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欧州気まま旅 https://blog.goo.ne.jp/at9071

シロヤギが欧州を旅します。風の吹くまま期の向くままどこに流れていくのやら

欧州気まま旅
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2018/08/11

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  • 街の中心に聳える教会 フランス ストラスブール ノートルダム=ド=ストラスブール

    イル川が血管で、木組みの家が皮膚だとするとノートルダム=ド=ストラスブール大聖堂は文字通り心臓です。人々に時を継げ、キリスト教という宗教的中心となり、災害や戦争の時には避難所としても使われました。  高さ142メートルピンク色の砂岩で作られた躯体は堂々と街の中心に聳えます。20世紀になってからの発掘で、4世紀末から5世紀の遺構が発見されています。  この教会の建設のもとになる建物は、12世紀から始まって、数百年かけて作られました。このため、外観は典型的なゴシック様式で作られていますが、建物の一部はロマネスク様式で作られています。  教会の表面は一面彫刻で装飾されています。現在の彫刻はレプリカで、ルーブル美術館に収蔵されているものもあります。非常に荘厳であり、華麗な建物です。2024年3月取材i-phone...街の中心に聳える教会フランスストラスブールノートルダム=ド=ストラスブール

  • 街を彩る美しい家 フランス アルザス ストラスブール

    ストラスブールを流れるイル川が目地の血管だとすると、街に立ち並ぶ木組みの家は皮膚のような感じです。  立ち並ぶ建物には色が塗られて物があります、その隣に白壁で木組みの建物があります。その色彩の対比がとても綺麗です。  木組みの家の中には、画像のようないろいろな物をぶら下げている家があります。これは、その家がどのような商売を営んでいるかを分かりやすく示すためだとガイドが教えてくれました、たぶん中世には字が読めない人がたくさんいたので、商品を下げることでこのお店がどんな商売を営んでいるかわかるようにしたのでしょう。  ストラスブールも度重なる戦争によって町の多くが破壊されたに違いありません、しかしそのたびに市民たちが大変な思いをして再建してきたのでしょう。その結果街並みが今のように保存されたのだと思います。 ...街を彩る美しい家フランスアルザスストラスブール

  • 2024/03/19 魅力的な看板たち

    ストラスブールの街でたくさんの看板を見ました。おじさんがこちらを向いておいでおいでしてますね、思わず入りたくなります。かなり凝ったものもありますよ。いかがですか、上を向いて歩きすぎて首が痛くなりました。2024/03/19魅力的な看板たち

  • 美しいイル川 フランス ストラスブール

    ストラスブールを彩る大きな要素がイル川です。水源はライン川ということで、やはりドイツの血を引いているんですね。この河畔とても美しいでしょ。それともう一つは街並み、中世の建物があちらこちらに見受けられます。特に木組の家は、メルヘンチックでとてもキュートです。そして、こんな感じの出窓がついている家があり、一層メルヘンの世界に誘ってくれます。小さな街なので足の向くまま歩いていても、心配ないのであなたも、疲れるまで歩いてみてください。きっとあなたの好きな場所が見つかるはずです。美しいイル川フランスストラスブール

  • とても不思議なストラスブール駅 フランス

    今回は、ストラスブール中央駅について書きます。この駅は近代的なドーム型の駅です。と思いきや、中に入ると、なんと古い石造りの建物があるんですね。これには私もびっくりしました。夜になると中の灯りがつくので、建物が透けて見えるようになります。かなり、幻想的な雰囲気です。2024年3月iphone13proとても不思議なストラスブール駅フランス

  • ル テーグルLe Tiger でタルトフランベを食べる

    2日目の夜はどこにでも書いてあるルテーグルに行きました。このレストランはクローネンブルグのファミリーが始めたことでも知られています。レストランには巨大な窯が二つ置かれています。これは、タルトフランベを焼く窯です。こちらはバー、ビールだけでも楽しめます。こちらは早くから空いています。みんなでワイワイとお酒を飲んでいます。では、私もイッパイ飲みましょう。冷たくてとても美味しいです。タルトフランベやフリツッも出来上がりましたよ。フランベのカリカリ感がたまらなくおいしいです。ルテーグルLeTigerでタルトフランベを食べる

  • コルマールはモクレンが満開です

    私がステイしているホテルから少し歩いた川堤に咲いているモクレンが満開です。まだ、朝晩は寒いですが日中は10度を超えます。この皮の先には、屋内マルシェがあり新鮮な食材を買うことができます。中はこんな感じです。2024年3月取材iphone13コルマールはモクレンが満開です

  • ストラスブールのホテル ル グラン ホテル

    2024年3月5日21過ぎ、ホテルに到着しました。このホテルは駅から2分と時間の場所にあり、夜遅くの到着の我々にはとても便利な立地でした。部屋はシングルベッド2つの部屋を予約したした。ちょっと狭かったですね。浴室の様子です。バスタブは付いているのですが、狭くてお風呂として使うには、無理がありシャワーだけの利用でした。部屋はとても清潔に保たれ、ホテルのスタッフの対応はとても良く気持ちよく滞在できました。ありがとうございました♪ストラスブールのホテルルグランホテル

  • アルザス ストラスブール フランスとドイツの狭間で

    ストラスブールはフランスの北西部に位置し、ドイツと国境を接します。また、ストラスブールはアルザス地方に属しています。ドイツと接しているために、ことあるごとにドイツ領になったりフランス領になったりしました。最終的には、第2次世界大戦終了時にフランス領となりました。宗教的にも、神聖ローマ帝国でありながら、宗教改革の影響を早くから受けプロテスタントを容認しました。また、ストラスブールと言えばドイツ的な木組みの家が象徴的です。  また、出窓もとてもかわいく小さく区切られた枠に曲面を伴うガラスがはめ込まれていて、夜は家の中から漏れ出す光が乱反射してとても綺麗です。  この様に、中世時代の面影が残され、または再建されて今では貴重な世界遺産となっています。勿論慣行を目当てに毎年たくさんの観光客が訪れるので重要な財政基盤...アルザスストラスブールフランスとドイツの狭間で

  • 旅は始まった アルザス ストラスブール コルマール、パリ+

    また旅を始めます。今回の旅は、アルザス地方のストラスブールとコルマールの2都市とパリとその他の都市です。アルザスは、妻の希望で行くことになったものです。フライトは日本航空のJL0045便8時25分出発と、少し早いので、天空橋のホテルに前泊しました。2024年3月5日羽田空港第3ターミナルから旅立ちました。到着はシャルルドゴール空港でフランス時間13時33分でしたが、40分ほどの遅れとなりました。今回はプレミアムエコノミーなので、桜ラウンジが使えました。ここのカレーは美味しいですね。ストラスブールにはAEROPORTROISSYCDG2TGV駅からの出発です。シャルルドゴールの到着は2Eターミナルなので、第2ターミナルのTGVの駅までは歩いて行きました。この駅まではかなり複雑なので、聞きながら行きました。1...旅は始まったアルザスストラスブールコルマール、パリ+

  • 散策 モネの庭園

    クロード・モネ(ClaudeMonet,1840年ー1926年)それでは再び外に出てモネの庭園を歩きましょう。モネの家とっても綺麗です。  そして歩を進めていくうちに、うっそうとしたブッシュを思わせる小路があります。「このアーチにアレンジされている植物はいつどんな花を咲かせてくれるのだろうか」そんなことを考えながら歩くのも楽しみの一つです。 手前はナスタチゥムですね、この葉っぱはからしのような味がして美味しいですよ。 ここもうっそうとして一見無造作な感じがしますが、草花の高低差をよく考えて植物が配されているのが分かります。 その先に進むとつたの絡まる大きな建物があります、ここはモネが大きな作品を書くためのアトリエとして使われていたそうです。 今ではスーベニールショップとして使われていますが、壁には一連の大...散策モネの庭園

  • モネはどんな料理を食べていたんだろう

    前にも書いたようにモネは美食家で知られています。絵が売れなかった頃は家族ともども食うや食わずの生活をしていたのでその反動が出たのかもしれませんね。 モネの家の食堂です。壁面や家具は黄色の色調で統一されていますが、床面は紅白のチェックで、床にテーブルクロスが一面に敷かれているようです。  窓にはレースのカーテンが配されていて、窓からは外の光が入り込むようになっています。モネはこの家で、亡くなったカミーユとの間の子ども2人と、モネの家に押しかけて居座ってしまったアリス・オシュデの子ども6人を含めた11人家族で生活していました。  この食堂にはクレマンソーを含むたくさんの芸術家や有名人が訪れています、毎日がやがやとここで、ワインを飲みながら楽しい時間を過ごしていたのでしょう。モネはその頃には作品も高額で売れるよ...モネはどんな料理を食べていたんだろう

  • モネの家で見つけた 莫大なコレクション ジベルニー

    クロード・モネ(ClaudeMonet,1840年ー1926年)1883年から死ぬまでジベルニーに住みました。下の画像は、紅葉の衣装をまとったモネの家です。紅葉する葉っぱと、緑の葉っぱが見事に調和しています。 モネの家外観  モネの家の内部ソファーの上の壁面には日本の浮世絵が飾られています。 セザンヌの『赤いベストを着た少年』が掛けられています。モネはセザンヌをはじめ同時代の画家たちの絵をたくさん所有していました。この『赤いベストを着た少年』現在はビュールレ・コレクションに収蔵されているので、レプリカだと思われます。 この部屋はベッドルームとして使われていたのでしょう。中央にはカイユボットの『雨の日のパリ舗道』が掛けられています。この絵も現在はシカゴ美術館に収蔵されています。 モネの家から庭を望むモネは家...モネの家で見つけた莫大なコレクションジベルニー

  • 時の魔術 モネの庭園 睡蓮の池

    クロード・モネ(ClaudeMonet,1840年ー1926年)彼はジベルニーの地で、精力的に制作活動を行いました。それ以外の大半に時間を庭造りに注ぎ込んでいたといわれます。 睡蓮の花それが見事に実り、こうして今も『モネの庭園』として私たちの目を楽しませてくれています。 私が訪れた2022年10月はちょうど紅葉の時期でした、紅葉した木々と、まだ盛んに咲き誇っている様々な種類の花が、すばらしくきれいであり調和的であり私たちをやさしく包み込んでくれました。  池に映し出される周囲の植物はまさにモネが描こうとしていた作品そのものです。 オランジェリー美術館『水連』 この景色は、モネがカンバスの中に取り込もうとした時、そう、その時々に変わっていく様子に私たちも彼と一緒に引き込まれていきます。 至福の瞬間というのは...時の魔術モネの庭園睡蓮の池

  • 時を捉える 睡蓮の池

    それではジベルニーモネの庭に入っていきましょう。このシリーズはできるだけ画像をお届けしたいと思います。ジベルニーの10月、紅葉も、咲き誇る草花もとても綺麗ですよ。 モネの庭にはこうした小路がたくさんあります、かつてモネが歩いた小路をこうして私も踏みしめているんだな、そんな思いが胸を占めます。其の両サイドには時々の草花が咲き乱れています。そしてその草花たちを包み込むようにこんもりとした木々が優しい風景を作ります。  小路は小川とぶつかり、そのせせらぎが作り出す旋律とリズムが耳の中に入ってきます。目と、耳とそしてせせらぎが作り出す音が私の心に平安をもたらします。  そしてその小川は池に流れ込んでいきます。その池は、モネが何回も何回も描いたまさにその睡蓮の池なのです。周囲の背高の木達、そしてその下には様々な色を...時を捉える睡蓮の池

