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  • 菊松梅図鐔 貞栄

    菊松梅図鐔貞栄菊松梅図鐔貞栄砂張象嵌を用いた描法も、時に鑑賞者を惑わすような風合いを生み出すことがある。何より下地が鉄地で、象嵌金属砂張の色調が鉛色という、華やかさの微塵もない、なんとも沈んだ色調の金属であるところがむしろ面白く、表現の要となっているところでもある。普通はもう少し図柄にメリハリがあるのだが、この鐔では梅と松葉の面において、砂張に生じた微細なくぼみが霧の中にある景色のように、霞んでいるように感じられる。菊の花も多数のくぼみが生じてそれ自体のおもしろみがあるのだが、こちらも周囲の唐草文が霞んでいるように感じられる。金属の収縮による微細なくぼみは偶然の所産ながら、もちろん意図してこの文様を創出したのであろう、沈んだ色調ながら鮮やかな技法と言わざるを得ない。菊松梅図鐔貞栄

  • 破扇図鐔 正阿弥金十郎 Kinjuro Tsuba

    破扇図鐔正阿弥金十郎破扇図鐔正阿弥金十郎以前にも紹介したことがある。水に投げ落とされた扇が、破れ朽ちてゆく様子を文様化した作。この様子を、金銀の布目象嵌、下地である鉄地の鍛え肌を焼手腐らかしの手法で流文状に肌目が浮かび上がるようにし、さらにごく浅い肉彫で水の流れを描いている。これらの要素が重なり合い、なんとも不明確な鐔面となっている。形のないものが刻々と移り変わってゆく様子、その瞬間をとらえた図柄。扇の地紙が水に溶けてゆくような、動きが感じられるのも面白い。写真は薄肉彫の流れが際立つようにライトを加減しているが、実際にはもっと地鉄に溶け込んでいるかのように見えにくい。破扇図鐔正阿弥金十郎KinjuroTsuba

  • 桐樹図鐔 久法 Hisanori Tsuba

    桐樹図鐔久法桐樹図鐔久法埋忠明寿を見るような墨絵象嵌からなる作。墨絵象嵌とは、明るい背景に赤銅などの暗い色合いの金属を平象嵌することにより、あたかも墨で描いたような視覚効果を狙った彫刻手法。この鐔では、下地である真鍮地も抑揚のある表面状態から濃淡変化があって古びた色合いを呈しており、桐樹は赤銅であろうか、山銅であろうか、地に溶け込んでいるかのような風合い。きりっと際立つような描法でないところも墨絵風であり、味わいが格別。墨絵には、墨が滲んで広がる様子を絵に採り入れる手法があり破墨と呼ばれる。そのような雰囲気も備わっているように感じられる。桐樹図鐔久法HisanoriTsuba

  • 鉄拐仙人図小柄 乗意 Joui Kozuka

    鉄拐仙人図小柄乗意鉄拐仙人図小柄乗意この小柄では3つの要素が、実体の不明瞭な、鉄拐から離れてゆく霊魂を表現する要素となっている。実体として体を持つ鉄拐仙人は、正確な構成と彫刻によってリアルに描き出している。これも実態不明の霊魂をより不確かな存在として感じさせる工夫であろう。素材が朧銀地であることも重要で、このもやもやとした背景は朧銀地ならではのもの。鉄拐の口から出て浮遊する霊魂はぼかしを利用した平象嵌。象嵌の境界はもやっとして地に溶け込んでいるように感じられる。さらに立ち上る気のようなものを、微細な点刻の中に色合いの黒い別の金属(赤銅であろう)を平象嵌しているのである。金工芸術の面白さは、図柄だけではないことを証している作品である。鉄拐仙人図小柄乗意JouiKozuka

  • 紅葉に鹿図鐔 加賀 Kaga Tsuba

    紅葉に鹿図鐔加賀紅葉に鹿図鐔加賀金工では技法として難しい、ぼかしを活かした作品を紹介している。霧の中に佇む鹿と紅葉が主題。拡大しなければわからないだろう、鐔の全面に細かな石目地が打ち施されている。その中に、石目を打たない磨地によって紅葉の枝や下草の萩を描いている。普通、鏨を加えて描くのだが、ここでは逆の手法を採り、彫らないことで描いている。これよって、霧の中に浮かび上がるような、あるいは夕暮れ時の景色のような、不確かな空気のありようが見えてくる。紅葉に鹿図鐔加賀KagaTsuba

