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2019/03/24

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  • 唐初功臣傳72-2 李弘節

    ----------------------------李弘節/宏説----------------------------父辱は橫野將軍司州從事。武德元年硤州刺史録事参軍[刺史許紹]二年九月蕭銑征討に従い功績があり、淸平縣公.千戸。貞觀初杭州刺史貞觀慶州刺史五年頃原州刺史七年大理卿?/少卿七/八月巡撫嶺南工部侍郎検校工部尚書貞觀二年十月金紫光禄大夫并州都督府長史八年頃雍州別駕十二年~十三年桂州都督貞觀十四年交州都督.生蠻を招慰し瀼州・籠州・環州を置いた。貞觀十五年頃卒贈桂州都督.上柱国.淸平縣公唐初功臣傳72-2李弘節

  • 唐初功臣傳72 劉贍

    -----------------------劉贍-----------------------義寧1.6~武德二年大将軍府咨議参軍として領西河通守/浩州(汾州)刺史となった。武德2.9劉武周軍が西河を攻め、浩州剌史.武陵郡公劉贍は李仲文と固守した。武德四年~五年上柱国.大府卿五年襄州道行臺兵部尚書仍持節山南道巡撫大使七年本官兼検校襄州刺史/都督武德五年/六年?司農卿八年安州大都督府長史[都督趙王]權検校大都督府長史十二月~貞觀二年検校襄州都督貞觀二年~五年検校荊州都督五年在官卒唐初功臣傳72劉贍

  • 唐初功臣傳71 虞世南

    ----------------------------虞世南字伯施----------------------------隋內史侍郎世基の弟。父荔は陳太子中庶子で共に有名だった。叔父陳中書侍郎寄の養子となった。性格は沈靜で寡欲であり勉学に励み博学を謳われた。丁父後建安王法曹參軍となった。至德初西陽王友。陳滅世基とともに隋に仕えて有名であった。煬帝に気に入られ、大業初,秘書郎から起居舎人となった。世基は寵臣となり富貴を極めていたが、世南は同居してはいるが勤儉で質素で昇進しなかった。宇文化及が煬帝を弒逆した時、世基は殺されたが、世南には害は及ばなかった。化及に従い聊城に至り、竇建德に捕らえられて黃門侍郎になった。竇建德が亡ぶと、世民[太宗]は秦府參軍とし、記室弘文館學士に転じ房玄齡と共に文翰を分掌した。世民...唐初功臣傳71虞世南

  • 唐初功臣傳70 劉德威

    ----------------------------劉德威----------------------------父子將は隋毗陵郡通守。容貌は魁偉で有名だった。大業末左光祿大夫裴仁基に従い淮左に賊を討った。また仁基とともに李密に帰し、懷州鎮守となった。武德元年李密が王世充に敗れて唐に入朝すると所部を率いて従った。授左武候將軍,封滕縣公。劉武周の南下を防いだ。判并州總管府司馬。裴寂が敗走し、齊王元吉が并州を棄てて逃げると、德威は總知留府事となり留守を守った。武周が太原を陥し、德威は捕まったが、その後逃亡し帰朝した。賊中の虛實と晉絳諸部の状況を報告し、改封彭城縣公。未幾檢校大理少卿。竇建徳・王世充の平定で有功。轉刑部侍郎,散騎常侍を加えられ、平壽縣主を妻とした。貞觀初大理卿太僕卿で加金紫光祿大夫。貞觀七年...唐初功臣傳70劉德威