  • モネの家の周辺 ジベルニー フランス

    モネ(ClaudeMonet,1840年- 1926年)の作品にたびたび登場する「睡蓮」そして彼がこよなく愛する「庭」その「モネの庭」をご紹介しましょう。モネの家はジベルニーにあります。パリからジベルニーに行き方法はサン・ラザール駅からべルノン駅までは小一時間の列車の旅、べルノンでバスに乗ります。2022年10月取材当日は車で行ったので、駐車場からモネの家の入り口まで歩きます。 駐車場からは綺麗な植栽を見ながらチケット売り場まで歩きます。春から夏にかけては観光客が多くこの辺りもかなり混雑するようですよ。  者の家の周りにはこうしたおしゃれな店があります。散策に疲れたら、カフェに入ってカプチーノでも飲んで疲れを癒すことができます。私はフランスのカフェで飲むエスプレッソが大好きなんですね。  チケット売り場周...モネの家の周辺ジベルニーフランス

  • 藝術は踊る 野外彫刻美術館

    それでは公園の中に入ってみましょう。このセーヌ川沿いの細長い公園の一番シュリー橋に近い所にあるのはエスプラナードデュケサンベルナールの遊び場という公園の部分です。画像を見ていただけばお分かりのようにモニュメントの後ろの公園の児童遊具が見えますここは児童公園なんですね。バーナードペイジス「無題」(1988)この辺りから野外彫刻美術館に入っていきます。様々な彫刻類が目に入ってきます。ここはティノ・ロシ公園の一部になっています。 LIUBA⦅ブルガリア⦆「無題」セーヌ川を背景にすくっと立つ黒い物体、人が立っているようにも見えますが何をイメージしたものでしょう。この作品が何を訴えているのかは見る人によって違います、いろいろ考えながら眺めるのは楽しいものです。 公園の噴水広場この時は噴水が出ておらず、この空間を利用...藝術は踊る野外彫刻美術館

  • パリで四方を眺めてみる シュリー橋

    皆さんはパリの街角に立って四方を見まわしたことはありませんか?今回はセーヌ川に面するアラブ世界研究所の裏手に立ってあたりを見渡してみました。アラブ世界研究所裏側壁面フォセ・サン=ベルナー通りからシュリー橋に行く交差点にはアラブ世界研究所があります。この建物デザインがとても奇抜なんです。今回はパリ植物園側から建物の壁面デザインを撮ってみました。 シュリー橋パリ植物園側から撮影この橋は均整の取れた大変美しい橋だと私は思っています。設計はギュスターブ・ブロスランとポール・ヴォドレーとなっています。橋の名前はアンリ4世(在位1589~1610)の宰相のシュリーの名を取って命名されたものです。サンルイ島を通過させるためか、橋は川面から45度程度傾けてあります。  シュリー橋のアラブ世界研究所側のたもとにある道標 私...パリで四方を眺めてみるシュリー橋

  • パリの公園は面白い ティノ・ロシ公園

    今回は、リュテス円形劇場を後にしてティノ・ロシ(ロッシ)庭園に向かいます。その前にこのティノ・ロシ庭園のティノ・ロシ(1907-1983)についてです彼はコルシカ生まれの歌手、俳優です。彼の甘いマスクと、ヴェルベットのような歌声は、フランス人の魂を激しく揺さぶりました。ロシは2000曲余りを録音しなんと2億枚のレコードセールスを記録したといいます。私の父親が時々ティノ・ロシをレコードで聴いていたのを覚えています。今ではそのレコードは失われてしまいましたがのちに彼の歌声を聞いて思い出しました。TinoRossi-J'attendrai,1939(youtube.com)その中で、私の好きなJ'attendrai,1939をユーチューブで発見したので張っておきます。 さて、そのティノ・ロシ公園へ向かいましょう...パリの公園は面白いティノ・ロシ公園

  • はるばる遠くに来たもんだ。でも忘れなかったリュテス円形劇場

    フイリップ・オーギュストの城壁からカルディナル・ルモワーヌ通りを左折します、メトロカルディナル・ルモワーヌ駅まで行き、左折します。ここの角はかなり鋭角になっています。モンジュ通りを直進しますがこの辺りは下町的雰囲気で小さなお店やレストランが並んでいます。次回時間があれば取材してきます。しばらく歩いてモンジュホテルが切れたところでナヴァール通りに入ります、ちょっとわかりにくいかな。道なりに歩いて行くと横断歩道がありそこがリュテス円形劇場の入り口になってます。 ナヴァール通りからリュテス円形劇場に付帯されている公園に入ったところ。 リュテス円形劇場は古代ローマ時代、ガリア地方に進出していったローマ軍が作った円形の闘技場の遺跡です。この建築物が作られたのは、2世紀頃でローマ以外に建てられた闘技場としては大きなも...はるばる遠くに来たもんだ。でも忘れなかったリュテス円形劇場

  • 街は歴史に満ちている フイリップ・オーギュストの城壁

    サンチチエンヌ・デュ・モン教会の前に広場はサント・ジュヌビエーブの名を取ってジュヌビエーブ広場と名付けられています、その広場の前がクロヴィス通りです。日本ではクローヴィス1世と表記されることが多いメロヴィング朝フランク王国の初代の王の名を取った道です。この道を暫く行くとデカルト通りと交差します、そしてこの交差するところにあるのがサロン・ド・テカワカミです。デカルト通りが交差点で右に曲がっているのでお店の入り口は三角形をしています。とてもかわいいお店なんですよ。このデカルト通りを南に歩くとムフタール通りです、この通り沿いには手ごろな価格で楽しめるレストランやバーがたくさんあるんですね。ちょうど喉が渇いたのでこのお店に入ってみましょう。この時食べたのはリンゴのケーキそしてカフェカプチーノでした。店内にはたくさ...街は歴史に満ちているフイリップ・オーギュストの城壁

  • ステンドグラスは教育的装置だった サンテティエンヌ・デュ・モン教会

    サンテティエンヌ・デュ・モン教会この教会は、彫刻や、絵画など貴重な美術品がギュッと詰め込まれています。さらに素晴らしいのはステンドグラスです。ブリエッツの奇跡ステンドグラスは建築様式が、ゴシック様式になった時に現在のように大きくなりました。それは、ゴシック様式には飛梁が考案されたからです、飛梁によって建物の重量を壁で支えることは無くなりました。壁は重量から自由になったことにより、薄くなりさらには窓を広くとることができるようになったんですね。もしこの飛梁の発明はなかったら私たちはこの美しいステンドグラスを見ることができなかったのですね。ノアの箱舟 今ここに皆さんにお見せしているのはこの教会のステンドグラスで、題材は聖書から取られています。ステンドグラスの発展の大きなカギがここにあります。つまり、この時代は市...ステンドグラスは教育的装置だったサンテティエンヌ・デュ・モン教会

  • 教会で美術作品探しをしてみませんか?

    さて、それではサンテティエンヌ・デュ・モン教会の中に入ってみましょう。主祭壇に向かった瞬間に目に飛び込んできたのは黄金に輝くジュベでした。ジュベというのは主祭壇の上にかかっている橋のようなものです。この様式にパリで出会ったのは初めてでした。もちろんパリには大小たくさんの教会がありそのすべてを見ているわけではありません。後で調べてみると、やはりパリでジュベのある教会はここサンテティエンヌ・デュ・モン教会だけでした。それにしても燦然と輝く存在には目を奪われますよ。このジュベは中央に欄干の部分があり両脇はらせん状に支柱に巻くつくように階段が巡っています。これには一面様々なデザインの彫り物が施されています、丸くアーチ状になった部分の左右には天使の浮彫があり、これがまた美しいんです。よーく見てみてくださいね。202...教会で美術作品探しをしてみませんか?

  • 三層の異なったサーフィスが素晴らしい サンチチエンヌ教会 訂正

    パンテオンの正面から出て、右側がサント・ジュヌヴィエーヴ図書館です。この建物も、5世紀にパリを外敵から救ったとしてパリの守護聖人になっているジュヌビエーブからその名がとられました。日本ではあまり知られてはいませんが、フランス特にパリでの知名度は高いんですね。この図書館に沿って、パンテオン広場を右に歩いて行くとサンテティエンヌ・デュ・モン教会があります、画像で見るとこんな感じですね。 EgliseSant-Etienne-du-Mont前身はサント・ジュヌビエーヴ大修道院の付属教会で、彼女もここに埋葬されていたそうです。しかし、1739年にフランス革命のどさくさで、グレー部広場で彼女の亡骸は燃やされてしまったそうです。ところが、1802年サント・ジュヌビエーヴ大修道院の解体の時に石棺が発見されて、その聖遺物...三層の異なったサーフィスが素晴らしいサンチチエンヌ教会訂正

  • ジュヌヴィエーブの丘の神殿

    パリ散歩2022年10月―11月パンテオンのある地は少し小高い丘になっています。この丘の名前はサントジュヌヴィエーブの丘といいます。フランスを救った二人の女性といえば、5世紀に異民族の侵略に果敢に戦い勝利を導いたジュヌヴィエーブとジャンヌ・ダルクですね。この丘はそのジュヌヴィエーブの名が付けられた丘なんです。 パンテオンとても壮大な教会です。この教会の様式はギリシャ十字型の平面に大ドームとコリント式の円柱を持つ新古典主義の建物です。この建物を正面から見るととても印象的なのがペディメントです。ペディメントというのはこの画像で見ると、円柱の上に広がる三角形の部分です。拡大してみると、正面に女神が立ち彼女に群がりくる将校や、兵士、司祭に月桂樹の冠のようなものを授けているところです。 パンテオンのペディメントに施...ジュヌヴィエーブの丘の神殿

  • ホーエンザルツブルク城1 オーストリア3都市物語

    ホーエンザルツブルク城このお城の始まりは、12世紀に神聖ローマ帝国皇帝ハインリッヒ4世とローマ教皇グレゴリウス7世の間で叙任権闘争が起こるですね。これはヨーロッパじゅうを巻き込む広範囲な戦争だったわけです。この闘争のさなかに教皇派の大司教ゲプハルトが帝国軍と闘うためにこのお城を建設したんですね。この戦争は帝国側の敗北に終わりました。この闘争は歴史的には皆さんもよくご存じの「カノッサの屈辱」(1077年)として名をとどめているんです。 ザルツブルクの街から望むザルツブルク城 ゲプハルトが建設し始めたこの城の増改築はマイセン辺境伯コンラート1世(在1098-1157年頃)の時代にさらに発展したようですね。ザルツブルクは塩の砦という意味です、ザルツブルク周辺と塩の歴史は古く紀元前7000年にはハルシュタットで塩...ホーエンザルツブルク城1オーストリア3都市物語

