私は体験や想いを言葉に文字にする事で自分と向き合い何とか生き繋いできた。歌詞もそう、ブログもそう、壊されたら奪われたら生きてゆけないし個人的意見を押しつけられたり指図されたならそれは「死ね」と言われているのと同じ事。だからまた私はきっとこうして書きながら
シンガーでも陶芸作家でもあり。もと自傷癖者で摂食障害者でもあり。偏在な私の日々を綴ります。
愛知県出身・その後和歌山県へ移住。 現在大阪府在住。 6月生まれО型。 時には創作陶芸作家 時にはシンガー そして時には・・? インナーチャイルドと共に乗り越えた もと自傷癖者で在り もと摂食障害者です。 Instagram https://www.instagram.com/megmind_happy_moon/ Twitter https://twitter.com/iemachinotsuki お繋がり下さいね♪
私は体験や想いを言葉に文字にする事で自分と向き合い何とか生き繋いできた。歌詞もそう、ブログもそう、壊されたら奪われたら生きてゆけないし個人的意見を押しつけられたり指図されたならそれは「死ね」と言われているのと同じ事。だからまた私はきっとこうして書きながら
3月9日午後5時46分、父とこの世でのお別れをした事はこちらの記事でお話しています。臨終を告げられた後看護師さんに父の身体を整えて貰う間に予定していたお葬儀屋さんに電話をしましたがお葬儀の内容やお話の仕方など対応に納得が出来ず…。亡骸の居場所に焦る中、父
2024年3月9日午後5時46分父の魂が父の身体から解放されました。誤嚥性肺炎で救急搬送されてちょうど1ヶ月。少し回復しては悪化する事を繰り返し施設に戻れないまま病室で最期を迎えました。数日前からお香も焚いていないのに隣に居る人には感じないのに私だけお線
3月1日に入院中の父が急変した事、会いに行った事などは以下の記事でもお話をしています。延命処置やお葬儀屋さんについても確認がありとても危ない状態が続いていましたが山場を乗り切ったかなと言っていただいたのは昨日の事でした。父の残りの時間がたとえあと少しの
3月1日、入院中の父が急変し病院へ駆け付けた事は前回のこちらの記事でお話しさせていただいています。いつどうなるかわからないいつお迎えが来てもおかしくない状態でまだ意識のある内に父に会えた事に感謝しました。その後父はまだ残り火を燃やすように何とか命を繋いで
3月が始まりました。父親が入院している事、延命処置についてのお話があった事など、少し前のこちらの記事でもお話をしました。お薬が効いてきて肺炎の症状は治まってきたものの食事が出来ずこのままでは施設でも点滴が続く事になりそうでそうなると保険適用は2週間まで、
右眼の視野が無くなって5ヶ月が過ぎてしまいました。まずは半年が1つの区切りになります。回復の可能性がほぼ無くなる区切りに立たされます。きっと良くなるとかもう少しでも見えるようになりたいとかそういう希望を絶たれる時が来ると言う事。神経の病気は難しくて現在の
2月もあと少し。1ヶ月後の今頃は桜が咲き始めているのかも知れませんね。3月はまた通院が増えます。眼と脳神経の大きな検査もあるし身体に掛かる負担も増えます。今後の生活を考えて片眼の視野がほとんど無い状態でも眼鏡が作りたいのでその準備に注ぐ時間も増えます。今
先日は久し振りに保護猫ずっちゃんとギターさんにお会い出来た事をお話ししました。どうか少しでも右眼の視野が戻って欲しいと願う一方で諦めて慣れてゆくしか無いと言い聞かせる気持ちもいっぱい。少しでも出来る事を増やしてゆこうと注ぐ毎日です。こうしてブログを書く事
退院して4ヶ月。やっと地域猫の「ずっちゃん」が居るところまで(徒歩2分程ですが…)ひとりでも大きな不便無く歩けるようになりました。久し振りの推しとの時間です。あー。かわいい。プリンみたいなお鼻がたまらん。ギターさんが会いに来てくれました。9月に入院して以来
今年3回目の救急搬送をされた父が先日入院しました。病院から電話があり延命処置についてお話がありました。父が入院した事はこれまでに何度もありましたが延命処置についての確認をされたのは初めてでした。それだけいつ、何が起きてもおかしくないという事だと理解しました
