寺子屋江川塾も4年目41回目となった。今日のテーマは大塩平八郎の乱ーなぜ無謀な乱を起こしたのか?大坂町奉行与力と陽明学者の二つの顔を持つ大塩平八郎ーその背景には様々な人物の出会いがあり影響を受けたーそして時代背景と幕閣という組織ー苦しんでいる民のために動こうとも大きな組織の中で動けないーその中では解決できないと乱を起こすーその乱に対する評価は賛否両論ーいつの時代もあることー歴史は人が創るから繰り返すー大塩平八郎の乱は現代に向けられた課題でもあった。やはり大塩平八郎の乱は難解ー寺子屋江川塾
薬害エイズを考える山の手の会のご案内 <br>病気でお悩みの方の保険相談 <br>尊敬する勝海舟や田中正造のコメント
今の政治は正心誠意に欠けるー勝海舟は今の政治をどう見るだろうか
いよいよ衆議院選挙も近くなってきたようです。国民の受けを気にしながらコロコロ発言が変わる今の政治、また悪い噂を気にしながら発言を変える今の政治、まったく政治家の誠意が見られません。勝海舟は、政治は四字しかない、正心誠意あるのみだ、と言っています。今の政治家に正心誠意が全く見られません。政治家の正心誠意を見分ける目を国民は養わなければ良い政治は生まれません。今の政治は正心誠意に欠けるー勝海舟は今の政治をどう見るだろうか
本日は勝海舟ゆかりの地である赤坂教会で開催する勝海舟生誕200年勝海舟の会10周年記念講演会を行うためお昼には赤坂に入り準備を進め午後から講演会夕方には懇親会を行いました。講演会ではNHK歴史探偵でおなじみの河合敦先生が「勝海舟と平和主義」という題目でお話し頂き勝海舟を含め歴史好きが参加して聞き入っていました。その後の懇親会でも歴史談議が続きました。勝海舟を現代に活かす仲間が大勢集まり交流を深めました。勝海舟生誕200年勝海舟の会10周年記念講演会
歴史上の人物の人間関係を探るー寺子屋江川塾第33回柴五郎の北京
今日は寺子屋江川塾第33回会津出身で北清事変の時に北京駐在武官として活躍した柴五郎を取り上げました。柴五郎は幕末の会津藩士の家に生まれ幼い頃に賊軍となった会津藩の籠城と会津若松城落城を経験します。その後会津藩は酷寒の地下北半島の斗南藩へ苦しい生活を強いられながらその後長州軍閥の陸軍に入り1900年の北京の55日ー北清事変(義和団事件)を北京駐在武官として体験します。西欧各国武官と共に北京籠城を死守し西欧各国公使から称賛されます。そして多くの歴史上の人物との交流がその視野を広げていきます。その後、会津出身で最初の陸軍大将まで進みますが退役して1945年の日本敗戦の時まで生き続けます。退役後の柴五郎は日中戦争から始まる大戦について敗戦を予測して軍部の誤った方向を見ていました。柴五郎の歩んだ生涯は日本史、世界史...歴史上の人物の人間関係を探るー寺子屋江川塾第33回柴五郎の北京
今日は午後から吉田松陰記念北千住がん哲学外来カフェと夕方からはHPVワクチン東京訴訟支援ネットワーク支援例会でした。両方とも会の運営に関わり会の進行もすすめました。夜は池袋からの終バスに間に合いバスの中ではぐっすり眠ってしまいました。がんカフェでは初めて参加された患者さんやご家族の方がありお話を聞いていてご自身の体験や悩み事を聞いてくれる場所の必要性を感じました。支援例会でも被害者支援を進めるために人を集める居場所つくりが大切であることをあらためて感じました。最近はSNSなどで対面で話す機会が少なくなってきていますが、やはり居場所というものは人と人とが対面で接することによって意思の疎通もはかれるものだと感じています。会の運営に関わりながら人の居場所の必要性を感じる今日一日でした。会の運営に関わりながら人の居場所の必要性を感じる今日一日
世界を見渡しても戦争や災害あるいは様々な問題で被害を受けて苦しんでいる人病気で悩んでいる人と生涯で悩んでいる人と数多くおります。歴史的に見ると技術文明が発達して便利になり自由になったようでもありますが、地球環境、気候変動で難しい問題も人間を侵食しております。人間的に見て地球的な規模で大変な時代になりました。いろいろな活動に関わって連絡先になっていることもあり悩みを抱えた方からのお問い合わせもいただきます。自分自身もそんなにできた人間ではないので返答に悩むことも多々あります。また活動に関わって難しい問題も多々あります。日常生活の中にも一人ひとり問題を抱え悩んでいる人が多いことにどうしようもない脱力感さえ感じることもあります。でもほんの小さなことであれお互いの悩みを対話することでなにかの小さな光が見えてくるこ...生きづらさから解き放つにはー人間的になること
