寺子屋江川塾も4年目41回目となった。今日のテーマは大塩平八郎の乱ーなぜ無謀な乱を起こしたのか?大坂町奉行与力と陽明学者の二つの顔を持つ大塩平八郎ーその背景には様々な人物の出会いがあり影響を受けたーそして時代背景と幕閣という組織ー苦しんでいる民のために動こうとも大きな組織の中で動けないーその中では解決できないと乱を起こすーその乱に対する評価は賛否両論ーいつの時代もあることー歴史は人が創るから繰り返すー大塩平八郎の乱は現代に向けられた課題でもあった。やはり大塩平八郎の乱は難解ー寺子屋江川塾
薬害エイズを考える山の手の会のご案内 <br>病気でお悩みの方の保険相談 <br>尊敬する勝海舟や田中正造のコメント
寺子屋江川塾も4年目41回目となった。今日のテーマは大塩平八郎の乱ーなぜ無謀な乱を起こしたのか?大坂町奉行与力と陽明学者の二つの顔を持つ大塩平八郎ーその背景には様々な人物の出会いがあり影響を受けたーそして時代背景と幕閣という組織ー苦しんでいる民のために動こうとも大きな組織の中で動けないーその中では解決できないと乱を起こすーその乱に対する評価は賛否両論ーいつの時代もあることー歴史は人が創るから繰り返すー大塩平八郎の乱は現代に向けられた課題でもあった。やはり大塩平八郎の乱は難解ー寺子屋江川塾
今日はコンシュマーネットジャパンのたねまきの会にオンライン参加しました。HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)を取り上げワクチン被害者家族や産婦人科医や小児科医にワクチントークの方々からそれぞれHPVワクチンについてのお話がありました。あらためてHPVワクチンの問題点を確認するとともに社会にどのように伝えいくか、まさに社会への種まきをどうしたらよいか再認識した勉強会でした。HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)勉強会にオンライン参加
HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害名古屋訴訟の報告集会にオンライン参加
今日は夕方からHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害名古屋訴訟の報告集会にオンライン参加しました。現在は被告側専門家証人尋問が各地の裁判所でも行われており本日も被告側専門家証人尋問に対する原告代理人の反対尋問がありました。各地の裁判所でも今年9月までに被告側専門家証人尋問が終わり、その後は年内は原告被害者の本人尋問が行われ来年には裁判は結審して再来年に判決が予定されています。原告被害者の支援活動も裁判外の社会への訴えが益々重要になってきます。原告被害者のさらなる支援拡大に向けて活動を続けていきます。HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害名古屋訴訟の報告集会にオンライン参加
HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)研修会を静岡県三島市で行う
今日は午後から静岡県三島市でHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)研修会を行いました。中心になったのは三島市議会議員で娘さんもHPVワクチン接種後に副反応被害で苦しんでいるということでご家族の体験談を話されました。会場には多くの参加者が集まりオンラインでも多数の参加がありました。三島市近隣の市議会議員も多く参加してこの問題をより深く関心を持ってもらえるような研修会でした。市議会議員さんとも研修会の後交流が出来ました。HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)研修会を静岡県三島市で行う
HPVワクチン薬害名古屋訴訟報告集会ーワクチンの積極勧奨再開後に副反応被害が増えている
今日はHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害名古屋訴訟の被告側専門家証人尋問期日でした。裁判終了後の報告集会にオンライン参加しました。報告集会では弁護士から裁判外の報告がありました。今、通常国会で議員の質問に対してHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)積極勧奨再開後、ワクチンの副反応被害が多数報告されていること、また積極勧奨再開前の審議会決定前にワクチンメーカーの担当者と当時の厚生労働副大臣と面会があったことが明らかにされました。裁判外でも様々なことが明らかにされつつあります。裁判も来年結審、再来年には判決が予定され、いよいよ大詰めです。原告被害者支援もさらに盛り上げていかなければなりません。HPVワクチン薬害名古屋訴訟報告集会ーワクチンの積極勧奨再開後に副反応被害が増えている
今年は千住宿開宿400年ということで吉田松陰記念北千住がん哲学外来カフェでは本日、北千住界隈を歴史散歩しました。旧日光街道の宿場町通りをゆっくりと探索ー江戸から東北へ向かう最初の宿場町で東北諸藩の大名や松尾芭蕉などの文化人や幕末には吉田松陰や尊王攘夷派志士なども千住宿を通り水戸や東北へ向かいまました。慶応4年には上野寛永寺で謹慎していた最後の将軍徳川慶喜が謹慎場所を上野寛永寺から水戸弘道館に移るため最初に昼食をとったのが千住宿でした。高橋泥舟・山岡鉄舟もお供しました。昼食とはいきませんが途中で槍かけ団子を参加者の皆さんと美味しくいただきました。がんカフェのメンバーと千住宿開宿400年歴史散歩しました
HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害東京訴訟の被告側専門家証人尋問一日の行動でした
今日はHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害東京訴訟の被告側専門家証人尋問で原告被害者支援のHPVワクチン東京訴訟支援ネットワークは午前中から有楽町マリオン前で街頭宣伝を行い、午後には東京地方裁判所前でのリレートーク、裁判傍聴そして終了後には日比谷の会議室で報告集会があり一日中の行動でした。裁判所も訴訟の進行と共に判決に向けての進行協議もあり、来年の結審の後、運動の方も法廷外での活動が主になってきます。支援活動もそれに向けて準備をしていかなければなりません。HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害東京訴訟の被告側専門家証人尋問一日の行動でした
宮崎でHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)の学習会にオンライン参加しました。
今日は午後から九州の宮崎で行われたHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)の学習会にオンライン参加しました。宮崎市は男子にもHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)を積極的に進めようとしている自治体で今日ワクチン接種により副反応被害に遭われた被害者本人や医師・研究者がお話ししました。10年以上いまだに苦しんでいる被害者の声は重く医師も最初は無関心であったけれど被害者にあって医師として当事者意識を持って支援していかなければならないと支援する会を立ち上げました。被害者支援の輪は少しずつですが広がってきています。HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害訴訟は今年10月から最後の原告本人尋問があり来年は結審して再来年には判決が予定されています。裁判もいよいよ大詰めです。さらなる被害者支援拡大に向けて活動を続けます。宮崎でHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)の学習会にオンライン参加しました。
吉田松陰記念北千住がん哲学外来カフェー千住宿をゆっくり歩きます
吉田松陰記念北千住がん哲学外来カフェでは5月16日(金)午後に千住宿開宿400年を記念して北千住界隈を歴史散歩します。旧日光街道には史跡がたくさん残っています。みなさんとゆっくりと歩きながら千住宿の歴史を感じたいと思います。千住宿は江戸から東北へ向かう最初の宿場町です。人はどんな気持ちで北へ向かっていくのか。歴史を振り返ると私の好きな勝海舟も日光へ向かう途中千住宿を通りました。吉田松陰も友人と千住宿でおちあい東北に向かっています。また尊皇攘夷の源流となった幕末の水戸藩へは多くの志士が千住宿を通って向かっています。千住宿は歴史上の人物の未来への分岐点になっているのです。吉田松陰記念北千住がん哲学外来カフェー千住宿をゆっくり歩きます
HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害東京期日報告集会ー次回は5月12日
今日はHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害東京訴訟の被告側専門家証人尋問(反対尋問)が行われました。仕事で裁判傍聴は出られませんでしたが、夕方からの報告集会に会場参加しました。被告企業側はワクチンと被害に因果関係は無いと次々と専門家証人を出してきます。原告被害者にとって被害を否定され自分自身の存在すらも否定されて苦しんでいます。この厳しい状況の中でも原告被害者の生の声を聞き支援してくれる人も少しずつ増えてきています。次回の東京期日は5月12日(月)午後から行われ、HPVワクチン東京訴訟支援ネットワークでは午前11時から有楽町マリオン前で街頭宣伝を行います。ぜひご参加ください。HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害東京期日報告集会ー次回は5月12日
コロナワクチン・HPVワクチン被害者の生の声を聞くー名取市の学習会にオンライン参加
今日は東北の名取市のコロナワクチンとHPVワクチンの被害者の生の声を聞く学習会にオンライン参加しました。コロナワクチンもHPVワクチンも共通していることは被害を訴えるとあり得ないと反ワクチンのレッテルを貼られ誹謗中傷を受けることです。苦しみ続けながら生きていかなければならない。ただ普通の生活に戻りたいだけなのに裁判に訴えると金が欲しいと言われ家族にも被害を受けます。コロナワクチンもHPVワクチンも裁判が継続しています。コロナワクチン・HPVワクチン被害者の生の声を聞くー名取市の学習会にオンライン参加
今日はHPVワクチン東京訴訟支援ネットワークの支援例会をオンランで行いました。裁判の方は今年10月から原告本人尋問が再び始まり来年には結審、再来年には判決があります。いよいよ裁判も大詰めを迎えています。支援活動も盛り上げていかなければなりません。それに対する世の中の風潮は大変厳しいものがあります。どのようにして支援活動を盛り上げていくかー正に支援活動の正念場に来ています。厳しさの中にこそ活動の意義は大きくあります。HPVワクチン東京訴訟支援ネットワーク80回目の支援例会
指導者のあるべき姿とはー寺子屋江川塾第40回幕府儒者林家中興の祖・林述斎
江戸時代になぜ名君はうまれたのか?現代に無い江戸の名君の姿勢ーそれは無限の向学心ー常に公に尽くし私服を排するには学ぶことしかないー名君と言われる藩主には必ず儒学者がいたー藩主と儒学者との問答が新たなる気づきが生まれるーこの姿勢は現代にあるだろうかー常に問い続ける寺子屋江川塾ー歴史上の人物の生き様から現代に生き方を考える寺子屋江川塾。指導者のあるべき姿とはー寺子屋江川塾第40回幕府儒者林家中興の祖・林述斎
「人間の意識面における真の成長は、対話と愛に基づく行動でしか得られないものです。対話と愛には他者の存在や多様な考え方を認めることも含まれます。そうして初めて共同体としての価値観が定まってくるもの。自分の見方や尺度を振りかざし、従わせるわけにはいきません。相手の尊厳を奪うものではなく、他者を他者として認めたうえで対話する。多様性がみんなを豊かにするのだという意識でものごとを進めていく。そうでなければ単なる自己陶酔、帝国主義、愚行で終わってしまいます」(「教皇フランシスコとの対話」より)ご冥福をお祈りします。ご冥福をお祈りしますー教皇フランシスコの人類への教え
HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害の学習会が全国津々浦々で毎日続くー今日は唐津と大宰府
今日は夕方からHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害の学習会が九州の大宰府でありオンライン参加しました。今日は唐津でも午前中ありました。今週月曜日には福岡地方裁判所でこの裁判がありその翌日の火曜日から周南市、水曜日には広島と山口の支援する会が主催して毎日のように学習会がありました。主催者は内科医でこの問題に疑問を持ち自ら会を立ち上げて山口を中心に活動を続けています。全国の支援する会では明日も奈良で学習会が行われ、私の所属する東京でも5月の裁判と学習会の活動を予定しています。全国津々浦々で原告被害者を支援する学習会が行われ全国が連帯して活動を続けています。10年以上いまだに消えぬ苦しみを持ち続けている原告被害者のために活動は続きます。HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害の学習会が全国津々浦々で毎日続くー今日は唐津と大宰府
ブログを6月いっぱいで終了いたします。長らくの間ご視聴ありがとうございました。
現代使っているブログのサービスが今年で終了するということで、今年6月いっぱいで私のブログは終わらせて頂きます。長い間ご視聴ありがとうございました。ブログは主に薬害やがんやエイズの活動や歴史に関することを書いてまいりました。自分なりの活動のスタイルを書かせて頂きました。そもそもはSNSが不得意な自分でありましたが、ずいぶんと長い間書けたものだと思います。今年6月までは書かせていただきます。誠に誠にご視聴ありがとうございました。深く感謝申し上げます。ブログを6月いっぱいで終了いたします。長らくの間ご視聴ありがとうございました。
今日はHPVワクチン薬害九州訴訟の被告側専門家証人尋問で終了後報告集会がありオンライン参加しました。来週の21日にも被告側専門家証人尋問があります。来月には東京地方裁判所でも1日と12日に被告側専門家証人尋問があります。裁判は大詰めを迎えています。今週は明日から週末まで山口の支援会が山口や広島に九州と毎日学習会を予定しています。原告被害者の支援活動も全国で行われています。HPVワクチン薬害九州訴訟期日報告集会
現代ほど専門性が進み専門分野における分業化している時代はないかもしれません。専門家と表する者が物事を評価する時代ーしかし社会は専門家によって変わってきたのでしょうか。歴史的に見て会の不自然さに疑問を感じ社会を変えるべく前向きに生きた人物は、そのほとんどが人の心から生まれる熱き志が人を動かし社会を変えていきました。今の時代、専門家というより人ではなくシステムそのものなのかもしれませんが、何かの不自然さにぶつかった時、人の心の中でどう感じどう行動するかーその人の心、人としての動きを大切に生きたいと思います。貧舟の歴史人間学ー人の心が時代を動かす
SNSで情報が氾濫していこの頃ですが、いつのころから人ではなくシステムで情報をとってくるようになったのでしょうか?私の知るところでは明治初期の西南戦争での明治政府が使った電信ではないでしょうか。明治の文明開化は人々に多くの便利さをもたらしました。それは人ではなく文明の利器を利用したものでした。明治以前の江戸時代と情報の差はどこにあるのでしょうか?むしろ江戸時代の方が情報は自らの足とその人物の姿勢ー前向きな心で多くのネットワークを結びました。西国や東北の諸藩の武士は尊皇攘夷の発信源となった水戸へ足でとりに行き各藩の武士はネットワークをつくり情報が広まっていきました。それが世の中を動かす倒幕運動へとつながっていきました。都市部に限らず山岳地方にも松尾千勢子の国学ネッワークなど足でしか交通手段がない時代に全国に...貧舟の歴史人間学ー情報は足と心でとってくる
江戸時代260年の歴史を儒学思想史から見ると人の動きがよくわかります。徳川家康は江戸幕府を始めるにあたり人を治めるための支柱として儒学者林羅山を招き儒学に力を入れました。その中心は朱子学で江戸前期では幕府のみならず各藩も儒学者を招き入れましたが儒学思想は朱子学、陽明学、古学等、様々な流れがありました。五代将軍徳川綱吉は儒学に熱心で林羅山の上野にあった孔子廟を湯島に移し聖堂学問所を創設し朱子学を幕府の正学としましたが、時の流れの中で陽明学や古学も盛んになり天皇を中心とする尊王思想が幕府を批判する学問も出てきました。この流れに対して幕府老中首座の松平定信は朱子学以外禁ずる寛政異学の禁を政策に掲げました。しかし尊王思想は徳川御三家の水戸藩から水戸学が生まれ幕末の尊皇攘夷思想に起点となりました。その思想は幕末の尊...貧舟の歴史人間学ー江戸の儒学思想史から人の歴史をみる
次回の寺子屋江川塾のテーマ幕府儒者林大学頭林述斎を調べていくうちに上州安中藩主板倉綽山候との対談「水雲問答」の中に信州松代藩の財政再建に貢献した恩田木工が出てきました。恩田木工は前から気になっていた人物でまたじっくり読んではいませんが雑誌や本を持っていました。書棚の奥から取り出してちらっと眼を通してみると面白いーこんな出会いも歴史の面白さです。人生も同じようなもので様々な出会いがあり、また久しぶりの再会もあります。歴史は人生の旅ー人との出会いを楽しみに旅を続けます。貧舟の歴史人間学ー歴史は人生の旅
江戸時代に名君と言われる藩主は常に心術を磨き胆識を持っていたと言われます。藩校を創り藩士に押しつけるのではなく、儒学者を招いて自らも学んで心術を磨いていました。さて現代はどうでしょうか。人の心はどこへいってしまったのでしょうか。心は磨かなければ腐ってしまいます。古人に学び心術を鍛えなければなりません。貧舟の歴史人間学ー心はどこへいってしまったのだろうか?
