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京都童心の会 https://blog.goo.ne.jp/dousinkyoto

ほっこりあそぼ 京都洛西の俳句の会 代表 金澤 ひろあき 俳句 冠句 自由律 詩 エッセイなど同

京都童心の会
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2019/01/12

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  • 2024年8月 京都童心の会 通信句会結果 【選評】

    2024年8月京都童心の会通信句会結果【選評】○金澤ひろあき選特選天1まっすぐまがっている國の新札野谷真治だんだん国の力が衰えて行くのが顕在化していながら、有効な対策ができていない現在。そして、リーダー達の言動もしまりがない、けじめがない。そのタイミングで新札を発行し気分を変えようとしたのだろうが、さてその効果はどれほど?「まっすぐまがっている」の表現が、今の状況を言い当てている。「國」という大げさな旧字は、これまた皮肉か。地65こだわりの一つづつ減る介護かな三村須美子長いこと介護をやっているとこんな感じになって行くのですね。こだわっていたら生活できなくなっていくことに直面してしまう。私もこれから、一つ一つ手放していく生活になりそうです。人17暑中見舞癖ある友の文字弱し松村芳子文字の癖ですぐに、あああの人...2024年8月京都童心の会通信句会結果【選評】

  • 2024年8月 京都童心の会 通信句会結果

    2024年8月京都童心の会通信句会結果時が残ってしまった所金澤ひろあき世の中に常は無い。多くの別れを体験した後は、身にしみます。それだけに、時が残ってしまった所に行ってみたくなったのです。三重県の関という町は、旧東海道の町並みがよく残っていると聞いたので、訪ねてみました。知り合いの親切なNさんと二人旅。JR草津線で柘植(つげ)まで。柘植で関西本線に乗り換えます。これも旧東海道のコースとほぼ重なります。もっとも、江戸の人達は歩きですから、私達はずいぶん楽をしています。関西本線は単線で電化しておらず、二両のディーゼル車で山の中の線路をたどります。このゆっくり感が良いのです。関駅の観光案内所で地図をもらい歩き出したら、まあ何と気づかずに関宿を通り越していました。どんどん山の方へ行く。こりゃおかしいと引き返します...2024年8月京都童心の会通信句会結果

  • 雨上がりの明るさ

    雨上がりの明るさ秋祭金澤妙法(ひろあき別号送り火の文字から)※写真は武信稲荷。京都中京、大宮三条商店街の南側にあります。雨上がりの明るさ

  • 矢車草

    矢車草金澤ひろあき句会の席題で「矢車草」が出ました。ちょっと引っ掛かることがあったので調べてみると、「矢車草」は二つあるのです。一つはユキノシタ科の白い花のもの。もう一つはヨーロッパ原産で、「矢車菊」とも呼ばれるもの。藍紫や白、ピンクの花です。古くはエジプトのツタンカーメン王の棺の中から出てきたそうな。矢車草ツタンカーメン抱き眠るひろあきまずはそのまま書いてみました。花魁に矢車草は二、三人吾語り君は聞き役矢車草矢車草

  • たまたま

    たまたま金澤ひろあき久しぶりの休みの土曜日。たまたま晴れて残暑になる。たまたま烏丸三条に行く用事ができて出かける。たまたま阪急の豪華列車「京とれいん」が来たので乗る。用事を済まし、たまたま近くの京都文化博物館に入る。たまたまセタフィルチェロが演奏会をしていた。パブロ・カルザス「鳥の歌」、井上陽水「少年時代」等を聴く。たまたまの積み重ねで楽しいひととき。神様がプレゼントしてくれたのかな。チェロ秋天楽しいひととき短くてひろあきたまたま

  • シロカニペ ランラン ピシカン

    シロカニペランランピシカン(※Shirokaniperanranpishkan)金澤ひろあきシロカニペランランピシカン神の梟の歌う神の声聞こえし頃文字は有らず神の声聞けず悲しんで文字を創る「聴く」から「見る」「読む」に世界が変わる※「銀の滴降る降るまわりに」の意味。知里幸恵『アイヌ神謡集』冒頭の歌シロカニペランランピシカン