昨晩はナマケモノ倶楽部のオンラインイベントに参加しました。先住民族の生活から人間の歴史と現代の生き方を考える素敵なイベントでした。環境活動家で文化人類学者の辻信一さんが分かりやすく説明されていました。ナマケモノ俱楽部との出会いはもう20年近くなるか正確には覚えていませんが、フェアトレードコーヒーを飲んでその味が忘れられなくスローカフェに通う中で辻信一さんの本「スローイズビューティフル」に出会い、その内容に衝撃的だったのを覚えています。以来ナマケモノ俱楽部のお付き合いが始まりました。こんなに暑い日が続き記録的な猛暑とさかんに言いながら地球温暖化や地球環境のことを何も言わないマスコミ、社会にとって不都合なことは何も言わないマスコミや現代社会ーもう人間がマヒしているようです。それでも辻さんは都会であれ田舎であれ...いろいろ考えさせられた夜でしたーナマケモノ俱楽部オンライン
難しいから進めるーHPVワクチン東京訴訟支援ネットワークの活動
日々難題が上がるHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)被害者支援の活動ですが、HPVワクチン東京訴訟支援ネットワークの活動の活動も今後の支援拡大に向けて準備を進めています。ずいぶん前の話ですが薬害訴訟に関わる弁護士さんと話した時、私が「HPVワクチン問題は難しい」と言ったら弁護士さんは「難しいからやっているんだろう。簡単だったらやらないよ」と笑顔で切り返されました。そうです難しいから人を集めて活動を進めているのです。苦しんでいる原告被害者の支援を続けていくことが第一です。難しいから進めるーHPVワクチン東京訴訟支援ネットワークの活動
人は力で動かすものではなく心で動かすものー「篤姫」に登場する勝海舟の言葉が心に響く
テレビドラマのうけおいですが以前に大河ドラマ「篤姫」に登場した勝海舟が薩摩藩士に向かって「人は力で動かすものではなく心で動かすものだ」と言ったフレーズが今も心に残っています。まあ、これはテレビドラマですからかなりの創作によるものですが、勝海舟の行動には興味を引きます。幕末当時の薩長は武力によって倒幕を目指しました。倒れる幕府側にいた勝海舟は薩長と武力ではなく対話で交渉して敵方である薩長の人々の心を動かします。これが勝海舟の言う「すべて敵がいい」と言いながらすべてを人として心を動かしていくやり方なのでしょう。現代はまた力というか金の力、システムの力で人を動かしているように感じます。人の心を信じ心の通じ合う社会にしていきたいものです。人は力で動かすものではなく心で動かすものー「篤姫」に登場する勝海舟の言葉が心に響く
今月29日に勝海舟生誕200年勝海舟の会10周年の記念講演会があり本日は会場下見に準備に行ってきます。私は若い頃から父の影響で父が持っていた勝海舟の本を読み、人生の中でで勝海舟を人生の師と仰ぎ常に困難な時でも勝海舟だったらどうするだろうと本を読み直してきました。勝海舟というと世間では西郷隆盛との江戸城無血開城の談判を取り上げますが、私はそれをそんなに気にしていません。勝海舟はあの時46歳、むしろ明治を30年以上生き77歳で亡くなるまで人の見えないところで苦しんでいる人のために動いていました。人は世間が注目するところで人の評価をしようとしますが、勝海舟はそれどころか自分の肩書も気にせず人が注目しないところへ行って困っている人に手を差し伸べていました。そんな勝海舟が私の人生の師なのです。勝海舟を想う心
勝海舟生誕200年勝海舟の会10周年記念講演会(9月29日)に向けて
昨日は勝海舟の会幹事会で勝海舟生誕200年勝海舟の会10周年記念講演会(9月29日)に向けて準備をしました。記念講演会ではテレビの歴史探偵などに出られ歴史の著書も多く出されている河合敦先生をお呼びして「勝海舟と平和主義」と題してお話し頂きます。会場も勝海舟邸跡地の赤坂教会で行います。混迷の続く現代社会にあって勝海舟の生き方を学ぶには絶好の機会です。どなたでも勝海舟に興味のある方はぜひご参加ください。勝海舟の会10周年、生誕200年記念講演会及び懇親会のご案内 イベント報告詳細 勝海舟の会(katsukaisyu.com)昨晩は勝海舟の幹事と共に夕食をともにしました。勝海舟談義に花を咲かせながら人のつながりのありがたさを感じた一日でした。感謝を込めて。勝海舟生誕200年勝海舟の会10周年記念講演会(9月29日)に向けて
「ブログリーダー」を活用して、笑顔の江川さんをフォローしませんか?