  • 唐初功臣傳69 韋挺

    ----------------------------韋挺----------------------------父沖は隋民部尚書。挺は建成[皇太子]と親しく、李淵[高祖]が長安を陥した後、隴西公府祭酒となった。太子左衛驃騎檢校左衛率と建成の側近であった。武德七年慶州刺史楊文幹が反し、建成が疑われ、側近の挺や杜淹・王珪が流罪となった。太宗により召し還され主爵郎中。貞觀初王珪の推薦で尚書右丞。吏部侍郎黃門侍郎御史大夫封扶陽/扶風縣男。隋末以来緩んだ官僚達の風紀を引き締めることを提言した。房玄齡、王珪、魏徵、戴冑と政事を議した。八年正月使于四方,觀省風俗。女が齊王祐妃となった。復銀靑光禄大夫行黃門侍郎兼魏王泰府事。十二年正月高士廉・令狐德葇・岑文本等と「氏族志」を選した。中書侍郎杜正倫が太子承乾の廃立の件を...唐初功臣傳69韋挺

  • 唐初功臣傳68 張士貴

    ----------------------------張士貴/忽峍----------------------------父國は県主簿.参軍。強力で騎射に優れていた。大業末に盗賊となり、各地を荒らし、「忽峍賊」と号した。義寧二年/武德元年四月李淵[高祖]が招くと弘農賊より帰附して右光祿大夫。通州刺史馬軍総管として薛仁杲征討に従い封新野縣公。二年世民[太宗]麾下で劉武周と戦った。三年~四年王世充・竇建徳征討に従い、虢州刺史。秦王府将軍。四年十二月右武衛/武侯将軍として劉黒闥に相州で敗れ奔る。九年六月玄武門の変[太子建成殺害]に参加した。進封虢國公、右屯衛大將軍。貞觀七年五月雅州道行軍總管として反した獠を討った。太宗はその勇敢さを讃えた。八月侵攻してきた東酉洞獠を龔州道行軍總管として討った。八年正月東酉洞獠...唐初功臣傳68張士貴

  • 唐初功臣傳67 鄭善果

    -----------------------------鄭善果-----------------------------父誠は周大將軍開封縣公として戦死した。善果は九歲で襲開封縣公となった。隋開皇初進封武德郡公。14才で沂州刺史。魯郡太守で有能清廉だった。大業十二年頃大理卿突厥が煬帝を雁門に囲んだ時、解囲の功績で右光祿大夫。江都に従い宇文化及の弑逆後、民部尚書武徳二年聊城に従い竇建徳に捕まり責められ冷遇された。逃亡して相州に入り淮安王神通に帰した。高祖は厚遇して太子左庶子検校内史侍郎更封滎陽郡公。皇太子に誠実に仕えた。二年冬未幾,太子左庶子兼檢校大理卿兼民部尚書。三年坐事免。四年五月山東が平定され、持節為招撫大使。人事登用に失策があり除名。武德末禮部尚書刑部尚書貞觀元年岐州刺史→坐事免三年江州刺史卒61唐初功臣傳67鄭善果

  • 唐初功臣傳66 竇璡

    ----------------------------竇璡字之推----------------------------抗の季弟。穏やかな性格であった。大業末隋穎川・南・扶風太守を歴任していた。義寧元年十二月李淵[高祖]の反乱に扶風郡をもって歸附した。隋[代王]工部尚書.燕国公.上柱国.左元帥府掾[元帥は建成]隋[代王]禮部尚書武德元年六月唐の民部尚書世民[太宗]に従って薛仁杲を平定。ついで益州行臺僕射として平定にあたるが、皇甫無逸と対立した。京師帰還を求めたが留任させられると使者に贈賄し弾劾され免官される。五年頃秘書監封鄧國公、修陳史。貞觀初太子詹事五年九月將作大匠として洛陽宮を建設したが、あまりに豪華にしすぎて太宗の怒りをかい免官。娘を酆王の妃にしたため復位。右光禄大夫。卒贈禮部尚書.諡曰安。璡は音...唐初功臣傳66竇璡