  • 「さんしょ」188号を読んで

    「さんしょ」188号を読んで○金澤ひろあき残暑お見舞い申し上げます。「さんしょ」188号、ありがとうございます。異常な暑さ、それが一転すると豪雨。ヨーロッパの中央部やミャンマー、そしてまた能登半島に。地球規模の災害になっています。「いつも災害と隣り合わせで生きている。」これからはそういう生き方をしなければならない時代が来ているような気がします。盲導犬車内でグタッと肉球なめる小沢真知子この盲導犬の姿が、私達の生存に重なる気がするのです。切実さを伝える句です。想い出も家も吊るしてクレーン唸る山口美代子凸凹の集まりだから住みよい家鈴木和枝人と共に想い出を積み重ねる家。前句は、何らかの理由で取り壊されているのでしょう。本当に更地になってしまう。私の回りも、今年四軒無くなってしまいました。後句は、古くなっても住み続...「さんしょ」188号を読んで

  • 台風

    台風金澤ひろあき招かざる客と台風長居する胸の渦巻き台風もまだ立ち去らず台風迷走する米不足の日本妖精のイタズラの恋夏の夢音もなき簾の揺れや野分待つ息しているかと台風叫んで行く台風

  • 半歌仙「青空豹変」 独吟

    半歌仙「青空豹変」金澤ひろあき独吟ノロノロ台風もしや青空豹変か時を惜しんで秋蝉の声千枚の田ごとに月を引き寄せてインスタグラム「いいね」いっぱい富士山をモデルに作るかき氷日焼けの顔に白い歯並び今メタボ昔健康優良児基準変えれば塞翁が馬後戻りしないつもりの老いの恋愛しい姿瞳に映す盲導犬育てて明日は手放す日ブラッシングをより念入りに柚子湯より上がる鏡に月の影聖樹の灯し彩りを添え安売りの広告の品店頭に一人一つと強くお願いアイドルの握手会ある花広場舞台衣装は踊る陽炎半歌仙「青空豹変」独吟

  • サラ・ベルナール

    サラ・ベルーナル金澤ひろあきミュシャのリトグラフの女性達が目で語りかけてくる夢見る目は半開き憧れ見る目は大きく開く日本が江戸から明治になろうかという頃パリで流行ったアールヌーボー白い百合のティアラをつけた女優サラ・ベルナールやさしい線と明るい色彩に今も生きている喜び(堺市アルフォンヌ・ミュシャ館にて)サラ・ベルナール

  • 松尾芭蕉 『笈の小文』 口語訳 十 須磨

    松尾芭蕉『笈の小文』口語訳金澤ひろあき十須磨月はあれど留守のやうなり須磨の夏月見ても物たらはずや須磨の夏万菊旧暦四月中ごろの空も朧に春の雰囲気が残って、はかない短夜の月もまだなお優美であるが、山は木々の若葉で黒ずんで見えて、ほととぎすが鳴き出すはずのしののめ(夜の明け方)も海の方から白みはじめている時に、上野と思われる所は、麦の穂が一面に赤らみを帯びて、漁師の軒に近い芥子の花がとぎれとぎれに見渡される。海士(あま)の顔まづ見らるるや芥子の花東須磨・西須磨・浜須磨と三カ所に分かれているが、どこも特に他と異なった仕事をしているとも見えない。在原行平の「藻塩たれつつ」などと歌にも知られていますが、今はそのような生業なども見えない。きすごという魚を網で取って、細かい砂の上に干し散らしているのを、烏が飛んで来てつか...松尾芭蕉『笈の小文』口語訳十須磨

  • 松尾芭蕉 『笈の小文』 口語訳 九 夏の旅

    松尾芭蕉『笈の小文』口語訳金澤ひろあき九夏の旅衣更一つ脱いで後ろに負ひぬ衣更吉野出て布子売りたし衣更万菊灌仏(仏生会)の日は、奈良であちらこちら参詣しましたが、鹿が子を産むのを見て、この釈迦の誕生の日に生まれるのが素晴らしいので、灌仏の日に生まれあふ鹿の子かな唐招提寺鑑真和尚が日本に来られる時、船中で七十回余りの苦難をおしのぎになり、目の中に塩風が吹き入って、ついに目を失明なさった尊像を拝して若葉して御目の雫ぬぐはばや旧友と奈良で別れる鹿の角まづ一節のわかれかな大坂で、ある人の所で杜若語るも旅のひとつかな松尾芭蕉『笈の小文』口語訳九夏の旅