  • ザルツブルクとは オーストリア3都市物語

    *オーストリア3都市物語シリーズ今まで「ザルツブルグ」と表記してきましたが、今後は「ザルツブルク」と表記いたします。 ザルツブルクはザルツブルク州の州都ですが小さな町です。面積は65.678平方キロ東京都の23区の中で一番大きな区大田区と同じくらいの大きさです。この中にギュットいろいろな物が詰め込まれている感じなんですね。人口はわずか15万人足らずです。 画像は大聖堂です。街の中心であり宗教的な象徴です。ザルツブルクは州都だといいましたが、いずれの郡にも属さない憲章都市となっています。昔から権力から一定の自治権を持った誇りある街なんですね。日本でいうと安土桃山時代の堺みたいな感じなんでしょうか? 中世を偲ばせる観光馬車です。これがまた街並みによく合うんです。街の中心にはザルツァハ川が流れています。地図を見...ザルツブルクとはオーストリア3都市物語

  • ウインドウの中には ザルツブルグ オーストリア3都市物語

    *お詫びと訂正:下記「ミュルナー・ハウプト通」と記してしまいましたが。グーグルマップの表記は「ゲトライデガッセ」とあります。訂正いたします。昨日は少し上向きで歩きましたが、視線を戻してウインドウを見ます。同じミュルナー・ハウプト通を歩いています。 どうですか、子ども服のお店です。可愛いですね、それととても見せ方がうまいと思いませんか?ちょっと民族衣装的なワンピースにピンクのリボンを結んでいます。結び方もとってもおしゃれですね。 こちら側の窓には、リトルレディーとジェントルマンのための民族衣装的正装ですね。右下に値段豹が置いてあります、2万円―3万円で揃うようです。 本当にこの窓を演出するディスプレーヤーの人はセンスがありますね。靴や、バックもコーデされてとっても素晴らしいですね。 お店の正面です、子どもと...ウインドウの中にはザルツブルグオーストリア3都市物語

  • 看板美術館 ザルツブルグ オーストリア3都市物語

    5月27日大学教会前のマークトで、ホットドックを食べた後お腹がいっぱいになったので、ぶらぶらと、ミュルナー・ハウプト通を散策しました。ここはザルツブルグ銀座ともいえるところで、たくさんのお店が並んでいます。 ここの通りの楽しみはお店を見て歩くのもさることながら、すこし上を見ると見えてくる、看板を見て歩くのも楽しみの一つ。様々なお店の看板がずらりと並んでいるんですね。 この看板見てください、何の看板に見えますか?そうですね、日本でも見慣れているあのお店ですよ。そうそう、マクドナルドなんですね。マクドナルドのロゴもザルツブルグの看板になるとどうです。ライオンにかしづかれて、華麗な装飾に身を纏い、立派な美術品です。 こんなに長くもう1回に届きそうなところまで伸びた看板もありますね。看板を見上げたところにあるのが...看板美術館ザルツブルグオーストリア3都市物語

  • ウイーン空港から オーストリア3都市物語

    5月27日ウイーン空港駅からザルツブルグ駅まで特急で向かいました。宿泊したNHhotelViennaAirportは朝早く、他都市に向かうにはとても便利な場所にあります。こんな風にホテルのエントランスの斜め前に空港駅があります。歩いて5分ホームに立つことができます。特急列車に乗り込みました、今回は娘がビジネスクラスを取ってくれました。 ゆったりした幅の広い座席で快適な列車の旅を楽しみました。ウイーン空港からザルツブルグ駅まで約3時間の旅です。ザルツブルグでのホテルです。ホテルウルフ(ザルツブルク)–2023年最新料金(booking.com)booking.comで予約しました。このホテルは旧市街の中心に近い所にありどこに行くのにも便利ですが、ジュニアスイートを取ったのですが少し狭い感じでした。スタッフの...ウイーン空港からオーストリア3都市物語

  • 始まりは山の中 インスブルック オーストリア3都市物語

    5月30日ザルツブルグから列車で、インスブルグ駅まで移動。そこから車で30分ほどの山間の村にあるNIDUMカジュアルラグジュアリーホテルに移動。このホテルのあるWiesenhangという村には280人ほどの住民が住んでいます。 ホテルはこんな感じでかなりデラックスです。 このホテルの良さは何といっても部屋からアルプスを望めるところです。 目の前には、遥かアルプスの山々が、パノラマのように広がっています。 アルプスの山々の雄大な姿のは、思わず息をのむ思いです。 眼下には村の小さな教会を望むことができます。そして、刻々と変わっていく山の光を感じます。始まりは山の中インスブルックオーストリア3都市物語

  • オーストリア3都市物語

    今回の旅行都市ウイーンザルツブルグインスブルック日程2023年5月26日から6月16日行程26日ウイーン空港着NHhotelViennaAirport泊27日ザルツブルグ列車で移動31日インスブルック6月9日ウイーン利用航空会社オーストリア空港直行便ANAと共同運航。26日ウイーン国際空港に着きました。オーストリア空港の当日のキャリアはかなり古いものでした。プレミアムエコノミー利用快適でした。機内食は問題ありませんでした。機内食以外のスナック類が1種類しかなかったのは不満でした。サービスは良好。ホテルNHhptelViennaAirportホテルの様子外観かなりがっしりとした作りですね。 このホテルは、次の日27日にザルツブルグに列車で移動するために逗留しました。駅から5分と大きな荷物を持った高齢者にはい...オーストリア3都市物語

  • 思いでボロボロ 公園はアミューズメントスポット

    私が子どもの頃には、東京ディズニーランドのようなアミューズメントスポットはありませんでした。遊園地はたくさんありましたが、現在のそれと比べると、とてもシンプルなものだったし、それでも、年に何回も行ける存在でもなかったですね。通常は、公園で友達数人とおにごっこ、かんけり、どろじゅんなんかをして、空が暗くなるまで遊び惚けていました。勿論、いろいろな露天が来る公園は、まさに私たちのアミューズメントスポットでした。思い出せる範囲でどんなものがあったか書いてみますね。夏の金魚屋さん、風鈴屋さん。春、夏、秋の紙しばい屋さん、かた屋さん、冬にはおでん屋さん、焼き芋屋さんが店を出していました。そうそう、忘れていけないのは不定期なのですが、子どもにとっては超ド級のお店は私たちは「ぱっかん」と言っていたお店です。何やらたいそ...思いでボロボロ公園はアミューズメントスポット

  • 思いでボロボロ 私たちのあこがれ 紙しばい屋さん

    前回私は子どもの頃の駄菓子屋さんについて書きました。昭和30年代の日本には児童館も学童クラブもありませんでした。小学生が塾に行くということもなかったので、大半の子どもは放課後ランドセルを玄関に投げ捨てて遊びに行ったものです。私が住んでいた、東京の大田区入新井には、入新井公園という大きな公園がありました。公園や空き地が子どもたちの遊び場だったのです。この公園には実にたくさんの子ども相手の物売り屋さんが来ました。季節的には、風鈴やさん、食べ物ではおでん屋さんその他いろいろ。この中で私が一番大好きだったのは紙しばい屋さんです。公園の中でカチカチと拍子木が鳴ると紙しばいの始まりです。題目は、『ゴールデンバット』や『まぼろし探偵』『怪盗二十面相』など、実にたくさんの演目が演じられました。紙しばい屋さんのおじちゃんの...思いでボロボロ私たちのあこがれ紙しばい屋さん

  • 思いでボロボロ

    少し昔のことを書いてみたくなりました。『駄菓子屋さん』私は小学校4年生まで、東京の大田区大森に住んでいました。大森は山の手の山王、そして0メートル地帯の下町がありました。山の手の方には『コージーコーナー』や『不二家』などの高級洋菓子店や『富士屋』などの洋食レストランがあり、お金持ちの人たちの住む洋館などもありました。一方下町には零細の町工場や、小さなしもた屋などが多くあり、私はその下町の入新井という所に住んでいました。前には大きな入新井公園があり、夏ともなれば週末にフォークダンス大会なども行われていました。この下町には駄菓子屋さんが何件かありました、私がよく行ったのは『ジジババの店』という高齢者のご夫婦が経営していたお店でした。時々親からもらった10円玉を手に握りしめてこのお店に通ったものです。「10円?...思いでボロボロ

  • 学芸がこんな素晴らしい女性であったなら

    レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1483)ミケランジェロ・ブオナローティ(1474-1564)ラファエロ・サンティ(1483-1520)三人がルネサンスを代表する芸術家と評価されています。ボッティチェリ(1455年-1510年)「学芸たちの集いに導かれる青年」(1483-1485頃)この三人にくらべると少し評価が低いボッティチェリですが、私はボッティチエリの描く女性がとても好きです。この作品の主題はある青年がヴィーナスから七つのリベラルアーツを送られるというものです。たぶんこの青年は、作品を注文した施主の一人か、教養を送られている対象者ですから、この作品を送られた人かもしれません。若い女性と手をつないでいるので、結婚祝いに描かれたのかもしれません。文法・弁証法・修辞学・算術・音楽・幾何学・天文学すべて...学芸がこんな素晴らしい女性であったなら

  • ボッティチェリの描く女性の優美さ ルーブル美術館 パリ

    2023年1月31日まで行われていた『丸紅ギャラリー開館記念展Ⅲ「ボッティチェリ特別展美しきシモネッタ」』たった1枚の作品だけの特別展。この作品に魅了された方はたくさんいることでしょう。この作品の作者はボッティチェリ(1455年-1510年)です、『美しきシモネッタ』は日本にただ1枚あるといわれているボッティチェリの作品です。ルーブル美術館にも3点の作品が所蔵されているようですが、そのうちの2点を撮影してきました。「三美神を伴うヴィーナスから贈り物を授かる若い婦人」と「学芸たちの集いに導かれる青年」です。「三美神を伴うヴィーナスから贈り物を授かる若い婦人」(1483-1485フレスコ)  フィレンツェの近くのヴィラレンミに1階に描かれていた作品と表示されています。私はボッティチェリの描く女性の姿が好きです...ボッティチェリの描く女性の優美さルーブル美術館パリ

  • サモトラケのニケのいる風景

    2022年10月取材 ルーブル美術館を紹介する解説書には、必ず『サモトラケのニケ』が取り上げられています。勝利の女神が、ドゥノン翼とシュリー翼の境、ダリュの階段の踊り場にすくっとその姿を見せるさまは本当に凛々しい、たくさんの人がこの場に集まり、写真を撮る理由がよくわかります。しかしちょっと持ってください、あなたが早足で歩いているコリドーはどんな感じでしたか? そうです、左右にはローマ時代の彫刻が並んでいます。(ニケに向かって左側の彫刻) そしてこれが左側。どれをとっても芸術的にも歴史的にも価値の高いものばかりです。 そして中央、この階段から踊り場に至るアプローチ、グランドからの階段とそれに合わせた円形の開口部分。それにこの開口部分をさらに広げていくかまぼこ型の飾り、中央には照明が施されていて、そこに吸い寄...サモトラケのニケのいる風景

  • マリアがなぜアンナの膝に座っているのだろうか

    「聖アンナと聖母子」はレオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1529)が1508年頃に描いた作品といわれています。レオナルドの絵画は、描き始めてから長い年月加筆を続けていくことが多いので、この作品もこの年に彼が書き始めたと考えたほうがいいでしょう。発注者はフィレンツェのサンティッシマ・アンヌツィアータ教会です、実はこの教会レオナルドの父親が公証人であったので、その関係で獲得した仕事であるともいわれています。しかしこの時期すでにレオナルドは、画家としての名声を確立し始めていた時期でもあるので、父親のコネクションだけではなく実力もあったものと思います。  作品を見てみましょう。この作品を見て不思議に思ったことは、なんとマリアが母親のアンナの膝にちょこんと座っているではありませんか?構図は、アンナの頭長を頂点にマ...マリアがなぜアンナの膝に座っているのだろうか

