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  • 『昭和天皇物語』能條 純一 その17

    泥沼に入っていく。 ネタバレします。 昭和13年1月 近衛文麿首相が「爾後国民政府を対手とせず」という声明を出す。 後に裕仁はこの声明をどういうつもりで発したのか、と問うが近衛は「私自身南京陥落で浮かれていたのでしょうか。自分でもよくわからず悔やんでいます」と答えた。 近衛首相は山東省にいた板垣征四郎に陸軍大臣として入閣をお願いしたいと伝言する。 秩父宮雍仁は満洲へ赴いていた。 石原莞爾は「支那との戦争はもう限界です。日支戦争は無益な戦争であります」と言い殿下もこれに同意した。 新京では東条英機が待っていたが彼もまた近衛首相から呼び出され陸軍次官となる。 秩父宮は一か月間満洲を視察し日本人が威…

  • 『昭和天皇物語』能條 純一 その15

    ネタバレします。 昭和12年1月25日午前1時40分宮城 宇垣一成参内。天皇に内閣組閣を命じられる。 これを聞いた石原莞爾は大いに嫌うが梅津美治郎は「軍部大臣現役武官制を使えばいいじゃないか」とあっけなく言う。軍部大臣は現役の軍人に限定する制度、要するに陸軍は宇垣内閣には陸軍大臣を出さない。陸軍大臣がいなければ組閣はできない。空中分解だという意味である。 宇垣は万策尽きた。 天皇は次いで林銑十郎に白羽の矢をあてる。だが林も結局おなじだったのである。 6月4日、貴族院議長、近衛文麿が宮城に参内した。 天皇は訊いた。「陸軍の横暴を抑えられるか」と。 近衛の返事は「ない、なんとか」であった。 第34…

  • 『昭和天皇物語』能條 純一 その15

    おかわいそうです。 ネタバレします。 2月27日午前3時50分戒厳令公布。 満洲国を創った石原莞爾が急遽戒厳司令部の責任者に任命される。 まずは天皇陛下に奉勅命令を出していただく。反乱部隊は直ちに原隊に戻れの奉勅命令だ。 午前8時45分。杉山元参謀次長参内。 石原莞爾の言葉を伝えるがそれに杉山は「しかし当面は皇軍相撃ちを避けたいと思いますのでこの命令の交付の時間についてはもうしばし後に」と付け加えた。 これに裕仁は尋ねる。 「秩父宮は今、どこにいる」 「226事件」 今まで私は青年将校らの革命と思っていたのだけど兄弟間の争いの事実があり得たのかもしれない。 安藤君が言っていた「秩父宮を天皇とし…

  • 『昭和天皇物語』能條 純一 その14

    この点目の陛下が大好きです。 右の方が鈴木貫太郎さん。 ネタバレします。 安藤輝三が歩3に帰ると村中孝次が来ており「眞崎甚三郎閣下が教育総監を更迭された」と知らせた。「これは間違いなく永田鉄山軍務局長を中心よして統制派による我ら皇道派弾圧の陰謀だ」そして安藤らに「怒れ怒れ」とけしかけてきた。 「永田率いる統制派は君側の奸と結託し日本を破滅に追いやっていく。安藤。きみはそれでいいのかーっ」 昭和10年7月18日、相澤三郎は汽車で東京駅に到着した。 陸軍省を訪れ昔のよしみで大臣秘書官室に在籍する有末に「永田鉄山に会えるよう」頼んだ。 葉山で静養中の裕仁を鈴木は訪問し(それが上の画)〝歩3”の中隊長…

  • 『昭和天皇物語』能條 純一 その13

    つらい。 ネタバレします。 昭和7年12月8日スイス・ジュネーブ国際連盟本部 国際連盟総会。 日本全権の松岡洋右は最初「日本国の軍事行動には一片の非もありません」として「我が国民の大多数は今なお連盟の味方であると。これまでのようになお忠実に国際連盟に留まろうとしている」と主張していた。 が、英国からの妥協案「満洲国を国際管理の自治地域とし、顧問として日本人を用いる」を外務大臣内田康哉に送ると「満洲国を手放せと言うのか、私に死ねというのか」と返され松岡は苦しむことになる。 昭和8年1月 松岡は考えていた。「日本はかの日露戦争の結果において中国・満洲における様々な権益を勝ち取った。広々とした大地。…