右眼の視野を大きく失ってもうすぐ5ヶ月。夢の中なら見えてるのになー、私の右眼。夢の中の私は見る事に何の苦労もしてないのになー。夢から覚めた私は両眼が見えて居た頃の感覚をもう思い出す事も出来ないんだけど…頭の中のどこかではまだ覚えてるのかな。不思議だなー。
日々の出来事や思い出す事、気付いた事や考える事、感じてる事、私なりの体験や病気の事…色んな事をたとえ1つの記事に何日もを費やしても言葉に出来る内はきっとまだ何とか出来るのだろうと思う。辛いって書ける内はまだどこかの誰かが聞いてくれてるって思ってギリギリで
「ヘルプマーク」をご存知ですか?病院へ行くとこのマークを持っている方々を沢山見掛けます。外見ではわからない援助や配慮を必要としている人がそれを周囲の人たちに知らせる事で助けていただけるように作成されたマークです。私も持っています。市役所まで貰いに行きまし
一生懸命前を向いていても片眼での生活はとても苦痛でとても不安でものすごく過酷で疲れてしまう時があります。そんな時は心が壊れ切ってしまわぬように病気を悪化させてしまわぬようにこれ以上の無理をしない。自分の心と身体なんだもの、自分で気付いて自分で守らなきゃね
突然電池が切れてしまったような数日でした。私は決して片眼が見えなくなった現状を投げ出した訳では無いのだけれど…しんどいなーって泣いてばかりの数日でした。いつも応援下さり夏には会いに来て下さった方から沢山の贈り物が届きました。箱の中ぎっしりと入浴剤やお味噌
明日からは2月。片眼が見えなくなって4ヶ月と少し。訓練みたい毎日はとても孤独で病気の悪化が怖くてたまらなくてどんなに強がってみても不安は消えません。じっと耐えながら逃げていないだけです。逃げる事は消える事だと思うから逃げ道をびっちり塞いで現実を受け止めよ
色々な配信の手段があります。もっと活動の幅を広げてゆきたい気持ちはすごくあります。でも近年の私はこのブログと共にX(旧Twitter)でブログの更新をお知らせするだけでいっぱいいっぱい。InstagramもYouTubeも何年も放置したままです。今年は1つでも新たな場所を増やそ
毎日自分に言い聞かせています。”今日の自分を 楽しくするのは自分だぞ”って。年明けの記事この中でも書いたけれどそう言い聞かせて負けないように踏ん張っています。でもね、どうしても落ち込んでしまう日も心がぐちゃぐちゃになってしまう日もあります。昨年の秋緊急入
みなさまは視力検査をされた事はありますか?学校や病院、眼鏡屋さんなど検査環境によって違いはありますがアルファベットの「C」みたいなマーク(ランドルト環)が並んだ検査表をご存知の方が多いのではないでしょうか。昨年の秋見えなくなってしまった私の右眼の視野につい
この右眼が見えなくなったのは4ヶ月前の今日9月22日金曜日でした。その日に急いで受診した眼科では大丈夫だろうと言われ週末で更に悪化し週明けに違う眼科を受診したところ、眼では無く脳か神経の病気だと見抜いたドクターが専門の病院に繋いでくださり緊急入院となりま
右の眼でもう一度大好きな人の顔を見てみたかった。病気になってごめんねってずっと思っています。前々回の記事「えらいね、よしよし。」の中で少し書いていますがセカンドオピニオンについて悩んで居ました。精神的不安を煽る個人の想像や非科学的な忠告ではなくて正しい医
いつも思うんですけどね。例えば今私が日々どれほどの不安を抱えて苦しんでいるのか本当のところは誰にもわからないんだと思います。私の身体が心が日々どれだけの痛みに耐えているかなんて誰にも手に取るようにはわからないんだと思います。それは当たり前の事。例えば私の
右眼の視野のほとんどがなくなってもうすぐ4ヶ月。何度も書いていますがこの病気の発症率は10万人に1.6人。珍しい病気なのでなかなか理解されずよく網膜剥離などの目の病気ですか?と聞かれますが基本的には神経が炎症を起こす病気で脳神経内科を受診をしています。治
