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欧州気まま旅 https://blog.goo.ne.jp/at9071

シロヤギが欧州を旅します。風の吹くまま期の向くままどこに流れていくのやら

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2018/08/11

  • 思いでボロボロ 公園はアミューズメントスポット

    私が子どもの頃には、東京ディズニーランドのようなアミューズメントスポットはありませんでした。遊園地はたくさんありましたが、現在のそれと比べると、とてもシンプルなものだったし、それでも、年に何回も行ける存在でもなかったですね。通常は、公園で友達数人とおにごっこ、かんけり、どろじゅんなんかをして、空が暗くなるまで遊び惚けていました。勿論、いろいろな露天が来る公園は、まさに私たちのアミューズメントスポットでした。思い出せる範囲でどんなものがあったか書いてみますね。夏の金魚屋さん、風鈴屋さん。春、夏、秋の紙しばい屋さん、かた屋さん、冬にはおでん屋さん、焼き芋屋さんが店を出していました。そうそう、忘れていけないのは不定期なのですが、子どもにとっては超ド級のお店は私たちは「ぱっかん」と言っていたお店です。何やらたいそ...思いでボロボロ公園はアミューズメントスポット

  • 思いでボロボロ 私たちのあこがれ 紙しばい屋さん

    前回私は子どもの頃の駄菓子屋さんについて書きました。昭和30年代の日本には児童館も学童クラブもありませんでした。小学生が塾に行くということもなかったので、大半の子どもは放課後ランドセルを玄関に投げ捨てて遊びに行ったものです。私が住んでいた、東京の大田区入新井には、入新井公園という大きな公園がありました。公園や空き地が子どもたちの遊び場だったのです。この公園には実にたくさんの子ども相手の物売り屋さんが来ました。季節的には、風鈴やさん、食べ物ではおでん屋さんその他いろいろ。この中で私が一番大好きだったのは紙しばい屋さんです。公園の中でカチカチと拍子木が鳴ると紙しばいの始まりです。題目は、『ゴールデンバット』や『まぼろし探偵』『怪盗二十面相』など、実にたくさんの演目が演じられました。紙しばい屋さんのおじちゃんの...思いでボロボロ私たちのあこがれ紙しばい屋さん

  • 思いでボロボロ

    少し昔のことを書いてみたくなりました。『駄菓子屋さん』私は小学校4年生まで、東京の大田区大森に住んでいました。大森は山の手の山王、そして0メートル地帯の下町がありました。山の手の方には『コージーコーナー』や『不二家』などの高級洋菓子店や『富士屋』などの洋食レストランがあり、お金持ちの人たちの住む洋館などもありました。一方下町には零細の町工場や、小さなしもた屋などが多くあり、私はその下町の入新井という所に住んでいました。前には大きな入新井公園があり、夏ともなれば週末にフォークダンス大会なども行われていました。この下町には駄菓子屋さんが何件かありました、私がよく行ったのは『ジジババの店』という高齢者のご夫婦が経営していたお店でした。時々親からもらった10円玉を手に握りしめてこのお店に通ったものです。「10円?...思いでボロボロ

  • 学芸がこんな素晴らしい女性であったなら

    レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1483)ミケランジェロ・ブオナローティ(1474-1564)ラファエロ・サンティ(1483-1520)三人がルネサンスを代表する芸術家と評価されています。ボッティチェリ(1455年-1510年)「学芸たちの集いに導かれる青年」(1483-1485頃)この三人にくらべると少し評価が低いボッティチェリですが、私はボッティチエリの描く女性がとても好きです。この作品の主題はある青年がヴィーナスから七つのリベラルアーツを送られるというものです。たぶんこの青年は、作品を注文した施主の一人か、教養を送られている対象者ですから、この作品を送られた人かもしれません。若い女性と手をつないでいるので、結婚祝いに描かれたのかもしれません。文法・弁証法・修辞学・算術・音楽・幾何学・天文学すべて...学芸がこんな素晴らしい女性であったなら