  • 『昭和天皇物語』能條 純一 その12

    ネタバレします。 白川大将が指揮した上海派遣軍は中国軍を撃退し上海を元通りにすると停戦命令を出した、という報が成される。 裕仁は安堵した。 満洲長春では板垣・石原もこの報を聞きあきれていた。 しかし「それより」と石原は言う。「板垣さん、リットン調査団って知ってるか」その調査団が満洲に来る前に「満洲国を作ってしまおう」 昭和7年2月9日東京・本郷駒本小学校前、午後8時。 前大蔵大臣、井上準之助が凶漢に狙撃され絶命。 雍仁は兄宮を訪ね「関東軍は満洲国という国を作ろうとしています」何も知らない裕仁に雍仁は「あるべき親政を」と伝えた。 2月29日横浜港 予定通りリットン調査団が来日。 同じ頃、満洲新京…

  • 『昭和天皇物語』能條 純一 その11

    幸せそうな天皇のひととき。 ほんとうに大変なんだよ天皇って。 ネタバレします。 節子(さだこ)皇太后、やっぱキシリア・ザビにしか見えん。 日本でこういう女性の描写が少ないからなんだろうけど。 本作のキャラクター(っていうのもおかしいが)で屈指の存在。 初読みで皇太后が一番印象的だったしドラマ化したら一番人気になるのは確実。 キャスト誰かなあ。あの人この人。 東京青山東御所(節子皇太后住居) 皇太后は「陸軍は天皇家を馬鹿にしているのか」と牧野伸顕に話しかけていた。 陸軍は天皇の承認なしに「朝鮮を守る為の日本兵」いわゆる‶朝鮮軍”が満洲へと越境したのである。 皇太后は裕仁は何故陸軍大臣や参謀総長を…

  • 『昭和天皇物語』能條 純一 その10

    ネタバレします。 昭和4年9月 皇后、内親王(女子)出産。 元・宮内大臣田中光顕が側室候補の写真を携えて宮内省を訪れる。 雍仁、節子(あれ、勢津子になってないのね)をつれて参内。節子妃は流産をして髪を切っていた。 (出産が女性を苦しめる世界はおぞましい) 裕仁は雍仁に世界恐慌の波は日本も襲うだろうと話す。 日本の第27代内閣総理大臣は濱口雄幸。 ロンドン軍縮会議では若槻礼次郎を首席全権として軍縮で軍事費削減を望んでいた。 裕仁もまた軍縮条約の締結を望んでいたが雍仁は陸軍に所属する者として軍事費の削減を案じて兄に考え直してほしいと伝えにきたのであった。 しかしライオン宰相と呼ばれた濱口総理は官吏…

  • 『昭和天皇物語』能條 純一 その9

    鈴木貫太郎氏とその妻タカ。 タカは昭和天皇の幼少期迪宮様と呼ばれた時期の御用掛だった女性で裕仁はずっと彼女を母のように思っていたと語っている。 ネタバレします。 4月の枢密院本会議に疲れる昭和天皇。 そして陸軍歩兵第三聯隊では秩父宮が初めて永田鉄山に出会う。 「永田の前に永田なく永田の後に永田なし」 永田は秩父宮に「もはや戦争は軍人だけのものにあらず。全国民が一丸となる総力戦となるもの」と訴える。 第26代内閣総理大臣は田中義一となる。 在米国日本大使館を訪れたのは皇太后の使者となった樺山愛輔だった。 娘同士が大親友ということで彼が選ばれたのである。 しかしその目的を聞いた松平恆雄は「普通の娘…

