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2018/09/29

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  • 常陸国一之宮 鹿島神宮(鹿嶋市宮中)~鹿島神の本質と「三代実録」に見る那珂(仲)国造

    東京、関東に滞在するとなると、やはり参拝しておかないとと思う神社の一つでした。現在も定期的に天皇の幣帛を受ける勅祭社です。関東地方の事情に疎い大阪人からすると、東京からすんなり電車を乗り継いでいけるのかと思いきや、少し調べて高速バスで行くものだと理解できました。しかし、東京駅八重洲南口から丁度2時間高速バスに揺られ、神社まで5~10分程度あるけば神社にたどり着けるわけで、実にのんびり、ゆったりした休日を過ごす事ができました。さすがの有名神社で、普通の土曜日でしたが、拝殿や奥宮では参拝までに10分程度並ばなければいけないほど、参拝者で賑わっていました。・露店の並ぶ先に楼門が見えます【ご祭神・ご由緒】ご祭神は、武甕槌大神。この神様は香取神宮のご祭神である経津主大神と共に出雲の国に天降り、「国譲り」を成就した建...常陸国一之宮鹿島神宮(鹿嶋市宮中)~鹿島神の本質と「三代実録」に見る那珂(仲)国造

  • 出雲伊波比神社(いずもいわいじんじゃ:入間郡毛呂山町)~流鏑馬で著名な当社と出雲祝神社との関係

    出雲に関心がある身には、これ以上ないと言いたくなる素敵なお名前を持つ神社が北武蔵の埼玉県にあるというので、参拝をさせていただきました。東武越生線の東毛呂駅が近づくころには遠目に見えるくらいの大規模な社叢が圧巻で、県道39号線側の鳥居から入るその社叢内の参道は異界のような神聖さを感じました。とにかくよい空気が吸えた感じで、とても良い雰囲気を持っている神社という印象です。その参道と合流する車道もなかなかの雰囲気ですが、ここはやはり県道側鳥居からの杜の参道を歩いて神社正面の鳥居へ行くルートがお薦めです。県道39号線から見た社叢【ご祭神・ご由緒】ご祭神がとても多い事もこの神社が目を引くところです。主祭神は、大名牟遅命と天穂日命ですが、さらに合祀神として大山咋命、大日孁貴命、天鈿媛命、高龗神。そして配祇神として、須...出雲伊波比神社(いずもいわいじんじゃ:入間郡毛呂山町)~流鏑馬で著名な当社と出雲祝神社との関係

  • 日枝神社(ひえじんじゃ:千代田区永田町)~東京赤坂で篤く信仰される近江の山王信仰

    当社自体は古代史には関りはないのですが、やはり山王橋の近代的なエスカレーターの昇り坂を拝見したいこともあり、参拝させていただきました。丁度七五三の時期で、以前の経験からそれなりに賑わっているだろうと思ってお伺いしたら、びっくりするほどの混雑で、皆さま子供さん共々きっちりした御召し物だったりで(さらに、駐車場で摂社の写真を撮ろうとしたら、マクラーレンが入ってきたりして・・・)、さすが国会議事堂の裏の赤坂にある神社だ(?)と感心しました。そんな混雑で、その日は稲荷参道の写真撮影も断念し、もう一度参拝させていただいた次第です。一つ乗っても、まだ上に複数のエスカレータがつながります【ご祭神・ご由緒】ご祭神は、大山咋神。「古事記」で、近江の日枝山(比叡山)や葛野の松尾にも坐す、と書かれている神様です。また相殿として...日枝神社(ひえじんじゃ:千代田区永田町)~東京赤坂で篤く信仰される近江の山王信仰

  • 科長神社(しながじんじゃ:南河内郡太子町)~推古天皇陵を始め磯長谷古墳群と当社の関り

    大阪府の中でものどかな風景が残る事で有名な、太子町の磯長谷を自転車でのんびり散策するつもりが、予報に反して雨が止まず、しかも以下にも記載したこの地ならではの通り抜ける風が強くなり、少し余裕のない状況での散策となりました。それでも、風神様に少々手荒くお迎え頂いてこの地特有の風土をたっぷり堪能出来た事が有難かったと思うようにしました。大和高市郡の「遠つ飛鳥」に対して、「近つ飛鳥」と呼ばれ、大阪府の古墳時代の遺物を中心に展示する近つ飛鳥博物館があります。二上山の麓で、近つ飛鳥博物館から科長神社まではなだらかに登り続けます【ご祭神・ご由緒】ご祭神は十柱の神々で、級長津彦命、科長戸辺命、天照大神、速素戔嗚命、天児屋根命、武甕槌命、経津主神、建御名方命、誉田別命、そして日本武尊が祀られています。江戸時代以前は俗に「八...科長神社(しながじんじゃ:南河内郡太子町)~推古天皇陵を始め磯長谷古墳群と当社の関り

  • 伊太祁曽神社(いたきそじんじゃ:和歌山市伊太祁曽)~「磐」が偲ばせる五十猛命と出雲との関わり

    久しぶりに紀伊国を訪れて、以前参拝した日前・国懸神宮や大屋都姫神社と関りの深そうな当社を参拝しました。町から離れた山間に勇壮な社殿を構えるゆとりある境内にとても落ち着いた気分になれました。毎年4月の「木祭り」で、チェーンソー・カービング(チェーンソーで丸太を彫刻するアート)の世界チャンピオン城所啓二氏が、その技を実演・奉納されており、現在も時代に合わせた新たな形で林業関係者に崇敬されています。参拝後は、紀伊風土記の丘資料館に立ち寄り、2019年に今城塚歴史博物館の特別展で展示されていた、全国で唯一という両面に顔のある頭部埴輪や、ふっくらした同体とキュートなお顔が印象的な翼を広げた鳥の埴輪(いずれも、岩橋千塚古墳群の大日山35号墳の造り出しから出土)に再会できました。・一の鳥居・右向いて二の鳥居【ご祭神・ご...伊太祁曽神社(いたきそじんじゃ:和歌山市伊太祁曽)~「磐」が偲ばせる五十猛命と出雲との関わり

  • 爲那都比古神社(いなつひこじんじゃ:箕面市石丸)~薬師岩が秘める爲那都彦の不思議

    馴染みにくそうな不思議なお名前を持つ延喜式式内社ですが、駐車場からしてキッチリ舗装されてなかなか広く、境内もきれいに整えられている感じで、たまたま平日に訪れたにも関わらず着飾った七五三の家族連れがおられたりで、現在も広く市民に親しまれている神社であると感じました。神門【ご祭神・ご由緒】爲那都比古、爲那都比売の二神をまつります。神社名にある「爲那」は、為奈、為名、猪名とも書かれ、「日本書紀」仁徳天皇三十八年に、天皇に牡鹿を献上した佐伯部がいたという、地名の為名県のことと考えられています。ただ、猪名県主に関する史料はなく、当社との関係など明確でないですが、猪名県主をまつる県主神社であったとの考えがあります。また、同じく「日本書紀」の応神天皇三十一年では、新羅の調の使いがいた武庫の港で起こった失火に対し、新羅王...爲那都比古神社(いなつひこじんじゃ:箕面市石丸)~薬師岩が秘める爲那都彦の不思議

  • 宇治上神社・宇治神社(宇治市宇治山田)~みかえり兎と播磨国風土記の゛宇治天皇゛

    新年の干支にゆかりのある神社の話題です。背後の仏徳山の裾に上下に並んで鎮座し、宇治川を挟んだ対岸にある平等院と共に、風光明媚な観光地・宇治の重点スポットとなっている二つの神社です。とくに宇治上神社は、最古の神社建築である事が2000年以降の科学調査でも改めて確認され、平等院とともに世界文化遺産の誉れを得ている事で知られます。御利益としては、ご祭神・菟道稚郎子が学問・儒教を極めた頭脳明晰な皇子だったという伝えから、学業成就のご神徳で知られています。あの「源氏物語」の宇治十帖に登場する源氏の異母弟・八宮のモデルという話もあり、宇治神社正面にはそれに因む銅像もあります。イメージより意外に力強く感じられる宇治川の流れには、古代この地で争いが有った事が偲ばれました。なお、両神社を参拝するなら、宇治上神社の無料駐車場...宇治上神社・宇治神社(宇治市宇治山田)~みかえり兎と播磨国風土記の゛宇治天皇゛

  • 浅草寺・浅草神社(台東区浅草)~土師氏と「寄り神信仰」がつながる東京の超観光名所

    東京観光の定番中の定番、東京観光の話題となれば大概テレビで映像が映るという超有名な社寺ですから、やっぱり足を運ばないとと参拝しました。神社を中心にしているのですが、タイトル的にはここはお寺を先にしないといけないでしょう。創建順序もそのようですので。存在は知っててもその創建経緯や信仰は存じ上げていなかったのですが、改めてご由緒を拝見すると、やはり古代を舞台にしたご由緒がとても興味深いお話だと思いました。仲見世【ご祭神・ご由緒】ご祭神は、土師真中知命(ハジノマナカチノミコト)、檜前浜成命、檜前武成命。神社の掲示では、令和元年5月1日付けで、土師真中知命は「マツチ」から左記の読みに、檜前武成命は「竹」表記を「武」表記に統一したと説明されていました。従来ご由緒等における表記内容を踏まえ、且つ長い歴史の中での諸般の...浅草寺・浅草神社(台東区浅草)~土師氏と「寄り神信仰」がつながる東京の超観光名所

  • 神田神社(江戸総鎮守 神田明神:千代田区外神田)~大己貴命と並び祀られて鎮まった平将門公の不思議

    当社の名前は、一般に神田明神と呼ばれていて当社自身もこの名前を前面に出されていますが、ホームページでは正式名称は神田神社だと説明されています。明治維新後にこの正式名称になったようで、通称は江戸時代の古式にならったもののようです。JR秋葉原からも歩いてすぐで、参拝者もやはり若者が(一般の神社に比べて)多い感じでした。立派な文化交流館も近代的なイメージで、都民に広く深く親しまれている感じがわかります。随神門。提灯の横っ腹に「なめくじ巴」が見えます【ご祭神・ご由緒】ご祭神は、一之宮に大己貴命、二之宮に少彦名命、そして三之宮に平将門公が祀られると説明されています。事情に疎い関西人の目線から拝見すると、あの平将門公が出雲の有名な二神と共に祀られている事が一見意外にも感じるのですが・・・拝殿社伝によると、聖武天皇の時...神田神社(江戸総鎮守神田明神:千代田区外神田)~大己貴命と並び祀られて鎮まった平将門公の不思議

  • 武蔵一宮 氷川神社(ひかわじんじゃ:さいたま市大宮区)~出雲民族の首長が奉じる神の力で鎮めた武蔵国の一之宮

    東京に少し滞在する機会を得て、それではと迷うことなくこちらの一宮に参拝をさせていただきました。大宮駅から歩いて、有名な長い参道をあるきましたが、休日という事もあり多くの市民の方々が行き交っていて、地域に親しまれている感じがしました。丁度、七五三の時期で、着飾った子供連れの家族が沢山参拝していて、さすが関東の一の宮です。二の鳥居までの参道。見出し写真が実質上の入口である、二の鳥居と石標三の鳥居【ご祭神とその諸説】ご祭神は、須佐之男命、稲田姫命、大己貴命がお祀りされています。1830年に完成した「新編武蔵風土記稿」によると、江戸時代には三の鳥居を入った正面の簸王子(ひのおうじ)社に大己貴命(一説に加具土命)を祀り、神池を渡った左の本宮・男体社に須佐之男命(相殿、日本武尊・大己貴命)を祀り、そして右の女体社に稲...武蔵一宮氷川神社(ひかわじんじゃ:さいたま市大宮区)~出雲民族の首長が奉じる神の力で鎮めた武蔵国の一之宮

  • 玉祖神社(たまのおやじんじゃ:八尾市神立)~「鎌倉殿」ゆかりの制礼をもつ絶景の古社

    中河内地域の東の山麓の地で、丁度枚岡神社と恩智神社(隣には天照大神高座神社)の中間に鎮座します。これらの神社は何れも高台の地に南北方向に並んでいるのですが、とくにこの玉祖神社は大阪平野の絶景が一番眺めやすいところだと思いました。一の鳥居付近には、山口県防府市の元社に伝わる黒柏鶏(国指定天然記念物)の子孫という黒い鶏が、悠々と歩きまわっていました。言うまでもなく、当社ご祭神が活躍された、天岩戸神話に登場する長鳴鶏にちなんだものです。さらに、一の鳥居前には鶏の木の彫刻が、そして二の鳥両脇にも鶏の石像が置かれています。・突如現れた黒柏鶏。世話をされる人はいませんでしたが、大丈夫なのでしょうかね・参道中段にあるご神木の大楠の根元【ご祭神・ご由緒】ご祭神は、櫛明玉命、別称が玉祖命です。別名、玉祖明神や高安明神とも呼...玉祖神社(たまのおやじんじゃ:八尾市神立)~「鎌倉殿」ゆかりの制礼をもつ絶景の古社

  • 河俣神社(橿原市雲梯町)~高市御県神社と共に高い格式を誇った「出雲国造神賀詞」の古社

    現在はたいへん小ぶりな境内になって鎮座していますが、すぐ横を曽我川が流れ、反対側には畝傍山の絶景をバックに田圃がひろがるという、絶好の立地に有ります。参拝した時は、丁度にわか雨が降ったかと思うとすぐに猛暑に見舞われる移り変わりの激しい時間帯でしたが、鬱蒼とした木々で雨宿りが出来たり、日差しをしっかり遮ってくれたりで、こんもりとした社叢には守っていただきました。・この状況のため、見出し写真の構図になりました。すぐ横は曽我川が流れます【ご祭神・ご由緒】ご祭神は、鴨八重事代主神です。当社のご由緒は、牟佐坐神社と共に「日本書紀」の有名な場面によります。つまり、あの壬申の乱の戦況の中で、大海側の高市軍が金綱井に集結した時、大領の高市県主許梅が神がかりのようになって言うのに、「吾は高市社にいる事代主である。また牟佐社...河俣神社(橿原市雲梯町)~高市御県神社と共に高い格式を誇った「出雲国造神賀詞」の古社

  • 甘樫坐神社(あまかしにますじんじゃ:高市郡明日香村)~飛鳥の盟神探湯(クガタチ)の神事を現在に受け継ぐ古代山口社

    飛鳥とえいば甘樫丘(?)というくらいの有名なお名前を持ち、天皇ゆかりの伝承を持つ神社という思いで伺ったら、入口に鳥居もないとてもこじんまりした境内で、現在は地域の氏神様として大切にされてる風でした。元豊浦宮の地という向原寺(広厳寺)のすぐ裏に鎮座しています。【ご祭神・ご由緒】「旅する明日香ネット」(「奈良縣高市郡神社誌」参照)によれば、現在は主祭神に推古天皇、さらに八十禍津日神(やそまがつひのかみ)、大禍津日神(おほまがつひのかみ)、神直日神(かむなほびのかみ)、大直日神(おほなほびのかみ)が祀られています。後記の四柱の神々は、伊耶那岐神の禊の時に成った神様です。最も古い記録としては、1446年の「五郡神社記」があり、推古天皇を除く四柱だったとありますが、江戸時代になると「和州旧跡幽考」「大和志」などに、...甘樫坐神社(あまかしにますじんじゃ:高市郡明日香村)~飛鳥の盟神探湯(クガタチ)の神事を現在に受け継ぐ古代山口社