  • ボッティチェリの描く女性の優美さ ルーブル美術館 パリ

    2023年1月31日まで行われていた『丸紅ギャラリー開館記念展Ⅲ「ボッティチェリ特別展美しきシモネッタ」』たった1枚の作品だけの特別展。この作品に魅了された方はたくさんいることでしょう。この作品の作者はボッティチェリ(1455年-1510年)です、『美しきシモネッタ』は日本にただ1枚あるといわれているボッティチェリの作品です。ルーブル美術館にも3点の作品が所蔵されているようですが、そのうちの2点を撮影してきました。「三美神を伴うヴィーナスから贈り物を授かる若い婦人」と「学芸たちの集いに導かれる青年」です。「三美神を伴うヴィーナスから贈り物を授かる若い婦人」(1483-1485フレスコ)  フィレンツェの近くのヴィラレンミに1階に描かれていた作品と表示されています。私はボッティチェリの描く女性の姿が好きです...ボッティチェリの描く女性の優美さルーブル美術館パリ

  • サモトラケのニケのいる風景

    2022年10月取材 ルーブル美術館を紹介する解説書には、必ず『サモトラケのニケ』が取り上げられています。勝利の女神が、ドゥノン翼とシュリー翼の境、ダリュの階段の踊り場にすくっとその姿を見せるさまは本当に凛々しい、たくさんの人がこの場に集まり、写真を撮る理由がよくわかります。しかしちょっと持ってください、あなたが早足で歩いているコリドーはどんな感じでしたか? そうです、左右にはローマ時代の彫刻が並んでいます。(ニケに向かって左側の彫刻) そしてこれが左側。どれをとっても芸術的にも歴史的にも価値の高いものばかりです。 そして中央、この階段から踊り場に至るアプローチ、グランドからの階段とそれに合わせた円形の開口部分。それにこの開口部分をさらに広げていくかまぼこ型の飾り、中央には照明が施されていて、そこに吸い寄...サモトラケのニケのいる風景

  • マリアがなぜアンナの膝に座っているのだろうか

    「聖アンナと聖母子」はレオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1529)が1508年頃に描いた作品といわれています。レオナルドの絵画は、描き始めてから長い年月加筆を続けていくことが多いので、この作品もこの年に彼が書き始めたと考えたほうがいいでしょう。発注者はフィレンツェのサンティッシマ・アンヌツィアータ教会です、実はこの教会レオナルドの父親が公証人であったので、その関係で獲得した仕事であるともいわれています。しかしこの時期すでにレオナルドは、画家としての名声を確立し始めていた時期でもあるので、父親のコネクションだけではなく実力もあったものと思います。  作品を見てみましょう。この作品を見て不思議に思ったことは、なんとマリアが母親のアンナの膝にちょこんと座っているではありませんか?構図は、アンナの頭長を頂点にマ...マリアがなぜアンナの膝に座っているのだろうか

  • なんで二枚の絵があるのか 岩窟の聖母

    「岩窟の聖母」(1483-1486)はレオナルド・ダ・ヴィンチ((1452-1519)の作品ですが、この作品はほぼ同じ構図で描かれた作品が2点あります。1点目はルーブル美術館に収蔵されている作品で今回の主役です。もう一点はナショナルギャラリーに収蔵されている作品です。何故、同じような作品が2点あるのかということですが、その謎を解くカギはこの二つの作品が制作された時期にあります。この、どちらが先か問題にはいろいろな説があります、何冊かの本をあたりましたが、ウイキペディアも含めてルーブル美術館美術館に収蔵されている「岩窟の聖母」が先に描かれたという説が有力です。その理由はルーブルバージョンを先に描いていたのですが、「何らかの理由」により発注者(1483年4月25日にサン・フランチェスコ・グランデ教会司教バルト...なんで二枚の絵があるのか岩窟の聖母

