう。慌てて拾い集めて手提げ袋にいれたものの、同じ袋のため二人は間違えて相手の手提げ袋を持ち帰ってしまうことから物語は始まる。 この二人が通勤で使っているのはメトロノース鉄道ハドソン線。ニューヨークのグランドセントラル駅からハドソン川の東側を北上し、終点のポキプシー駅までの29の駅間73・5マイルを走る郊外通勤路線だ。アリーとフランクは偶然にも隣同士の駅。フランクはグランドセントラル駅から数えて14番目のドブズ・フェリー駅。モリーは一つ先のアーズリー駅。昔から恋愛映画には駅は重要な場所である。やがて二人は朝の電車内で二度目の出会いをして急速に心が通いあうようになる。帰りの電車の時間を合わせたり、分別盛りの二人はまるでティーンエージャーのように胸を躍らせて逢引きを繰り返す。 やがてフランクの妻とアリーの夫は二人の変化を悟りお互いの家庭は崩れていくものの最後ははじめて二人が出会った書店「リゾーリ」で再会しハッピーエンドで幕が閉じるといういたってシンプルなストーリーだ。 映画を鑑賞する者を深く引き込むにはいくつかの要素がある。わかりやすく上質なシナリオ。そのシナリオを支えるスピード感、そして生活や登場人物の人柄を感じさせるさりげない小道具などだ。この映画で言うならありきたりの日常に波紋を投じる男女の出会いがシナリオの核となり駅と列車は話の展開にスピード感をもたらす役を果たしている。そして僕が小道具として注目したのはあるコーヒーのシーンである。 モリーには病を抱えた父親がいる。ある日、父の家を訪れたモリーはコーヒーメーカーからマグカップにコーヒーを注ぎ父に差し出す。この時のコーヒーメー
大事な時のふしぶしで 登場してくる 「コーヒー」というもの。
(前回の続き) * 大学を卒業し、最初の会社に入ったのが1980年代後半、つまり、バブル景気の、最盛期の始まりだった。会社は、東京・渋谷のど真ん中を本拠地として、ファッションビルの全国展開を図っていた。いわゆるDCブランドファッションの萌芽期・最盛期でもある。 服の販売に限らず多くの事業を手がける会社であり、私は出版局の雑誌編集部門に配属された。今から考えれば、これが編集者としての人生の始まりだった。 バブルという好景気のせいか、あるいは渋谷という先端的な雰囲気を漂わせる街だったせいか──今は昔とはだいぶ変わっているそうだが──、またはその両方か、当時、会社のそばには大変おしゃれな、ちょっと値段の高いコーヒーを出す店が多かったように思う。1杯飲むだけで1000円近くするようなコーヒーを提供している店もあった。 百貨店を中心とする流通グループの会社だったこともあり、バブル期とはいえ、決して私の給料が高かったわけではない。それでも、こうした高額なコーヒーを出す店に、昼食時に、同僚とたまに出かけていたような気がする。若かった私は、コーヒーの味を楽しむというよりも、何だか、つかの間の、優雅そうな時代の気分を味わいたかったのかもしれない。 * そういえば、学生時代から流行していたのが「カフェバー」という形態だ。会社に入ってからは、先輩諸氏に、六本木や原宿の老舗カフェバーとやらに連れていってもらったこともある。でも、カフェバーといってもコーヒーを飲んでいる人は誰もおらず、(ただの、かっこつけたインテリアの飲み屋ではないか)と思ったりした。あれはいったい何だったのか、いまだに正体がわからないままだ。 * 4年弱勤めた会社を辞め、別の出版社に転職した。確かこの年にベルリンの壁が崩壊したのではないかと思う。 ベルリンの壁だけでなく、日本ではバブルの崩壊が間近に控えていた。しかし、私が転職した会社は、あまり投資に手を出していなかったためか、深刻な財政状況に陥ることもなく、また、世の中の動きをあまり気にすることもなく、新雑誌の創刊を続けていたように思う。そして私も、数冊の新雑誌の創刊に関わった。 仕事がとにかく忙しかった。毎日1時、2時以降にタクシーで帰る日が続いた(こうした経費だけはやたらと使えた)。コーヒーを飲むどころか、食事をとる時間もなかったり、ひどい時には長時間トイレに行くのを忘れていたりもした。 コーヒーとの接点といえば、
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