寺子屋江川塾も4年目41回目となった。今日のテーマは大塩平八郎の乱ーなぜ無謀な乱を起こしたのか?大坂町奉行与力と陽明学者の二つの顔を持つ大塩平八郎ーその背景には様々な人物の出会いがあり影響を受けたーそして時代背景と幕閣という組織ー苦しんでいる民のために動こうとも大きな組織の中で動けないーその中では解決できないと乱を起こすーその乱に対する評価は賛否両論ーいつの時代もあることー歴史は人が創るから繰り返すー大塩平八郎の乱は現代に向けられた課題でもあった。やはり大塩平八郎の乱は難解ー寺子屋江川塾
今日はコンシュマーネットジャパンのたねまきの会にオンライン参加しました。HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)を取り上げワクチン被害者家族や産婦人科医や小児科医にワクチントークの方々からそれぞれHPVワクチンについてのお話がありました。あらためてHPVワクチンの問題点を確認するとともに社会にどのように伝えいくか、まさに社会への種まきをどうしたらよいか再認識した勉強会でした。HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)勉強会にオンライン参加
今日は夕方からHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害名古屋訴訟の報告集会にオンライン参加しました。現在は被告側専門家証人尋問が各地の裁判所でも行われており本日も被告側専門家証人尋問に対する原告代理人の反対尋問がありました。各地の裁判所でも今年9月までに被告側専門家証人尋問が終わり、その後は年内は原告被害者の本人尋問が行われ来年には裁判は結審して再来年に判決が予定されています。原告被害者の支援活動も裁判外の社会への訴えが益々重要になってきます。原告被害者のさらなる支援拡大に向けて活動を続けていきます。HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害名古屋訴訟の報告集会にオンライン参加
今日は午後から静岡県三島市でHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)研修会を行いました。中心になったのは三島市議会議員で娘さんもHPVワクチン接種後に副反応被害で苦しんでいるということでご家族の体験談を話されました。会場には多くの参加者が集まりオンラインでも多数の参加がありました。三島市近隣の市議会議員も多く参加してこの問題をより深く関心を持ってもらえるような研修会でした。市議会議員さんとも研修会の後交流が出来ました。HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)研修会を静岡県三島市で行う
今日はHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害名古屋訴訟の被告側専門家証人尋問期日でした。裁判終了後の報告集会にオンライン参加しました。報告集会では弁護士から裁判外の報告がありました。今、通常国会で議員の質問に対してHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)積極勧奨再開後、ワクチンの副反応被害が多数報告されていること、また積極勧奨再開前の審議会決定前にワクチンメーカーの担当者と当時の厚生労働副大臣と面会があったことが明らかにされました。裁判外でも様々なことが明らかにされつつあります。裁判も来年結審、再来年には判決が予定され、いよいよ大詰めです。原告被害者支援もさらに盛り上げていかなければなりません。HPVワクチン薬害名古屋訴訟報告集会ーワクチンの積極勧奨再開後に副反応被害が増えている
今年は千住宿開宿400年ということで吉田松陰記念北千住がん哲学外来カフェでは本日、北千住界隈を歴史散歩しました。旧日光街道の宿場町通りをゆっくりと探索ー江戸から東北へ向かう最初の宿場町で東北諸藩の大名や松尾芭蕉などの文化人や幕末には吉田松陰や尊王攘夷派志士なども千住宿を通り水戸や東北へ向かいまました。慶応4年には上野寛永寺で謹慎していた最後の将軍徳川慶喜が謹慎場所を上野寛永寺から水戸弘道館に移るため最初に昼食をとったのが千住宿でした。高橋泥舟・山岡鉄舟もお供しました。昼食とはいきませんが途中で槍かけ団子を参加者の皆さんと美味しくいただきました。がんカフェのメンバーと千住宿開宿400年歴史散歩しました
