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ブログタイトル
摂津三島からの古代史探訪
ブログURL
https://blog.goo.ne.jp/akuto508
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邪馬台国の時代を含め、古代史の重要地である高槻市から、諸説と伝承を頼りに史跡を巡っています
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42回 / 365日(平均0.8回/週)

ブログ村参加:2018/09/29

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摂津三島からの古代史探訪
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摂津三島からの古代史探訪

akuto508さんの新着記事

1件〜30件

  • 大屋都姫神社(和歌山市宇田森)~紀伊の地にひっそり佇む、出雲王家の姫君~

    JR紀伊線の、和歌山駅から3駅大阪側にある紀伊駅より、徒歩で20分くらい歩いたところにある、「延喜式」神名帳にも”紀伊国名草郡大屋都比売命、名神大月次新嘗”とある式内社です。ご祭神は、中央の主祭神が大屋都姫命、向かって右の宮に五十猛命、そして向かって左の宮に都麻都姫命がお祀りされています。「三大実録」によれば、貞観元年(859年)に従四位の神階を授けられたようです。その後、従一位となった記事も有るようですが、正しいかどうかわからないようです。・社殿正面でなく、横から境内に入ります主祭神の大屋都姫を始めとするこられ三柱の神々は、日本書紀の神代上の八岐大蛇のところ、第5の一書に登場し、”この素戔嗚命の子を名付けて五十猛命という。妹の大屋津姫命。次に抓都姫命。この三柱がよく種子をまいた。紀伊国にお祀りしてある”と説明...大屋都姫神社(和歌山市宇田森)~紀伊の地にひっそり佇む、出雲王家の姫君~

  • 比売許曽神社(大阪市東成区)~”出雲”でつながる下照姫神と葛城氏~

    鶴橋駅から歩いて300m程の、下町風情の街中にこじんまりと鎮座している神社ですが、この社は記紀で説明されてるほど由緒あるもの。「古事記」では、新羅から難波に渡って来た天之日矛の妻で”難波の比売許曽の社に坐す阿加流比売神”とし、「日本書紀」では、加羅の王子都努我阿羅斯等が結婚しようとした比売が、難波に詣りて(または豊国国前郡に至りて)比売許曽の神となった、と書かれているのです。・こんな狭苦しいとこに、という印象・・・さらに坐摩神社の記事でも書きました、「三国遺事」の延鳥郎・細鳥女の話や、「摂津国風土記」逸文での新羅の女神が筑紫国の伊波比の比売島を経て摂津の比売島まで来る話など、女神が新羅(加羅)から難波へやってくる事で共通する話が幾つも存在します。「延喜式」神名帳では格式の高い名神大社。別称としてご祭神名で、下照...比売許曽神社(大阪市東成区)~”出雲”でつながる下照姫神と葛城氏~

  • 筑前國一之宮 住吉神社(福岡市博多区)- 最初の住吉神社と、住吉三神が生まれた”筑紫日向”の謎 -

    JR博多駅からおよそ20分程歩くとたどり着く、主要都市のど真ん中に堂々たる敷地を確保する、真に由緒ある神社です。”住吉”といえば、大阪人にとっては”すみよっさん”として親しまれる住吉大社が真っ先に思い浮かびますが、ご祭神の底筒男神、中筒男神、表筒男神の住吉三神は、元々は北九州の神様で、この地域には多くの歴史ある住吉神社が鎮座しているのです。そして神社は、この博多の住吉神社が「住吉本社」とか「日本第一住吉宮」などと古書に記され、最初の住吉神社だと主張しています。・神門前しかし、それも明確な証拠があるわけでなく、記紀でも下関市の住吉神社や大阪の住吉大社には触れているのに、この博多の住吉神社は出てこないのです。わずかに、大阪の住吉社所蔵の「住吉大社神代記」に”熊襲二国と新羅を撃ちたまひし時の社なり”と記されている程度...筑前國一之宮住吉神社(福岡市博多区)-最初の住吉神社と、住吉三神が生まれた”筑紫日向”の謎-

  • 蹉跎神社(さだじんじゃ;枚方市南中振)- 摂津三島の地に今もその名を留める出雲のサルタ彦 -

    枚方市という事で車で行ったので、京阪電車の線路沿いから、「郷社蹉跎神社」の石標のある交差点で曲がって蹉跎参道に入るのですが、これが車一台しか通れない、とても細い参道。こわごわ進んで一の鳥居をくぐり、二の鳥居の手前で右に曲がって神社の駐車場に辿り着きます。この参道は一方通行ではなく、地元の方は対向車の様子を伺いながら要領よく往来されていました。・二の鳥居蹉跎(さだ)天満宮、蹉跎山天満宮の別名をもつ事から分かるように、ご祭神は菅原道真公。ご由緒は「蹉跎神社縁起」により、901年に道真公が九州は筑紫の大宰府に御左遷された際に、途中この地の山にてご休憩され、京の都を望んで深く名残りを惜しまれ、さらに西へ旅立たれました。道真公が京を出発する日にその悲報を知った、道真公が特に寵愛されていた娘、苅屋姫が父を追ってこの地まで来...蹉跎神社(さだじんじゃ;枚方市南中振)-摂津三島の地に今もその名を留める出雲のサルタ彦-