  • 『昭和天皇物語』能條 純一 その8

    安藤輝三です。 ネタバレします。 上の画像の上段コマの人物が裕仁の弟・秩父宮雍仁。雍仁は陸軍に所属しており安藤輝三から慕われていた。 安藤輝三は後に2・26事件に大きく関与する。 節子(さだこ)皇后は再び女子学習院に赴き松平節子(せつこ)を呼び出し直接会話する。 その内容は「お前の母・信子は私の御用掛だった。渡米する前に必ず宮中に参内するよう、その時はおまえも一緒にな」というものだった。 さらに「渡米してもおまえはパーマネントをかけたり髪を切ってはいけないよ」と忠告した。 節子の父・松平恆雄は特命全権大使として家族でアメリカに行くことになったのだ。 そして秩父宮雍仁は2年間のイギリス留学をする…

  • 『昭和天皇物語』能條 純一 その7

    本作、一番のイケメンが裕仁親王である。 ネタバレします。 宮城では摂政の宮に山本権兵衛が加藤総理急死のご報告に参上していた。 次の総理は山本自身だと聞き裕仁は「総理についたあかつきには陛下のもとにいの一番でご挨拶に参内してほしい」と頼んだ。 大正12年9月1日午前11時56分。 天皇は空を見上げていた。 皇后が「さ、お上。お昼の御膳を」と言った次の瞬間、激しい揺れが襲った。 皇后は天皇を外へ運び出す。 声をかけてきた四竈に東京へ「陛下はご無事だと伝えて」と言い「そして裕仁の安否を確かめなさい」と続けた。 電話がつながらないという四竈に警備の近衛部隊に伝書鳩を飛ばすように頼むのですと答える。 宮…

  • 『昭和天皇物語』能條 純一 その6

    前回のイーペル戦場跡に行った場面です。 ネタバレします。 さて 日本、東京では期待されていた‶普通選挙”が設立されなかったという国民の怒りの声が原敬総理に投げられていた。 また帝国陸軍からは‶シベリア撤退”が不満を噴出させていた。 原総理は「本格的に全国遊説を始めるしかない」と決意する。側近らは「今は危険だ」と反対するが原は「宝積(ほうじゃく)人を守りて己を守らず。人に尽くして見返りを求めない」という信念を持っていた。 だがそんな原敬を狙う一人の男がいた。 大正10年初夏。小田原の古稀庵の庭で山縣有朋が新聞を読んでいた。 皇太子一行が最後の訪問国イタリアでサンピエトロ大聖堂拝観したという。 そ…

  • 『昭和天皇物語』能條 純一 その5

    『ローマの休日』のような、かな?? 皇子様の大冒険。 ネタバレします。 原敬総理の後押しで裕仁皇太子はついに欧州へ旅立つ。 お召し艦「香取」に乗って。 しかしお供は年配者ばかりで・・・気の毒と言うか、そういうものと思っておられるものか、せめて同年配はいなかったのか。 そして初めての洋行話につきもののステーキをどう食べるか、スープ音立てるな問題が。 だが、周囲のおじさま方が次々と船酔いで撃沈していく中で皇太子は船酔いしないという。 そして漢那艦長に「沖縄にはイラブウナギがいるのだろう?」という質問をして香取は沖縄中城に寄港する。 そして次は香港へ。 朝鮮の(この言葉を打つために何度も「貂蝉」と打…

  • 『昭和天皇物語』能條 純一 その4

    カッコいいとこ見せる皇太子です。 ネタバレします。 母方から薩摩の血統を継ぐ久邇宮良子を絶対に皇太子妃にさせたくない長州の山縣有朋に「良子の兄弟に色弱の疑いがある」と報告が入る。 おそらく島津家に色弱の遺伝子を持つ疑いがあるとしてならば良子女王にもその可能性がある。当時色弱は将校になれなかった。 この報を受けた山縣は皇太子の皇子が、ゆくゆくは国軍を率いる皇子が軍人になれないなどと、これほど悲しいことがあるか。日本の天皇は永劫不変の存在なのに」と言って涙をにじませた。 「はあ?」と言ってやりたいとこである。 一方、皇后に従って皇太子と良子の縁談を進めてきた波多野宮内大臣が別の名目で辞任させられて…

