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2018/07/21

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  • 言い訳尽くし(中)

    拙僧が「わてもおもろないわい」と返信した後自治会グループLINE荒れて、拙僧への総攻撃始まる。 それを締めくくるように、Mがクソ長い文章を。「異なる文化を持つ…

  • 言い訳尽くし(上)

    話は前後するが、10月末の予定やった自治会、急に9月上旬開催と案内入った時のこと。はあ?拙僧の攻撃に音ぇ上げて、あほの会長Cはよう最後の会議終えて解放されたい…

  • 2023小ネタかき集める⑲

    年がら年中こういう気温なんで、そこら中に虫湧いての。米長い間置いとくと、コクゾウムシとやらだんだん増えてくる。はなから虫一杯湧いてた15キロの米袋、底の最後の…

  • あっと驚く警察署

    ある夜団地内歩いてる時、我が家の前辺りで赤やオレンジの警光灯見えた。近づいていくと、バイク数台に私設の救急車両まで停まり、ものものしいやん。ここで事故でもあっ…

  • 2023コツコツ剪定日記⑨

    隣家との柵の真下から伸びてきよったパパイヤ、二度叩き伐ってもその都度拙僧を嘲笑うかのように力強く成長し、今や手に負えんほどに。 枝が隣家に入るうえに、下から鉄…

  • まだまだ気になる日本語80

    ニュースやらSNSやら見てるとなんぼでも出てくる重複語。是非必見本人が自称無理やり暴行とても劣悪すごい快挙世紀の大一番日本に来日マックスにフル回転本当の真実一…

  • 車寄せ段差修理④(完) 団地の闇シリーズ9

    突如開催となった2週間後の自治会。当日会議は30分と宣言するあほ会長C。しかも議題は総会の件ばっか。隣宅の件から逃れようとしてるのは明白。 会議前に総会をひと…

  • 車寄せ段差修理③ 団地の闇シリーズ9

    会議後隣宅にもう一回聞いたら、管理会社から電話あったんは5月、1軒直したら他からも直せと言われるからで、アスファルト云々とはひと言も言わんかったとのこと。 こ…

  • 車寄せ段差修理② 団地の闇シリーズ9

    整理すると、2月隣宅段差直せと文句たれる4月自治会で直すと決定6月自治会で直せへんと変更(拙僧不在)8月6月の議事録に本件未記載8月会議当日拙僧、「4月の決定…

  • 車寄せ段差修理① 団地の闇シリーズ9

    昨日の記事に書いた隣宅の門前、車寄せに段差できてるていう件は何か月か前書いた。写真では分かりにくいけど、まん中黒い線が段差で、「このせいでタイヤ削れるやないか…

  • 毎度大荒れ自治会(下)

    会議の最後、拙僧「隣宅の門前、車寄せの段差修理してほしいていうてた件4月には修理するて結論出したのに、6月には修理せえへんて翻したけどどういうこっちゃ」 どう…

  • 毎度大荒れ自治会(上)

