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  • 『ポーの一族』「ホームズの帽子」(1934年)萩尾望都

    1975年「別冊少女コミック」11月号 シリーズ第13作目。 前作「はるかな国の花や小鳥」の男性版ともいえる内容でありますがこちらはまったく明るい感じです。 ネタバレします。 私的にはこちらも女性でやって欲しかった気もする。 とはいえ仕方ない。 これまで第9作「リデル・森の中」と第10作「ランプトンは語る」でエドガーを追い続ける老紳士オービンがどうしてエドガーを追いかけるようになったかを描いているのだから。 オービンはもともと魔物が好きで伝説やら妖精やらを研究し旅をしていた男だった。霊感を強めようと髪を長く伸ばしていた。 が、男が髪を長く伸ばしているのは嫌がられる時代。思いを寄せていたイゾルデ…

  • 『ポーの一族』「はるかな国の花や小鳥」萩尾望都

    1975年「週刊少女コミック」37号 正直言ってこのエルゼリさんが好きになれないのですが何故この話を描かれたのかと考えてみました。 ネタバレします。 萩尾作品は「そんな簡単に人生は送れない世界」を描いている。その上で「なんとかなるさ」的な明るさ希望を見せてくれる話が多いので好きなのだが本作は救いのない話になっている。 今回の主人公エルゼリは美しい女性で「町の合唱隊」を自分で作り練習させている。 いつも微笑みを浮かべている幸福な女性なのだ。 なぜ幸福なのかというと決して現実の嫌なものを見ないようにして薔薇やアップルパイや歌など自分が好きなものだけを大切にして生きているのだ。 「自分の好きなものだ…

  • 『ポーの一族』「ピカデリー7時」萩尾望都

    1975年「別冊少女コミック」8月号 なんだか不思議な味の小品です。 ネタバレします。 ポリスタ―卿というポーにしちゃお人好しな男性がリリアという美しい少女を育て上げ二十歳になったら自分の配慮として一族に加えるつもりだったのだけどその前に殺され消え去ってしまう。 何も知らない美しいリリアは優しかったポリスター卿が突然行方不明になったことを悲しみながらも愛し合っているポールと結婚できることに喜びも感じていた。 この物語で「ポーの村」というのがエドガーたちにもどこにあるのかわからなくなっている知る。 ポリスター卿はポーの村への入り口を見つけてエドガーたちを連れていく約束をしていたのだ。 しかし彼が…

  • 『ポーの一族』「ランプトンは語る」(1966年)萩尾望都

    1975年「別冊少女コミック」7月号 シリーズ第10作目。これまでの一連の物語がここに収束される。 この一編がとても好きです。 この一編だけでもいいほどです。 ネタバレします。 1966年、かなり現在に近づいてきた。 とはいえ古い館で配線工事もまだの為ランプをともしての会合が始まる。 最初の説明はなくゆるゆると何の会合なのかが判ってくる。 (まあ、『ポーの一族』シリーズなのはわかっているのでそれ関連だろうと思われるはずだ) 老紳士が一枚の絵を来訪客に見せる。 ひとりの愛らしい少女が「あらトーマス・ロレンスの「ランプトンの肖像」だわ」と発言する。 老紳士は「そのとおり。だがこれは模写です」という…

  • 『ポーの一族』「リデル♡森の中」(1879年ころ~1940年)萩尾望都

    1975年「別冊少女コミック」6月号 1940年、リデラード(リデル)・ソドサ夫人がジョン・オービンに幼い頃の思い出話をする、という形式の物語。 前回の続きなので1879年ころ~となる。 ネタバレします。 一見、愛らしいリデルがエドガーとアランに大切に愛され育てられた微笑ましい物語と見えてしまうが、その実リデルの両親を惨殺したのはエドガー自身でありアランもその血を吸収することで生き永らえたというおぞましい短編である。 恐ろしいのはその事実を誰も知らされず気づいても勘ぐってもいない様子でそれはせめてもの救いになるのかどうか。どうせならリデルが何も知らぬままであって欲しい気もするが。気の毒すぎるよ…

  • 『ポーの一族』「ペニー・レイン」(1879年)萩尾望都

    1975年「別冊少女コミック」5月号 シリーズ第8作。 第4作「ポーの一族」の続きとなる。 ネタバレします。 妹メリーベルをヴァンパネラ一族に加えて後失い、今度は友人になったアランを仲間にと願ったエドガー。 だが一日で蘇生したメリーベルと違いアランはなかなか目覚めない。 エドガーは物思いにふけるばかり、というお話。 話を追うにつれ時間が経つにつれエドガーは以前のヴァンパネラになったことに思い悩むことはなくなり人を襲って血を吸うことには何のためらいもなくなっていく。 本作で物思いにふけるのはひとりでは寂しいからアランよ早く目覚めてくれという願いばかりなのだ。 アランが目覚めないのはペニーレインの…

