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akuto508
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河内長野市
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2018/09/29

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  • 百済王神社(大阪府枚方市中宮) 東大寺大仏の鋳造に功のあった古代渡来氏族・百済王氏を偲ぶ社

    [ くだらおうじんじゃ/百濟王神社 ] 初めてその名を聞いた時は、「王」のついたすごい名前や、なぜ枚方にこのようなお名前の神社があるのか不思議でした。歴史を紐解くと、上代から平安時代につながる有名な話が絡んでいて、とても興味深い神社だと思いました。現地は駐車場もあり、綺麗に整備された百済寺公園が隣接します。 境内 【ご祭神・ご由緒】 ご本殿に、百済王神(くらだおおかみ)と進雄命(すさのおのみこと/牛頭天王)が祀られています。百済からの渡来氏族、百済王氏の祖霊を祀る神社です。 この中宮の西方寺所蔵の「百済王霊祀廟由来記」によると、天平9(737)年三月、王南典に従三位を叙しましたが、病にかかり亡…

  • 神須牟地神社/中臣須牟地神社(大阪市住吉区/東住吉区) 「呉坂」の沿道に祀られた八十島祭の二神

    [ かみすむちじんじゃ/なかとみすむちじんじゃ ] 大阪市内の須牟地(住道)の名を持つ二座です。直線距離にして3キロほど離れた両社ですが、今回は電車で訪れ、大阪メトロの今里ライナ―(BRT。バスです)を利用して適度な時間で両社をまわる事ができました。それぞれ今は地域の神様という感じの小規模な神社ですが、中臣須牟地神社の方は住宅街の中に鬱蒼とした社叢をを今も保っているのが印象的でした。 (神須牟地神社)参道。見出し写真は社殿正面の入口鳥居 【ご祭神・ご由緒】 神須牟地神社は自社のホームページで、主祭神として神産霊大神、手力雄命、天児屋根命を、相殿として天日鷲命、大己貴命、宇賀魂命を、そして追祀と…

  • 牟禮神社(茨木市中村町) 謎の大中津日子命と「別」性十氏族

    [ 牟礼神社/むれじんじゃ ] 茨木市にある三島・島下郡の式内社なのですが、御由緒や祭祀氏族に関する情報がほとんどなく、取り上げあぐねていた神社です。ですので、今回は関連しそうな説明を眺めてみたいと思いました。阪急茨木市駅から徒歩で10分程の、安威川堤防沿いに鎮座していて、堤防に上がると周囲が良く見渡せるなかなかの絶景を堪能できます。 拝殿 【ご祭神・ご由緒】 「式内社調査報告」で吉井義隆氏は、往古、この地を本貫とする(「古事記」に見える)牟禮別の祖である大中津日子命を祀ったものであるが、社伝によれば、織田信長が諸国の神社を焼いた時に、その災難を逃れようとして信長の信仰する牛頭天王、春日神を急…

  • 和爾坐赤阪比古神社(天理市和爾町) 「赤阪」を思わせる赤土山古墳とアタカタスの謎

    [ わににいますあかさかひこじんじゃ ] 前回の和爾下神社に引き続き、和珥氏との関りを偲ばせる神社です。和爾丘陵の集落内に鎮座しており、社地までは歩いていくほか有りませんが、幸い遺跡跡地である櫟本高塚公園の駐車場がありましたので、そこから歩いてすぐでした。神社の直ぐ隣に古刹善福寺もあり、とても良い雰囲気の集落だと思いました。 こじんまりした境内 【ご祭神・ご由緒】 現在のご祭神は、阿田賀田須命と市杵島比売命です。本殿の両脇に末社春日社と八幡社も鎮座していて、前者が天児屋根命、後者が品陀別命を祀っています。主祭神についてはこの二柱なので、一見、宗像神を祀っているように見えますが、「日本の神々 大…