  • 19世紀からやってます ポリドール

    2022年10月15日訪問「ポリドール」はリュクサンブール公園にほど近くにある有名なレストランです。『ミッドナイト・イン・パリ』の舞台にもなったので覚えている方も多いのではないかと思います。  リュクサンブール公園の『メデシスの泉』の近くの出口を出て、コンデ通りを歩き右折すると「オデオン座」があります。オデオン座広場をレシーヌ通りに入り、ムシユー・ル・プランス通りとの交差点を渡った角のレストランです。リュクサンブール公園をしっかり散策して、さて、何かがっつり食したいなと感じたいときにおすすめのレストランです。このレストランの創業は1845年、実に19世紀から続いているんですね。 店内です、開店すぐに入ったのでまだお客様はあまりいませんでしたが、たちまちのうちに満席となりました。予約は受けてくれないので、回...19世紀からやってますポリドール

  • 何故レオナルドの作品がルーブルにあるか

    2022年10月15日訪問 フィレンッエ生まれで、イタリア人のレオナルド・ダ・ヴィンチ(1451~1519)彼の絵画の作品はとても少なくウイキぺディアによれば15作程度であるとしています、その上に、この15作の中には下絵的なものも含まれています。しかし、フランスのルーブル美術館には『モナ・リザ』(1503~1519)を含めて5点の絵画が収蔵されています。イタリア人のレオナルドの絵がなぜフランスの美術館にたくさんあるの?  その秘密はミラノにありました。1515年フランス王フランソワ1世がミラノに進行して占領しました。10月に、フランソワ1世とローマ教皇レオ10世との間で平和会議が開催されますが、その席になぜかレオナルドが招かれています。1説によると、1499年以降レオナルドはフランスの要請で、軍事顧問のよ...何故レオナルドの作品がルーブルにあるか

  • 何故モナ・リザは人気があるのか

    2022年10月15日訪問この日訪問したのはルーブル美術館です。そのルーブル美術館には『レオナルド・ダ・ヴィンチ』(1452~1519)本人の絵画が「モナ・リザ」を含めて5枚展示されていました。この作品群は、美術館のドゥノン翼絵画/イタリア(1250~1800)の展示室にあります。ここにはイタリアの作家の素晴らしい作品がたくさんあります。今回私はこの部分だけを2時間半かけてみてきました。その中に『レオナルド・ダ・ヴィンチ』の絵画が5枚展示されていました。「モナ・リザ」(1503~1519)は展示室711室の一番奥に展示されています。 画像のようにいつもこのように混雑しています。それではその他の4枚はどの絵画なのでしょうか?「聖アンナと聖母子」(1508年頃)「洗礼者ヨハネ」(1513~1516)「岩窟の聖...何故モナ・リザは人気があるのか

  • 晴れの日のパリは気持ちがいい パリ

    2022年10月20日木曜日晴れ暑い シロヤギの立ち回り先1コインランドリー(初めての洗濯また改めて)2オテル・ド・ビルのカフェ3サン・ジェルヴェ・サン・プロテ教会4市庁舎5グランパレ(改修中は入れません)6プチパレ7アレクサンドル3世橋8パリ市立近代美術館9モンマルトル10モンマルトル博物館11サクレクール寺院からの眺め。 初めてお会いしましたが、とても素晴らしい彫刻です。特にドレナージュ着物のひだの様子が克明に刻まれています。 アレクサンドロ3世橋ここに来る時はいつも曇り、雨、雪なんですが、今回は抜けるように青い空をバックに撮ることができました。 サクレクール寺院の前の広場。ここからは市内が一望できます。かなり混雑をしており、観光客がだいぶ戻ってきています。 i-phne13pro  晴れの日のパリは気持ちがいいパリ

