紅葉に鹿図鐔鉄色が黒々として艶がある。採り合わせが絵画的な図柄で、鹿の姿が景色に溶け込んでいるようでとてもいい。全体の風合いは古調だが、絵画的には進化しているのだろうか。優れた鎌倉鐔だと思う。紅葉に鹿図鐔
紅葉に鹿図鐔鉄色が黒々として艶がある。採り合わせが絵画的な図柄で、鹿の姿が景色に溶け込んでいるようでとてもいい。全体の風合いは古調だが、絵画的には進化しているのだろうか。優れた鎌倉鐔だと思う。紅葉に鹿図鐔
月に雁図鐔雁だけで他の要素が極めて少ない。鎌倉鐔としては珍しい意匠。薄肉に彫り込んで文様表現するという手法のみが鎌倉鐔で、鎌倉鐔の多彩さは薄れている。進化があったのかもしれない。月に雁図鐔
鳥図鐔これもいろいろな要素が配されているのだが、鳥が主題のようだ。以前にも紹介したが、透かしの曲線は何だろう。川を意味しているのであれば面白い感性と言えようが・・・良く分からない・・・鳥図鐔
梅花図鐔これも、いろいろな要素が取り込まれている鎌倉鐔らしい図柄の作。とりとめのないほどに多彩ながら画面構成に安定感がある。梅が主題。でも、表裏に亘って描かれている風にそよぐような植物と思えるのは何だろう。梅花図鐔
地紙散し図鐔文様的絵画的進化が進んだ図柄。屏風絵などを手本としたことが判る。手法は鎌倉鐔の典型。キノコのような透かしの意味は度々話題になるが、良く判っていない。京都の括猿が原型だとも云われるが、それも良く判らない。難しく考えず、霊芝が画題に良く採られていることから、キノコを意匠したものと考えていいのではないだろうか。地紙散し図鐔
蝶菊小透図鐔鎌倉鐔の製作時代は、実は良く判っていない。漠然と桃山頃と推測している。鎌倉鐔に施されている小透には必ず小縁が設けられている。応仁鐔が真鍮の線象嵌で縁取りされているように。その名残であれば、鎌倉鐔は時代が上がるとみていいのだろう。蝶菊小透図鐔
梅透に丁子図鐔鐔の彫刻の進化という点で捉えれば、鎌倉鐔以前に平坦な毛彫があり、鎌倉鐔の後にいわゆる精巧な高彫表現がくる。その途中だが・・・図柄構成に写実味が採り入れられることなく、むしろそれを飛び越して時代が数歩進んでしまったように思える。この鐔では丁子のような花、梅紋の透かし、雲の組み合わせ。梅透に丁子図鐔
山水風景図鐔風景の要素が組み合わされて絵画風に進化している。だいぶ細やかに描き込んだような作だが、鎌倉鐔の基本は守られている。平坦な鐔面を浅く彫り込み、文様を浮彫に表現するのが鎌倉鐔だ。山水風景図鐔
塔山水図鐔鎌倉鐔と呼ばれる一類の魅力を紹介している。地鉄が色合い黒くねっとりとしている。塔の描写は・・・素朴・・・決して上手とは言えない。だが、不思議な味わいがある。例えば、有名な金家の塔山水図鐔と比較して絵画表現として見てはいけない。絵画を超えたところにある、頭の中の風景を覗き見るような、他に類例のない鐔である。塔山水図鐔
風景図鐔鎌倉鐔という呼称はなんだかおかしいよね、ということについては何度も述べているので、もう言わない。特異な意匠について、たいへん魅力的であることを声高に述べたい。特異とは、風景の文様化に尽きるだろう。呼称に採られているような、鋤彫という技法の問題ではない。この鐔では、木瓜形の四部分、表裏で八カ所に、異なった風景の要素を配している。風景図鐔鎌倉
山水図鐔吉包鎌倉鐔には銘がない。ただ一点だけ「和州住吉包八十八歳」と刻銘された作がある。写真の鐔がその在銘作。この鐔は山水の要素を鐔面に散らした構図。この図を山水とは断言も出来ない。雲、松樹、草。水の流れなど要素のみが散らされている。極めて心象的な風景図である点が面白い。この時代に、このような作が生み出されたのだ。山水図鐔鎌倉
龍虎図鐔赤文描かれているのは虎のみだが、背後に渦巻く雲は龍の存在を暗示している。即ち龍虎対峙の図に他ならない。このような構成は比較的多い。龍虎図鐔赤文