  • 蟹図鐔 高山 Kouzan Tsuba

    蟹図鐔高山蟹図鐔高山背景の真鍮地を腐らかしにして、独特の地模様を浮かび上がらせている。酸による腐らかしを用いると、下地である真鍮に含まれている合金の素材の叢などが影響して意図せぬ景色が生ずる。微塵に、均質に素材が錬り合せられていれば地模様など出ないのかもしれないが、この地模様が面白い。ここでは磯に打ち付ける荒波、その砕けた泡を意図しているのだろう。波濤図、立浪図など、古典から既に波の表現方法があるも、それらを用いず、一部に流れを鋤彫で表すだけで、実体としてとどまることのない波を表現しているのだ。偶然の所産は芸術ではないという方もおられようが、破墨に似て、この技法を活かした作品は金工だけのものとして、興味深く鑑賞したいものだ。蟹図鐔高山KouzanTsuba

  • 群蝶図鐔 正阿弥政徳 Masanori Tsuba

    群蝶図鐔正阿弥政徳群蝶図鐔正阿弥政徳蝶の羽模様を様々な文様で描き表している。金と銀の布目象嵌によるものだが、線、丸、点を組み合わせると、華々しい画面になる。京の正阿弥派の得意とするところだ。だが、視点を背景に移してほしい。地面に施されている虫食い状の穴は何を意味しているのだろうか。何となく実体の不明な、何やら漂っているような、不思議な空気感である。これを春独特の気だるさと捉えると、作者の感性の豊かさに驚かされることになる。筆者だけの見かたかもしれないが、頗る面白い表現である。群蝶図鐔正阿弥政徳MasanoriTsuba

  • 牡丹に雪図鐔 埋忠彦右衛門 Hikoemon

    牡丹に雪図鐔埋忠彦右衛門牡丹に雪図鐔埋忠彦右衛門冬に花開く牡丹。雪の積もった笹を添え描き、華やかな印象が漂う構成としている。牡丹は銀布目象嵌だが、その周囲に金布目象嵌により唐草文を施している。枝葉の表現ではなさそうだ。すると牡丹が放つ高貴な香りを表現したものか。唐草というと、植物が持つ永遠の生命感を意味することが多いのだが、もちろん牡丹の植物としての風合いをも加味して、実体のない香りをこのような文様美として表したものと捉えたい。牡丹に雪図鐔埋忠彦右衛門Hikoemon

  • 雪輪文図鐔 埋忠重義 Shigeyoshi Tsuba

    雪輪文図鐔埋忠重義雪輪文図鐔埋忠重義埋忠派の金工は、事物を文様表現するを得意とした。紅葉と桜があるも、この鐔では雪そのものが主題であろう。江戸時代後期には雪の結晶の研究が進んだ結果、雪華文として様々な器物にデザインされている。それ以前は、雪というとこのようなふんわりとした文様で描き表され、雪輪という。ここでは雪輪を金銀の布目象嵌で、やはりぼかしの手法をとって、雪を実体の不明瞭なものとして描いている。雪輪文図鐔埋忠重義ShigeyoshiTsuba

  • 雪月花図鐔 壽矩 Toshinori Tsuba

    雪月花図鐔壽矩雪月花図鐔壽矩東龍斎清壽の門人は、いずれも上手であり、感性も優れている。この雪月花の図も多くみられる画題で、多様な意匠とされ、東龍斎派以外でも題に採っている例をみることがある。この鐔は過ぎることのない装飾。鐔全体を微妙な薄肉彫で雪雲に表現し、その所々に美観の要素を散し配している。雲の隙間に霞んで見える三日月は銀の布目象嵌。雪も薄肉彫で柔らかく表現しており、所々に結晶が光る構成。このおぼろな月の描写がいい。雪月花図鐔壽矩ToshinoriTsuba

  • 萩に鹿図鐔 壽景

    萩に鹿図鐔壽景萩に鹿図鐔壽景壽景は東龍斎派の名工。鉄地に揺れるような不定形の額縁、あるいは窓を設け、ここから覗き見たような構成を得意とする。この鐔では、洞穴のような部分を金銀布目象嵌で、実体不明の何かがあるような、不思議な雰囲気に仕上げている。この鐔に描かれているのは洞穴のようで洞穴ではない・・・するとなんだろう。空気感であろうか。遠い記憶の中に見た、霞む景色を思い出しているのであろうか。萩に鹿図鐔壽景

