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2018/06/06

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  • しんのすけの母みさえに抱くシンパシー。

    「問題のある、手のかかる子供」だかと言って、常に叱っていいわけでは決してない。 ないが、10ある内の1回や2回の失敗に対しての注意より、10ある内の10回や9回の失敗に対しての注意のほうが、より過激と言うか厳しくなってしまうのは致し方ないのでは、と自分に都合よく解釈してしまいたくなる自分が正直いる。

  • 一度の「やめて」でやめない人はごまんといる。

    世の中には人を選んで「やめて」や「お願い」を聞き入れない人はごまんといる。その事実だけは、どうしても伝えたい。

  • 「居心地の良い家」の不健全な都合の良さ。

    そもそも、「家の居心地をよくするため」に夫に意見を言えなかったり、不快に思った出来事や気持ちを夫に素直に伝えられないのであれば、その居心地の良さは間違った居心地の良さであって、ものすごく不健全だと私は思う。

  • ホウキを持ってする散歩。

    どこまで子供の意見を尊重し、どこまで親の意見を押し通すのか。 子供意見を100%聞き入れるのは不可能だ。 TPOもあるし、経済的な問題もある、物理的な問題(サイズが展開していない、店頭に在庫がない等)もある。 子供の意見と大人の意見の線引きは本当に難しいなとつくづく思う。

  • 「人を頼りにしない」と「自分で抱え込まない」の違い。

    一見、「人を頼りにしない」とのアドバイスと「自分で抱え込まない」とのアドバイスは、同じ方向性のアドバイスには見えない。 見えないが、後者の「自分で抱え込まない」を、「そのためには適宜人を頼る」と理解せず、「ものの数を減らす、工程を減らす、簡略化する」と理解すると、この二つのアドバイスは相反することなく同居できる。

  • きれいに片付いている状態は、気持ちいいし、正しい。

    きっと世の中には、実行には移さなくとも、家族の私物を勝手に「捨てたいなぁ」と思っている人が、もっとたくさんいるのではないだろうか、と私は想像している。 皆、行動しないだけで。

  • 「イライラしないなら、いいよ」と言われて。

    今、仕事が閑散期だ。繁忙期にはたくさんシフトを入れ、延長もできた。だが、今はそれができない。単純に収入が減るため、一応と夫にこんな質問をしてみた。 「ねぇ、今仕事が減ってるんだけれども。もっと働いてほしい??」 すると、タイトルのセリフが返ってきた。 「イライラしないなら、いいよ」 質問の答えとして、噛み合ってはいないが、夫の言い分はよく分かった。 分かったが、それでは、随分と夫にとって都合がよすぎやしないかと思った私だ。 以前にも触れたが、私が働くのは「お金」のためだ。大げさに言えば、生活のためだ。 であるにもかかわらず、夫が「仕事をしていいよ」とか「してほしくない」と口に出すのは、何か違う…

  • 人にものを頼むのは簡単ではない。

    もしかしたら、長女と同じように、夫にも接すればよいのかもしれないけれども。私は、夫に対し、長女に対するそれと同じ口調で叱る自信が全くない。夫には「家事・育児も自分の仕事だ」との当事者意識が薄いように私にはどうしても思えてしまうからだ。そんな夫に対して、「頼む」「教える」のハードルは極めて高い。

  • 子供がラップや袋の上から食品をツンツンしたら。

    今のご時世、余計私が神経質になっているだけなのかもしれないけれども。子供の言動にいちいち反応してしまうのは、それだけきちんと「母親」をやっているからだ、と思いたい。

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