龍虎図鐔一柳友善龍神図を得意とする友善が、龍と虎を対峙させている。友善は、もちろん龍以外の図柄を彫らせても迫力のある高肉彫に表現する高い技量を備えている。龍虎図鐔一柳友善
龍虎図縁頭政随迫力のある龍虎だ。特に龍の顔や身体に加えられた鋭い三角鏨が活きている。龍虎図縁頭政随
十二支図鐔薩摩小田派お寺さんの装飾に、十二支が描かれていることがある。それと同じで、六方を指し示す線は時や方角を表わすもの。龍虎というわけではないが、主題とされることが多い。後藤の作品に比較してなんと武骨な出来であろうか。薩摩の特徴が地鉄にも現れている。十二支図鐔薩摩小田派
十二支図鐔後藤後藤の作。綺麗に揃った赤銅魚子地に後藤の特徴が顕著な十二支が彫り描かれている。主題はどうやら龍虎のようだ。十二支図鐔後藤
十二支図鐔藻柄子宗典赤銅魚子地高彫象嵌色絵といった工法は、宗典には珍しい。決して魚子地が上手というわけではないのだが、とても迫力がある。なにより、十二支を一つの絵画の中に収めているのが面白い。表には龍虎対峙の場面。十二支図鐔藻柄子宗典
雲龍図鐔藻柄子宗典肉彫地透による龍神。越前鐔工にもこのような構図の龍神図が多い。だが金象嵌を効果的に採り入れている点が異なる。宗典に限らず、円形の鐔に彫り描かれた龍神は、水晶玉に取り込まれてしまった龍神のようで、いつここから飛び出してくるのだろう、といった思いで眺めることが多い。雲龍図鐔藻柄子宗典
波龍図鐔藻柄子宗典高彫表現の鐔。人物が描かれていない。躍動的な高彫に金象嵌。動きがあるのは龍神だけでなく、激しく吹きつける風、打ち付ける波も鐔の中で暴れまわっている。かつて、初めて見たとき、宗典にこのような作品があることにとても驚いた記憶がある。波龍図鐔藻柄子宗典
貴人図鐔藻柄子宗典古代中国の・・・何の場面だろう、登場人物も良く判らない。我が国の歴史伝説でも判らない画題があるのに、古代中国の説話が題材では、もっと分からない。地透のない高彫象嵌手法。貴人図鐔藻柄子宗典
蛍図小柄後藤廉乗後藤宗家十代廉乗の作であることを、同十六代光晃が極めた作。古式の赤銅魚子地高彫された地板嵌め込み式ではなく、直接彫り込んだもの。裏板に川辺の様子を銀で表現している。地板に刻された鑢も川の流れを想わせる構成。この鑢目が興味深い。蛍図小柄後藤廉乗
寿老人図小柄後藤悦乗朧銀地に毛彫と、ごくわずかな量感を持たせた肉合彫風の手法で彫り描かれている。裏板は片切彫。悦乗は程乗の子。寿老人図小柄後藤悦乗
鯨図小柄岩本派表に鯨の頭の辺りのみ描いている。このような部分の描写だけでも鯨と理解できよう。裏面が波。鯨図小柄吉岡因幡介照次表の表現はよく似ている。面白いのは裏板に鯨漁の様子が片切彫で描かれているところ。波文だけでは物足りなく感じられたのであろう、裏面は平滑に仕立てられるため、毛彫や片切彫とされる。右端に小さく描くことによって大海原の様子が一層強く感じられる。鯨図小柄二題
扇流し図小柄古金工幅広く少し長めに仕立てられた、所謂大小柄。扇流し図は、川に落としてしまった扇が、流されることによって思わぬ美観を呈したことから図に採られたというエピソードがある。着物や他の器物の図として頗る多く、またこれが展開されて破れ扇図が生まれたのも面白い。背景は具体的な描写もあるが、所謂青海波文に簡略化された例も多い。この小柄は、表の扇の背景が立波、小柄の裏面が青海波風の線描写。裏行きにまで美観が求められたものである。扇流し図小柄古金工
鏃図小柄程乗作光壽(花押)小柄にも表裏がある。小柄の裏面は、小柄櫃に収められているため、拵に装着されている状態では見ることができない。多くは平滑に仕立てられて鑢が切り施されているのみで装飾がない。後藤の作では金の薄板が焼き付けられた金哺(きんふくみ)とされる。時に小柄の裏面にも装飾が施されることがある。例えば、後藤家でも江戸時代中頃には装飾性の高い裏板とされるようになる。加賀前田家に出仕した理兵衛家の顕乗や程乗などが優れた作品を遺している。写真は程乗と極められた小柄。赤銅地に金の削継。次は加賀金工の小柄で、朧銀地に金の割継。さらに三つ目は時代の降った町彫金工の作で、色金が多用されている。鏃図小柄後藤程乗虫尽図小柄加賀金工月に雁図小柄無銘園部鏃図小柄後藤程乗