  • 最近の溝咋神社(茨木市五十鈴町)~大阪北部地震の傷がまだ癒えない、日本古代史のクロスロード~

    だいぶ前に、茨木市の溝咋神社を、東出雲王国伝承と絡めて取り上げさせていただき、2017年の秋ごろ撮影した写真を掲載していましたが、その後、Netを何となく見ていると、2018年の震災後、様子が変わってきてるような感じで、11月のある日にまた参拝してきました。主の拝殿は変わった様子はなさそうでしたが、両横の摂末社の社殿周りには立ち入り禁止のロープが張り巡らされ、鉄のつっかえ棒で痛々しく支えられているような様子が確認できました。ここで、境内をお掃除していた男女の女性の方に声を掛けていただきました。お話によると、この神社に大変お詳しく、ボランティアで境内の掃除をされていたとのこと。私がNetで拝見していたのは、この女性(@IsuTamagさん)の方のTwitter「溝咋神社は今」だったようでした。・拝殿左側の社殿。赤...最近の溝咋神社(茨木市五十鈴町)~大阪北部地震の傷がまだ癒えない、日本古代史のクロスロード~

  • 磯良神社(疣水神社、茨木市三島丘)/新屋坐天照御魂神社 西河原社(茨木市西河原)~三島とアマ(海部)氏と疣水の起源~

    以前、磯良神社の近くで仕事をしていた時期があり神社の存在は知っていたのですが、この名前でなく通称の”疣水神社”で覚えていました。鳥居の正面にある近鉄バスのバス停の名も「疣水神社前」ですし、堂々たる石標にも疣水神社とあるのですから、そうなるのが自然でしょう。・磯良神社境内元々この辺りは新屋坐天照御魂神社の西河原社の敷地で、磯良神社はその境内社でした。それが1699年に新屋社の社殿を敷地の西北隅の現在地に遷し、その間の林を刈り開墾して田にし、さらに現在では国道171号線が通って別々の神社になっています。そして、磯良神社の方がすっかり立派になってしまいました。もちろん、有難い疣水の人気のおかげです。・御神水疣水拝受所。この時は定期検査の結果、一時給水停止でした。。。この霊泉はかつては”玉の井”とも言い、「摂津名所図会...磯良神社(疣水神社、茨木市三島丘)/新屋坐天照御魂神社西河原社(茨木市西河原)~三島とアマ(海部)氏と疣水の起源~

  • 新屋坐天照御魂神社 宿久庄社(茨木市宿久庄)/西福井社(茨木市西福井)~安威の郷社に潜む日神信仰と蓬莱島信仰~

    奈良(鏡作と他田)、京都(木島)、大阪にそれぞれ天照御魂神社という名の神社が存在し、大阪では高槻市の西の茨木市にこの新屋社が三社存在します。堂々の「延喜式」神名帳式内社、明神大社です。記録がある貞観元年の神階では、近畿各地の天照御魂社の内では新屋社が従四位下で一番高い地位を得ています。今回はその内、宿久庄社(上河原社)と、三社の中心となる西福井社を参拝しました。もう一つの西河原社はまた後ほど。。・宿久庄社。一の鳥居・宿久庄社拝殿。右奥には公園施設があり、御爺さんとお孫さんが遊んでました公式のご由緒によると、崇神天皇の時代、物部氏の祖、伊香色雄命により勅祭され西福井社が創建されます。さらに神功皇后が三韓遠征に際して三島県新屋川原で潔祓を行い、帰国後に西の川上(宿久庄社)と東の川上(西河原社)に社を作って、幸御魂と...新屋坐天照御魂神社宿久庄社(茨木市宿久庄)/西福井社(茨木市西福井)~安威の郷社に潜む日神信仰と蓬莱島信仰~