  • なんで二枚の絵があるのか 岩窟の聖母

    「岩窟の聖母」(1483-1486)はレオナルド・ダ・ヴィンチ((1452-1519)の作品ですが、この作品はほぼ同じ構図で描かれた作品が2点あります。1点目はルーブル美術館に収蔵されている作品で今回の主役です。もう一点はナショナルギャラリーに収蔵されている作品です。何故、同じような作品が2点あるのかということですが、その謎を解くカギはこの二つの作品が制作された時期にあります。この、どちらが先か問題にはいろいろな説があります、何冊かの本をあたりましたが、ウイキペディアも含めてルーブル美術館美術館に収蔵されている「岩窟の聖母」が先に描かれたという説が有力です。その理由はルーブルバージョンを先に描いていたのですが、「何らかの理由」により発注者(1483年4月25日にサン・フランチェスコ・グランデ教会司教バルト...なんで二枚の絵があるのか岩窟の聖母

  • 19世紀からやってます ポリドール

    2022年10月15日訪問「ポリドール」はリュクサンブール公園にほど近くにある有名なレストランです。『ミッドナイト・イン・パリ』の舞台にもなったので覚えている方も多いのではないかと思います。  リュクサンブール公園の『メデシスの泉』の近くの出口を出て、コンデ通りを歩き右折すると「オデオン座」があります。オデオン座広場をレシーヌ通りに入り、ムシユー・ル・プランス通りとの交差点を渡った角のレストランです。リュクサンブール公園をしっかり散策して、さて、何かがっつり食したいなと感じたいときにおすすめのレストランです。このレストランの創業は1845年、実に19世紀から続いているんですね。 店内です、開店すぐに入ったのでまだお客様はあまりいませんでしたが、たちまちのうちに満席となりました。予約は受けてくれないので、回...19世紀からやってますポリドール

  • 何故レオナルドの作品がルーブルにあるか

    2022年10月15日訪問 フィレンッエ生まれで、イタリア人のレオナルド・ダ・ヴィンチ(1451~1519)彼の絵画の作品はとても少なくウイキぺディアによれば15作程度であるとしています、その上に、この15作の中には下絵的なものも含まれています。しかし、フランスのルーブル美術館には『モナ・リザ』(1503~1519)を含めて5点の絵画が収蔵されています。イタリア人のレオナルドの絵がなぜフランスの美術館にたくさんあるの?  その秘密はミラノにありました。1515年フランス王フランソワ1世がミラノに進行して占領しました。10月に、フランソワ1世とローマ教皇レオ10世との間で平和会議が開催されますが、その席になぜかレオナルドが招かれています。1説によると、1499年以降レオナルドはフランスの要請で、軍事顧問のよ...何故レオナルドの作品がルーブルにあるか

  • 何故モナ・リザは人気があるのか

    2022年10月15日訪問この日訪問したのはルーブル美術館です。そのルーブル美術館には『レオナルド・ダ・ヴィンチ』(1452~1519)本人の絵画が「モナ・リザ」を含めて5枚展示されていました。この作品群は、美術館のドゥノン翼絵画/イタリア(1250~1800)の展示室にあります。ここにはイタリアの作家の素晴らしい作品がたくさんあります。今回私はこの部分だけを2時間半かけてみてきました。その中に『レオナルド・ダ・ヴィンチ』の絵画が5枚展示されていました。「モナ・リザ」(1503~1519)は展示室711室の一番奥に展示されています。 画像のようにいつもこのように混雑しています。それではその他の4枚はどの絵画なのでしょうか?「聖アンナと聖母子」(1508年頃)「洗礼者ヨハネ」(1513~1516)「岩窟の聖...何故モナ・リザは人気があるのか

  • 晴れの日のパリは気持ちがいい パリ

    2022年10月20日木曜日晴れ暑い シロヤギの立ち回り先1コインランドリー(初めての洗濯また改めて)2オテル・ド・ビルのカフェ3サン・ジェルヴェ・サン・プロテ教会4市庁舎5グランパレ(改修中は入れません)6プチパレ7アレクサンドル3世橋8パリ市立近代美術館9モンマルトル10モンマルトル博物館11サクレクール寺院からの眺め。 初めてお会いしましたが、とても素晴らしい彫刻です。特にドレナージュ着物のひだの様子が克明に刻まれています。 アレクサンドロ3世橋ここに来る時はいつも曇り、雨、雪なんですが、今回は抜けるように青い空をバックに撮ることができました。 サクレクール寺院の前の広場。ここからは市内が一望できます。かなり混雑をしており、観光客がだいぶ戻ってきています。 i-phne13pro  晴れの日のパリは気持ちがいいパリ

  • なんとなくモンパルナス パリ

    2022年10月19日水曜日晴れ暖かい シロヤギの立ち回り先1モンパルナス駅2モンパルナスタワー3Pullman(新しいホテルとその隣のカラフルビル)4モンパルナス墓地5BULLIER(お茶したギャルソンがフレンドリー)6リュクサンブール公園7サンジェルマン市場周辺8サマリテーヌ お馴染みのモンパルナス駅散歩はここから  今日はぽかぽか、散歩に最適モンパルナス墓地。ぼちぼち紅葉が始まっています。 通りすがりの花屋さん、フランス人は花が大好き、贈り物に。 I-phone13proなんとなくモンパルナスパリ

  • 圧巻のジベルニー ジベルニー

    2022年10月18日火曜日曇り霧瞬間的に日差し シロヤギの立ち回り先1ジベルニー2モネの庭3モネの家4モネの墓5セーヌ川が見える丘6エッフェル塔7エッフェル塔周辺8サンジャックの塔9市庁舎10jardandeRohan 18日は待望のジベルニーツアー、パリ在住の方と旅行者の混成部隊4人で出かけました。途中セーヌ川沿いに走ることが多く霧がかかり凄く幻想的な世界でした。 まずはモネの庭ですね、睡蓮の池です、モネはこの場で1日中時間の経過を追いながらその光景を頭に刻み込み、制作に励んだのでしょう。何か池の反対側をでっぷりした姿のモネが歩いているようです。  モネの家に入ります、モネは日本の浮家や絵画を愛していました。モネの家に入るとそこには沢山の浮世絵や日本絵画が飾られいます、モネのジャポニズムに対する限りな...圧巻のジベルニージベルニー

  • 両替レートがいい両替屋さん パリ

    2022年10月17日月曜日一日じゅう小雨が降り続く シロヤギの立ち回り先1コンコルド広場2オランジェリー美術館3チュールリー公園4メルソン5ドゥマゴ 日本円やすいですよね、本当に嫌になります。そんな時手元にドルの現金があればそれを持っていくのも手です。しかし、すりが多いパリのこと、現金やパスポートはしっかりと金庫にしまいましょうね。次に気になるのが「どこで両替しよ?」です。パリの市内には山ほど両替所があります。早速ウエブサイトを検索しました。五つの記事を読みましたが、どれもおすすめは「メルソン両替所」でした。 こんな感じの店構えです。昨日は100ドル替えて100ユーロでした。現在はキャッシュレス時代です、100ユーロ札は「おつりがありません」といわれます。20,10,5のお札でもらいましょう。街頭ではな...両替レートがいい両替屋さんパリ

  • 散歩の途中に パリ

    2022年10月16日日曜日晴れ時々曇り 昨日の立ち回り先1パンテオン2サン・テティエンヌ・デュ・モン教会3KAWAKAMI 4リュテス円形劇場5パリ第6大学(壁)6ティノ・ロッシュ公園7パリ植物園8サン・メダール教会9ムフタール通り天気のよさも手伝ってとても気持ちの良い散歩でした。パンテオンからクロヴィス通りを通りリュステル円形劇場に向かう途中でお店の前の黒板を見つけました。それにはKAWAKAMIと書いてありました、そういえば友達のKさんがよいお店があるというので、さっそく入りました。明るい店内で、お茶を飲んだり食事を食べたりできます。詳細はまた書きます。この時期、紅葉も少し始まっています。温暖化現象で、この時期としては気温が高く機能は19度ありました。  こんな感じで、色づいています。私が日本に帰る...散歩の途中にパリ

  • モナ・リザマジック 2022年10月15日

    2022年10月15日土曜日今日はパンテオン周辺を散歩しようと思っていたんですが、あいにくの雨。気温はそこそこ暖かい、セーターと薄手のコートでちょうどいい。こんな時には美術館に潜り込むのが一番。試しに予約せずにルーブル美術館へ向かう。たぶん延々たる列でとても中に入れないだろうと思いきや、チケットを持つていない列もそれほどではない。並んでみる。土曜日にもかかわらず、8時45分に並び始めて9時20分には入場。イタリアルネサンス時代の絵画が見たかったので、堪能。ここでいつもの現象に遭遇。やはりやはりの『モナリザ』さんの前は黒山の人だかり。前はこれに中国人が加わりすさまじい割込み合戦も繰り広げられていた。  一方ここには同じレオナルドダビンチの作品が5点展示されている。ところがひとはあまりりおらず、大半の人は素通...モナ・リザマジック2022年10月15日

  • 2022年10月14日パリ着

    2022年10月14日16時30分ほぼ定刻パリシャルルドゴール空港着予約時羽田発10時30分だったフライトがその後8時30分の変更となりました。2時間の大幅繰り上げ出発かなりびっくりしました、遅れることはあっても繰り上げとは。JL045便です。そのため、羽田近くのやはりJAL系のホテルに前泊しました。検疫関係は、羽田、シャルルドゴールともに何もありませんでした。入管審査で30分ほど待ちましたがその他は全く心配いりません。航路はロシアを避けて、シベリアの縁を回り北極上空からヨーロッパに入るため、2時間ほどいつもより多めのフライト。昔はアンカレッジ経由だったんですけどね。ちょう円安ということがあり手持ちのドルを持っていきました。パリ市内のホテルは前に1万円台で泊まれた所が軒並み2-3万円。今回はパリ中心部から...2022年10月14日パリ着

  • あれ何で風車が パリ モンマルトル ムーラン・ド・ラ・ギャレット

    さて、マルセル・エメ広場からジェラルドン通りに出ます、すぐ左に風車が見えてきますよ。一体何でこんなところに風車がと思いますが。パリの歴史を紐解くと14世紀頃から、現在のパリ市内にもたくさんの風車があったと記されています。それもモンマルトルは小高い丘だったので、たくさんの風車があったのです。小麦を粉にするためには欠かせない建物だったわけです。 現在はこのムーラン・ド・ラ・ギャレットと、モンマルトルの麓にあるムーラン・ルージュだけになってしまいました。とくにこの、ムーラン・ド・ラ・ギャレットはルノワール(1841-1919)が好んでよく描いています。まだまだ一般市民の娯楽が少なかった時期に、工場労働者でも行くことができた一大社交場だったらしーですよ。ルノアールはここに大きなキャンバスを持ち込んで、絵をかいてい...あれ何で風車がパリモンマルトルムーラン・ド・ラ・ギャレット