  • 『昭和天皇物語』能條 純一 その3

    ネタバレします。 大正4年3月 この頃、裕仁皇太子は学友5人と共に各地の天皇陵、火葬塚などを行啓している。 東宮御学問所歴史御用掛、白鳥庫吉の教育方針だった。 足立タカは裕仁殿下の10年間の養育日誌を記していた。それは御側日誌とは別の記録だった。 木戸孝正はこれを受け取り読んだ。 なかに「こころえ」の一冊がありそこにはタカの殿下への深い愛情がこめられていた。 「私の次に殿下のお世話をする方に」と書いてあるから突如タカ自身が掛から外れるような場合を想定して記したのだろうか。 そこには殿下が草花が好きなこととイソップ物語が好きで自作のイソップ物語を話される時があってその時は心から褒めてあげて欲しい…

  • 『昭和天皇物語』能條 純一 その2

    この顔見せたいよね。 ネタバレします。 明治38年、5月。 東京女子高等師範学校附属幼稚園の先生をしていた若き女性・足立タカは「迪宮様にも鶴の折り方をおしえてもらえないか」という誘い文句で昭和天皇が4歳で迪宮(みちのみや)の養育掛となる。 この養育掛と言う字が「よういくがかり」と読むと知る。 この足立タカさんは十年間皇子様たちの養育をして後鈴木貫太郎氏の後添いとなるのだが前にも書いたが本作で(今のところ)一番魅力的できりりとした美しさを持った女性として描かれている。 22歳の幼稚園の先生をどうして天皇の養育掛にしたのか、はわからない。 が、このすぐ後で皇后である実の母が次代の天皇になる長兄たる…

  • 『昭和天皇物語』能條 純一/原作:半藤一利/脚本:永福一成(9巻まで)/監修:志波秀宇 その1

    この作品の感想を書ける気がしないのですがここ最近あまりにもはまり込んでしまったので思い切って書いてみます。 ネタバレします。 紙の本とデジタル本の両方で現在出版されている15巻までを読み終えた。 なのでまず全体の感想をざっくり書いてみる。 最初に「この作品の感想が書ける気がしない」と書いてしまったのはやはり私が日本人で「天皇陛下」の物語に感想を書くなど畏れ多い、と思わず身構えてしまうからなのだろう。罰が当たるという気もするし神から怒られてしまう気もするわけだ。 しかし本作で描かれる「昭和天皇」はあくまでも「昭和天皇」と格付けされる運命のもとに生まれてしまった男なのだと思える。 それに倣って私も…

  • 『史記』横山光輝 ⑮ 再読 最終話「禍の男」

    第2話は割愛して最終話「禍の男」に行きます。 ネタバレします。 前140年、漢朝は七代皇帝が即位した。十六歳の武帝である。 『史記』の筆者司馬遷の現役の時代である。 武帝は歴代の皇帝の政策を受け継ぎ国境を犯す匈奴には今までより多大の贈り物をして和親条約を結び国内政治に力を入れた。 旱魃や洪水もなく農業も豊作続きで農民たちの生活も豊かになった。 政府の穀倉には古米・新米と穀類が溢れ出し露店に山積みされた穀類は腐らせてしまう有様であった。 都の銭蔵には何億という銅銭が使い切れずに蓄えられていた。 だが漢を恨む一人の男がいた。元漢臣の中行説である。彼は漢の禍になってやると心に決めていた。 話は五代皇…

  • 『史記』横山光輝 ⑮ 再読 第1話「呉楚七国の乱 前後編」

    ついに最後の巻になります。 ネタバレします。 前話で死んだ晁錯の物語。 漢が呂氏を討滅し文帝の時代に入った頃、晁錯は法家の学問を学んでいた。 文帝は古代からの政道を記した尚書(書経)を求めていた。ところがそれを知る伏生は済南に住み九十歳を超える老人でとても文帝の住む都まで出てくることは無理なのではと側近は答えた。 そこで晁錯の名が挙がったのだ。 晁錯は秀才との誉れ高い若者だった。 文帝は彼を召し出し済南の伏生のもとで尚書を学ばせることにした。 数年後都に戻ってきた晁錯は太子の侍従に任じられ教育を命じられた。 太子の信頼は厚く晁錯は太子邸の事務から会計まですべてを管理する「家令」にまで出征してい…