  • 『ポーの一族』「エヴァンズの遺書」(1820年)萩尾望都

    1975年「別冊少女コミック」1~2月号 『ポーの一族』シリーズ第7作。前作「小鳥の巣」で終了するはずだった本シリーズの再開最初の作品です。 ネタバレします。 実は『ポーの一族』三部作が終わって以降が面白いのかもしれない。 「エドガーを見たことがある」シリーズは『ポーの一族』第一弾「すきとおった銀の髪」から始まっている。 本作ではエドガーの青い目に夢中になってしまうヘンリー・エヴァンズ伯爵、と思いきや豈はからんやエドガーを目の敵にしまくったロジャーと傍観者ドクトル・ドドが「エドガー追跡者」となっていくのである。 この一作もとてもおもしろい。 常に自信に満ち堂々と立ち居ふるまうエドガーが馬車の事…

  • 『ポーの一族』「小鳥の巣」(1959年ころ)萩尾望都

    1973年「別冊少女コミック」4~7月号 ネタバレします。 『ポーの一族』三部作の最後の作品とされる。 「グレンスミスの日記」の冒頭およびラストシーンがこの物語の中にある。 『ポーの一族』の真骨頂と言えば本編ではないでしょうか。 すでに吸血(噛みつきはしない)による殺人を犯すことに喜びを感じている揺るぎなきヒーロー=エドガーとその彼を焚きつける相棒(そんな表現誰もしないが)アランによるギムナジウムホラーミステリーに成長した。 『トーマの心臓』との相似点も楽しみのひとつでもある。(相違点も) まずは冒頭落ちてくる少年の構図から始まる。(「小鳥の巣」の出だしはキリアンの妄想だが) 『トーマの心臓』…

  • 『ポーの一族』「メリーベルと銀のばら」(1744~1757年ころ)萩尾望都

    1973年「別冊少女コミック」1月号~3月号 バンパネラであるエドガーとメリーベルのまだ人間だった頃のお話です。 ネタバレします。 1700年代。 初めて読んだ時は考えてもいなかったが読みかえしていくとはっきりとこの物語が見捨てられた子どもの話だと認識させられる。 エドガーとメリーベルは実際は殺せと命じられて殺されずやむなく捨てられてしまう。 それを拾ってくれたのが老ハンナ・ポーだった。 エドガーたちはハンナの館で育てられるがここでも村人たちから怪しげな者たちとして疎外されている。 昔は何も思わずポーの雰囲気にひたっていたが今読むと(今更!)なぜポーの一族は「年を取らず永遠の時を生きる」という…

  • 『ポーの一族』「ポーの一族」〈第一・二・三・四話〉1880年ごろ 萩尾望都

    1972年「別冊少女コミック」9月号 - 12月号 この4話めが私の萩尾望都初遭遇です。 いきなり4話目、打ちのめされました。 ただしどうもリアルタイムではなかった気もします。 ネタバレします。 というわけで私は本作(4話目)が初体験だったので逆に驚かなかったのだけどずっと萩尾望都マンガを読んできた人、編集者も含む、は驚嘆したということはないのだろうか。 今回萩尾望都の軌跡を追いかけてきて思うのだが、この前の作品『毛糸玉にじゃれないで』からのこれというのは物凄い変化だ。 むろんこの間に先日あげた三作があるのだけどこの三作を描くうちにここまで激しい上達というのか成長というのかいわばレベルアップを…

  • 『ポーの一族』「グレンスミスの日記」(1899~1959年ごろ)萩尾望都

    1972年「別冊少女コミック」8月号 昨日の「ポーの村」の続きです。 ネタバレします。 「グレンスミス魔の24ページ伝説」というのがあります。(今考えました)(というか多くの方が言われてますね) まずは冒頭。 「だれにする?」 大きな建物を背景にしてのセリフ。 「それ これから決める」と続く。 これは最初がアランで次の答えがエドガーなのだと後にわかるがこの時点でアランは登場していないので読者はわかりようもない。 そしてこの会話が第3巻に収録される「小鳥の巣」での会話だというのもこの時点では誰も判らないのだ。作者以外は。 そこに「エド!」と話しかける少年がいる。周囲にも少年たちの姿。もちろん「小…

  • 『ポーの一族』「ポーの村」(1865年ごろ)萩尾望都

    1972年「別冊少女コミック」7月号 後に『グレンスミスの日記』として読まれるそのグレンスミスの物語です。 ネタバレします。 昨日書いた普通の人が出会ってしまう「エドガー体験」をしてしまうグレンスミス氏。 森の中で鹿狩りをしている時、仲間とはぐれこともあろうに物音を聞いて鹿と間違えメリーベルを撃ってしまう。 追いかけてきたエドガーは怒りグレンスミスから銃を奪って撃ち殺そうとするが当然だ。マンガとはいえ腹が立つわ。 「メリーベルのためにだけぼくは生きているんだ」と言う言葉にどんなに惹きつけられたことか。 そしてエドガーの言葉に打ちのめされたグレンスミスは茫然としながら村を巡り歩く。 グレンスミス…