  • 摂津国一之宮 坐摩神社(大阪市東区)~河内王朝の聖地となったいかすり神と天日矛命の難波来訪説話

    住吉大社と並ぶ摂津国一之宮で、御堂筋からすぐの都会のど真ん中に鎮座します。境内には大阪府神社庁の立派なビルが併設し社務所も兼ねています。神殿は近代的なコンクリート造です。今は”ざまさん”と呼ばれる事が多いようですが、神社のご由緒にもあるとおり”いかすり”が正式な読み方です。谷川健一氏編「日本の神々」の大和岩雄氏の文書を参考に情報をまとめます。ご祭神は坐摩大神とありますが、これは総称で、生井神、福井神、綱長井神、波比岐神、阿須波神の五座の事です。今は居住地を守ってくれる神様とされてるようですが、「延喜式」神名帳には宮中神として、”神祀官西院坐御巫等祭神十三坐”の中に”坐摩巫祭神五坐”と有るのです。一方、「延喜式」神名帳で、神社としては一坐としている事から、ご祭神を創建に関わるとされる神功皇后とする、「和漢三才図会...摂津国一之宮坐摩神社(大阪市東区)~河内王朝の聖地となったいかすり神と天日矛命の難波来訪説話

  • 宗像大社2 沖津宮遥拝所、中津宮(宗像市大島)~沖ノ島祭祀変遷の近年の検討と、伝承の語る宗像~

    11:15に神湊湊を出発して20分程で、フェリーは大島港渡船ターミナルに着きます。そこから、まず沖津宮遥拝所に向かう為、11:50発の観光バス「グランシマール」に乗りました。これは、ターミナル駅と砲台跡の間を30分程度で往復する、小さなマイクロバスです。出発して10分弱で遥拝所前に到着します。ですが、その後10分程度したら戻ってくるバスに乗らないと、1時間前後はそこにいないといけなくなります。当日はあいにくの曇りでしたし、10人ほどの皆さんも戻られるので、名残惜しかったのですが、復路のバスに乗りました。残念ながら沖ノ島は見れませんでしたが、普通に来れる一番近い場所まで来た事に、ちょっとした達成感を感じました。・皆さん思い思いに遥拝所に向かわれます宗像市教育委員会の岡崇氏によると、この沖津宮遥拝所が設置されたのは...宗像大社2沖津宮遥拝所、中津宮(宗像市大島)~沖ノ島祭祀変遷の近年の検討と、伝承の語る宗像~

  • 宗像大社1 辺津宮(宗像市田島)~天孫を助け奉った、鎮護国家の宗像三女神~

    宇佐神宮と共に是非とも参拝したかった、摂社、末社も含めて全国に数千もの分社が有るともされる、大元の宗像(むなかた)大社です。そして、2017年に世界文化遺産に登録された”「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群”の中核史跡です。以前には、米子市の宗形神社、そして桜井市の宗像神社を取り上げています。宗像大社というと、一般にはこの玄海町田島のココの社と理解されますが、正式には宗像三宮の一つ”辺津宮”です。あとの二宮は、大島にある”中津宮”、そして「神宿る島」で宗像大社のご神体、沖ノ島の”沖津宮”です。今回は、辺津宮と沖津宮を公共交通機関のみで一日で訪れるという少々きつめの旅程でしたので、とある土曜、JR東郷駅から8:04のバスに乗りました。・神門手前ご由緒は記紀に明確に書かれていて、天照大神と素戔嗚命の誓約によって、天...宗像大社1辺津宮(宗像市田島)~天孫を助け奉った、鎮護国家の宗像三女神~

  • 宇佐神宮(宇佐八幡)3:下宮、呉橋 ~ 宇佐家古伝が”正した”古代史と東出雲伝承

    ★神仏習合や、奥宮の比売大神については、”1”で記載しました★二之御殿の埋葬者やご祭神については、”2”で記載しました「古伝が語る古代史」で宇佐公康氏は、下宮は”亀山墳墓の前方部と後円部のくびれた部分の南側に当たる箇所に、現在宇佐神宮下宮が鎮座している”と書かれています。亀山墳墓が前方後円墳の原始的な姿である高塚墳墓であり、3世紀前半期との説明です。これは、戦前に活躍された考古学者、鳥居龍蔵氏がお父さんである先代に語った事を踏まえているみたいです。宇佐氏の話では、上宮が前方側であり、後円部の西端は寄藻川に面する、と書いています。・宇佐鳥居と対面する形で若宮神社が鎮座宇佐氏に限らず宇佐神宮が古墳の上にあるとする説が語られるようですが、それだと上宮への登り坂は前方後円墳の中央を歩いてる事になるわけで、しかも3世紀前...宇佐神宮(宇佐八幡)3:下宮、呉橋~宇佐家古伝が”正した”古代史と東出雲伝承

