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摂津三島からの古代史探訪
ブログURL
https://blog.goo.ne.jp/akuto508
ブログ紹介文
邪馬台国の時代を含め、古代史の重要地である高槻市から、諸説と伝承を頼りに史跡を巡っています
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akuto508さんの新着記事

1件〜30件

  • 葛木坐火雷神社2(かつらぎにいますほのいかづちじんじゃ、笛吹神社:葛城市笛吹)~古墳の被葬者と尾張氏

    前篇からの続きです。前篇では、「火雷社」と「笛吹社」の呼称の歴史や、笛吹連の事などについて確認されている事をまとめました。社殿奥には、笛吹神社古墳があります。自然石を積んだ横穴式石室が開口していて、内部には長さ約2.5m、幅約1.5m、高さ約1.4mの凝灰岩によるくり抜き式家型石棺が置かれています。「日本の神々大和」で木村氏が引用した比嘉紀美枝氏の説明では、神社が古墳の前に祀られる例は少なく、古墳があるとは知らずに神社を祀ったとも考えられるが、ここに居住した笛吹連が祖先の墓の祖廟として神社が築かれたとも推定できる、と述べられています。当社では、これが笛吹連の始祖・櫂子に繋がる健多乎利命(たけたおり)の墓との伝承を紹介されていますが、やはり横穴式石室で6世紀前半の造営と見られるので、後述するようにあくまで信仰と捉...葛木坐火雷神社2(かつらぎにいますほのいかづちじんじゃ、笛吹神社:葛城市笛吹)~古墳の被葬者と尾張氏

  • 葛木坐火雷神社1(かつらぎにいますほのいかづちじんじゃ、笛吹神社:葛城市笛吹)~二つの神社名の経緯の不思議

    古代史に縁の深い葛城地域の有名な幾つかの神社の中で北寄りに位置し、鎮座地から奈良盆地方面を望むと、だいたい西側に畝傍山が、さらにその向こうに天香久山が並ぶ絶景が望めます。現在は笛吹神社名も併記されているようで、由緒ある古社として認識していましたが、最近ではあの大ヒットアニメ「鬼滅の刃」に登場するキャラクターが繰り出す大技「火雷神」と同じ社号だったことから、アニメファン、コスプレファンの訪問が多いそうです。宮司さんも、「更衣室は有りません」とうれしい(?)悲鳴を語られています。最新の公式ホームページでも関連するお願いをいくつかされてて、御配慮されるのが良いと思います。・神社入口。上の見出し写真は、少し下ったあたりより。真ん中が畝傍山。その右奥が天香久山。左が耳成山「三代実録」では859年に正三位勲二等から従二位に...葛木坐火雷神社1(かつらぎにいますほのいかづちじんじゃ、笛吹神社:葛城市笛吹)~二つの神社名の経緯の不思議

  • 美具久留御魂神社(みぐくるみたまじんじゃ:富田林市宮町)~二上山を仰ぐ大国主命の荒御魂と地元の出雲伝承

    美具久留御魂神という聴き慣れないお名前なのですが、この神様は大国主命の荒御魂の事です。「延喜式」神名帳に載る式内社で、貴志宮、和爾宮、下水分神社とも呼ばれました。ご祭神はその美具久留御魂神、天水分神、弥都波廼売(みずはのめ)神、国水分神、須勢理比売命の五柱。(個人的には実家の近い)この南河内地域に出雲の神が祀られる社が鎮座する事にとても興味を覚えました。しかも、だいたい東方向(真東ではない)に二上山が拝める地でもあります。つまり、その向こうには多神社、そして大神神社が鎮座する三輪山があるのです。・こちらが正面から見た入口の鳥居。見出し写真は神社側から二上山を望んだ絶景神社の語るご由緒は、以下の通りです。古代のこの一帯は「支子(きし)の茅原」と呼ばれ、崇神天皇10年、この地に大蛇が多く出没し、農民を悩ませていまし...美具久留御魂神社(みぐくるみたまじんじゃ:富田林市宮町)~二上山を仰ぐ大国主命の荒御魂と地元の出雲伝承

  • 神武天皇 畝傍山東北陵(橿原市大久保町)~橿原神宮も鎮座する記紀説話の聖地

    一般に日本の最も古い゛歴史書゛と言われる「古事記」「日本書紀」で、万世一系の系譜を持たれる皇統の始祖、初代天皇とされている神武天皇の陵墓(宮内庁が管理する皇室の先祖の墳墓)です。写真の通り、ものすごく高い杉の整然とした林に挟まれた、玉砂利が敷かれた長い参道のアプローチが神威に溢れ、とても広大な敷地(東西500m、南北400m)には圧倒されます。さらにこの陵墓の拝所にはご丁寧に手水舎もあり、特別な信仰の場である事が感じられますが、木々が繁っているのみで墳丘らしき築造物は見えません。・入口から威厳ある空間で立派ですこの墳墓の場所について、「古事記」は゛畝傍山の北側の白檮尾のほとりにある゛とし、「日本書紀」は゛畝傍山の東北゛、そして「延喜式」神名帳では゛大和国高市郡に在る。兆域東西一町。南北二町。守戸五烟(墓守が5軒...神武天皇畝傍山東北陵(橿原市大久保町)~橿原神宮も鎮座する記紀説話の聖地