  • 和爾下神社(天理市櫟本町) 和爾下神社古墳の墳丘上に鎮座する有力豪族・和珥氏の社

    [ わにしたじんじゃ ] 和邇下神社の名を持つ神社は、こちらの天理市櫟本と大和郡山市横田の二社あり、別称として前者が上治道天王、後者が下治道天王とよばれています。今回は、前方後円墳の後円部の上に鎮座するという上治道社の方を参拝させていただきました。「駐車場」と案内表示が整備された駐車場がありますが、神社の社叢の北側をまわって神社に向かう途中、゛車両の通行は禁止゛との旨の表示があり、不安になりましたが、問題なく停めれました。駐車場は区画表示の整備中で、念のため停めていいか尋ねましたが、お咎めはなかったです。 駐車場からすぐにこんもりした境内に入っていきます 【ご祭神・ご由緒】 上治道社、下治道社…

  • 粒坐天照神社(たつの市龍野町日山) 摂津三島との繋がりを偲ばせるイイボのアマテル神

    [ いいぼにますあまてらすじんじゃ/りゅうざじんじゃ ] 姫路市よりさらに西という、高槻市からは少々遠方になる地ですが、同じく三島の茨木市に鎮座する新屋坐天照御魂神社や、元々その摂社だったという疣水・磯良(いぼみず・いそら)神社と何らかのご縁がありそうと語られる神社である事から、是非とも参拝をしたいと思っていました。当社に近くには、「播磨国風土記」に見える野見宿禰の墓とされる野見宿禰神社もありますが、相当に山を登らなければたどり着けなさそうなので、今回は訪問しませんでした。 二の鳥居の後は階段上に随神門があります 【ご祭神・ご由緒】 主祭神は、天照国照彦火明命です。社伝による創建のご由緒は、推…

  • 丹比神社(堺市美原区多治井) 天火明命を信仰する、黒姫山古墳を築いた武勇の氏族

    [ たんぴじんじゃ ] 大阪の南河内地域の、黒姫山古墳に近接して鎮座している式内社です。当社に尾張氏系氏族が関わる説があり、それもいろいろと諸説が入り混じっているらしいと知り興味が湧いてきたタイミングで、ようやく参拝させていただくことにしました。黒姫山古墳にも行き、みはら歴史博物館では多数の鋲留短甲を拝見出来ました。 往年の馬場先である正面の参道 【ご祭神・ご由緒】 神社のホームページには、ご祭神として火明命、瑞歯別命とあります。さらに合祀により菅原道真公、大山祇命、伊邪那岐命、伊邪那美命、凡河内倭女姫命を祀るとされています。特に火明命を多治比氏の祖神と明記し、さらに火明命のお生まれになった時…

  • 茨木神社・天石門別神社(茨木市元町) 三島で茨木の里をつくった天岩屋戸の神

    [いばらきじんじゃ・あまのいわとわけじんじゃ ] 川端通に隣接して細長い敷地に鎮座する茨木市の氏神様茨木神社ですが、やはりここでは奥宮で式内社である天石門別神社を主体に取り上げさせて頂きます。当社によると、明治時代の社格制度では、元々政府から茨木神社として郷社に列せられたのに加え、地域の嘆願運動により天石門別神社も郷社に追加され、一境内に郷社二社があったという全国的にも珍しい神社であるとの事です。 細長い境内。東門から車で入ります 【ご祭神とその変遷】 茨木神社のご祭神は、建速素戔嗚尊、誉田別命、天児屋根命の三柱。そして、天石門別神社は天手力男命(配祀神に、天宇受売命、豊国神・東照神)です。こ…

  • 須久久神社(茨木市宿久庄) 有力神社の奉幣使を独占した大中臣氏の住んだ地

    [ すくくじんじゃ ] 茨木市ののどかな安威の山あいに鎮座する小さな神社で、こんもりと森におおわれた良い感じの境内でした。車で行くには梅花女子大学の門の前から左に曲がって行けば、細い道も短くストレスなくたどり着くことが出来ます。駐車スペースに関してはネットの情報を見ていると、「有」としているものもあるのですが、そうとも言えず要注意ですので、そのあたりについても下に記しました。 【ご祭神・ご由緒】 「式内社調査報告」で吉井義隆氏は、創建年代としては不明としつつ、鎌倉時代に上代からの伊勢神宮の由緒、経営、行事などについて、朝廷の記録文書にもとづいて編述したという「神宮雑例集」に記載があり、740年…