  • 桜に燕図鐔 盛親 Morichika Tsuba

    桜に燕図鐔盛親桜に燕図鐔盛親盛親は東龍斎派の金工であろう、その特徴的な図柄構成と、布目象嵌を巧みに、春のおぼろな風景、山をおぼろに包む桜の樹叢を表現している。金の布目象嵌で遠望の様子とし、間近の桜と燕を拡大して描き添え、耳際の銀布目象嵌は春霞か桜の香りか、心象的な景色としている。美しい構成であるし、このような表現は他に例がない。□桜に燕図鐔盛親MorichikaTsuba

  • 春霞図鐔 中川一匠 Ishou Tsuba

    春霞図鐔中川一匠春霞図鐔中川一匠春の花と蝶を描いている。頗るわかり易い図柄だが、蝶が誘われてくるのは花の香りがあるからに違いない。春のおぼろな空気感と花の香りが、二つの技法によって表されている。一つは朧銀地という、淡い調子の金属が持つ風合いの活かし方であろう。微細な石目地で朧銀地が春の空気そのものを鑑賞者に伝えてくる。もう一つは微細な金の粒を流れるように木々の背後に梨子地象嵌しているところ。春霞であり、また花の香りをも暗示するぼかしの描法である。春霞図鐔中川一匠IshouTsuba

  • 牡丹図鐔 吉岡因幡介 Yoshiokainabanosuke Tsuba

    牡丹図鐔吉岡因幡介牡丹図鐔吉岡因幡介特に太陽や月の表現方法について紹介しているわけではない。実体のない雲や煙のようなものの表現、絵画とは異なる金工作品においてのぼかしを使った作品を眺めている。魚子地の下に主題を描くことによって、図柄に柔らか味がうまれ、香りのような不確かなものが表現されるように感じられる。牡丹の香りは古くから尊ばれている。平象嵌の上に魚子地を打っている。作者は美観としての新しさを求めたものかもしれないが、それ以上に描いて伝えることができない何かを感じてしまう。面白いと思う。魚子地の粒が揃っているため、モアレが生じて見にくいかもしれません。ご容赦を。牡丹図鐔吉岡因幡介YoshiokainabanosukeTsuba

  • 萩に月図小柄 柳川直時 Naotoki Kozuka

    萩に月図小柄柳川直時萩に月図小柄柳川直時水に映った月。これも魚子地の下に月を描き、うすぼんやりとした、捉えどころのない月としている。それを背景に暗闇に浮かび上がる萩を鮮明に描いて対比を成しているところなど、見事な演出と言えよう。萩に月図小柄柳川直時NaotokiKozuka

  • 夜狐図鐔 壽松斎東意 Toui Tsuba

    夜狐図鐔壽松斎東意夜狐図鐔壽松斎東意赤銅魚子地を活かした作品。綺麗に揃った魚子地が夜の涼やかな空気を表わしている。月は魚子地の表面に鮮明に描かず、魚子地の下に銀の平象嵌を施すことによって穏やかに、霞むように描いている。月明かりに浮かび上がる狐の営みを垣間見せている作で、なんて素敵な描法なんだろう。この場面ではこの月がいい。夜狐図鐔壽松斎東意TouiTsuba

  • 月に梅図小柄 春明 Haruaki Kozuka

    月に梅図小柄春明月に梅図小柄春明三日月の頃、月の陰っている部分がぼんやりと見え、月の輪郭が分かるといった状況に出会ったことがあるかと思う。地球からの照り返しが、本来であれば暗くて見えない月の陰になっている部分をわずかに浮かび上がらせる現象で、地球照という。空気の澄んだ冬場に多く見られる。その現象を表現しているのが面白い。色違いの朧銀で不思議な現象を明示している。月に梅図小柄春明HaruakiKozuka

  • 梅に月図縁頭 政随 Shozui Fuchigashira

    梅に月図縁頭政随梅に月図縁頭政随2点の鐔で紹介したように、月や太陽をおぼろに表現したい場合、布目象嵌の手法が採られることが多い。おぼろ、ぼんやりとした状態、捉えどころのない雲の様子、実体のない存在などのぼかしの描写方法について説明している。この縁頭の図は三日月だろうか、雲に隠れつつある満月だろうか。真冬の凍るような冷たい空気感を示す明確な輪郭とは対照的に、下半には雲のような何かを描いて三日月に仕立てている。面白い描写だと思うがどうだろう。梅に月図縁頭政随ShozuiFuchigashira