  • 堤根神社(つつみねじんじゃ;門真市宮野町)~気になる゛武蔵の人゛強頸(こわくび)の受難

    いわゆる河内王朝の時代に、あの仁徳天皇が土地に田圃が少ないのを憂いて「堀江」を造らせた後、北の河(今の淀川)の塵芥を防ぐために築かせたという「茨田堤(まんだのつつみ)」。神社HPによると、淀川の流れの改修で役割を終えたのちも分断されて残っていたものの、戦後の開発ラッシュにより宅地化されていったことから、神社東方に残る遺跡を守ろうと「茨田堤を守る会」を結成。そのかいあって大阪府の史跡になっています。神社前はかつて大和と河内を繋いだ行基道です昭和55年に神社の西にある景雲寺の改修工事現場から、茨田堤の基礎工事に使われただろう丸太類や土器などが出土しており、奈良時代初期にはすでに堤があったことは確かだと考えられています。本殿がまさにその堤の上に鎮座することから、古い由緒があると考えられる門真市唯一の式内小社です。ただ...堤根神社(つつみねじんじゃ;門真市宮野町)~気になる゛武蔵の人゛強頸(こわくび)の受難

  • 河内国一之宮 枚岡神社(ひらおかじんじゃ:東大阪市出雲井町)~゛出雲゛の名の地に鎮座する中臣氏の神社

    だいたい大阪の淀川以北を除いた東半分にあたる河内国の一宮で、社伝による創建は紀元前とされる由緒正しい神社です(ちなみに、二宮が恩智神社)。社伝による創建は、神武天皇ご東征の3年前のBC663年。生駒山の戦いで無念の後退を御決意された際に、天児屋根命・比売御神の二柱の神を、現鎮座地後方の霊地神津嶽(かみつだけ)にお祀りされ熊野に向かわれました。神社後方の山は現在ハイキングコースになっていて、今回、大阪平野を一望できる枚岡山展望台を経由して、その本宮も参拝させていただきました。また、本殿が平成令和の大造営・第一期工事での修復を昨年10月に終えたばかりで、古来を復元した丹塗りの鮮やかさに神威を感じました。・参道。近鉄枚岡駅を出てすぐに、見出し写真の鳥居があります。768年にその二柱が奈良の春日大社に祀られ、その為、こ...河内国一之宮枚岡神社(ひらおかじんじゃ:東大阪市出雲井町)~゛出雲゛の名の地に鎮座する中臣氏の神社

  • 西宮神社(西宮市社家町)~海部や椎根津彦とえびす様の関り

    古くから金運上昇の御利益があるとされ、全国に約3500有るえびす社の総本社です。もともとは航海や漁業の神として信仰を集めましたが、室町時代以降のえびす信仰の隆盛で、商売繁盛に御利益がある神゛えべっさん゛として親しまれるようになっています。毎年お正月の「十日えびす」、そして1月10日の「開門神事福男選び」は必ずテレビのニュースで放映され、子供の頃から見続けてきましたね。現在のご祭神は、第一殿(東)西宮大神こと蛭子命(えびす大神)、第二殿(中)天照大神と大国主大神、第三殿(西)須佐之男大神です。さすがの有名神社で、神社会館や祈祷殿が近代的でした。・福男選びのスタートとなる表大門、通称赤門。左右に繋がるのが大練塀。共に重要文化財・大練塀。築土から宗銭、元銭が発見されたことから、室町時代に建造されたものと推定されます・...西宮神社(西宮市社家町)~海部や椎根津彦とえびす様の関り