  • 開口神社(堺市堺区) ご祭神・塩土老翁神と住吉三神に関わる浦嶋子の話

    [ あぐちじんじゃ ] 古代竹内街道の大阪側の端の近くに鎮座する式内社です(一方、奈良側の端に鎮座するのが長尾神社)。昭和60年頃に社殿が塗り替えられたり境内が整備されたようで、南海本線の堺駅と同じく高野線の堺東駅のほぼ真ん中あたりという街中にありつつ、周囲を木々で囲われて開放感があり整えられた境内が爽やかな印象でした。参拝した日はちょうど七五三の日で着飾った家族ずれが入れ替わり立ち替わり参拝されていて賑わっていました。 東鳥居。見出し写真は堺山之口商店街側の西鳥居と金龍の井 【ご祭神・ご由緒】 ご祭神は、塩土老翁神、素戔嗚神、生國魂神の三柱です。創祇のご由緒は、神功皇后が三韓より帰還されたお…

  • 角刺神社(葛城市忍海) 古代葛城氏ゆかりの地で地域に信仰される飯豊女王の伝承地

    [ つのさしじんじゃ ] 葛城市歴史博物館のすぐ南隣りにある、小さな境内ではありますが、拝殿直ぐ横の折れ曲がったような大きな大木などが生い茂り、鏡池あるいは蓮池などと呼ばれる池もあり、独特な雰囲気を醸し出す境内でした。夕方ということもあり、博物館の駐車所が幸いすいていたので、そちらに停めて参拝させていただきました。 境内。右の建物の場所に神宮寺があったようです 【ご祭神・ご由緒】 ご祭神は、「日本書紀」の顕宗天皇紀に゛忍海の角刺の宮で仮に朝政をご覧になった゛と書かれた飯豊青皇女またの名、忍海部女王です。 当社がいつから祀られるようになったかは明らかでない、と「日本の神々 大和」に木村芳一氏が書…

  • 長尾神社(葛城市長尾) 「海部氏勘注系図」に載る倭宿祢命の妃神

    [ ながおじんじゃ ] 富田林市の美具久留御魂神社の前から東に走り、あまり勾配のない山道~かつての竹内街道~を通り、二上山の雌岳の南側の竹内峠を越えると間もなく到着しました。当社の鎮座する葛城地域と河内地域との近さを改めて実感しました。古代竹内街道に境内を接して東面する神社です。秋祭りの日で、丁度参拝している時にだんじり(地車)が前を通るという良いタイミングもありました。 線路近くの一の鳥居。「馬場先」と呼ばれる参道は流鏑馬がされてた名残だそう 【ご祭神・ご由緒】 「日本の神々 大和」では、現在のご祭神が、水光(イヒカ)姫、白雲別命という吉野連の祖神となる二柱となっていますが、現在はその前に天…

  • 池上曽根遺跡(和泉市池上町)~大阪府弥生文化博物館と池上曽根史跡公園

    [ いけがみそねいせき ] この度は、大阪湾よりの南方にある大阪府弥生文化博物館と、隣接する弥生時代遺跡の大型掘立柱建物を見学したいと思い訪れました。泉穴師神社に近く、その北東約1キロのところにあります。 【大阪府弥生文化博物館】 車で阪神高速湾岸線の助松出口から10分もかからないところにあります。訪れた日は特別・企画展のない日だったので、入館料は310円でしたが、特別展期間中は650円、企画展中なら430円になるようです。同じく大阪府の近つ飛鳥博物館や堺市博物館も入館料がありますので、同館も同様という事になります。そう考えると高槻市の今城塚古代歴史館が、あの常設展示で無料なのは恵まれていると…

  • 海神社 (神戸市垂水区)~五色塚古墳との繋がりが語られるワタツミの神

    [ わたつみじんじゃ/かいじんじゃ ] かつての摂津国と播磨国の境界だった地域の、少し播磨よりに鎮座する神社です。そして、この地のもう一つのスポットで、当社との繋がりも語られる五色塚古墳が歩いてすぐの所に有り、併せて訪問しました。古墳は50年ほど前の早い時期に築造当時の姿に復元したもので、その存在感ある風貌も感動ものですが、そこから望む明石海峡大橋や淡路島の絶景も見ごたえがありました。古代から畿内への入口として重要な地であったろうことを体感しました。 境内。敷地はわりとこじんまりしています 【ご祭神・ご由緒】 ご祭神は、底津綿津見神・中津綿津見神・上津綿津見神の綿津見三神で、相殿に大ヒルメ貴尊…