  • 松尾芭蕉 『笈の小文』口語訳 八 旅のやり方

    松尾芭蕉『笈の小文』口語訳金澤ひろあき八旅のやり方紀三井寺かかとは傷ついて西行と同じく、天竜の渡し(で不条理な暴力に耐えた西行)を思い、馬を借りる時は(堀に落とされ)いきまいた聖(証空上人)の事を心に浮かべる。山野・海浜の美しい景色に、万物生成の原理である造化の偉業を見、あるいは一切の執着を脱した仏道修行者の跡を慕い、風雅の人の本領をうかがい見る。やはり住む家を去って、家具などの器への願いは無い。無一物なので途中の悩みも無い。ゆっくり歩いて籠や馬を使わず、遅い目の食事は肉よりも甘い。泊まるべき道に限りが無く、出立すべき朝に時の制限が無い。ただ一日の願いは二つだけだ。今宵良い宿を借りよう、草鞋がわが足にまあよいのを求めようというのだけが、いささかの思いである。その時々気のおもむくままにし、日々に情を新しくす...松尾芭蕉『笈の小文』口語訳八旅のやり方

  • 松尾芭蕉 『笈の小文』 口語訳 七 吉野へ杜国と

    松尾芭蕉『笈の小文』口語訳金澤ひろあき七吉野へ杜国と陰暦三月中頃過ぎに、そぞろに浮かれ心の花が、私を導く枝折(道しるべ)となって、吉野の花見にと決心すると、あの伊良湖崎で約束しておいた人(杜国)が伊勢に出て来て迎え、共に旅寝の情緒を体験し、また一方では私のために仕える侍童となって、道中の手助けにもなろうと、自ら侍童風に「万菊丸」と名乗る。本当に子どもらしい名の様子は、とても趣興がある。さあ、旅立ちのお遊び事をしようと、笠の内に落書きをする。乾坤無住同行二人吉野にて桜見せうぞ桧笠吉野にてわれも見せうぞ桧笠万菊丸旅の道具の多いのは道中の邪魔であると、物を皆払い捨てたけれども、夜の寝具にと紙子ひとつ、合羽のような物、硯、筆、紙、薬など、昼の弁当などの物を包んで後ろに背負ったので、もともと足が弱く力が無い身が、後...松尾芭蕉『笈の小文』口語訳七吉野へ杜国と

  • 松尾芭蕉 『笈の小文』口語訳 六 伊勢へ

    松尾芭蕉『笈の小文』口語訳金澤ひろあき六伊勢へ伊勢山田何の木の花とはしらず匂ひかな裸にはまだ衣更着(きさらぎ)の嵐かな菩提山この山のかなしさ告げよ野老掘(ところほり)龍尚舎物の名を先づとふ芦の若葉かな網代民部雪堂に会う梅の木になおやどり木や梅の花草庵の会いも植えて門は葎の若葉かな神域の内に梅が一本もない。何か理由がある事だろうかと神主にたずねますが、ただ何とはなしに自然に梅が一本もなくて、物忌みの子良(こら)の館の後ろに一本ございますと言う事を語り伝えている。御子良の一もとゆかし梅の花神垣や思ひもかけずねはん像松尾芭蕉『笈の小文』口語訳六伊勢へ

  • 松尾芭蕉 『笈の小文』口語訳 五 ふるさと伊賀上野へ

    松尾芭蕉『笈の小文』口語訳金澤ひろあき五ふるさと伊賀上野へ十二月十日過ぎ、名古屋を出てふるさとへ入ろうとする。旅寝して見しや浮き世の煤払ひ西行が「桑名よりくはで来ぬれば」と言う日永の里より、馬を借りて杖つき坂を上がる時、荷鞍がひっくりかえって馬より落ちてしまった。歩行ならば杖つき坂を落馬かなと辛さのあまり句を言い出しましたけれども、ついに季語が入らない。旧里や臍の緒に泣く年の暮宵の年の空の名残りを惜しもうと、酒を飲み夜更かしして、元日寝て起き忘れたので、二日にもぬかりはせじな花の春初春春立ちてまだ九日の野山かな枯芝やややかげろふの一二寸伊賀の国、阿波の庄という所に、俊乗上人の旧跡がある。護峰山新大仏寺とか言い、名だけは千歳の形見となって、伽藍は破れて礎石を残し、坊舎は絶えて田畑と名が変わり、丈六仏の尊像は...松尾芭蕉『笈の小文』口語訳五ふるさと伊賀上野へ