今日はHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害東京訴訟の被告側専門家証人尋問で原告被害者支援のHPVワクチン東京訴訟支援ネットワークは午前中から有楽町マリオン前で街頭宣伝を行い、午後には東京地方裁判所前でのリレートーク、裁判傍聴そして終了後には日比谷の会議室で報告集会があり一日中の行動でした。裁判所も訴訟の進行と共に判決に向けての進行協議もあり、来年の結審の後、運動の方も法廷外での活動が主になってきます。支援活動もそれに向けて準備をしていかなければなりません。HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害東京訴訟の被告側専門家証人尋問一日の行動でした
今日は午後から九州の宮崎で行われたHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)の学習会にオンライン参加しました。宮崎市は男子にもHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)を積極的に進めようとしている自治体で今日ワクチン接種により副反応被害に遭われた被害者本人や医師・研究者がお話ししました。10年以上いまだに苦しんでいる被害者の声は重く医師も最初は無関心であったけれど被害者にあって医師として当事者意識を持って支援していかなければならないと支援する会を立ち上げました。被害者支援の輪は少しずつですが広がってきています。HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害訴訟は今年10月から最後の原告本人尋問があり来年は結審して再来年には判決が予定されています。裁判もいよいよ大詰めです。さらなる被害者支援拡大に向けて活動を続けます。宮崎でHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)の学習会にオンライン参加しました。
吉田松陰記念北千住がん哲学外来カフェでは5月16日(金)午後に千住宿開宿400年を記念して北千住界隈を歴史散歩します。旧日光街道には史跡がたくさん残っています。みなさんとゆっくりと歩きながら千住宿の歴史を感じたいと思います。千住宿は江戸から東北へ向かう最初の宿場町です。人はどんな気持ちで北へ向かっていくのか。歴史を振り返ると私の好きな勝海舟も日光へ向かう途中千住宿を通りました。吉田松陰も友人と千住宿でおちあい東北に向かっています。また尊皇攘夷の源流となった幕末の水戸藩へは多くの志士が千住宿を通って向かっています。千住宿は歴史上の人物の未来への分岐点になっているのです。吉田松陰記念北千住がん哲学外来カフェー千住宿をゆっくり歩きます
今日はHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害東京訴訟の被告側専門家証人尋問(反対尋問)が行われました。仕事で裁判傍聴は出られませんでしたが、夕方からの報告集会に会場参加しました。被告企業側はワクチンと被害に因果関係は無いと次々と専門家証人を出してきます。原告被害者にとって被害を否定され自分自身の存在すらも否定されて苦しんでいます。この厳しい状況の中でも原告被害者の生の声を聞き支援してくれる人も少しずつ増えてきています。次回の東京期日は5月12日(月)午後から行われ、HPVワクチン東京訴訟支援ネットワークでは午前11時から有楽町マリオン前で街頭宣伝を行います。ぜひご参加ください。HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害東京期日報告集会ー次回は5月12日
今日は東北の名取市のコロナワクチンとHPVワクチンの被害者の生の声を聞く学習会にオンライン参加しました。コロナワクチンもHPVワクチンも共通していることは被害を訴えるとあり得ないと反ワクチンのレッテルを貼られ誹謗中傷を受けることです。苦しみ続けながら生きていかなければならない。ただ普通の生活に戻りたいだけなのに裁判に訴えると金が欲しいと言われ家族にも被害を受けます。コロナワクチンもHPVワクチンも裁判が継続しています。コロナワクチン・HPVワクチン被害者の生の声を聞くー名取市の学習会にオンライン参加
今日はHPVワクチン東京訴訟支援ネットワークの支援例会をオンランで行いました。裁判の方は今年10月から原告本人尋問が再び始まり来年には結審、再来年には判決があります。いよいよ裁判も大詰めを迎えています。支援活動も盛り上げていかなければなりません。それに対する世の中の風潮は大変厳しいものがあります。どのようにして支援活動を盛り上げていくかー正に支援活動の正念場に来ています。厳しさの中にこそ活動の意義は大きくあります。HPVワクチン東京訴訟支援ネットワーク80回目の支援例会