  • 胸が金色に輝いています パリ モンマルトル

    さて、ラパン・アジルを左に曲がるとどこに行くでしょう、行ってみましょうか。サン=ヴァンサン墓地の壁沿いに歩いて行くとぐるっと鋭角にほぼ360度回るように道はジラルドン通りに入ります、その先はまた坂なんです。この坂(ジェラルドン通り)をあがって行くとアブルボアール通りかなりきつい階段だったので、ちょっとした広場で一息ついていると、何やら観光客が銅像の胸をこすっています。 この銅像は有名な歌手のダリダ(1933-1987)日本では1970年代にアラン・ドロンと共にうたったあまい囁きがヒットしたので覚えている人もいるかと思います。本格的なシャンソン歌手ダリダ私は大好きですね。と言いながら胸をなぜたらそのままだらだら坂を下っていくと、マルセル・エメ広場があります。この広場に名前が付けられているマルセル・エメ(19...胸が金色に輝いていますパリモンマルトル

  • ばえる建物もあります パリ モンマルトル

     ソル通りのなだらかな坂を下りていくとコルト通にのぶつかった左側にピンクハウスがあります。ピンクハウスは、ユトリロが描いた絵に出てくるので、有名ですね。いつもこの家の周りには人がたくさんいて写真を撮ったりしていますよ。ピンクなんで「ばえる」んでしょうね。 そして右に目を転ずると何やら緑がこんもりした場所が見えます。そうです、ここがモンパルナスで唯一のブドウ畑なんですね、ちゃんと収穫してぶどう酒にするんですよ。そしてソル通りはサン=バンサン通りと交差してサン=バンサン墓地。 ソル通りとサン=バンサン通りの交差点の右側にはシャンソン酒場ラパン・アジルがありますここは昔からの酒場で、19世紀末には、画家や詩人たちのたまり場となり、皆さんわいわいと楽しい時間を過ごしていたようですよ。今ではすっかり観光名所となり、...ばえる建物もありますパリモンマルトル

  • サロンは印象派の敵 パリ モンマルトル

    この広場からノルバン通りに入るとスターバックがあります。アメリカシアトル発のスターバックスは、ヨーロッパの都市には必ずといってありますね。これほどたくさんのカフェがあるパリにもスターバックスはあり結構繁盛してるんですよ。わたしは、街角にあるカフェのエスプレッソが好きですけどね。そしてその先には有名なレストランル・コンシュラ(LeConsulat)があります。1階の部分が赤と緑でとてもかわいい作りになっていますね。このレストランとても古いレストランなんです、19世紀終盤から20世紀前半にかけて、印象派や後期印象派の画家たちがたむろしていたということですよ。そんな時代にここに居たかったですね、才能があっても、サロンに認められない貧乏な画家たちが、不安と自負心の間で引き裂かれ、癒しと同志を求めてここでたむろして...サロンは印象派の敵パリモンマルトル

  • 歩いて楽しいテルト広場 パリ モンマルトル

    サンピエール教会を出てモン=スニ通りに出ると、何か楽しげな光景が目に入ります。そこがテルト広場です。ほーら、見てください。画家たちが自分の作品をいっぱい並べて売っています。似顔絵を描いてくれる画家もいますよ。ですからいつも人がたくさんいて密密になっています。そしてこの広場の周りにはたくさんのレストランがあるんですよね。このレストランも広場沿いにあります。名前は、AuPetitComptporといいます。このあたりのレストランには入ったことがないので、味のほどは保証できませんが、天気のいい日には、テラスに出ている椅子に座ってモンマルトルを満喫してください。歩いて楽しいテルト広場パリモンマルトル

  • サンピエール教会の扉 パリ モンパルナス

    サンピエール教会のサーフィスには3枚の扉があります、この3枚の扉の浮彫はイタリアの芸術家TommasoGismondiによって1980年に作られました。 粗削りな感じですが、この教会の古さを考えて、素朴さが現れる作品に仕上げたのだと思います。それぞれ聖書からとられた物語ですが、とても生き生きとえがかれています。 (2021年10月撮影2枚とも) この浮彫は、ローマで最初にキリスト教徒になった百人隊長のキリスト教帰依の光景が描かれています。サンピエール教会の扉パリモンパルナス

  • とてもくつろぎのある教会です パリ モンマルトル サンピエール教会

    サンピエール教会いつもたくさんの信者や、観光客であふれているサクレクール寺院ですが、すぐ横にあるサンピエール教会なら落ち着いていてゆっくりできますよ。それにとてもいい教会なんです。サクレクール寺院が19世紀に作られた比較的新しい教会だとすると、サンピエール教会の歴史は古く、パリでは3番目に古い教会だそうです。この教会も古い教会によくあるように、何回も建て替えられています。最初の建物は古代ローマ時代で神殿風の物であったといわれています。現在の教会の中にも古代や、メロヴィング朝の頃の大理石の柱が何本か残っています。 しかし後陣の天井はゴシック様式の原初的なリブボールトが見られます。後陣の建設は12世紀後半といわれています。本格的にこの教会の建設が始まったのは、ルイ6世がこのあたりを取得した12世紀です。 11...とてもくつろぎのある教会ですパリモンマルトルサンピエール教会

  • 圧倒的な迫力で迫るモザイク画 パリ モンパルナス サクレクール寺院

    内部の構造は、大ドームを中心にして二廊式です。主祭壇部分、説教台は金色に輝いています。キリストを中心に4人の使徒が、浮彫で描かれています。そしてその背後にある石造りの立派な蝋燭台と一体となるような感じのロマネスク調のコラムとアーチ、とても重厚感がありますね。しかしなんといっても圧倒的な迫力をもって私たちに迫ってくるのはアプス(後陣)の半円形のスペース(エクセドラ)に描かれたキリスト像です。この作品はモザイクでつくられています、パリにあるどのモザイク作品より大きいそうですよ。中央に大きく両手を開いたキリストそして両脇には聖母マリアと、聖ミカエルが描かれています。ひざまずいているのは、教皇レオ13世(1810-1903)とジャンヌダルクです(1412?-1431)。そして、この教会のステンドグラスも見どころの...圧倒的な迫力で迫るモザイク画パリモンパルナスサクレクール寺院

  • 心臓という名前のバジリカ パリ モンマルトル

    さて、ケーブルカーの駅を降りるとすぐ側に見える大きな教会がサクレクール寺院でしたね。 この教会はノートルダム寺院の次に大きな教会です。高さ130メートル,幅が50メートル,奥行きが100メートルあります。ノートルダム寺院は11世紀から12世紀に立てられた教会ですが、サクレクール寺院は1877年にギベールパリ司教の発案で作り始められ、完成は1914年でした。こうみえて新しい教会なんです。建築様式はロマネスク様式とビザンチン様式の併用だそうです。設計はポール・アバディ(1812-1884)彼は中世の建築に精通していて、サクレクール寺院を設計する際に15人の応募者の中から選ばれました。サクレクール寺院はフランスとベルギーに複数同じ名前の教会があります、モンマルトルにある寺院はバジリック・デュ・サクレクール・ド・...心臓という名前のバジリカパリモンマルトル

  • モンマルトルは坂が魅力的

    この駅に降り立つと白亜の建物が見えてくるんですよ、これが有名なサクレクール寺院なんですね。サクレクール寺院に入る前に、モンマルトルの丘について少しご説明しておきましょう。モンマルトルの丘は標高130メートルです、東京23区で一番標高が高い所は愛宕山で標高26メートルぐらいですからかなりの高さだといえそうです。(画像はサクレクール寺院の階段下の広場からの眺めです2019年10月撮影)モンマルトルの丘の歴史は遥か古代ローマ帝国へと遡ります。3世紀の頃のパリです、その頃はまだこのあたりはガリアと呼ばれていました。そうです、ガイウス・ユリウス・カエサル(Bc100-Bc44)が書いた「ガリア戦記」で有名ですね。モンマルトルの丘の名前の始まりは3世紀のことです。古代ローマ時代なんですよ。ディオニュシオスという司教がおそら...モンマルトルは坂が魅力的

  • モンマルトルの散歩始めます。

    少しお休みをいただきましたが再開します。はじめの一歩は散歩から。今回はモンマルトルを散歩します、スタートは地下鉄アベス駅からです。アベス駅からYvonneleTac通りそしてTardieu通りと歩いて行くとケーブルカーの駅があります。フランスではケーブルカーはフニクラといいます、そういえば「フニクリフニクラ」という歌がありましたね、私の頃には(1960年代)音楽の教科書にも載っていましたからご存じのかたもおられると思います。それではその歌を歌いながら乗ってみましょう♪登山電車ができたから行こうよ行こうよ、しまった、これイタリアの歌でした。健脚の方はケーブルカーのわきに階段があるのでこの階段を登ってください。このケーブルカーはパリのRATPが運営しているので、ナヴィゴやモビリスで乗ることができますよ。ほんの数分で...モンマルトルの散歩始めます。

  • パリの息遣い 散歩の魅力

     チュイルリー公園とセーヌ川を挟んで反対側には、オルセー美術館があります、皆さんもよくご存じのこの美術館には、印象派の画家や彫刻家の作品が数多く収蔵されています。また、この美術館の建物は駅舎を改築して作られたもので、天井一面には鉄とガラスによるコラボが見られます。これがまたきれいなんですよ。 そして、キャルーゼル庭園に隣接してカルーゼル凱旋門があります。 (2021年12月撮影i-phone11pro)カルーゼル凱旋門はナポレオンが戦勝記念に1806年から1808年にかけて建てたものです。この凱旋門はエトワールの半分ぐらいの規模ですが、高さ19メートル幅23メートルに及ぶ実に堂々としたものです。中央に高いアーチとそのわきに低いアーチがあります。低いアーチの上には浮彫でナポレオンの戦果が描かれています。カルーゼル...パリの息遣い散歩の魅力

  • まさにここは庭園彫刻美術館 チュイルリー公園

    チュイルリー公園の散歩には楽しいことがたくさんありますが、リュクサンブール公園と同じようにここにもたくさんの彫刻が置いてあります。公園美術館なんですね。ここに置かれている作品を一つ一つ見て歩くのは大きな楽しみでもあり、鑑識眼を高める訓練にもなります。その中で何作かの作品をご紹介します。 フランソワ=レオン・シカール(1862-1934)SicardFrancois《善きサマリア人》(1896)  エドモン・レヴック(1814-1875)LevequeEdmond《デアナ狩りの女神》(1886) ギヨーム・クストー長者(1677-1746)《ダフネを追うアポロ》(1714)まだまだたくさんの彫刻やブロンズがあります、本気で見て回ろうとすると軽く1日ここで楽しめますよ。チュイルリー公園の一番ルーブル寄りにキャルーゼ...まさにここは庭園彫刻美術館チュイルリー公園

  • パリの中心 チュイルリー公園

    オランジェリー美術館とジュ・ド・ポーム美術館この二つの美術館があるチュイルリー公園はパリで一番古い公園です。この公園の歴史を紐解くと16世紀にカトリーヌ・ド・メディシス(1519-1589)が私邸を作るためにこの周辺の土地を買い取ったことから始まります、これ以降100年かかってチュイルリー宮殿が出来上がります。宮殿にはチュイルリー公園と比べれば小規模のイタリア式庭園がありましたが、1664年にルイ14世の命令で、造園師ル・ノートルにより、それまでの庭園が大幅に作り替えられ、現在のような左右対称のフランス式庭園になったんですね。 (2019年10月撮影CanonEOSM100)カトリーヌ・ド・メディシスまた出てきましたね、今回歩き始めたシヤイヨー宮のあたりから、ヌーベル・フランス庭園そしてシャンゼリゼ大通り、はた...パリの中心チュイルリー公園