2024年が始まって早々先月(昨年)のお話なんですが…。双子座流星群が見れた日があったのを覚えていますか?私ね、ベランダで夜空を見上げたんですよね。大阪の空は明るくて日頃から星なんてほとんど見えないのにね。見付けたんですよ。ひとつ。流れ星。私、片眼しか見
2024年が始まりました。病室ではなくお家で新年を迎えられた事を心からありがたく思います。お迎えして約半年になるベタの紅玉(べにたま)さんは水草に潜り込むのがお好きなようです。相変わらず時々自分の尾びれをかじってしまいますがそれでこの子が幸せならま、いい
退院して2ヶ月半、2023年が終わろうとしています。病室では無くお家で穏やかに過ごせる事がものすごくうれしいです。色々ありすぎた1年でしたが良い年末です。今年、まさか自分が発症率は10万人に1.6人と言われる視神経の病気になるなんて思ってもみませんでした。右
右眼の視野を失って3ヶ月が過ぎました。始めの頃は眼痛に関しては痛み止めで押さえられましたが最近は毎日頭を抱えて丸まって唸りながら横になるそんな時間が何度もあって。何かをしていれば気が紛れて忘れられるようなレベルの痛みでは無いのでかなり堪えます。目眩やふら
病院のクリスマスツリーはとっても豪華です。入院してからずっと自分だけ時間が止まってるみたいに感じる事があって。こうしてツリーを見れたりすると12月なんだなって思ったりします。現在通院をしながら自宅療養していますが体調は一進一退。病気の進行が何よりも怖いです
急に冷え込みが増しました。私はすごく冷え性で手も足も痛くて唸る位冷え切ってしまいます。乾燥に喉も鼻も負けてしまうし今は眼にも乾燥は敵なのでエアコン暖房は入れません。2つも3つもカイロを貼って重ね着をしてコタツと電気ストーブと膝には電気毛布も掛けて加湿器をし
右の眼が見えなくなって入院をして以来、10万人に1人か2人と言われる自分のこの病気について沢山調べたし毎日この眼が治るのか怖くてたまらないし治るかよりも悪化しないかの方が考える程にもっと怖いし左眼まで見えなくなったらと思うとそれが一番怖くてたまらないし。毎日
最近はテレビで見る事も増えた万博の公式キャラクター「ミャクミャク」みなさまはご存じですか?私は始めは怖いと思っていたのですがよく見てみるとこの子の腕(?)の下のぷらぷらした出来物みたいなのが気になって。わー、ここ触りたーいってちょっと好きになってとっても
ギターさんがクリスマスのカードを送ってくれました。かわいいなー。あったかそうなクリスマスだー。そっかー…クリスマスも近いんだー。ギターさんにはいつもいつも励まされます。うれしいです。父が施設に入居してもうすぐ3年です。父を施設に入れるまでには本当に辛い大変
人生にはいろんな事がある。辛い事、苦しい事、悲しい事も沢山ある。今まで私は問題にぶち当たる度に”これまでには もっと辛い事があった”って思ってきた。もっともっと苦しい悲しい事も乗り越えてきたんだから今回もきっと頑張れるっていつも思ってきた。幼い頃から異常
カレンダーはついに12月のページ。右眼が見えなくなって入院して以来季節感がおかしくて時間だけがだーっと流れてく感じです。先日ね、大切な方の大切なイベントがありました。「行くね」って「楽しみにしてるね」って約束していたのに。行けませんでした。一人では電車にも
薬剤師の先生からとてもかわいい贈り物をいただきました。1年半程前からお世話になっている薬剤師さん。感動です。ものすごくうれしくて通院で辛かったその日がやさしいうれしい日になりました。お休みにお買い物に行かれた際私の為に始めはお守りを買おうと思って下さったん
11月もあと少し。今年は1月末から療養を始めて沢山の通院をして検査をしていくつもの病院をたらい回しにもされて秋にはついに右目が見えなくなって緊急入院して…。私の一年って何だったのかな…?私の2023年って何だったのかな…?長期療養も始めは「人生の春休み」なんて言
右の目が見えなくなって8週間を越えてしまいました。10万人に1人か2人のこの病気になぜ私がなってしまったんだろう・・・。この病気になっても視野が戻る人もいるそうです。ですが両眼が見えなくなる人もいるそうです。私の場合は今のところは片眼の視野が大きく欠損しているの