  • 櫻井神社(堺市南区片蔵)~須恵器の聖地・陶邑窯跡群に鎮座する国宝の拝殿

    [ さくらいじんじゃ ] 堺市の泉北ニュータウンから少し外れた、昔ながらの風景の残る地域に鎮座している桜井神社。実家から車で山中の道を行けば結構近くなのですが、そんな場所に国宝になっている拝殿を持つ神社があると知り、帰ったタイミングでさっそく参拝しました。駐車場は50台分あるとの事でしたが、大きな駐車場は通常時は入れないようになっているようで、鳥居背後にある数台程度停めれるスペースを使う事になります。 【ご祭神・ご由緒】 現在のご祭神は、仲哀天皇、応神天皇、神功皇后が祀られますた、これは推古天皇5年(597年)に八幡宮を合祀した為と思われ、創建時期としては不明ながら、この地域に居住していた桜井…

  • 備前一宮 吉備津彦神社(岡山市北区一宮)~吉備の中山の東に鎮座する、日本最大の燈籠を誇る一宮

    [ きびつひこじんじゃ ] 吉備津神社と共に吉備の中山を背後にしている神社で、こちらは東麓に鎮座しています。地域では吉備津神社と共に両参りする事が推奨されているようで、当社もしっかりと参拝させていただきました。吉備津神社が全国的に有名な社殿や境内、エピソードに溢れているので、こちらはどうなのかしらと思いましたが、相当に豪壮な社殿群や日本一大きいという燈籠などがゆとりある境内に広がり、多くの参拝者で賑わっていました。 向かって左の神池と亀島 【ご祭神・ご由緒】 ご祭神は大吉備津日子命で、基本は吉備津神社と同じです。ご由緒が同じ「吉備津彦命の鬼退治」で、その由緒地が吉備の中山であり、大吉備津彦命の…

  • 造山古墳(岡山市北区新庄下)~地域の人々が伝承を語り継ぐ、墳丘に登れる日本最大の大前方後円墳

    [ つくりやまこふん ] こちらの大古墳も岡山に来たら是非とも墳丘に登りたいと思っていた古墳でした。周囲は岡山平野の広々した田畑が広がっている地ですが、古墳そばに適度な広さの駐車場と造山古墳ビジターセンターが整備されています。2019年に完成した綺麗なセンターは博物館というほどの規模でないですが、岡山県が考える古代史変遷のパネル展示と、ビデオ鑑賞スペースが整えられています。出土資料の展示はありませんが、少々の書籍類の販売はされていて、「造山古墳群伝承物語」という図録のような体裁の出版物を、タイトルに惹かれて購入しました。 麓から後円部を望む。墳丘の断面を見せる部分があります 【造山古墳概要】 …

  • 楯築遺跡(倉敷市矢部)~古墳時代の幕開け前に造られた孤高の大双方中円墳

    [ たてつきいせき ] こちら吉備・岡山に訪れる大きな動機となった重要遺跡です。古墳時代の前方後円墳や埴輪のルーツを語る時、必ずここ楯築遺跡とこの地域の特殊器台が取り上げられるような著名な地なので、訪問した時も複数の方々が入れ代わり立ち代わりで訪れて来られてました。この一帯は他に、王墓山古墳の地区や日畑赤井廃寺のある日畑赤井堂地区を含めた王墓の丘史跡公園として整備されていて、数十基の古墳が残されています。墳頂から吉備の中山が望めるくらい眺望もよく、周囲から目立つ場所だったろうと思われます。 墳丘への入口門 【楯築神社とご神体の「旋帯文石」】 今は「楯築遺跡」が正式名で、遺構としては「楯築墳丘墓…