  • 唐初功臣傳65 楊簒

    ----------------------------楊簒字續卿----------------------------弘禮族父。隋安溫二州刺史安平公文偉の子。大業進士に合格し朔方郡司法書佐。楊玄感の乱に親族として坐し免官。李淵[高祖]の反乱にくわわる。侍御史として進言。考功郎中貞觀初長安令.封長安縣男妖女の取り調べを誤り免官。五年~八年吏部侍郎.文雅を排除し能吏を登用した。八年正月河南巡察副使.宰相蕭瑀と対立した。八年~九年尚書左/右?丞九年/十年~十五年吏部侍郎十六年~十八年太常少卿貞觀十八年~十九年兼雍州別駕十九年~二十年銀靑光禄大夫尚書左丞、巡察四方二十年春/夏~二十三年大僕卿兼検校雍州別駕二十三年~永徽元年度支尚書柱國.長平縣公.永徽元年卒贈幽州都督.諡曰敬?/恭.唐初功臣傳65楊簒

  • 唐初功臣傳64 丘和

    ----------------------------丘/丘敦和----------------------------本姓丘敦氏、鮮卑人。父壽は魏の鎮東將軍。若くして弓馬に長じ、任俠を重んじていたが、成長すると穏やかになった。北周の開府儀同三司。隋の右武衛將軍封平城郡公。資州刺史。梁州刺史。寬恵で著名であった。隋漢王諒の反乱時に蒲州刺史であったが敗走し除名。権力者宇文述に媚びて近づき、代州刺史。煬帝北巡時に盛んに迎合獻食し、述の推薦もあり博陵太守となり、また帝に迎合した。しかるに郡民もよく撫して人気があり、遷天水郡守。左禦衛将軍。大業末嶺南地方が乱れ、裴矩に推されて交趾太守となり、諸豪傑を撫して蠻夷の支持を得た。義寧二年/武德元年煬帝が宇文化及に殺されると、寧長真・蕭銑・馮盎・林士弘が自立し帰属を勧誘...唐初功臣傳64丘和

  • 唐初功臣傳63 趙弘智

    ----------------------------趙弘智字處仁----------------------------元魏車騎大將軍肅の孫。父玄軌は隋陝州刺史。三禮・史記・漢書に通じ孝で知られて隋司隸に從事した。武德初郎楚之の推薦で太子詹事府主簿。吏部員外郎、国子博士、檢校吏部郎中から越王府長史兼檢校吏部侍郎を経た。貞觀中藝文類聚を選し文書や勤怠管理に努めて太子舍人から黃門侍郎兼弘文館學士に進んだ。病気により萊州刺史にでるが、また太子右庶子。俸祿は父や兄弟に分け与えていた。太子承乾が廢さけたことに連座して除名された。貞觀十八年~永徽元年しかしすぐ光州刺史となった。貞觀二十一年二月兼摂国子司業永徽初陳王の師に任用され、広く孝道を講經した。四年進國子祭酒仍崇賢館學士。卒82歳諡曰宣。唐初功臣傳63趙弘智

  • 唐初功臣傳62 竇誕

    ----------------------------竇誕----------------------------宰相抗の三男。隋仁寿中起家朝請郎。義寧初丞相府祭酒殿中監封安豐郡公尚襄陽公主駙馬都尉[高祖女]。世民[太宗]に従い薛舉を討った。元帥府司馬。武德二/三年刑部尚書。四年~貞觀元年太常卿.上柱国として高祖の子達の家事を視た。丁父憂→起復摂参旗将軍判刑部尚書事貞觀元年梁州都督。四年右領軍大將軍四年~八年大理卿、進莘國公九年修營太廟復殿中監→疾辭十八年宗正卿。老耄して失態し、光祿大夫致仕。二十二年二月卒68歳贈工部尚書、荊州刺史,諡曰安。唐初功臣傳62竇誕