  • 宇佐神宮(宇佐八幡)2:上宮、菱形池 ~ 二之御殿の下に眠る埋葬者の伝承と、ご由緒の神威ある御霊水 ~

    先の”1”の記事で記載しました通り、神仏習合の元祖として歴史の表舞台に躍り出た宇佐神宮がいわゆる邪馬台国の中心地で、二之御殿のご祭神、比売大神は卑弥呼の事だとする説。奈良時代の有名な託宣を下したのが、女禰宜つまり女性シャーマンだった事も有名な事から、とても魅力あふれる説と言えるでしょう。宇佐公康氏によると、確かに二之御殿の下に石棺が有る事が確認されているようです。・上宮境内宇佐氏は著書「古伝が語る古代史」に、先代からの話として紹介されています。上宮の3つの本殿は一応横一列に並んでいるのですが、二之御殿となる真ん中の御殿のヒサシだけがひっこんでいて、そのかわりに申殿と呼ばれる拝殿のヒサシが、そのひっこんだ部分に割り込んだような形になっています。・左側の一之御殿前から中央の二之御殿を拝見した図。これには重大な言われ...宇佐神宮(宇佐八幡)2:上宮、菱形池~二之御殿の下に眠る埋葬者の伝承と、ご由緒の神威ある御霊水~

  • 今城塚古墳(継体天皇陵) ~ 全国古墳ランキング1位の栄誉、そして埴輪祭祀場と大嘗祭 ~ 森田克行 今城塚古代歴史館特別館長 講演会

    日本経済新聞が様々なテーマで定期的に掲載している「NIKKEIプラス1なんでもランキング」。その8月31日の古墳をテーマにした回で、我が今城塚古墳が堂々の1位を獲得しました。それを受けて、その立役者であられます、今城塚古代歴史館の森田克行特別館長による緊急講演会「今城塚古墳の過去・現在・未来」が、9月28日に開催されたので、聴講させていただきました。日経新聞取ってませんでしたので、1週間前の今城塚古墳のピンク石棺石発見譚の講演会(こちらも面白かったです)で訪れた際に偶然知ったというお恥ずかしい状況でした。一新聞の企画だし、と。。それでも、私が参加した中では一番聴講者が多く、150人収容の会場ギリギリ、少しオーバーして映像で見た方もおられたのではないでしょうか。上位10位の結果は、コチラの高槻市のHPでご覧いただ...今城塚古墳(継体天皇陵)~全国古墳ランキング1位の栄誉、そして埴輪祭祀場と大嘗祭~森田克行今城塚古代歴史館特別館長講演会

  • 宇佐神宮(宇佐市南宇佐)1:上宮 ~ 奈良時代に突如表舞台に登場した、元祖神仏習合神社の不思議 ~

    大分県宇佐市の"宇佐八幡"です。全国で4万を超える八幡神社のここが総本宮。そして、古代史ファンには、邪馬台国との関係も取り沙汰され、想像力を掻き立てられる由緒ある神社であり、是非一度行っておきたいと九州まで足を運んでしまいました。夏の暑い最中で歩き回るのは少々きつかったのですが、小椋山の森の中に鎮座する堂々たる社殿群は見ごたえがありました。例によって、谷川健一編「日本の神々九州」の田村圓澄氏の文章を参考に、何回かに分けて情報をまとめたいと思います。・神橋を渡って大鳥居へ・右を向くと武内宿祢を祀る黒男神社がありますもっとも、古代史で注目というものの、この神社は記紀には一切登場しないのです。歴史の表舞台に登場するのは、740年に聖武天皇が奈良に盧舎那仏(大仏)を造立する事を思い立ち検討している段階で、宇佐八幡が”天...宇佐神宮(宇佐市南宇佐)1:上宮~奈良時代に突如表舞台に登場した、元祖神仏習合神社の不思議~

  • 陶荒田神社(堺市上之) ~ ”陶邑”と三輪の強きつながり、そして百舌鳥・古市古墳群時代の三輪・加茂氏 ~

    南海電鉄泉北高速鉄道の深井駅から、田園線バスのあみだ池行きで15分程乗ると、左手に陶荒田神社の鎮座する”太田の森”が見えてきます。バス停「上之」からすぐのところです。ちなみにこの田園線バスは堺東駅から出ていて、深井から堺東方向に乗れば、ニサンザイ古墳、御廟山古墳(車窓からは見えない)、そして大山古墳拝所前を結ぶ、百舌鳥古墳群陵墓巡りコースになっています。帰りは上之からノンビリ堺東まで乗りました。・太田の森言うまでもなくこの辺りは、記紀に記された茅渟県陶村(或いは美怒村)にあたるとされ、奈良県桜井市の大神神社の初代神主、大田田根子が探し出されたという地です。崇神天皇の時代、この御方が三輪山に行き大物主神を祭ったところ、疫病が止んで天下が収まった話が有名。神社の鎮守の森”太田の森”の名は大田田根子にちなみます。また...陶荒田神社(堺市上之)~”陶邑”と三輪の強きつながり、そして百舌鳥・古市古墳群時代の三輪・加茂氏~