  • 廣田神社(広田神社:西宮市大社町)~伊勢大神宮御同体で平安朝廷二十二社の御由緒と神功皇后の海部

    関西地域では勝利祈願の御利益がある神社の一つとして知られ、あの阪神タイガースが必勝祈願祭を行う事でも有名な、由緒ある神社です。境内には球団が祈願で訪れた模様の写真も有り、多くのトラファンもあやかろうと参拝をされるそうです。「延喜式」神名帳では武庫郡の名神大社とあり、旧官幣大社。神階は868年に従一位に昇り、朝廷の尊崇最も篤い二十二社の一つ(下八社)にも数えられました。神社から南に500mほどにある一の鳥居。見出し写真は二の鳥居です当社の御由緒は「日本書紀」の中で、神功皇后が創祇したと記載されています。つまり、新羅遠征を終え忍熊王との戦いに向けて船で難波に向かっている時、船が海中でグルグル回って進まなくなりました。それで、武庫の港に還って占われたところ、最初に天照大神が教えて言われました。゛わが荒魂を皇后の近くに...廣田神社(広田神社:西宮市大社町)~伊勢大神宮御同体で平安朝廷二十二社の御由緒と神功皇后の海部

  • 道明寺天満宮(藤井寺市道明寺)~出雲から来た野見宿禰の後裔、土師氏の歴史

    天満宮なので、現在は学問の神様として菅原道真公への信仰を集めている神社ですが、付近は世界遺産の古市古墳群でも最古とされる仲津山古墳や応神天皇陵とされる誉田山古墳が横たわる地域であり、そもそもはその築造にかかわったと考えられる土師氏に起源をもつ地だと捉えたいです。言うまでもなく、道真公の先祖が土師氏で、その始祖が野見宿禰だとされています。本殿背後にある梅園も有名で、「大阪みどりの百選」にも選ばれ毎年2月から3月には多くの参拝者が梅園お目当てに訪れるそうです。・神門。道明寺がこちらにあった名残を感じますご祭神は主人に菅原道真公、他に土師氏の遠祖天穂日命と、道真公の叔母覚寿尼。式外社です。「日本書紀」に、野見宿禰が古墳築造の際の殉死の悪習をやめる代わりに埴輪を新たに提案した話があり、社伝によれば、この功により野見宿禰...道明寺天満宮(藤井寺市道明寺)~出雲から来た野見宿禰の後裔、土師氏の歴史

  • 養蚕神社(木島坐天照御魂神社境内社「蚕の社」:京都市右京区太秦)~八百比丘尼の長寿伝説やハタ地名の伝承

    前回は木島神社の「三柱鳥居」とユダヤの関係や「元糺」の所以などに関して記載しましたが、今回は、「蚕の社」の俗称の由来となる境内社、養蚕神社をメインにします。社殿は本殿向かって右に鎮座しています。秦氏の祭祀する神社の境内に養蚕に関わる神社がある理由は、「日本書紀」の雄略紀の、180種の秦の民を率いる秦酒公が税として上質の゛絹゛をうず高く積んだので゛禹豆麻佐゛姓を賜ったという伝承によります。その他、「新撰姓氏録」や「古語拾遺」でも、多少の違いはあるものの、命名の由来を蚕と絹に関連づけていると谷川健一編「日本の神々山城」で大和岩雄氏が書かれています。さらに「三代実録」の887年に、元々秦忌寸だった時原宿禰春風が朝臣姓を賜った記事があり、その春風が語った言葉として、自分が゛始皇帝の十一世孫功満王の子孫゛で、この王の帰化...養蚕神社(木島坐天照御魂神社境内社「蚕の社」:京都市右京区太秦)~八百比丘尼の長寿伝説やハタ地名の伝承

  • 木島坐天照御魂神社(蚕の社:京都市右京区太秦)~ユダヤ景教との関係が囁かれる秦氏の太陽神と「雷神」のこと

    有名な広隆寺や、あの東映太秦映画村のそばに鎮座する、近畿地方に幾つかある「天照御魂神社」の一つです。略して「木島神社」(鎮座地の旧称による)とか、境内社の養蚕神社が有名なことから「蚕の社」などと呼ばれています。下鴨神社(賀茂御祖神社)の鎮座地「糺」の名の元祖だという「元糺の池」があったり、その池の中にある「三柱鳥居」(別名、「三つ鳥居」「三面鳥居」「三角鳥居」)が日本唯一の形態(ここに倣って建てられたものはある)だったりする事から、そのご由緒のミステリーが取り沙汰されます。元糺の池は今は枯れてしまっていますが、谷川健一編「日本の神々山城」では水を湛えた写真が掲載されており、また「都名所図会」では小川の中に立っています。・境内、元糺の森。京都府の史跡指定を受けています三柱鳥居について、明治41年に当時の東京高等師...木島坐天照御魂神社(蚕の社:京都市右京区太秦)~ユダヤ景教との関係が囁かれる秦氏の太陽神と「雷神」のこと