人と人とのつながりを大切にーHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)被害者支援
今日は薬害問題に関心を持っている労働組合の幹部の方と支援活動について情報交換しました。薬害C型肝炎被害者支援にも協力してくださり、今日は現在裁判が進行中のHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)問題について情報交換して原告被害者の支援の協力をお願いしてきました。労働組合という大きな団体でも一人ひとり長年交流しながら信頼関係を以て支援活動をお願いすることにより理解も一層深まり支援の輪が広がっていくものと思います。人と人とのつながりを大切に活動を続けていきます。人と人とのつながりを大切にーHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)被害者支援
今日は幸い仕事は休みでしたが、どうも朝から身体の調子がいまいちで昼間も横になっていました。最近は体力の衰えを感じています。今日は横になっていましたー体力の衰え?
勝海舟の会歴史探訪ー下調べの事前準備の種まきが当日の良い結果を生む
今日は勝海舟の会の都内の葛飾区(木下川薬師浄光寺)・足立区(西新井大師)・北区(八雲神社・荒川知水資料館)の荒川沿い歴史探訪を行いました。15名の参加で移動も大変なのでマイクロバスでの移動しました。マイクロバスを使うことや行き先々での駐車場や見学の了解も取らなければならないので下見や下調べも行いながら進めてきました。参加者に楽しんでもらうために勝海舟のゆかりの地で勝海舟関連の見世物も確認しておかなければなりません。正直今回は見世物が少し乏しいと思っていたところ最後の荒川知水資料館で事前に勝海舟の会の歴史探訪で勝海舟がらみのことをお願いしていたところ当日の今日にお伺いしたら資料館の説明員の他に現地ボランティアスタッフで勝海舟のことに詳しい方が説明についてくれて八雲神社の見どころや資料なども提供してくれました...勝海舟の会歴史探訪ー下調べの事前準備の種まきが当日の良い結果を生む
今日は夕方から寺子屋江川塾第39回「江原素六ってご存知ですか?」を行いました。本当に偉い人とはと江原素六をテーマに参加者と意見交換しました。江原素六は幕末から明治にかけて生きた旧幕臣で明治以降は沼津兵学校創設に関わり大病の後キリスト教に入信してキリスト教や教育事業に力を入れ衆議院議員、貴族院議員としても活動しました。地位や名誉にこだわらず人のために活動してけっして偉ぶらないひとでした。本当に偉い人・・・では現代に本当に偉い人は?参加者と共に有意義な時間を過ごさせて頂きました。寺子屋江川塾ー江原素六をテーマに本当に偉い人を考える
吉田松陰記念北千住がん哲学外来カフェーあっという間の2時間でしたー次回は千住宿歴史散歩
今日は午後から北千住のジェラードカフェアマ―ノで吉田松陰記念北千住がん哲学外来カフェを行いました。8名の参加でがん患者さんをはじめご家族の方様々で体験談を分かち合いました。あっという間に2時間が過ぎて、その後もお茶して帰りました。次回は気分を変えて外に出て北千住界隈を歴史散歩します。今年は千住宿開宿400年ということもあって北千住は歴史の見どころ満載です。吉田松陰記念北千住がん哲学外来カフェーあっという間の2時間でしたー次回は千住宿歴史散歩
HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害全国弁護団報告集会にオンライン参加
全国の四つの地方裁判所(東京・名古屋・大阪・福岡)で行われているHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害訴訟の全国弁護団の報告集会が夕方からオンラインであり参加しました。各地とも被告側専門家証人尋問が行われており原告側の反対尋問が山場を迎えています。この被告側専門家証人尋問が終わると本年末からは原告本人尋問があり来年に裁判は結審します。10年以上も苦しんでいる原告被害者のために支援活動も盛り上げていかなければなりません。HPVワクチン東京訴訟支援ネットワークでも各地での学習会や原告支援集会を企画して支援活動を進めています。HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害全国弁護団報告集会にオンライン参加
最近、女性史に関する本をよく読むようになりました。やはり幕末から明治・大正・昭和と生きた女性が多いですが、昭和まで来ると自分と重なる部分も出てくるのであの時代はあそこに何があったとか、この女性と素通りしていたかもしれないとか、あらぬ想像を掻き立てます。明治・大正・昭和は女性が社会に出ていくのに厳しい時代であったと思いますが、それだけにその反動で多くの難関を切り開いてきたと女性史を読むと痛切に感じます。人は歴史を見る時、どおしても事象でとらえがちですが、やはり一人ひとりの女性の生き方そのものから見ていくことが大切だと思います。そう言えば、もうずいぶん前になりますが、ある人権をテーマにしたイベントで市川房枝の秘書をしていた女性の参議院議員にお会いしたことがありましたけれど、その存在感は印象的で生き方を感じさせ...貧舟の歴史人間学ー女性史が面白いー時代を切り開いた人々
HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)東京訴訟支援ネットワーク例会ーいよいよ原告本人尋問ー被害者支援の拡大に向けて
今日は夕方からHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)東京訴訟支援ネットワークの例会は会議室とオンラインのハイブリッド方式で行いました。原告被害者をはじめ弁護団、支援者が集まり活動報告と今後の活動計画について話し合いました。今年11月にはふたたび原告被害者の本人尋問が始まりそれが終われば裁判は結審し判決が予定されます。支援者として原告を応援するため原告支援集会を企画して進めていきます。裁判もいよいよ大詰めー被害者支援の拡大に向けて活動を進めていきます。HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)東京訴訟支援ネットワーク例会ーいよいよ原告本人尋問ー被害者支援の拡大に向けて
薬害エイズ裁判和解29周年集会ーエイズ治療が進歩する中で薬害エイズを風化させない
今日は東京駅近くの会議室で薬害エイズ裁判和解29周年集会が行われ参加してきました。裁判の和解当時はエイズ治療も確立しておらず被害者の多くは亡くなっていきました。裁判和解の後は国を挙げてのエイズ治療研究開発が進み今では治療を続ければエイズで亡くなることが無くなってきました。しかし年月が進むにつれて薬害エイズは風化しつつあります。薬害は人が起こすものー薬害エイズを風化させないための人の行動が大切であると通過した集会でした。薬害エイズ裁判和解29周年集会ーエイズ治療が進歩する中で薬害エイズを風化させない
「真の文明は人を殺さず・・・」田中正造の足尾鉱毒事件にかける想いがこもった言葉です。さらに「物質上、人口人為の進歩のみを以てせば社会は暗黒なり。デンキ開けて世見暗夜となれり・・・」文明が発達して技術ばかりが発達しても人が真の文明を問わなければ社会が暗くなると、そして「その文明は山を荒さず川を荒さず村を破さず人を殺さざるべし」と言っています。はたして今の社会は文明社会なのでしょうか?田中正造は現代社会に呼びかけています。田中正造は常に実践を呼びかけています。真の文明に向かって行動していかなければなりません。貧舟の歴史人間学ー田中正造に学ぶ真の文明とは
いつの世も戦争、紛争、事件は絶えません。なぜ繰り返されるのでしょうか。問題が起きると人は過去の似たような問題を取り上げて風化させてはいけないと言います。非常に大切なことです。ただ過去の問題を振り返る時に事象だけを取り上げる傾向が強いように感じます。問題の中にあった当事者の動き方考え方になかなか目がいきません。問題が起きた時も人は生活をし、そしてその問題に遭遇した後にそれまでの人生から変更せざるを得ない状況に陥ります。その一つ一つの人の動きを見直さなければ、問題は時の流れと共に風化してしまいます。問題が起きた時代や事象が違っても問題を起こすのは人です。人が関わる以上、人が同じことを繰り返しています。社会問題を風化させないために人の動きをみて時代に生きる当事者意識を持って見直すことが大切だと思います。貧舟の歴史人間学ー社会問題を風化させないため人の動きをみる
貧舟の歴史人間学ー勝海舟の足尾鉱毒事件批評は現代の災害・公害・薬害に通じる
「古河の濁れる水を真清水に誰がかきまぜてしらず顔なる」これは田中正造が氷川の勝海舟に訪問した時、勝海舟が田中正造に贈った詩だそうです。勝海舟の明治政府の足尾鉱毒事件の対応を酷評したことが表れています。勝海舟は当初から被害の実態を見て鉱山は停止するしかないと言っていました。そして明治政府に対する対応について酷評していました。「ドウダイ鉱毒はドウダイ。旧幕は野蛮で今日は文明だそうだ・・・」(勝海舟「氷川清話」より)明治政府の文明観をも酷評する勝海舟ですが、被害実態をみない明治政府に対して勝海舟は足尾鉱毒事件から発する様々な問題を実際に見ながら酷評しています。足尾鉱山が森林伐採して環境破壊していることも指摘しています。被害者の生の声を大切にその被害実態を知り被害者支援の行動をすること。真の文明は民を守ること。勝...貧舟の歴史人間学ー勝海舟の足尾鉱毒事件批評は現代の災害・公害・薬害に通じる
HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害大阪訴訟の報告集会にオンライン参加
先週に続き本日もHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害大阪訴訟の被告側専門家証人尋問が本日あり夕方からの報告集会にオンライン参加しました。今年に入って各地の裁判所でも被告側専門家証人尋問が主尋問と反対尋問があり各地でも月に2回の尋問期日が入っています。原告団も弁護団も支援者も大変ですが全国各地の原告団・弁護団・支援者は連帯して裁判で闘っています。次回の東京の尋問期日は5月1日(木)と5月12日(月)です。支援者も裁判傍聴に力を入れて活動しています。もう10年以上苦しんでいる原告被害者のために更なる支援の拡大を目指していきます。HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害大阪訴訟の報告集会にオンライン参加
「おれが若い時、或る人から大塩平八郎の著書だといつて、二冊本の語録やうのものを借りて見たことがある。ところが、その文章といひ議論といひ、実に卓抜なことばかりで、おれもこの本のために大層益を得たことがある。しかるに、その後、今の嘉納治五郎の親から明人呂心吾の『呻吟語』といふ本を借りて見たところが、先の大塩の著書といふのは、或はこの『呻吟語』を翻訳したものではあるまいかと思はれる点があつた。なにしろよほどの名著であつたが、惜しいことには、その後どうなつたか、行方が分らなくなつてしまつた。」(勝海舟「氷川清話」より)二冊本の語録は大塩平八郎の「洗心洞劄記」と思われます。私は毎朝この「洗心洞劄記」を読んでいますが、心が洗われるし心にグサッと突き刺さる言葉ばかりです。この大塩平八郎の「洗心洞劄記」や呂心吾の『呻吟語...勝海舟の大塩平八郎の評価ーその記述に親近感を覚える