  • 纏向遺跡と纏向古墳群(ホケノ山古墳) 2 - 纏向を巡る年代論争と、伝承から浮かび上がる東征勢力との関係 -

    山の辺の道シリーズはこれで最後です。という事で、少し長くなりました。タイトル写真は、箸墓とホケノ山古墳(というより國津神社の森)の遠景です。先の”纏向遺跡と纏向古墳群1”の記事で紹介しました、2018年の、纏向遺跡で出土した桃の種の炭素14年代測定結果の発表に対しては、さっそく安本美典氏がツッコミを入れられています。ターゲットは、纏向学研究センターの寺沢薫氏です。・纏向の桃の種が庄内3式で135~230年と云うが、寺沢氏は続く布留0式の箸墓古墳を270年以降としており、40年の空白が開く。・寺沢氏が同じく庄内3式とするホケノ山古墳出土の2点の小枝資料は、橿原考古学研究所の炭素14年代測定法では約70%以上の確率で4世紀のモノとの結果が出ている。とにかく、全体的に説明の整合が取れていない。・炭素14年代測定法は、...纏向遺跡と纏向古墳群(ホケノ山古墳)2-纏向を巡る年代論争と、伝承から浮かび上がる東征勢力との関係-

  • 等彌神社(桜井市桜井字能登)- 伊勢神宮の中重鳥居を譲り受けた、初期大和王朝の祭祀霊畤 -

    神社の前の通りはもちろんの事、桜井市駅周辺からも、5月5日の例祭を知らせるおびただしい数の旗が立てられていて、現在も地域で篤く信仰されている事が感じられました。宗像神社から歩いたのですが、マップアプリでは隣の天理教桜井大教会の敷地に案内されてしまいました。志貴御県坐神社も天理教の隣(というより天理教が後でしょうが)だったなと少し気になりました。。。・神社前通りまず目に入る一の鳥居(タイトル写真)、実は伊勢神宮内宮の正殿の最も近くにあった中重鳥居だったもので、2013年の式年遷宮の機会にこの等彌神社より申請して譲渡され、2015年に設置されたものです。そしてすぐ先にある二の鳥居の先からは、こんもりと茂った木々でしっとりと薄暗く、荘厳とも云いたい空間になります。身が引き締まりました。のほほんと歩ける雰囲気ではないで...等彌神社(桜井市桜井字能登)-伊勢神宮の中重鳥居を譲り受けた、初期大和王朝の祭祀霊畤-

  • 上宮天満宮(高槻市天神町) -古代濃味郷の地についた”登美の里町”名の不思議と、土師氏の子孫・菅原道真の出雲伝承 -

    以前に摂社である「延喜式」式内論社の野見神社を取り上げましたが、今回は高槻市で一番有名な本社の方です。創建は大宰府天満宮に次いで2番目であり、京都の北野天満宮より古い事が知られています。その由緒は以下の通りです。・本殿”正暦四年(993年)勅使菅原為理が太宰府の道真廟に参拝して左大臣正一位追贈の詔を伝えての帰路、この地に来てとつぜん神輿が動かなくなり、為理が卜占して神慮を問うと、菅神が告げるには、「この地は野見の里と称し、この山上は祖廟が有る。野見宿禰は菅原の祖である」とあったので、ただちに為理は道真の画像を奉安して社殿を建て、左に武日照命(一般には、土師氏や出雲臣らの遠祖天穂日命の子とされている。武夷鳥ともいう)、右に野見宿禰を配祀した”元々は野見神社が先に有ったのが、菅原道真の方が有名になって、天満宮の方が...上宮天満宮(高槻市天神町)-古代濃味郷の地についた”登美の里町”名の不思議と、土師氏の子孫・菅原道真の出雲伝承-

  • 「百舌鳥古墳群と陵墓の埴輪」 - 宮内庁書陵部研究官が世界遺産の埴輪を語る - (堺市博物館特別展 関連講演会)