  • なんとなくモンパルナス パリ

    2022年10月19日水曜日晴れ暖かい シロヤギの立ち回り先1モンパルナス駅2モンパルナスタワー3Pullman(新しいホテルとその隣のカラフルビル)4モンパルナス墓地5BULLIER(お茶したギャルソンがフレンドリー)6リュクサンブール公園7サンジェルマン市場周辺8サマリテーヌ お馴染みのモンパルナス駅散歩はここから  今日はぽかぽか、散歩に最適モンパルナス墓地。ぼちぼち紅葉が始まっています。 通りすがりの花屋さん、フランス人は花が大好き、贈り物に。 I-phone13proなんとなくモンパルナスパリ

  • 圧巻のジベルニー ジベルニー

    2022年10月18日火曜日曇り霧瞬間的に日差し シロヤギの立ち回り先1ジベルニー2モネの庭3モネの家4モネの墓5セーヌ川が見える丘6エッフェル塔7エッフェル塔周辺8サンジャックの塔9市庁舎10jardandeRohan 18日は待望のジベルニーツアー、パリ在住の方と旅行者の混成部隊4人で出かけました。途中セーヌ川沿いに走ることが多く霧がかかり凄く幻想的な世界でした。 まずはモネの庭ですね、睡蓮の池です、モネはこの場で1日中時間の経過を追いながらその光景を頭に刻み込み、制作に励んだのでしょう。何か池の反対側をでっぷりした姿のモネが歩いているようです。  モネの家に入ります、モネは日本の浮家や絵画を愛していました。モネの家に入るとそこには沢山の浮世絵や日本絵画が飾られいます、モネのジャポニズムに対する限りな...圧巻のジベルニージベルニー

  • 両替レートがいい両替屋さん パリ

    2022年10月17日月曜日一日じゅう小雨が降り続く シロヤギの立ち回り先1コンコルド広場2オランジェリー美術館3チュールリー公園4メルソン5ドゥマゴ 日本円やすいですよね、本当に嫌になります。そんな時手元にドルの現金があればそれを持っていくのも手です。しかし、すりが多いパリのこと、現金やパスポートはしっかりと金庫にしまいましょうね。次に気になるのが「どこで両替しよ?」です。パリの市内には山ほど両替所があります。早速ウエブサイトを検索しました。五つの記事を読みましたが、どれもおすすめは「メルソン両替所」でした。 こんな感じの店構えです。昨日は100ドル替えて100ユーロでした。現在はキャッシュレス時代です、100ユーロ札は「おつりがありません」といわれます。20,10,5のお札でもらいましょう。街頭ではな...両替レートがいい両替屋さんパリ

  • 散歩の途中に パリ

    2022年10月16日日曜日晴れ時々曇り 昨日の立ち回り先1パンテオン2サン・テティエンヌ・デュ・モン教会3KAWAKAMI 4リュテス円形劇場5パリ第6大学(壁)6ティノ・ロッシュ公園7パリ植物園8サン・メダール教会9ムフタール通り天気のよさも手伝ってとても気持ちの良い散歩でした。パンテオンからクロヴィス通りを通りリュステル円形劇場に向かう途中でお店の前の黒板を見つけました。それにはKAWAKAMIと書いてありました、そういえば友達のKさんがよいお店があるというので、さっそく入りました。明るい店内で、お茶を飲んだり食事を食べたりできます。詳細はまた書きます。この時期、紅葉も少し始まっています。温暖化現象で、この時期としては気温が高く機能は19度ありました。  こんな感じで、色づいています。私が日本に帰る...散歩の途中にパリ