  • モネの睡蓮 オランジェリー美術館

    地理的にもシャンゼリゼ大通りがこのコンコルド広場で、チュールリー公園につながります。それではチュールリー公園に移動しましょう。チュールリー公園に入ったらまずセーヌ川寄りに高くなったところがあるので、そこに行ってみてください、眺めがいい場所なんです。 (2022年11月撮影i-phone11pro)まず、正面にはコンコルド広場があります、その先には凱旋門が見えます、そして左側には先ほどのアレクサンドル3世橋そしてまたその先にはエッフェル塔が見えます。天気のいい日や夕暮れ時はシャッターチャンスです。 セーヌ川に平行に建てられている建物がありますが、これがオランジュリー美術館です。ちょっと変わった形をしていますよね、温室のような。それもそのはずこの建物元はチュールリー宮殿のオレンジの温室だったんですよ。だから名前はオ...モネの睡蓮オランジェリー美術館

  • ここでマリー・アントワネットが コンコルド広場

    アレクサンドル3世橋を見たらもうそこはコンコルド広場です。パリの街はどこをとっても古くからの歴史がある街なんです、しかしここコンコルド広場ほど、過酷な歴史を感じさせる場所も少ないでしょう。この広場は1757‐63年にルイ15世(在1715-74年)の命でガブリエル(1667-1742)により建設されました。1772年まではルイ15世広場と呼ばれていました、次のルイ16世(在1774-92)の時代にフランス革命がおこったんですね。1789年に始まったフランス革命でルイ16世と王妃のマリー・アントワネット(1755-1793)はこの広場で処刑されました、そして1772年からは革命広場と名前が変わりました。その後ナポレオンの時代にコンコルド広場とまたまた名前が変わり今に至っています。ここコンコルド広場には、ルイ16世...ここでマリー・アントワネットがコンコルド広場

  • 歴史的なアレクサンドル3世橋 パリ

    二つの建物があるウインストン・チャーチル通りを抜けるともうそこはシャンゼリゼ大通りですが今回はそちらにはいかずもう一度ラ・レーヌ広場に戻ってコンコルド広場を目指しましょう。その途中にとても美しい装飾に満ちた橋が見えてきます、それがアレクサンドル3世橋ですアレクサンドル3世橋はプチ・パレグラン・パレと同じく1900年のパリ万博に際してロシアのアレクサンドル3世からパリ市に送られたものです。 アレクサンドル3世橋を砂岩から見た光景です。非常に堅固ですが、たくさんの装飾が施されていてとても美しい橋です。橋自体のデザインも端正できれいです。  この橋は鋼鉄製で長さは107メートルもあるんですよ、アンバリッド広場からプチ・パレを結んでいます。 この画像も左岸から写したものです。両岸に4本の塔が立っていて、塔頂に立つ金色の...歴史的なアレクサンドル3世橋パリ

  • アールヌーボーに彩られた グラン・パレ プチ・パレ

     さて、ヌーベル・フランス庭園の散策が終わったら再びラレーヌ広場に出ます、そしてすぐ先のウインストン・チャーチル通りに左折しましょう、両側に建物が見えてきます、右側の建物がグラン・パレそして右側がプチパレです。 この二つの建物は、1900年のパリ万国博の時に作られましたそれ以降現在まで、両方の建物とも文化の発信地として重要な役割を担っています。 グラン・パレの方はファッションショーやさまざまな展示会などに多く使われています、中には美術館もあります。 プチパレは美術館が主要な役割で(パリ市立プチパレ美術館)、常設展と、特別絵画のスペースに分かれています。常設展は無料ですがこれがまた素晴らしい収蔵品をたくさん持っています。  さらに、この建物が作られた時期はアールヌーボーの最盛期にあたっているんですね、この建物を設...アールヌーボーに彩られたグラン・パレプチ・パレ

  • パリの街を散歩していると ヌーベル・フランス公園

    自由の火からセーヌ川を右に見ながらアベール1er広場を歩きましょう、またはそこから1段下がったセーヌ川に一番近い小路ポール・ドゥ・ラ・コンフェランスを歩くのもいいでしょう。この小路には、セーヌクルーズの「バトー・ムッシュ」の乗り場があります。アベール1er広場を進んでいくとフランクリン・D・ルーズベルト通りとラレーヌ広場の交差点に公園が見えてきます。もうそこはグラン・パレの背後の一角です。この公園の名前は、ヌーベル・フランス公園といいます、17世紀マリー・ド・メデシスによって作られました、(またマリーの名前が出てきましたね)、よっぽどお金持ちだったんですね。この公園に設置されている説明板によると、17世紀にはこの辺りは湿地帯だった様です、そこにマリーがプロムナードを作りました、19世紀の初めまでこの辺りには6件...パリの街を散歩しているとヌーベル・フランス公園

  • 自由の炎のしたで起こったことは アルマトンネル

    さて、美術館での美術鑑賞が終わったらパレ・ド・トーキョーを出てプレジタン・ウイルソン通りに出ましよう、そしてフレーベル通りを右折すると、セーヌ川沿いのニューヨーク通に出ます。そこからはアルマ橋を望むことができます。でもちょっと待ってください、その手前に何か金色に光るものがあるんですよね、行ってみましょう。 ここから撮影すると自由の女神とエッフェル塔が写ります。 これは自由の炎というモニュメントなんです。もともとはフランスがアメリカに寄付した巨大な自由の女神像を1989年に修復したお礼として今度はアメリカからフランスに送られて物です。このモニュメントはニューヨークの自由の女神の持つトーチと同じ大きさなんですよ、結構大きいですね。その炎の部分が金メッキされていてここから見るときらきら光る物体に見えた訳です。日本にも...自由の炎のしたで起こったことはアルマトンネル

  • パレ・ド・トーキョーの見どころ

    パレ・ド・トーキョーの魅力は建物にもたくさんあります。特に、東翼と西翼の間にはパレ・ド・トーキョーの泉があり、泉を中心にたくさんのモニュメントが配されています。その光景はニューヨーク通りの方から見てみてくださいね。 こんな感じなんですよね、直線的な建物に、様々な装飾や、彫刻が置かれています。 中央の泉の一段高い所にそびえる銅像はアントワーヌ・ブルーデル(1861-1929)の《自由フランスの彫像》という作品で第二次世界大戦で亡くなられた方に捧げられているものです。 そしてその建物の両翼からジョイント部分の壁には一面にレリーフが施されています。また、泉の両端にはレオン・ドリヴィエ(1878-1951)作の《二つの横たわるニンフ》がおかれています。とても見ごたえがある建築物なので見逃すことがないようにしてくださいね...パレ・ド・トーキョーの見どころ

  • 色彩のシヤワーを浴びたいときは 電気の妖精 デュフィ

    デュフィの《電気の妖精》(1937)という作品は、1937年のパリ万国博覧会の時に電力会社から依頼を受けてパビリオンに展示するために、描いたものです。この作品の前に立つと色がシヤワーのように降りかかり包まれるような感覚を覚えます。非常にデュフィらしい色彩感あふれ見ているだけで幸せになる作品です。 (2021年11月撮影i-phone11pro)色彩の海の中に、電気にまつわるたくさんの人々が書き込まれています。時代も様々なので、衣装もポーズも様々です。このためデュフィはコメディー・フランセーズ俳優たちを使いました。 この作品も大きいんですよ、縦10m横60mというとてつもない大きさの壁画です。作品を見るといろいろな人がいろいろな衣装で登場します、電気の歴史と電気にまつわる様々な分野の人たちがあたかも絵巻物のように...色彩のシヤワーを浴びたいときは電気の妖精デュフィ

  • 躍動する ダンス マチス パリ市立近代美術館

    2021年11月訪問パリ市立近代美術館にはマチス(1869-1954)とデュフィ(1877-1953)というフォービスム派(野獣派)を代表する画家の超大作が展示されています。マチスは《ダンス》(1931・1933)が展示されています。1909年にロシア人のコレクターの要望に応じてこのタイトルで最初の絵を描きます、その《ダンスⅡ》(1910)はエルミタージュ美術館に収納されています。そして1930年にバーンズ財団が美術館を作るのでそこに壁画を書かないかとの依頼が来ました。パリ市立近代美術館にある《ダンス1931》はバーンズ美術館に渡す作品の下書きとして書いたものです、8人の男女が踊っている姿を描いたものですが、この作品を書くにあたって、車庫を改造したアトリエでの壁に長い棒の先にペンを取り付けて書いている画像が残っ...躍動するダンスマチスパリ市立近代美術館

  • パレ・ド・トーキョーはなんでトーキョー

    これからあなたと美術館を巡りながら散歩をします。まずシャイヨー宮からプレジダン・ウイルソン通りを歩きます、しばらく行くとイエナの地下鉄の駅が見えてきます、その先を少し行くとサークルになっています、中心にはジョージ・ワシントンの像が立っています。ガンダーラ時代や、中国などの仏教美術品を多く収蔵しているギメ東洋美術館はこのサークルに面しています。 (2021年11月撮影i-phone11pro)手前の銅像はジョージワシントンです。そしてその後ろに映っているのがギメ東洋美術館です。その先を進むと半円形のTokyo広場が見えてきます。この手前にある建物がパレ・ド・トーキヨーです、あれ何でここにトーキョー「東京都が寄付したの」と思いますが違います、実はプレジダン・ウイルソン通りの1本セーヌ川沿いにニュー・ヨーク通がありま...パレ・ド・トーキョーはなんでトーキョー

  • イタリアメディチ家がフランスに与えた影響

    エッフェル塔からスタートする美術館巡り散歩今回(コース2)はエッフェル塔がよく見えるシャイヨー宮から歩き始めます、このシャイヨー宮はその昔、カトリーヌ・ド・メデシス(1519-1589)(そう、リュクサンブール宮殿と、庭園を造ったマリーと同じメデシス家の出身です)がこの辺りを買い取り、カトリーヌの山という名前をつけお城を作りました。そんなお話のあるこの場所に、1811年今度はナポレオンが息子のためにローマ王宮殿を建設し始めました。最終的には1937年のパリ万国博覧会の時に今の建物になったそうです。 (2021年11月撮影i-phone11pro)シャイヨー宮のファサードここはシャイヨー国立劇場になっています。 シャイヨー宮の下は現在トロカデロ庭園になっていますが、もとはといえばここもマリーがテラスを作った所なん...イタリアメディチ家がフランスに与えた影響

  • コンスタンツァの棺 サンタ・コンスタンツァ廟堂

    2021年12月訪問 コンスタンツァの棺サンタ・コンスタンツァ廟堂 サンタ・コンスタンツァ廟堂には、コンスタンチヌス1世の娘コンスタンツァが眠っていると言います。  素晴らしい明るいワインレッド色をした大理石の棺です。棺全体に浮彫が施されています。もう少し近づいてみます。  天使たちが、ブドウの収穫をしています、豊穣を表しているのでしょうか?とても技巧性が高い浮彫と言いたいところですが、残念ながらここに置かれているのは模作です。本物はどこに置かれているのでしょう。コンスタンツァの棺サンタ・コンスタンツァ廟堂