  • 『ポーの一族』「すきとおった銀の髪」(1815年ごろ)萩尾望都

    1972年「別冊少女コミック」3月号 ついに到達した『ポーの一族』です。 『ポーの一族』にいついて何を語りたいか、今はまだ何もわからずにいます。 いったいこの物語が私にとってなんだったのかをこれから考えていきたいと思います。 ネタバレします。 本作ではないが私が初めて萩尾望都作品として認識したのは『ポーの一族』だった。 それはとても幸福なことだったと思う。 以後、『ポーの一族』第1巻を買って読みこの作品は末尾に収録されていた。 確かに本作は先に収録されている「ポーの一族」より絵がやや稚拙でその時の私でもこの作品が前に描かれたと気づいていた。 しかしその世界観はすでに明確にされていたのではないだ…

  • 『毛糸玉にじゃれないで』萩尾望都

    1972年「少女コミック」2号(1971年12月) さらに珍しい萩尾望都日本現代劇の高校受験もの。 しかしSFファン界隈で話題となる。 ネタバレします。 とは言えこの頃はとにかく詰め込み教育、受験地獄受験戦争と言われる時代だった。 自然とマンガでもそうした話が多くあった。 山岸凉子氏には『メタモルフォシス伝』という名作がある。これはおすすめ。 山岸作品のは完全に真剣な受験勉強マンガだけど萩尾氏のこちらはやっぱり希望的。 そしてSFへの道を進んでくれる。 このマンガは読んでいなかったけどキースのアルジャーノンは読んだよ。

  • 『みつくにの娘』萩尾望都

    1972年「別冊少女コミック」お正月増刊 希少な日本時代劇もの。 でも本質的には『ビアンカ』の流れですね。 ネタバレします。 そしてやはり「疎外される主人公」の系譜である。 〝みや”は愛らしい娘だが「父なし子」というので村人から母親をいびり殺された。 祖母はみやを連れて山奥で暮らしているのだ。 そんなみやに村人の〝きち”は心惹かれ嫁にほしいと願っていた。 しかし祖母は「みやは山の神にみそめられている」と言ってきちの言葉を否定した。 山の神に愛されたみやの美しさよ。

  • 『あそび玉』萩尾望都

    1972年「別冊少女コミック」1月号 多くの作家は、そして優れた作家ほど同じ話を繰り返して表現するような気がします。 萩尾望都もその一人かもしれません。 彼女の作品は疎外された主人公の物語。 疎外するのは社会であり主人公の親・家族なのです。 ネタバレします。 この『あそび玉』の原稿が紛失してしまった、話は今はもう有名なのだろう。まるでこの物語そのもののようにどこかへ飛んで行ってしまったのだろうか。 いやいや、漫画原稿の紛失問題かなりある。 特に以前は管理が甘かったとしか思えない。このマンガが読めなかったかもしれないと思うとその怒りをどこへぶつけていいかわからない。 しかもそのせいでいつものシャ…

  • 『セーラ・ヒルの聖夜』萩尾望都

    1971年「少女コミック」冬の増刊号 萩尾望都作品で何度も繰り返し出てくるモチーフ双子、そして特に男女の双子というのは女性作家に多く男性作家ではほとんど見られないものです。 何故女性作家は男女の双子に惹かれてしまうのか。 そしてその傾向は現在よりも過去に多い気がします。 ネタバレします。 男女の双子であるキャロンとクリス。 十二年前、ふたりは50日足らずの赤ん坊の時に両親を事故で失ってしまう。一時養護施設に預けられたふたりはそれぞれ一人ずつ別の両親によって引き取られていった。 ところがある偶然で二人は出会ってしまう。 まったく同じ顔の相手を見た二人は驚く。 ふたりは自分たちが預けられていた養護…

  • 『白い鳥になった少女』萩尾望都/ 原作:アンデルセン『パンをふんだ娘』

    1971年「別冊少女コミック」12月号 名作文学のマンガ化はかなり行われてはいると思いますが萩尾氏のこれはいったいどうして行われたのでしょうか。 言っちゃなんだけどほんとに心えぐってくる嫌~な話である。 インゲの悪娘感がたまらない。 綺麗な顔が自慢で蠅の羽根をむしる娘。 でも働きに出た先のおかみさんには気に入られていたのだからそうそう悪くはなかったはず。 しかしもらったパンを踏みつけたことでおぞましい場所に堕ちてしまう。醜い沼女にからかわれながらかつてインゲ自身が羽根をむしったために飛べなくなった蠅が彼女の身体を這いずり回る。そしてお腹がすいてくるが足の下にあるパンを手に取ることはできないのだ…

  • 『11月のギムナジウム』萩尾望都

    1971年「別冊少女コミック」11月号 萩尾ファンであれば本作が『トーマの心臓』の習作版だったと想像してしまうが本当は先に『トーマの心臓』が構想され執筆されつつあったのだが発表の場がなくやむなく先に短編として再構築された本作のほうが世に出ることとなった、という萩尾氏自身の説明があるということらしいです。 私も『トーマの心臓』の後で読んだものです。 ネタバレします。 ついに萩尾望都の大きな扉に辿り着いた気がする。 『11月のギムナジウム』折りしも今11月。 萩尾望都のギムナジウムもの、というと「女性が考えたほんとうの男子ではない天使のような美しさ」とよく評されていて私はそれが不満だったし今もそん…

