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無駄無し屋
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尾道市
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2019/02/26

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  • まるでカメレオンのように

    その時々で、臨機応変に。 が、モットーだ。これは自分が上手く世渡りするために身につけた、生きる術とも言える。 行き当たりばったりの出たとこ勝負を繰り返してきてるけれど、今のところはなんとかなっているし、他人がどう言おうとこのスタイルが自分には性に合っているように感じている。 率直に言うと、運は天に任せているというような具合。 運命は自分で切り開くものだという考えにも共感はするし、運命を天に任せて、自分は自分の目の前のやるべきことに只ひたすら神経を集中させる、というような捉え方もまた良いと感じる。 昔、つい5、6年前位までは、こだわりに重きを置いていたのだけれども、それでは些か前に進みづらいとい…

  • 同期に興味。

    自分のブログを観察するのも、日課の一つ。 ふと目についた。どうやら自分は今年の1月の6日に、このブログで初投稿をしているらしい。 なんだかもうすでに遠い昔のことのように感じていたけれども、あれからまだ二ヶ月も経っていないとはね。 いろんなブログを読んだり読者になったりとしてきたんだけど、内容が面白いとかそんなことはどうでもいいくらいに気になる人たちがいる。 それは自分と同じような時期に始めている人たち。いわゆる同期だよ。気になるね、なんだか。 ブログは敷居は低いが続けることが難しいというのが、どうやら一般的みたいだね。 毎日更新してる同期を見ると微笑ましい心持ちになると共に、自分も、と励みにも…

  • 硯を研いでみようと思ったもので

    硯で墨を磨り始めて4年目。今回はじめて硯の手入れに着手する。 これは硯用のどろ砥石というもので、これで今回磨滅した鋒鋩、つまり墨をするための凸凹を甦らせようという試みなのであります。さてどうなることか。 ちなみに450円でした。 まずは墨を磨る時と同様に硯に水を垂らすみたいですね。こんな感じです。 墨を磨る時よりは、多めに水を垂らしましょう。それでは実際に研いでみようと思います。 5分も研ぐとこんな感じになりました。 どろ砥石というだけあって、本当にどろどろになってしまいましたが、これで凸凹が甦ってる筈なんですよね。洗い流してみましたところ、 あまり、見た目には鋒鋩が本当に甦ったのかどうかわか…

  • 遊び心

    時折無性に筆を握りたくなるんだ。 別に誰かに師事するわけでも、書道家になってやろうとも思ってはいなく、ただ筆で書く感触と、ペンやキーボードで打ち込む文字とは違った、表現の幅というのが単純に面白いからという理由からなんだよね。全くの我流であり、日展なんかに応募できるような代物ではないよ。 行きつけの書道用品の専門店があって、そこの店主の80を越えた昭和一桁の戦前生まれの婆さんなんかは、なるほど達筆であり、真面目にどこぞの先生に師事して練習を重ねてきた感がありありと伺えるような文字を書いている。 きれいだなぁ、と素直に思うと同時に、どこにでもありそうな字だなぁ、という退屈感というのも悪いけど密かに…

  • 無駄無し屋イズム

    カテゴライズされることを、迷惑&無理解だと感じている無駄無し屋である。 ことあるごとに「仕事は何ですか?」と、聞かれるんだよね。そしてこう答えるんだ。 「仕事は無駄無し屋です」と。 「それはどういった職業なんですか?」と、大抵の人間が追及してくる。まあそうくるわな普通。 「肉体労働も精神労働も知的労働も商売もボランティアも、できることはなんでもやるのが無駄無し屋です」と、嘘偽り加工なしに答えているけど、首をかしげる人も多いよ。(笑) 無駄無し屋というのは、他に類を見ない唯一無二の職種なんだ。どうだ、すごいだろうエッヘン、などと自慢するつもりはない、事実を述べているだけの話なのである。 平成の2…

  • ブログは自由さ。ペース、スタイルなんでもね

    無理はいけないとは思うんだけど、楽なほうに逃げるのもなんか違うんだよね。 別に自分の設定を低く見積もってるんならそれでもいいんだろうけどさ。 求めるものと支払うもののバランスが悪けりゃ、事は成らんよ、実際。 頑張らん者には頑張らん者なりの結果が待ってるだろうし、頑張る者には頑張る者なりの結果が待ってるのはごく当たり前なことじゃん? 言い訳というのは一度味をしめたら中毒になる人間を駄目にする麻薬と一緒だね。世の中のどこかに楽園があるなんて妄想は現実的じゃないな。 甘えがまかり通るような場所なんか、この地球上のどこを探してみたってあるわけないよ。今という不本意な状況から抜け出そうと思ってるなら立ち…

  • しあわせになるために

    別段確固たる目的をもって始めた訳でもないこのブログ。 言葉を紡いでいくことは嫌いじゃなかったし、実際ここ一年ほど、毎日欠かさず日記をつけている。とりとめのないことを日記帳一ページに書き記しているだけのことなんだが。 それだけのことに満足しなくなったことの延長線上に、このブログがあったということだ。 書く、という行為自体と、自分の世界感をいうものをさらけ出すということに、ある種の快感を覚える。 理屈を抜きにして、そんな快感を覚える時に幸せという感情が自分の中に芽生えている。 これはたまたま自分が書く、という種類の行為に喜びを感じるだけのことであって、たとえば植物を育てることや、車をいじってる時に…