  • コンスタンチヌス大帝の思い サンタ・コンスタンツァ廟堂

    2021年12月訪問 313年ミラノ勅令は出され、ローマ帝国においてキリスト教が公認されました。サンタ・コンスタンツァ廟堂は350‐375年に作られました。  隣接した建てられているサンタニーゼ・フォオーリ・レ・ムーラ教会か来期ます。円形の建物が帽子のようで伴可愛いですね。中に入ってみましょう。  ここは創建時代の建物が残っています。30メートルの円形で、中央にクーポラがあります。このクーポラが24本に柱によって支えられています。中央に説教台がありますが、この祭壇は光沢のある大理石が木目込み細工のように作られています。  柱の上には明り取りの窓があります、これによって霊廟の中は明るいです。そしてその上の天井画がよく見えます。 全体を見てみましょう。  創建当時はモザイクだったのですが、17世紀にはすべてが剥落し...コンスタンチヌス大帝の思いサンタ・コンスタンツァ廟堂

  • ローマで最古のモザイクがある教会 サンタ・プデンツアーナ教会

    2021年12月訪問この地に教会(のようなもの)が建てられたのは390年頃といわれています、4世紀ですね。この教会のサンタ・プデンツアーナ教会というのは、プテンツアーナという聖女に捧げられた教会ということです。でも、現在そのころの物が残っているのは後陣の上にあるアプシスのモザイクです。(2021年12月撮影)401‐17年位の法王ケンティウス1世の時代のものです、そのことはこのモザイクの中に、奉納した人の名前と年号が記されているからわかります。ここには10人の使徒とキリストそして二人の女性が描かれています。あれあれ、キリストの使徒は12人じゃなかったの?そうなんですが、16世紀の修復の際に10人になってしまったんだそうです。 (2021年12月撮影)後陣の部分ですが、モザイクの部分以外は1588年の改修の時に全...ローマで最古のモザイクがある教会サンタ・プデンツアーナ教会

  • そろそろ今日の散歩はおしまいです カフェでビールを飲みましょうか

     さて、まだまだ興味は尽きないところですがそろそろサン・シユルピス教会を後にして散歩を続けましょう。サン・シユルピス広場に出て、ボナパルト通りを右折してサン・シユルピス通りに入ります、この通りにはTabioや無印良品そしてあとで説明するユニクロなどの日系の衣料品店があります、何か旅に必要なものがあればここで買えますよ。(2021年11月撮影i-phone11pro)Tabioパリ店です、ウインドウディスプレーがとても綺麗ですね。 (2021年11月撮影i-phone11pro)MUJIも頑張っています、街中でもMUJIの紙袋を下げている人を良く見かけます。 (2021年11月撮影i-phone11pro)衣料品だけではなく、日用品もたくさん置かれています。そしてサン・シユルピス教会が終わるあたりでマビヨン通りに...そろそろ今日の散歩はおしまいですカフェでビールを飲みましょうか

  • 教会内部に引かれた線とは サンシュルピス教会

    そしてサンシュルピス教会でご紹介する最後はグノモンです、グノモンとは日時計のことです。 (2021年11月撮影i-phone11pro)中央の金色の線が子午線です。 教会全体を日時計にして、翼廊の南側にあるステンドグラスの地上25メートルに開いた丸井小窓から差し込んだ日の光は円盤なってになって床に差し込みます。その月の太陽の高さによって差し込む太陽の光は直近になったり長く伸びたりします、当時の頃の太陽の光のは教会の壁を超えてしまします、そこでオベリスクのような石が置かれそこに光の輪が当たるようにしてあるのです。 (2021年11月撮影i-phone11pro)教会の内部を子午線が走っています。 古代においては、時はその時の王様だけの秘密でした、教会では鐘で教区の民に時間を知らせました、時計の無い時代にはこうして...教会内部に引かれた線とはサンシュルピス教会

  • ピエタのある風景 サンシュルピス教会 パリ

     次は煉獄の魂の礼拝堂に移動しましょうここには、《ピエタ》が置かれています、この作品はオーギュスト・クレサンジェ(1814-83)によって作られました。 (2021年11月撮影i-phone11pro)  聖母マリアの膝の上に顔を天に向けて抱かれるキリスト、その左側にはマグダラのマリアでしょうかがっくりと頭を垂れています。聖母マリアは体を少しひねりその顔は悲嘆にくれています。3人の体が一体となり三角形を形成しています。 キリストの手の指、マグダラのマリアの足の指が妙に写実的に見えます。そしてこれもかなりデザイン的には優れたものなんですが、ピエタの後ろにあるステンドグラスです。これ背後のステンドグラスが《磔刑》そして下にある彫刻が《ピエタ》この二つの作品が一つの物語を形成しているんですね、ここにもまた演出の妙味を...ピエタのある風景サンシュルピス教会パリ

  • ドラクロワの大作をじっくりと見てください

    サン・シュルピス教会にはたくさんの美術品がありますが、その中でもウジェーヌ・ドラクロワ(1798―1863)の壁画は多くの人たちを魅了してきました。ドラクロワの作品は聖天子礼拝堂にあります。 (2021年11月撮影i-phone11pro) 《ヤコブと天使の闘い》この作品は旧約聖書から題材がとられています、ヤコブが聖地カナンへ行く途中で何者かに襲われます、足を怪我しながらもヤコブは襲ってきたものにしがみついて放しません。そしてこう言いました「わたしはあなたが祝福してくれるまで放しません」すると相手はこう言いました「これからあなたはイスラエルと名乗りなさい、なぜならばあなたは天使と闘って勝ったからだ」そして天使はヤコブを祝福すると去っていきました。イスラエルとは「神が支配する人」といった意味です、今のイスラエルの...ドラクロワの大作をじっくりと見てください

  • 総合芸術品として鑑賞する価値があります 聖マリア礼拝堂

    聖母マリアの礼拝堂にはジャン=バティスト・ピガール(1714-1785)によって作成された《聖母子像》(1774)が置かれています。 (2021年11月撮影i-phone11pro) この作品よく見てくださいね、渦巻くように溶岩のように湧き上がる岩の上に聖母子は立っています、そして母子の後ろには光が幾方向にもにも放射されています。そしてさらによく見てください、そうです聖母の足元を、蛇を踏みつけていますね、遥か旧約聖書の初めに神がアダムとイブを楽園から追放した際の張本人そそのかしの蛇、いいかえれば原罪を人間に背負わせた蛇がそこに彫られています。この非常にドラマチックな光景は何世紀にもわたって信者の心に、いや信者ではない人達の心にすらその存在を焼き付けてきたに違いありません。 (2021年11月撮影i-phone1...総合芸術品として鑑賞する価値があります聖マリア礼拝堂

  • 祈りは消えない サン・シュルピス教会 パリ

    さて中に入ってみましょう、この教会の内部はとても素晴らしいです。教会に一歩足を踏みいれて最初に目に飛び込んでくるのは黄金の主祭壇さらにその奥に見える聖母子像です。 (2021年11月撮影i-phone11pro)そして、その上ドームの下段には1672年に作られたステンドグラスが今でも燦然とした輝きを放っています。聖母子像は主祭壇の奥にある内陣聖マリア礼拝堂に置かれています。 (2021年11月撮影i-phone11pro) 主祭壇の手前の聖歌隊席そしてそれを取り囲むようにして居並ぶ聖人たちの彫刻、そのすべてが見事に調和して控え目でありながらも極めて落ち着いた雰囲気を醸し出しています。 (2019年11月撮影i-phone11pro) 私は宗教者ではありませんが、その荘厳さ、そして何百年もの間ここでたくさんの人た...祈りは消えないサン・シュルピス教会パリ

  • 方位と時間にこだわりがあります サン・シュルピス教会

     サン・シュルピス教会の前はサン・シュルピス広場になっていて大きな噴水があります。この噴水はFontaineSaint-Sulpiceと呼ばれています、この噴水にはルイ14世時代(在位1643-1715)の高名な司教4人の彫刻が施されています。 (2021年11月撮影i-phpne11pro)この日は天気が良かったので、青空に噴水はよく映えます。11proで撮ると実際に見た目より青空が青く映ります。 この噴水別名をFontainedesquatrepointscardinauxといいますが、彫刻されている人たちは枢機卿ではなく司教です。少しし調べていくうちにわかったのですが、quatrepointscardinauxは『方位』という意味もあるんですね、教会内にはグノモンがありますし子午線が通っています、この4人...方位と時間にこだわりがありますサン・シュルピス教会

  • 散歩でおなかがすいたら Mademoiselle Angelina リュクサンブール公園

    さて、朝モンパルナス駅を出発してここまで歩いてきたので、少しお腹が減ってきましたね、リュクサンブール公園からヴォージラール通りに出て左に曲がったところにマドモアゼル・アンジェリーナMademoiselleAngelinaがあります、ここに入ることにしましょう。 (2019年10月撮影i-phone11pro) アンジェリーナはすでに日本にもお店があるので行かれた方も多いと思います、パリ市内にも何店かカフェがあるのですがどこも結構混んでるんですよ。その点ここMademoiselleAngelinaは比較的すいていると思います。でも、お昼時は混むので、予約をしていった方がいいでしょう、そしてここは17時でおしまいなので注意してくださいね。 (2019年10月撮影i-phone11pro) 私はお昼時に行きました、M...散歩でおなかがすいたらMademoiselleAngelinaリュクサンブール公園

  • どんな思いで メデシスの泉 リュクサンブール公園

    リュクサンブール宮殿はイタリアのメディチ家から嫁いできたマリー・ドメデシス(イタリア名マリア・デ・メディチ1575-1642)が持金として持ってきた莫大な持参金で作りました。そしてこのメディシスの泉もその時に作られました。 (2019年10月撮影) その頃のメディチ家は、金融で財を成し莫大な財産と、権力を有していました。フレンツェに行かれた人は今残っている建物、美術品そして財宝などをご覧になって驚かれたことと思います。しかし、マリーの夫フランス王のアンリ四世は放蕩癖があり、50人もの愛人を作ったといわれた人です。この頃の王様ではこのぐらいの愛人の数はそれほど多くなく中の上ぐらいです。アンリ四世はメディチ家にあった、莫大な借金の帳消しと、マリーの持参金目当てに、政略結婚したのです、ですから彼は結婚後も彼女には関心...どんな思いでメデシスの泉リュクサンブール公園

  • 私はここで日向ぼっこをするのが好きです リュクサンブール公園

    リュクサンブール公園はとても広い公園です、敷地面積は23ヘクタールあるそうです、東京ドーム5個分ぐらいでしょうか。公園に設置された園内見取り図がここにあるので、お見せします。この地図は面白いですね、西が上になっています、設置された場所からの位置関係なんでしょうか? (2019年撮影i-pone11pro)この公園はウイークデーでもたくさんの人が来ます、週末ともなるとけっこう混雑するんですよ。パリは緯度が高いので、東京に比べると年間の日照時間が少ないんですね、それで冬でもお日様が出ている時には日光浴をしている人が多いんですよ、夏は裸ぼっこがたくさん日向ぼっこをしています、ゴロゴロその辺に裸ん坊がいるんですね。見ていると面白いですがあまりじろじろ見ないでください、誤解されますよ。ヨーロッパの人達はお日様のありがたさ...私はここで日向ぼっこをするのが好きですリュクサンブール公園