    百舌鳥・古市古墳群がめでたく世界遺産に登録された7月6日から、堺市博物館で開催されている特別展「百舌鳥古墳群-巨大墓の時代-」。地元の百舌鳥古墳群を中心に、古市古墳群、西都原古墳群など国内の主要古墳群の出土品を一同に展示し比較する事で、百舌鳥古墳群の位置づけを考える、という企画です。我が摂津三島の三島古墳群からも、今城塚古墳と弁天山C1古墳の埴輪が展示されています。その特別展の関連講演会として、今回も貴重な”陵墓”の出土品を提供している宮内庁書陵部の研究官のお話が聞けるという事で、聴講してきました。講師は、陵墓課陵墓調査室の主任研究官、加藤一郎氏です。最初の3分の1は、昨年宮内庁と堺市が共同で実施した、大山古墳第1堤の発掘調査結果の報告でした。加藤氏自身がその期間、堺東に滞在して対応されたようです。成果内容は、...「百舌鳥古墳群と陵墓の埴輪」-宮内庁書陵部研究官が世界遺産の埴輪を語る-(堺市博物館特別展関連講演会)

  • 纏向遺跡と纏向古墳群 1 - 纏向遺跡が邪馬台国大和説の"拠り所"となった経緯 -

    JR巻向駅は、本当に簡素な田舎の駅です。古代史愛好家、邪馬台国大和説派の聖地ともいえる地ですが、その頭からすると拍子抜けします。駅出口に”ひみこちゃん”のイラスト付きの説明看板だけがその重要性をアピールします。地域の方がもう少し盛り立てたいという気持ちも分かりますし、山の辺の道はリピートする価値が有るところですから、まほろば線の本数が増えて欲しいという希望も有ります。見渡す限りの平野を感じながら東にしばらく歩くと、重要な初期型前方後円墳群が見えてきます。・矢塚古墳(手前)と勝山古墳を望む昔はこの纏向の地に大和政権が誕生したのは4世紀前半頃であり、箸墓もその頃の築造だと考えられていました。これが変わってきた発端が、1989年の纏向石塚古墳の発掘調査でした。この全長99mの、いわゆる纏向型前方後円墳~後円部径が全長...纏向遺跡と纏向古墳群1-纏向遺跡が邪馬台国大和説の"拠り所"となった経緯-

  • 宗像神社(桜井市外山)- ”登美山”の石碑が往時を忍ばせる、古代九州より鳥見山山麓に移った宗像氏の古社 -

    JR桜井駅から、速足で歩いて20分程。マップのナビでたどり着けました。神社と共にお目当てだったのが、タイトル写真の石碑です。昭和5年の建立と刻まれていました。鳥見山(881年の太政官符では登美山)の北麓に西面します。「延喜式」神名帳の式上郡に宗像神社三座と載る式内社です。ご祭神は言うまでもなく、田心姫、多岐津姫、市杵島姫の宗像三神。「三代実録」(880年)には官社に加えられたとあり、筑前の宗像大社と同神別社とあります。さらに881年の条には、神階従一位勲八等を授かり、筑前国の本社に准じて神主を置き高階真人の氏人をこれに任じた、とされています。高階真人の祖は天武天皇の第一皇子、高市皇子であり、その母が胸形徳善の女尼子娘なので、当社は高市皇子の外戚の氏神として祀られ、後に高階氏の氏人らが祖神と崇めたものと考えられま...宗像神社(桜井市外山)-”登美山”の石碑が往時を忍ばせる、古代九州より鳥見山山麓に移った宗像氏の古社-

  • 箸墓古墳(倭迹迹日百襲姫命大市墓)- どんどん古くなる築造年に関する様々な論争と、揺れる被葬者の伝承 -

    邪馬台国論争では、女王卑弥呼の”径百余歩の大いなる冢”の候補として常に名前が挙がる、有名な陵墓、箸墓。中学生以来、本当に久々に間近で拝見しましたが、やはりその巨大さと堂々たるたたずまいをじっくり堪能させていただきました。写真は後円部頭から反時計回りに移動していきます。・上ツ道沿い。中を覗くと段丘が見えるようなTVの歴史番組で取り上げられる際には、この墓の築造が、最新の科学的な測定から、卑弥呼が亡くなった3世紀中頃になりそうだとする話で邪馬台国大和説につなげられます。これは、1994年、北側の大池の水を抜いて行った第7次調査の時に発見された外周り幅50mにもおよぶ”落ち込み”の、最下層に有った土器類に付着した試料を炭素14年代測定法で年代分析された結果によります。この炭素法の結果には異論も有って、けして”邪馬台国...箸墓古墳(倭迹迹日百襲姫命大市墓)-どんどん古くなる築造年に関する様々な論争と、揺れる被葬者の伝承-