  • 『白き森白き少年の笛』萩尾望都

    1971年「少女コミック」45号 美しい物語です。 ネタバレします。 『ビアンカ』の少年版ともいえるしその後の話とも思える。 静かな田舎に一家で越してきたおとなしい少女は森の中で綺麗な少年と出会う。 不思議なことに少女の家にはその少年の絵が飾られていた。 少女は母親に森の中の少年を紹介する。 だが母親にはその少年の姿は見えなかった。 しかしすべてを察した母親はその少年、森の中の井戸に落ちて死んでしまった少年の両親に知らせたのである。 果たして、井戸の中から少年は白い骨となって見つかった。 『秋の旅』と違って考えることはない。 美しい短編である。

  • 『秋の旅』萩尾望都

    1971年「別冊少女コミック」11月号(10月号に掲載となっていた不思議) 萩尾望都氏の代表作のひとつに数えられているのではないでしょうか。 構成の素晴らしさは確かなのですが今回読んでみて以前とは違う感情を持ちました。 ネタバレします。 少年ヨハンのモノローグから始まる。 萩尾氏のいつもの語り口で静かに物語の中へ誘われる。ここでは汽車の全景は描かれないのにガタンガタンという書き文字が聞こえてくるようだ。 小さな田舎の駅に着いたヨハンはそこで降りてモリッツ・クライン先生の名を知っていた馬車の男性に乗せて行ってもらうことになる。 到着するとヨハンはクライン先生と思しき男性に会うのだが何も言えない。…

  • 『10月の少女たち』萩尾望都

    この「10月の」はレイ・ブラッドベリ『10月はたそがれの国』からきたものでしょう。 『10月はたそがれの国』は『THE OCTOBER COUNTRY』なのでこれでよいのであります。『10月のたそがれ少女』でなくてよかったです。(もしかしたらそういう作品あるかも) ネタバレします。 その1.トゥラ 隣同士に住んでいる少女トゥラと少年ロビー。 トゥラは「宿題を手伝って」とロビーを部屋に呼ぶ。 そして「ロビー、女の子にキスしたことある?」と聞いてくる。「やってみない?」と誘うのだ。 ロビーが「実験じゃなくて本気でやるよ」といってキスするとトゥラは「いやあ」と泣きだした。 その2、真知子 庭で恋愛小…

  • 『もうひとつの恋』萩尾望都

    1971年「少女コミック」39号(創作時わからず) 本作『もうひとつの恋』手持ちの本&デジタルに見つからず思い出せず「そうか。未読だったのか」と慌ててデジタル版購入。 そして読んでみたらものすごく覚えていました。 しかし確かに最近は読み返しておらず。 どれかの本に収録されていたのっか、もしかしたら少女コミック掲載時に読んでいたとか。まったく記憶がないのですが内容はしっかり覚えていました。 とはいえどうせ見つけきれなかったので購入したことに後悔はなし。というか買ってよかった。 ネタバレします。 何回も書くがこうしてまとめて続けて読んでいくと様々なことが見えてくる。 (すぐわかる人はわかるんだろう…

  • 『ケネスおじさんとふたご』萩尾望都

    1971年「別冊少女コミック」9月号(1969年8月) 現在ではあまりお目にかかれないであろうアメリカ西部劇。 かつてはTVでもよくアメリカ西部劇映画が放送されていたものです。 ネタバレします。 はい、それでこちらは両親が死んでしまった男女の双子の物語。 ミシェルとボニーがそんな運命をむしろ喜んでいるかのようににっこり明るいのを昔は「健気な」と思ったものだった。 そんな双子はネーブルおばさんに連れられブラボー町の保安官ケネスおじさんの元で養育されることになる。 最初はうんざりしていたケネスだが豪放磊落破天荒な双子を好きになっていく。 とよくあるほっこり話のようだがさすが萩尾望都、ちょっとした隠…

  • 『小夜の縫うゆかた』萩尾望都

    1971年「少女コミック」夏の増刊(1971年6月) 萩尾望都氏は日常的な世界が描きにくい別世界の方が描きやすいという理由で現代日本物をほとんど描いていませんがその貴重な作品のひとつ『小夜の縫うゆかた』を読むともったいないなあと溜息です。 変な言い方ですがもし萩尾氏が日本ものを多く手掛けていたらもっと大きな人気になっていたはず!とはいえないでしょうか。 現在では男性ものも異国舞台が当たり前になりましたが以前は日本舞台が絶対の世界でした。外国ものを描いているのは「共感できない」というので疎外されていたものです。 (少年マンガがかつてほぼすべて日本舞台なのを見れば納得でしょう) 私は萩尾氏の異国舞…