  • 唐初功臣傳61 竇軌

    ----------------------------竇軌,字士則----------------------------父恭は周雍州牧酂國公。叔父は宰相威。剛胆で威望があった。大業中資陽郡東曹掾をやめて帰郷していた。李淵[高祖]が反し、軌は募兵して長春宮で参加した。義寧元年九月渭南を経略し、永豐倉を降して、長安を攻めた。封贊皇縣公.大丞相諮議參軍となった。十二月姜暮とともに散關を出て隴右を安撫したが薛擧に敗れた。武德元年四月稽胡賊五萬を黃欽山に破った。男女二萬を得、太子詹事に昇進した。羌族と薛舉叛將鐘俱仇が漢中に侵攻してきたが、秦州總管として破った。九月薛仁杲に敗北した。十一月世民[太宗]に従い薛仁杲を淺水原に破った。復襲酂國公となり益州道行台左僕射として蜀地を経略した。四年世民[太宗]に従い王世充を...唐初功臣傳61竇軌

  • 唐初功臣傳60 蔣善合

    ------------------------------蔣善合/合字玄符------------------------------大業八年山東賊孟海公に参加し鄆州を占領した。武德四年二月孟海公が竇建德に敗れて、建徳麾下になり、東都王世充救援に動員された。五月竇建德、孟海公軍は唐に敗れ、殺された。六月鄆州を以って唐に降り、戴州禹城縣令に任ぜられた。七月孟海公從弟戴州刺史孟啖鬼が曹、戴二州で反したが、善合は同調せず啖鬼を討った。功により大將軍、鄆城縣開國公食邑一千戶。持節鄆州諸軍事鄆州刺史。六年扶州刺史に転じた。七年五月羌と吐谷渾が松州に侵攻。竇軌と共に芳州道より擊った。六月吐谷渾が扶州に侵攻したが撃退した。七月吐谷渾を松州赤磨鎮で破った。八年十月吐谷渾の疊州侵攻に救援した。貞觀三年檢校松州都督。八年病...唐初功臣傳60蔣善合

  • 唐初功臣傳59 武士彠

    -----------------------武士獲/士彠字信明-----------------------則天皇帝の父。隋東都丞武華の子。材木商人上がりで交友を好んだ。李淵[高祖]は汾晉招慰大使として屯していた時、その家[鷹揚府隊正だった]に宿していた。淵が守太原留守となると、士彠を行軍司鎧參軍とした。士彠は淵に資金を提供し挙兵を勧めていた。無頼の劉弘基や長孫順德が募兵を始めると、目付役の王威や高君雅は疑惑を抱き逮捕しようとしたが、両者とも下仕手親しい士彠は「この連中は淵の客分だからもめ事になりますよ」と宥めた。反乱には参画できなかったが、大將軍府鎧曹參軍.壽陽縣公となり、長安侵攻に従って、庫部郎中.光祿大夫.義原郡公となった。禮部侍郎?.黄門侍郎?.武德元年高祖即位金紫光禄大夫.太原郡公检校井釴将軍...唐初功臣傳59武士彠

  • 唐初功臣傳58 柴紹

    -----------------------柴紹字嗣昌-----------------------父慎は隋太子右內率封鉅鹿郡公。若くして勇力で任俠として關中で有名であった。隋元德太子[煬帝嫡子]千牛備身となった。李淵[高祖]女(後の平陽公主)を妻とした。義寧元年五月淵の反乱時、建成、元吉と長安から間道を抜けて太原に逃亡した。右領軍大都督府長史となった。兼領馬軍總管として霍邑で宋老生と先陣で戦い、臨汾,絳郡を降し、授右光祿大夫.封臨汾郡公隋將桑顯和を大破して長安を降した。妻平陽公主は長安付近で諸賊徒数万を集めて李淵軍を支援した。武德元年左翊衛大將軍。世民[太宗]に從い、薛舉,宋金剛,王世充、竇建德と戦った。封霍國公,賜實封千二百戶,右驍衛大將軍。四年七月吐谷渾・黨項が來寇したので撃退した、六年~八年岐州...唐初功臣傳58柴紹

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