  • 志貴御県坐神社(桜井市三輪) - 記紀に記された磯城県主の重要性と伝承が主張する史実 -

    マップ上では神座日向神社から近そうだったのですが、参道に行くには大きな天理教敷島大教会の前を廻っていく必要がありました。神社自体は無人で少しひっそりした感じですが、どちらかというと第10代崇神天皇の磯城瑞籬宮跡伝承地としての方が、一般には有名でしょうか。だから、シキノ宮と呼ばれます。・二の鳥居。延喜式神名帳の式内社。この地が磯城瑞籬宮跡だとされたのは、1736年の「大和志」に、この神社の西にあると書かれた為ですが、谷川健一編「日本の神々大和」で、志貴御県坐神社の名前から磯城と称される地名を類推しただけ、という説が大和岩雄氏により紹介されています。・崇神天皇磯城瑞籬宮趾の石碑。大正14年、奈良教育委員会が建立ご祭神は、「大日本地名辞書・上方」「磯城郡誌」「神道大辞典」では饒速日命とされており、これは「新撰姓氏録」...志貴御県坐神社(桜井市三輪)-記紀に記された磯城県主の重要性と伝承が主張する史実-

  • 大神神社境内摂社 神坐日向神社 - 三輪流神道に込められた三輪・伊勢同体信仰の強さ -

    大神神社境内を南に出て、鎮守の森からも外れた民家の合間に鎮座する小さな神社です。目立った案内がないので、行き過ぎてしまったくらいです。それでも、谷川健一編「日本の神々」で大和岩雄氏が多くのページを割いて論考される程、大神神社の三輪明神信仰の本来の姿を内に秘めたような存在の神社のようです。現在は、「延喜式」神名帳に記載の”神坐日向神社”にあたる式内社だとされていますが、中世以来、諸書では山頂に鎮座する「高宮」こそそれだと唱えられ続けており、明治18年には当時の大神神社松原貴遠宮司が内務卿、山形有朋に対し訂正願届を提出しています。つまり、頂上である神之峰の殿内に"神坐日向神社幸魂奇魂神霊"と記載の標札が有る事を確認したという主張でした。裏には弘化3(1846)年記載と分かる文字も。これに対し、当時の社寺局長は信憑性...大神神社境内摂社神坐日向神社-三輪流神道に込められた三輪・伊勢同体信仰の強さ-

  • 大和国一之宮 大神神社(三輪明神)- 天皇霊が依る日本国家の守護神だったサイノカミ -

    山の辺の道は、この大神神社が近くなると、迷路のようになり、近辺の多くの摂社につながっています。狭井神社から南に歩いていくと、おもむろに大神神社の境内前に出ました。タイトル写真は後で大鳥居の前まで行って撮ったものです。今回拝見して、その整ったシルエットに改めて感動した三輪山の西麓に西面して鎮座します。拝殿後の三ツ鳥居(拝見するには参集殿で申込が必要)を通して直接三輪山を拝む形になってる事は有名。延喜式神名帳では、大神大物主神社。神階は、859年に正一位の極位を受けています。ご由緒は、記紀説話を拠り所とする以下の話が一般には知られています。・境内入口。境内は”史跡”です主祭神は大物主大神で、大己貴(大国主)神と少彦名神を配̪祀します。ご由緒は、記紀両方に記載されている、大国主命のもとに海を照らして依り来て、三諸山(...大和国一之宮大神神社(三輪明神)-天皇霊が依る日本国家の守護神だったサイノカミ-

  • 狭井神社、久延彦神社(桜井市三輪)- "サイ"の本当の意味と、クエヒコの正体 -

    この辺りになると、三輪山の裾部になり森の中を歩く感じになり、道幅もすれ違う際には少々気を遣うくらいになります。前日は雨だったので、足元は少し柔くなっていました。狭井神社が大神神社の摂社になったのは明治10年。「延喜式」神名帳には、”狭井坐大神荒魂神社五座”とあり、ご祭神は、大神荒魂神、大物主神、姫踏鞴五十鈴姫命、勢夜多多良姫命、事代主命の五座です。・狭井神社拝殿金剛時本という書物には、”狭井”の訓は”サチ”となっているそうです。サイの意味は、「古事記」には、"其の河を佐韋河と謂う由は、其の河の辺に山由理草多かりき。故、其の山由理草の名を取りて佐韋河と号けき。山由理草の本の名、佐韋と云いき」とあります。・この神社に三輪山への登山口が。GW期間中は閉山「大神神社摂末社御由緒調査書」によると、別称として、俗に華鎮狭井...狭井神社、久延彦神社(桜井市三輪)-"サイ"の本当の意味と、クエヒコの正体-