  • 国分神社(こくぶじんじゃ:柏原市国分市場)~松岳山古墳や玉手山古墳群とご祭神大国主命

    当地からおよそ東1キロの所には、河内国分寺や、元正天皇、聖武天皇が利用したという竹原井頓宮(青谷遺跡)があり、古代から発展していた地に鎮座しています。とにかく当社というと、背後の松岳山古墳の墳頂で露出している石棺が有名ですが、同じく気になっていたのが、一般に語られる祭祀氏族とご祭神の関りが分かりにくい事でした。車で行かれるなら、神社前のこんもりした良い雰囲気の場所に駐車場はありますが、そこに至る直前の道がだいぶ狭いので、歩ける距離にある大和川親水公園の駐車場がお薦めと思います。・入口の鳥居【ご祭神・ご由緒】大国主命が主神、少彦名命と飛鳥大神を配祇します。地元の伝承では、当社の起源は鎌倉時代で、その頃に大国主命と少彦名命の二神を勧請し、さらに古代からの伝承にもとづいて飛鳥大神を併せ祀ったのかもしれない、と「...国分神社(こくぶじんじゃ:柏原市国分市場)~松岳山古墳や玉手山古墳群とご祭神大国主命

  • 飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ:高市郡明日香村)~酒船石遺跡と飛鳥山口坐神社の関係

    平日の休みを利用して、すぐ近くの奈良県立万葉文化館の見学と合わせて参拝をしました。万葉文化館の無料駐車場は110台停めれて飛鳥観光には便利ですが、土日祝は朝から一杯らしいです。常設展示(無料)を簡単に見学してインスタ映えする昼食を頂きましたが、飛鳥時代の生活風景を実物大人形で再現したユニークなエリアもあり、またじっくり見に来たいと思いました。コンサートなどイベントも工夫されています。そしてやはり、飛鳥はのどかで気持ちよいところだと、改めて感じました。゛謎の巨石゛とも久しぶりの再会でした。・万葉文化館入口では、せんとくんがお出迎え【ご祭神・ご由緒】現在のご祭神は、八重事代主神、大物主神、飛鳥神奈備三日女神(加夜奈留美神)、そして高皇産霊神です。当社の座数は、「延喜式」神名帳で初めて「飛鳥坐神社四座」と明記さ...飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ:高市郡明日香村)~酒船石遺跡と飛鳥山口坐神社の関係

  • 生田神社(いくたじんじゃ:神戸市中央区)~忽然として現れた稚日女尊と「日本書紀」区分論の天照大神

    昔からエキゾチックなイメージから゛おしゃれ゛とされてきた神戸三宮(今はどうなのでしょうか)。そんな駅前の一等地に一見不釣り合いにも見える大神社です。「日本書紀」に創建由来が載るというご由緒も十分な古社ですが、人と人の縁を結ぶ神として恋愛成就を願う参拝者が多いとされますが、神社は特に厄除け・安産祈願の御利益も案内されているようです。お名前の生田についても、活き活きとした生命力あふれる場所に由来するとされていて、パワー・スポットとしても人気があります。たまたま平日に参拝したのですが、それでも神戸っ子の心のよりどころと言われるとおり参拝者がひっきりなしで、やはり女性の比率が高かったです。また、境内奥の「生田の森」でも市民の憩いの場らしく思い思いにくつろがれていました。・一の鳥居を入ると右側に鎮座する松尾神社・同...生田神社(いくたじんじゃ:神戸市中央区)~忽然として現れた稚日女尊と「日本書紀」区分論の天照大神

  • 姫嶋神社(ひめじまじんじゃ:大阪市西淀川区)~゛アカルヒメ命゛が実際にやりなおしたらしい事

    主祭神アカルヒメ命の渡来のご由緒にあやかって「決断と行動の神様」として自立した女性の心願成就や、さらにこの地で再出発をされた姫神にちなんだ「やりなおし神社」としての再起復活など、現代人としては時としてすがりたくなるご神徳を掲げる神社です。新たな目標を目指すために断ち切らなければならない事柄があれば、「赤玉」に念じて「はじまりの碑」の穴に投げ通し、「帆立絵馬」を碑にかければ、背中を押してくれるといいます。そのようなユニークな御祈願で親しまれている神社ですが、なかなかその創祇起源はおぼろげ、複雑で興味を注がれます。・スポットが散りばめられた境内。近代的な建物は社務所です。右端は昔の敷石を石壁にした「長続き石」【ご祭神・ご由緒】阿迦留姫(アカルヒメ)命と住吉大神、そして神功皇后を祀りますが、神社名の゛姫゛とは言...姫嶋神社(ひめじまじんじゃ:大阪市西淀川区)~゛アカルヒメ命゛が実際にやりなおしたらしい事

  • 宗我坐宗我都比古神社(そがのそがつひこじんじゃ:橿原市曾我町)~蘇我氏の出自を語る「入鹿宮」、そして飛鳥伝承の大和と出雲

    飛鳥時代の超有名な豪族、蘇我氏ゆかりの神社で、そばには曽我川が流れ、住所にあるとおり地名にも痕跡が現われています。しかし、蘇我稲目、馬子、蝦夷と飛鳥時代に権勢を奮い、乙巳の変で殺害された蘇我入鹿にちなんで「入鹿宮」との呼ばれる当社は、その蘇我氏が活躍した舞台であるはずの明日香村とは離れた位置にあり、また現在は境内も結構こじんまりしています。蘇我氏に関わる定説や伝承、そして当神社の由来などに思いをめぐらしてみたいと思い、参拝させていただきました。「真菅よし宗我の河原に鳴く千鳥間無しわが背子わが戀(こ)ふらくは」柿本人麻呂の歌です【ご祭神・ご由緒】ご祭神は、曾我都比古と曾我都比売で、二体の木造神像が御神体になっています。「大和志」では当社について、曾我村の北に在り、今入鹿宮と称する、と書かれているようですが、...宗我坐宗我都比古神社(そがのそがつひこじんじゃ:橿原市曾我町)~蘇我氏の出自を語る「入鹿宮」、そして飛鳥伝承の大和と出雲

  • 天太玉命神社(あまのふとだまのみことじんじゃ:橿原市忌部町)~「古語拾遺」の忌部移住と当社の関係

    当社の北に拠点を持つという蘇我氏よりもはるかに古くから古代王権に関わっていそうな斎部(忌部)氏ゆかりの神社ですが、今は、境内の雰囲気は良いものの、相当にこじんまりとした神社でした。斎部氏というと奈良時代以降勢いが衰えていったようですが、なんとなくその歴史が思い出されました。そんな古い斎部氏の神社がこの地に有るのには興味深い「玉」にちなむ経緯があるらしく、参拝をさせていただきました。・二の鳥居前より【ご祭神・ご由緒】忌部(斎部)氏の祖神である天太玉命と、「古語拾遺」「先代旧事本紀」によるとその御子神だとする大宮売命、豊石間戸(窓)命、そして櫛石間戸(窓)命の四柱がご祭神です。近世の頃には春日神社と呼ばれていましたが、元禄十年(1697年)に松下林見が「太玉命社記」を著して、当社を式内社「太玉命神社四座」に比...天太玉命神社(あまのふとだまのみことじんじゃ:橿原市忌部町)~「古語拾遺」の忌部移住と当社の関係

  • 井於神社(いおじんじゃ:茨木市蔵垣内)~摂津三島に鎮座する賀茂の霊泉の井上神

    最初、漢字名を見ただけでは読み方も意味も分からなかったですが、吹田インターチェンジ横に有る八丁池とご縁があるらしく、その八丁池が現在も茨木市の飛び地になっているのは当社の為なのだろうか、と想像してしまうくらいのご由緒を感じさせる水の神様です。現在は本当に狭い道を経て辿り着くような住宅街にある地域の神社風ですが、堂々の「延喜式」式内社です。・移築された常楽寺の門が入口に有ります・獅子の巴蓋瓦。向かって左側です【ご祭神・ご由緒】主祭神は、戦国時代以来現在に至るまで、素戔嗚命です。そして、相殿に天児屋根命と菅原道真公が祀られています。神社名の読みは、「延喜式」神名帳の吉田家本・金剛寺本、伴信友の「神名帳考証」、そして「神社覈録」のいずれも、゛ヰ(イ)ノヘノ゛とあるので、「式内社調査報告」で生澤英太郎氏は、゛ヰノ...井於神社(いおじんじゃ:茨木市蔵垣内)~摂津三島に鎮座する賀茂の霊泉の井上神

  • 談山神社(たんざんじんじゃ:桜井市多武峰)~定恵は藤原鎌足の遺骸を高槻市から移したか

    学校で誰もが習った「大化の改新」(近年は襲撃を分けて「乙巳の変」)の密談の場だったり、秋ともなると3000本のカエデの紅葉に十三重塔等の社殿が包まれる絶景で有名な神社です。また現在では、境内社・東殿がご祭神・鏡王女(藤原鎌足の妻とされる万葉歌人)にちなんで「恋神社」と呼ばれ、縁結びの神様として女性の信仰を集めてきたことが、特にPRされるようです。灯篭も含めると国重要文化財が15もあり、それだけでも見ごたえ十分ですが、十三重塔を中心とした社殿がこんもり木々に覆われた境内はとても良い雰囲気で、憩える場です。拝観料は大人600円必要ですが、拝殿や神廟拝所が昇殿して参拝・見学できるので、その価値はあるでしょう。・入口石標と一の鳥居【ご祭神・ご由緒】ご祭神は、言わずと知れた藤原鎌足公。当社本殿裏山「談所の森」で、中...談山神社(たんざんじんじゃ:桜井市多武峰)~定恵は藤原鎌足の遺骸を高槻市から移したか

  • 今宮戎神社(いまみやえびすじんじゃ:大阪市浪速区)~商売繁盛の恵比須様の由来とそもそもの姿の謎

    大阪でエビス神社といえば、とのかくこの神社。お正月の三が日が過ぎて間もなく行われる「十日戎」が大阪の風物詩となっていて、゛商売繁盛、笹持って来い゛の有名な掛け声と共に商売繁盛の神様゛えべっさん゛として親しまれています。そのお祭りの時は通常は大混雑するので、コロナ禍が続いた今年は諸々の特別対応(後述)をして斎行されたようです。今回は通常の日に参拝させていただき、意外にこじんまりした境内をじっくり拝見しました。・地下鉄堺筋線の恵美須町駅出口からの通天閣。このような雰囲気に鎮座します【ご祭神・ご由緒】ご祭神は、天照皇大神・事代主命、素盞嗚尊、月読尊、稚日女尊の五柱です。創建は600年、推古天皇八年に聖徳太子が四天王寺の建立に当り、同地西方の守護神として鎮齋せられ、翌年には太子自ら当社に祈請し市場鎮護の神として尊...今宮戎神社(いまみやえびすじんじゃ:大阪市浪速区)~商売繁盛の恵比須様の由来とそもそもの姿の謎

  • 松尾大社(まつのおたいしゃ:京都市西京区)~秦氏の祀った「酒神」の本来の意味が語るもの

    当社といえば、とにかくお酒の神様、醸造祖神としていつも語られて、古代史的には朝鮮半島より渡来した秦氏が総氏神とした著名な神社と理解されます。その秦氏は太秦の大酒神社も祀ったとされますから、よほどお酒に縁が有るのかと思いきや、神社によるとそれは近世以降という事で、そもそも酒の信仰はどんな風に始まったのかしらと思いつつ、参拝させていただきました。大社らしいゆとりある境内と格式有る社殿と共に、奥では神々しい「霊亀の滝」や岩壁も拝見出来、さすがに神威に満ちた見ごたえある神社だと感じました。有料で、昭和の名作庭家・重森三鈴氏の「松風苑」三庭が併設されていますが、まず今回は純粋に神社の参拝だけにさせていただきました。なお、南に10分弱程歩いた地に摂社月読神社が鎮座しています。・鳥居をくぐると船がお出迎え。神幸祭の船渡...松尾大社(まつのおたいしゃ:京都市西京区)~秦氏の祀った「酒神」の本来の意味が語るもの

  • 播磨国総社 射楯兵主神社(いたてひょうずじんじゃ:姫路市総社本町)~大国主命王国の歴史が密かに語られる播磨の地

    世界遺産姫路城に隣接して鎮座し、地域を代表する神社としておおいに発展している神社です。大国主命をお祀りするということで縁結びの神と信仰され、境内にはブライダルサロンや結婚式披露宴会場「長生殿」も併設し、神社境内を望める会場として魅力をPRされています。国道2号線に面した大鳥居と神門の間は、「ひめじ縁結び通り」として整備され、51個(コイ)のハートの並んだプレートが22枚(いい夫婦)埋め込まれるという、記紀の時代から日本人が親しんだ駄洒落で街を活気づけています。・南鳥居。ここから神門までが「ひめじ縁結び通り」【ご祭神・ご由緒】社殿は戦災により焼失し、昭和28年に元和九(1623)年の形式で再興されたものですが、その戦災前の社殿に関する記録によれば、本殿の内陣は三つに区画されていました。その中殿は空室で、東殿...播磨国総社射楯兵主神社(いたてひょうずじんじゃ:姫路市総社本町)~大国主命王国の歴史が密かに語られる播磨の地

  • 牟佐坐神社(むさにますじんじゃ:橿原市見瀬町)~大久保町の生國魂神社との関係や「呉国」の不思議

    古代史で律令国家成立に向けたクライマックスと言える壬申の乱の戦いの最中に、印象的な託宣を下す神として気になる一柱が「牟佐社」です。今回は、その比定社である牟佐坐神社と共に、「日本の神々大和」の「牟佐社」比定論考で異説として推されていた生國魂神社(大阪の難波大社・生國魂神社ではない)の二社を参拝をさせていただきました。橿原市は飛鳥のお隣で風光明媚な大和の観光地ですが、両社共に住宅街の中で現在の人々の生活に身近な感じで鎮座されていました。ただ、牟佐社の社叢は立派です。・(牟佐社)なかなか急な境内への登り。👆見出し写真は一の鳥居【ご祭神・ご由緒】現在のご祭神は、高皇産霊神と孝元天皇の二柱です。近世には「榊原(さかいばら)天神」と呼ばれて天児屋根命と高皇産霊神をご祭神としていた事が、棟札銘から分かっていますが、明...牟佐坐神社(むさにますじんじゃ:橿原市見瀬町)~大久保町の生國魂神社との関係や「呉国」の不思議