江戸時代になぜ名君はうまれたのか?現代に無い江戸の名君の姿勢ーそれは無限の向学心ー常に公に尽くし私服を排するには学ぶことしかないー名君と言われる藩主には必ず儒学者がいたー藩主と儒学者との問答が新たなる気づきが生まれるーこの姿勢は現代にあるだろうかー常に問い続ける寺子屋江川塾ー歴史上の人物の生き様から現代に生き方を考える寺子屋江川塾。指導者のあるべき姿とはー寺子屋江川塾第40回幕府儒者林家中興の祖・林述斎
「人間の意識面における真の成長は、対話と愛に基づく行動でしか得られないものです。対話と愛には他者の存在や多様な考え方を認めることも含まれます。そうして初めて共同体としての価値観が定まってくるもの。自分の見方や尺度を振りかざし、従わせるわけにはいきません。相手の尊厳を奪うものではなく、他者を他者として認めたうえで対話する。多様性がみんなを豊かにするのだという意識でものごとを進めていく。そうでなければ単なる自己陶酔、帝国主義、愚行で終わってしまいます」(「教皇フランシスコとの対話」より)ご冥福をお祈りします。ご冥福をお祈りしますー教皇フランシスコの人類への教え
今日は夕方からHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害の学習会が九州の大宰府でありオンライン参加しました。今日は唐津でも午前中ありました。今週月曜日には福岡地方裁判所でこの裁判がありその翌日の火曜日から周南市、水曜日には広島と山口の支援する会が主催して毎日のように学習会がありました。主催者は内科医でこの問題に疑問を持ち自ら会を立ち上げて山口を中心に活動を続けています。全国の支援する会では明日も奈良で学習会が行われ、私の所属する東京でも5月の裁判と学習会の活動を予定しています。全国津々浦々で原告被害者を支援する学習会が行われ全国が連帯して活動を続けています。10年以上いまだに消えぬ苦しみを持ち続けている原告被害者のために活動は続きます。HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害の学習会が全国津々浦々で毎日続くー今日は唐津と大宰府
現代使っているブログのサービスが今年で終了するということで、今年6月いっぱいで私のブログは終わらせて頂きます。長い間ご視聴ありがとうございました。ブログは主に薬害やがんやエイズの活動や歴史に関することを書いてまいりました。自分なりの活動のスタイルを書かせて頂きました。そもそもはSNSが不得意な自分でありましたが、ずいぶんと長い間書けたものだと思います。今年6月までは書かせていただきます。誠に誠にご視聴ありがとうございました。深く感謝申し上げます。ブログを6月いっぱいで終了いたします。長らくの間ご視聴ありがとうございました。
今日はHPVワクチン薬害九州訴訟の被告側専門家証人尋問で終了後報告集会がありオンライン参加しました。来週の21日にも被告側専門家証人尋問があります。来月には東京地方裁判所でも1日と12日に被告側専門家証人尋問があります。裁判は大詰めを迎えています。今週は明日から週末まで山口の支援会が山口や広島に九州と毎日学習会を予定しています。原告被害者の支援活動も全国で行われています。HPVワクチン薬害九州訴訟期日報告集会
現代ほど専門性が進み専門分野における分業化している時代はないかもしれません。専門家と表する者が物事を評価する時代ーしかし社会は専門家によって変わってきたのでしょうか。歴史的に見て会の不自然さに疑問を感じ社会を変えるべく前向きに生きた人物は、そのほとんどが人の心から生まれる熱き志が人を動かし社会を変えていきました。今の時代、専門家というより人ではなくシステムそのものなのかもしれませんが、何かの不自然さにぶつかった時、人の心の中でどう感じどう行動するかーその人の心、人としての動きを大切に生きたいと思います。貧舟の歴史人間学ー人の心が時代を動かす
SNSで情報が氾濫していこの頃ですが、いつのころから人ではなくシステムで情報をとってくるようになったのでしょうか?私の知るところでは明治初期の西南戦争での明治政府が使った電信ではないでしょうか。明治の文明開化は人々に多くの便利さをもたらしました。それは人ではなく文明の利器を利用したものでした。明治以前の江戸時代と情報の差はどこにあるのでしょうか?むしろ江戸時代の方が情報は自らの足とその人物の姿勢ー前向きな心で多くのネットワークを結びました。西国や東北の諸藩の武士は尊皇攘夷の発信源となった水戸へ足でとりに行き各藩の武士はネットワークをつくり情報が広まっていきました。それが世の中を動かす倒幕運動へとつながっていきました。都市部に限らず山岳地方にも松尾千勢子の国学ネッワークなど足でしか交通手段がない時代に全国に...貧舟の歴史人間学ー情報は足と心でとってくる