  • 松尾芭蕉『笈の小文』口語訳 四 名古屋の仲間たちと

    松尾芭蕉『笈の小文』口語訳金澤ひろあき四名古屋の仲間たちと鳴海に泊まって星崎の闇を見よやと鳴く千鳥飛鳥井雅章公がこの宿にお泊まりになって、「都も遠くなるみがたはるけき海を中にへだてて」とお詠みになったのをご自身でお書きになられて、お与えになったことを語る時に、京まではまだ半空や雪の雲三河の国、保美という所に、弟子の杜国がしのんで暮らしているのを訪れようと、まず名古屋の越人に便りを送り、鳴海より後ろへ二十五里ほど訪ねるために帰って、その夜は吉田に泊まる。寒けれど二人寝る夜ぞ頼もしきあまつ縄手は、田の中に細道があって、海より吹き上げる風がとても寒い所である。冬の日や馬上に氷る影法師保美村より伊良古崎へ一里ばかりもあるだろう。三河の国の地続きで、伊勢とは海でへだてている所であるけれども、どういう理由だろうか。『...松尾芭蕉『笈の小文』口語訳四名古屋の仲間たちと

  • 松尾芭蕉 『笈の小文』 口語訳 三 旅日記について

    松尾芭蕉『笈の小文』口語訳金澤ひろあき三旅日記についてそもそも旅の日記というものは、紀貫之、鴨長明、阿仏尼が文を奮い立たせ、旅情を述べつくして以来、その他は印象が似通っていて、同じパターンを改めることができていない。まして私のような浅い智恵で劣った才能の筆では及ぶはずもない。その日は雨が降り、昼より晴れて、そこに松があり、かしこに何とかという川が流れているなどということは、誰でも言うように思われますが、黄山谷の詩の奇抜さと蘇東坡の詩の新しさのようでなければ言うな。そうではあるが、その所々の風景が心に残り、山中や野中の宿の苦しい悩みも一方では話の種となり、風や雲のような旅の便りともなるかと期待して、忘れぬ所々をまとまりもなく書き集めました。全く酔った者のたわごとに等しく、眠っている人がうわ言を言うたぐいに見...松尾芭蕉『笈の小文』口語訳三旅日記について

  • 松尾芭蕉 『笈の小文』口語訳 二 旅立ち

    松尾芭蕉『笈の小文』口語訳金澤ひろあき二旅立ち(貞享四年)陰暦十月の初め、空は不安定な様子で、わが身は風に散る葉のように行方定まらない気持ちがして、旅人と我が名よばれん初しぐれ又山茶花を宿々にして岩城の住人・長太郎と言う者、この脇句を付けて、其角亭において送別の会をしようと、もてなしをする。時は冬吉野をこめん旅のつとこの句は内藤露沾公より下賜されましたものを餞別の初めとして、旧友、親しい者も、門人らも、ある者は詩歌文章をもって訪れ、ある者は旅費を包んで志を見せる。旅に必要だというあの「三か月の糧」を集めるのに苦労はない。紙衣、綿子などというもの、頭巾、足袋のようなもの、それぞれ心をこめて贈ってきたものが集まって、霜雪の寒苦を避けるのに心配がない。ある者は小舟を浮かべ、別荘で送別の宴を開き、私の草庵に酒肴を...松尾芭蕉『笈の小文』口語訳二旅立ち

  • 松尾芭蕉 『笈の小文』 口語訳 一

    松尾芭蕉『笈の小文』口語訳金澤ひろあき一風狂の論多くの骨と九つの穴からなる私の身体の中に心という物がある。仮に名づけて風羅坊(風に破れやすいうすもの・芭蕉葉の破れやすいにもたとえる)という。本当にうすものが風に破れやすい事を言うのであろうか。彼(実は芭蕉)は風狂の句を長く好んでいる。ついに生涯の仕事とした。ある時は飽きて風狂の句を捨て去る事を思い、ある時は(職業俳人の道に)進んで勝つ事を誇り、あれこれ思い悩んで、風狂の句のために身が平安でなくなった。一時は仕官して立身出世する事を願ったけれども、風狂の句のためにさえぎられ、一時は学問を修めて自分の愚をさとることを思ったけれども、風狂の句のために破られ、ついに無能無芸のままで、ただこの風狂の句の道一筋につながっている。西行の和歌における、宗祇の連歌における、...松尾芭蕉『笈の小文』口語訳一