  • 兵主神社(ひょうすじんじゃ:岸和田市西之内町)~豊臣秀吉建造による重要文化財の本殿をもつ兵主神の祭祀氏族

    泉穴師神社から直線距離で4kmほどの近い位置にある、こちらも「延喜式」式内社です。二つの神社は名前は違いますが、「日本の神々和泉」で大和岩雄氏は、穴師の神は兵主神のことであり、当社は泉穴師神社や奈良・山辺の道の穴師坐兵主神社との関係を抜きにしては論じられない、と書かれています。・整備された参道。掲示の由緒によると、明治6年に兵主神社と改称したそうです当社のご祭神は、天照大神、八幡大神、菅原道真となっています。ただ、変遷があるらしく、明治12年の「大阪府神社明細帳」では主神が八千鋒大神、日本武尊で菅原道真、品陀別命が付記され、また、昭和27年の明細帳には、主神が八千鋒大神、相殿に大和武尊、天照大神、品陀別命、菅原道真とあるのです。現在のご祭神は、1413年の当社の由緒書や1743年の岡部長富の奉納文によるようです...兵主神社(ひょうすじんじゃ:岸和田市西之内町)~豊臣秀吉建造による重要文化財の本殿をもつ兵主神の祭祀氏族

  • 泉州二ノ宮 泉穴師神社(泉大津市豊中町)~神社名が物語る本来の由緒と゛アナシ゛の意味

    「延喜式」式内小社で、和泉国で大鳥大社に次ぐ社格の二之宮。神社は天武天皇白鳳年間の御鎮座と説明していますが、4キロほど離れたところに鎮座する、同じく式内社兵主神社と共に、奈良県の山の辺の道沿いに鎮座する名神大社の穴師坐兵主神社との関係をぬきには考えられない、と大和岩雄氏が書かれている(「日本の神々和泉」)神社です。・入口(二の鳥居)の向こうにある石畳太鼓橋。昔は神輿を担いで渡っていたそう現在のご祭神は、「延喜式」に二坐と書かれている事に寄り、天忍穂耳尊と栲幡千々姫命がお祀りされています。これは、1700年に書かれた「泉州志」が社家伝でこの二柱がご祭神になってる事を紹介しており、昭和27年の明細帳がこれにならったことによるようです。実は、明治12年の「大阪府神社明細帳」では、穴師神主の祖神である天富貴神と佐古麻槌...泉州二ノ宮泉穴師神社(泉大津市豊中町)~神社名が物語る本来の由緒と゛アナシ゛の意味

  • 月読神社(京都府京田辺市大住)~隼人の山幸彦・海幸彦伝承と海部の火明命の関係が語るもの

    伊邪那岐命が右目を洗った時に成り出でた神で、天照大神、素戔嗚命とあわせて三貴子の一柱ですが、記紀でもあまり出てこない謎の神様、月読命が祀られている、京田辺市の方のツクヨミ社です。当社は南九州(大隅など)より7世紀頃に移住した隼人の居住地゛大住郷゛に鎮座する事から、彼らにより祭祀されたとされる延喜式内社。この神社の南の甘奈備山に月読神がお祀りされていて(山頂に神奈備神社がある)、この辺りの神社はみなこの山の月読神を祀った社だったとも言われています(志賀剛氏)。・なかなか堂々たる入口オツッドン(御月殿)と呼ばれる月神信仰が薩摩半島西部にみられ、田の神と月の神が一緒に祀られるそうですが、田の神が合理的・近代的なのにに対し、オツッドンは混とんとして古層の文化を思わせる、と小野重朗氏が言われていたそうです。大住郷の阿多隼...月読神社(京都府京田辺市大住)~隼人の山幸彦・海幸彦伝承と海部の火明命の関係が語るもの

  • 岡田鴨神社(木津川市加茂町)~賀茂氏と同時に山城へ移ったらしい秦氏と「徐福さん」のこと

    大和の鴨(鴨都波神社、高鴨神社等)と京都の賀茂(通称上賀茂神社、下鴨神社)とのつながりを思う時、キーになるのがこの南山城に鎮座する、「延喜式」式内大社の岡田鴨神社とされます。ご祭神は加茂建角身命で、一般に山城賀茂氏、葛野鴨県主の始祖と言われる御方です。北側に流れる木津川はかつては鴨川と呼ばれていたらしく、「続日本紀」742年に゛鴨川の名を宮川に改める゛とあります。これは当時、ここに恭仁宮があったためです。・鳥居前にある「左いがいせ」の道しるべ「山城国風土記」逸文の賀茂社の条に、゛賀茂建角身命、神倭石余比古(神武天皇)の御前に立ちまして、大倭の葛木山の峯に宿りまし。彼より漸に遷りて、山代の国の岡田の賀茂に至りたまひ、(中略)彼の川より上りまして、久我の国の北の山基に定まりましき゛と書かれ、八咫烏の子孫であるとされ...岡田鴨神社(木津川市加茂町)~賀茂氏と同時に山城へ移ったらしい秦氏と「徐福さん」のこと