  • 沙沙貴神社(ささきじんじゃ:近江八幡市安土町)~出雲守護になった近江源氏佐々木氏

    一の鳥居から楼門までの参道周囲に茂る社叢がとてもきれいで雰囲気が有り、年間を通じて様々な花が楽しめると滋賀・びわ湖観光情報HPでも紹介されている、見ごたえのある神社です。参拝した時はウコン桜と八重桜が見頃で、御朱印はそのウコン桜のスタンプ付バージョン(初穂料も少し上がりますが)を頂けました。5月には、「なんじゃもんじゃ」とのユニークな通称を持つヒトツバタゴが白い花を咲かせ、異彩を放つようです。新しい見どころも多く、境内にはBGMが流れてたり武士のコスプレをした方が待機してたりで、積極的に信仰をPRされている印象です。・入口の一の鳥居。見出し写真は、楼門です・駐車場と楼門の間にある、なんじゃもんじゃのシンボル樹【ご祭神・ご由緒】ご祭神として、少彦名神、大毘古神、仁徳天皇、そして宇多天皇及び敦實親王らの、四座...沙沙貴神社(ささきじんじゃ:近江八幡市安土町)~出雲守護になった近江源氏佐々木氏

  • 伊射奈岐神社(いざなぎじんじゃ:吹田市山田東 / 佐井寺)~伊勢神宮の地名を持つ社の不思議なご由緒

    今回は摂津三島の式内社です。高槻市の隣でもある吹田市にこの名を冠する神社が二社存在し、ともに式内論社とされています。今回は二社で併記したりして、それぞれの伊射奈岐神と伊射奈美神を一緒に取り上げます。・(佐井寺社)一の鳥居。とても急です・・・👆見出し写真は(山田東社)の一の鳥居【ご祭神・ご由緒】(山田東社)神社の説明では、伊射奈実命が主祭神です。相殿に天児屋根命、手力雄命、天忍熊根命、そして蛭子命を祀るとされています。なお、「式内社調査報告」、「角川日本地名大辞典」「日本歴史地名大系」では、相殿のご祭神に天照大神が入っています。また、ここに伊射奈岐命がお祀りされてないのは、以下ご由緒によります。「式内社調査報告」の説明をベースにしています。「延喜式内伊斜奈岐神社臺帳」によると、雄略天皇の御世に倭姫宮の示教に...伊射奈岐神社(いざなぎじんじゃ:吹田市山田東/佐井寺)~伊勢神宮の地名を持つ社の不思議なご由緒

  • 白國神社(しらくにじんじゃ:姫路市白国)~新羅国の名前のつく地に木花咲耶姫命が祀られる不思議

    現在ではご祭神の木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)にあやかり、「女性の守護神」として、その姫神をモチーフにした゛さくやちゃん゛を月替わりの御朱印や絵馬で展開され、親しみやすく安産の御利益を与えてくださる神社です。最近では新しいスポットとして、「安産くぐり大絵馬」を新たに拝殿前に置かれて、新鮮な神威を保つことに積極的なことが感じられます。白国神社名からの印象とこのご祭神との関係が興味深く、参拝をさせていただきました。牛頭天王信仰で有名な廣峯神社からは車で山を下りてすぐの距離です。・入口の随神門【ご祭神・ご由緒】ご祭神は、神吾田津日売命(木花咲耶姫命)、稲背入彦命(景行天皇の皇子)、阿曽武命(稲背入彦命の孫)。「日本の神々山陽」では糸田恒夫氏が、神吾田津日売命が主祭神で相殿に稲背入彦命を祀ると書かれて...白國神社(しらくにじんじゃ:姫路市白国)~新羅国の名前のつく地に木花咲耶姫命が祀られる不思議

  • 十市御縣坐神社(とおちのみあがたにますじんじゃ:橿原市十市町)~事代主命で始まる十市県主系図のこと

    だいたい、東に三輪山、西に多神社(その先に二上山)、そして南に耳成山が有るという絶妙な立地で、大和盆地の田畑に囲まれた集落の中にひっそり鎮座する神社です。駐車場はなく、境内もけして大きくありませんが、きっちりと木々が整った感じでよく手入れされていると思われる境内は、なかなかさわやかな印象でした。・入口の鳥居。扁額に豊受大神と刻まれます【ご祭神・ご由緒】現在の主祭神は、豊受大神。配祇として市杵島姫命がお祀りされています。「延喜式」神名帳にも載る神社で、大和国に七つの御県神社が記されています。・高市郡高市御県神社(名神大、月次新嘗)・葛下郡葛木御県神社(大、月次新嘗)・十市郡十市御県坐神社(大、月次新嘗)・城上郡志貴御県坐神社(大、月次新嘗)・山辺郡山辺御県坐神社(大、月次新嘗)・添下郡添御県坐神社(大、月次...十市御縣坐神社(とおちのみあがたにますじんじゃ:橿原市十市町)~事代主命で始まる十市県主系図のこと

  • 白鳥神社(しらとりじんじゃ:羽曳野市古市)~白鳥陵や峯ヶ塚古墳の時代と日本武尊

    記紀説話の中でも特にロマンチックな印象で有名な、日本武尊(ヤマトタケルノミコト、倭建命)の最期の白鳥飛翔神話。その有名な神話とストレートに結びつく名を持つ神社です。白鳥神社の名を持つ神社は全国に100以上あるらしいですが、大阪ではこの一社のみ。近くには日本武尊の御陵とされている白鳥陵(軽里大塚古墳/前の山古墳)もあり、この名を名乗るのに一番ふさわしい地に鎮座していると言えるでしょう。・住宅街の参道前の一の鳥居。👆の見出し写真は二の鳥居で、後円部らしい高まりに見えますが・・・【ご祭神・ご由緒】日本武尊、素戔嗚命、稲田姫命。創建時期は不明ですが、「日本の神々河内」で吉田実氏が、古くは「伊岐宮(井喜宮)」と呼ばれて現在地から西方1キロ少し離れた軽里地区の峰塚(峯ヶ塚)古墳(後述)の上にあて、日本武尊を祀っていた...白鳥神社(しらとりじんじゃ:羽曳野市古市)~白鳥陵や峯ヶ塚古墳の時代と日本武尊

  • 葛野坐月読神社(かどのにますつきよみじんじゃ:京都市西京区)~月神と共に聖徳太子や天鳥船命が祀られる不思議

    松尾大社の摂社という位置付けですが、観光名所・嵐山の松尾大社から歩いて5分くらいの距離に独立して鎮座しています。京都には、こちらと京田辺市の月読神社の二つの著名なツキヨミ社がありますが、こちらは神功皇后ゆかりの月延石が有る事から「安産守護のお社」として崇められてきました。神社としてはこじんまりとした境内ですが、社殿以下並ぶ祠や磐座の由緒がそれぞれ興味深く、いろいろ想像させていただける神社です。現在の神社名は単に「月読神社」ですが、タイトルは「延喜式」神名帳の記載名にしました。・神門【ご祭神・ご由緒】ご祭神は、月読尊。当社鎮座の経緯は、「日本書紀」顕宗天皇三年に記載されています。阿閉臣事代が命を受けて任那に使いした時、月の神が人に憑いて、゛わが祖高皇産霊は、天地を御造りになった功がある。田地をわが月の神に奉れ゛な...葛野坐月読神社(かどのにますつきよみじんじゃ:京都市西京区)~月神と共に聖徳太子や天鳥船命が祀られる不思議

  • 廣峯神社(ひろみねじんじゃ;姫路市広嶺山)~朝鮮系渡来人と秦氏が関わった牛頭天王の総本宮

    播磨一円はいうまでもなく、若狭、丹波、丹後、但馬、因幡、伯耆、備後、備中、備前、美作、淡路そして摂津までという広大な地域で崇敬され、゛万人道を争いて参詣す゛とまで言われた古式ゆかしい神社です。牛頭天王の総本宮を自称していて、別称で広峯牛頭天王とも言われます。車で細めの山道を登ると広い駐車場が有りますが、そこの大鳥居から10分程度さらに歩いてようやく見出し写真の隋神門に着きます。白幣山までお参りするならさらに山道を10分程度歩きますが、程よい時間なので良い運動になりました。スポットが沢山あり(黒田官兵衛ゆかりの新しい官兵衛社も有りました・・・)、さすがに見ごたえある有力な神社だと思いました。・隋神門前にある、重要文化財の宝篋印塔。室町時代初期のもの【ご祭神・ご由緒】本殿には三つの扉があり、中央の正殿に素戔嗚尊と五...廣峯神社(ひろみねじんじゃ;姫路市広嶺山)~朝鮮系渡来人と秦氏が関わった牛頭天王の総本宮

  • 勝部神社(かつべじんじゃ;守山市勝部)~近江の地で「火まつり」を継承する物部氏の神社

    「勝部の火まつり」が地域では有名で、JR守山駅近くの住宅街の中にあって、なかなか広い境内を誇っています。このあたりは古来物部郷と呼ばれて、この地域にも物部氏関係者がいたんだろう程度の理解になりますが、その「火まつり」の由来と、古代史における九州東征勢力と初期大和勢力の戦いが重なるように見えて、そんなロマンをきっかけに参拝をさせていただきました。・ゆとりある境内。ここで「火まつり」が行われます【ご祭神・ご由緒・祭祀氏族】現在は、天火明命、宇麻志間知命、布津主神の三柱。合祀神として住吉大神、猿田彦神も祀られています。「日本の神々近江」では、物部布津命、天火明命、宇麻志間知命となっていました。明治以前は勝部大明神、物部大明神と称されていたそうです。1597年の奥書をもつ「勝部大明神記」によると、この地は栗太郡物部荘玉...勝部神社(かつべじんじゃ;守山市勝部)~近江の地で「火まつり」を継承する物部氏の神社

  • 兵主大社(ひょうずたいしゃ:野洲市五条)~数少ない神社庭園をもつ三十番神の古社

    平安時代後期のものとされる庭園を持つという珍しい神社ですが、鬱蒼としげる楓に囲まれた参道など神社境内もとても広く、3万4千平方メートルを図るその境内は、とにかく「大社」と呼ぶにふさわしい重厚感を感じました。ただ、「大社」と呼び始めたのは最近らしく、入口前の案内表には「兵主神社」の記載のままになっています。下の写真の一の鳥居が、二の鳥居や駐車場がある境内入口とは相当離れていて、わざわざ車を停めて撮らなければまりませんでした。・一の鳥居。神社入口はまっすぐ行って左に折れた先で、やはり車で行くような距離です【ご祭神・ご由緒】ご祭神は大己貴命、別名八千矛神。つまり、出雲の大国主命です。当社の創祇は、1604年の「兵主神社縁起」(「続群書類従」所収)の記述によります。以下、「日本の神々近江」の木村史宏氏の記述より記載しま...兵主大社(ひょうずたいしゃ:野洲市五条)~数少ない神社庭園をもつ三十番神の古社

  • 御上神社(みかみじんじゃ;野洲市三上)~近江富士の近くに大きな銅鐸を埋めた人々

    高槻から名神高速で向かうと、栗東ICの手前くらいで真正面に三上山(近江富士)の美しい姿が目に飛び込んできます。このように、それほど高い山でもないのにかなり周囲から望見できる姿を拝見すると、なるほどその山の北方(大岩山)から24個の銅鐸が発掘されるくらい、古代から神の山として信仰の対象になっていた事に納得します。門前の道路は交通量が多く、少し北方に行けば安土城跡や彦根城など有名観光地が存在する地らしいにぎわいもありました。・本殿から鳥居まで一直線に南面します【ご祭神・ご由緒】ご祭神は天之御影大神。「先代旧事本紀」では、孝霊天皇の六年に三上山に御降臨され、社記によれば、その後約一千年にわたって御上祝が三上山を磐境と定めて斎き祀っていました。そして、718年に藤原不比等が元正天皇の勅命により、榧木原と呼ばれていた現社...御上神社(みかみじんじゃ;野洲市三上)~近江富士の近くに大きな銅鐸を埋めた人々

  • 添御県坐神社(そうのみあがたにいますじんじゃ:奈良市三碓)~武乳速命と長髄彦の地域伝承

    「延喜式」神名帳に載るこの名を持つ神社が、奈良市の歌姫町とこの三碓町の二社あり、論社となっていますが、どちらかと言うとコチラが多数派のようです。富雄川に沿う丘陵部の先端にあり、東方の生駒山方面の見晴らしはなかなかのものです。大通り(7号線)から神社の石標に導かれて車で入ったのですが、チョッと狭い道で対向する車が結構いたりで少々難儀しました。一の鳥居をくぐってから駐車場までは1台しか通れないので、タイミングを見計らうしかありません。本殿ふくめて境内が重要文化財になってる為か、参詣者が何名も訪れていました。・境内へはさらに高台に昇っていきます【ご祭神・ご由緒】建速須佐男命、櫛稲田姫命、武乳速命の三神で、これは歌姫町の社と同じです。ただ、本殿に祀られている御正体鏡の裏に牛頭天王・八王子・婆利采女と刻まれているらしく、...添御県坐神社(そうのみあがたにいますじんじゃ:奈良市三碓)~武乳速命と長髄彦の地域伝承

  • 矢田坐久志玉比古神社(やたにいますくしたまひこじんじゃ:大和郡山市矢田町)~櫛玉饒速日命と出雲の関係を偲ばせる古社

    富雄川を離れて矢田丘陵の東麓のなだらかな坂道を上がった所に鎮座しています。さらに西方1キロのところに、アジサイの寺として有名な矢田山金剛寺(矢田寺)もあります。そして、矢田丘陵の西にあるのが生駒山です。一の鳥居の前だけでなく、境内東隣にある駐車場前から西に隣接する住居までの間に渡し掛けられた綱がまず目に飛び込んできて圧巻でした。・境内の前面全体に掛けられた綱【ご祭神・ご由緒】大和郡山市のホームページによると、現在のご祭神は櫛玉饒速日神とその妻で長髄彦の妹、御炊屋姫神(登美屋姫)です。一方、「日本の神々大和」で比嘉紀美枝氏は、当時(80年代)は久志玉比古神、女神、誉田別命だった事を紹介しつつ、「延喜式」神名帳では二座になっているので、龍田比古龍田比女神社のように男女一対の神を祀ったもので、豊穣を祈る農耕神とみられ...矢田坐久志玉比古神社(やたにいますくしたまひこじんじゃ:大和郡山市矢田町)~櫛玉饒速日命と出雲の関係を偲ばせる古社

  • 登彌神社(とみじんじゃ:奈良市石木町)~「筒粥祭」の社の祭祀氏族は物部氏と同族か

    富雄側東岸の、間近まで奈良市の住宅街が迫るような処にある、こんもりとした森の中にひっそりと鎮座します。「筒粥祭」が良く知られており、今年オミクロン株が蔓延するなかでも2月1日に行われたようで、その結果も簡単に掲示されていました。・なだらかな登りの長い参道が良い感じです【ご祭神】東の社殿に高皇産霊神、誉田別命、西の社殿に神皇産霊神、登美饒速日命、天児屋根命がお祀りされています。かつての調査文献では、明治3年の「神社覈録」が饒速日命としますが、明治7年の「郷村社取調帳」は天児屋根命、誉田別命、明治12年の「神社明細帳」はこの二神に高皇産霊神、神皇産霊神を加えています。・こじんまりした境内【鎮座地、比定、発掘遺跡】富雄川東岸のなだらかな丘陵に鎮座し、「延喜式」神名帳にのる小社・登弥神社に比定されています。富雄川が奈良...登彌神社(とみじんじゃ:奈良市石木町)~「筒粥祭」の社の祭祀氏族は物部氏と同族か