  • 猛暑の蓮

    猛暑の蓮たった一人で逝った友ひろあき※写真は東寺の蓮。猛暑の蓮

  • 半花仙 「土けむり」の巻

    半花仙「土けむり」の巻2024年8月20日独吟金澤ひろあき原爆忌土けむり立ちおさまらずあわれも混じる熊蝉の声はげ山にやっと植林はじまってSNSで資金集まる月影に浮かぶ再建天守閣紅葉の下の市長の祝辞丹波栗運動会でふるまわれ好きなあの子に持って行こうよラブレター書き直しては清書した昭和がこんなに遠くなるとは寅さんが啖呵を切った町の角飾りの涙なんて要らねえ地吹雪の後の捜索月の峰目印赤いスキー服だと記憶違いありがちなので確認すマイナンバーのカード財布に他郷への進学祝う花見席親離れする春の装い※写真は広重浮世絵。半花仙「土けむり」の巻

  • 脇起こし半歌仙「花のパリ」の巻

    脇起こし半歌仙「花のパリ」の巻花のパリ自転車漕ぐ老夫婦照三自由時間は人生の春輝リタイアーしてたっぷりと朝寝して時計見る癖まだ抜けきれぬ送り火を待つ間に屋根を照らす月風の香りに秋しのび込む法師蝉宿題そろそろ片付けよ親に叱られデートお流れ二股を隠すつもりでいたけれど急に政権交代が来て民主化の願い世界にアピールし沖縄旅行平和教育雷鳴の月出てからも立ち去らず長く居座る冷酒出す店奥から二つ故人の指定席だった夢なら早くさめてほしいな花の間に全速ジェットコースター草食系の男子野遊び※8月16日、送り火の日に。佐久間さんの遺句を発句に、以下は独吟。脇起こし半歌仙「花のパリ」の巻

  • 旅は続きそうだ

    旅は続きそうだ金澤ひろあきもうずいぶん昔のことになるが、ゴッホが広重の浮世絵を模写した絵を見た。「タンギー爺さんの肖像」の背景にも浮世絵を描いているのを見て、ゴッホはよほど日本に来たかったのではないかと思ったりした。今、マブソン青眼というフランス人が長野にいる。金子兜太さんの弟子の俳人である。一時、日本で嫌なことがあったらしく、ゴーギャンのようにマルキーズ諸島に移ったが、日本を愛して下さっているようで、日本に戻って来て下さった。本当は日本人が主体的にしっかりやらなければならないのにやろうとしないこと、具体的にいうと、アジア太平洋戦争の反省、ファシズムによる言論弾圧犠牲者の名誉回復を行っている。長野の上田に「俳句弾圧不忘の碑」を立て、犠牲者のための文学館を建てて活動している。初雪積もれ俳句弾圧不忘の碑マブソ...旅は続きそうだ

  • 石山寺千日会

    石山寺千日会金澤輝「一つ一つコツコツ努力を重ねなさい」というのが立派に見えますが、「特定の日に来たら功徳一千倍」と言われると、私のようなずぼら人間はつい乗ってしまいます。今年8月9日は、石山寺の千日会。この日お詣りすると、千日分の功徳だそうです。石山寺は紫式部ゆかりのお寺。今年はNHK大河ドラマ「光君へ」が好評です。そのためか、心なしか人が多いみたいです。「源氏物語」の注釈書「河海抄」に、寛弘元年(1004年)、紫式部が石山寺に参籠し、琵琶湖に映る名月を見て着想し書き始めたと。紫式部が執筆した「源氏の間」、その時使ったという硯が残っています。「源氏の間」には、紫式部のお人形が。芭蕉も元禄三年(1690年)に、源氏の間を見て一句。曙はまだむらさきにほととぎす芭蕉「源氏物語紫式部御影」という刷り物を復刻版で出...石山寺千日会

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