図書館から東京人という雑誌の女性史の特集号を借りて読んでいます。幕末から明治・大正・昭和にかけて生きた女性を取り上げて現代の女性が対談や随筆のかたちで書いています。なかなか面白く読み進めています。特に感じたのは男尊女卑の社会で抑圧されて生きているという印象はなくむしろ自由に前向きに生きているー今の視点から昔の人は非科学的で人権意識が希薄と見がちですが、むしろ精神的な視点からすれば同じ人間で同じであるということーここに歴史の面白さがあると。私は明治の足尾鉱毒事件の被害者支援に関わった潮田千勢子・福田英子・矢島楫子などにも関心があり、また水戸藩の儒学者の家に生まれ社会主義に傾倒し女性活動家として知られる山川菊栄や人身売買でアメリカに売られ、その体験から帰国して女性の地位向上を目指した山田わかにも関心を持ってい...貧舟の歴史人間学ー近代女性史が面白い
HPVワクチン被害者の全国支援ー裁判もいよいよ大詰めー全国が連帯して
今日はHPVワクチン薬害訴訟の全国支援の世話人会がオンラインでありました。全国の支援会は北海道・東北・東京・名古屋・大阪・山口・福岡・大分・沖縄にあり3か月に1回オンラインで情報交換しています。裁判の方も被告側専門家証人尋問の後、原告本人尋問があり来年には結審して再来年にいよいよ判決があります。裁判もいよいよ大詰めです。各地の支援会も連帯して活動を拡大していきます。HPVワクチン被害者の全国支援ー裁判もいよいよ大詰めー全国が連帯して
3月30日に勝海舟の歴史探訪があり下調べしています。東京都の葛飾区・足立区・北区と回る歴史探訪ですが、それぞれの場所での下調べをしているうちに勝海舟のゆかりの地から、その土地の歴史に触れる機会がありました。特に私が住んでいる足立区内には400年の歴史を持つ千住宿・関東の高野山とも言われる西新井大師総持寺は創建826年・足立の名の足立氏は645年の大化の改新に始まり平安時代末期には足立一族が勢力を高め鎌倉幕府では有力御家人になっています。足立区に住んでさほど足立区の歴史に関心が薄かったのですが、だんだんと関心が深まりました。歴史探訪は人間のルーツ探しでもあります。歴史散歩は人間のルーツ探し
HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害大阪訴訟被告側専門家証人尋問反対尋問期日の報告集会がありオンライン参加しました。
今日はHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)大阪訴訟被告側専門家証人尋問の反対尋問期日でした。夕方からは報告集会がありオンライン参加しました。原告被害者からは今も症状は改善せず苦しんでいる声を聞くたびに支援活動も盛り上げていかなければならないと痛感しているところです。被告側専門家証人尋問のが終わると原告本人尋問があり来年は裁判が結審、そして再来年には判決の予定といいます。被害者支援の拡大に向けて活動を続けていきます。HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害大阪訴訟被告側専門家証人尋問反対尋問期日の報告集会がありオンライン参加しました。
各地で被害者の生の声が響く―HPVワクチン東北支援ーいわきで
今日はHPVワクチン被害者の東北の支援する会がいわき市で行われオンラインで参加しました。全国各地でも被害者を支援する会が活動しています。今日も被害者が生の声で被害を訴えました。全国各地の支援する会と連帯して東京でも活動を盛り上げていきます。各地で被害者の生の声が響く―HPVワクチン東北支援ーいわきで
毎朝の聖書の言葉が心に響くー今日は荒野の箇所ー今の世の中は?
毎朝、Facebookに教会の牧師さんから聖書の言葉がおくられてきます。今日は新約聖書のマタイによる福音書第4章1節。「さて、イエスは御霊によって荒野に導かれた。悪魔に試みられるためである」この聖書の箇所ではイエスが様々な悪魔の誘いに拒むわけですが、次の第5章では有名な山上説教があります。「こころの貧しい人たち・・・悲しんでいる人たち・・・柔和な人たち・・・義に飢えかわいている人たち・・・あわれみ深い人たち・・・心の清い人たち・・・平和をつくり出す人たち・・・義のために迫害されてきた人たち・・・」みな幸いであると述べられています。そして天国は彼らのもと。荒野での悪の誘惑はいつの時代もあるでしょう。それに対して自分はどう生きるかーこれは人間としての永遠の課題ですね。今の世の中もまた荒野。新約聖書は2000年...毎朝の聖書の言葉が心に響くー今日は荒野の箇所ー今の世の中は?
次回の寺子屋江川塾の準備を進めて江原素六の生涯を見ていて、その人生の転機にふと賀川豊彦を思い出しました。江原素六がキリスト教の出会いが病からの快復であったようですが、そう言えば賀川豊彦が重い病気から快復して新川入りして貧しい人々への活動に入ったと、思い出し書棚の奥にある賀川豊彦に関する本を取り出してきました。もちろん江原素六と賀川豊彦とは生きた時代背景も違い重い病気からの快復とキリスト教の共通点はあるにせよ、その生き方も違います。しかし歴史上の人物の生涯から一つの転機というものがあり、その転機を見直してみるといろいろ考えさせられることがあります。貧舟の歴史人間学ー人生における転機ー賀川豊彦を思い出す
昨日の暖かさから急に寒くなりこの寒暖差には体の対応が難しくなりました。雪も降る状況です。旧暦ですが3月3日といえば、雪の降る桜田門外で井伊大老が暗殺されました。雪の降る日は何かが起こる?体の対応も大切ですが事変の対応も大切です。天気予報があるように事変の予測と対応も大切です。桜田門外の変により幕府は崩壊の速度を加速させてしまいました。それは幕閣の事変の予測と対応が原因と指摘されています。桜田門外の変の状況は現代日本の状況にも似たようなところがあります。3月3日はよく雪が降るー桜田門外の変ー現代の状況は?
からっぽの器を用意して北千住がんカフェをーこの世は居場所づくり大切
3月に入りました。2か月に1回行っている吉田松陰記念北千住がん哲学外来カフェも3月28日(金)午後2時から北千住のジェラードカフェアマ―ノで行います。がん患者さんが落ち着いてお茶を飲みながらざっくばらんにお話が出来るようにからっぽの器を用意しています。今のご時世人との交わりが薄く効率を求めるがあまり、ゆっくりと落ち着ける居場所が切り捨てられているように感じます。こんな時こそ人と人とがふれあう居場所づくりが大切だと思っています。からっぽの器を用意して北千住がんカフェをーこの世は居場所づくり大切
いきなり馬鹿という言葉を出してあきれるかもしれません。人は表面を見繕って、よく体裁がどうのとか、人はなかなか馬鹿になれるものではありません。歴史上の人物をみていると、馬鹿になれる人物が世の中を動かしていることに気づきます。体裁を気にしていては動けない、どうにでもなれと火中の栗を拾うかのように激動の世を駆け抜けるー「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困る」と西郷隆盛が山岡鉄舟に言ったとかーそう馬鹿になれるから成し遂げられた駿府での談判でしょう。貧舟の歴史人間学ー馬鹿になる?馬鹿になれる?
HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害名古屋訴訟報告集会にオンライン参加
今日はHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害名古屋訴訟の被告側専門家証人尋問の原告側反対尋問が行われ夕方から報告集会がありオンライン参加しました。各地の地方裁判所でも被告側専門家証人尋問の原告側反対尋問が始まっており各地の原告弁護団も協力しながら尋問に当たっています。被告側専門家証人尋問が終わると原告本人尋問がありその後は判決となります。原告被害者の支援活動も判決に向けてより一層支援拡大に向けて活動していかなければなりません。HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害名古屋訴訟報告集会にオンライン参加
私も歴史が好きでずいぶんと歴史散歩してきました。遠くもあり近くもあり、また一人散歩もあれば団体での散歩もあります。歴史散歩の楽しみ方はそれぞれに面白みがあります。一人散歩は自由ですし行先を決めても行先で新たな発見があり方向転換する場合があります。これが一人散歩の面白さです。また行く先々で人に尋ねて新たな気づきや、場合によっては貴重な資料をもらうこともあります。この場合はマナーが大切です。例えばお寺で歴史上の人物のお墓を訪ねる時はお寺さんにご挨拶するとともに訪ねた趣旨を丁寧にお話しすることー歴史上の人物の理解が足りなければ、何しに来たとお寺さんも不機嫌になるけれど、理解があれば案内してくれたり貴重な資料をもらったりすることもあります。団体散歩の場合はまずは下見が重要でしょう。参加者に楽しんでもらうためには行...歴史散歩の楽しみ方
今日は春に行われる勝海舟の会の歴史探訪の下見に一日中かけて確認して回ってきました。勝海舟ゆかりの地の候補地を選びながら実際に現地へ行き確認すると同時に探訪コースを回り時間配分や夕方の懇親会場選びまで都内をぐるぐると回ってきました。候補地での関係者の聞き取りや車移動での駐車場確保などの重要な要素で下見の大切さをあらためて感じました。勝海舟の足跡を追いかけて歴史探訪の参加者に勝海舟気分を味わってもらうために準備を進めています。勝海舟の会の歴史探訪の下見
貧舟の歴史人間学ー江原素六との出会いー人生における歴史上の人物との出会い
もう何年前になりますか、ちょうどコロナ渦が始まろうとしていた時期でした。勝海舟の会の方からお誘いを受けて沼津の明治史料館に行くことになりました。あの当時は遠距離は控える傾向にありましたので少しは躊躇しましたが歴史好きの私にとっては行ってみたいところでありました。沼津の明治史料館は明治初期に徳川家が駿河藩として移封になった時に駿河藩士のために建てた沼津兵学校跡地に立っています。この沼津兵学校の創設に関わったのが江原素六でした。それまで江原素六のことをあまり知らなかった私は史料館を鑑賞する中で江原素六と関わった人物として矢島楫子の名前を見つけました。矢島楫子は私の尊敬する明治の女性活動家でキリスト教運動や女子教育の分野で活躍した人物です。ここで江原素六と矢島楫子の接点を見つけ江原素六に大変興味を持つようになり...貧舟の歴史人間学ー江原素六との出会いー人生における歴史上の人物との出会い
寺子屋江川塾ー今回のテーマは松平定信ー性格が人生を左右する?
今日は寺子屋江川塾38回目、テーマは松平定信。江戸の三大改革の一つ寛政の改革を実行した老中首座ですが、老中の在籍期間は6年という短い期間でした。天明の大飢饉で全国に一揆が広がり幕府のおひざ元の江戸でも打ちこわしが発生して老中田沼意次が失脚、一時政治の空白がおきますが、白河藩主として一揆をおこさない仁政を行った松平定信が30歳の若さで老中首座となり貧困対策など寛政の改革を実行しました。しかし、倹約を徹底しその実直すぎる性格が周りから厳しすぎると依願退職に追い込まれました。実に36歳の時で72歳まで生きた生涯で半分のところでした。その後は白河楽翁と呼ばれ学問や趣味の世界で生きました。人生は分からないもので性格が左右したのではという分かち合いの時間でした。寺子屋江川塾ー今回のテーマは松平定信ー性格が人生を左右する?