  • 『史記』横山光輝 ⑭ 再読

    ちょいと駆け足で参ります。 ネタバレします。 前181年に起こった日食は呂后の心に大きな不安を与えた。 呂后は灞睢のほとりに祭壇を作り厄払いを行ったその帰りに青い犬に咬まれるという奇妙な夢を見た。占い師によるとそれは如意様の祟りと出た。 如意は戚夫人の子どもであり呂后が毒殺した一人である。 青い犬に咬まれた場所には腫物ができ日ましに大きくなるとともに呂后の容態も悪化した。 呂后は趙王、梁王という呂氏一族を呼び寄せ「私が生きている間に呂氏のために手を打っておく」と告げた。呂氏一族に国政の実権を握らせてやるからあとは自分たちで繁栄をはかるがよい、と伝えたのだ。 前180年9月呂后は死去。 が、呂后…

  • 『史記』横山光輝 ⑭ 再読

    ちょいと駆け足で参ります。 ネタバレします。 前181年に起こった日食は呂后の心に大きな不安を与えた。 呂后は灞睢のほとりに祭壇を作り厄払いを行ったその帰りに青い犬に咬まれるという奇妙な夢を見た。占い師によるとそれは如意様の祟りと出た。 如意は戚夫人の子どもであり呂后が毒殺した一人である。 青い犬に咬まれた場所には腫物ができ日ましに大きくなるとともに呂后の容態も悪化した。 呂后は趙王、梁王という呂氏一族を呼び寄せ「私が生きている間に呂氏のために手を打っておく」と告げた。呂氏一族に国政の実権を握らせてやるからあとは自分たちで繁栄をはかるがよい、と伝えたのだ。 前180年9月呂后は死去。 が、呂后…

  • 『史記』横山光輝 ⑬ 再読 第3話「後継者争い」第4話「呂后専横」

    これは男としてどうかと思うんだよなあ。 ネタバレします。 劉邦は秦軍と戦っている時定陶で手に入れた戚姫を溺愛していた。 やがて男子が生まれ如意と名付けられる。 皇帝となってからも都を留守にする時は常に戚姫が付き添っていた。 その間、呂后は后とは名ばかりの留守番役であった。 戚姫との間の子・如意は利発で活発で劉邦にとっても可愛い存在だった。戚姫は「如意を太子にしてほしい」と言い始める。 劉邦には呂后との間に生まれた盈が太子としていたためそれはかなえにくい願いであったが寵愛する戚姫を無下にはできない。 劉邦にとっても盈よりも如意の方が活発で皇帝としてふさわしく思えた。 重臣たちに相談するが誰ひとり…

  • 『史記』横山光輝 ⑬ 再読 第1話「淮陰侯韓信」第2話「禍、これより始まらん」

    ここからは事後処理という感じでちょっと辛い話になりますねえ。 ネタバレします。 前202年、劉邦は諸侯の要請で皇帝の位につき「高祖」と称し洛陽を都とした。 (洛陽!やはり都は洛陽だよねえ) 劉邦は韓信への論功行賞で悩んでいた。 劉邦の天下取りは韓信の活躍によって成されたと言っても過言ではないが自ら斉王の地位を求めそれが叶うと項羽との戦いに参加しなくなった。 やっと出陣したのは陳以東、海岸に至るまでの楚領を与えると約束したからだ。斉王である上にこの約束まで果たしたら韓信の力は項羽以上に厄介なものとなってしまう。 劉邦は張良と陳平に相談した。ふたりは劉邦が韓信を怖れているのを察した。 そこで韓信を…