江戸時代260年の歴史を儒学思想史から見ると人の動きがよくわかります。徳川家康は江戸幕府を始めるにあたり人を治めるための支柱として儒学者林羅山を招き儒学に力を入れました。その中心は朱子学で江戸前期では幕府のみならず各藩も儒学者を招き入れましたが儒学思想は朱子学、陽明学、古学等、様々な流れがありました。五代将軍徳川綱吉は儒学に熱心で林羅山の上野にあった孔子廟を湯島に移し聖堂学問所を創設し朱子学を幕府の正学としましたが、時の流れの中で陽明学や古学も盛んになり天皇を中心とする尊王思想が幕府を批判する学問も出てきました。この流れに対して幕府老中首座の松平定信は朱子学以外禁ずる寛政異学の禁を政策に掲げました。しかし尊王思想は徳川御三家の水戸藩から水戸学が生まれ幕末の尊皇攘夷思想に起点となりました。その思想は幕末の尊...貧舟の歴史人間学ー江戸の儒学思想史から人の歴史をみる
1868年の今日、江戸は東京と名を変えた日ーしかしその後の東京はどうだろうか。すべてのものが新しいものに変わり技術革新、表向きは新しく見た目は良くなったように見えますが、人間そのものは後退しているように感じます。明治の東京は文明開化といいますが、真の文明は人間の心にあります。江戸には歴史と哲学を重んじる文明がありました。歴史と哲学を忘れた社会は後退していきでしょう。今日は東京の日ー1868年に江戸から東京になったというが江戸に戻った方が良い社会になるような気がする
毎年海の日には隅田リーバーサイドホールで勝海舟フォーラムが開かれています。今年で18回目ー勝海舟の誕生の地である本所は墨田区ー墨田区役所の前には勝海舟の像が建っています。今回のテーマは明治の勝海舟が行った人材周旋ー旧幕臣の勝海舟は幕府の後始末を行った後、徳川家が駿河に移封されると新政府の東京と静岡を行ったり来たりしました。勝海舟は人材不足の新政府に対して優秀な人材を抱えた徳川家臣団との調整役を担っていました。また各藩に人材紹介したり海外から講師を招いたり若い人材を留学させたりしていました。また戊辰戦争で亡くなった旧幕臣の遺族の世話をしたりしていました。正に困った時の勝海舟。常に困ったり苦しんだりしている人々のために動いていました。私はそんな勝海舟に惚れ込んで活動を続けております。海の日に勝海舟フォーラム
今日は勝海舟の会の講演会の打ち合わせに赤坂教会に伺いました。打ち合わせ前後には赤坂界隈を歩きましたが、久しぶりに赤坂を歩いてビルが無くなっていたり、変わっていることを感じました。赤坂教会は勝海舟の住んでいた氷川邸の跡地で、ゆかりの地でもあります。周りには勝海舟の史跡などもあり勝海舟と坂本龍馬の師弟像のある施設では、坂の上のカフェりんたろうという催しもしているといい、まだまだ勝海舟の面影が残っている赤坂を味わいました。久しぶりに赤坂界隈を歩いて変わったと感じるー勝海舟の面影はまだまだ
今日は福岡地方裁判所でHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害九州訴訟の原告本人尋問が行われ終了後、夕方から報告集会がありました。オンラインで参加しました。原告被害者の辛く長い期間を法廷で証言することの辛さに加え被告弁護士からのいわれのないひつこい質問に自分の被害をしっかりと答えたとのこと。長い裁判の中で原告被害者は苦しんでいます。全国一丸となって原告被害者を支援して活動を続けていかなければなりません。HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害九州訴訟原告本人尋問ー各地で被害者が訴え
東京都知事選挙・都議会議員補欠選挙の投票日。SNSが目立った選挙期間中、政策よりも他陣営の批判合戦が気になりました。そのには残念ながら政策的な文言は少なく中身のないイメージが先行しているようです。今回の選挙に限らず、イメージばかりが先行して、政策的な視点が見えてきません。どうも現代の政治には歴史と哲学を忘れているようでなりません。歴史と哲学を忘れた現代は滅びる
今日は夕方から勝海舟の会の幹事会がありました。ゲリラ豪雨の中会議場所に向かうと目的地に着くころには雨も上がり勝海舟の力が自然豪雨にも響いたかと最後はいつもの懇親会談義まですっかり晴れ上がりました。6月の埼玉歴史探訪の反省と、いよいよ9月の会10周年および勝海舟生誕200年記念講演会の企画を進めました。ゲリラ豪雨があろうとも時代が激変しようとも常に先を見越し苦しんでいる民に目を向けた勝海舟をいかに現代に伝えていくかー9月に向けて再スタートです。勝海舟の良さをいかに現代に伝えていくかー勝海舟の会