残念ながら戦争、紛争、災害、貧困、社会問題といつの時代も起きています。これを解決するのは人間愛でしかない!日本も一見平和のように見えますが、今も様々な社会問題が起きています。人はどおして問題を起こすのでしょうか。歴史は人が創るから繰り返すーでは問題だけ起きているのではなく解決もしてきました。解決する糸口は人間愛でしかないでしょう。日本の歴史をみても紛争から解決の糸口は人間愛です。対立したもの、敵対したものをつながり直すーそれは人間愛です。そんな愛する日本史を探ってみようと思います。貧舟の歴史人間学ー愛する日本史
貧舟の歴史人間学ーいつの時代もストレスに悩まされるー歴史の中のストレス解消法
いつの時代も人というものはストレスで悩まされます。相対する人と人との軋轢ー対立する人と人の間に入って物事を進めるときなどは大変なストレスを感じ身体が蝕められます。幕末から明治にかけて生きた勝海舟は正にその人と人との軋轢の中に生きた人物でしょう。しかし勝海舟と言う人物はこのストレスをうまく利用した人物のようです。幕末には長州征伐で対立する幕府と長州の間を幕府側の使者として取り持って和解交渉して和解は成立したものの上司から敵である長州とつるんでいると疑われ左遷されてしまいます。ストレスを感じるというかたまったもんではありません。正にストレスが溜まる状態。しかし勝海舟はここからが人と違います。悩むどころか暇が出来たと喜んで大坂から江戸に帰り好きな読書に専念するのです。ストレス解消法のキーボードは好きなこと楽しい...貧舟の歴史人間学ーいつの時代もストレスに悩まされるー歴史の中のストレス解消法
更なる支援拡大に向けてーHPVワクチン東京訴訟支援ネットワーク支援例会
HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)副反応被害者を支援するHPVワクチン東京訴訟支援ネットワークは毎月1回原告被害者と共に支援例会を開いて1か月の活動報告とこれからの活動計画を話し合っています。なによりも原告被害者が近況を生の声で話すことによって支援者は頑張らなければと気持ちを入れて活動に力が入ります。今日もオンラインで九州や静岡、栃木の原告被害者や被害者家族が参加してお話ししました。更なる支援拡大に向けて活動を続けます。更なる支援拡大に向けてーHPVワクチン東京訴訟支援ネットワーク支援例会
HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害名古屋訴訟報告集会にオンライン参加
今日はHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害名古屋訴訟の期日で被告側専門家証人尋問があり夕方からの報告集会にオンライン参加しました。名古屋の弁護団をはじめ各地の弁護団からも被告側専門家証人尋問の内容が報告されました。原告被害者からは被害による厳しい日常生活と共に被害の原因究明が行われていないことに怒りの訴えもありました。原告被害者は10年以上も苦しみ続けています。一日も待てない苦しみに支援者としてはなお一層の支援拡大に活動していかなければなりません。HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害名古屋訴訟報告集会にオンライン参加
よく人との関係で上手くいかないとその人の性格が損をしていると言われることがあります。歴史上の人物をみても、たとえば最後の将軍徳川慶喜は二様様と揶揄され部下に言ったことをくるっと変えて困らせることが幕末ではよくあったそうですが、これが徳川慶喜の性格と言えば、それは徳川慶喜らしさなのでしょう。確かに最終版の幕府崩壊の危機に徳川慶喜の命令で動いた幕臣の勝海舟はずいぶんと煮え湯を飲まされています。しかし勝海舟にしてみれば徳川慶喜の性格をよく熟知したうえで動いて徳川家存続までこぎつけています。人の性格はその人の存在価値で、この視点から歴史を見ていくと面白いです。貧舟の歴史人間学ー人の性格はその人の存在価値
貧舟の歴史人間学ー学校時代に不得意だった歴史が半世紀たって大好きに
もう半世紀も前になるけれど学校時代、私は歴史が不得意で成績もよくなかったのに今では大の歴史好きになりました。何と言っても歴史上の人物の生涯を追うのが面白く、人っていろいろな生き方があるなあと、また人物と人物の出会いが本当に面白いです。人物の意外性も発見したりするのも面白いです。この人物はこんなに前に生まれていたのか、とか、この人物とこの人物は同じ年の生まれだった、とか。実例を出すと、火消しの新門辰五郎(1992年生まれ)は12代将軍徳川家慶や江戸町奉行遠山金四郎景元、大塩平八郎、渡辺崋山より1歳上ですが新門辰五郎以外は江戸時代しかもほとんどが1853年のペリー来航までには亡くなっています。新門辰五郎はなんと1875年明治7年まで生き続けます。また明治の女子教育の先駆者である矢島楫子(1833年生まれ)は桂...貧舟の歴史人間学ー学校時代に不得意だった歴史が半世紀たって大好きに
寺子屋江川塾の準備を進めて、今回のテーマは松平定信ですが、この人物は72年の生涯を全うします。時代はもう少し後になりますが、同じ老中首座を経験した阿部正弘は39歳という短い生涯でした。老中首座としての重圧はご両人ともそうとうあったと思いますが、二人の違いも見えてきます。松平定信は30歳で老中首座になり36歳で辞めその後は学芸の世界で生き白河楽翁とも呼ばれていました。一方の阿部正弘は途中で老中首座を堀田正睦に引き継いだものの老中として亡くなるまで激務をこなしました。松平定信と阿部正弘は年代的に半世紀ほどの違いはありますが、両人とも政を行うには内憂外患の厳しい時代でした。面白いのは二人の性格というか対応の違いも見えてきます。江戸時代、政を行うのに老中としては将軍の他に大奥の対応が求められます。松平定信はそのま...貧舟の歴史人間学ーどんな時代でもストレスが人生を左右する
HPVワクチン東京訴訟支援ネットワークの裁判傍聴支援ーさらなる支援拡大に向けて
今日は先週に引き続きHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)東京訴訟の被告側専門家証人尋問の期日でした。先週の期日では裁判傍聴も無抽選で私も傍聴出来ましたが、残念ながら傍聴席には空席がありました。今回は何としても傍聴券抽選にして傍聴席を満席にしなければならないと声掛けしました。様々な人々にご協力頂き今回は傍聴券抽選となりました。私は抽選に外れ夕方の報告集会まで、裁判のある霞が関の東京地方裁判所は桜田門近くで江戸城の歴史散歩をしました。裁判傍聴はHPVワクチン東京訴訟支援ネットワークの活動目的の一つです。さらなる原告被害者の支援活動の拡大を目指して活動を続けます。HPVワクチン東京訴訟支援ネットワークの裁判傍聴支援ーさらなる支援拡大に向けて
江戸後期の陽明学者で大坂町奉行与力の大塩平八郎は救民を訴えて乱を起こしました。上司である大坂町奉行に苦しんでいる民のために米を支給するようにお願いしていたのですが、大坂町奉行は上司てある江戸の老中から米を江戸回すように言われ大塩平八郎の願いは聞き入れらませんでした。どこに目を向けて政をするのかーいつの時代も政を行う者の姿勢が問われています。貧舟の歴史人間学ーどこに目を向けて政をするのかー大塩平八郎
遠山金四郎と言うと時代劇でおなじみの桜吹雪の金さんを思い出し人が多いでしょう。時代劇は少し誇張して面白おかしく描いていますが、実際の遠山金四郎景元は実在の人物で江戸後期の江戸町奉行で将軍の前でお白州の場面を披露して褒められました。しかも江戸町奉行は北町奉行と南町奉行で月番交代で行っていますが江戸時代を通じて北町奉行と南町奉行の両方を勤めた人物は遠山金四郎景元だけです。それだけ注目されていたのでしょうが、私は遠山金四郎景元の親爺さんの遠山金四郎景普の方がもっと凄いと思います。遠山金四郎景普は目付、長崎奉行、勘定奉行を歴任しますが、役職よりもこの当時ロシアが南下して幕府の外交政策が大変なところロシア使節団の交渉や実際に蝦夷地や長崎へ東奔西走でことにあたったのでした。時代劇で名前が売れている息子の遠山金四郎景元...貧舟の歴史人間学ー遠山金四郎親子は凄い
貧舟の歴史人間学ーやはり勝海舟の親爺は面白いー貧乏からの立ち直り
やはり勝海舟の親爺の勝小吉には親近感があります。貧乏そのものの生活をしながら人の世話をするお節介ものーでもこれが人を呼び貧乏から立ち直ったそうです。夢酔独言は勝小吉が自分の真似はするなと晩年に自ら書いたものー夢に酔って勝手に書いたと洒落ているー夢を追う博打みたいな人生ですが、困っている他人を思いやる人の愛に生きた人でした。貧舟の歴史人間学ーやはり勝海舟の親爺は面白いー貧乏からの立ち直り
貧舟の歴史人間学ー歴史は事象ではなく人でみるー最後の参謀総長梅津美治郎
本日発売の歴史街道3月号に興味ある掲載があり購読しました。二・二六事件で鎮圧を主張した軍人という項目で三人の軍人を取り上げていました。石原莞爾・武藤章・梅津美治郎です。三人とも反乱部隊の鎮圧を主張したのですが、それぞれに違いがあることが語られていました。私は、梅津美治郎に関心があり以前にも新書本でこの人物のことを読みました。後始末をする軍人ー後始末とは二・二六事件、ノモンハン事件、終戦です。それぞれに陸軍次官、関東軍総司令官、参謀総長として後始末をしました。事象や肩書だけで捉えるとこの人物は理解できないかもしれません。この人物がどのような生き方をしてきたのか。さらにこの人物を読み続けたいと思います。やはり歴史は事象ではなく人でみるべきと思います。貧舟の歴史人間学ー歴史は事象ではなく人でみるー最後の参謀総長梅津美治郎
貧舟の歴史人間学ー旋律が人生を物語るーチャイコフスキー交響曲に惚れ込んで
学生時代に友人からチャイコフスキー交響曲5番を勧められレコードを買って聴いたとたんに惚れ込んでしまいました。貧乏生活が常の私ですが、苦しくなった時に力になるのが、勝海舟かチャイコフスキーでした。チャイコフスキーの生まれは1840年、帝政ロシアの下で司法省に勤務して苦しんでいる貧民を目にして自分の無力感を感じ挫折して退職して音楽家の道を歩みました。正にロシア革命前夜、日本でいえば幕末期に当たりますね。チャイコフスキーの交響曲は正に彼の人生を物語っているがごとく交響曲1番「冬の日の幻想」から2番「小ロシア」3番「ポーランド」と政治的色彩のものでしたが、4番は援助してくれた未亡人へ捧げた交響曲で、この辺から人に対する想いや人の生き方を考えさせられる旋律に感じます。私を勇気づけてくれた交響曲5番、そして6番「悲愴...貧舟の歴史人間学ー旋律が人生を物語るーチャイコフスキー交響曲に惚れ込んで
江戸時代、時の権力者でもある将軍や老中を操る大奥、大奥も人の集まりで、やはり人は同じことを繰り返しています。徳川幕府の260年の歴史の中でも大奥の将軍付御年寄などは老中とは対等に対話して政を動かしてきました。8代将軍吉宗から9代家重、10代家治の頃は御年寄松島が、13代家定、14代家茂御年寄瀧山が大奥の実権を掌握していました。瀧山は井伊直弼の大老就任にも動いていたと言われています。時の権力を陰で動かすーそれは大奥に限らず、人である以上、どの時代にも起きていることで、今も起きていることです。貧舟の歴史人間学ー大奥で起きていたことは今でも起きている
HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)副反応被害者のご支援ご協力をお願いいたします
HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)の副反応で10年以上も苦しんでいる被害者がいます。被害者は今、全国4つの地方裁判所(東京・名古屋・大阪・福岡)で国、製薬会社を相手に闘っています。この問題はマスコミなどには取り上げられずあまり社会には知られていません。被害者は孤立して今も症状が改善されず苦しみながら闘っています。今日も東京地方裁判所で被告側専門家証人尋問がありました。来週2月10日の月曜日にも被告側専門家証人尋問があります。HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)副反応被害者のご支援ご協力をお願い致します。詳しくはHPVワクチン薬害訴訟:東京期日傍聴のご案内(2025年2月3日・10日)-HPVワクチン薬害訴訟全国弁護団HPVワクチン東京訴訟支援ネットワーク–「子宮頸がん予防ワクチン」被害の真の救済を求めてHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)副反応被害者のご支援ご協力をお願いいたします
貧舟の歴史人間学ー歴史探訪の中での出会いと気づきー江原素六と矢島楫子
コロナ渦の始まる少し前だったと思いますが、沼津の明治史料館を訪ねた時、江原素六の関係者の表を眺めていたとき、矢島楫子の名前に目がとられました。江原素六はその時初めて知ったのですが、矢島楫子は女性の中で尊敬する人物として以前から知っておりましたので、その関係を知り、また深く調べるようになりました。二人の出会いは明治に入ってからのキリスト教の関係からですが、矢島楫子がキリスト教矯風会で売春・公娼問題を取り上げ女性の地位向上を目指して活動していた時に、やはりキリスト教に深く関わって衆議院議員でもあった江原素六から女性参政権が必要であると説かれた時のことです。明治のこの時期に女性参政権を説かれるとはかなり先進的です。二人の前向きな活動が結びつけたのでしょう。貧舟の歴史人間学ー歴史探訪の中での出会いと気づきー江原素六と矢島楫子
貧舟の歴史人間学ー歴史にタラレバはないけれど、気づかせてくれるものがある
寺子屋江川塾の準備で2月のテーマである松平定信の準備をしていますが、この人物ほど、もし御三卿の田安家に残っていれば(タラレバ)将軍になっていたかもしれないと思うのですが、白河藩に養子に入り藩主として藩政改革をして仁政を行ったことが評価されて、のちに老中首座として幕政改革を行ったりもしたので、調べていくと様々なことを気づかせてくれます。タラレバは様々なケースが思い出されます。幕末に名君と言われた島津斉彬や老中首座の阿部正弘は早く亡くなりましたが、この両名が長生きしていれば幕末の様相もずいぶんとかわっていただろうし、逆に将軍になれない御三家の水戸藩出身の徳川慶喜が御三卿の一橋家に養子に入ったことで15代将軍にもなっています。徳川慶喜は将軍になれる御三家の紀州藩出身の14代将軍徳川家茂と将軍継嗣問題で候補にあが...貧舟の歴史人間学ー歴史にタラレバはないけれど、気づかせてくれるものがある
