髪を切るのってなんでこんなに大変なんだろう。 私は、口には出さず頭の中でこっそりとそう呟いた。 長さや色の指定をして、その後雑誌でまたイメージの確認をして、途中でまた長さの確認をされて…。 「これで良いですか?」なんて聞かれても何が良いかなんて分からないし、逆にどうですかと聞き返したくなる。 ハサミの音が止まり、両手で頭を少しだけ左に傾けられた。 「結構軽くなったと思いますよ。どうですか?」 「あ…はい、軽くていい感じだと思います。」 これは軽いのか、そして良い感じなのか自分の言葉に一切の自信が持てない。 でもなんとなく、この人はこの言葉が欲しいのかなと思った。 私の返事はこの人にとって、業務…
東京には『新宿の母』と呼ばれる占いの権化がいるように、こんな田舎にもその土地の母を名乗る占い師がいる。 一ヶ月ほど前、友人のミナミと酒を飲みながらそんな都市伝説で盛り上がっていた。 まだ意識がはっきりしているうちに確かめてみようと、その場でお互いにスマホで調べることにした。 しかしいざ調べてみると、存在をほのめかすような情報は出ているものの、肝心の住所や連絡先が載っていない。 分かったのはアパートの一室でやっているということと、その他の情報は何も開示していないということだけだった。 「占ってもらった」という情報はあるが、それ以上の話がなく、蜃気楼を追っているようだった。 これでは埒が明かない。…
ふとカレンダーの月を数えてみると、いつの間にか実家に戻って1年半が経っていた。 10年ぶりに実家に住み始めたのだから最初こそ戸惑いはあったものの、今ではほとんどのことに居心地の良さを感じている。 しかし、いや、だからと言うべきだろうか。 ほとんど居心地がいい。だからこそ『ほとんど』から漏れた部分が際立ってしまう。 夕方、買い物袋をぶら下げた父が帰ってきた。 「はい、おはぎ買ってきたぞ。ここに置いとくからな。」 「あ、うん…。ありがとう。」 父の方には目を向けず、携帯の画面に向かって言葉をこぼす。 台所のテーブルからガサガサと音がして、袋が置かれたのだと分かった。 動こうとしない私の代わりに、母…
今週のお題「チョコレート」 ────────────────── 「3、2、1、、、しゅーりょー。」 時計の針がちょうど0時を指す瞬間に合わせて、マガルは一人呟いた。 2月14日が終わり、15日がやってきた。 朝になれば仕事なのだから、早く寝なければいけない。 頭ではそう理解しているものの、一種の使命感に駆られてコートを着込み外へ飛び出す。 もともと人気(ひとけ)のない町だが、ほとんどの家の明かりが消えている分より一層寂しさが漂っている。 時折通る車が一瞬だけ静寂を壊して去っていく。 10分ほど歩くと、コンビニに着いた。 寝静まった町など意にも介さず強く光り続け、月明かりをかき消して激しく自己…
「マガル君、ちょっとばあちゃんの話聞いてよ。」 「ん、どうしたの?」 「今日ね昼間に病院行ってきたの。そしたら、ほら、あの畑の向かいに住んでる人なんて言ったっけ。」 「河合さんのこと?」 「あぁそうそう!その花井さんがね。」 「ばあちゃん、河合さんだよ!花井さんは川の向こうに住んでる人でしょ。」 「あ、河合さんって言ったの?その河合さんがね、病院でずーっとカバンの中漁ってたの。で、どうしたの?って聞いたら、マスクを持ってきたはずが無くしちゃったみたいなの。」 「この時期に病院でマスクないのは、いくら田舎でも怖いよね。」 「でしょ?だからばあちゃん、カバンの中に使ってないマスクあったから花井さん…
「だから何で俺がこんな面倒な思いをしなきゃいけないんだよ。自分の生き方くらい自分で選びたいわ。」 マガルはビールを呷(あお)りながら心の膿を少しだけ吐き出した。 既に何杯飲んだか分からない程酔いが回っているが、それでも膿を出し切るにはまだまだ酒が足りない気がした。 「そう思うならまず、マガルが自分の気持ちをしっかり伝えなきゃダメだよ。言いたいこと言わないと一生損し続けるよ。」 ハヤシが感情的に答えると、マガルはそれをさらに上回る熱量で反論した。 「ハヤシ、それは違うよ。自分の考えを伝えるってことは、相手の考えを否定するってことじゃん。俺は自分を理解してもらえないっていうストレスよりも、相手に嫌…
嫌な気分の時は世の中の全てが嫌に見えるし、無意識に"嫌なこと"を探して落ち込もうとしてしまう。 良くないことだと分かりつつも、今日はそんな日。 せめて少しでも嫌な気分を発散させたくて、ここに吐き出す。
午前5時。祝日ということもあって町はまだ眠っているが、そんな中一軒だけ、明かりが灯っている。 家の中を覗くと男が一人、台所に立っている。 この男、名をカドヲマガルという。 なにやら熱心に携帯を見ていたかと思うと、やがて「よし」と小さくつぶやいた。 『そば粉』と書かれた袋を破り、赤い器の中に中身を広げていく。 ここで急に勢いが止まり、器に中身を出し終えると、携帯と器を交互に見比べる。 そして盛られた粉を少し触ったかと思うとまた携帯を見つめる。 マガルは何度も携帯と手元を見比べながら、慎重に手を進めていく。 やがて、10分の動画を1時間かけて見終えたころ、マガルの手元には”それらしいもの”が並んで…