  • 『モードリン』萩尾望都

    1971年「少女コミック」29号(1969年5月) これまでの作品群でも際立ってサスペンス映画の雰囲気を持っていると思います。 ネタバレします。 それはこの1ページ目からすでに感じられる。 嵐の夜更けモードリンは雨と風の音に怯えママの部屋へ行こうとする。 戸を開け廊下を進むと階段を上がってくる男の姿を見る。 「クレー爺やが戸締りをしているのかな」と思ったモードリンだったがそれがママの弟のウィルおじさんだと気づく。 「階段の下ばかり見てた。なにかあるのかしら」とモードリンが覗き込むと階段の下にクレー爺やが倒れていた。 手には腕時計を握っていた。ウィルおじさんのものだった。 その時、大きな振り子時…

  • 精霊シリーズ『精霊狩り』『ドアの中の私の息子』『みんなでお茶を』 萩尾望都

    1971年「別冊少女コミック7月号 この楽しさはなんなのか。 どうしてこのマンガが別メディア化アニメでも実写でもされていないのか。 されたらされたで苦情を言うでしょうがw あまりにも勿体ない。 ネタバレします。 こうしてまとめて見直していくと色々と見えてくる。 (気づく人はすぐ気づくことだろうけど) 萩尾ヒロインは時に性に奔放で恋多き女性が選ばれる。 萩尾ヒロインといえばどうしても『スター・レッド』のセイがまず選ばれるだろうしセイはそんな感じじゃないのでイメージ湧かないのかもしれないが。 ここまでのヒロインも特に『花嫁をひろった男』のキャンディ、『ジェニファの恋のお相手は』のジェニファの身体を…

  • 『かわいそうなママ』萩尾望都

    1971年「別冊少女コミック」5月号 萩尾望都ならではの作品です。 ネタバレします。 これを初めて読んだ時は萩尾氏が両親、特に母親に、だろうか、に対して苦しい思いを持っていたとは知らなかった。 なので単純に恐ろしい話を描ける人なのだと思ったものだ。 まだ幼い少年のティムは大人たちを観察し判断する。 大人たちはしがらみの中で生きていて自分の思いをそのまま実行することができない。 そんな大人たちの欺瞞にティムは我慢がならないのだ。 この母親というのはなんだろう。 以前恋人だった男が「もう二度と会うこともないだろう」と言って去っていったのをずっと思い続けている。しかも何もせずにただ窓際に座って空を見…

  • 『かたっぽのふるぐつ』萩尾望都

    1971年「なかよし」4月号増刊(と書いたんだけど作品ページの最後には1970年12月と記されている。いったいどっちなんだあ) (仕方ないのでこのままにします) 萩尾作品初期ほとんど一度は読んだことあると思っていたけどこの作品は初見かもしれない。 それとも怖くて忘れているのだろうか。 ネタバレします。 「昭和」という文字を見るとまず思い出してしまうのはどうしてもこの公害になってしまう。 だから「昭和は良かった」と言う気持ちがどうしても起きない。直接公害を心配するような場所には住んでいなかったがそれでもニュース、マンガ、アニメなどで語られる様々な公害とそれによる病気に慄いていた。 ゴジラシリーズ…

  • 『ジェニファの恋のお相手は』萩尾望都

    1971年「なかよし」4月号 今頃気づいたのですがこの1971年に萩尾望都は怒涛の如く作品出しています。その数が信じられないほど。 もしかしたら全部この年に描いたのではなくて出せなかったのがこの年に出された、あの「名編集者山本順也氏に買い取ってもらった」ことでのこの数なのかもしれません。 短編作品とは言え数えたら19作品あります。 その全部が名作と呼ばれるものという狂気的!! 今頃気づいてどうするんだなのですが。 そして本作もまた間違いなく名作です。 ネタバレします。 ふたりの人間の魂が入れ替わる、というのは近年『きみの名は』で騒がれたけど本作はその走りと言うべきか。 『君の名は』の元は『転校…

  • 『花嫁をひろった男』萩尾望都

    1971年「少女コミック」春の増刊号 な、なんか突然絵柄が変わった?上達したように見えます。 何故でしょう。 物凄い成長期だったのでしょうか。 初読み時にはこんな風に掲載順で読んでいったわけじゃないからちょっと驚きました。 脚の描き方がうまいからかなあ。 ネタバレです。 そして〝あの”オスカー初登場。 突っ込み女子と慌てふためく男子コンビというのが萩尾氏の特徴なんだとこれも今回通読で初めて気づいた次第。 空から落ちてきた、ではなくハイウェイで女の子、しかも花嫁を拾った男オスカー。 しかもその花嫁は三人目の花婿と結婚後六時間で死に別れてしまったのだという。一人目も二人目も同じようにあっという間に…

  • 『搭のある家』萩尾望都

    1971年「少女コミック」12月号 このシリーズでいつも使っている通称「赤本」の本作掲載巻を持っておらず慌てて検索したら『11月のギムナジウム』文庫本に収録とわかったもののその本がすぐには見つからず焦りました。内容は頭の中に入っているのであるはず。 これでした。 しかしこの表紙はいったい何を描いているのか、いまだにわからない。だれ?この女性??? ネタバレします。 小さな女の子マチルダは両親と共に田舎に越してきた。病弱なママの保養のためだった。 その家にはお城のような搭があり小さなマチルダはママに「あの塔にはなにか秘密の匂いがするわ」と言うのだった。 そしてその塔には三人の妖精が住んでいた。妖…