勝海舟と言うと幕末に咸臨丸でアメリカに渡ったことや西郷隆盛との江戸城無血開城の談判が注目されます。テレビドラマも勝海舟を取り上げると江戸城無血開城で終わってしまいます。しかし、勝海舟は、その後明治を30年生き続けます。その注目されない明治の30年こそが勝海舟の姿だと私は思っています。では勝海舟は明治に何をしたのか。確かに明治の海舟をテレビドラマ化するには面白くないかもしてません。何かを成し遂げたとか、何か大事業に成功したとか、それは明治の海舟が時代の批判者ーまあ流行に逆らった生き方をしたからかもしれません。明治新政府が西欧列強に目を向け西欧風に改革している時に、これからの日本はアジアと連携して日清戦争などしている時ではないと戦争反対したり、と言ったり、明治政府の推し進める足尾鉱山で鉱毒事件が起きると操業停...貧舟の歴史人間学ー注目されない明治の海舟が重要
昔から偉い人と言うと身分や地位で見ようとします。本当にそうでしょうか?どんな身分の人であろうと、その人の人となり姿勢を見るべきではないでしょうか。そのためには、その人の一生涯の生き方を見なければ分からないと思います。そんなことを考えているうちに数年前に沼津の明治史料館に訪ねた時に知った江原素六を思い出しました。そこで何冊か江原素六に関する書物を購入して、その生涯にふれたとき、偉い人とはこのような人物のことを言うのだなあと思いました。常に他者を思い行動する、人生の重荷を自らしっかりと受け止めるー再び江原素六を読み始めました。貧舟の歴史人間学ー偉い人とはどういう人?江原素六を考える
以前に大学の先生から「副作用は薬が起こすものだけれど、薬害は人が起こすもの」と教えられたことがありました。なるほど分かりやすい言葉です。薬害は人が起こすものー人が起こすのだから薬害は繰り返されると気づかされました。歴史も人が創るものーだから歴史は繰り返されるー同じように感じています。薬害の歴史ををみると、スモン・サリドマイド・HIV等々、繰り返されてきています。薬は違っても薬害が起きる構造は同じようにみえます。その構造問題は薬害史以前からあるように思います。薬害エイズで言われた産官学の癒着構造は明治時代の足尾鉱毒事件と同じような構造問題を含んでいます。また薬害エイズ裁判の被告企業の創業者が731部隊(関東軍防疫給水部)出身者で大戦中からの医師の行動も同じような構造問題を含んでいます。この二つの問題をみても...貧舟の歴史人間学ー薬害は人が起こすもの
HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害九州訴訟報告医集会ー今年は被告側の専門家証人尋問が目白押し
今日はHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害九州訴訟の期日で夕方に報告集会がありオンライン参加しました。今年は被告側の専門家証人尋問が目白押しで来月2月には2月3日(月)、10日(月)は東京期日、17日(月)、27日(木)は名古屋期日があります。被告側の専門家証人尋問が終われば、原告本人尋問があり、その後に判決が予定されています。原告被害者の支援活動もさらに盛り上げていかなければなりません。これからも活動を続けてまいります。HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害九州訴訟報告医集会ー今年は被告側の専門家証人尋問が目白押し
貧舟の歴史人間学ー江戸の悪者?人にはそれぞれ善悪を持ち合わせている
江戸時代後期に鳥居耀蔵と長野主膳という人がいました。よく江戸の二大悪役などと言われたりすることもあるようですが。鳥居耀蔵は老中水野忠邦の下で蛮社の獄を主導して蘭学などの洋学者を捕えました。長野主膳は大老井伊直弼の下で安政の大獄を主導して尊王攘夷派志士等を捕えました。二人の共通点は権力に密着して権力の代行者になったと言われています。獄につながれた人は将来を有望された人々も多くおりました。政治犯というものは時の権力によって左右されます。処刑されたものもいれば釈放されてその後活躍したものもおります。鳥居耀蔵は幕府儒官林述斎の子で鳥居家に養子に入り江戸町奉行にもなりました。徹底した洋学嫌いで蘭学者を罪に陥れるため追求しました。蛮社の獄はその表れです。今でいえば冤罪事件にもなるでしょう。幕末期には四国の丸亀藩に幽閉...貧舟の歴史人間学ー江戸の悪者?人にはそれぞれ善悪を持ち合わせている
古今東西、人というものは、いきなり権力を持つと狂ったりするものでしょう。江戸時代、11代将軍徳川家斉にお美代の方という側室がおりました。お美代の方はおねだりさんとも言われ、お美代の実父である智泉院住職の日啓に将軍家祈祷所にすべく働きかけしたり(智泉院事件)、家斉との間に産んだ娘を加賀前田家への嫁入りを働きかけしました。同じ11代将軍徳川家斉にお以登の方という側室がおりましたが、感応寺住職の日詮と関係が深く感応寺を徳川将軍家の菩提寺になるよう働きかけをしました(感応寺事件)。権力は魔物のように人を狂わせたりしますが、逆に江戸時代には権力を持つ立場でも儒学などにより己の修行を積み重ね、苦しんでいる民のために仁政を藩主もおりました。歴史は人が創るから繰り返しますが、いつの時代も人の善悪も繰り返されています。歴史...貧舟の歴史人間学ー権力にすがる悪女
正月三が日は歴史散歩で開けました。江戸幕府が始まっておよそ400年、東京いや江戸でも節目の年です。徳川将軍家の菩提寺である上野寛永寺は今年、創建400年。江戸から日光・水戸へ向かう最初の宿場である千住宿は今年、開宿400年。今年は歴史の重みのある江戸を堪能したいと思います。貧舟の歴史人間学ー今年は400年目の節目
どうも上手くブログにアクセス出来ずご無沙汰していました。何が原因はいまだにわかりません。そもそもSNSは苦手なのです。さて再開して、まずは貧舟の歴史人間学を語りましょう。勝海舟という人物は歴史上一人しかおりませんが、勝海舟を語る人が百人いれば百通りの勝海舟が出てきます。これは、どの歴史上の人物を語る時にも同じことが言えるでしょう。同じ歴史上の人物に関する同じ書物でも読む人によって見方や感じ方は違うでしょう。その人の持っている感性で読むことが大切だと思います。そして、出来れば歴史上の人物に関して、様々な人と語り合い分かち合うことーそこに新たな気づきが生まれ、歴史上の人物の生涯から、その生き様に生き様に触れることが出来るのだと思います。そこから時代の当事者意識を学び現代という時代を生きるヒントが生まれてくるの...ブログ再開ー貧舟の歴史人間学続けます。
明けましておめでとうございます。旧年中はお世話になりました。今年もよろしくお願いします。元旦は、今年最初の寺子屋江川塾の山岡鉄舟ということもあり、谷中にある山岡鉄舟開基の全生庵に山岡鉄舟の墓参から始まりました。谷中には幕末三舟(勝海舟・山岡鉄舟・高橋泥舟)の高橋泥舟のお墓(大雄寺)もあり、共に墓参した後、上野寛永寺の根本中堂にお参りしてきました。寛永寺は今年、創建400年ということで歴史の重みを感じてきました。400年前というと江戸時代が始まったばかりで、私の地元の足立区でも千住宿(現在の北千住)開宿400年ということです。江戸時代がなぜ260年続いたのか?ー今の世の中は一見平和そうに見えますが、世界では戦争や紛争が絶えません。日本国内でも様々な社会問題が起きています。平和を築く知恵が江戸時代にはあるので...謹賀新年ー歴史の重みを感じる年の始まり
この1年間お世話になりました。様々な出会いに感謝してこの1年を終わります。今年は新年早々からハローワーク通いー仕事が変わるというバタバタのスタートでした。相変わらずの貧乏生活で号にした貧舟も板についてきました。難関を乗り越えるのが尊敬する勝海舟の胆力ということで今年も勝海舟に多くのことを学びました。勝海舟の会も今年は埼玉歴史探訪で1万円札の深谷の渋沢栄一記念館などを回り9月には勝海舟生誕200年記念講演会を勝海舟ゆかりの地赤坂教会で歴史家の河合敦さんをお呼びしてお話をうかがいました。会の交流も深まりつつありました。歴史から現代の生き方を学び寺子屋江川塾も3年目を迎え様々な歴史上の人物を取り上げました。江戸時代が多かったように大奥や会津藩の人々、そして吉原の歴史散歩に大吉原展も鑑賞しました。参加者と共に語り...この1年間お世話なりましたー様々な出会いに感謝して
来年1月の寺子屋江川塾のテーマは、山岡鉄舟と清水の次郎長となりました。この年末年始は山岡鉄舟の読書三昧になりそうです。山岡鉄舟は幕末三舟(勝海舟・山岡鉄舟・高橋泥舟)の一人であり、勝海舟を尊敬する私としては欠かせない人物で、以前より関心を持って調べていました。縁あって鉄舟会の方や山岡鉄舟のお墓のある山岡鉄舟開基の谷中の全生庵にもおじゃまして座禅堂でも学習会を開かせて頂いたこともありました。山岡鉄舟に触れるたびにその心意気というか心に厳しく突き刺さるというか、身か引き締まる思いにさせられます。幕末から明治へとその激動の時期を己の信念に基づいて生きた山岡鉄舟ー世間の寒さなど吹き飛んでしますような生き様です。そうそう山岡鉄舟・高橋泥舟の師匠でもある山岡静山は、凍り付く氷の中でもろともせず槍の修行をしたそうです。山岡鉄舟の人物を追うー年末年始の読書
寺子屋江川塾も今日で36回目ー3年間続けてきました。私も様々な気づきをもらい歴史を深掘りすることが出来ました。このような機会を与えていただき深く感謝いたします。今日は年末スペシャルということで赤穂浪士事件に関わった人々を取り上げました。赤穂浪士事件といっても江戸城松の廊下の殺傷事件と赤穂浪士の吉良邸討入りだけではありません。赤穂浪士の忠義はどこから生まれたのかーそして事件後の後世への影響ーそこに儒教思想が深く関わり幕末から明治へとつながっていきます。参加者と分かち合いながら年末を有意義に過ごさせて頂きました。寺子屋江川塾・年末スペシャルー赤穂浪士事件に関わった人々
1597年2月5日長崎の西坂で26人のキリスト者が十字架にかけられ処刑されました。カトリック教会ではこの26人を日本26聖人殉教者として列福されています。江戸時代はキリスト教禁教の時代でしたが、1865年3月17日に数人の農民が長崎の大浦天主堂にあらわれサンタマリアの像を拝みたいと願い出てきました。実に260年もの間、禁教の時代に信仰を守り続けてきたということです。どんな時代にも、どんな境遇のもとでも人は守るべきもの、何かに支えられ生き続けるーそれは時代が変わった現代でもまた同じことだと思います。貧舟の歴史人間学ー禁教時代のキリスト教信仰
今日は午後から勝海舟の会の皆さんと共に洗足池湖畔にある勝海舟のお墓掃除とお墓参りをして、その後近くの居酒屋で総会と忘年会を行いました。会の皆さんとの交流は和気あいあいと会話も弾みますが、勝海舟への想いは皆さん熱く、また行動に対して厳しい意見も出ました。勝海舟の本質をとらえた学習会をもっとやらねばならないとか、勝海舟が幕臣として幕末に諸外国と対応した姿勢を学び現代に伝えていかなければならないと、厳しくも前向きな姿勢を熱く感じました。勝海舟を現代に活かすために来年も活動を続けます。勝海舟の会の墓参・総会・忘年会ー勝海舟を現代に活かすために
12月28日の寺子屋江川塾の準備を進めながら人の生き方についていろいろと考えさせられています。今回取り上げるのは12月ということもあって赤穂浪士ですが、歴史の知識として取り上げるのではなく、人が置かれた立場でどう生きるかという歴史人間学です。江戸の元禄時代に起きた江戸城松の廊下での浅野内匠頭が吉良上野介に切りつけた殺傷事件に始まり吉良邸討入りまでの動きの背景には、元禄時代の背景に限らず江戸開府以来の思想的背景や事件後に起きた思想的論争ーそれは江戸中期から後期、そして幕末から明治へと延々と続く問題です。私の歴史は雑学そのもので歴史学を問うつもりはありません。人は何をよりどころに生きるのかーという永遠の課題を歴史から考えてみたいと提案するだけです。それが貧舟の歴史人間学です。貧舟の歴史人間学ー人は何をよりどころに生きるのか
今日は夕方からオンラインで全国のHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)被害者本人と家族、裁判に関わっている弁護士、支援者で交流会を行いました。被害者の現状を聞くたびに十分な治療方法のない不安、そして長きにわたる症状に悩まされ現状を聞くたびに何とかしなければという気持ちにさせられます。これは決して他人事ではなく同じ社会に住む人間として安心して生きてゆく社会づくりを被害者と共に活動していくことに他なりません。来年も共に頑張っていくことを確認して終わりました。全国のHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)被害者の声を聞く
今日は名古屋で薬害被害者団体連絡協議会主催の薬害根絶フォーラムが行われ、オンライン視聴で参加しました。テーマは薬害と利益相反。国、製薬企業と医師、研究者との関係から薬害問題を各薬害被害者がシンポジストとして討論されました。コロナワクチン副反応被害者の報告から始まりHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)副反応被害者も登壇して問題提起がありました。お金の流れを見ていけば人がどのように関わるのかーこれは歴史的にみてもお金が流れるところに人は集まり人と人との関係で問題が起きることは繰り返していることで分かります。今正にワクチン問題はその象徴的な問題と言えるでしょう。薬害根絶フォーラムー薬害と利益相反
貧舟の歴史人間学(1)歴史は人が創るから繰り返す:歴史上の事象はその時代背景を知ることが出来ても、そこに関わる人物を見なければ、人の流れ、時の流れを見ることが出来ず、歴史は人が創っていることに気づかない。(2)歴史上の人物は、その一生涯を見なければ分からない:歴史上の事象に登場した人物がなぜ起こしたのか、事象後にその人物はどうしたのか、それは、その人物の一生涯ー生き様を見なければ分からないー世間の人物の評価は事象だけで終わっている。(3)歴史と哲学の必要性:あるもの(歴史)とあるべきもの(哲学)を二元的に捉えることが、人間の歴史を見るうえで重要。貧舟の歴史人間学ー自問自答
徳川260年の世とは良く続いたものです。なぜそんなに長く続いたのか?幕藩体制とか武士の世の中とか、いろいろと出てきますが、さてどうでしょう。長く続いた精神的支柱は何なのか?幕末に武士の家に生まれ明治・大正・昭和と生きた国際人新渡戸稲造は海外の人に日本人を分かりやすく紹介するために英語で「武士道」という本を書きました。「義」・「勇」・「仁」・「礼」・「誠」・「名誉」・「忠義」等、いろいろ出てきます。この言葉のおくするところは江戸時代初期の徳川家康に仕えた儒学者林羅山から幕府儒官として江戸後期まで林家ー林大学頭に続いていきます。幕府に始まり各藩でも儒官を雇い藩士に至るまで儒学が重用されていました。ここに長く続いた江戸時代の精神的支柱があったのではないでしょうか。しかし学ぶは武士である人間ー長く続いた仁政や忠義...貧舟の歴史人間学ー江戸時代の精神的支柱は何か?