  • モナ・リザマジック 2022年10月15日

    2022年10月15日土曜日今日はパンテオン周辺を散歩しようと思っていたんですが、あいにくの雨。気温はそこそこ暖かい、セーターと薄手のコートでちょうどいい。こんな時には美術館に潜り込むのが一番。試しに予約せずにルーブル美術館へ向かう。たぶん延々たる列でとても中に入れないだろうと思いきや、チケットを持つていない列もそれほどではない。並んでみる。土曜日にもかかわらず、8時45分に並び始めて9時20分には入場。イタリアルネサンス時代の絵画が見たかったので、堪能。ここでいつもの現象に遭遇。やはりやはりの『モナリザ』さんの前は黒山の人だかり。前はこれに中国人が加わりすさまじい割込み合戦も繰り広げられていた。  一方ここには同じレオナルドダビンチの作品が5点展示されている。ところがひとはあまりりおらず、大半の人は素通...モナ・リザマジック2022年10月15日

  • 2022年10月14日パリ着

    2022年10月14日16時30分ほぼ定刻パリシャルルドゴール空港着予約時羽田発10時30分だったフライトがその後8時30分の変更となりました。2時間の大幅繰り上げ出発かなりびっくりしました、遅れることはあっても繰り上げとは。JL045便です。そのため、羽田近くのやはりJAL系のホテルに前泊しました。検疫関係は、羽田、シャルルドゴールともに何もありませんでした。入管審査で30分ほど待ちましたがその他は全く心配いりません。航路はロシアを避けて、シベリアの縁を回り北極上空からヨーロッパに入るため、2時間ほどいつもより多めのフライト。昔はアンカレッジ経由だったんですけどね。ちょう円安ということがあり手持ちのドルを持っていきました。パリ市内のホテルは前に1万円台で泊まれた所が軒並み2-3万円。今回はパリ中心部から...2022年10月14日パリ着

  • あれ何で風車が パリ モンマルトル ムーラン・ド・ラ・ギャレット

    さて、マルセル・エメ広場からジェラルドン通りに出ます、すぐ左に風車が見えてきますよ。一体何でこんなところに風車がと思いますが。パリの歴史を紐解くと14世紀頃から、現在のパリ市内にもたくさんの風車があったと記されています。それもモンマルトルは小高い丘だったので、たくさんの風車があったのです。小麦を粉にするためには欠かせない建物だったわけです。 現在はこのムーラン・ド・ラ・ギャレットと、モンマルトルの麓にあるムーラン・ルージュだけになってしまいました。とくにこの、ムーラン・ド・ラ・ギャレットはルノワール(1841-1919)が好んでよく描いています。まだまだ一般市民の娯楽が少なかった時期に、工場労働者でも行くことができた一大社交場だったらしーですよ。ルノアールはここに大きなキャンバスを持ち込んで、絵をかいてい...あれ何で風車がパリモンマルトルムーラン・ド・ラ・ギャレット

  • 胸が金色に輝いています パリ モンマルトル

    さて、ラパン・アジルを左に曲がるとどこに行くでしょう、行ってみましょうか。サン=ヴァンサン墓地の壁沿いに歩いて行くとぐるっと鋭角にほぼ360度回るように道はジラルドン通りに入ります、その先はまた坂なんです。この坂(ジェラルドン通り)をあがって行くとアブルボアール通りかなりきつい階段だったので、ちょっとした広場で一息ついていると、何やら観光客が銅像の胸をこすっています。 この銅像は有名な歌手のダリダ(1933-1987)日本では1970年代にアラン・ドロンと共にうたったあまい囁きがヒットしたので覚えている人もいるかと思います。本格的なシャンソン歌手ダリダ私は大好きですね。と言いながら胸をなぜたらそのままだらだら坂を下っていくと、マルセル・エメ広場があります。この広場に名前が付けられているマルセル・エメ(19...胸が金色に輝いていますパリモンマルトル