  • 三備一宮 吉備津神社(岡山市北区吉備津)~吉備津彦兄弟が対峙した「温羅」についての様々な説

    [ きびつじんじゃ ] 今回は畿内から出て、遠方の大神社です。古代にはヤマト王権と拮抗した勢力を持ったことを偲ばせる大前方後円墳も存在するかつての吉備国こと岡山県を訪れ、全国的にも有名な「吉備の中山」西の山裾にある当社に参拝しました。当社自身は「三備一宮」を称していますが、本来は備中一宮であり、東の裾にある備前一宮の吉備津彦神社と併せて二つの一宮があるということで、地域では大変重要な地です。「桃太郎」に通じるとされる地域の神話に関わる旧跡が周囲に散在していて、公の掲示物を拝見しても地域独自の古代史観が語られていて興味深かったです。 入口鳥居 【ご祭神・ご由緒】 大吉備津彦命が主神で、その異母弟…

  • 伊勢国一の宮 椿大神社(鈴鹿市山本町)~境内で出雲のセグロウミヘビ信仰を語る「土公神陵」の宮

    [ つばきおおかみやしろ/つばきおおじんじゃ ] 当社も大阪からは遠方の神社ですが、鈴鹿市は十分に日帰り圏内で鈴鹿ICからも近い事から長らく参拝したいと思っていました。さすが伊勢国一の宮とあって、土曜日で天候も良かったせいか大勢の参拝者で賑わっているという感じでした。参拝後は椿会館で、かつて先代宮司夫人がふるまって有名になったという「椿とりめし」をおいしくいただきました。 見出し写真の石標は現在の参道に向かっていますが、コチラが正面視 【ご祭神・ご由緒】 主祭神は猿田彦大神。そして、相殿神として瓊瓊杵尊、栲幡千々姫命を、配祇神として天之鈿女命と此花咲邪姫命がお祀りされています。そのほか、行満大…

  • 金山彦神社/金山媛神社(柏原市青谷/雁多尾畑)~日本最古の金属守護神を祀った人たちとは

    [ かなやまひこじんじゃ / かなやまひめじんじゃ ] この両社はかねてから参拝したかったのですが、二社が高低差を伴ってそこそこ離れているのと、金山彦神社は駐車場がないので、どう訪れようかと考え延ばし延ばしになっていました。今回、金山彦神社の方は、申し訳なかったのですが、堅上コミュニティ会館へ行く道路の入口に車を停めさせていただき参拝しました。府道183号線は、大和川から離れて神社方面の登りに入ると、金山彦神社の前までは車1台しか通れないほどの細道となります。今回はたまたま対向車がいませんでしたが、いたら難儀したと思います。両社共に社殿は近年に再建されて整えられ、境内もきれいで大切に信仰されて…

  • 多治速比売神社(荒山宮:堺市南区)~気になる転訛説もある謎のタジハヤヒメ

    [ たじはやひめじんじゃ/こうぜんのみや ] 泉北ニュータウンのある泉北丘陵の入口に位置するところの丘陵頂上に鎮座します。周囲は堺市の荒山公園として梅林などが整備されていますが、もともとは大部分が当社の社有地でした。俗に荒山(高山)の宮などと呼ばれていて、地元では「コウゼンさん」として親しまれているようで、参拝の時も、犬のペットの写真撮影をしているグループ等々常に参拝者が絶えないという感じでした。 境内 【ご祭神・ご由緒】 主祭神は、神社名の多治速比売命で厄除・安産・ 縁結びの神として崇敬されます。本殿には合わせて素盞嗚尊・ 菅原道真公が祀られていて、ご祭神としては以上の三柱とされます。「日本…

  • 奈具神社(京丹後市弥栄町船木)~丹後の奥地に静かに鎮まるトヨウカノメ命と大弥生遺跡群

    [ なぐじんじゃ ] この日、小雨のぱらつく天候の中、気を揉みながらなんとか籠神社から比沼麻奈為神社とめぐって来て、最後この奈具神社に着くころには天気も落ち着いてきました。こうして、私の心もこの地でようやくナグしくなりました。小さな神社ですが、木々に取り囲まれたこんもりした空間に、苔むした敷地が良い感じに馴染み、しばしその境内を堪能させていただきました。神社の前は田圃が左右に広がり、そのすぐ向こうには奈具・奈具岡遺跡群のある丘陵が続くという、舟木地区へはいる谷間の地に鎮座しています。 谷間の山麓に鎮座します 【ご祭神・ご由緒】 ご祭神は、豊宇賀能売命。ご祭神と当社の由緒に関わるとされる話が、「…