今週は通院が多くて検査も多い1週間。体力も気力も磨り減ってしまいます。不安です。毎日が不安だらけです。右目の視野は相変わらず・・・。右目だけでは歩く事も出来ません。左目が頼りなのに左目まで痛みが酷くなってゆきます。今のところ左目に視野の欠損はありませんが右目
右の目がほとんど見えなくなって7週間が過ぎました。少しでも視野が戻ってくれるようこれ以上この身体から何かを失うことがないようひたすら祈る日々です。来週はまた沢山の検査があります。通院も検査ももう辛い。入院も二度としたくない。しんどいです。あとどれだけ我慢を
右目が見えなくなって生活が一変してもうすぐ7週間です。見えている方の左目にも痛みが出ていてこれ以上悪化したらどう生きてゆけばいいのだろうと毎日考えてしまうし毎日大きな不安を感じて押し潰されそうです。夜眠る時明日の朝悪化していないよう祈って朝目が覚めたら直
退院後お薬を飲みながら経過を見ていましたが左目にも痛みが出て病院に連絡をしたら明日にでも来て下さいと言われ10月最後の日急遽通院してきました。今の私は誰かに付き添って貰っても電車にも乗れません。急な通院でも仕事を休んで車で連れて行ってくれた人に救われまし
先月の今頃はステロイドパルス治療で緊急入院をして病室で過ごしていました。その入院中も父の施設から電話がありました。入院中であっても父に対して責任をとれる人間は私しかいないので誰にも頼れません。片方の目が見えず痛みと目眩、治療の副作用で苦しみながらもメール
退院してもうすぐ2週間。右目の視野はまだ戻りません。緊急入院後私の場合はいくつかの進行性の難病の疑いが大きく沢山の検査をしました。幸い指定される難病ではなかったものの10万人に1〜2人の発症率のこの病気は周りに経験者もおらずネットを調べても実体験が書かれ
右目の視野が欠けた事を自覚したのは先月。9月22日。その後2日でほとんど見えなくなって緊急入院となり。先週から通院治療に切り替え自宅療養中。見えなくなって1ヶ月。生活は一変してしまいました。視力が回復する可能性もあるけれど元に戻る可能性は低い。再発の確率
右目の視界に異変を感じたのは4週間前の今日でした。直ぐに眼科に行きました。疲れ目かな?とか言われてその後2日で右目の視野がほとんどなくなって。緊急入院となりました。ものすごくキツイ入院でした。検査も点滴も過酷な入院でした。入院中に体重も38キロ台まで落ちま
9月27日に緊急入院から通院治療に切り替わり退院出来た事は前回の記事「まだ命がある。」でお話させていただきました。やっぱりお家はいいです。病院では思い切ってほとんどを個室で過ごしていたので大部屋で過ごすよりずっと楽だったのだろうけれどやっぱりお家は違う。
入院生活からお家に帰って来れました。9月27日の緊急入院以来のお家です。私の場合点滴治療を続けるしかなくて急性期医療を行う総合病院に点滴での入院を続ける訳にはゆかず飲み薬に切り替えて通院治療をしながら点滴治療の再入院やお薬の調整等視野に入れて経過観察をす
退院のお話が出始めました。とは言っても病気が治った訳ではありません。右目が見えるようになった訳でもありません。私の右目はまだほとんど見えていません。私の場合は手術をするとかではなく基本的に点滴を続けながら回復するかどうか経過を見てゆくしかなくて急性期医療
入院生活は12日目。9月27日に緊急入院した日はまだお昼間は暑い位だったのに病室で過ごしている間に季節がすっかり入れ替わってしまいました。背中にカイロを二つ貼って身体が冷えないようにしています。緊急入院時よりもほんの少しですが視野が回復した事は前回の記事
緊急入院から11日。9月22日に欠け始めた右目の視野はその後2日間でほとんどなくなり緊急入院後直ぐにステロイドパルス療法を受けたけれど効果がなくお薬を変えて1日3回毎回2~3時間かかる点滴を続けそれでも視野は回復せず。悲しい結果が続く検査の繰り返しも辛く