  • ばえる建物もあります パリ モンマルトル

     ソル通りのなだらかな坂を下りていくとコルト通にのぶつかった左側にピンクハウスがあります。ピンクハウスは、ユトリロが描いた絵に出てくるので、有名ですね。いつもこの家の周りには人がたくさんいて写真を撮ったりしていますよ。ピンクなんで「ばえる」んでしょうね。 そして右に目を転ずると何やら緑がこんもりした場所が見えます。そうです、ここがモンパルナスで唯一のブドウ畑なんですね、ちゃんと収穫してぶどう酒にするんですよ。そしてソル通りはサン=バンサン通りと交差してサン=バンサン墓地。 ソル通りとサン=バンサン通りの交差点の右側にはシャンソン酒場ラパン・アジルがありますここは昔からの酒場で、19世紀末には、画家や詩人たちのたまり場となり、皆さんわいわいと楽しい時間を過ごしていたようですよ。今ではすっかり観光名所となり、...ばえる建物もありますパリモンマルトル

  • サロンは印象派の敵 パリ モンマルトル

    この広場からノルバン通りに入るとスターバックがあります。アメリカシアトル発のスターバックスは、ヨーロッパの都市には必ずといってありますね。これほどたくさんのカフェがあるパリにもスターバックスはあり結構繁盛してるんですよ。わたしは、街角にあるカフェのエスプレッソが好きですけどね。そしてその先には有名なレストランル・コンシュラ(LeConsulat)があります。1階の部分が赤と緑でとてもかわいい作りになっていますね。このレストランとても古いレストランなんです、19世紀終盤から20世紀前半にかけて、印象派や後期印象派の画家たちがたむろしていたということですよ。そんな時代にここに居たかったですね、才能があっても、サロンに認められない貧乏な画家たちが、不安と自負心の間で引き裂かれ、癒しと同志を求めてここでたむろして...サロンは印象派の敵パリモンマルトル

  • 歩いて楽しいテルト広場 パリ モンマルトル

    サンピエール教会を出てモン=スニ通りに出ると、何か楽しげな光景が目に入ります。そこがテルト広場です。ほーら、見てください。画家たちが自分の作品をいっぱい並べて売っています。似顔絵を描いてくれる画家もいますよ。ですからいつも人がたくさんいて密密になっています。そしてこの広場の周りにはたくさんのレストランがあるんですよね。このレストランも広場沿いにあります。名前は、AuPetitComptporといいます。このあたりのレストランには入ったことがないので、味のほどは保証できませんが、天気のいい日には、テラスに出ている椅子に座ってモンマルトルを満喫してください。歩いて楽しいテルト広場パリモンマルトル

  • サンピエール教会の扉 パリ モンパルナス

    サンピエール教会のサーフィスには3枚の扉があります、この3枚の扉の浮彫はイタリアの芸術家TommasoGismondiによって1980年に作られました。 粗削りな感じですが、この教会の古さを考えて、素朴さが現れる作品に仕上げたのだと思います。それぞれ聖書からとられた物語ですが、とても生き生きとえがかれています。 (2021年10月撮影2枚とも) この浮彫は、ローマで最初にキリスト教徒になった百人隊長のキリスト教帰依の光景が描かれています。サンピエール教会の扉パリモンパルナス

  • とてもくつろぎのある教会です パリ モンマルトル サンピエール教会

    サンピエール教会いつもたくさんの信者や、観光客であふれているサクレクール寺院ですが、すぐ横にあるサンピエール教会なら落ち着いていてゆっくりできますよ。それにとてもいい教会なんです。サクレクール寺院が19世紀に作られた比較的新しい教会だとすると、サンピエール教会の歴史は古く、パリでは3番目に古い教会だそうです。この教会も古い教会によくあるように、何回も建て替えられています。最初の建物は古代ローマ時代で神殿風の物であったといわれています。現在の教会の中にも古代や、メロヴィング朝の頃の大理石の柱が何本か残っています。 しかし後陣の天井はゴシック様式の原初的なリブボールトが見られます。後陣の建設は12世紀後半といわれています。本格的にこの教会の建設が始まったのは、ルイ6世がこのあたりを取得した12世紀です。 11...とてもくつろぎのある教会ですパリモンマルトルサンピエール教会