  • 『雪の子』萩尾望都

    1971年「別冊少女コミック」3月号 萩尾望都の代表作と言われ初期から挙げるのならまず本作になるのではないでしょうか。 ネタバレします。 13歳の少年と少女の物語。 表紙絵のエミールは12歳の少年・・・として育てられたが本当は女の子なのだ。 富豪のブルクハルト家に招かれた親戚筋の少年ブロージーはその途中で金髪の美しい少女に出会う。 が、到着したブルクハルト家でブロージーを出迎えたのはその少女にそっくりな少年エミールだった。 ブロージーはそのエミールの友人になってくれとブルクハルト家の老主人に頼まれて訪れたのだ。 そして同じ理由でやはり親戚で同年齢の少年たちが数人集められていた。 ブロージーはこ…

  • 『ベルとマイクのお話』萩尾望都

    1971年「少女コミック」3・4合併号 でこれが突き進む少女と逡巡する少年の物語。 掲載誌が講談社「なかよし」から小学館「少女コミック」へと移っている。 ネタバレします。 少年と少女のほのかな恋心をアイススケートをモチーフにして可憐に描いた短編。 なのに雑駁に書いて申し訳ないが本作で萩尾作品の少女と少年の描き方がわかる。 少女ベルはその名のように美しく愛らしい少女だ。 そんなベルをひと目見て好きになってしまうマイクも同じくらい繊細に美しい少年でもある。 本作は視点がどちらかに定まってはおらずふたりの心情を交互に描いていく。 ベルの母親は萩尾作品定番の厳しく口やかましい性格で12歳の娘が見ず知ら…

  • 『ポーチで少女が小犬と』萩尾望都

    1971年「COM」1月号 これはもう完全な萩尾望都SF世界。 今描かれたと言っても肯けます。 ネタバレします。 レイ・ブラッドベリ的でもある。 こうして続けて読んでいくと萩尾作品が常に描いているのは社会からはじき出されてしまった少女(特に家族から)の強い意志なのだがその結末もまた皆に馴染んでいくというものではない。 つまりそう簡単に仲良しにはなれないのだ。 それでも私が「萩尾作品は明るい」と感じるのはそうしたはじき出しをされても少女は「私は私が求めるものを求める」と意志を変えずキッとした目で前を見ているからだ。 『ルルとミミ』ではママとは違うおかしなケーキを作り『すてきな魔法』では誰もやらな…

  • 『ケーキ ケーキ ケーキ』萩尾望都/原作:一ノ木アヤ

    1970年「なかよし」9・10月号別冊付録 原作付きと今頃気づきました。 ケーキが題材で家族の中で孤立した少女という設定だったので萩尾望都オリジナルと思い込んでいました。 検索してたら萩尾氏が執筆前にパリから帰国したばかりの手塚治虫先生にアドバイスをもらったというとんでもない幸運話を読んで「凄い」とただただ感心するばかりでした。 萩尾氏は手塚先生を尊敬していてしかも何度も会話をされてて慄きます。 昨今手塚先生の人格についてあれこれと噂されてて私も「そうであったのだろうな」とは思いますが萩尾望都になると逆に手塚氏の能力をしっかり吸収してしまうという、やはり女神なのだなと感じます。 ネタバレします…

  • 『ビアンカ』萩尾望都

    1970年「少女フレンド」 さてここから私が本格的に読み始めた作品になります。 この作品も何度も読み返しました。 ネタバレします。 これまでの短編もよく読んでみれば萩尾望都ならではの片鱗が見られる他にはない作品だが本作になるとはっきりと特別な作品だと思う。 表紙に描かれるビアンカの意志の強いまなざし、引き締めた口元、そしてそんなビアンカに憧れのような思いを抱いた少女クララの物語だ。 冒頭、50歳を過ぎたクララが登場する。 画家となったクララは何枚も同じ少女の絵を描いていると問いかけられる。 「この少女は誰ですか。まるで森の精のような」 「それは私の遠い日の友人ですよ」 12歳のクララの前に現れ…

  • 『爆発会社』萩尾望都

    1970年「別冊なかよし」虹色のマリ特集号 ネタバレします。 ファッションショー、爆発、娘の気持がわからない母親、母親から逃げ出そうとする娘、以後の萩尾作品の特徴がいろいろと出てくる。 21世紀の話なのでSFなのだな。 威勢のいい女の子とクールな男性というのは『スターレッド』も予感させる。 これも楽しい作品だった。

  • 『クールキャット』萩尾望都

    1970年「なかよし」2月号 本作『クールキャット』も実はよく目を通してなかったのですが今読み終えて参っています。にゃーん。 ネタバレします。 ここに至るともう完全に「他の少女マンガとは違う」路線としか言えない。 表紙の可愛い女の子デニースが自分の家のポーチで雨宿りしていた猫を家の中に入れたことから大騒ぎとなる。 ママが大の猫ぎらいの上に実は猫が二匹(そっくり)いてデニースのネリ―ブライス一家をかき回していくのである。 ある日有名な声楽家ミスター・グレープルがネリーブライス家を訪問。 素晴らしい歌を披露してくれるはずが二匹の猫が歌に入り込んできて邪魔してしまう。 猫は逃げ出しグレープルは歌を再…