  • 石清水八幡宮(八幡市八幡)~宇佐家古伝が語る男山勧請当時の状況や放生会の由来

    全国的に著名な大神社で、高槻から車で一番近いのがこの石清水八幡宮になると思います。平安京から見て裏鬼門(南西)に位置して京の都を守護してきた神社です。ご利益としては厄除信仰の歴史が長く、平日に行ったにも関わらず参拝者が絶えることなく訪れていました。今回は、有料(500円)になりますが、麓の頓宮横の駐車場に停めて、男山の表・裏参道や展望台など一通り巡り、良い空気を堪能できました。また、観光スポット的なポイントも盛りだくさんで、写真を載せきれないほどです。なお、男山山上の三の鳥居近くの駐車場なら無料で停めれるます。・一ノ鳥居からすぐの頓宮殿。石清水祭において山上の御本殿より御神霊が御遷しされる重要な社殿・高良神社。徒然草で、仁和寺のある法師が当社を本宮と勘違いして帰ってしまったという話が有名【ご祭神・ご由緒】ご祭神...石清水八幡宮(八幡市八幡)~宇佐家古伝が語る男山勧請当時の状況や放生会の由来

  • 惣社水分神社(宇陀水分神社上社 / そうしゃみくまりじんじゃ:宇陀市菟田野上芳野)~南北朝時代の「鳳輦みこし」を持つ古社

    国道166号線から県道31号線に入り、左右を山に挟まれた芳野川沿いを車で進むと、少しずつ人里離れた感が増していきましたが、10分も経たずに鳥居が見えて到着。中央車線はないものの道幅はあるので、快適に走る事が出来ます。宇陀水分三社の中では、雰囲気的に一番スピリチュアルで密やかな雰囲気が有り、小規模ではありますがさすがに著名神社だと思いました。・紅葉の時期で奇麗でした。登る先が見えなくて神秘的です【ご祭神・ご由緒】天水分神、国水分神、天児屋根命、速秋津比古命、誉田別命をお祀りします。社名の「惣社」は、文政十二年(1829年)に卜部家から与えられた宗源宣旨(中世末から近世にわたり京都吉田家(卜部家)から各神社に位階神号、神職に免許状を授与するときの辞令)に「惣社水分大明神」とあることによります。それ以前は、「中山水分...惣社水分神社(宇陀水分神社上社/そうしゃみくまりじんじゃ:宇陀市菟田野上芳野)~南北朝時代の「鳳輦みこし」を持つ古社

    地域タグ:宇陀市

  • 宇陀水分神社 下社(下宮/うだみくまりじんじゃ:宇陀市榛原下井足)~ご由緒にある高見山水分神巡歴の最後の地

    宇陀水分神社を自称する三社~宇陀水分神社中社(国宝の本殿を持つ)、当社、そして惣社水分神社~のなかで、芳野川の最も下流に位置する神社です。古市場の宇陀水分神社中社の社記によると、当社は「田山の下の宮」とか「下の水分宮」とも称されていたようです。宇陀水分三社の中では、最も境内のスケールが大きく、高木がそびえる参道を歩くととても神々しい気持ちになりました。また、なかなかしっかりした紙質のリーフレットが置かれていたのも印象的です。・参道前の二の鳥居と社叢。社殿がまだ遠いです【ご祭神・ご由緒】上宮とは微妙に異なり、天之水分神、国之水分神、天児屋根命、品陀和気命の四柱です。「水分由来集」では、水分の神が和州高水分山(高見山)より芳野中山(惣社水分神社)を経て西殿の上宮(中社)にとどまり、次いでこの地に来られた時、一夜のう...宇陀水分神社下社(下宮/うだみくまりじんじゃ:宇陀市榛原下井足)~ご由緒にある高見山水分神巡歴の最後の地

    地域タグ:宇陀市

  • 宇陀水分神社 中社(上宮/ うだみくまりじんじゃ:宇陀市菟田野古市場)~国宝の社殿や薬の井のある水の神

    日本書紀推古天皇十九年に、菟田野に薬狩(鹿の若角をとり薬用にする)に出かけた話がありますが、その際に天皇が身を清めたとされる薬の井が今も枯れることなく湧き続ける名水で知られる宇陀水分神社です。この「延喜式」式内社を自称する神社は、実際は当社と榛原下井足の「宇陀水分神社下社(下宮)」、そして菟田野上芳野の「惣社水分神社(宇陀水分神社上社)」の三社が有りますが、確定的な資料はないものの、この菟田野古市場の中社に比定するのが穏当とされています。薬の井も当社にあります。・国道166号線よりの大鳥居【ご祭神・ご由緒】第一殿に天水分神、第二殿に速秋津比古命、そして第三殿に国水分神がお祀りされています。この神々は、「古事記」の伊邪那岐命と伊邪那美命の神生みで生まれたと書かれています。まず、水の出入り口の神、速秋津比古命がお生...宇陀水分神社中社(上宮/うだみくまりじんじゃ:宇陀市菟田野古市場)~国宝の社殿や薬の井のある水の神

    地域タグ:宇陀市

  • 墨坂神社(すみさかじんじゃ:宇陀市榛原萩原)~名水「波動水」の湧く古社を祀った人たち

    龍王宮から湧き出る「波動水」が、「名水・やまとの水」に認定されるほどの清水という事も相まって、記紀に載るこの地の御由緒から病気平癒のご神徳を求めて多くの人々が訪れると言われる神社です。昨年秋にお参りした際も、参拝の方がちらほらお見えになっていました。神社の丁度向かい正面方向が、秋から冬に幻想的な雲海が見れる事で有名な鳥見山と鳥見山公園にあたり、所々紅葉で色づいている山の姿には季節感を感じました。・神社全景。左から斜めに上がってるのが車道で、境内まで車で乗り入れる方が多かったです【ご祭神・ご由緒】ご祭神は、墨坂大神。これは、天御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神、伊邪那岐神、伊邪那美神、そして大物主神の六神の総称というすごい神様です。この神の御由緒は記紀に記述があります。「日本書紀」崇神帝九年には、゛天皇の夢の中に、...墨坂神社(すみさかじんじゃ:宇陀市榛原萩原)~名水「波動水」の湧く古社を祀った人たち

    地域タグ:宇陀市

  • 日部神社(くさべじんじゃ:堺市西区草部)~大阪和泉の地で゛浦島太郎゛を語る、重要文化財の古社

    ごく普通の住宅街の中に埋もれるかのように、ひっそりと鎮座する式内社です。小さな地域の神社といった感じに見えますが、とても珍しい本殿など国の重要文化財を持つことで特筆すべき古社であり、奇麗な公式ホームページも運営されています。さらに神社は、ご祭神の子孫である日下部首の後に、誰もが知るおとぎ話の浦島太郎がいたという、和泉の地で唐突とも感じる言い伝えをさりげなくPRされています。・住宅街にこんもりした空間が現われました【ご祭神・ご由緒】神武天皇、道臣命、そして日下部の祖神の彦坐命。現在はさらに、須佐之男命、伊邪那美命、菅原道真公も加えられています。「和泉国式内社目六稿」は、゛日部神社。日下部氏の祖神日子今簀命を祭る゛と記します。その他、「神名帳考証」「神社覈録」「特選神名帳」「大日本史神祇志」「和州志」「大阪府誌」「...日部神社(くさべじんじゃ:堺市西区草部)~大阪和泉の地で゛浦島太郎゛を語る、重要文化財の古社

    地域タグ:西区

  • 小幡神社(おばたじんじゃ:京都府亀岡市曾我部町)~出雲神と八幡神の不和の歴史を秘める地を偲ぶ古社

    当社へは車で訪れたのですが、ナビでは到着してるはずなのに神社の案内板も何もなく、たどり着くのに難儀しました。小幡川北側の「金剛寺」の小さな案内標識に従って小道を進めば、結構な広さの神社の駐車場に辿り着けるのですが。境内は道に面していますが、規模的には地域の氏神社っぽい小規模な神社で、知らなかったら見過ごしてしまいます。ただ、ご祭神に開化天皇をお祀りするというとても珍しい神社で、どうも重大な古代史を秘めているらしいので、参拝させていただいて感慨もひとしおでした。・二の鳥居【ご祭神】「南桑田郡誌」や「亀山市史」では社伝に従って、開化天皇、彦坐王命、小俣王命の三神がご祭神としています。「亀山市史」では、社名がご祭神の一柱、小俣王命にちなむ可能性を述べて重要視しているようですが、「特選神名帳」の方はこの神が「神名帳考証...小幡神社(おばたじんじゃ:京都府亀岡市曾我部町)~出雲神と八幡神の不和の歴史を秘める地を偲ぶ古社

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  • 丹波國一之宮 出雲大神宮(亀岡市千歳町)~亀岡市に「元出雲」の神社がある様々な理由

    中世には丹波一之宮、近世には出雲大明神と称された由緒ある神社です。「徒然草」にも、゛丹波に出雲といふ所あり、大社(島根の出雲大社)をうつしてめでたくつくれり゛とあり、その出雲大社と同様、縁結びの聖地として名高いです。一方では、「元出雲」との俗称も語られ、出雲大社より古いとの見方もあり、大変奥深い謎を秘めていそうな神社です。・一の鳥居。見出し写真は、国常立尊が鎮まる御神体山である御蔭山が背景【ご祭神・ご由緒】現在のご祭神は、大国主命と三穂津姫命。背後の御蔭山は国常立尊が鎮座するとされる御神体山で、今なお禁足地です。特に本殿裏の巨大な磐座が名高く、まじかで拝見すると圧倒的な神威を感じました。上記の「徒然草」にある通り出雲大社の分霊を勧請したともされますが、起源や背景は未詳と言わざるを得ないようです。公式社伝では和同...丹波國一之宮出雲大神宮(亀岡市千歳町)~亀岡市に「元出雲」の神社がある様々な理由

    地域タグ:亀岡市

  • 八咫烏神社(やたがらすじんじゃ:宇陀市榛原高塚)~宇陀に坐すサッカー日本代表のシンボル神を祀った人々とは

    とてものどかで車で気持ちよく走れる県道31号線沿いにおもむろに鳥居が現われます。神社までは鳥居をくぐって一直線ですが、1台分しか幅がないので、対向車がない事を確認して突っ走ると到着します。鳥見、榛原、墨坂などの「日本書紀」にある地名の痕跡が今も残る宇陀の地で、ずばりヤタガラスの名を掲げる神社です。八咫烏といえば、サッカー日本代表とも縁の深い熊野本宮大社が有名ですが、八咫烏は皇軍を宇陀まで導いたというのですから、宇陀の方も熊野に負けないくらいの縁が有ると思います。・境内入口横には、「陵墓」にあるような注意書き看板があります【ご祭神・ご由緒】ご祭神は、建角御神。「延喜式」神名帳の頭注に゛八咫烏は賀茂建角身命なり゛と書かれてい、式内社八咫烏神社だと考えられています。記紀の話が有名ですが、「新撰姓氏録」にも、鴨県主と賀...八咫烏神社(やたがらすじんじゃ:宇陀市榛原高塚)~宇陀に坐すサッカー日本代表のシンボル神を祀った人々とは

    地域タグ:宇陀市

  • 石津太神社(いわつたじんじゃ:堺市西区)~やっさいほっさい祭の古社と゛石津原゛の石津ヶ丘ミサンザイ古墳

    ゛泉州の奇祭゛として、堺市の指定無形民俗文化財にもなっているやっさいほっさい祭が、毎年12月14日に行われる事で有名な神社です。祭だけでなく、社殿(拝殿、南/北本殿)や境内の鳥居(一の鳥居、二の鳥居)も有形文化財に指定されていて、堺の街中にあって貴重な歴史史蹟となっています。式内論社として、石津神社(陸の戎)と並び称されますが、今回は石津太神社を参拝し、併せて日本で3番目の大きさをほこる陵墓である石津ヶ丘ミサンザイ古墳を訪れました。・一の鳥居の社号・一の鳥居前の「五色の石」【ご祭神・ご由緒】恵比須様こと蛭子命(八重事代主命)と、石津連の祖神天穂日命。伊邪那岐命と伊邪那美命の間に生まれた蛭子命は三歳になっても立つことができなかったので、天磐樟船に乗せられて流し捨てられました。その船が漂着したのが石津浜で、命はその...石津太神社(いわつたじんじゃ:堺市西区)~やっさいほっさい祭の古社と゛石津原゛の石津ヶ丘ミサンザイ古墳

    地域タグ:西区

  • 等乃伎神社(とのきじんじゃ:高石市取石)~異剣(あやしきつるぎ)と楠巨木の伝承

    鎮守の森がそろそろ近づいてきたくらいの道端で、゛よそでは手に入りにくい御守゛と書かれた年季の入った看板がまず目に入り、さらに鎮守の森の道路沿いにも同じ文言の看板(下写真)で再三PRされます。参拝した時は残念ながら授与所は閉まっていたのですが、そのPR通り沢山の種類のお守りが取りそろえられてる事で有名な神社です。境内は2694坪とかなり広く、高樹の御由緒のある社叢が鬱蒼と茂っていて高石市の数少ない自然保護樹林に指定されています。・神社北側の通りからの社叢「霞の森」と看板【ご祭神・ご由緒】現在のご祭神は、主祭神が天児屋根命。相殿神に、誉田別命、菅原道真、大歳神、壺大神。当社は通称「天神社」ともいわれるようですが、これは菅原道真公を祀ったからではなく、当社の日神祭祀からそう呼ばれたのだろうと、「日本の神々和泉」で大和...等乃伎神社(とのきじんじゃ:高石市取石)~異剣(あやしきつるぎ)と楠巨木の伝承

    地域タグ:高石市

  • 鍬山神社(くわやまじんじゃ:京都府亀岡市上矢田町)~゛矢田の紅葉゛の名所に潜む、出雲神と八幡神の不和伝説

    ゛矢田の紅葉゛と呼ばれて、その真っ赤に燃えるような紅葉で知られる神社です。本年度から11月の紅葉期には駐車料金を頂きます、との神社公式HPの案内が有った事から、その直前の時期に参拝させていただきました・・・境内をじっくり拝見したいこともありますので。色づき情報では「青葉」でしたが、色づきが始まった時期で紅葉の雰囲気はある程度味わう事が出来ました。さすがに名所という事で、カメラを片手に撮影に訪れる方が何人もおられました。・枚方亀岡線沿いの大鳥居。境内と駐車場はこの少し奥です【ご祭神・ご由緒】鍬山宮に祀られるのは大巳貴神こと大国主神。そして、一応境内社の八幡宮に応神天皇がお祭りされています。社伝では創建は709年とされる、桑田郡所属の式内社です。太古、亀岡盆地は沼胡で大蛇のひそむところだったのを、出雲大神が八神と黒...鍬山神社(くわやまじんじゃ:京都府亀岡市上矢田町)~゛矢田の紅葉゛の名所に潜む、出雲神と八幡神の不和伝説