  • 高天彦神社(御所市大字北窪)~古代葛城の受難の歴史を根強く伝承する゛高天彦゛は誰なのか

    高鴨神社で御朱印をお願いすると、対応の神職の方に高天彦神社の御朱印も頂けると教えて頂き、お断りするのはあり得ないとお願いしました。また日を改めて参拝しようかと思いかけた処でしたが、その足で参拝させていただきました。・白雲峯。真ん中が参道を覆う老杉・参道の杉林高鴨神社も結構標高が高いですが、県道30号線から「高天ヶ原」の案内看板を見て金剛山方面の小道に入り、さらに急坂を上った所に鎮座しています。マップアプリの航空写真を見ると雰囲気がなんとなく分かりますが、坂を上がると広がるテラス状の台地にあり、老杉の生い茂る参道や神社の背後にそびえる白雲峯の円錐状の厳かなシルエットなど、ここが何かを秘めた特別な地である事がすぐに感じ取れます。それもそのはず、この地の昔の地名が゛高天村字高尾張゛でした。・参道「新抄格勅符抄」には7...高天彦神社(御所市大字北窪)~古代葛城の受難の歴史を根強く伝承する゛高天彦゛は誰なのか

  • 河内国二之宮 恩智神社2(八尾市恩智中町)~奥宮天川山から偲ばれる本来の祭祀者を思う

    1の記事からの続きです。前回は、弥生中期を中心とした重要な恩智遺跡「天王の森」や、中臣氏との関係の実際などについて触れました。今回は祭祀氏族について、゛伝承゛の語る氏族系譜からいろいろ連想してみたいと思います・・・なお、見出し写真は1の記事でも写真を載せた131段の石段を、境内から見下ろした絶景です。・拝殿。平成の時代に改築した新しいもの。前に神龍(しんりゅう:左)と神兎(なでうさぎ)が居ます二柱の本殿の間には、天川神社が祀られています。ご祭神は天照大神高座神社と同じ「春日辺(部)大明神」です。恩智神社の背後には天川山があり、頂上には神社の奥宮を証する石碑があるそうです。アマ川と読みます。天照大神高座神社と同じご祭神が祀られている事は、恩智神社の本来的性格と関わるだろうと、谷川健一編「日本の神々河内」で大和岩雄...河内国二之宮恩智神社2(八尾市恩智中町)~奥宮天川山から偲ばれる本来の祭祀者を思う

  • 河内國二之宮 恩智神社(八尾市恩智中町)~奈良春日大社信仰と大阪屈指の弥生遺跡の関係の謎

    天照大神高座神社の南、直線距離にして700m程しか離れていない位置で、こちらも山の中腹の絶景を望める地に鎮座する神社です。南北朝の初期に、楠木正成に従ったこの地の恩智左近が城を造ったとき、城から神社を見下ろしたのでは神のご加護が得られないとして、今のお旅所「天王の森」にあったのを、現在地に遷座しました。見事な長い石段も、元々はその時造られたよう。現在のものは新たに修築されたものですが、見上げても見下ろしても圧巻の光景で一見の価値ありです。・旧鎮座地の「天王の森」神社は、創建は雄略年間であり河内の国の御守護の為にお祀りされたと説明しますが、当社旧社地の「天王の森」を中心とした南北1.2km、東西1.0kmの範囲が、大阪府で最も早くから知られた、出土遺跡も多い弥生遺跡であるという発掘成果との関連性は留意すべきでしょ...河内國二之宮恩智神社(八尾市恩智中町)~奈良春日大社信仰と大阪屈指の弥生遺跡の関係の謎

  • 佐和良義神社(さわらぎじんじゃ:茨木市美沢町)~銅鐸製造の東奈良遺跡や佐奈部神社との関係も偲ばれる王族の神

    現在は茨木市で「桜通り」として有名な5kmにもおよぶ細長い緑地公園の一角に、寄り添うように鎮座する堂々「延喜式」式内社です。道路を伴うこの曲がりくねった公園は、元々茨木川下流だった地で、度重なる決壊を防ぐために田中町のあたりで安威川へ合流されたため廃川となりました。当社も近いところでは明治40年の洪水で社殿が流失しており、現在のものは大正6年に竣成したものです。古代には大阪湾の海がいりこみ淀川沿いの低湿地だったようです。なお、藤原鎌足が乙巳の変の前に一時隠居したという「三島別業」が、この沢良宜あたりだったとの説があります。・参道はかなり高い木々で覆われています・すぐ横は、公園の遊歩道が並行します「延喜式」神名帳の吉田家本は゛サワラキノ゛、金剛寺本では゛サワラミノ゛、さらに「特選神名牒」では゛サワラゲノ゛とよまれ...佐和良義神社(さわらぎじんじゃ:茨木市美沢町)~銅鐸製造の東奈良遺跡や佐奈部神社との関係も偲ばれる王族の神