心の居場所を考えさせられる時ー吉田松陰記念北千住がん哲学外来カフェを続けて
もう10年も前になりますが王子でがん哲学カフェを始めた時、足立区のがん患者家族の方から老夫婦でがんに苦しんでいる方からお問い合わせをいただきました。足立区には団地暮らしで老夫婦二人暮らしや独居老人も多く足立区でのがんカフェの必要性は王子で始めたころから感じておりました。8年前に足立区の北千住でがんカフェを始めましたが、コロナ渦で休んでいたこともあり、ようやく昨年より再開することが出来ました。北千住のジェラードカフェをお借りして2か月に1回少人数で開催しています。心の中に潜めている何かを語る場所ー心の居場所みたいなものー毎回様々なことをお聞きして心の居場所を考えさせられます。次回の吉田松陰記念北千住がん哲学外来カフェは2025年1月17日(金)14時から北千住のジェラードカフェアマ―ノで行います。からっぽの...心の居場所を考えさせられる時ー吉田松陰記念北千住がん哲学外来カフェを続けて
「物徂徠は、豪傑儒だ。一体儒者が徳川幕府へ登用せられるのは、たいてい林家の取り成しによるのだが、独り林家の下風に立たなかったのは、白石と徂徠とばかりだったよ。・・・(略)・・・徂徠でも白石でも、彼らが若い時分にはみな、田舎で大根の尾や甘藷の蔓を齧って生長したじゃないか。その逆境時代に、苦心して思わず知らず練り上げた精力が、徂徠でも白石でも結局彼らの一代の事業を成功せしめた血液となったわけであるのだ。白石はあれでなかなかの大山師で、徂徠のごとき、その識見の人の高き、四十七人を殺したなぞ実に驚くべきだ」(勝海舟「氷川清話」より)徂徠は荻生徂徠、白石は新井白石。二人とも将軍に仕えた儒者ですが、徳川将軍家は、初代の徳川家康依頼、儒者は林家が受け継いできました。異端の徂徠と白石に目を付ける勝海舟ー赤穂浪士四十七士の...貧舟の歴史人間学ー勝海舟の歴史観が面白い
NHK大河ドラマ「篤姫」の最終回の再放送を観て感涙!幕末の薩摩の分家に生まれ第13代将軍家定の正室に政略的に嫁ぐも家定薨去後、天璋院として大奥を取仕切り薩長新政府により徳川幕府崩壊すると大奥を去るも実家薩摩に帰らず徳川宗家を守り切った天璋院篤姫。最後の言葉は、一人ひとりは皆、天命。ドラマの中ではありますが、篤姫が語る言葉に1,己の役割を果たすこと2,一方聞いて沙汰するな3,思い悩んだら、考えを止めて、感じるままに動くこと胸に響く言葉でした。一人ひとりは皆、天命ー天璋院篤姫を懐かしく感涙
寺子屋江川塾も3年近くが経ちました。様々な歴史上の人物を取り上げてきましたが、今日は幕末の会津藩主松平容保をテーマにしながら会津藩祖・保科正之の誕生から松平容保の孫娘徳川和子まで実に400年の会津に関わる人々の。保科正之は徳川家への絶対的な忠節を重んじ家訓15条を遺しました。それが幕末の会津藩の運命を左右する京都守護職につながり戊辰戦争の敗北で朝敵とされました。明治に入って会津松平家の人々は朝敵の汚名を受けながらも徳川家を第一に生き続けてきました。400年の時の流れの中で対応しながらも会津の心が生き続けてきました。人の生き方を考えさせられる一時でした。寺子屋江川塾ー会津400年の心
人とのつながりの中で活動は広がるーがんカフェにHPVワクチン被害者支援
今日は午後から吉田松陰記念北千住がん哲学外来カフェを北千住のジェラードカフェアマ―ノで行い、がん患者さんと共に分かち合いした後に上野に向かい組合の事務所でHPVワクチン東京訴訟支援ネットワークの例会を行いました。移動も含めて様々な立場の人々と交流する中で私の活動について質問されるのは「なぜ活動に関わるのか」と聞かれることがよくあります。最近では活動内容や立場が違ってもFacebookやインスタグラム、XといったSNSで記事さえ書けば誰でも見られるので、直にあって質問されると対話につながることがよくあります。これが気づきになって活動が広がったりもします。同じグループの中だけだと広がらないものがSNSから対面して対話が進展していくこともあります。同じグループだけで他のものを遮断してしまうのではなく、むしろ違う...人とのつながりの中で活動は広がるーがんカフェにHPVワクチン被害者支援
HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害訴訟全国弁護団報告集会にオンラン参加
今日は夕方からHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害訴訟全国弁護団のオンラン報告集会があり参加しました。現在、東京、名古屋、大阪、福岡の四つの地方裁判所で行われていますが、原告本人尋問が終わり、今年から被告側の専門家証人尋問が始まりました。今日は原告側の専門家証人尋問のおさらいをしながら現在行われている被告側の専門家証人尋問の状況を聞きました。副反応被害からいまだに苦しんでいる原告被害者のために支援活動を続けていかなければならないと痛感している今日この頃です。HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害訴訟全国弁護団報告集会にオンラン参加
二十数年前、保険の仕事を始めた時に買った本ですが、歴史の中でリスクに関する考え方が語られています。この本の中でリスクを「勇気をもって試みる」と書かれてあります。リスクは将来の不確実性と理解されていますが、考えてみれば人間の歴史は、どの時代においても常に、将来をどう生きるかの連続でした。日本の歴史を見ても、時の流れの中で右往左往しながらも次の時代の生き方を模索する連続でした。これからの生き方を模索しながら人間の歴史が綴られてきしました。歴史は人が創るから繰り返すー歴史人間学をさらに進めていきたいと思います。貧舟の歴史人間学ーリスクとは将来の不確実性
今月の寺子屋江川塾の準備のため会津に関する本を読み進めていますが、気になるのは会津にまつわる女性の存在です。会津の歴史の中で私もずいぶんと女性の人物に関心を持ってきましたが、今回は特に三人の女性に関心を持ちました。時代は三人とも違いますが、一人は会津藩祖といわれる保科正之の生母お静の方、二人目は幕末の会津若松城籠城のおりに活躍した照姫、三人目は幕末最後の会津藩主松平容保の孫娘で徳川慶喜家に嫁いだ徳川和子。大きく時代が変わろうとする中で人への想いの深さを感じます。時の流れの中で翻弄されながらも人への想いを持ち続けるーそれは現代もまた同じように思います。時の流れに恋心ー貧舟の歴史人間学
寺子屋江川塾を始めて3年近くが経ちました。お陰様で取り上げる歴史上の人物を調べていくうちに、どの時代においても時代背景が違いはせよ人間の行為そのものは変わっていないと気づかされています。取り上げている人物は大まかに江戸時代から明治、大正、昭和と男性、女性に限らず、またどんな立場の人間も取り上げています。登場人物は参加者の希望もいれて様々な人物が取り上げています。歴史は人間が創るから繰り返すー人物の一生涯を見て現代の生き方を考えるーこれを歴史人間学と呼んでいます。人は立場や考え方で人を見る傾向がありますが、同じ立場や同じ考え方を持っていても生き方は様々です。江戸時代であれば藩主に藩士、農民、商人、浪人もいるでしょう。藩によっては勤王、佐幕、また天皇家、宮家、公家と。薩長藩閥の明治政府にはいると、また様々な立...貧舟の歴史人間学
ずいぶんと分厚い文庫本でしたが「名君の碑ー保科正之の生涯」を読み終えました。読み続けると感動の毎日で恥ずかしながら涙することもありました。保科正之は江戸幕府三代将軍家光、四代将軍家綱の治世で戦国時代から終わりをつげ文政時代に入っていく時代でした。戦国時代の生き残りが幕府転覆を狙う武人も多かった時期に徳川将軍家に仕え民のための仁政を行い幕政・藩政共に活躍した人物でした。その姿勢は常に足るを知るー何度も将軍が高い地位・重用に就かせようとも固辞し仁政を全うした人物でもありました。藩政の中で現代に通じる社倉制度(災害貧困対策)・養老年金制度・救急医療制度は保科正之が創ったものでした。保科正之は二代将軍秀忠の子でありながら正室との関係で生母が宿下がりして産んだ二度目の子で一度目は水子となり、その後も正室から刺客まで...読了ー名君保科正之・土津公に涙
被告側専門家証人尋問が始まりましたーHPVワクチン薬害東京訴訟
今日はHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害東京訴訟の被告側専門家証人尋問の日でした。お昼から裁判所前でのリレートークに始まり大法廷での裁判傍聴、そして報告集会まで参加しました。判決まであと2年、原告被害者の支援活動を進めていきます。被告側専門家証人尋問が始まりましたーHPVワクチン薬害東京訴訟
会津藩祖・保科正之の小説を読みながら日本にもこんなに素晴らしい人物がいたと感激する今日この頃です。いわゆる名君ー時代が変わって名君という名称に値する言葉は現代にないのかーそれとも名君に相応しい人物がいなくなったのかーいろいろ思いふけっています。読み進めてウトウトしていると眠ってしまい、昔の頃の夢が出てくるーそろそろ人生の最終章にきているのかとも思いふける今日この頃でもあります。歴史を振り返りながら現代を見るー昔の夢が出てくる今日
今月の寺子屋江川塾で会津藩主松平容保を取り上げますが、会津藩の歴史を見るときやはり藩祖・保科正之を調べなければと関連図書を読んでいるうちにしっかり惚れ込んでしまいました。保科正之は二代将軍徳川秀忠の子として生まれますが、正室お江の子ではなく、お江の生んだ子には三代将軍家光とその弟秀長がおりました。お江は嫉妬深く保科正之の生母お静に対すいやがらせもありお静が大奥から去ったあとも付け狙われていました。一度生んだ子も水子としましたが、秀忠の寵愛を受けたお静は二度目の子を産みそれが保科正之ですが、再度付け狙われ大奥を去ると武田信玄の娘見性院に保護され養育されます。そして成長すると見性院の力添えもあって武田家ゆかりの高遠藩主保科正光の養子となり養育を受けます。父である秀忠には会うことは出来ませんでしたが子としては認...足るを知るとはーこれほどの人物がー保科正之
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寺子屋江川塾も4年目41回目となった。今日のテーマは大塩平八郎の乱ーなぜ無謀な乱を起こしたのか?大坂町奉行与力と陽明学者の二つの顔を持つ大塩平八郎ーその背景には様々な人物の出会いがあり影響を受けたーそして時代背景と幕閣という組織ー苦しんでいる民のために動こうとも大きな組織の中で動けないーその中では解決できないと乱を起こすーその乱に対する評価は賛否両論ーいつの時代もあることー歴史は人が創るから繰り返すー大塩平八郎の乱は現代に向けられた課題でもあった。やはり大塩平八郎の乱は難解ー寺子屋江川塾
今日はコンシュマーネットジャパンのたねまきの会にオンライン参加しました。HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)を取り上げワクチン被害者家族や産婦人科医や小児科医にワクチントークの方々からそれぞれHPVワクチンについてのお話がありました。あらためてHPVワクチンの問題点を確認するとともに社会にどのように伝えいくか、まさに社会への種まきをどうしたらよいか再認識した勉強会でした。HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)勉強会にオンライン参加
今日は夕方からHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害名古屋訴訟の報告集会にオンライン参加しました。現在は被告側専門家証人尋問が各地の裁判所でも行われており本日も被告側専門家証人尋問に対する原告代理人の反対尋問がありました。各地の裁判所でも今年9月までに被告側専門家証人尋問が終わり、その後は年内は原告被害者の本人尋問が行われ来年には裁判は結審して再来年に判決が予定されています。原告被害者の支援活動も裁判外の社会への訴えが益々重要になってきます。原告被害者のさらなる支援拡大に向けて活動を続けていきます。HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害名古屋訴訟の報告集会にオンライン参加
今日は午後から静岡県三島市でHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)研修会を行いました。中心になったのは三島市議会議員で娘さんもHPVワクチン接種後に副反応被害で苦しんでいるということでご家族の体験談を話されました。会場には多くの参加者が集まりオンラインでも多数の参加がありました。三島市近隣の市議会議員も多く参加してこの問題をより深く関心を持ってもらえるような研修会でした。市議会議員さんとも研修会の後交流が出来ました。HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)研修会を静岡県三島市で行う