  • 誉田八幡宮(こんだはちまんぐう:羽曳野市誉田)~誉田御廟山古墳の被葬者や武家に信仰された歴史のこと

    2019年に百舌鳥古墳群とともに世界文化遺産となった、古市古墳群の盟主陵墓である誉田御廟山古墳(いわゆる応神天皇陵)の後円部に接して鎮座し、古くから御陵祭祀を司り続けた宗廟です。ご祭神は誉田御廟山古墳の埋葬者とされる品陀別(ほんだわけ)命こと応神天皇、そして仲哀天皇、神功皇后のご両親を主祭神とし、住吉三神を合祀します。陵墓の祭祀が付属する神社に発展した、全国でも極めて稀な神社といわれます。・南大門と神社石標。左に見えるのは、秋祭り準備中の地域の地車。(☝見出し写真は東門側)社伝の「誉田宗廟縁起」によれば、欽明天皇がこの誉田陵に参拝した折(559年とされる)に、新羅に滅ぼされた任那日本府の再興実現を祈念して、後円部の頂上に神廟式の小社殿を造営したのが当社の始まりで、以後聖徳太子、僧行基、僧空海、菅原道真らそうそう...誉田八幡宮(こんだはちまんぐう:羽曳野市誉田)~誉田御廟山古墳の被葬者や武家に信仰された歴史のこと

  • 村屋坐弥冨都比売神社(むらやにいますみふつひめじんじゃ:磯城郡田原本町)~気になる神社名の姫

    山の辺の道の錚々たる各社や多神社、鏡作神社などの有名な神社に囲まれて、ひそやかに信仰を伝えているのかと思いきや、ホームページを拝見するとご祭神のイラストやYoutubeアニメ、月替わりの色鮮やかな御朱印や授与品としてヴォイスドラマCDも取りそろえるという、積極的に今時の人の心へ寄り添おうとされている、興味深い神社です。このコロナ禍でもアマビエ様のイラスト御朱印で悪疫退散の御神威を発揮されています。そもそもが日本を代表する大神神社のご祭神大物主命つまりは大国主命の妃神・三穂津姫命(「日本書紀」による)を主神としてお祀り(大国主命も配祀)するという「大神神社別宮」の由緒ある社格を存分に活かされていると言えます。ご利益は、縁結び、家内安全、そして商売繁盛です。・境内までの参道「延喜式」神名帳では「村屋坐弥冨都比売神社...村屋坐弥冨都比売神社(むらやにいますみふつひめじんじゃ:磯城郡田原本町)~気になる神社名の姫

  • 葛木御歳神社(かつらぎみとしじんじゃ:中鴨社、御所市東持田)~出雲神話の姫と年神様の関係

    同じ葛城の高鴨神社(上鴨社)及び鴨都波神社(下鴨社)と並んで中鴨社と呼ばれ、同じく弥生時代の古い時代から祀られていたとされる由緒ある古社です。しかし、近年は人の手が入らない時期が続き、摂社や社務所は壁が壊れ、屋根には穴が開いているという状態にまでなっていたのを、そもそも地域や神社とは縁のない現在の東川宮司が、インターネットやクラウドファンディングなどの現代らしいスマート・ツールを駆使したり、カフェを併設してライブも開催されるなどで今の姿に復興された事が、メディアやニュースでよく取り上げられているのを見かけます。・ご祭神が鎮まる御歳山。最初の鳥居の奥に第2駐車場があり、神社はもう少し奥です「延喜式」神名帳では葛上郡の名神大社。現在のご祭神は御歳神。相殿が御歳神の父神で、須佐之男命の御子神である大年神と、大国主の御...葛木御歳神社(かつらぎみとしじんじゃ:中鴨社、御所市東持田)~出雲神話の姫と年神様の関係

  • 葛木坐火雷神社2(かつらぎにいますほのいかづちじんじゃ、笛吹神社:葛城市笛吹)~古墳の被葬者と尾張氏

    前篇からの続きです。前篇では、「火雷社」と「笛吹社」の呼称の歴史や、笛吹連の事などについて確認されている事をまとめました。社殿奥には、笛吹神社古墳があります。自然石を積んだ横穴式石室が開口していて、内部には長さ約2.5m、幅約1.5m、高さ約1.4mの凝灰岩によるくり抜き式家型石棺が置かれています。「日本の神々大和」で木村氏が引用した比嘉紀美枝氏の説明では、神社が古墳の前に祀られる例は少なく、古墳があるとは知らずに神社を祀ったとも考えられるが、ここに居住した笛吹連が祖先の墓の祖廟として神社が築かれたとも推定できる、と述べられています。当社では、これが笛吹連の始祖・櫂子に繋がる健多乎利命(たけたおり)の墓との伝承を紹介されていますが、やはり横穴式石室で6世紀前半の造営と見られるので、後述するようにあくまで信仰と捉...葛木坐火雷神社2(かつらぎにいますほのいかづちじんじゃ、笛吹神社:葛城市笛吹)~古墳の被葬者と尾張氏

  • 葛木坐火雷神社1(かつらぎにいますほのいかづちじんじゃ、笛吹神社:葛城市笛吹)~二つの神社名の経緯の不思議

    古代史に縁の深い葛城地域の有名な幾つかの神社の中で北寄りに位置し、鎮座地から奈良盆地方面を望むと、だいたい西側に畝傍山が、さらにその向こうに天香久山が並ぶ絶景が望めます。現在は笛吹神社名も併記されているようで、由緒ある古社として認識していましたが、最近ではあの大ヒットアニメ「鬼滅の刃」に登場するキャラクターが繰り出す大技「火雷神」と同じ社号だったことから、アニメファン、コスプレファンの訪問が多いそうです。宮司さんも、「更衣室は有りません」とうれしい(?)悲鳴を語られています。最新の公式ホームページでも関連するお願いをいくつかされてて、御配慮されるのが良いと思います。・神社入口。上の見出し写真は、少し下ったあたりより。真ん中が畝傍山。その右奥が天香久山。左が耳成山「三代実録」では859年に正三位勲二等から従二位に...葛木坐火雷神社1(かつらぎにいますほのいかづちじんじゃ、笛吹神社:葛城市笛吹)~二つの神社名の経緯の不思議

  • 美具久留御魂神社(みぐくるみたまじんじゃ:富田林市宮町)~二上山を仰ぐ大国主命の荒御魂と地元の出雲伝承

    美具久留御魂神という聴き慣れないお名前なのですが、この神様は大国主命の荒御魂の事です。「延喜式」神名帳に載る式内社で、貴志宮、和爾宮、下水分神社とも呼ばれました。ご祭神はその美具久留御魂神、天水分神、弥都波廼売(みずはのめ)神、国水分神、須勢理比売命の五柱。(個人的には実家の近い)この南河内地域に出雲の神が祀られる社が鎮座する事にとても興味を覚えました。しかも、だいたい東方向(真東ではない)に二上山が拝める地でもあります。つまり、その向こうには多神社、そして大神神社が鎮座する三輪山があるのです。・こちらが正面から見た入口の鳥居。見出し写真は神社側から二上山を望んだ絶景神社の語るご由緒は、以下の通りです。古代のこの一帯は「支子(きし)の茅原」と呼ばれ、崇神天皇10年、この地に大蛇が多く出没し、農民を悩ませていまし...美具久留御魂神社(みぐくるみたまじんじゃ:富田林市宮町)~二上山を仰ぐ大国主命の荒御魂と地元の出雲伝承

  • 神武天皇 畝傍山東北陵(橿原市大久保町)~橿原神宮も鎮座する記紀説話の聖地

    一般に日本の最も古い゛歴史書゛と言われる「古事記」「日本書紀」で、万世一系の系譜を持たれる皇統の始祖、初代天皇とされている神武天皇の陵墓(宮内庁が管理する皇室の先祖の墳墓)です。写真の通り、ものすごく高い杉の整然とした林に挟まれた、玉砂利が敷かれた長い参道のアプローチが神威に溢れ、とても広大な敷地(東西500m、南北400m)には圧倒されます。さらにこの陵墓の拝所にはご丁寧に手水舎もあり、特別な信仰の場である事が感じられますが、木々が繁っているのみで墳丘らしき築造物は見えません。・入口から威厳ある空間で立派ですこの墳墓の場所について、「古事記」は゛畝傍山の北側の白檮尾のほとりにある゛とし、「日本書紀」は゛畝傍山の東北゛、そして「延喜式」神名帳では゛大和国高市郡に在る。兆域東西一町。南北二町。守戸五烟(墓守が5軒...神武天皇畝傍山東北陵(橿原市大久保町)~橿原神宮も鎮座する記紀説話の聖地

  • 堤根神社(つつみねじんじゃ;門真市宮野町)~気になる゛武蔵の人゛強頸(こわくび)の受難

    いわゆる河内王朝の時代に、あの仁徳天皇が土地に田圃が少ないのを憂いて「堀江」を造らせた後、北の河(今の淀川)の塵芥を防ぐために築かせたという「茨田堤(まんだのつつみ)」。神社HPによると、淀川の流れの改修で役割を終えたのちも分断されて残っていたものの、戦後の開発ラッシュにより宅地化されていったことから、神社東方に残る遺跡を守ろうと「茨田堤を守る会」を結成。そのかいあって大阪府の史跡になっています。神社前はかつて大和と河内を繋いだ行基道です昭和55年に神社の西にある景雲寺の改修工事現場から、茨田堤の基礎工事に使われただろう丸太類や土器などが出土しており、奈良時代初期にはすでに堤があったことは確かだと考えられています。本殿がまさにその堤の上に鎮座することから、古い由緒があると考えられる門真市唯一の式内小社です。ただ...堤根神社(つつみねじんじゃ;門真市宮野町)~気になる゛武蔵の人゛強頸(こわくび)の受難

  • 河内国一之宮 枚岡神社(ひらおかじんじゃ:東大阪市出雲井町)~゛出雲゛の名の地に鎮座する中臣氏の神社

    だいたい大阪の淀川以北を除いた東半分にあたる河内国の一宮で、社伝による創建は紀元前とされる由緒正しい神社です(ちなみに、二宮が恩智神社)。社伝による創建は、神武天皇ご東征の3年前のBC663年。生駒山の戦いで無念の後退を御決意された際に、天児屋根命・比売御神の二柱の神を、現鎮座地後方の霊地神津嶽(かみつだけ)にお祀りされ熊野に向かわれました。神社後方の山は現在ハイキングコースになっていて、今回、大阪平野を一望できる枚岡山展望台を経由して、その本宮も参拝させていただきました。また、本殿が平成令和の大造営・第一期工事での修復を昨年10月に終えたばかりで、古来を復元した丹塗りの鮮やかさに神威を感じました。・参道。近鉄枚岡駅を出てすぐに、見出し写真の鳥居があります。768年にその二柱が奈良の春日大社に祀られ、その為、こ...河内国一之宮枚岡神社(ひらおかじんじゃ:東大阪市出雲井町)~゛出雲゛の名の地に鎮座する中臣氏の神社

  • 西宮神社(西宮市社家町)~海部や椎根津彦とえびす様の関り

    古くから金運上昇の御利益があるとされ、全国に約3500有るえびす社の総本社です。もともとは航海や漁業の神として信仰を集めましたが、室町時代以降のえびす信仰の隆盛で、商売繁盛に御利益がある神゛えべっさん゛として親しまれるようになっています。毎年お正月の「十日えびす」、そして1月10日の「開門神事福男選び」は必ずテレビのニュースで放映され、子供の頃から見続けてきましたね。現在のご祭神は、第一殿(東)西宮大神こと蛭子命(えびす大神)、第二殿(中)天照大神と大国主大神、第三殿(西)須佐之男大神です。さすがの有名神社で、神社会館や祈祷殿が近代的でした。・福男選びのスタートとなる表大門、通称赤門。左右に繋がるのが大練塀。共に重要文化財・大練塀。築土から宗銭、元銭が発見されたことから、室町時代に建造されたものと推定されます・...西宮神社(西宮市社家町)~海部や椎根津彦とえびす様の関り

  • 廣田神社(広田神社:西宮市大社町)~伊勢大神宮御同体で平安朝廷二十二社の御由緒と神功皇后の海部

    関西地域では勝利祈願の御利益がある神社の一つとして知られ、あの阪神タイガースが必勝祈願祭を行う事でも有名な、由緒ある神社です。境内には球団が祈願で訪れた模様の写真も有り、多くのトラファンもあやかろうと参拝をされるそうです。「延喜式」神名帳では武庫郡の名神大社とあり、旧官幣大社。神階は868年に従一位に昇り、朝廷の尊崇最も篤い二十二社の一つ(下八社)にも数えられました。神社から南に500mほどにある一の鳥居。見出し写真は二の鳥居です当社の御由緒は「日本書紀」の中で、神功皇后が創祇したと記載されています。つまり、新羅遠征を終え忍熊王との戦いに向けて船で難波に向かっている時、船が海中でグルグル回って進まなくなりました。それで、武庫の港に還って占われたところ、最初に天照大神が教えて言われました。゛わが荒魂を皇后の近くに...廣田神社(広田神社:西宮市大社町)~伊勢大神宮御同体で平安朝廷二十二社の御由緒と神功皇后の海部

  • 道明寺天満宮(藤井寺市道明寺)~出雲から来た野見宿禰の後裔、土師氏の歴史

    天満宮なので、現在は学問の神様として菅原道真公への信仰を集めている神社ですが、付近は世界遺産の古市古墳群でも最古とされる仲津山古墳や応神天皇陵とされる誉田山古墳が横たわる地域であり、そもそもはその築造にかかわったと考えられる土師氏に起源をもつ地だと捉えたいです。言うまでもなく、道真公の先祖が土師氏で、その始祖が野見宿禰だとされています。本殿背後にある梅園も有名で、「大阪みどりの百選」にも選ばれ毎年2月から3月には多くの参拝者が梅園お目当てに訪れるそうです。・神門。道明寺がこちらにあった名残を感じますご祭神は主人に菅原道真公、他に土師氏の遠祖天穂日命と、道真公の叔母覚寿尼。式外社です。「日本書紀」に、野見宿禰が古墳築造の際の殉死の悪習をやめる代わりに埴輪を新たに提案した話があり、社伝によれば、この功により野見宿禰...道明寺天満宮(藤井寺市道明寺)~出雲から来た野見宿禰の後裔、土師氏の歴史