今日は夕方から飯田橋の東京ボランティア市民活動センター会議室において薬害エイズを考える山の手の会の例会を開きました。毎年参加している夏のエイズフォーラムに向けて準備をしました。今年、英国政府は薬害エイズの被害者に対して謝罪をしました。英国でも日本と同じように血友病患者がHIVに汚染された血液製剤を使用して感染して多くの人がエイズで亡くなりました。英国政府は第三者機関を通じて原因究明を追求して、その隠蔽が明らかになりました。多くの人がHIVやHCVに感染してエイズや肝炎で亡くなっています。起きた構造は同じようですが時間の経過や原因究明に仕方が英国と日本で違うようです。その英国と日本の違いに焦点を当ててエイズフォーラムで発表する予定です。エイズフォーラムでの薬害エイズを考える山の手の会は日時:8月4日(日)午...エイズフォーラム向けてー薬害エイズを考える山の手の会
今日は午後からオンラインで哲学してみる読書会と寺子屋江川塾があり、歴史と哲学を考える一日となりました。「ある姿」=「歴史」、「あるべき姿」=「哲学」現代はあまりにも機能主義に陥り哲学を忘れたように感じています。数字さえ合えば、システムさえ動いていれば、人間本来の姿を忘れてもよいのでしょうか。人間が崩壊していくような現代社会。今正に歴史と哲学の必要性を感じています。歴史と哲学を考える日ー寺子屋江川塾
今日はHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害訴訟の各地支援(北海道・東北・東京・名古屋・大阪・山口・福岡・大分・沖縄)の世話人会がオンラインでありました。それぞれの活動を情報共有して支援の拡大を行っています。全国津々浦々で活動を展開しています。HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)被害者支援ー全国津々浦々で
今日は夕方からHPVワクチン東京訴訟支援ネットワークの支援例会をオンラインと会議室のハイブリッド方式で行いました。参加者は両方合わせて30名で今後の活動について議論しました。10月の総会には原告被害者を中心に各地の被害者とも連携してサテライト会場も検討しようという企画も出ました。原告被害者の方は今でも多彩な症状で苦しんでいます。その被害者の生の声を多くの支援者に届けて支援の輪を拡大していこうと企画を進めています。被害者と共に運動を創りあげ被害者救済に結び付けよう!!HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)被害者支援に向けてーHPVワクチン東京訴訟支援ネットワーク支援例会
今月の寺子屋江川塾のテーマは大鳥圭介。江戸後期に医者の家に生まれ播州赤穂の地から閑谷学校・緒方洪庵の適塾を経て江戸に出て兵学を学び幕臣として取り立てられてからは歩兵奉行にもなりますが、時は幕末、幕府が崩壊して明治新政府が出来るも旧幕臣として戊辰戦争を最後の五稜郭の戦いまで参戦し敗北して投獄ーここで人生が終わると思うと、その才能が求められ明治新政府に出仕ー工部学校長、学習院院長、清国駐在公使を歴任して79歳の人生を閉じました。実に幕府が崩壊した時は35歳ーそれから44年生きました。同じように旧幕臣で幕府が崩壊してから明治を生きた勝海舟は46歳から77歳と31年生き、榎本武揚は32歳から72歳と40年生き、それぞれの分野で明治に活躍します。幕臣としての意地を失わず、本来の立場を失った後にも新しい時代を生きまし...喪失・挫折・失敗からの人生ー勝海舟・榎本武揚・大鳥圭介の人生から振り返る
薬害は繰り返されていますースモン・サリドマイド・エイズと近年繰り返されている薬害ーしかし薬害が起きる構造はすでに明治から存在しています。明治に起きた足尾鉱山鉱毒事件の起きた構造は、正に薬害が起きる構造と同じです。明治政府が殖産興業の中心である鉱山ー鉱業を推奨して企業が政府と癒着して起こした足尾鉱山鉱毒事件ー被害が大きくなると政府は鉱毒調査をしますが、原因である鉱山を停止せず鉱毒が流れ出た河川を修復しようと治水事業にすり替えて渡良瀬川流域の谷中村を廃村にして渡良瀬遊水地を作ります。そこには鉱業主だけでなく政府側にも歴史上の人物が関わっていました。構造的な問題でもう一つ指摘しておきたいのが薬害エイズの源流ともいえる関東軍防疫給水部いわゆる731部隊問題です。戦時中、関東軍はハルピン郊外に大きな化学工場を建設し...薬害が起きる構造は明治からあるー歴史の中で人は過ちを繰り返す
江戸時代には名君と呼ばれるお殿様がおりました。江戸前期では水戸藩主の徳川光圀、会津藩主の保科正之、岡山藩主の池田光政を三大名君と呼ばれていますが、他にも加賀藩主の前田綱紀、肥後熊本藩主の細川重賢、米沢藩主の上杉鷹山などもなかなかの名君がおりました。このような名君の共通点は、人倫の道を自らが学ぶべく学者を招いて学び藩校を創って自ら実践していること、そして苦しんでいる民のために名利を求めず救済の手を差し伸べていることです。このような名君が現代にはいないのか!?残念ながら自分の名前を売るために名利ばかりを求めているように感じます。江戸に名君ありー現代に名君はいないのか!?
