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2019/04/19

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  • 「学び直し中学歴史」昭和時代②太平洋戦争

    ①太平洋戦争開戦 1911年11月:ハル・ノート提示 米国務長官コーデル・ハルの名をとって「ハル・ノート」と呼ばれている。 ・中国やインドシナからの日本軍の無条件即時撤退 ・蒋介石政権以外の中国政権の否認 ・三国同盟の事実上の破棄 →東条英機内閣は交渉を断念し開戦を決断 ⇒1941年12月8日ハワイ真珠湾の米軍基地を攻撃(太平洋戦争開戦) →三国同盟により、独・伊もアメリカに宣戦 →枢軸国(日・独・伊など)VS連合国(米・英・蘭・中など)の全面戦争に ⇒日本軍は東南アジアや西太平洋に進撃・占領 ②大東亜会議の開催 (タイ)東南アジア唯一の独立国タイは日本と同盟を結び米英に宣戦。 (インド)イギ…

  • 「学び直し中学歴史」昭和時代①日中戦争

    ①世界恐慌後の日本〜高まる軍の影響力〜 1929年(昭和4年)、ニューヨークの証券取引所での株価大暴落から発した景気後退(世界恐慌)は、アメリカとの貿易に頼っていた日本にも深刻な影響を及ぼした。広い植民地を持たない日本は、イギリスやフランスのように、ブロック経済のしくみを打ち出すこともできず、多くの失業者が生まれた。 貧困や大陸での日本権益が侵害されていることに対する憤りなどから、軍を中心とする全体主義的な政治を目指す思想が生まれる中、政府は1930年(昭和5年)、ロンドン軍縮会議に参加し、補助艦の制限に合意。これに対して野党の政友会は、一部の軍部の意見に同調して、政府が天皇の統帥権を犯してい…

  • カーンアカデミースタイルの解説動画を簡単に作成できるアプリ

    ADHDの息子(小6)に勉強を教えるために、解説動画を作成してみました。普段はなかなか集中せず、教えられるのも嫌がる事が多いのですが、熱心に動画を見て勉強していました。 メモをしながら授業形式で動画を撮影してそのまま見せるスタイルもありますが、カーンアカデミーのように、顔は見せずに、声と黒板(ホワイトボード)の板書のみというスタイルも効果的でした。 カーンアカデミースタイルの解説動画が簡単に作成できるアプリを紹介します。 ①「AZスクリーンレコーダー」 タブレット上に映し出される映像をそのまま録画できるアプリです。再生開始と終了の操作も簡単で、画面のトリムや編集も簡単にできます。 ②「Whit…

  • 「学び直し中学歴史」大正時代

    ①第一次世界大戦 〈第一次世界大戦のはじまり〉 日露戦争に破れたロシアは、満州・朝鮮への南下をあきらめ、ヨーロッパ方面に関心を向けるようになった。 一方、ドイツはフランスとの戦いを制し、オーストリア・イタリアと三国同盟を結び、地中海方面に力を伸ばそうとした。 これに対しイギリスは、ロシア・フランスと三国協商を結び、ドイツの動きを封じ込めようとした。 1914年:サラエボ事件 オーストリアの皇太子夫妻がセルビアの一青年によって暗殺される事件。この事件によってセルビアとオーストリアの間に戦争が起こると、三国協商と三国同盟に加わる各国も参戦し、ヨーロッパを主な戦場とする第一次世界大戦が始まった。 日…

  • 「学び直し中学歴史」明治時代③日清・日露戦争

    ロシアの南下政策を警戒した日本は、まずは朝鮮を勢力下に置いている清に宣戦し勝利する。義和団事件後に満州を占領したロシアの動きにさらに警戒を強めた日本は、日英同盟を結びロシアに宣戦。国力のすべてを傾けた日露戦争は日本の勝利に終わり、日本は列強に並ぶ国になったという安心感と自信が芽生え始めていく。 ①日清戦争 〈日清戦争の背景〉 日朝修好条規により、日本は朝鮮を独立国とみなしていたが、清は朝鮮を属国とみなしていた。朝鮮では、日本にならって近代化を進めようとする独立党と、清との関係を維持しようとする事大党が対立していた。 1882年(明治15年)壬午事変(改革に反発する軍人の暴動) 1884年(明治…