入院中お外には出られない。病室の窓は15センチ位だけ開ける事が出来てそこから外の空気を吸う。入院している間にすっかり秋を感じる気温。外に出られたら気持ち良いだろうな…。この空も右目には映らない。これまでも手術も入院もした事はある。でも緊急入院は初めての事
緊急入院をして7日目を迎えました。先週水曜日朝から9時間かけて検査をしてそのまま入院し検査を続けながら3日間ステロイドパルス療法を受けたものの副作用がきつく失われた視野も回復せず。その後3日間違うお薬の点滴をしながら経過観察をして7日目。点滴を続けながら
10月の始まりは雨降りでした。右の目が見えなくなって9時間の検査後緊急入院となって今日で5日。水曜日から3日間ステロイドパルス療法の1クール目を終えても右目には全く回復が見えません。副作用も含めて症状は酷くなっている。土曜日曜と違うお薬の点滴を試している
ステロイドを大量投与する為緊急入院になりました。右目の視野がほとんどなくなった今回の出来事について前回の記事「見えない事がたまらなく辛い。」の中でもお話しましたが25日に脳神経外科で紹介頂いて27日朝から総合病院で9時間かけて検査がありそのまま緊急入院と
ある日突然思っても居なかった事が起きてしまうのが人生。まさか自分が…とかこんな事になるなんて…とかそういうのが起きてしまうのが人生なんだ。身体の病気も心の病気も子供の頃から向き合ってきた。その都度痛いとか辛いとか怖いとか潰れそうな想いを抱えても治ったり、
あちこちで秋の気配。頑張って頑張ってずーっと無理して頑張り続けてくたくたになって「人生の春休み」なんて言いながら長期休暇が始まったのは1月の末でした。春には…遅くても秋には…仕事に戻りたい、そう願って持病のケアもコロナ後遺症の治療も我慢して頑張ってきまし
とっても素敵なアイコンを作って頂きました☆2年程前にばっちりメイクして写した写真を現在のヘアスタイルに変えて描いて頂きました。わーい!!です。ひゃー!!です。実物からかけ離れてかわいいーぞ。シミもシワもクマもなーい ♪〃こんなふうになりたーい。背景は透過
9月も後半。残暑の中にもふっと秋の音や匂いがしたりします。私はこの自分のブログに色々な事を書いています。前を向く為に行き場のない想いをここに置いておく事もあります。そうして読んで下さる方々にこの心を支えて頂く事も沢山あります。2020年父は家で独り痩せ細
このところものすごーく思い出して考えた事がありました。まだ20代の頃歌ってたバンドのドラマーさんがよく言っていました。「人は誰だって 大きな声について行きたくなる」って。例えば、山で遭難した時誰か一人が大きな声で「こっちだ!!」って言ったらそれが正しいか
ベタの紅玉が最近また大きくなりました。なんだかすっかり大人。お迎えした時は小っちゃかったのにね。1月末から始まった私の「人生の春休み」。もう秋なのにまだ春休み。なんじゃこりゃですね。沢山検査もしたし手術もしたし病院をたらい回しもされたし誤診もされた。時間
厳しい残暑の中でも夕刻が早まったり沈むお日様の位置が変わったり季節の歩みが感じられます。冬も春も夏までもが過ぎゆきてもまだ私は「人生の春休み」って事で心も身体も療養中。私に負担がかからないようにと助けてくれる人たちのおかげで会いたい人に会えたり出来る事が
9月に入りひとつだけ治療が終わりました。1月末から「人生の春休み」なんて言いながら長期療養しており、2月には右肩の手術を受けました。術後の傷の治りがとにかく遅くて(老化かしらん…?)抜糸後は傷口をテーピングで固定していたのですが再生し始めた皮膚がテープ交
こんなにも動けなくなったのはいつからなんだろう…子供の頃から身体の弱い子だったし小学生の頃から長い年月摂食障害だったし自傷行為も沢山してきたから自分で壊してしまった部分もあるし事故で損傷した部分も持病が悪化してる事もあるしコロナ後遺症にも苦しんでいて。育
痛みが酷くてどうしても酷くてものすごく酷くてリハビリの先生にラインしたり病院に電話したりして急な通院もしながらギリギリな感じで踏ん張って踏ん張って迎えた週明け。今週も半分は通院になりそうだー…。頑張るしかないな。これでもやる気はあるんだな。あらあら、こん