まだ日が昇る前だというのに地面が、空が、町を明るくしている。 いつもならもう少し暗い気分のはずなのに、景色の白さに引っ張られたからか今日は気分がいい。 町が白で塗りつぶされるというよりも、白いキャンバスに少しだけ町が描かれているような、知らない場所に来たような感覚だ。 誰かがつけた轍に沿ってハンドルを切ると、車が雪溜を避けて進んでいく。 前にここを通った人はどういう人なんだろう。 交差点に差し掛かると、車は行儀よく車線を守って右へ曲がっていく。 知らない誰かを追う道はなんだかとても心が落ち着く。 無心で車を進めていると段々と轍が増えて、そのうちにパタリと途絶えて大通りに辿り着いた。 ここまで来…
もう納期は何日も前なのに、K社が一向に成果物を送ってこない。 ふとした瞬間にそのことを思い出し、沸々と苛立ちが込み上げてきた。 先週電話した時には「月曜日には送ります」と言っていた。 それなのに、壁に掛けられた時計は本日2回目の4時を示している。 今日も送らない気か。 怒りが熱を持っているうちに携帯を手に取り、勢いに身を任せて電話をかける。 プルルル、プルルル、プル「…はい、もしもし」 あ、でた。 「お世話になってます、カドヲですけどお時間よろしいですか?」 本音を言えば悪態の一つでもついて、一体いつになったら資料を送るのかと問い詰めたい。 でもいざ対面すると、といっても電話越しだけど、怒りが…
そばが食べたい、というよりもそばを作りたい。 多分感覚的にはこっちの方が正しいと思う。 そう思うと今すぐにでも作りたくなってきた。 パソコンを立ち上げて蕎麦打ちの道具を調べると、変な形の包丁やお盆みたいな器、長い棒などいろいろなものが必要だと分かった。 全て揃えようとすると初心者セットでも2万円程するようだ。 もしかしたら、と思い台所を漁ってみるが、やはり家には代用できそうなものがなかった。 その代わりに、無くなったと思っていた爪楊枝を棚の奥から発見することができた。 爪楊枝の束を隣に座らせて、再びパソコンと向き合う。 【そば打ちセット 買える場所】 検索欄に打ち込んでみるが、結果はどれもオン…
冷たい風に身をすくめながら立っていると、勢いよく扉が開き和服の女性が出てきた。 「すみません、このドア手動なんですよ。」 なるほど、高いお店はどこも自動ドアだと思っていたが、どうもそうではないらしい。 一向に開く気配のなかったドアに「もしかして入る資格がないのか」と心が折れそうになっている時だった。 出鼻をくじかれた恥ずかしさはあったが、マスクがうまくそれを隠してくれたおかげで無事に物怖じせずに入店する。 女性に促されて店内に入ると、瞬間的に美味しいお店だと思った。 出汁の匂いが全身を包み込み、温かくもてなしている。 暖色系の照明と弦楽器のBGM、竹を張り合わせたような壁、そのどれもが綺麗に混…
ようやく仕事がひと段落してソファに座ると、途端に体から疲れが湧き出てきて、それが一気に重力を得て体にのしかかってきた。 僕が思っている以上に僕の体は疲れているらしい。 トイレに行きたい気もするけど、カーペットが足を放そうとしないので歩くことができない。 かろうじて腕は動かすことができて、仕方がないから拳を局部に押し付けて尿意を紛らわすことにした。 もう片方の手でリモコンを取り、テレビの電源をつける。 特に見たい番組もないからザッピングしていると、芸能人が占い師らしき人のお告げを聞くという企画が放送されていた。 「あなたはね、自分の中に『ここだけは譲れない』という芯のようなものがある。そしてそこ…
就業時間を超えても尚仕事を続けるマガルに、荷物を抱えた男が声をかけている。 「マガルさんまだやっていくんですか?お疲れ様です。」 マガルは自分が話しかけられるとは思っていなかったため、一瞬反応が遅れてしまう。 「あ、ありがとうございます。もう少しだけやっていきます。」 何か面白かったわけではないが、つまらない会話だからこそ少しでも雰囲気を明るくするために笑いながら答える。 男もそれに笑顔を返し、では、と言いながら荷物を持ち直す。 部屋を出ていく男を視界の隅で捉えながら、マガルはうまく会話ができなかったという後悔と、突然話しかけられた驚きと、気にしてもらえたという喜びと、いくつかの小さな感情が胸…
家に帰り胸を開くと、体の中から一つずつ異物を取り出していく。 昼頃に仕事が捗らずイライラしている自覚はあって、体から出した手を見ると、やっぱり『怒り』と書かれた容器は8割ほどにまで満たされていた。 その代わりに、朝新品に入れ替えた『喜び』はすでに少し黒ずんでいた。 マガルが『怒り』の蓋を開け洗面所に流すと、排水溝の奥から凝縮されたカビのような臭いが上がってきた。 「うぅ、臭い…。」 眉間にしわを寄せながらつぶやき、『喜び』が入った容器の蓋を緩める。 半分ほど蓋が開いたところで、ふと思い立ってマガルは手を止めた。 「これくらいの濁りなら明日も使えるか、どうせ今日と同じような日だろうし。」 誰に語…
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