  • 庭園美術館 素晴らしい空間です リュクサンブール公園

    パリの公園の特徴は、たくさんの彫刻が置いてあるということです、さながら庭園美術館です。リュクサンブール公園の彫刻の点数を確認したところ106作品あるそうです、時間があるときに散歩しながら彫刻を見て回る、これも楽しみの一つです。日本にも公園がたくさんありますが、あまり彫刻などの作品は置いてありません、このあたりにフランスと日本の文化への関心の違いを感じます、彫刻を置くことにより、その場所の芸術性が高まるというだけではなく、若い彫刻家などにとっては作品を発表する場所であったり、お金を得る場にもなるのです日本でもどんどん芸術品が公園や街中に置かれるようになるといいですね。ここでリュクサンブール公園に置かれている作品のいくつかをご紹介しましょう。オーギュスト・バルトルディ(1834-1904)《自由の女神》(1889)...庭園美術館素晴らしい空間ですリュクサンブール公園

  • とても気持ちのいい並木道です

     グラン・エクスプローラトウル庭園の先はまた違う公園でエスプラネード・ガストン・モネビル(EsplanadeGastonMonnerville)といいます。ガストン・モネビルはフランスの上院議員でした。アフリカ系フランス領のギニア人でした。  気持ちのいい並木道が続いていて天気のいい日の特別の散歩道になります。あなたも歩いてみることをお勧めします。この並木道は栗の木です、花の時期には白い花が咲き揃って綺麗だそうです、私はまだ見たことがありませんが見てみたいものですね。ベンチが置いてあるので疲れたら少し休みましょう、そしてゆっくりと目をつぶってみてください。木立を行き交う風のささやきが聞こえてくるかもしれません、それとも鳥のさえずりかもしれません。エスプラネード・ガストン・モネビルにはたくさんの彫刻が置かれていま...とても気持ちのいい並木道です

  • 時代の流れが作品の中に込められて 世界の四つの部分の噴水

     さあ、リュクサンブール公園に向かって歩きましょう、サンジャック通り、カニシ通りを過ぎると、ポート・ロワィアルの駅が見えます。この駅は、アールヌーボー風の駅で私のお気に入りです。 この駅を過ぎるとリュクサンブール公園の入り口の《世界の四つの部分の噴水》(1867-1874)が見えてきます。四人の女性が地球を支えています。四人の女性はそれぞれ大陸を意味しています、やはり地球は女性によって支えられているのですね。この噴水が設置されている部分はグラン・エクスプローラトウル庭園という名前がついています。 四人の女性はそれぞれ、ヨーロッパ・アジア・アフリカ・アメリカです、オーストラリア大陸はその時代にははっきりと認識されていませんでした。そして、アメリカの女性の足を見てください、足に鎖がまかれていますね何で足に鎖がまかれ...時代の流れが作品の中に込められて世界の四つの部分の噴水

  • 散歩とは新しい発見 ダンフ ェール・ロシュロー パリ

    今までのシロヤギの足跡を地図で見てみましょうこんな感じになるんですよ。  モンパルナス駅に面した「メーヌ通り」を右折します、メトロ「ゲーテ」駅を通り越してすぐの「フォーワッドヴォー通り」RueForoidvauxに入ります。モンパルナス墓地での散歩も終わったら、また「フォーワッドヴォー通り」RueForoidvauxにでます、そして左に進むと、ライオンの銅像が見えてきます、この銅像は<ベルフォールのライオンLiondeBelfort>のレプリカです。戦争で武功をあげたダンフェール・ロシュロー大佐(1823-78)を称えるために1880年に設置されました。オーギュスト·バルトルディAugusteBartholdi(1834-1904)の作品です。なんとなくライオンキングのイラストが似ていませんか? (2021年1...散歩とは新しい発見ダンフェール・ロシュローパリ

  • 墓碑に込める思い モンパルナス墓地 パリ

    この墓地にはとてもユニークなものや芸術性溢れるお墓が多いんですよね、その中でいくつかを紹介します。JacquesTheron(1899‐1919)20歳で亡くなった青年のお墓です。夭折した青年に対する家族の悲しみが伝わってきます。 (2022年11月撮影i-phone12pro)このお墓に作られた彫刻は「花を広げる痛み」と名ずけられています。上から下へと連なって落ちていく薔薇のつぼみが下にまで落ちていきます。この青年がまだつぼみのうちに亡くなってしまったことを象徴しているようです。この墓石の作者は、エルネスト・アンリ・デュボア(1863-1931)です。 バルサタール・ロボ(1910-1993)スペインの彫刻家のお墓です。ピカソとも親交があったようです。(2022年11月撮影i-phone12pro)遥か彼方か...墓碑に込める思いモンパルナス墓地パリ

  • モンパルナス墓地での幻想 喧々諤々と大騒動

    今日の散歩はここから始めます。モンパルナス駅に面した「メーヌ通り」を右折します、メトロ「ゲーテ」駅を通り越してすぐの「フォーワッドヴォー通り」RueForoidvauxに入ります。そこはもう「モンパルナス墓地」ツタの絡まった古い壁が墓地の終わりまで続いています、秋の紅葉の季節にはツタの葉っぱが黄色に色づき美しく映えるので、墓地の壁沿いに歩くのも楽しみの一つとなります。 墓地の中にも入ることができます。フランスの墓地は日本の墓地と違い、それぞれがゆったりとしたスペースを取り芸術的な墓石やモニュメントもたくさんあります。さあ入ってみましょう。この墓地にはたくさんの有名な人が眠っています、私が手を合わせるのは並み居る有名人の中でもセルジュ・ゲンズブール(1928-1991)です。ゲンズブールは歌手でデビューしました、...モンパルナス墓地での幻想喧々諤々と大騒動

  • 一日の始まりは散歩の始まり さあ歩こう

    散歩はあてもなく歩くので、その日の出発点だけ決めます。今日は『モンパルナス』駅から歩きましょう。モンパルナス駅は、パリ市内に6カ所ある郊外列車の駅です。  モンパルナス駅の周辺はあまりきれいと言えません、それはパリジャンたちがごみを無造作に捨てるからです、歩きたばこのポイ捨てもふつう。特に早朝の街は汚い。路上飲みはパリではコロナの前からあたりまえ、それでビールのビンが散乱していたりします。ガイドブックやムック形式のパリの情報誌を見てパリにあこがれて「実際に来てみてがっかりした」という人も少なくありません。パリも他の街と同じように決して花の街ではないので、あまり頭でっかちに情報を詰め込んでこないほうがいいかもしれませんね。コロナが蔓延する前と今と比べてみると歩きたばこの人がへり、喫煙率は明らかに減っているようにみ...一日の始まりは散歩の始まりさあ歩こう

  • 焼き立てのバケットがおいしい パリの朝

    パリに居ると朝起きて最初に考えるのが、「今日散歩どこいこ」です。そしてとりあえずバケットを買いに近くのパン屋に行きます、まだ温かいバケットをホテルに帰る道すがらちょこっと食べます、そしてホテルに戻ってコーヒーを淹れて焼きたてのバケットを齧りながら(これがうまいんだな)今日の散歩を考えます。もしくは、近くのカフェに行きます、あさのカフェ通いも楽しいんですよね。常連さんたちが、カウンターでエスプレッソを飲んでクロワッサンなんかを食べます(これほとんど御毎日来ているお客さんなんです)、ですから旅行者は椅子席に座りましょう。(メモ:パリでは、カウンターと椅子席では料金が違います。) (2019年10月撮影I-phne12)朝のカフェの様子、こんな風に常連さんがマスターと話しながら朝のコーヒーを楽しんでいます。焼き立てのバケットがおいしいパリの朝

  • パリ散歩 終わりは初めの始まり

    『パリも明日1日となりました、旅は始まりがありそして必ず終わりがあります。夕暮れ時のひと時をカフェの外席で過ごします。冬のパリは午後5時になるともう薄暗くなります、カフェの外の席に座りせわしなく通り過ぎる人たちと、イルミネーションが入り始めた街を眺めながらワインを飲みます。明日宝石のような輝きのある最後に思いを馳せます。』 (2022年11月撮影i-phone11pro)パリ散歩終わりは初めの始まり

  • 殉教の丘 モンマルトル サンピエール教会 パリ

    2021年11月26日・2019年10月訪問 殉教の丘モンマルトルサンピエール教会パリ サクレクール寺院の向かって左隣にも教会があります。それがサン・ピエール教会です。 (2019年10月撮影) この教会はサクレクール寺院と比べると知名度が低いのですが、とても歴史が古く素晴らしい教会で、私のおすすめポイントです。 (2021年11月撮影)今回訪問した時にはすでにクリスマスマーケットの準備が始まっていました。何やら赤銅の機械や調理器具がたくさん置かれていましたよ。 (2021年11月撮影)今日ご紹介するのはサン・ドニさんです。このドニさんはキリスト教の黎明期に、ローマからこのガリア地方に布教に来ました。紀元3世紀ごろのことだったらしいです。シテ島を拠点にキリスト教に布教をしていたのですが、そのころのガリア地方はキ...殉教の丘モンマルトルサンピエール教会パリ

  • 美しいステンドグラスがまだあります サクレクール寺院

    2019年10月、2021年11月訪問 美しいステンドグラスがまだありますサクレクール寺院モンパルナス ここサクレクール寺院にはまだまだ美しいステンドグラスがあるんですよ。  (2019年10月撮影)このステンドグラスは昨日の3作とはまた色合いが少し違います。絵の部分のデザインも少し抽象画のように、細かい部分が省略されています。そして空白部分が生まれ、それだけに明るく感じる作品となっています。大理石造りの天使の彫刻がステンドグラスの前にあり、くっきりと浮かび上がります。 (2021年11月26日撮影)この作品は昨日の最初に取り上げた作品と色調は似ています。この3連のステンドグラスも、昨日紹介したものと同じような周囲になっていて円形のアーチの部分は上から徐々に小さくなり、ステンドグラスを囲んでいる縁の下の部分は飾...美しいステンドグラスがまだありますサクレクール寺院

  • 幻想的なステンドグラス サクレクール寺院 モンマルトル

    2019年10月、2021年11月訪問 幻想的なステンドグラスサクレクール寺院モンマルトル サクレクール寺院の魅力の一つにステンドグラスがあるんですよね。この寺院のステンドグラスのオリジナルは1903年から1920年にかけて設置されましたが1944年に爆撃で破壊されました。そして1946年には再生されたんですね、これを見ても戦争はいかにばかげたものかわかります。 (2021年11月撮影) 今日は、マリア像とステンドグラスの3枚をご紹介します。このステンドグラスを見ると、かなり近代的なセンスを感じます。赤、朱、ワインレッドなどの赤系が印象的に使われています。 (2019年10月撮影)2枚目の作品は、1枚目とは色合いが違います。とてもシックな色使いで私は好きですね。彫刻は聖母子像です。その台になっている浮彫の彫刻も...幻想的なステンドグラスサクレクール寺院モンマルトル

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