  • 比沼麻奈為神社(京丹後市峰山町久次)~天羽衣伝説の天女が舞い降りた「元伊勢」の論社

    [ ひぬまないじんじゃ ] 参拝した日は天候が不安定で、当社へ向かう道中でも一時土砂降りになったりしてどうなる事やらと案じていましたが、当社に着くころには幸い雨もあがり、しっとりした雰囲気の中で参拝する事が出来ました。集落の細い道を通ってたどり着くような、谷間の奥の小規模な神社ですが、割と最近のものと思われる社殿が異様に大きかったり、砂の小山をまっすぐに掃き集めて参道を整えていたり、社務所のトイレが凄く綺麗だったりで、現在も大事に管理・運営されている事を感じました。 参道では色づいている木々も見られました 【ご祭神・ご由緒】 ご祭神は、豊受大神を主祭神に、瓊瓊杵尊、天児屋根命、太玉命が祀られて…

  • 元伊勢 籠神社(宮津市大垣)~「海部氏勘注系図」が引用する「丹後国風土記残欠」への議論

    [ もといせ このじんじゃ ] 古代史ロマンにひたるうえで大変重要だと感じて来た当社へはさすがに遠いのでなかなか足が向かなかったのですが、良いタイミングを見つけて参拝に訪れました。通常の土曜日でしたが、そこは観光地、団体客ふくめ多くの参拝者がおられました。ただ、残念ながら籠神社と奥宮の真名井神社ともに、境内での撮影禁止である旨の掲示がされていたので、いつものように社殿・境内の様子をここに載せることはせず、周囲の写真を付けております。NHKの「ブラタモリ」や「新日本風土記」で当社が出てこないのは、このような神聖さを固く守るスタンスによるのかしら、と思いました。当日は天気が不安定で、丹後へ向かう途…

  • 方違神社(堺市堺区北三国ヶ丘町)~方災除けに御利益がある三国の「境」と田出井山古墳

    [ ほうちがいじんじゃ ] 訪れたのが日曜日という事もあったかもしれませんが、特に行事が有るわけでもないのに、30台収容できる当社境内の駐車場にすぐに入れず、15分くらいは並んで待つ事になりました。これまで参拝でそんなことは無かったので驚きました。方災除けの神様というなかなか他では見られない(ニッチな?)御利益をお持ちで、住まいの新築・増改築や引越し・旅行という、方角に関わる人の生活上のイベントに対する御祈祷をしていただけるという事で、その分かりやすさで多くの崇敬を集めているからかしら、と感じました。 境内 【ご祭神・ご由緒】 当社による創祇のご由緒は、崇神天皇5年に疫病が蔓延した時に、天皇は…

  • 伊賀一宮 敢國神社(伊賀市一之宮)~伊賀忍者服部氏も神事を務めていた、大彦命の信仰を伝える一宮

    [ あえくにじんじゃ ] 高槻市からは遠方の神社になりますが、どうも高槻市の「阿武山」と当社名が関係あるらしいという伝承もあることから、参拝したいと思っていました。車で新名神の甲賀IC経由で訪問しましたが、所要時間は1時半弱と思ったより早かった印象です。甲賀から伊賀へと入っていく中で周囲を山に囲まれた上野盆地の景色になんとなく隔絶感を持ちました。帰りは別のルートで伊賀から西に向かって、以前参拝した岡田鴨神社のある木津川市沿いを通る道を走り、古代加茂系氏族の移動ルートかしら・・・とロマンにひたりました。 【ご祭神の変遷】 ご祭神は、主祭神に大彦命、配神に少彦名命と金山比売命が祀られています。当社…