少し前を思えば気温も下がったのにね堪える暑さは続きます。ここしばらく神経障害の痛みがかなり酷くて色んな事にペースダウン。良い時があれば悪い時もあるし悪い時の後は良い時が来る。そんなもんだ。うん。まだやりたい事もあるからね。持続可能な私を目指すのです。お友
空を見るだけで暑そうだ-って思う。暑い暑い2023年の残暑。予定より通院が増えてしまった今週。神経障害の痛みががっつりと出てしまいました。痛い…笑とにかく痛い…うーん、トホホです。首の付け根から腰の仙骨にかけてかなりの痛みが続くんですよね。私の身体にはそ
我が家のベタの紅玉(べにたま)が初めてあわあわしました~。偉いなー成長してるなー。尾びれがちょっとガタガタです。多分ね食べてます…。先代ベタの伊勢治もそうでしたが自切しちゃう子がいるんですよね。どうやら紅玉もそうみたい。痛々しくて悲しくなるけど仕方ないこ
このブログは活動名を「月下陽香」から「月待陽」に変えた2018年から書き続けていて。今年の1月末頃以降更新した記事は全て「人生の春休み」と言うカテゴリーに振り分けられています。沢山の我慢と無理をして持病も悪化して心も折れて始まった私の長期療養、「人生の春
我が家のお盆休み最後の今日お外は台風です。紅玉(べにたま)はまた大きくなりました。ずーっとずーっと我慢して無理をして。持病の悪化とコロナの後遺症に苦しんで。心もボロボロになって思ってる事が上手く言葉に出せなくなって。始まった長期療養休暇は7ヶ月目。まだ身
ドラえもんは夢を叶えてくれるんだそうです。お土産にいただいたドラちゃん☆私の夢も叶うかな…視野に障害が残っていてとても目が疲れる私にたくさん届いためぐりズム。採れたてのお野菜は患者さまから。私はもうそこにお勤めしてないのにいつも私の分も届けて下さいます。
2023年1月末長期療養を決めた頃私はこのブログにもこの休暇は「人生の春休み」だなんて言っていたけれど‥半年が過ぎ世の中は「夏休み」。身体にはまだ沢山の問題が在ります。神経障害も視覚障害も目眩も治りはしないので上手く付き合ってゆくしかありませんがそれが出
暑い陽射し夏の空。ベタの紅玉は動き回るのでなかなか写真に写せません。胸びれは片方だけ先が白くてアシンメトリー、尾びれもガタガタだし、お顔は何だかひげおやじ。(ボケボケだけど伝わるかな…)上等な子じゃないけどかわいい。毎日私の指にジャンプしてきてものすごく
疑いたくなるような厳しい暑さに通院だけで体力が尽きてしまいそうです。新入りベタの紅玉(べにたま)は日々成長中。新しい水槽で水草に隠れる事も覚えて楽しそうです。これはひやっとした寝姿です。前回の記事でもお話しましたが前回の記事「頑張れば出来る事」毎日の中に
梅雨が明けて湿度から解放されると纏わりつくような息苦しさが和らぐように感じます。とは言え本格的な暑さはまだまだこれから。冷凍庫にはアイスをいっぱいストック。開ける度に「宝箱やー」って思います。あとはスイカがあればこの夏は生き延びれるはずだ…笑新入りベタの
ベタの伊勢治とお別れした先週。新しくお迎えしたちびっこベタの「紅玉(べにたま)」が元気いっぱい泳ぎ回る姿に寂しさを紛らわせて貰えて新たに育てる楽しみを与えて貰っています。お口から尾びれの先までまだ3センチあるかないかの紅玉はこれまでに一緒に暮らしてきたベ
世の中はもうすぐ夏休み。まだまだ暑くなるんだよねー。この半年間お仕事も行けず療養中の私にはとっても不安な暑さです…あー、水族館で涼んだりしたいなー。外出する為に必要な体調を作る為に沢山の準備が必要。通院だけでも奪われて貯蓄が追い付かないしょぼい体力。体調
今日少しだけセミの鳴き声を聞きました。梅雨明けが近いって事だね。それにしても暑い。神社のカメさんも暑そう…。しっぽちっちゃいなー。今週は通院が少ない週。大好きな方のお誕生日にランチをご一緒する事が出来ました。お誕生日位ごちそうしたかったのに…ごちそうにな