  • 養蚕神社(木島坐天照御魂神社境内社「蚕の社」:京都市右京区太秦)~八百比丘尼の長寿伝説やハタ地名の伝承

    前回は木島神社の「三柱鳥居」とユダヤの関係や「元糺」の所以などに関して記載しましたが、今回は、「蚕の社」の俗称の由来となる境内社、養蚕神社をメインにします。社殿は本殿向かって右に鎮座しています。秦氏の祭祀する神社の境内に養蚕に関わる神社がある理由は、「日本書紀」の雄略紀の、180種の秦の民を率いる秦酒公が税として上質の゛絹゛をうず高く積んだので゛禹豆麻佐゛姓を賜ったという伝承によります。その他、「新撰姓氏録」や「古語拾遺」でも、多少の違いはあるものの、命名の由来を蚕と絹に関連づけていると谷川健一編「日本の神々山城」で大和岩雄氏が書かれています。さらに「三代実録」の887年に、元々秦忌寸だった時原宿禰春風が朝臣姓を賜った記事があり、その春風が語った言葉として、自分が゛始皇帝の十一世孫功満王の子孫゛で、この王の帰化...養蚕神社(木島坐天照御魂神社境内社「蚕の社」:京都市右京区太秦)~八百比丘尼の長寿伝説やハタ地名の伝承

  • 木島坐天照御魂神社(蚕の社:京都市右京区太秦)~ユダヤ景教との関係が囁かれる秦氏の太陽神と「雷神」のこと

    有名な広隆寺や、あの東映太秦映画村のそばに鎮座する、近畿地方に幾つかある「天照御魂神社」の一つです。略して「木島神社」(鎮座地の旧称による)とか、境内社の養蚕神社が有名なことから「蚕の社」などと呼ばれています。下鴨神社(賀茂御祖神社)の鎮座地「糺」の名の元祖だという「元糺の池」があったり、その池の中にある「三柱鳥居」(別名、「三つ鳥居」「三面鳥居」「三角鳥居」)が日本唯一の形態(ここに倣って建てられたものはある)だったりする事から、そのご由緒のミステリーが取り沙汰されます。元糺の池は今は枯れてしまっていますが、谷川健一編「日本の神々山城」では水を湛えた写真が掲載されており、また「都名所図会」では小川の中に立っています。・境内、元糺の森。京都府の史跡指定を受けています三柱鳥居について、明治41年に当時の東京高等師...木島坐天照御魂神社(蚕の社:京都市右京区太秦)~ユダヤ景教との関係が囁かれる秦氏の太陽神と「雷神」のこと

  • 兵主神社(ひょうすじんじゃ:岸和田市西之内町)~豊臣秀吉建造による重要文化財の本殿をもつ兵主神の祭祀氏族

    泉穴師神社から直線距離で4kmほどの近い位置にある、こちらも「延喜式」式内社です。二つの神社は名前は違いますが、「日本の神々和泉」で大和岩雄氏は、穴師の神は兵主神のことであり、当社は泉穴師神社や奈良・山辺の道の穴師坐兵主神社との関係を抜きにしては論じられない、と書かれています。・整備された参道。掲示の由緒によると、明治6年に兵主神社と改称したそうです当社のご祭神は、天照大神、八幡大神、菅原道真となっています。ただ、変遷があるらしく、明治12年の「大阪府神社明細帳」では主神が八千鋒大神、日本武尊で菅原道真、品陀別命が付記され、また、昭和27年の明細帳には、主神が八千鋒大神、相殿に大和武尊、天照大神、品陀別命、菅原道真とあるのです。現在のご祭神は、1413年の当社の由緒書や1743年の岡部長富の奉納文によるようです...兵主神社(ひょうすじんじゃ:岸和田市西之内町)~豊臣秀吉建造による重要文化財の本殿をもつ兵主神の祭祀氏族

  • 泉州二ノ宮 泉穴師神社(泉大津市豊中町)~神社名が物語る本来の由緒と゛アナシ゛の意味

    「延喜式」式内小社で、和泉国で大鳥大社に次ぐ社格の二之宮。神社は天武天皇白鳳年間の御鎮座と説明していますが、4キロほど離れたところに鎮座する、同じく式内社兵主神社と共に、奈良県の山の辺の道沿いに鎮座する名神大社の穴師坐兵主神社との関係をぬきには考えられない、と大和岩雄氏が書かれている(「日本の神々和泉」)神社です。・入口(二の鳥居)の向こうにある石畳太鼓橋。昔は神輿を担いで渡っていたそう現在のご祭神は、「延喜式」に二坐と書かれている事に寄り、天忍穂耳尊と栲幡千々姫命がお祀りされています。これは、1700年に書かれた「泉州志」が社家伝でこの二柱がご祭神になってる事を紹介しており、昭和27年の明細帳がこれにならったことによるようです。実は、明治12年の「大阪府神社明細帳」では、穴師神主の祖神である天富貴神と佐古麻槌...泉州二ノ宮泉穴師神社(泉大津市豊中町)~神社名が物語る本来の由緒と゛アナシ゛の意味

  • 月読神社(京都府京田辺市大住)~隼人の山幸彦・海幸彦伝承と海部の火明命の関係が語るもの

    伊邪那岐命が右目を洗った時に成り出でた神で、天照大神、素戔嗚命とあわせて三貴子の一柱ですが、記紀でもあまり出てこない謎の神様、月読命が祀られている、京田辺市の方のツクヨミ社です。当社は南九州(大隅など)より7世紀頃に移住した隼人の居住地゛大住郷゛に鎮座する事から、彼らにより祭祀されたとされる延喜式内社。この神社の南の甘奈備山に月読神がお祀りされていて(山頂に神奈備神社がある)、この辺りの神社はみなこの山の月読神を祀った社だったとも言われています(志賀剛氏)。・なかなか堂々たる入口オツッドン(御月殿)と呼ばれる月神信仰が薩摩半島西部にみられ、田の神と月の神が一緒に祀られるそうですが、田の神が合理的・近代的なのにに対し、オツッドンは混とんとして古層の文化を思わせる、と小野重朗氏が言われていたそうです。大住郷の阿多隼...月読神社(京都府京田辺市大住)~隼人の山幸彦・海幸彦伝承と海部の火明命の関係が語るもの

  • 岡田鴨神社(木津川市加茂町)~賀茂氏と同時に山城へ移ったらしい秦氏と「徐福さん」のこと

    大和の鴨(鴨都波神社、高鴨神社等)と京都の賀茂(通称上賀茂神社、下鴨神社)とのつながりを思う時、キーになるのがこの南山城に鎮座する、「延喜式」式内大社の岡田鴨神社とされます。ご祭神は加茂建角身命で、一般に山城賀茂氏、葛野鴨県主の始祖と言われる御方です。北側に流れる木津川はかつては鴨川と呼ばれていたらしく、「続日本紀」742年に゛鴨川の名を宮川に改める゛とあります。これは当時、ここに恭仁宮があったためです。・鳥居前にある「左いがいせ」の道しるべ「山城国風土記」逸文の賀茂社の条に、゛賀茂建角身命、神倭石余比古(神武天皇)の御前に立ちまして、大倭の葛木山の峯に宿りまし。彼より漸に遷りて、山代の国の岡田の賀茂に至りたまひ、(中略)彼の川より上りまして、久我の国の北の山基に定まりましき゛と書かれ、八咫烏の子孫であるとされ...岡田鴨神社(木津川市加茂町)~賀茂氏と同時に山城へ移ったらしい秦氏と「徐福さん」のこと

  • 高天彦神社(御所市大字北窪)~古代葛城の受難の歴史を根強く伝承する゛高天彦゛は誰なのか

    高鴨神社で御朱印をお願いすると、対応の神職の方に高天彦神社の御朱印も頂けると教えて頂き、お断りするのはあり得ないとお願いしました。また日を改めて参拝しようかと思いかけた処でしたが、その足で参拝させていただきました。・白雲峯。真ん中が参道を覆う老杉・参道の杉林高鴨神社も結構標高が高いですが、県道30号線から「高天ヶ原」の案内看板を見て金剛山方面の小道に入り、さらに急坂を上った所に鎮座しています。マップアプリの航空写真を見ると雰囲気がなんとなく分かりますが、坂を上がると広がるテラス状の台地にあり、老杉の生い茂る参道や神社の背後にそびえる白雲峯の円錐状の厳かなシルエットなど、ここが何かを秘めた特別な地である事がすぐに感じ取れます。それもそのはず、この地の昔の地名が゛高天村字高尾張゛でした。・参道「新抄格勅符抄」には7...高天彦神社(御所市大字北窪)~古代葛城の受難の歴史を根強く伝承する゛高天彦゛は誰なのか

  • 河内国二之宮 恩智神社2(八尾市恩智中町)~奥宮天川山から偲ばれる本来の祭祀者を思う

    1の記事からの続きです。前回は、弥生中期を中心とした重要な恩智遺跡「天王の森」や、中臣氏との関係の実際などについて触れました。今回は祭祀氏族について、゛伝承゛の語る氏族系譜からいろいろ連想してみたいと思います・・・なお、見出し写真は1の記事でも写真を載せた131段の石段を、境内から見下ろした絶景です。・拝殿。平成の時代に改築した新しいもの。前に神龍(しんりゅう:左)と神兎(なでうさぎ)が居ます二柱の本殿の間には、天川神社が祀られています。ご祭神は天照大神高座神社と同じ「春日辺(部)大明神」です。恩智神社の背後には天川山があり、頂上には神社の奥宮を証する石碑があるそうです。アマ川と読みます。天照大神高座神社と同じご祭神が祀られている事は、恩智神社の本来的性格と関わるだろうと、谷川健一編「日本の神々河内」で大和岩雄...河内国二之宮恩智神社2(八尾市恩智中町)~奥宮天川山から偲ばれる本来の祭祀者を思う

  • 河内國二之宮 恩智神社(八尾市恩智中町)~奈良春日大社信仰と大阪屈指の弥生遺跡の関係の謎

    天照大神高座神社の南、直線距離にして700m程しか離れていない位置で、こちらも山の中腹の絶景を望める地に鎮座する神社です。南北朝の初期に、楠木正成に従ったこの地の恩智左近が城を造ったとき、城から神社を見下ろしたのでは神のご加護が得られないとして、今のお旅所「天王の森」にあったのを、現在地に遷座しました。見事な長い石段も、元々はその時造られたよう。現在のものは新たに修築されたものですが、見上げても見下ろしても圧巻の光景で一見の価値ありです。・旧鎮座地の「天王の森」神社は、創建は雄略年間であり河内の国の御守護の為にお祀りされたと説明しますが、当社旧社地の「天王の森」を中心とした南北1.2km、東西1.0kmの範囲が、大阪府で最も早くから知られた、出土遺跡も多い弥生遺跡であるという発掘成果との関連性は留意すべきでしょ...河内國二之宮恩智神社(八尾市恩智中町)~奈良春日大社信仰と大阪屈指の弥生遺跡の関係の謎

  • 佐和良義神社(さわらぎじんじゃ:茨木市美沢町)~銅鐸製造の東奈良遺跡や佐奈部神社との関係も偲ばれる王族の神

    現在は茨木市で「桜通り」として有名な5kmにもおよぶ細長い緑地公園の一角に、寄り添うように鎮座する堂々「延喜式」式内社です。道路を伴うこの曲がりくねった公園は、元々茨木川下流だった地で、度重なる決壊を防ぐために田中町のあたりで安威川へ合流されたため廃川となりました。当社も近いところでは明治40年の洪水で社殿が流失しており、現在のものは大正6年に竣成したものです。古代には大阪湾の海がいりこみ淀川沿いの低湿地だったようです。なお、藤原鎌足が乙巳の変の前に一時隠居したという「三島別業」が、この沢良宜あたりだったとの説があります。・参道はかなり高い木々で覆われています・すぐ横は、公園の遊歩道が並行します「延喜式」神名帳の吉田家本は゛サワラキノ゛、金剛寺本では゛サワラミノ゛、さらに「特選神名牒」では゛サワラゲノ゛とよまれ...佐和良義神社(さわらぎじんじゃ:茨木市美沢町)~銅鐸製造の東奈良遺跡や佐奈部神社との関係も偲ばれる王族の神

  • 阿久刀神社2(あくとじんじゃ:高槻市清福寺町)~古代出雲から高槻に来たらしい神々の居場所や御祭神を思う

    阿久刀神社1の続きです。前回はあまり情報がないので「延喜式内社調査報告」など辞典的な資料を中心に、由緒等をまとめました。今回は、高槻市によるこの地域の弥生~古墳時代に渡る発掘成果より得られる時代変遷の話から始めたいと思います。弥生時代初期は、高槻市八町畷の安満遺跡と茨木市の東奈良遺跡の2トップの環濠集落が特筆します。東奈良遺跡は古式の銅鐸や銅鐸鋳型が出た事で有名な地ですが、弥生前期の後半には極端に巨大化します。これは、弥生時代前期の2つの移住の波の第二波(第一波は稲作技術の伝来の波)といえる、さらなる渡来人の集団移動による青銅器を始めとした技術・情報が伝来した波の中での動きでした。ここでは、様々な集団がさみだれ式に、地域の実情に合わせて受け入れられていき、東奈良ムラの場合は銅鐸作りを中心とする新来の青銅器技術者...阿久刀神社2(あくとじんじゃ:高槻市清福寺町)~古代出雲から高槻に来たらしい神々の居場所や御祭神を思う

  • 阿久刀神社(あくと神社:高槻市清福寺町)~延喜式内、嶋上郡筆頭社にまつわるご由緒の数々

    わが高槻市の「延喜式」式内社、摂津国部門で西成郡の坐摩神社に続き、嶋上郡の堂々筆頭(といっても、後は野見神社、神服神社の少数精鋭ですが)に登場する小社です。神社の背後すぐに東流する芥川の堤防があり、神社の南側一帯は弥生時代中期から古墳時代の遺物が発掘された郡家川西遺跡が検出されており、奈良時代の嶋上郡衙跡(郡役所跡)も近いです。古くから人々が集まる地だった事が想起されます。しかし、皇學館大学「式内社調査報告第五巻」で吉井良隆氏は゛由緒について伝える資料は何ら残存しないので明らかでない゛と述べておられます。・住宅密集地に鎮座します。右に見えるのが一の鳥居ただ、上記調査書で吉井氏も書かれてますが、三島県主の奉斎した社だったろうと考えられています。その後、氏族制度の崩壊と共に、この地方の農民の氏神となりました。度重な...阿久刀神社(あくと神社:高槻市清福寺町)~延喜式内、嶋上郡筆頭社にまつわるご由緒の数々

  • 和泉国一乃宮 大鳥大社(堺市西区)~日本武尊が最後に留まった「千種の森」と「根上りの大楠」

    JR阪和線で鳳駅あたりに差し掛かるたびに見える、鬱蒼とした社叢「千種の森」がとにかく印象的で、参拝してみたいと思っていた神社です。谷川健一編「日本の神々和泉」では゛大鳥神社゛の表記になってましたが、今は大社表記になってます。地名の鳳は、当社の神宮寺で聖武天皇の勅願で行基が開基した神鳳寺に由来すると思われる、と上記の本で林利喜雄氏が述べられています。・入口の一の鳥居と長い参道。神殿へは右に折れてコの字に行きます平成30年に大阪を襲った台風で社殿や境内に相当な被害があったそうで、神社は令和3年までの段階的な復興事業を増祀六十周年記念事業と併せて計画、進行中のようです。その甲斐あって、本殿と神門は昨年に完了、そして拝殿とその前の鳥居については今年10月に修復の奉告祭が執り行われました。元々、「大鳥造」と呼ばれる古式で...和泉国一乃宮大鳥大社(堺市西区)~日本武尊が最後に留まった「千種の森」と「根上りの大楠」