  • 浜松千鳥図鐔 政随 Shozui Tsuba

    浜松千鳥図鐔政随浜松千鳥図鐔政随清乗の描いた鐔と同じ場面。同じ要素が採られているのだがだいぶ違う。中景がないのである。磯馴松の背後に大きく夕日を捉えているところなどは確実に太陽も、その手前の松も、そして群れ飛ぶ千鳥も主題である。特に表の千鳥は表情も様々で、最も描きたかった題材に違いないと思わせる。かろうじて布目象嵌で斑を施すことにより、西の空に低く明るさの弱まった太陽を表現している。ぼかしは太陽のみに採られている。浜松千鳥図鐔政随ShozuiTsuba

  • 浜松千鳥図鐔 後藤清乗 Seijo Tsuba

    浜松千鳥図鐔後藤清乗浜松千鳥図鐔後藤清乗描かれている事物とえば、浜辺の風景の要素である松、千鳥、波、雲、遠く沈みゆく太陽だが、作者はこの要素を描きたかったのだろうか。この事物を埋め尽くしている場、即ち空気感を表現したかったと考えたなら、何も描かれていない部分に意味が生じてくる。実体を鮮明にするのではなく、棚引く雲に金の布目象嵌、弱くなった太陽には銀の布目象嵌を施している。表の雲もまたすぎることのない薄肉彫で、いわばぼかしの手法が、金家の鐔と同様に全面に採り入れられている。浜松千鳥図鐔後藤清乗SeijoTsuba

  • 達磨図鐔 金家 Kaneie Tsuba

    達磨図鐔金家達磨図鐔金家山水図を、あるいは一光の作風の流れを遡ってゆくと金家に到達する。金家は、主題の背景に山水を描いたり、主題を表に、裏に山水を描くなどした作品を残している。金家が、後の多くの金工に空間描写、空間の演出を教えたといっても良いだろう。何も描かれていないように見えるが、多くのことを語っている。見るものに思索を与えている、というべきか。見る者によってこの空域が様々に変化するであろうし、意味を持つ。金家は禅に通じていたと、あるいは禅画を描いたと言われ、特に達磨を描いた鐔は、単に描かれている主題を鑑賞するものではない。達磨図鐔金家KaneieTsuba

  • 山水図鐔 正阿弥一光 Iko Tsuba

    山水図鐔正阿弥一光山水図鐔正阿弥一光これでもか、というほどに濃密に空域を描き出した若芝の山水図に対し、この作者は中間の景色をなくし、遠景を雲の隙間にわずかに顔を出しているかのように表現している。中間を省略している・・・のではなさそうだ。というのは、何も描かれていないように感じられる中間部分には、焼手腐らかしによって微妙な凹凸を施しているのだ。穏やかな凹凸は雲か、空気感か。一光はぼかしをこのように用いた。山水図鐔正阿弥一光IkoTsuba

  • 山水図鐔 若芝 Jakushi Tsuba

    山水図鐔若芝山水図鐔若芝山水図の多くは遠く連なる山々から岩の上に佇む人物など近景まで描いたもので、その深遠なる空域を借りて心を遊ばせるといった意味を持つ。近くの木々や人物を鮮明に描き、遠くなるにつれて形状が不確かな岩となり、遥かかなたは霞んだ山並みとなる。若芝は、その表情を様々な布目象嵌で表した。ざっと眺めただけではぼんやりとした景色だが、拡大すると細い線は流れるようであったり、点であったり、クロスしていたりと変化に富んでいる。遠くの山の頂は雪を被っているようでもあり、雲は流れているようにも感じられる。若芝のぼかしの描写は布目象嵌の変化形である。山水図鐔若芝JakushiTsuba

  • 雨龍図鐔 西垣勘四郎 Nishigaki Tsuba

    雨龍図鐔西垣勘四郎雨龍図鐔西垣勘四郎甚吾でも紹介したが、肥後金工の多くはこのような龍を彫り表わしている。何とも実体が判らない存在、というか気配。絵画をより分からなくしているのが、銀の布目象嵌の技法である。銀は空気中の硫黄分と反応して独特の色合いを呈する。同時に、周りを侵食するように滲んでゆく。その風合いが見事にこの鐔の図柄として活かされている。墨絵でいうところの破墨、滲みの技法である。龍とはこのようなもの・・・なのである。雨龍図鐔西垣勘四郎NishigakiTsuba

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