  • 『すてきな魔法』萩尾望都

    1969年「なかよし」9月増刊号 すてきな表紙です。 初期の萩尾氏は少女マンガ独特の華々しさはないのかもしれませんがそれだけに今観ても逆に古臭く感じないのです。 ネタバレします。 今回の題材はカードマジック。ここでは「奇術」と呼ばれている。 「奇術」を検索したらwikiのマンガジャンルで本作が選ばれていた。 そしてそのカードマジックに恋心が絡んでくる。 主人公のアンは奇術が得意で友人たちに披露している。 それを嘲笑うように登場する転校生のジョーイ。 ジョーイはすばらしい技を見せて「ぼくのは魔法」だという。 アンはジョーイの技術に悔しがる。 かつて、女子よりも男子の技の方が上で悔しい思いをする、…

  • 『ルルとミミ』萩尾望都

    萩尾望都のデビュー作『ルルとミミ』です。 1969年「なかよし」掲載。 私は『ポーの一族』が出会いの作品でしたのでこの作品は後で読みました。 ネタバレします。 デビュー作は作者が映し出されているという。 その言葉が正確なのかはわからないが本作を観れば確かにと思える。 萩尾作品で感じるのはその本質的な明るさとどこかあきらめの境地にいることだ。 私が現在も読み続けている「少女マンガ」作家は萩尾望都と山岸凉子なのだけど山岸氏の居座る暗さと粘着的な描写に比べ萩尾氏はその真逆にあると思う。 両極にありながらどちらも私にとって必要な作者なのである。 本作『ルルとミミ』の凄さはなんといってもテンポの良さだ。…

  • 『ヨルムンガンド』高橋慶太郎とアニメーション その6

    ウゴとココ、この体格差、いいですねえ。 ネタバレします。 第30~35話「滅びの丘」 といっても物語は珍しくぼーっとなっているバルメから始まる。 しかしバルメがぼうっとしているのは彼女が失ってしまったかつての部下たちを思ってだった。 常にココに対し忠義以上の愛情を抱いているバルメが突然チームから離脱してしまう。 それは先だって出会った大星海公司の陳国明を殺すためだった。 しかしそのバルメを追いかけてきたのがヨナだった。 ヨナはココのためにバルメを失いたくない、という一念で追いかけてきたのだ。 その優しさにバルメは心打たれる。 その一方でココチームは珍妙な殺し屋三人組に狙われる。 この殺し屋たち…

  • 『ヨルムンガンド』高橋慶太郎とアニメーション その5

    どれも怖い話だけど今回ものすごく怖い話だ。 ネタバレします。 第25~29話「DragonShooter」 楽しい海水浴場面から始まる。 海流に乗って流されていくヨナに「人魚が引っ張ったんだ」と言うココ。 人魚の話からドラゴンに進んでいくと言う演出うまいな。 今回のココの仕事は「NGO=人権の為発言する医師団=アウトスポークンドクターズフォーヒューマンライツ」10人を難民キャンプまで輸送することだった。 対する敵はバルドラと呼ばれる極悪人率いる民兵部隊。 ヨーロッパの火薬庫バルカン半島のT国軍の将軍の子であるのを利用して犯罪を繰り返している莫大な賞金がかかったお尋ね者でもある。 本作でも傲慢不…

  • 『ヨルムンガンド』高橋慶太郎とアニメーション その4

    ネタバレします。 第20話「空路」 空港の金属探知機にヨナの尻に埋まったままの弾丸が反応してしまう。 問われて「僕の尻には弾丸があるんだ」と答えるヨナ。 「遅い」と文句を言う別客を脅すバルメ。 たのしい。 第21~24話「モンド・グロッソ」 冒頭はヨナとルツの山岳戦。 先の戦闘で一人だけ弾丸を食らったルツは罰則としてヨナに山岳戦を教わることに。 高圧ガス銃を使いペイント弾を相手に当てるゲームだ。 ヨナはもともと山岳兵、俺は、元警官だよ、と愚痴りながら歩くルツはヨナから見れば隙だらけだった。 あっという間にヨナが仕掛けた罠にはまりペイント弾を食らってしまうルツを「期待を裏切らない」とココは評価し…

  • 『ヨルムンガンド』高橋慶太郎とアニメーション その3

    第11~13話「Vein」 マンガは第2巻の終わりからです。 この話でヨナの過去がわかります。予想はついてたけど辛い話。ここだけは読み(観)かえしたくない。 ネタバレします。 貨物船輸送しているココの船に兄のキャスパーが乗り込んでくる。 何しろ父親のフロイド・ヘクマティアルは海運の巨人と呼ばれる人物なのだから船が主流なのだろう。 そして始まって間もなくヨナがキャスパーを襲うというとんでもない事態になりそこからヨナの昔の話になる。 といっても3か月前の西アジア某国で地雷原を歩かされる子どもたちと一緒にいたヨナ。ある日マルカという少女がそこを歩かされ爆死したことでヨナはそこにいた大人たちを皆殺しに…