  • 阿久刀神社2(あくとじんじゃ:高槻市清福寺町)~古代出雲から高槻に来たらしい神々の居場所や御祭神を思う

    阿久刀神社1の続きです。前回はあまり情報がないので「延喜式内社調査報告」など辞典的な資料を中心に、由緒等をまとめました。今回は、高槻市によるこの地域の弥生~古墳時代に渡る発掘成果より得られる時代変遷の話から始めたいと思います。弥生時代初期は、高槻市八町畷の安満遺跡と茨木市の東奈良遺跡の2トップの環濠集落が特筆します。東奈良遺跡は古式の銅鐸や銅鐸鋳型が出た事で有名な地ですが、弥生前期の後半には極端に巨大化します。これは、弥生時代前期の2つの移住の波の第二波(第一波は稲作技術の伝来の波)といえる、さらなる渡来人の集団移動による青銅器を始めとした技術・情報が伝来した波の中での動きでした。ここでは、様々な集団がさみだれ式に、地域の実情に合わせて受け入れられていき、東奈良ムラの場合は銅鐸作りを中心とする新来の青銅器技術者...阿久刀神社2(あくとじんじゃ:高槻市清福寺町)~古代出雲から高槻に来たらしい神々の居場所や御祭神を思う

  • 阿久刀神社(あくと神社:高槻市清福寺町)~延喜式内、嶋上郡筆頭社にまつわるご由緒の数々

    わが高槻市の「延喜式」式内社、摂津国部門で西成郡の坐摩神社に続き、嶋上郡の堂々筆頭(といっても、後は野見神社、神服神社の少数精鋭ですが)に登場する小社です。神社の背後すぐに東流する芥川の堤防があり、神社の南側一帯は弥生時代中期から古墳時代の遺物が発掘された郡家川西遺跡が検出されており、奈良時代の嶋上郡衙跡(郡役所跡)も近いです。古くから人々が集まる地だった事が想起されます。しかし、皇學館大学「式内社調査報告第五巻」で吉井良隆氏は゛由緒について伝える資料は何ら残存しないので明らかでない゛と述べておられます。・住宅密集地に鎮座します。右に見えるのが一の鳥居ただ、上記調査書で吉井氏も書かれてますが、三島県主の奉斎した社だったろうと考えられています。その後、氏族制度の崩壊と共に、この地方の農民の氏神となりました。度重な...阿久刀神社(あくと神社:高槻市清福寺町)~延喜式内、嶋上郡筆頭社にまつわるご由緒の数々

  • 和泉国一乃宮 大鳥大社(堺市西区)~日本武尊が最後に留まった「千種の森」と「根上りの大楠」

    JR阪和線で鳳駅あたりに差し掛かるたびに見える、鬱蒼とした社叢「千種の森」がとにかく印象的で、参拝してみたいと思っていた神社です。谷川健一編「日本の神々和泉」では゛大鳥神社゛の表記になってましたが、今は大社表記になってます。地名の鳳は、当社の神宮寺で聖武天皇の勅願で行基が開基した神鳳寺に由来すると思われる、と上記の本で林利喜雄氏が述べられています。・入口の一の鳥居と長い参道。神殿へは右に折れてコの字に行きます平成30年に大阪を襲った台風で社殿や境内に相当な被害があったそうで、神社は令和3年までの段階的な復興事業を増祀六十周年記念事業と併せて計画、進行中のようです。その甲斐あって、本殿と神門は昨年に完了、そして拝殿とその前の鳥居については今年10月に修復の奉告祭が執り行われました。元々、「大鳥造」と呼ばれる古式で...和泉国一乃宮大鳥大社(堺市西区)~日本武尊が最後に留まった「千種の森」と「根上りの大楠」

  • 高鴨神社(上鴨社:御所市大字鴨神)~ご祭神の不思議が葛城氏の受難を思わせる、全国賀茂社の総社

    鴨都波神社と共に、京都の上賀茂・下鴨をはじめとする全国の賀茂社の総社の一つとして著名な、古代豪族、鴨氏の氏神社です。鴨都波神社からは、結構南に位置しますが、こちらが昔の゛葛上郡゛の上鴨社です。社地は、かつての葛城山である金剛山(今の葛城山は鴨都波神社の東)の東麓の台地上に鎮座し、神社に通じる県道30号線(山麓線)からは畝傍山を始めとする奈良盆地の絶景が望めました。・神社前から西方向に金剛山を望む・入口の鳥居と梵鐘「延喜式」神名帳では、その葛上郡の、なぜか一番最後に記載されている゛高鴨阿治須岐託彦根命神社四座゛が当社で、社伝では、その四座を主祭神の味鉏高彦根神、下照姫、天稚彦命、田心姫としていますが、過去の調査で異説がないとされるのは味鉏高彦根神だけです。「古事記」に゛此の阿遅鉏高日子根神は、今、迦毛大御神と謂ふ...高鴨神社(上鴨社:御所市大字鴨神)~ご祭神の不思議が葛城氏の受難を思わせる、全国賀茂社の総社