  • 「学び直し中学歴史」明治時代②西南戦争と自由民権運動

    外国との領土確定と国交成立、不平等条約の解消に邁進する新政府。岩倉具視をリーダーとする岩倉使節団と、留守政府を任された西郷隆盛や板垣退助との認識のずれが 鮮明になっていく。 政府を去った西郷隆盛は、不満を募らせていた士族にお仕立てられ、西南戦争が始まる。しかし、新政府軍はこれを鎮圧。以降、士族による武力反発は沈静化していく。 変わって、全国的広がりを見せたのが、板垣退助を中心とする、言論によって国会開設を求める自由民権運動。政府内でも、国会開設の時期をめぐって伊藤博文と大隈重信が対立。自由民権運動や政府内の対立を経て、1890年(明治23年)、第一回衆議院議員選挙が開かれた。 ①新政府の外交課…

  • 2019年9月時点〜おすすめのスマホ決済・クレジットカード〜

    2019年9月時点のおすすめスマホ決済とクレジットカードの紹介です。 ①住信SBIネット銀行のMastercardデビットカード ネット銀行は住信SBIネット銀行を使っています。我が家はお小遣い制ですが、「定額自動入金」で給与口座から毎月無料でお小遣いの金額が入金できるので重宝しています。「住信デビットのMastercard」は0.8%のポイントがつき、デビットカードの中では、高還元率の部類に入ると思います。デビットカードなので、口座から即時引き落とされるので、残高管理も容易です。Origami Payと紐づけているので、Origami Payの割引(Origami Payはポイント還元ではな…

  • 歴史を学ぶなら、教科書・NHK・Youtube大学

    歴史を学ぶ上で参考にしている手段を紹介します。中学校教科書で骨格を作って、高校教科書やNHKの歴史ドキュメンタリーで肉付けするのがおすすめです。教科書は事実の羅列で無味乾燥になりがちですが、「学んだことを誰かに伝える」という視点で整理することで、最も端的に骨格が固まると思います。「誰かに伝える」という視点で参考になるのが受験参考書やYoutube動画ですが、一番参考になるのが中田敦彦さんのYoutube大学です。Youtube大学は「各時代をどう切り取っているか」、「どういうストーリー構成をしているか」、「興味関心を引き出すためにどう伝えているか」は非常に参考になります。 ①学校教科書 歴史に…

  • 「学び直し中学歴史」明治時代①明治維新

    王政復古の大号令によって成立した新政府は、反発する旧幕府軍を戊辰戦争で破り、短期間で新たな政策を実行していく。版籍奉還・廃藩置県・四民平等・地租改正・学制・徴兵令・殖産興業など、明治維新を概観する。 ①戊辰戦争 新政府は徳川慶喜に官職と領地を返すように命じる。慶喜と旧幕府側はこれに反発。1868年1月に、鳥羽・伏見で新政府軍と戦いをおこす(鳥羽・伏見の戦い) この戦いは新政府軍が勝利し、慶喜は江戸に逃れた。新政府軍は西郷隆盛の指揮のもと各地に進撃。江戸城を無血開城させたあと、会津藩(福島県)を中心とする東北諸藩を攻め、翌年には函館の五稜郭に立てこもっていた榎本武揚が率いる軍勢を降伏させ、一連の…

  • 「学び直し中学歴史」江戸時代②江戸幕府滅亡

    1853年、アメリカ海軍提督ペリーが浦賀に来航し、日本に開国と通商を求めた。武力を背景とした強硬姿勢に押され翌年、日米和親条約が結ばれる。1856年には大老井伊直弼が朝廷の許しを得ずに日米通行通商条約を結んだ。 幕府に対する反感から尊王攘夷運動が高まりを見せていく。最初対立していた長州藩と薩摩藩は、坂本龍馬らの仲立ちがあり薩長同盟を結ぶ。さらに、龍馬らは15代将軍徳川慶喜に朝廷へ政権を返すように進言。大政奉還が実現した。新政権内で権力を維持しようと考えていた慶喜だが、朝廷は1867年12月に王政復古の大号令を出し、天皇中心の新政府をつくる事を内外に示した。 ①ペリー来航から尊王攘夷論の高まりま…