  • 『ヨルムンガンド』高橋慶太郎とアニメーション その2

    アニメのほう、画像拾い難くて断念。 第6~10話「ムジカ・エクス・マキーナ」 ネタバレします。 冒頭、トージョが外国人が描いた日本人らしくてよい。 そして突如登場する日本人少女殺し屋チナツ。 なんでかチナツ凄く好きだ。 というか『ヨルム』に出てくる女性みなイイってのが本作の最大の特徴であり私が何度も見たく読みたくなる理由なのである。 チナツの師匠、オーケストラの音キチおやじは勢いばかりの男だけど何故かチナツは天才的な殺し屋なのがおもしろい。 パンツをはかずに銃を撃つ、というのが特徴だがだからといってそれがなにかを引き出すわけでもないのだが。 ところでwikiを見たらチナツ死亡、と書かれているけ…

  • 『ヨルムンガンド』高橋慶太郎とアニメーション その1

    昨日の記事の続きはもう書く気がなくなったので唐突にこちら。『ヨルムンガンド』初めて観たのはアニメの方だったと思う。 あまりにも好みすぎて続けて原作のマンガも読んだ(全巻持っている)が物凄い作画の落差に驚いたのだが再びアニメを観てやはり作品の魅力というのは作画の技巧のみでは得られないのだとも思いさらにアニメーションの高い技術がその魅力を引き出してくれるのだと確認した。 昨今人気漫画がアニメ化されてアニメが原作マンガから少しでも改変されていると炎上してしまうというのでアニメーター周辺は苦悩されているという。 アニメ界が単なる「人気漫画のアニメ化製造機械」になってしまっているだけでも悔しいのにアニメ…

  • 『かくかくしかじか』東村アキコ その1

    唐突に東村アキコ著『かくかくしかじか』です。 自分的には唐突ではなくずっと東村アキコ氏の作品を読まなくてはと思っていて(今まで読んだのは『東京タラレバ娘』の最初あたりだけ) 山田玲司「ヤンサン」で東村先生のファンになったのに作品は読んでないのはいかん気がして、だけど自分の好みが好みなんで散々迷った挙句是にしました。 それでもすぐに読み始めなかったのですが先日『山田五郎オトナの教養講座』で「世界で石膏デッサンしているのは世界で二つの国だけ」という発言を聞いてついに読み始めました。 酷いこと書いてる気がしますがそういう経緯で読み始めました。 ネタバレします。 まだ三巻の途中までですが読みながらこれ…

  • 『水滸伝』横山光輝 そして 『 ジャイアントロボ THE ANIMATION -地球が静止する日』

    『水滸伝』読んでてどうしても『GR地球が静止する日』を観ずにおれなくなったので急ぎプライムdアニメストア入会して鑑賞中。 今川泰宏監督の横山光輝独り占め(どういう嫉妬)みたいな激しい演出に嫌気を感じたこともあったけど『水滸伝』読んでてアニメ鑑賞したくてしょうがなくなるというのはやはり共感しているということなのだろう。 そして『ジャイアントロボ』ではなく『水滸伝』を読んでいる時に観たくなったというのもおもしろい。 横山作品は重いテーマを描いても独特の明るさがあってその感覚を出すのは案外難しいのかもしれない。 今川監督感性はそこが一番合っていると思う。 鑑賞中なので口数少なくなりました。 うん、楽…

  • 『水滸伝』横山光輝

    楽しい。 昨日まで立場や規則に人生を縛りつけられ平和と幸福を求めながらも戦争という地獄に落ち込んでいく物語を味わった後では「こんなくだらない生活こっちから願い下げだ」と無法者になっていく男たちの清々しさよ。 ところで「日本では『三国志』は人気があるが『水滸伝』はあまりない」という評をよく見る。それは日本人がお上に従って生きる性質で『水滸伝』のような反逆者の精神は持っていないからだと続けられるのだが果たしてそうなのだろうか。 『水滸伝』より『三国志』のほうが人気がある、というところまではそのとおりだろうが、では新しく作品を作る上での見本というか教科書というかテンプレート的なものは案外『水滸伝』な…

  • 『昭和天皇物語』能條 純一 その18

    ネタバレします。 裕仁は良子に話す。 「日本人とドイツ人は似ていると言われている。堅実で勤勉で几帳面で頑固で組織愛に満ちている。形式を重んじあまり外交的でないところも似ているらしい」 良子は「だから日本はドイツと手を組んだのですか」 「だから、とは言えないが確かに今日本人はドイツ人に対し親近感を抱いている」 この言葉は裕仁天皇が話した言葉なのだろうか。 などと言わなくてもこの言葉今でも一般的に話されている気もする。 あれほどつらい思いをし、もう二度と戦争は起こしてはならないと言いながらもどこかでドイツに親愛を感じているのは何故なのか。 ナチス、と言えば世界中で悪の権化として表現され続けているが…

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