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kame710のブログ https://kame710.hatenablog.com/

55歳の時 胃がんと仕事中に頭部外傷、の人生の大きな転機があり、後遺症とつきあいながら まるで「カメ」のような歩みでここに至っています 出来ることは少ないけれど 日々の想いを書き連ねています

カメキチ
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2019/02/15

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  • 2023.9.29 壊れた脳と生きる

    ツレが脳梗塞を発症してから、もう半年が過ぎ去ろうとしている。 (ウソと言いたいほど時間の速さ、それ以上に「日にちぐすり」を強く感じている。 症状の改善が時間の経過とともに進むことは、脳梗塞のマニュアル本にも書いてあった。 忘れることが多いとか、料理など何かに集中しているときに話しかけられると《急な刺激があると》 混乱し、それまでしていたことがわからなくなるので「黙っていて!」と言うことなどは変わらない。 けれど、退院してからしばらく続いた「こんなことで何で泣く?」というような沈みがちな気分、 気の低下がだんだんよくなった《そればかりか、以前のように「バカ・アホ・マヌケ…」と私を おちょくること…

  • 2023.9.26 フランクルの「人生の責任」

    ③ フランクルの「人生の責任」 人は望んで生まれるのではないから、つまり能動的に生まれるわけではないから 「人生」と「責任」は関係ないと思われる。 しかし、「生まれる」「誕生」だけを見れば受け身、受動的であり、 「偶然」に支配されているようであっても、(「たまたまこうだった」といえるけれど) 長い目で人生を見れば、「責任」は生きる主体、当事者は自分だという強い思いが あるところにしか生まれないから、主体的に生きようとすれば関係ない とは決して言えない。 (私もフランクルの『夜と霧』、『それでも人生にイエスと言う』も読んだが、 熊谷さんのように深くは読めなかった) (グーグル画像より) ーーーー…

  • 2023.9.22 「ハイデッガーの蜜蜂」

    今日は、②「ハイデッガーの蜜蜂」。 (「ハイデッガーの蜜蜂」とは、ドイツの哲学者ハイデッガーが蜜蜂を用いたある実験について 言及したことを、著者の國分さんが「ハイデッガーの蜜蜂」と命名して述べたものです) (グーグル画像より) 「21世紀の人間は、アマゾンで何かを買ったら一日もしないうちに届いてしまうような、 いわば欲望が瞬間的に満たされる空間に生きている。 そこでは、欲望が自分のなかで醸成されるような溜めも、発酵されるような時間もない。 すべてがダダ漏れになっている。 … 僕は21世紀の人間に対して、この実験台にされたミツバチのようなイメージを持っています。 ある種の傷の否認(おなかの切れ目…

  • 2023.9.19 「外在化」-「免責」から「引責」へ

    今日は①、 「外在化」-「免責」から「引責」へ ということです。 (著者たちは大学の先生で、抽象的な言葉が多い。 で、私は頭が痛くなりますが、いわれていることはよくわかります) ーーーーーーーーーー ①「外在化」-「免責」から「引責」へ 「「外在化」 「免責」から「引責」へ 一度それらの行為(責任を問われる行い)を外在化し、自然現象のようにして捉える、 すなわち免責すると、外在化された現象のメカニズムが次第に解明され、 その結果、自分のしたことの責任を引き受け(引責)られるようになってくるのです。 … (國分さんの一般向け公開講座で、「自由意志など存在しない」というスピノザの言葉を聞いた ある…

  • 2023.9.15 〈責任〉と「中動態」

    いろいろな想念がわき、思ったり考えることがある。 「いろいろな想念」のうちには、死ぬまでには知りたい、わかりたいなぁと 思うことがある。 (残った時間は少ないので、「知る・わかる」といっても自分なりに納得できればいい) しかし問題は、「知りたい」「わかりたい」ことが漠然としていて何なのか?… よくわからないこと。 しかし、ある本を読んだ後に(結果として)それが何なのか(何だったのか)わかった 感じがすることがある。 それで読書する。 (ブログ記事で読書感想を書くのはだいたいそうです。 ときどき、自分にとって「大発見」があり、8月15日の「男のセリフ」もそうだった。 いまから感想を書くこの本もそ…

  • 2023.9.12 『一流家電メーカー「特殊対応」社員の告白』

    パソコンがトラブルに遭えば、まずはメーカーのサポートサービスに電話をかけ 指示に従う。 (私はそうしたし、たぶん誰もそうすると思っている) 軽いものだったらそれで解決し、重かったら修理に出すことになる。 ーーーーー この本を読み、 「事実は小説より奇なり」は、ホントだと思った。 現実は凡人の想像では追っつかないことを知った。 (こういうことが実際にあることを知り驚いた) 本は深刻な話が中身となっていますが、「はじめに」で述べられているように 「告発」が目的ではなく「告白」です。 内容の深刻さにかかわらず、おもしろく読めるのは、著者のユーモアたっぷりの 人柄(だから、これほどの困難・苦労がいっぱ…

  • 2023.9.8 「律」に学ぶ

    録画しておいた番組『世界ふれあい街歩き』を見た。 歩くところは仏教国ブータンの首都ティンプー、同じく仏教国タイのチェンマイ。 ーーーーー ■ティンプーは、ブータンの首都とはいえ日本の地方の小さな町という感じ。 さまざまなマニ車(経典や真言が収められており、回すことで唱えたとされ功徳があると 信じられている。街のあちこちには公的な大きいものが置かれ、私的な小さい携帯可能なものまで いろいろとある)が見られ、多くの人々が功徳を求めて回す。 国民はみんな敬虔な仏教(チベット仏教)徒、信者なのだ。 (グーグル画像より) ブータンは国の目標として、国民みんなが幸せを感じられることを掲げている。 あるシー…

  • 2023.9.5 「障害」とは? 「能力」とは?

    「障害」とは何らかの「能力」に支障をきたすことだともいえる。 しかし、そもそも「能力」とは何だろうか? それが支障をきたした「障害」とは? (この本を読んでいて、そんな疑問が湧きあがった。 私は平衡障害を負うまでは、ふつうに《人なみに》走れたり跳べた。が、いまではできない。 自動車も運転できたが、視界は揺れるし二重に見える障害もあるので事故を起こす前にやめた) ーーーーー 「〈個人モデルから社会モデルへ〉(障害に対する根本的な見方で、よくいわれる) 個人モデルは障がいはその障がい当事者の皮膚の内側にあり、 その当事者が努力したり、治療・リハビリによって治すべきものととらえる。 社会モデルとはそ…

  • 2023.9.1 コミュニケーション

    私は長い間、社会福祉の仕事をしてきたけれど「障害者福祉」ではなかった。 「障害福祉」とりわけ「重度障害」は、同じ福祉でも「福祉」という言葉では 一括りできないのじゃないのじゃないかとずっと気になっていた。 重度の障害のなかには「コミュニケーション」障害がある。 コミュニケーションは、あまりに日常的、あたり前にしているので、 もしコミュニケーションがとれなくなったらと、想像すると………わからない。 前に『なぜ人と人は支え合うのか』(渡辺一史・著)という本の感想を書いたけど その本で紹介されていた天畠大輔さんという、14歳のとき病気入院した病院の 医療ミスによって重度障害者になった方の自叙伝のよう…

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