達磨図鐔一東子龍翁金家も達磨図鐔を製作しているが、本作は金家とは表現が全く異なっている。裏面は達磨大師が揚子江を葦に乗って渡ったという伝説を意味し、表は壁に向かって座り続けた修行の様子。いずれも伝説ながら具体的な情景を想わせるような試みとしている。達磨の左側の余白に彫り込まれた短い斜めの刻線は洞窟に射し込む陽の光であろうか壁面を意味しているのであろう。すると、かなり具体的になり、余白ではなくなる。ではない方がいいのだろうか。いや、ほんのわずかの加刻だが、かなり効果的だと思う。達磨に光明が射し込んできたことを暗示しているとは考えすぎか・・・達磨図鐔一東子龍翁
蝸牛図鐔政随鐔の下方に蝸牛。中間から上は平滑に仕上げられているのみ。地鉄に凹凸も鑢目もない。これも余白なのであろうか。一つ気になるのが耳の処理だ。打ち返し処理がなされていることによって鐔の耳が端部でなくなり、広がりを生み出している。金家とは違った意味での空間表現と捉えて良いだろう。蝸牛図鐔政随
塔山水図鐔金家多分写真だけでは理解していただけないのではなかろうか。実物を手にしたとき、ちょっとした光線の加減で様々な景色が見えてくることがある。でも、金家とはそのような視覚的な問題でもなさそうだ。主題の図柄はどうでもいいわけではないが、鉄そのものが滲みだす風合いも鑑賞の要素であることは、同じような古甲冑師や古刀匠鐔の例で理解できると思う。良い作品を実際に掌の中で、指先で鑑賞することだ。金家を説明すると、つい観念的になってしまう。塔山水図鐔金家
猿猴図鐔金家簡単に言うと、何も描かれていない部分があるのだが、そこに景色が感じられたらそれでいい。金家とはそのような作品である。猿猴図鐔金家
飛脚図鐔金家羅漢図鐔金家余白を巧みに表現した鐔工として第一に挙げられるのが金家。因みに、この金家も基本的に表裏異なる図柄を彫り描いている。飛脚図や猿猴図は山中に取材したものと捉えれば表裏連続しているが、羅漢図のような表に主題を描き、裏面を京都近辺に取材した山水図にした例が頗る多い。猿猴図も飛脚図も達磨図もみな同じ意識下にあると考えて良いだろう。鐔より水墨画で視点となるのが余白。鐔においてその空間美を追求したのが金家とも言えようか。さて、余白だが・・・まずはじっくりと鐔を鑑賞してほしい。飛脚図鐔羅漢図鐔山城國伏見住金家
山水図鐔古正阿弥これも表裏の図変り。確かに山水で関連しているのだが、視点が異なる。意図しての図変わりであることは間違いない。山水図というと金家を思い浮かべるのだが、金家は余白を活かした鐔を遺している。比較すると、似たような題に取材していながら趣がずいぶんと異なっている。これはこれで面白いことは確か。鎌倉鐔も同様に間を埋めるように様々な素材を配置しているのだ。山水図鐔古正阿弥
春蘭図鐔梶田政晴これも表裏図変わりなのだが、こうなると意味合いがぐっと身近になってくる。裏側の金銀の平象嵌散しを、色紙の裏の装飾と捉えれば、表裏の意味がわかり易い。春蘭図は、背景を省略して主題を鮮明に浮かび上がらせている。即ち余白を活かした表現。春蘭図鐔政晴
黄石公に張良図鐔古金工裏が木賊刈図の表裏図変りの鐔。鐔の表裏で図が異なっている作例が間々ある。特に時代の上がる金工鐔に見られるのだが、その意味、目的が判らない。この作例では謡曲に原題が求められそうである。唐草文図鐔古金工これも同じ風合いだが表裏図柄が異なっている。山水図鐔古金工これも表裏異なっている。なぜなんだろう。表裏付け替えが可能で・・・ということなのだろうか。先人の研究者はこれについての答えを出していない。古金工