  • 保久良神社(ほくら神社:神戸市東灘区)~神戸の地にさりげなくその名を残す古代海部の首長

    兵庫県の神社を初めて取り上げます。といっても、ここはまだ摂津国の範囲ですね。阪急岡本駅からも歩ける距離ですが、この日は閑静な住宅街本山北町のコインパーキングに車を停めて参拝しました。・登り坂の手前に掲示六甲山を背後に控える金鳥山の中腹、保久良山と呼ばれる平坦な地に鎮座します。金鳥山一帯がハイキングコースとして親しまれている地でその入口にあたるのですが、そこまでが断崖状で結構な勾配のつづら折りの道が続きます。張り切って登り始めたら、瞬く間に息が切れてしまいました。途上からなかなかの景色でしたが、神社前に辿り着いて南面に広がる神戸や大阪湾の絶景は感動ものです。・「灘の一つ火」の真ん前が一の鳥居その崖側に「灘の一つ火」と呼ばれる石灯篭があります。石碑によれば1825年のもの。往古はかがり火を燃やし、中世の昔より゛油゛...保久良神社(ほくら神社:神戸市東灘区)~神戸の地にさりげなくその名を残す古代海部の首長

  • 磐手杜神社(いわてもり神社:高槻市安満磐手町)~古代海士(アマ)氏の別れの地を偲ぶ、安満宮山の夜啼(ヨナキ)石

    高槻市の有名な遺跡、安満宮山古墳から見下ろした麓の位置に鎮座する、何とも気になる神社です。記録で見える限りでは南北朝から存在が確認される安満村の鎮守社でした。゛安満゛の由来については、北接する成合村にあった金龍寺の旧称安満寺にによる(大阪府全志)とか、古代淀川の海士(アマ)が居住したことによる(高槻市史)という説が言われています。゛磐手杜゛とは境内の社叢の事で、古来より歌枕(和歌の題材とされた日本の名所旧跡のこと)として有名だったらしく、確かに鬱蒼として威厳すら感じる空気感を感じさせてくれました。なお、入口向かって左に広い駐車場があります。・入口の石標ご祭神は、武甕槌命、斎主(イワイヌシ)命、天児屋根命、姫大神、そして安閑天皇です。中世には安満社と呼ばれ、近世は春日神社と呼ばれていました。社伝によれば、天智5(...磐手杜神社(いわてもり神社:高槻市安満磐手町)~古代海士(アマ)氏の別れの地を偲ぶ、安満宮山の夜啼(ヨナキ)石

  • 天照大神高座神社・岩戸神社2(八尾市大字教興寺)~太陽女神が伊勢神宮に至る途上の地

    1の記事では、神社のご由緒や伊勢神宮との関係、女陰岩窟信仰などについて触れました。引き続き、濃厚に関係するとされる比売許曾の神の話に続けたいと思います。新羅上古の王室系譜で、実在の王名とみられている十七代奈勿(nar)王は、太陽の意味だそうです。谷川健一編「日本の神々摂津」で、大和岩雄氏は、大阪の別称ナニハはnarから来た地名と推察されています。比売許曽神社の記事でも記載しましたが、「古事記」では、新羅の阿具沼のほとりで貧しい女性が昼寝をしていた時、太陽が輝いて虹となり女性の陰部を貫き、妊娠して赤玉を生む日光感情説話が有り、そこから生まれた阿加流比売を追って新羅王子天日矛が難波を目指す話に繋がります。「日本書紀」では、加羅の都怒我阿羅斯等が結婚しようとした童女は、難波と豊国国前郡でそれぞれ比売語曾社の神になった...天照大神高座神社・岩戸神社2(八尾市大字教興寺)~太陽女神が伊勢神宮に至る途上の地