  • 檜原神社(桜井市三輪)- ”元伊勢”の称号を持つ神社の、ある古典に記されたご祭神 -

    穴師坐兵主神社から歩いて、ここは割と距離がある所ですが、いよいよ三輪山の麓に入っていきます。左手に森を見ながら歩くと、あの三つ鳥居のある社の境内にたどり着きます。瑞垣の中には、その三つ鳥居と豊鋤入姫を祀る豊鍬入姫宮のみが鎮座する、独特の境内の神社ですね。しかし、当社や旧平等寺(大神大社の神宮寺で、神仏分離令により廃止されたが、現在は再興されている)所蔵の古地図や「享保中大神社覚書」での記述から、昔は拝殿や鳥居、御橋などが設けられていた事は明確です。御由緒は、記紀説話の基本中の基本ですね。元々崇神天皇の住まう殿内に、天照大神と倭大国魂の二神を並祀していましたが、疫病が大流行したので、豊鋤入姫に託して天照大神が遷されたのがこの地でした(倭大国魂は大和神社の旧鎮座地へ)。そして、倭姫によって伊勢に遷されたので、ここは...檜原神社(桜井市三輪)-”元伊勢”の称号を持つ神社の、ある古典に記されたご祭神-

  • 穴師坐兵主神社、相撲神社(奈良県桜井市穴師)- 中国の武神の名を持つ神社が祀る、ハタ氏の神 -

    渋谷向山古墳を右に見て南に進み、桜井市穴師に入ったくらいで、山の辺の道を東に外れ、景行天皇纏向日代宮跡碑、その伝承地も通り過ぎてさらに上がっていくと、穴師神社の鳥居にたどり着きます。まず右手に相撲神社の祠が現れ、さらに奥まったところに穴師神社があります。「延喜式神名帳」当時は、穴師坐兵主神社、穴師大兵主神社、巻向坐若御魂神社の3社として存在しましたが、これらが合祀されて穴師神社と総称されています。かつては上下2社に分かれ、上社が弓月(斎槻)岳にあった穴師坐兵主神社、下社が現在地にあった穴師大兵主神社でしたが、上社が応仁の乱で焼失したので、ご神体を下社に遷し、その時巻向社も合祀したそうです。・木々が茂る薄暗い参道から明るい境内が現れます。修繕作業中?上社のあった斎槻岳を探索すると、峰から南南東へやや下がった所に人...穴師坐兵主神社、相撲神社(奈良県桜井市穴師)-中国の武神の名を持つ神社が祀る、ハタ氏の神-

  • 行燈山古墳(崇神天皇陵)と渋谷向山古墳(景行天皇陵)-太田・磯城地域の2つの陵墓、その真の被葬者とは-

    山の辺の道を北から歩いてきて、三輪山に近づく前の、一番見晴らしの良くのどかな風景が広がるあたりに、この2基の陵墓があります。この陵墓以外の何物でもない、堂々たる古墳の治定は幕末の文久修陵中に急遽変更され、それ以前に対し入れ替えれられて現在に至っています。あの禁門の変が起こったあたりの時期でした。こんなバタバタが起こるには訳が有って、記紀の立地の記載が曖昧で、さらに延喜式でも両者が同じ記述(在大和国城上郡。兆域東西二町、南北二町。)になっているのです。変更前は蒲生君平の説、現在の治定にしたのが谷森善巨です。崇神陵の陵戸が衾田墓(西殿塚古墳)の守戸も兼ねていたという延喜式の記述も重視したようです。ただ、論争は元禄年間から続いてはいました。・行燈山古墳。前方部北西部行燈山古墳は全長240m。古墳の特徴である、近くに小...行燈山古墳(崇神天皇陵)と渋谷向山古墳(景行天皇陵)-太田・磯城地域の2つの陵墓、その真の被葬者とは-

  • 大和(おおやまと)神社 (奈良県天理市) ~戦艦大和に御分霊が祀られた、伊勢神宮に続く神階を持った古社~

    このGWの10連休、時間がたっぷりあったので、自分の時間をもらって、5月の令和の幕開けに、山の辺の道~三輪山~桜井を散策してきました。慌てないで済むように、天理の石上神社は機会を改めてじっくり訪れることとし、JR長柄から歩き始めました。ということで、最初に訪れたのが、この大和神社でした。延喜式神名帳の大和国山辺郡筆頭の「大和坐大国魂神社三座」にあたり、持統6年、藤原京地を定めるにあたり朝廷から奉幣を受けた神社の一つ(他は伊勢、住吉、紀伊(国前)、菟名足)。神階は、897年には正一位を受け、伊勢神宮に次いで重視された神社でした。一の鳥居は旧上街道に面し、社殿まで堂々200mの長い参道が続きます。・一の鳥居・ちゃんちゃん祭の横断幕ご由緒は日本書紀の記述によります。つまり、崇神天皇の時代、この大和大国魂神は天照大神と...大和(おおやまと)神社(奈良県天理市)~戦艦大和に御分霊が祀られた、伊勢神宮に続く神階を持った古社~

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