    団地入口にある噴水の周りの手すりと、一般道からの入口に示してる団地名の塗装を塗り直したいと会長C突然言いだした。会議の数日前に。そんなもん外部の業者ではのうて…

  • ラオスで見つけた鉛筆追って㉕ 感動の最終回

    Wikipediaに半之助は当時の鉄道院総裁後藤新平に取り入って国鉄職員の制服を請け負った(のではないか)と書かれてる。後藤新平は岩手生まれやが、須賀川医学校…

  • ラオスで見つけた鉛筆追って㉔

    長々書いたけど、前回までが21年後半から22年前半にかけて得た内容のごく一部。実際は銀座の歴史や、歩兵第85聯隊の足跡とその背景知るために戦史に目ぇ通し、半之…

  • ラオスで見つけた鉛筆追って㉓

    ヴィエンチャンに入った部隊は歩兵第85聯隊のみで会津若松、つまり福島の部隊。澤田半之助の故郷は福島の須賀川。これは偶然とは思えぬ。澤田洋服店で働いてた澤田か小…

  • ラオスで見つけた鉛筆追って㉒

    さて、あの鉛筆をラオスの首都ヴィエンチャンに持ち込んだんは軍人ちゃうかいなと推理した拙僧、そこで戦史ひもとく。 インドシナ三国に日本軍が進駐開始すんのは194…

  • オヤG氏疑惑のカムバック⑦ 感涙の完結編

    控えめな尼僧やと感心してたら、布施ドリンクの要求増えて図に乗ってきたP嬢。少々酔うてる分差し引くとしても、なんたらテキーラ飲みたいと言いだし、これがあとで伝票…

  • オヤG氏疑惑のカムバック⑥

    23歳の尼僧、変てこな名前でよう聞こえへん。Pなんとかて言うたような。しばらくして四目並べ挑んできた。軽くひねられるオヤG氏。拙僧もあんまり経験はないが、1勝…

  • オヤG氏疑惑のカムバック⑤

    バービア街結構やかましいわ。一周するもんの、尼僧どもえらい顔ぶれや。どこにも行き場のない、工場での地道な作業にも耐えられへん連中か。 一番奥の中庭に面したとこ…

  • オヤG氏疑惑のカムバック④

    アラブ人街活気出てきてまんな。コロナ規制中はゴーストタウンやった。ただ大きなレストランなくなってたりと大分様変わりしてる。 ふ~、大分疲れてきた。たいして歩い…

  • オヤG氏疑惑のカムバック③

    フジスーパー様にメロンパン1個しかなく、不本意のため向かいのエンポリアムに転進、銀行で軽く1億バーツ下ろしてヤマザキへ。はあ? メロンパンないがな。まあ1個あ…

  • オヤG氏疑惑のカムバック②

    仕方なくタクシーに乗ってバス停まで。わざわざ遠回りするバスで一つ用事済ます。どんな用事かは言えぬ。 そっからまたバスに乗って都心目指すが、どえりゃあ混んでるや…

  • オヤG氏疑惑のカムバック①

    6月末やったか、8月末もしかしてそっちに行くかもとオヤG氏から聞く。はああ? 5月頭に来たばっかりやん。なぜにと尋問すると、「飛行機代安いから」 ま、その気持…

  • ラオスで見つけた鉛筆追って㉑

    遂に澤田洋服店の写真見つけた拙僧。但し、まだよう見えまへんわな。拡大すると、上の写真の中央レンガ壁がコロンバン。参考までに1872年に銀座大火起こり、その対策…

  • ラオスで見つけた鉛筆追って⑳

    コロンバン右隣の2階に「東京茶房」、1階は靴屋と洋品店。その向こう2階部分に「大西錦綾堂」の看板鮮明に見える。澤田洋服店は洋品店と大西錦綾堂の間やけど、全然見…

  • ラオスで見つけた鉛筆追って⑲

    ここで拙僧は澤田洋服店写ってる写真ないかとあっちゃこっちゃ探す。銀座のメインストリートに店はあるとは言え、簡単に見つかるかいな。戦前銀座の町並み撮った写真集め…

  • ラオスで見つけた鉛筆追って⑱

    澤田洋服店は昭和20年5月の空襲で被災し、恐らく廃業した。よって鉛筆は昭和20年以前にラオスに持ち込まれたんやろな。戦後わざわざもうない洋服店の鉛筆を誰かが持…

  • ラオスで見つけた鉛筆追って⑰

    昭和20年5月の空襲で澤田洋服店は被災したことまで分かった。では戦後再建したのか。 拙僧いろんな資料漁って「あの日の銀座」ていう本に昭和25年の地図あると知っ…

  • ラオスで見つけた鉛筆追って⑯

    澤田洋服店は1936年火事で、さらに9年後戦争でもう一遍全焼とは気の毒でんなあ。ここで1902年(明治35年)の地図に戻って寄り道。下の大通り沿い左から3軒目…

  • ラオスで見つけた鉛筆追って⑮

    澤田半之助から店継いだ小村佐吉はどういう素性の人間か。検索したら二つ引っかかった。昭和3年(1928年)3月発行の「主婦之友」に「流行のフランス型十三四歳女児…

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