  • 二千円で買った油絵

    数年前に、まだ古物商として各家庭に出向いて不用品を買い取ってまわっている時に、ある70手前のおばさんと偶然出会った。 そのおばさんは買い取ってくれ、ではなく壊れたエアコンを引き取ってくれとの依頼だった。 当時はまだエアコンのスクラップは有価物としてキロ100円で売れていたので、一台回収するとおおよそ、4、5千円にはなる、十分仕事として成り立つものであった。 二階のベランダに外して置いてあるんだけども、どうにも重くて運び出せないと、そのおばさんがいうので、それでは、と家の中に入っていったところ、そこには油絵が壁中に飾られてあり、床やテーブルの上にも描きかけの作品や、油絵の具や筆などが乱雑に転がっ…

  • 蜘蛛の糸を読む

    今日なんか春のような陽気でしたねぇ、ここ瀬戸内海あたりではそんな感じでしたよ。 部屋でゴロゴロしながらくつろいでいたんですが、どういうわけか唐突に、昔誰かから聞いた話だったか、なにかの本で読んだのかさえ思い出せない「蜘蛛の糸」というタイトルの物語のことが気になりだしたもんですから、頼れるGoogle先生に問い合わせてみたんですよ。 さすがは先生、即座に答えを返してくれました。芥川龍之介が書いた短編小説だとの回答を。 これには少々意外な感じを受けましたがね。なにがどう意外だったのかは書きませんが、とにかく意外という感情だけが頭一つ飛び抜けておりました。まさかの芥川でしたね。 まあそんなことはどう…

  • せかせかしてしまいがちな現代には

    朝からしとしと雨が降り続いている。 おそらく春にまた一歩近づくのに違いない。今日はしっとりとした時間が流れている。 こんな日もたまには悪くない。しとしとな雨はどこか心を落ち着かせる効果があるようだ。人間の心理は環境に左右されることを実感する。 こんな雨の日だからこそ書ける文章があるのではないかと頭を捻る。落ち着いた心理状態で書ける文章といえば、さて、どんなものが出てくるか 明鏡止水という言葉が浮かんできた。意味はすみきって落ち着いた心の状態というような感じだ。 日々の暮らしは色々な意味で速度が速く、ついせかせかしてしまいがちだ。せかせかしてしまっていることに気づいてはいながらも、そこに歯止めを…

  • 万人受けはしない人間

    血液型はBだ。 だからなのかどうだかは分からぬが、自己中心的な考え方を自分は持っている。 別段それが悪いことだとは思っていない。数ある人間の性質の中の一つであって、寧ろそういう手合いもないと世の中は成り立たないだろうとさえ思っている。 自分でも図々しいところがあるのは自覚していて、それをうまく利用しているところもある。 ついでに言うとわりと強烈な我儘さも懐に忍ばせており、あげくの果てには、したたかさを可愛げでカモフラージュしながら自分の思い通りにことが運ぶように立ち回ることに、一種の快感さえ覚える始末である。 我ながらろくなもんじゃねえな、と感じることもないことはないが、それは十の内、一か二く…

  • 化粧と演技で死ぬまで通す

    散歩が好きで毎日歩く。 最近、スニーカーを新調した。グリーンの鮮やかなニューバランス。 履き心地、デザイン共に気に入っている。お気に入りを身につけて歩くのは散歩をよりいっそう愉快なものにする。 歩いてる最中にもチラチラと足元に目をやり、「ムフフ」と一人心の中でほくそ笑むこともしばしばである。このように自己観察をしてみると、なんとも不気味な感があるが、これは黙っていれば他人には伺い知れぬことであるので、まぁ良しとする。 この程度であれば、少しばかり自分で「気持ち悪いな」と、苦笑するくらいのことで、特に弊害というものはないし、寧ろ散歩が更に楽しくなったという点で、大きなメリットであると思って差し支…

  • ブログ論

    読めば読むほどに味が出る、つまり再読、三読としたくなるような記事を書きたいと思っている。 一度始めたからには一生やり続けてやろうという考えを、自分はもつタイプだ。そう腹をくくると、勝負を長い目で見ることになる。焦りは禁物だ。 読者、アクセスの数を増やすには時間をかけてゆっくり、じっくりとブログを丹念に育て熟成させていくのが王道だと思っているし、短期間で手に入る栄光というものは、どこか張りぼてメッキ感が漂うのを、これまでの人生で何度となく目の当たりにしてきたのも、こういう考えに至った理由の一つである。 結局は、なにをするにしても、本質というやつは共通しているように思う。 継続は力、石の上にも三年…

  • 期待

    鳴かぬなら、鳴かぬでもよい時鳥。 これは昔、自分のスタイルを、信長、秀吉、家康の性格を表現した句に倣ってつくった言葉だ。 殺してしまえ、鳴かせてみせよう、鳴くまで待とうのどれも、それぞれに魅力的ではあるのだけれど、自分にしっくりとくるかといえば、そうでもない。 まずこの3通りの考え方に共通しているのは、鳴いてもらいたい、という願望が前提にあるということである。要するに期待しているのである。 その期待に対するそれぞれの対応とでも言えばよいか。 ところが自分は、期待はしないことがいちばん楽である、というふうに思うものだから、色々とアクションは起こすけれど、それに対する結果というものは、出るに越した…

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