  • 圧倒的な迫力で迫るモザイク画 パリ モンパルナス サクレクール寺院

    内部の構造は、大ドームを中心にして二廊式です。主祭壇部分、説教台は金色に輝いています。キリストを中心に4人の使徒が、浮彫で描かれています。そしてその背後にある石造りの立派な蝋燭台と一体となるような感じのロマネスク調のコラムとアーチ、とても重厚感がありますね。しかしなんといっても圧倒的な迫力をもって私たちに迫ってくるのはアプス(後陣)の半円形のスペース(エクセドラ)に描かれたキリスト像です。この作品はモザイクでつくられています、パリにあるどのモザイク作品より大きいそうですよ。中央に大きく両手を開いたキリストそして両脇には聖母マリアと、聖ミカエルが描かれています。ひざまずいているのは、教皇レオ13世(1810-1903)とジャンヌダルクです(1412?-1431)。そして、この教会のステンドグラスも見どころの...圧倒的な迫力で迫るモザイク画パリモンパルナスサクレクール寺院

  • 心臓という名前のバジリカ パリ モンマルトル

    さて、ケーブルカーの駅を降りるとすぐ側に見える大きな教会がサクレクール寺院でしたね。 この教会はノートルダム寺院の次に大きな教会です。高さ130メートル,幅が50メートル,奥行きが100メートルあります。ノートルダム寺院は11世紀から12世紀に立てられた教会ですが、サクレクール寺院は1877年にギベールパリ司教の発案で作り始められ、完成は1914年でした。こうみえて新しい教会なんです。建築様式はロマネスク様式とビザンチン様式の併用だそうです。設計はポール・アバディ(1812-1884)彼は中世の建築に精通していて、サクレクール寺院を設計する際に15人の応募者の中から選ばれました。サクレクール寺院はフランスとベルギーに複数同じ名前の教会があります、モンマルトルにある寺院はバジリック・デュ・サクレクール・ド・...心臓という名前のバジリカパリモンマルトル

  • モンマルトルは坂が魅力的

    この駅に降り立つと白亜の建物が見えてくるんですよ、これが有名なサクレクール寺院なんですね。サクレクール寺院に入る前に、モンマルトルの丘について少しご説明しておきましょう。モンマルトルの丘は標高130メートルです、東京23区で一番標高が高い所は愛宕山で標高26メートルぐらいですからかなりの高さだといえそうです。(画像はサクレクール寺院の階段下の広場からの眺めです2019年10月撮影)モンマルトルの丘の歴史は遥か古代ローマ帝国へと遡ります。3世紀の頃のパリです、その頃はまだこのあたりはガリアと呼ばれていました。そうです、ガイウス・ユリウス・カエサル(Bc100-Bc44)が書いた「ガリア戦記」で有名ですね。モンマルトルの丘の名前の始まりは3世紀のことです。古代ローマ時代なんですよ。ディオニュシオスという司教がおそら...モンマルトルは坂が魅力的

  • モンマルトルの散歩始めます。

    少しお休みをいただきましたが再開します。はじめの一歩は散歩から。今回はモンマルトルを散歩します、スタートは地下鉄アベス駅からです。アベス駅からYvonneleTac通りそしてTardieu通りと歩いて行くとケーブルカーの駅があります。フランスではケーブルカーはフニクラといいます、そういえば「フニクリフニクラ」という歌がありましたね、私の頃には(1960年代)音楽の教科書にも載っていましたからご存じのかたもおられると思います。それではその歌を歌いながら乗ってみましょう♪登山電車ができたから行こうよ行こうよ、しまった、これイタリアの歌でした。健脚の方はケーブルカーのわきに階段があるのでこの階段を登ってください。このケーブルカーはパリのRATPが運営しているので、ナヴィゴやモビリスで乗ることができますよ。ほんの数分で...モンマルトルの散歩始めます。

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