  • 『史記』横山光輝 ⑫ 再読 第3話「四面楚歌」

    「四面楚歌」横山項羽好きになれないけどさすがにここに至ると心が動くよね。 ネタバレします。 項羽に滎陽、成皋を取られた劉邦だが関中で軍を立て直し再び東進を開始した。 そして滎陽、成皋の奪回に成功した。 その頃、項羽は彭越を追っていた。彭越は劉邦から楚軍の兵糧庫や輸送部隊を襲うように命じられていた元・野盗の男だった。 項羽は兵糧確保のためにも彭越を討伐しておく必要があった。ところが滎陽、成皋が劉邦に奪回されたと聞き急ぎ広武に進軍してきたのである。 その頃、北伐の韓信は斉王を討ち斉の首都に入っていた。 そこに漢王から楚軍を討てとの命令が入る。 韓信はすぐに出陣します、と答えたのだがそこにまたも蒯通…

  • 『史記』横山光輝 ⑫ 再読 第1話「背水の陣」第2話「離間の策」

    ネタバレします。 間もなく敗走した漢軍を集めて韓信も滎陽城に入ってきた。 頼ってくる劉邦に韓信は平地が多いこのあたりでは戦車戦が有利として作らせた。 十万の項羽軍が現れた時にも韓信は自信を持って出陣したのである。 劉邦は昇華が韓信を「国士無双」といって推挙したことに希望を賭けた。 一方、項羽は劉邦が逃げ隠れた滎陽城を「三日もあれば落とせる」と侮った。 と、その城から撃って出てきた兵を見て項羽は皆殺しだと号令をかける。 たちまち漢軍は総崩れとなって逃げだし項羽軍はそれを追いかけた。 気がついた時には広々とした平地に出ていた。 そこには韓信が戦車を並べ待ち構えていたのだ。 戦車には御者と射手と長い…

  • 『史記』横山光輝 ⑪ 再読 第1話「国士無双」第4話「睢水の合戦」

    中国映画で男たちがやたらと屈辱に耐えながら股をくぐってるのが謎だったんだけどこれを読んで意味がわかりました。 ネタバレします。 韓信。淮陰(江蘇省)の貧しい平民に生まれ容姿も見栄えしなかった。生年月日は不明。 若い頃は学者の門下生となり勉学に励んだが郷里の母の死を聞いても帰らなかったために師の怒りを買って破門となる。 韓信は小高い丘の上に母の墓を作った。 その後韓信は淮陰軍の下郷にある南昌の亭長の居候となるもその妻から嫌われ仕方なく浮浪者となった。 あまりにひもじくて貧しい老婆から昼飯を譲ってもらうほど困窮した。 町に出ると気の荒い連中からからかわれ「持っている剣でわしを突いて見ろ」と嘲笑われ…

  • 『史記』横山光輝 ⑩ 再読 第3話「鴻門の会」第4話「咸陽炎上」

    ネタバレします。 劉邦は首都咸陽に入った。そして豪華な咸陽宮に目を奪われた。 宝物殿そして後宮の美女を見て劉邦は「ここで暮らす」と喜んだ。 だがこれを樊噲と張良によって反対されてしまう。「良薬は口に苦けれど病に利あり」と言われどちらにも手を出さぬよう念を押されてしまう。 そして張良は劉邦に秦の政治で一番嫌だったことは?と問う。 劉邦の答えは「法というものは善人を守るためのものなのに秦の報は人を罪人にするための法だった」というものだった。 張良はそれで行きましょう、と相槌を打つ。 「法を変え新しい時代になったことを知らしめるのです」 そこで劉邦は「よし、法は三つだけとするぞ」と言い出す。 「一つ…

  • 『史記』横山光輝 ⑩ 再読 第1話「函谷関への道」

    かなり来ましたねえ。 もう何度も「函谷関」という言葉が出てくるたびに「函谷関もものならず~♪」という歌が流れて来て困る。 さて楚軍は項羽、劉邦などに分かれて秦軍と戦っていたが定陶城にいた項羽の叔父・項梁は作戦が上手くいかず夜襲にあって壊滅的打撃を受け項梁自身が斬り殺されてしまったのだ。 項羽、劉邦は知らせを受けて駆け付けたがそこには累々たる楚兵の死体があり秦の章邯将軍はすでに趙へ進路をとっていた。 子供の頃から共に暮らし父親に等しい項梁を殺された項羽は逆上した。 そして定陶城内に住む住民を皆殺しにしたのだった。 横山光輝氏がどうも項羽を快く思っておらずかっこ悪く描いているのはこうした人格のせい…