今日は午後から九州の宮崎でHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)被害者の生の声を聞く学習会にオンライン参加しました。最近、全国各地ではHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)を積極的に進めようとする自治体が増え、学生などに宣伝をしていく傾向があります。それはワクチンが安全で副反応被害が無かったかのような形で進めています。副反応被害者は現在でも多彩な症状に苦しめられ悩んでいます。宮崎でも積極的にワクチンを進めているという状況の中で被害者と支援者は宮崎で学習会を開きました。今も苦しんでいる被害者と共に全国各地で活動を続けています。HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)被害者の生の声をー宮崎で学習会
今日は夕方からHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害訴訟全国弁護団のオンライン報告集会に参加しました。全国の原告被害者、弁護団、支援者がオンラインで集まり各地(東京・名古屋・大阪・福岡)の裁判所で行われている原告本人尋問の様子が報告されました。各地の裁判所では一日に2~3人の原告被害者が証言台に立って被害実態を発言しています。ワクチンを打ってから10年間も多彩な症状で悩まされ、学校の進学や希望の就職もあきらめ苦しんでいます。また学校では怠けていると言われ病院ではわかってもらえず、二重三重の苦しみを受けています。裁判の証言台に立つことはつらいことではありますが、原告被害者は被告側の質問に対してもしっかりと答えています。支援者としても原告被害者と共に活動を続けていきます。HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害訴訟全国弁護団オンライン報告集会ー被害者の苦しみが全国各地の法廷で証言されている
寺子屋江川塾の次回のテーマ大鳥圭介を調べながら、人物が生まれる基礎は何かを深く考えています。大鳥圭介は幕末に幕臣として歩兵奉行となり戊辰戦争、最後は五稜郭まで闘い明治政府に投獄されたのち学習院院長・工部大学校校長を歴任した人物です。実家は播州赤穂の医者の生まれ医業を学びながらも漢学に興味を持ち岡山藩の閑谷学校に学びます。閑谷学校は岡山藩主で名君の池田光政が熊沢蕃山を招聘して創った学校で武士だけではなく農民、庶民も受け入れました。この閑谷学校での学びが大鳥圭介の生涯の基礎となっていると言っても過言ではありません。国の基礎は教育とあらためて感じる今日この頃です。歴史が語る国の基は教育ー大鳥圭介から閑谷学校ー池田光政ー熊沢蕃山
昨日は勝海舟の会埼玉県歴史探訪でした。会のメンバーと史跡を散歩する中での対話が新しい気づきをもらい歴史の深さを感じました。本を読むだけでは歴史知識の積み重ねでしかないものを、その知識が、人との対話の中から歴史上の人物の人それぞれの人物評価の違いから、自分の人物評価の見直しを迫られます。それは決して重苦しい感じではなく新鮮な人との対話の中から生まれてくる新鮮な感じなのです。そこからまた歴史の深さを感じていきます。それは現代に生きる私たちへの歴史からの教訓なのです。歴史の深さを感じるのは人との対話の中から
今日は勝海舟の会埼玉県歴史探訪でした。朝、JR川口駅に集合してマイクロバスを借りて、午前中は川口市内の勝海舟ゆかりの場所(大砲鋳造と勝海舟の書のある神社)を回り、午後は関越自動車道を北上して深谷の渋沢栄一記念館と生誕の地へ行きました。参加者は皆和気あいあいと語りながらの歴史探訪でした。9月にはいよいよ勝海舟生誕200年(実際は昨年でしたが社会の諸事情を考慮して今年に)の記念講演会です。勝海舟の生き方を現代に、今年も活動します。勝海舟の会埼玉県歴史探訪ーマイクロバスで埼玉県を南北に横断
HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害訴訟の原告本人尋問が各地で行われています。本日は大阪の裁判所であり夕方の報告集会にオンライン参加しました。原告被害者はワクチンを打った10年前から今まで副反応被害に悩まされ続けています。体調が悪い中裁判所まで足を運び証言台に立っています。このような被害者は全国にたくさんいます。裁判の方は全国4地方裁判所(東京・名古屋・大阪・福岡)で原告117名もいます。他にも原告に参加していない被害者もたくさんいます。また副反応被害が発生して接種勧奨が一時中止されていましたが国が接種勧奨を再開した後にも被害者は出てきています。国は被害実態を調査して原因を究明し、被害者の治療方法を確立すべきです。HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)大阪訴訟原告本人尋問期日の報告集会
今日は夕方から飯田橋の東京ボランティア市民活動センターの会議室で薬害エイズを考える山の手の会の例会を行いました。今年夏のエイズフォーラムの準備のために話し合いました。イギリス政府が薬害エイズの件で公的な調査をして首相が謝罪したとのことー日本とイギリスと薬害エイズの対応の違いは何かー日本の薬害エイズ裁判は1996年に和解ー忘れさられようとしている薬害エイズー薬害エイズを風化させないためにどうしたらよいのかーいろいろ考えさせられる例会でした。次回は7月2日(火)19時からーさらにイギリスの出来事を調べながら議論します。薬害エイズを考える山の手の会ー日本とイギリスの対応の違いを考える