  • 「学び直し中学歴史」江戸時代①〜江戸時代の政治変遷〜

    徳川家康は武家諸法度や参勤交代により、大名の権力をコントロールし260年続く江戸幕府の礎を築いた。その後江戸時代は度重なる財政難との戦いであり、将軍や老中の改革の歴史が積み重なっていく。倹約路線と消費路線を行きしながらいずれも行き詰まり、幕府の信頼は徐々に失墜していった。 ①江戸幕府の始まりとしくみ 〈豊臣家の滅亡〉 豊臣秀吉の死後、江戸に城を構え多くの大名を味方につけていった徳川家康と、豊臣家を継いだ豊臣秀頼をもり立てようとする石田三成が対立。 1600年の関が原の戦いで徳川家康が勝利し、1603年に朝廷から征夷大将軍に任命され江戸に幕府を開いた。 徳川家康は1614年に大坂冬の陣、翌年の大…

  • 「学び直し中学歴史」安土桃山時代

    本能寺の変で織田信長を自害に追いやった明智光秀を討った豊臣秀吉。その後朝廷から関白に任命され、全国統一を果たした。秀吉はその勢力を東アジア一帯に広げようと、明への出兵を描いたが、朝鮮での2度に渡る敗戦でその試みは頓挫する。朝鮮での敗北は、豊臣氏政権が弱体する原因の一つとなった。 ①豊臣秀吉による天下統一 戦国大名の中で力を伸ばした尾張(愛知県)の織田信長は、京都に上り、足利義昭を将軍に立てて全国統一を目指した。しかし、義昭と対立するようになり、義昭を京都から追放。室町幕府は滅亡した。その後、信長は家臣である明智光秀の反逆により、本能寺で自害した(本能寺の変) 毛利攻めの最中に本能寺の変を知った…

  • 「学び直し中学歴史」室町時代

    後醍醐天皇・足利尊氏・新田義貞らによる鎌倉幕府の滅亡。 建武の新政に対する足利尊氏を中心とした武士の反発と南北朝の分裂。 跡継ぎ争い(応仁の乱)による幕府衰退と、下剋上の風潮の広がり。 戦国大名が争う時代に。 ①鎌倉幕府の滅亡と建武の新政 後醍醐天皇が幕府に不満を持つ公家や武士に呼びかけて幕府を倒す計画を立てるが、その計画は漏れて、後醍醐天皇は隠岐(島根県)に流された。 しかし、楠木正成や護良親王(もりよししんのう)は幕府との戦いを続け、後醍醐天皇は隠岐から脱出し船上山(鳥取県)に立てこもった。 幕府は有力な御家人である足利尊氏の軍を京都に向かわせたが、尊氏は天皇側に味方して六波羅探題(朝廷の…

  • 「学び直し中学歴史」鎌倉時代

    後白河上皇と対立した平氏を討伐するため挙兵した源頼朝。弟義経の活躍もあり、平氏を滅亡に追い込んだ。その後、後白河上皇に重用された義経と頼朝は対立。頼朝は義経を討ち、1192年に鎌倉幕府を開いた。 頼朝死後、頼朝の后である北条政子の父、北条時政が政治の実権を握ってからは、北条氏による執権政治が続いた。 その後、幕府は2度に渡る元の襲撃を退けたが、防衛戦だったため御家人に十分な恩賞を与えることができず、幕府の権威と信用は失墜していく。 ①平氏の滅亡と源頼朝による鎌倉幕府のはじまり 〈平氏の滅亡〉 平安時代末期に朝廷での権力を牛耳っていた平氏は、後白河上皇と対立。上皇の息子の以仁王(もちひとおう)が…