今日はHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害名古屋訴訟の被告側専門家証人尋問期日でした。裁判終了後の報告集会にオンライン参加しました。報告集会では弁護士から裁判外の報告がありました。今、通常国会で議員の質問に対してHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)積極勧奨再開後、ワクチンの副反応被害が多数報告されていること、また積極勧奨再開前の審議会決定前にワクチンメーカーの担当者と当時の厚生労働副大臣と面会があったことが明らかにされました。裁判外でも様々なことが明らかにされつつあります。裁判も来年結審、再来年には判決が予定され、いよいよ大詰めです。原告被害者支援もさらに盛り上げていかなければなりません。HPVワクチン薬害名古屋訴訟報告集会ーワクチンの積極勧奨再開後に副反応被害が増えている
今年は千住宿開宿400年ということで吉田松陰記念北千住がん哲学外来カフェでは本日、北千住界隈を歴史散歩しました。旧日光街道の宿場町通りをゆっくりと探索ー江戸から東北へ向かう最初の宿場町で東北諸藩の大名や松尾芭蕉などの文化人や幕末には吉田松陰や尊王攘夷派志士なども千住宿を通り水戸や東北へ向かいまました。慶応4年には上野寛永寺で謹慎していた最後の将軍徳川慶喜が謹慎場所を上野寛永寺から水戸弘道館に移るため最初に昼食をとったのが千住宿でした。高橋泥舟・山岡鉄舟もお供しました。昼食とはいきませんが途中で槍かけ団子を参加者の皆さんと美味しくいただきました。がんカフェのメンバーと千住宿開宿400年歴史散歩しました
今日はHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害東京訴訟の被告側専門家証人尋問で原告被害者支援のHPVワクチン東京訴訟支援ネットワークは午前中から有楽町マリオン前で街頭宣伝を行い、午後には東京地方裁判所前でのリレートーク、裁判傍聴そして終了後には日比谷の会議室で報告集会があり一日中の行動でした。裁判所も訴訟の進行と共に判決に向けての進行協議もあり、来年の結審の後、運動の方も法廷外での活動が主になってきます。支援活動もそれに向けて準備をしていかなければなりません。HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害東京訴訟の被告側専門家証人尋問一日の行動でした
今日は午後から九州の宮崎で行われたHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)の学習会にオンライン参加しました。宮崎市は男子にもHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)を積極的に進めようとしている自治体で今日ワクチン接種により副反応被害に遭われた被害者本人や医師・研究者がお話ししました。10年以上いまだに苦しんでいる被害者の声は重く医師も最初は無関心であったけれど被害者にあって医師として当事者意識を持って支援していかなければならないと支援する会を立ち上げました。被害者支援の輪は少しずつですが広がってきています。HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害訴訟は今年10月から最後の原告本人尋問があり来年は結審して再来年には判決が予定されています。裁判もいよいよ大詰めです。さらなる被害者支援拡大に向けて活動を続けます。宮崎でHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)の学習会にオンライン参加しました。
吉田松陰記念北千住がん哲学外来カフェでは5月16日(金)午後に千住宿開宿400年を記念して北千住界隈を歴史散歩します。旧日光街道には史跡がたくさん残っています。みなさんとゆっくりと歩きながら千住宿の歴史を感じたいと思います。千住宿は江戸から東北へ向かう最初の宿場町です。人はどんな気持ちで北へ向かっていくのか。歴史を振り返ると私の好きな勝海舟も日光へ向かう途中千住宿を通りました。吉田松陰も友人と千住宿でおちあい東北に向かっています。また尊皇攘夷の源流となった幕末の水戸藩へは多くの志士が千住宿を通って向かっています。千住宿は歴史上の人物の未来への分岐点になっているのです。吉田松陰記念北千住がん哲学外来カフェー千住宿をゆっくり歩きます
今日はHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害東京訴訟の被告側専門家証人尋問(反対尋問)が行われました。仕事で裁判傍聴は出られませんでしたが、夕方からの報告集会に会場参加しました。被告企業側はワクチンと被害に因果関係は無いと次々と専門家証人を出してきます。原告被害者にとって被害を否定され自分自身の存在すらも否定されて苦しんでいます。この厳しい状況の中でも原告被害者の生の声を聞き支援してくれる人も少しずつ増えてきています。次回の東京期日は5月12日(月)午後から行われ、HPVワクチン東京訴訟支援ネットワークでは午前11時から有楽町マリオン前で街頭宣伝を行います。ぜひご参加ください。HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害東京期日報告集会ー次回は5月12日
今日は東北の名取市のコロナワクチンとHPVワクチンの被害者の生の声を聞く学習会にオンライン参加しました。コロナワクチンもHPVワクチンも共通していることは被害を訴えるとあり得ないと反ワクチンのレッテルを貼られ誹謗中傷を受けることです。苦しみ続けながら生きていかなければならない。ただ普通の生活に戻りたいだけなのに裁判に訴えると金が欲しいと言われ家族にも被害を受けます。コロナワクチンもHPVワクチンも裁判が継続しています。コロナワクチン・HPVワクチン被害者の生の声を聞くー名取市の学習会にオンライン参加
今日はHPVワクチン東京訴訟支援ネットワークの支援例会をオンランで行いました。裁判の方は今年10月から原告本人尋問が再び始まり来年には結審、再来年には判決があります。いよいよ裁判も大詰めを迎えています。支援活動も盛り上げていかなければなりません。それに対する世の中の風潮は大変厳しいものがあります。どのようにして支援活動を盛り上げていくかー正に支援活動の正念場に来ています。厳しさの中にこそ活動の意義は大きくあります。HPVワクチン東京訴訟支援ネットワーク80回目の支援例会
江戸時代になぜ名君はうまれたのか?現代に無い江戸の名君の姿勢ーそれは無限の向学心ー常に公に尽くし私服を排するには学ぶことしかないー名君と言われる藩主には必ず儒学者がいたー藩主と儒学者との問答が新たなる気づきが生まれるーこの姿勢は現代にあるだろうかー常に問い続ける寺子屋江川塾ー歴史上の人物の生き様から現代に生き方を考える寺子屋江川塾。指導者のあるべき姿とはー寺子屋江川塾第40回幕府儒者林家中興の祖・林述斎
「人間の意識面における真の成長は、対話と愛に基づく行動でしか得られないものです。対話と愛には他者の存在や多様な考え方を認めることも含まれます。そうして初めて共同体としての価値観が定まってくるもの。自分の見方や尺度を振りかざし、従わせるわけにはいきません。相手の尊厳を奪うものではなく、他者を他者として認めたうえで対話する。多様性がみんなを豊かにするのだという意識でものごとを進めていく。そうでなければ単なる自己陶酔、帝国主義、愚行で終わってしまいます」(「教皇フランシスコとの対話」より)ご冥福をお祈りします。ご冥福をお祈りしますー教皇フランシスコの人類への教え
今日は夕方からHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害の学習会が九州の大宰府でありオンライン参加しました。今日は唐津でも午前中ありました。今週月曜日には福岡地方裁判所でこの裁判がありその翌日の火曜日から周南市、水曜日には広島と山口の支援する会が主催して毎日のように学習会がありました。主催者は内科医でこの問題に疑問を持ち自ら会を立ち上げて山口を中心に活動を続けています。全国の支援する会では明日も奈良で学習会が行われ、私の所属する東京でも5月の裁判と学習会の活動を予定しています。全国津々浦々で原告被害者を支援する学習会が行われ全国が連帯して活動を続けています。10年以上いまだに消えぬ苦しみを持ち続けている原告被害者のために活動は続きます。HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害の学習会が全国津々浦々で毎日続くー今日は唐津と大宰府
現代使っているブログのサービスが今年で終了するということで、今年6月いっぱいで私のブログは終わらせて頂きます。長い間ご視聴ありがとうございました。ブログは主に薬害やがんやエイズの活動や歴史に関することを書いてまいりました。自分なりの活動のスタイルを書かせて頂きました。そもそもはSNSが不得意な自分でありましたが、ずいぶんと長い間書けたものだと思います。今年6月までは書かせていただきます。誠に誠にご視聴ありがとうございました。深く感謝申し上げます。ブログを6月いっぱいで終了いたします。長らくの間ご視聴ありがとうございました。
今日はHPVワクチン薬害九州訴訟の被告側専門家証人尋問で終了後報告集会がありオンライン参加しました。来週の21日にも被告側専門家証人尋問があります。来月には東京地方裁判所でも1日と12日に被告側専門家証人尋問があります。裁判は大詰めを迎えています。今週は明日から週末まで山口の支援会が山口や広島に九州と毎日学習会を予定しています。原告被害者の支援活動も全国で行われています。HPVワクチン薬害九州訴訟期日報告集会
現代ほど専門性が進み専門分野における分業化している時代はないかもしれません。専門家と表する者が物事を評価する時代ーしかし社会は専門家によって変わってきたのでしょうか。歴史的に見て会の不自然さに疑問を感じ社会を変えるべく前向きに生きた人物は、そのほとんどが人の心から生まれる熱き志が人を動かし社会を変えていきました。今の時代、専門家というより人ではなくシステムそのものなのかもしれませんが、何かの不自然さにぶつかった時、人の心の中でどう感じどう行動するかーその人の心、人としての動きを大切に生きたいと思います。貧舟の歴史人間学ー人の心が時代を動かす
SNSで情報が氾濫していこの頃ですが、いつのころから人ではなくシステムで情報をとってくるようになったのでしょうか?私の知るところでは明治初期の西南戦争での明治政府が使った電信ではないでしょうか。明治の文明開化は人々に多くの便利さをもたらしました。それは人ではなく文明の利器を利用したものでした。明治以前の江戸時代と情報の差はどこにあるのでしょうか?むしろ江戸時代の方が情報は自らの足とその人物の姿勢ー前向きな心で多くのネットワークを結びました。西国や東北の諸藩の武士は尊皇攘夷の発信源となった水戸へ足でとりに行き各藩の武士はネットワークをつくり情報が広まっていきました。それが世の中を動かす倒幕運動へとつながっていきました。都市部に限らず山岳地方にも松尾千勢子の国学ネッワークなど足でしか交通手段がない時代に全国に...貧舟の歴史人間学ー情報は足と心でとってくる
江戸時代260年の歴史を儒学思想史から見ると人の動きがよくわかります。徳川家康は江戸幕府を始めるにあたり人を治めるための支柱として儒学者林羅山を招き儒学に力を入れました。その中心は朱子学で江戸前期では幕府のみならず各藩も儒学者を招き入れましたが儒学思想は朱子学、陽明学、古学等、様々な流れがありました。五代将軍徳川綱吉は儒学に熱心で林羅山の上野にあった孔子廟を湯島に移し聖堂学問所を創設し朱子学を幕府の正学としましたが、時の流れの中で陽明学や古学も盛んになり天皇を中心とする尊王思想が幕府を批判する学問も出てきました。この流れに対して幕府老中首座の松平定信は朱子学以外禁ずる寛政異学の禁を政策に掲げました。しかし尊王思想は徳川御三家の水戸藩から水戸学が生まれ幕末の尊皇攘夷思想に起点となりました。その思想は幕末の尊...貧舟の歴史人間学ー江戸の儒学思想史から人の歴史をみる
1868年の今日、江戸は東京と名を変えた日ーしかしその後の東京はどうだろうか。すべてのものが新しいものに変わり技術革新、表向きは新しく見た目は良くなったように見えますが、人間そのものは後退しているように感じます。明治の東京は文明開化といいますが、真の文明は人間の心にあります。江戸には歴史と哲学を重んじる文明がありました。歴史と哲学を忘れた社会は後退していきでしょう。今日は東京の日ー1868年に江戸から東京になったというが江戸に戻った方が良い社会になるような気がする
毎年海の日には隅田リーバーサイドホールで勝海舟フォーラムが開かれています。今年で18回目ー勝海舟の誕生の地である本所は墨田区ー墨田区役所の前には勝海舟の像が建っています。今回のテーマは明治の勝海舟が行った人材周旋ー旧幕臣の勝海舟は幕府の後始末を行った後、徳川家が駿河に移封されると新政府の東京と静岡を行ったり来たりしました。勝海舟は人材不足の新政府に対して優秀な人材を抱えた徳川家臣団との調整役を担っていました。また各藩に人材紹介したり海外から講師を招いたり若い人材を留学させたりしていました。また戊辰戦争で亡くなった旧幕臣の遺族の世話をしたりしていました。正に困った時の勝海舟。常に困ったり苦しんだりしている人々のために動いていました。私はそんな勝海舟に惚れ込んで活動を続けております。海の日に勝海舟フォーラム