  • 『史記』横山光輝 ⑨ 再読 第3話「劉邦亭長」第4話「馬と鹿」

    やっぱりどうしても劉備玄徳のご先祖様と思いながら読んじゃうよねえ。 そっくり、そっくりだから。 ネタバレします。 最初から面白い。そろそろ三十歳なのに家業の農業は大嫌いで酒と女が大好き。 ん、いや玄徳はそこまではなかったかも。さすがご先祖様だ。 父親にどやされて仕方なく亭長となる。宿場の役人で階級としては最下位であった。 しかし勤めはいい加減で相も変わらず女と酒の毎日であった。 ところが仕事に落ち度があっても周りの人々が庇ってくれる。劉邦は男にも女にも好かれるところがあった。 この「誰からも好かれてしまう」という特技を持って劉邦は乱世を駆け上がっていく。 ご祝儀を包むための金などないのにお偉方…

  • 『史記』横山光輝 ⑨ 再読 第1話「農民王陳勝」第二話「項羽立つ」

    やったあ、陳勝呉広まで来た。 革命だあっ ネタバレします。 始皇帝が最初の皇帝ならば、陳勝は最初の農民一揆の指導者である。 蘄県大沢郷(現在の安徽省宿州市埇橋区)数日の豪雨で通行不能となっていた。 陳勝・呉広ら農民たちは辺境守備のため駆り出されたのだが期日までに到着せぬ時は死刑という秦の厳罰が待っていた。 だが豪雨で道は水没し彼らが期日までに行くことはできないと判っていた。 陳勝は「逃げても死、行っても死なら万が一でも生き延びられる道を選ばぬか」と呉広に持ちかけた。「ここにいる農民らも味方につけて天下に呼びかけるのだ」 呉広も同意したが問題はどうやって九百人の農民たちを味方につけるかだった。 …

  • 『史記』横山光輝 ⑧ 再読 第3話「始皇帝ー2-」第4話「趙高の陰謀」

    ネタバレします。 前213年、始皇帝は咸陽宮で大宴会を催した。この宴会が歴史に残る事件の引き金となった。 始皇帝は四十六歳で絶頂期であった。 七十人の博士たちが次々と祝いの言葉を述べた。 始皇帝は上機嫌で聞いていた。 ところがひとりの博士の言った言葉を始皇帝は宿題としたのだった。 それは殷周の王朝が千年も栄えたのは指定や功臣を諸侯に封じて王室を守らせたからです。始皇帝様もいにしえを手本とするべきです、と。 ところが李信はこれに反対し「いにしえの帝も前代の政治を踏襲したわけではありません。時代が変わったから時代に合った政治をしたのです。今始皇帝は誰も成し得なかった天下統一という学者の想像を超える…

  • 『史記』横山光輝 ⑧ 再読 第1話「保身の術」第2話「始皇帝ー1-」

    秦の始皇帝の話が続きます。 ネタバレします。 現在「保身」と言うと卑怯で嫌な奴が使う意味合いがほとんどだと思うが、王翦将軍のそれは見習いたい保身である。 秦は韓、趙、魏と滅ぼし着々と天下統一の地固めをしていった。 残るは燕、斉、楚である。 燕、斉は弱小国だが楚は大国で秦王は楚を討つためにはどれほどの兵力が必要かを各将軍らに尋ねた。 老・王翦将軍は「六十万は必要」と答えた。これは秦の全軍に価する。 が若い李信将軍は「二十万あれば大丈夫」と言う。 秦王は王翦は名将ではあるが年老いて気力が欠けてきたのだと判断し李信将軍と蒙恬将軍に二十万の兵を預け楚討伐を命じた。 このことに王翦将軍は引退を決意した。…

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