  • 高鴨神社(上鴨社:御所市大字鴨神)~ご祭神の不思議が葛城氏の受難を思わせる、全国賀茂社の総社

    鴨都波神社と共に、京都の上賀茂・下鴨をはじめとする全国の賀茂社の総社の一つとして著名な、古代豪族、鴨氏の氏神社です。鴨都波神社からは、結構南に位置しますが、こちらが昔の゛葛上郡゛の上鴨社です。社地は、かつての葛城山である金剛山(今の葛城山は鴨都波神社の東)の東麓の台地上に鎮座し、神社に通じる県道30号線(山麓線)からは畝傍山を始めとする奈良盆地の絶景が望めました。・神社前から西方向に金剛山を望む・入口の鳥居と梵鐘「延喜式」神名帳では、その葛上郡の、なぜか一番最後に記載されている゛高鴨阿治須岐託彦根命神社四座゛が当社で、社伝では、その四座を主祭神の味鉏高彦根神、下照姫、天稚彦命、田心姫としていますが、過去の調査で異説がないとされるのは味鉏高彦根神だけです。「古事記」に゛此の阿遅鉏高日子根神は、今、迦毛大御神と謂ふ...高鴨神社(上鴨社:御所市大字鴨神)~ご祭神の不思議が葛城氏の受難を思わせる、全国賀茂社の総社

  • 保久良神社(ほくら神社:神戸市東灘区)~神戸の地にさりげなくその名を残す古代海部の首長

    兵庫県の神社を初めて取り上げます。といっても、ここはまだ摂津国の範囲ですね。阪急岡本駅からも歩ける距離ですが、この日は閑静な住宅街本山北町のコインパーキングに車を停めて参拝しました。・登り坂の手前に掲示六甲山を背後に控える金鳥山の中腹、保久良山と呼ばれる平坦な地に鎮座します。金鳥山一帯がハイキングコースとして親しまれている地でその入口にあたるのですが、そこまでが断崖状で結構な勾配のつづら折りの道が続きます。張り切って登り始めたら、瞬く間に息が切れてしまいました。途上からなかなかの景色でしたが、神社前に辿り着いて南面に広がる神戸や大阪湾の絶景は感動ものです。・「灘の一つ火」の真ん前が一の鳥居その崖側に「灘の一つ火」と呼ばれる石灯篭があります。石碑によれば1825年のもの。往古はかがり火を燃やし、中世の昔より゛油゛...保久良神社(ほくら神社:神戸市東灘区)~神戸の地にさりげなくその名を残す古代海部の首長

  • 磐手杜神社(いわてもり神社:高槻市安満磐手町)~古代海士(アマ)氏の別れの地を偲ぶ、安満宮山の夜啼(ヨナキ)石

    高槻市の有名な遺跡、安満宮山古墳から見下ろした麓の位置に鎮座する、何とも気になる神社です。記録で見える限りでは南北朝から存在が確認される安満村の鎮守社でした。゛安満゛の由来については、北接する成合村にあった金龍寺の旧称安満寺にによる(大阪府全志)とか、古代淀川の海士(アマ)が居住したことによる(高槻市史)という説が言われています。゛磐手杜゛とは境内の社叢の事で、古来より歌枕(和歌の題材とされた日本の名所旧跡のこと)として有名だったらしく、確かに鬱蒼として威厳すら感じる空気感を感じさせてくれました。なお、入口向かって左に広い駐車場があります。・入口の石標ご祭神は、武甕槌命、斎主(イワイヌシ)命、天児屋根命、姫大神、そして安閑天皇です。中世には安満社と呼ばれ、近世は春日神社と呼ばれていました。社伝によれば、天智5(...磐手杜神社(いわてもり神社:高槻市安満磐手町)~古代海士(アマ)氏の別れの地を偲ぶ、安満宮山の夜啼(ヨナキ)石

  • 天照大神高座神社・岩戸神社2(八尾市大字教興寺)~太陽女神が伊勢神宮に至る途上の地

    1の記事では、神社のご由緒や伊勢神宮との関係、女陰岩窟信仰などについて触れました。引き続き、濃厚に関係するとされる比売許曾の神の話に続けたいと思います。新羅上古の王室系譜で、実在の王名とみられている十七代奈勿(nar)王は、太陽の意味だそうです。谷川健一編「日本の神々摂津」で、大和岩雄氏は、大阪の別称ナニハはnarから来た地名と推察されています。比売許曽神社の記事でも記載しましたが、「古事記」では、新羅の阿具沼のほとりで貧しい女性が昼寝をしていた時、太陽が輝いて虹となり女性の陰部を貫き、妊娠して赤玉を生む日光感情説話が有り、そこから生まれた阿加流比売を追って新羅王子天日矛が難波を目指す話に繋がります。「日本書紀」では、加羅の都怒我阿羅斯等が結婚しようとした童女は、難波と豊国国前郡でそれぞれ比売語曾社の神になった...天照大神高座神社・岩戸神社2(八尾市大字教興寺)~太陽女神が伊勢神宮に至る途上の地

  • 天照大神高座神社・岩戸神社(八尾市大字教興寺)~皇祖神と天皇玉座の名を冠する河内の天岩戸

    大阪の八尾市の東、高安山の中腹に鎮座する神社で゛天照大神゛という恐れ多いお名前に引かれて参拝しました。駐車場有りとの事なので車で訪れたのですが、大阪平野が一望できる道から入る、神社までの参道がとても狭く、恐る恐る進みました。普通のハッチバック車ですが、一カ所、切り返さないと曲がれない処もあります。一瞬、タイヤが空転しましたが、そこを過ぎれば、あとはゆっくり行けば大丈夫です。・駐車場から見える大阪平野の絶景二つの神社は、入口の鳥居はそれぞれ有りますが、岩場にへばりつく感じで、あたかも背中合わせのように鎮座していて、実質的には一つの境内と言って良いです。こじんまりした空間でしたが、厳かで神々しい濃密な空気に浸れました。神社のすぐ傍らで流れる白飯之滝の音が常に響いていて、涼やかな雰囲気も有るのが素晴らしかったです。・...天照大神高座神社・岩戸神社(八尾市大字教興寺)~皇祖神と天皇玉座の名を冠する河内の天岩戸

  • 葛城一言主神社(御所市森脇)~松尾芭蕉とも縁を持つ、混乱する記紀説話が生まれた地

    その親しみやすくインパクトの強い神社名からか、葛城地域でも最も参詣者の多い神社の一つと言われる葛城一言主神社。「古事記」に載る、゛吾は悪事も一言、善事も一言、言ひ離つ神、葛城の一言主大神ぞ゛というお言葉から、どの様な願い事でも一言の願いならばかなえてくれると信じられている事も人気の要因でしょう。地元でも「いちごんじんさん」と呼ばれ敬愛されているそうです。・鳥居のすぐ脇の蜘蛛塚。葛城の土蜘蛛を捕らえ、埋めた跡とされるもの。神社の背後が現在の葛城山です「延喜式」神名帳では゛葛城坐一言主神社゛と表記されます。ご祭神は、「大和志料」にも記載されるように、一言主神に雄略天皇を配祇するとされます。社名から見ても本来は一言主一座だったと考えられますが、「神社明細帳」には事代主命と幼武尊(雄略天皇)と書かれているようです。神階...葛城一言主神社(御所市森脇)~松尾芭蕉とも縁を持つ、混乱する記紀説話が生まれた地

  • 鴨都波神社(下鴨社;御所市宮前町)~八咫烏の氏族が祀った大和のクニの兆しの地

    葛城地域において、ここより南方に鎮座する高鴨神社と共に、京都の上賀茂・下鴨をはじめとする全国の賀茂社の源流の一つとして著名な、古代豪族、鴨氏の氏神社です。京都の加茂さんよりコチラが元祖ということです。高鴨社が上鴨社なのに対し、鴨都波社が下鴨社。そして、中鴨社が御歳神社になります。・国道側の鳥居。うっそうとした社叢が出迎えてくれます。反対側にも鳥居があり、本来の正門でしょう「延喜式」神名帳の葛上郡十七座の筆頭に゛鴨都波八重事代主神社二座゛とある他、同書でも゛葛城鴨社゛とか゛鴨神社゛などに略されています。地元では鴨の宮、葛城鴨社、鴨明神とも俗称されてるよう。読み方は、以前は゛かもつわ゛が正規だったようですが、奈良県の公式サイト「なら旅ネット」では゛かもつば゛となっています。・荘厳な雰囲気の漂う社叢ご祭神については社...鴨都波神社(下鴨社;御所市宮前町)~八咫烏の氏族が祀った大和のクニの兆しの地

  • 鏡作坐天照御魂神社2(磯城郡田原本町八尾 / 三宅町石見)~初期大和政権を思わせる唐古・鍵遺跡も近接する青銅鏡の聖地

    奈良県磯城郡の鏡作神社の続きです。前回はご祭神の経緯や二つの神社掲示の齟齬、天香語山の後の尾張氏との深い関り等を話題にしました。鏡作神社は尾張氏だけでなく、物部氏とも無関係ではない、と谷川健一氏編「日本の神々大和」で、大和岩雄氏は云います。田原本町の保津に鏡作伊多神社が2社ありますが、中世の「大和国十五郡衆徒郷土記」に”保津、保津志摩、物部姓”とあり、また、「大和志」、「万葉代匠記」は、「万葉集」巻一三の長歌"みてぐらを奈良より出でて水蓼穂積に至り鳥網貼る坂手を過ぎて・・・"の”穂積”を保津としており、この説を有力視します。・連棟式の五間社流造り。内陣のある柱間に千鳥破風を設けて明示したもの・組物の間の彫刻付蟇股。獅子?さらに”坂手”については、「日本書紀通証」に゛城下郡阿刀村、在坂手村東南今廃゛とあり、阿刀村...鏡作坐天照御魂神社2(磯城郡田原本町八尾/三宅町石見)~初期大和政権を思わせる唐古・鍵遺跡も近接する青銅鏡の聖地

  • 鏡作坐天照御魂神社(磯城郡田原本町八尾)~掲示のご祭神の不思議、そして天火明命の子孫アマ氏や尾張氏のこと~

    魅力ある、いかにも意味深そうなお名前を持ち、現代では美の神様として美容師さんや鏡業界の方々の参拝が多いという神社です。拝殿前の「記念碑」によると、昭和19年の地震で拝殿が倒壊したのちしばらく再建が出来なかった時期があり、全日本鏡工業協会会長辻本善治郎氏が発起され、鏡業界硝子メーカ等の協賛により氏子崇敬者の皆さんが一体となり、昭和44年に本殿修理、拝殿造営が叶ったそうです。拝殿前の空間は、有名硝子メーカなどの名の入った玉垣で囲われています。・入口鳥居ご祭神は、神社入口のご由緒掲示(名義は「田原本町」。「歴史街道」のラベル付)では、天照国照彦火明命、石凝姥命、天糠戸命となっていますが、谷川健一氏編「日本の神々大和」の大和岩雄氏の文章内では、天糠戸命が天児屋根命になっています。その論考の中ではさらに過去のご祭神が記さ...鏡作坐天照御魂神社(磯城郡田原本町八尾)~掲示のご祭神の不思議、そして天火明命の子孫アマ氏や尾張氏のこと~

  • 多坐弥志理都比古神社2(多神社:磯城郡田原本町)~多氏と伊勢神宮や鹿島神宮そして中臣・藤原氏との関係~

    前回、多神社1の記事からの続きです。伊勢神宮と多神社の関係の話の途中でした。今回の写真は、゛大社゛多神社の周囲に鎮座する御子神社を中心に載せます。いずれも堂々の式内社です。あと、周囲三方の見事な絶景も。敏達天皇が、他田宮に日祀部を設置し日神を祭るようになった時期に、多の地から伊勢へ人的な移動が有り、伊勢と多神社の関係が成立しただろうと思われますが、皇祖神天照(アマテラス神)大神はこの時期の日神(アマテル御魂神)と同一ではなく、後の天武・持統朝以降に成立したものだと考えるべきだといいます(大和岩雄氏、筑紫申真氏、今谷文雄氏)。その壬申の乱のとき、最初に挙兵した多臣品治や、神八井耳命を祖とする大分君惠尺、雅臣の活躍の記述を見ていると、天武・持統天皇の時期の伊勢神宮重視と、多氏・多神社との連携強化の関係は無視できない...多坐弥志理都比古神社2(多神社:磯城郡田原本町)~多氏と伊勢神宮や鹿島神宮そして中臣・藤原氏との関係~

  • 多坐弥志理都比古神社(多神社:磯城郡田原本町)~古典にのる四座のご祭神や、神八井耳と天若彦の戻り矢神話のこと

    「古事記」を編纂したことで有名な太安万侶などを輩出した有力豪族、多氏ゆかりの神社として有名な多神社です。実際に訪れてみて、大和盆地のど真ん中、その立地の素晴らしさにやはり強く感銘を受けてしまいました。笠縫駅から20分程歩きましたが、駐車場がちゃんと隣接してました。写真を一番下に付けておきます。・堂々たる社叢がまず見えてきます多氏の始祖、神八井耳命については、記紀両方に説明があります。この御方は神武天皇の長男。皇位を簒奪しようとした別腹の皇子、多岐志耳を襲撃しようとしましたが、寝ている多岐志耳を目の前にして手足がわななき殺す事が出来ませんでした。とっさに同行の弟、神沼河耳命が武器を取り多岐志耳を殺します。神八井耳命は弟に皇位を継がせ、一方自分は祭祀の人となり天皇を助ける忌人となった、という話です。神八井耳命の子孫...多坐弥志理都比古神社(多神社:磯城郡田原本町)~古典にのる四座のご祭神や、神八井耳と天若彦の戻り矢神話のこと

  • 阿為神社(茨木市安威)~大職冠神社など中臣鎌足ゆかりの史跡、そして出自の謎のこと~

    藤原鎌足にまつわる遺跡や伝承が多く存在するという茨木市の安威地域。さらに「日本書紀」の安閑紀に三島県主が朝廷に献じた良田である゛上桑原・下桑原゛とされる桑原も近い、安威の集落に鎮座する神社です。昭和29年に茨木市に吸収されるまで、三島郡安威村として独立していた集落です。せっかくいつも通る道近くにいらっしゃるのでお参りしないと、と参拝したら、小雨が降ってきてしまいました。今年は本当に梅雨が長いです。ご祭神は中臣氏の祖神天児屋根命。「延喜式」神名帳にも摂津国島下郡所属の小社として載ります。阿為や安威は藍に通じ、古代の中臣藍連一族の居住地とされています。この地が古代史で特にクローズアップされるのは、「日本書紀」皇極紀に、中臣鎌足が神祇伯を拝命されるもののそれを固辞し、疾と称して三島にはべるとあり、「藤氏家伝」では゛三...阿為神社(茨木市安威)~大職冠神社など中臣鎌足ゆかりの史跡、そして出自の謎のこと~