今日は勝海舟の会の講演会の打ち合わせに赤坂教会に伺いました。打ち合わせ前後には赤坂界隈を歩きましたが、久しぶりに赤坂を歩いてビルが無くなっていたり、変わっていることを感じました。赤坂教会は勝海舟の住んでいた氷川邸の跡地で、ゆかりの地でもあります。周りには勝海舟の史跡などもあり勝海舟と坂本龍馬の師弟像のある施設では、坂の上のカフェりんたろうという催しもしているといい、まだまだ勝海舟の面影が残っている赤坂を味わいました。久しぶりに赤坂界隈を歩いて変わったと感じるー勝海舟の面影はまだまだ
今日は福岡地方裁判所でHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害九州訴訟の原告本人尋問が行われ終了後、夕方から報告集会がありました。オンラインで参加しました。原告被害者の辛く長い期間を法廷で証言することの辛さに加え被告弁護士からのいわれのないひつこい質問に自分の被害をしっかりと答えたとのこと。長い裁判の中で原告被害者は苦しんでいます。全国一丸となって原告被害者を支援して活動を続けていかなければなりません。HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害九州訴訟原告本人尋問ー各地で被害者が訴え
東京都知事選挙・都議会議員補欠選挙の投票日。SNSが目立った選挙期間中、政策よりも他陣営の批判合戦が気になりました。そのには残念ながら政策的な文言は少なく中身のないイメージが先行しているようです。今回の選挙に限らず、イメージばかりが先行して、政策的な視点が見えてきません。どうも現代の政治には歴史と哲学を忘れているようでなりません。歴史と哲学を忘れた現代は滅びる
今日は夕方から勝海舟の会の幹事会がありました。ゲリラ豪雨の中会議場所に向かうと目的地に着くころには雨も上がり勝海舟の力が自然豪雨にも響いたかと最後はいつもの懇親会談義まですっかり晴れ上がりました。6月の埼玉歴史探訪の反省と、いよいよ9月の会10周年および勝海舟生誕200年記念講演会の企画を進めました。ゲリラ豪雨があろうとも時代が激変しようとも常に先を見越し苦しんでいる民に目を向けた勝海舟をいかに現代に伝えていくかー9月に向けて再スタートです。勝海舟の良さをいかに現代に伝えていくかー勝海舟の会
今日は夕方から飯田橋の東京ボランティア市民活動センター会議室において薬害エイズを考える山の手の会の例会を開きました。毎年参加している夏のエイズフォーラムに向けて準備をしました。今年、英国政府は薬害エイズの被害者に対して謝罪をしました。英国でも日本と同じように血友病患者がHIVに汚染された血液製剤を使用して感染して多くの人がエイズで亡くなりました。英国政府は第三者機関を通じて原因究明を追求して、その隠蔽が明らかになりました。多くの人がHIVやHCVに感染してエイズや肝炎で亡くなっています。起きた構造は同じようですが時間の経過や原因究明に仕方が英国と日本で違うようです。その英国と日本の違いに焦点を当ててエイズフォーラムで発表する予定です。エイズフォーラムでの薬害エイズを考える山の手の会は日時:8月4日(日)午...エイズフォーラム向けてー薬害エイズを考える山の手の会
今日は午後からオンラインで哲学してみる読書会と寺子屋江川塾があり、歴史と哲学を考える一日となりました。「ある姿」=「歴史」、「あるべき姿」=「哲学」現代はあまりにも機能主義に陥り哲学を忘れたように感じています。数字さえ合えば、システムさえ動いていれば、人間本来の姿を忘れてもよいのでしょうか。人間が崩壊していくような現代社会。今正に歴史と哲学の必要性を感じています。歴史と哲学を考える日ー寺子屋江川塾
今日はHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害訴訟の各地支援(北海道・東北・東京・名古屋・大阪・山口・福岡・大分・沖縄)の世話人会がオンラインでありました。それぞれの活動を情報共有して支援の拡大を行っています。全国津々浦々で活動を展開しています。HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)被害者支援ー全国津々浦々で
今日は夕方からHPVワクチン東京訴訟支援ネットワークの支援例会をオンラインと会議室のハイブリッド方式で行いました。参加者は両方合わせて30名で今後の活動について議論しました。10月の総会には原告被害者を中心に各地の被害者とも連携してサテライト会場も検討しようという企画も出ました。原告被害者の方は今でも多彩な症状で苦しんでいます。その被害者の生の声を多くの支援者に届けて支援の輪を拡大していこうと企画を進めています。被害者と共に運動を創りあげ被害者救済に結び付けよう!!HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)被害者支援に向けてーHPVワクチン東京訴訟支援ネットワーク支援例会
今月の寺子屋江川塾のテーマは大鳥圭介。江戸後期に医者の家に生まれ播州赤穂の地から閑谷学校・緒方洪庵の適塾を経て江戸に出て兵学を学び幕臣として取り立てられてからは歩兵奉行にもなりますが、時は幕末、幕府が崩壊して明治新政府が出来るも旧幕臣として戊辰戦争を最後の五稜郭の戦いまで参戦し敗北して投獄ーここで人生が終わると思うと、その才能が求められ明治新政府に出仕ー工部学校長、学習院院長、清国駐在公使を歴任して79歳の人生を閉じました。実に幕府が崩壊した時は35歳ーそれから44年生きました。同じように旧幕臣で幕府が崩壊してから明治を生きた勝海舟は46歳から77歳と31年生き、榎本武揚は32歳から72歳と40年生き、それぞれの分野で明治に活躍します。幕臣としての意地を失わず、本来の立場を失った後にも新しい時代を生きまし...喪失・挫折・失敗からの人生ー勝海舟・榎本武揚・大鳥圭介の人生から振り返る
薬害は繰り返されていますースモン・サリドマイド・エイズと近年繰り返されている薬害ーしかし薬害が起きる構造はすでに明治から存在しています。明治に起きた足尾鉱山鉱毒事件の起きた構造は、正に薬害が起きる構造と同じです。明治政府が殖産興業の中心である鉱山ー鉱業を推奨して企業が政府と癒着して起こした足尾鉱山鉱毒事件ー被害が大きくなると政府は鉱毒調査をしますが、原因である鉱山を停止せず鉱毒が流れ出た河川を修復しようと治水事業にすり替えて渡良瀬川流域の谷中村を廃村にして渡良瀬遊水地を作ります。そこには鉱業主だけでなく政府側にも歴史上の人物が関わっていました。構造的な問題でもう一つ指摘しておきたいのが薬害エイズの源流ともいえる関東軍防疫給水部いわゆる731部隊問題です。戦時中、関東軍はハルピン郊外に大きな化学工場を建設し...薬害が起きる構造は明治からあるー歴史の中で人は過ちを繰り返す
江戸時代には名君と呼ばれるお殿様がおりました。江戸前期では水戸藩主の徳川光圀、会津藩主の保科正之、岡山藩主の池田光政を三大名君と呼ばれていますが、他にも加賀藩主の前田綱紀、肥後熊本藩主の細川重賢、米沢藩主の上杉鷹山などもなかなかの名君がおりました。このような名君の共通点は、人倫の道を自らが学ぶべく学者を招いて学び藩校を創って自ら実践していること、そして苦しんでいる民のために名利を求めず救済の手を差し伸べていることです。このような名君が現代にはいないのか!?残念ながら自分の名前を売るために名利ばかりを求めているように感じます。江戸に名君ありー現代に名君はいないのか!?
今日は午後から九州の宮崎でHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)被害者の生の声を聞く学習会にオンライン参加しました。最近、全国各地ではHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)を積極的に進めようとする自治体が増え、学生などに宣伝をしていく傾向があります。それはワクチンが安全で副反応被害が無かったかのような形で進めています。副反応被害者は現在でも多彩な症状に苦しめられ悩んでいます。宮崎でも積極的にワクチンを進めているという状況の中で被害者と支援者は宮崎で学習会を開きました。今も苦しんでいる被害者と共に全国各地で活動を続けています。HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)被害者の生の声をー宮崎で学習会
今日は夕方からHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害訴訟全国弁護団のオンライン報告集会に参加しました。全国の原告被害者、弁護団、支援者がオンラインで集まり各地(東京・名古屋・大阪・福岡)の裁判所で行われている原告本人尋問の様子が報告されました。各地の裁判所では一日に2~3人の原告被害者が証言台に立って被害実態を発言しています。ワクチンを打ってから10年間も多彩な症状で悩まされ、学校の進学や希望の就職もあきらめ苦しんでいます。また学校では怠けていると言われ病院ではわかってもらえず、二重三重の苦しみを受けています。裁判の証言台に立つことはつらいことではありますが、原告被害者は被告側の質問に対してもしっかりと答えています。支援者としても原告被害者と共に活動を続けていきます。HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害訴訟全国弁護団オンライン報告集会ー被害者の苦しみが全国各地の法廷で証言されている
寺子屋江川塾の次回のテーマ大鳥圭介を調べながら、人物が生まれる基礎は何かを深く考えています。大鳥圭介は幕末に幕臣として歩兵奉行となり戊辰戦争、最後は五稜郭まで闘い明治政府に投獄されたのち学習院院長・工部大学校校長を歴任した人物です。実家は播州赤穂の医者の生まれ医業を学びながらも漢学に興味を持ち岡山藩の閑谷学校に学びます。閑谷学校は岡山藩主で名君の池田光政が熊沢蕃山を招聘して創った学校で武士だけではなく農民、庶民も受け入れました。この閑谷学校での学びが大鳥圭介の生涯の基礎となっていると言っても過言ではありません。国の基礎は教育とあらためて感じる今日この頃です。歴史が語る国の基は教育ー大鳥圭介から閑谷学校ー池田光政ー熊沢蕃山
昨日は勝海舟の会埼玉県歴史探訪でした。会のメンバーと史跡を散歩する中での対話が新しい気づきをもらい歴史の深さを感じました。本を読むだけでは歴史知識の積み重ねでしかないものを、その知識が、人との対話の中から歴史上の人物の人それぞれの人物評価の違いから、自分の人物評価の見直しを迫られます。それは決して重苦しい感じではなく新鮮な人との対話の中から生まれてくる新鮮な感じなのです。そこからまた歴史の深さを感じていきます。それは現代に生きる私たちへの歴史からの教訓なのです。歴史の深さを感じるのは人との対話の中から
今日は勝海舟の会埼玉県歴史探訪でした。朝、JR川口駅に集合してマイクロバスを借りて、午前中は川口市内の勝海舟ゆかりの場所(大砲鋳造と勝海舟の書のある神社)を回り、午後は関越自動車道を北上して深谷の渋沢栄一記念館と生誕の地へ行きました。参加者は皆和気あいあいと語りながらの歴史探訪でした。9月にはいよいよ勝海舟生誕200年(実際は昨年でしたが社会の諸事情を考慮して今年に)の記念講演会です。勝海舟の生き方を現代に、今年も活動します。勝海舟の会埼玉県歴史探訪ーマイクロバスで埼玉県を南北に横断
HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害訴訟の原告本人尋問が各地で行われています。本日は大阪の裁判所であり夕方の報告集会にオンライン参加しました。原告被害者はワクチンを打った10年前から今まで副反応被害に悩まされ続けています。体調が悪い中裁判所まで足を運び証言台に立っています。このような被害者は全国にたくさんいます。裁判の方は全国4地方裁判所(東京・名古屋・大阪・福岡)で原告117名もいます。他にも原告に参加していない被害者もたくさんいます。また副反応被害が発生して接種勧奨が一時中止されていましたが国が接種勧奨を再開した後にも被害者は出てきています。国は被害実態を調査して原因を究明し、被害者の治療方法を確立すべきです。HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)大阪訴訟原告本人尋問期日の報告集会
今日は夕方から飯田橋の東京ボランティア市民活動センターの会議室で薬害エイズを考える山の手の会の例会を行いました。今年夏のエイズフォーラムの準備のために話し合いました。イギリス政府が薬害エイズの件で公的な調査をして首相が謝罪したとのことー日本とイギリスと薬害エイズの対応の違いは何かー日本の薬害エイズ裁判は1996年に和解ー忘れさられようとしている薬害エイズー薬害エイズを風化させないためにどうしたらよいのかーいろいろ考えさせられる例会でした。次回は7月2日(火)19時からーさらにイギリスの出来事を調べながら議論します。薬害エイズを考える山の手の会ー日本とイギリスの対応の違いを考える