  • 天照大神高座神社・岩戸神社(八尾市大字教興寺)~皇祖神と天皇玉座の名を冠する河内の天岩戸

    大阪の八尾市の東、高安山の中腹に鎮座する神社で゛天照大神゛という恐れ多いお名前に引かれて参拝しました。駐車場有りとの事なので車で訪れたのですが、大阪平野が一望できる道から入る、神社までの参道がとても狭く、恐る恐る進みました。普通のハッチバック車ですが、一カ所、切り返さないと曲がれない処もあります。一瞬、タイヤが空転しましたが、そこを過ぎれば、あとはゆっくり行けば大丈夫です。・駐車場から見える大阪平野の絶景二つの神社は、入口の鳥居はそれぞれ有りますが、岩場にへばりつく感じで、あたかも背中合わせのように鎮座していて、実質的には一つの境内と言って良いです。こじんまりした空間でしたが、厳かで神々しい濃密な空気に浸れました。神社のすぐ傍らで流れる白飯之滝の音が常に響いていて、涼やかな雰囲気も有るのが素晴らしかったです。・...天照大神高座神社・岩戸神社(八尾市大字教興寺)~皇祖神と天皇玉座の名を冠する河内の天岩戸

  • 葛城一言主神社(御所市森脇)~松尾芭蕉とも縁を持つ、混乱する記紀説話が生まれた地

    その親しみやすくインパクトの強い神社名からか、葛城地域でも最も参詣者の多い神社の一つと言われる葛城一言主神社。「古事記」に載る、゛吾は悪事も一言、善事も一言、言ひ離つ神、葛城の一言主大神ぞ゛というお言葉から、どの様な願い事でも一言の願いならばかなえてくれると信じられている事も人気の要因でしょう。地元でも「いちごんじんさん」と呼ばれ敬愛されているそうです。・鳥居のすぐ脇の蜘蛛塚。葛城の土蜘蛛を捕らえ、埋めた跡とされるもの。神社の背後が現在の葛城山です「延喜式」神名帳では゛葛城坐一言主神社゛と表記されます。ご祭神は、「大和志料」にも記載されるように、一言主神に雄略天皇を配祇するとされます。社名から見ても本来は一言主一座だったと考えられますが、「神社明細帳」には事代主命と幼武尊(雄略天皇)と書かれているようです。神階...葛城一言主神社(御所市森脇)~松尾芭蕉とも縁を持つ、混乱する記紀説話が生まれた地

  • 鴨都波神社(下鴨社;御所市宮前町)~八咫烏の氏族が祀った大和のクニの兆しの地

    葛城地域において、ここより南方に鎮座する高鴨神社と共に、京都の上賀茂・下鴨をはじめとする全国の賀茂社の源流の一つとして著名な、古代豪族、鴨氏の氏神社です。京都の加茂さんよりコチラが元祖ということです。高鴨社が上鴨社なのに対し、鴨都波社が下鴨社。そして、中鴨社が御歳神社になります。・国道側の鳥居。うっそうとした社叢が出迎えてくれます。反対側にも鳥居があり、本来の正門でしょう「延喜式」神名帳の葛上郡十七座の筆頭に゛鴨都波八重事代主神社二座゛とある他、同書でも゛葛城鴨社゛とか゛鴨神社゛などに略されています。地元では鴨の宮、葛城鴨社、鴨明神とも俗称されてるよう。読み方は、以前は゛かもつわ゛が正規だったようですが、奈良県の公式サイト「なら旅ネット」では゛かもつば゛となっています。・荘厳な雰囲気の漂う社叢ご祭神については社...鴨都波神社(下鴨社;御所市宮前町)~八咫烏の氏族が祀った大和のクニの兆しの地

  • 鏡作坐天照御魂神社2(磯城郡田原本町八尾 / 三宅町石見)~初期大和政権を思わせる唐古・鍵遺跡も近接する青銅鏡の聖地

    奈良県磯城郡の鏡作神社の続きです。前回はご祭神の経緯や二つの神社掲示の齟齬、天香語山の後の尾張氏との深い関り等を話題にしました。鏡作神社は尾張氏だけでなく、物部氏とも無関係ではない、と谷川健一氏編「日本の神々大和」で、大和岩雄氏は云います。田原本町の保津に鏡作伊多神社が2社ありますが、中世の「大和国十五郡衆徒郷土記」に”保津、保津志摩、物部姓”とあり、また、「大和志」、「万葉代匠記」は、「万葉集」巻一三の長歌"みてぐらを奈良より出でて水蓼穂積に至り鳥網貼る坂手を過ぎて・・・"の”穂積”を保津としており、この説を有力視します。・連棟式の五間社流造り。内陣のある柱間に千鳥破風を設けて明示したもの・組物の間の彫刻付蟇股。獅子?さらに”坂手”については、「日本書紀通証」に゛城下郡阿刀村、在坂手村東南今廃゛とあり、阿刀村...鏡作坐天照御魂神社2(磯城郡田原本町八尾/三宅町石見)~初期大和政権を思わせる唐古・鍵遺跡も近接する青銅鏡の聖地

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