  • 「学び直し中学歴史」平安時代

    平安時代は、公知公民の原則が完全に崩壊し、荘園(私有地)が拡大していく時代。荘園の警備のために武士団が形成されていく。 権力体制は、貴族の中で力を伸ばした藤原家による摂関政治→天皇引退後、上皇になってからも権力を握る院政→武士から初めて太政大臣となり、要職を一族で固めた平家と移り変わっていく。 ①桓武天皇による平安京造営と律令政治の立て直し (8世紀中頃) 政治の実権を巡って力を持つ貴族や僧が争うように ⇒奈良の寺院など、古い仏教勢力から離れるために784年、桓武天皇は都を長岡京に移す →工事責任者の暗殺・度重なる水害 ⇒794年平安京(現在の京都市)を造営 桓武天皇は、律令政治を立て直すため…

  • 「学び直し中学歴史」奈良時代

    飛鳥時代に天智天皇が目指した公地公民(皇族や豪族が支配していた土地や人民を国家が直接統治)。天武天皇・持統天皇が目指した律令国家(中国の律令制度にならった法律による統合)。奈良時代は、班田収授法や大宝律令によるこれらの実現の時代といえそうです。しかし、すぐに墾田永年私財法によって私有権が認められ、ほころびをみせていきます。 ①大宝律令にによる統治 大宝律令は701年に文武天皇によって完成します。平城京への遷都が710年なので、その前に完成していたことになりますが、奈良時代はこの大宝律令によって統治されていました。 ・地方ごとに国府がおかれ、都から国司として役人が派遣される。 ・天皇の下に神祇官…

  • 「学び直し中学歴史」飛鳥時代

    「学び直し中学歴史」飛鳥時代(7世紀)です ①聖徳太子による政治 (6世紀後半)大和朝廷内の対立 蘇我馬子(仏教受け入れ)VS 物部氏(仏教受け入れ反対) →蘇我馬子の勝利 蘇我氏と血縁のある聖徳太子が推古天皇(初の女性天皇)の摂政(天皇に変わって政治を行う職)につき、馬子とともに推古天皇を支えた。 ・冠位十二階(家柄や身分よりも、個人の能力によって役人を取り立てる) ・十七条の憲法(役人の心構え、天皇を敬い、その命令に従うこと) ⇒天皇中心の国づくりと仏教の研究、寺院の建立 〈遣隋使〉 中国の制度や文化を取り入れるため小野妹子らを随に派遣。 (607年)「日出づる処の天子、書を日没する処の天…

  • 「学び直し中学歴史」縄文時代〜古墳時代

    中学校教科書中心に一気に歴史を学び直します ①縄文時代(1万5千年前〜紀元前4世紀) ・縄文土器や磨製石器を使用 ・川や湖、海の近くに数十人程度の集団で暮らす ・竪穴住居 ②弥生時代(紀元前4世紀〜3世紀) 〈豪族の登場〉 大陸から水田稲作が伝わる →稲作による食料生産と人口増加 →有力な「ムラ」が「クニ」に成長 →王・豪族の登場 〈中国の歴史書に登場〉 ・「漢の歴史書(紀元前1世紀)」 倭の奴国の王から漢の皇帝から金印を与えられる(漢倭奴国王と刻まれている)。 ・「魏志倭人伝」 2世紀後半の倭では、戦争が続いて混乱していたが、邪馬台国の卑弥呼を王に立てることで争いはおさまった。卑弥呼は3世紀…

  • 最強ノート術〜ブログと連動したノートテイキング〜

    最近、ノートテイキングの型が曖昧になってきたので、「頭がいい人はなぜ、方眼ノートを使うのか?(高橋政史:かんき出版)」を参考に、ノートの活用方法を再考してみました。 「ブログ・板書と連動したノートテイキング」を軸にノートの活用方法を見直していく予定です。 ①なぜブログ・板書との連動か? 「多重知能理論」を提唱しているハーバード大学教授のハワード・ガードナー氏によると、教育の目的は「深い理解にある」。「理解できる人」とは「他人に伝えられる人」であると述べているそうです。 「理解する力」とは、「わかる・できる・伝わる」こと。ブログやユーチューブに発信する事、誰かに教える機会を持つ事は、「理解する力…

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