  • 近江国一之宮 建部大社(大津市神領)~ヒロインであるオトタチバナヒメを社殿前に祀らない不思議

    [ たけべたいしゃ ] 瀬田西インターチェンジがらすぐのところという便の良い地に鎮座する、名前の通り規模の大きい大神社です。秋の涼しくなった日曜日、丁度七五三の季節で多くの着飾った家族ずれで賑わっていました。境内、社叢は良い雰囲気に整えられていて、撮影スポットも整備され、多くの参拝者に楽しんでもらえるよう心遣いが行き届いた神社だと感じます。御朱印を頂く際に、源氏再興の前途を祈願されたという源頼朝公にちなむ「出世水」というご神水をすすめられ、有難く頂きました。 二の鳥居と続く松の参道 【ご祭神・ご由緒】 現在は、本殿に主神である日本武尊を、そして権殿に大己貴命をお祀りされています。「日本の神々 …

  • 高良神社(打上神社:寝屋川市打上元町)~ご祭神が武内宿禰になる理由と石宝殿古墳

    [ こうらじんじゃ / うちあげじんじゃ ] 打上団地のコインパーキングに車を停めて、団地の敷地の間の小路を上に上に昇っていくと、見晴らしの良い打上展望台と当社の鳥居前にたどり着きます。少し迷いましたが、途中にある高良神社の表示の方向に少し歩いてすぐの、上り階段を登って行けば良いです。明治時代の初めに正式名称が打上神社になっていますが、昭和15年の石標には高良神社の名が刻まれて、地元の方々の強い信仰を感じます。 建立年は、皇紀2600年だとされた昭和15年。 【ご祭神・ご由緒】 「日本の神々 河内」で河尻正氏は、ご祭神を武内宿禰と書かれていますが、そのご祭神にまつわる由緒などは書かれていません…

  • 大名持神社(吉野郡吉野町)~社前の吉野川から「海水」が湧き出す、極位を叙せられた出雲系神社

    [ おおなもちじんじゃ ] 当社の鎮座する吉野地域は葛城や明日香村からも更に奥まったところで遠いという事もありまして、ようやくの参拝となりましたが、車で行ってみると飛鳥あたりからは案外に近く感じました。当社といえば、とにかく写真で見ていたご神体山・妹山の威容が印象的で、直にその絶景(見出し写真)を堪能することが出来ました。神社の前を流れる吉野川の対岸にある背山と並び建つ様を見て、篤い自然信仰が継続して来た事に納得しました。 国道沿いの入口鳥居。天皇が妹山樹叢に行幸された記念碑などが脇に並びます 【ご祭神・ご由緒】 ご祭神は、大名持御魂命、須勢理比咩命、少彦名命の三座ですが、一説に少彦名命は「万…

  • 忍陵神社(津桙神社:四條畷市岡山)~鎮魂歌「阿知女作法」の豊ヒルメと天津瓊々杵神社の関係

    [ にんりょうじんじゃ / つほこじんじゃ ] 今の名称は忍陵神社。境内が前方後円墳・忍岡古墳の上に鎮座していて、竪穴式石室が見学できることで特筆する神社なのですが、奈良県の有名神社である多神社(多坐弥志理都比古神社)にまつわる平安時代の古文書に、当社の元である式内社・津鉾神社の事が書かれているとの話が気になっていた神社でした。 石標からの階段を登ったところに一の鳥居があります 【ご祭神・ご由緒】 「日本の神々 摂津」の田村利久氏や、同じく「大和」の大和岩雄氏の文章では、ご祭神が応神天皇であるとしていましたが、大阪府神社庁第三支部のホームぺージによると、津桙大神、熊野皇大神、藤原鎌足公、馬守大…

  • 天香山神社(橿原市南浦町)~畝尾坐健土安神社と共に霊力の山に鎮まる古社

    [ あまのかぐやまじんじゃ/うねおにますたけはにやすじんじゃ ] この二社は近接して鎮座していて、車での参拝であれば奈良文化財研究所藤原宮跡資料室の駐車場が便利です。往きは、香久山観光トイレ(ここにも駐車場があります)から香具山に向かうルートを取りましたが、少し登りが有り大和盆地の絶景も堪能できます。両社の参拝後は、資料室も見学し、飛鳥から藤原京時代の瓦や土器、木簡などの発掘遺物を拝見しました。 香具山。丘のようです 【ご祭神】 ご祭神は、櫛真命。この御名前については、一字を補って「櫛真知命」とするのが正しいと考えられています。730年の「大倭国正税帳」には、「久志麻知神」とあり、また「延喜式…

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