  • 石上神宮(天理市布留町)~古代大和政権の重要な節目を窺わせる、伝承や神剣を持つ古社

    古代ロマンに満ち、風光明媚な山の辺の道の中でも、大神神社と並ぶ中核神社で、創建の古さでも一二を争うと考えられている石上神宮です。”神宮”の社号からは、皇室との関りの深さを伺わせます。新型コロナと梅雨の酷な大雨で大変な時期となっていますが、つかの間の晴れ間の機会に、゛起死回生゛をお祈りしたいと参拝してきました。・大鳥居「延喜式」神名帳では”石上坐布都御魂神社”とあるなど、結構いろいろな呼び名があります。主祭神は人神でなく、まずは延喜式当時の社名である布都御魂神(韴霊)~国譲りの際に武甕槌命が帯び、神武東征では熊野で高倉下から天皇に奉られ功をたてた剣。「先代旧事本記」によると、天皇は即位後、物部氏の遠祖宇摩志麻治命にその神剣を授け宮中に奉祀させました。そして布留御魂神:宇摩志麻遅命が父饒速日命から受け継いだ”十種瑞...石上神宮(天理市布留町)~古代大和政権の重要な節目を窺わせる、伝承や神剣を持つ古社

  • 四天王寺(大阪市天王寺区)~聖徳太子のご慈悲と古代信仰からの過渡期を体現した伽藍~

    今回は珍しくお寺です。誰もが知る、聖徳太子が創建した、日本最古の官寺ですね。JR・地下鉄天王寺駅、近鉄あべの駅から徒歩で15分、地下鉄谷町線四天王寺前夕陽丘駅からは徒歩5分で着きます。創建の経緯は、「日本書紀」にある通り。仏教を排斥しようとする物部守屋を討伐する戦いで蘇我馬子率いる朝廷軍が苦戦した時、厩戸皇子(聖徳太子)が゛ぬりで(霊木)゛を切り取って四天王の像を作り、゛今、自分を敵に勝たせていただけるなら、きっと護世四王(四天王)のために寺塔を建立する゛と言われ、見事勝利された事から、593年に難波の荒陵に造り始められた、と書かれています。一方の馬子も祈願しており、飛鳥に法興寺(飛鳥寺)を建立します。・あべのハルカスも近いです聖徳太子の時代、四天王寺のある上町台地の西側は海、そして東側は河内湖や湿地でした。つ...四天王寺(大阪市天王寺区)~聖徳太子のご慈悲と古代信仰からの過渡期を体現した伽藍~

  • 美保神社(松江市美保関町)~青柴垣神事や諸田船神事の始まり~

    縄文期の頃まではまだ完全な島だったという島根半島の東端、美保湾の奥の方に鎮座する、現在では青柴垣神事や諸田船神事で有名な神社です。「出雲国風土記」には既にその地名は見えていて、”美保浜。広さ一百六十歩。西に神の社あり”と、当社と思しき記載があり、神社列記の条にも在神祀官社の一つとして、”美保社”と記されています。「延喜式」神名帳にも”美保神社と記されていますが、神階を与えられる事はなかったようで、大きな神社ではなかったと考えられています。・神社前の小さな漁港・一の鳥居中世になり、後醍醐天皇隠岐配流の経過を記す「太平記」に"見尾”や”三尾”の表記でこの地に留まった事が記載されるほど、停泊必須の地に発展しました。室町時代になると守護大名ないし戦国大名が勘過舟役料を徴収する関となり、美保関となっていきます。近世でもそ...美保神社(松江市美保関町)~青柴垣神事や諸田船神事の始まり~

  • 出雲大社2(出雲市大社町)~出雲御師、国造家分裂や身逃げの神事のこと~

    引き続き出雲大社について。前回は、ご祭神の大国主命と出雲国造の関係や、本殿の神坐西面についてふれましたが、今回は中世以降の運営や、主な祭祀の話題をまとめたいと思います。律令制が乱れて荘園が乱立する時代になってからは、出雲大社も墾田の開発に努めるようになり、おもに出雲郡の神戸を足掛かりに社領を増やしていきます。1256年の「社領注進書」によると計14郷にわたっており、”大社領十二郷”と呼ばれます。その他七つの浦も支配しました。ところが、天正年間1591年の朝鮮の役に備える軍役の為と称し、一挙に五郷二浦に削減されます。この対応策として打ち出されたのが、御師による布教活動です。御師の活動は、1558年の「尼子経久書状」などで窺えるので、遅くとも戦国末には始まっていたと考えられますが、活発になったのは上記の天正の社領削...出雲大社2(出雲市大社町)~出雲御師、国造家分裂や身逃げの神事のこと~

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  • 出雲大社1(出雲市大社町)~大国主命と出雲国造家の関係や本殿神座西面のこと~

    出雲といえば、とにかくこの神社。この大社を参拝する為に出雲に行くという、山陰を代表する観光地ですね。出雲に旅した時も一番にこの神社に参拝しました。今は大社は幾つも有りますが、明治から戦前にかけてはこの神社だけ。あえて説明するまでもない、誰もがよく知る神社ですが、やはりきっちり押さえたいです。・神門通りと大鳥居この神社の名称は、「出雲国風土記」や「延喜式」では杵築大社。その名については、「風土記」に”諸の皇神等、宮処に集り集いて杵築たまう。故、寸付(キツキ)という”と説明されています。歴史的には一貫してこの呼び名だとされていますが、古典や謡曲、狂言では”出雲の大社”という言い方もあるので、他国から呼ぶ際は出雲大社の場合もあったと、谷川健一氏編「日本の神々山陰」で、石塚尊俊氏は考えられています。出雲大社が正式名称に...出雲大社1(出雲市大社町)~大国主命と出雲国造家の関係や本殿神座西面のこと~

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  • 神原神社、神原神社古墳(島根県雲南市加茂町) ~因幡の武内宿祢 行方知れず伝承と出雲~

    斐伊川に合流する赤川の南岸に鎮座するこじんまりしたお社と、その隣に移築された山陰地方ではきわめてめずらしい竪穴式石積石室を持つ、4世紀中頃の古墳です。昭和47年からの赤川拡張工事で神社を旧鎮座地から少し移築する必要となり、その旧本殿の下の古墳を調査したところ、上記石室が発見されたのです。そして、全国で2番目となる、景初3年銘(卑弥呼が銅鏡100枚を下賜された年)の三角縁神獣鏡の発掘で、全国的にも貴重な遺跡となりました。・一の鳥居。赤川の反対側です「出雲国風土記」に既に”神原社”として存在し、「延喜式」神名帳にも載る式内社です。地名の由来について風土記には、”古老の伝えでは、所造天下大神(大国主命=大穴持命)が神宝を積んでおかれた所である。だから神財(かんだから)郷と言うべきを今の人は誤って神原郷と言うだけである...神原神社、神原神社古墳(島根県雲南市加茂町)~因幡の武内宿祢行方知れず伝承と出雲~

  • 宗形神社(鳥取県米子市宗像)~東出雲、幾多の古社のご祭神はこの地にいたか~

    秋には紅葉の穴場スポットともなるらしい、素晴らしい神社でした。エントランスの階段の横幅が堂々として、国道の大通り沿いにもかかわらず一歩境内に入ると本当に静かで重厚なたたずまいに癒されました。考古学上の発掘成果によると、伯耆・因幡には、古墳時代中期ごろまでは吉備勢力の影響が強く、その後は北九州勢力の進出がうかがわれます。現社地背後の丘陵には宗像古墳群(42基)、国道180号線をはさむ東側丘陵に東宗像古墳群(22基)、そして南100mの日原山の日原古墳群(8基)があるという古墳に囲まれた地に鎮座しています。その内の宗像一号墳では、円頭柄頭付直刀、耳飾り、帯金具など遺物が多数確認され、後円部に二基の横穴式石室を持つ、6世紀中頃の北九州系の古墳と考えられています。・石標と一の鳥居ご祭神は、田心姫、湍津姫、市杵島姫の宗形...宗形神社(鳥取県米子市宗像)~東出雲、幾多の古社のご祭神はこの地にいたか~

  • 玉作湯神社(島根県松江市玉湯町)~出雲 玉造温泉 ”願い石”の神様と記紀との関係~

    有名な玉造温泉街の中心部から少し南の、玉湯川の右岸に鎮座します。「出雲国風土記」の意宇郡の条に、”玉作山(花仙山)郡家の西南二十二里なり。社あり”と当社の記載があります。さらに同書では、この玉湯川の谷間と花仙山を隔てた忌部川の谷間の地域について、”忌部の神戸。郡家の正西二十一里二百六十歩なり。国造、神吉詞奏しに、朝廷に参向ふ時の御沐の忌玉作る。故忌部と云ふ。即ち、川の辺に湯を出す。(中略)故、俗人、神湯と曰ふなり”と、既に有名な温泉だった事が書かれています。また、社地や周辺には、玉作関係の遺跡が濃密に分布しています。主祭神は、櫛明玉命と大己貴命、少名彦命。「出雲国風土記」の仁多郡三沢郷の神社名列記の条に、”玉作社”と”湯野社”の記載が有る事などから、当社は玉作神と湯神の二元信仰にもとずく神社だろう、と、谷川健一...玉作湯神社(島根県松江市玉湯町)~出雲玉造温泉”願い石”の神様と記紀との関係~

  • 神魂神社(松江市大庭町)~古来、鑽火祭や火継式を斎行した古社が「延喜式」に載らない謎~

    熊野大社から車で松江の方向に向かって15分程、意宇平野に入ったあたりの谷間の斜面にこの神社は鎮座しています。境内までのアプローチは重厚な雰囲気が有りましたが、大ぶりな石段は正直歩きにくかったです。・駐車所から少し離れた一の鳥居。参道が長いですこの地域は、古代出雲の中枢部で、奈良時代より前は、出雲国造に率いられた集団が居を構え、熊野大神を祖神として崇めつつ、強力な意宇勢力を形成したと考えられています。付近には山代二子塚、山代方墳、大庭鶏塚、「風土記の丘」の岡田山古墳群らの大型古墳が並び、特に前方後方墳、方墳が密集している事が特徴となっています。奈良時代に入ると、平野部に出雲国庁が設けられ、中央政府から国司が赴任してきますが、出雲国造は(国造の名は意味をなさなくなったものの)郡司の役職を得てこれに謹仕しつつ、司祭権...神魂神社(松江市大庭町)~古来、鑽火祭や火継式を斎行した古社が「延喜式」に載らない謎~

  • 出雲国一之宮 熊野大社(松江市八雲町)~鑽火祭 亀太夫神事の背景~

    以前に、出雲地域を旅行した際の写真に、各歴史遺跡に関する少々の情報を添えて記事にした事がありますが、特に重要な神社についてはもう少し情報を追記してまとめた直したいと思っていました。この新型コロナ感染拡大でなかなか新しい所に行こうという気になれないので、これをきっかけに始めてみます。まずは、出雲国一之宮とされる、熊野大社です。・駐車場から望む「出雲国風土記」に、杵築大社(出雲大社)と共に大社の名で呼ばれ、その杵築、及び佐太、野城と併せて出雲四大伸の称号を与えられ、当時は常にそれらの筆頭に置かれていたのが、この熊野大社です。熊野のクマは、「和名抄」の”久万之禰”のクマ、即ち米の意味だという説があり、以前アップした記事でも食物の意味とご紹介しましたが、谷川健一氏編「日本の神々山陰」で石塚尊俊氏は、”隈々しい所”、つま...出雲国一之宮熊野大社(松江市八雲町)~鑽火祭亀太夫神事の背景~

  • 生国魂神社(大阪市天王寺区)~難波王朝の”母子”の鎮まる八十島のいくたまさん~

    近々に参拝して社殿の写真を撮り直したかったのですが、このコロナウィルス騒動で出かけにくくなってしまったので、昨年夏に少し立ち寄った時の写真でアップします。地元では「いくたまさん」の愛称で親しまれ、難波大社の堂々たる別称も持ち、大阪の総鎮守とも称される神社です。江戸時代には幕府の保護もあり、神社境内から数多くの上方文化芸能が花開き、近松門左衛門の「曾根崎心中」の舞台となったり、井原西鶴がここで矢数俳諧4000句の大イベントに成功したという歴史も残っています。そして現在も、御神前で能や狂言が催される8月の”大阪薪能”や、上方落語の祖・米澤彦八の遺徳をしのんで上方の落語家総出演で催される9月の”彦八まつり”などの芸能に関わるお祭りが毎年開催されているのです。・大阪薪能の直前の時期でした神社は、初代神武天皇が九州より東...生国魂神社(大阪市天王寺区)~難波王朝の”母子”の鎮まる八十島のいくたまさん~

    地域タグ:天王寺区

  • 太宰府天満宮(太宰府市宰府)~学問の神様になった出雲王家の子孫~

    「学問・至誠・厄除けの神様」として誰もが知っている、菅原道真公をお祀りする太宰府天満宮です。神社によると、全国に約12000社は有るとされる天満宮の、総本宮です。摂津三島では、上宮天満宮やサダ天満宮があります。参拝した日はあいにくの雨でしたが、さすが著名なパワースポットとあって、なかなかの賑わいでした。バスで少し行けば、大宰府跡や、あの坂本八幡宮もあり、”令和効果”も有るのかもしれません。・中世の大鳥居言うまでもなく、道真公はここの地の本殿の真下、長さ三間、横一間半、高さ四尺位の石畳に囲まれ、上を粘土と石灰で漆喰にかためた中に鎮まっているとされ、元々は墓所でした。中央の京都から左遷され、大宰府の南館でお亡くなりになったのが、903年。遺言に従い、大宰府に葬られることになりましたが、四堂のほとりに墓所を造ろうと、...太宰府天満宮(太宰府市宰府)~学問の神様になった出雲王家の子孫~

  • 大屋都姫神社(和歌山市宇田森)~紀伊の地にひっそり佇む、出雲王家の姫君~

    JR紀伊線の、和歌山駅から3駅大阪側にある紀伊駅より、徒歩で20分くらい歩いたところにある、「延喜式」神名帳にも”紀伊国名草郡大屋都比売命、名神大月次新嘗”とある式内社です。ご祭神は、中央の主祭神が大屋都姫命、向かって右の宮に五十猛命、そして向かって左の宮に都麻都姫命がお祀りされています。「三大実録」によれば、貞観元年(859年)に従四位の神階を授けられたようです。その後、従一位となった記事も有るようですが、正しいかどうかわからないようです。・社殿正面でなく、横から境内に入ります主祭神の大屋都姫を始めとするこられ三柱の神々は、日本書紀の神代上の八岐大蛇のところ、第5の一書に登場し、”この素戔嗚命の子を名付けて五十猛命という。妹の大屋津姫命。次に抓都姫命。この三柱がよく種子をまいた。紀伊国にお祀りしてある”と説明...大屋都姫神社(和歌山市宇田森)~紀伊の地にひっそり佇む、出雲王家の姫君~

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摂津三島からの古代史探訪
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