7月が来ると思い出すのはギターさんとセカンドアルバムの収録をした2011年の七夕の日。土砂降りの雨でねほんっと大変だったなぁ…今年の梅雨はもう少しで開けそうですね。平均して週3日、今週は4日通院に割かれてしまうと私の体力も気力も完全にマイナス。不足する程
今年の梅雨はなんだかしんどいね。じっとりと纏わりつく湿度に体力を奪われちゃう。でもその分もあずきバー最高。ガリガリ君も最高。そしてお昼間のビールも最高。軽音部の部室最高。私の「人生の春休み」はついに6ヶ月目に突入。この機会に行きたかった所に行こう、やりた
6月も後半。ここ数日は梅雨だという事を忘れてしまいそうなお天気でした。「人生の春休み」と位置付けた私の長期休暇はもう5ヶ月。毎日に痛みと目眩があって週に3日以上を通院に割かれる生活に私はとても疲弊していてせめて心に栄養が欲しくて晴れた日は出来るだけご近所
私のもとにお月さまがやって来てくれました。うれしい。なんてキレイなんだろう。これまでに私は身近な何人かの人たちをお見送りしてきました。その中のとっても大好きだったお二人の先輩の年齢を明日私は越えてしまいます。お一人は音楽活動の中で知り合った方でした。呼吸
なんだかかわいい。カメさんの足のぷらぷらさせてる感じがなんかかわいい。なんだか楽しそう。うふふ、楽しそうだ。辛い気持ちや不安な気持ちがいっぱいで誰かに聞いて欲しいって最近強く思ってしまう。例えば友達に話したならきっと聞いてくれるんだと思う。仕事の相談や愚
とりあえず立ち止まって顔を見上げて写してみたよ。そう言えば鉄塔ってかっこいーよね。シュッとしてるよね。(この前ね、 「シュッとしてる」って言ったら、 どういう意味?って聞かれましたよ)(そっか、共通語とちがうんやな…)三歩進んで二歩下がっても一歩は進んで
今週は5月と6月がバトンタッチする週。私の暮らす近畿地方はもう梅雨入り。私の「人生の春休み」は4ヶ月が経過。先週後半は痛みが酷くて動けなくて今週は又検査から始まって一体どうなるんだー?んもおおおーーーーー!!先週から「ずっちゃん」にも会えてない…ずっちゃ
5月のカレンダーもあとちょっとになっちゃった。春には桜のトンネルだったのにもうすっかり葉っぱのトンネル。1個だけさくらんぼが残ってる。鳥に見付からなかったかな。私はスケジュールをスマホじゃなくてノートで管理したいので毎年秋にスケジュール帳を買います。今使
陽射しがもう夏みたい…。晴れた日が好きなのに紫外線アレルギーな私。今年のお日様は目玉にも堪えます。昨年秋以降コロナ後遺症で日によっては視覚障害が酷くなる事も原因のひとつみたい。お日様がものすごく眩しく感じて目も頭も痛くなって駅の看板みたいな大きな文字でも
晴れた日の陽射しは紫外線アレルギーのある私にとってなかなか手強い季節になってきました。GWも終わり世の中が忙しく動いている中でこのところの私の毎日は病院の中で過ごす時間の長い事…。GWも日曜祝日以外は通院で連休明けも3日連続で検査。視神経や脳神経に近い珍しい
カレンダーは5月のページに突入〜。世の中はゴールデンウイーク。テレビのニュースからは観光地の情報がいっぱい。コロナコロナで自粛だらけだった3年が過ぎて賑わってきましたね。「人生の春休み」中の私は少しでもお時間を頂けるならば今の内に会いたい人に会いに行った
朝晩は冷え込むのにお昼間は汗ばむ暑さだったりなかなかしんどい寒暖差。でも真夏や真冬より私的には過ごしやすいかな…とか言いながら体調が恐ろしく悪いです…笑人はみんなそれぞれ弱い所があって歳をとれば身体の故障も増えてくる訳でそれでも上手にお付き合いしてる訳で
「人生の春休み」と位置付けた長期休暇ももうすぐ3ヶ月。お家で出来る範囲での作家業は続けて居ますが心身共に壊れるまでの無理と我慢はしないと決めた3ヶ月。週に半分程は通院があるので暇でもなければ楽でもありませんが休み始めた頃には大きかった休む事への罪悪感や焦
カレンダーは4月のページ。桜の木は薄紅色から新緑へとお色直しを開始。でも私はまだ「人生の春休み」中。ずっと我慢と無理しかしてこなかったボロボロになっちゃった身体と心をケアしながら少し頑張れば叶えられる事なら今の内にやっておきたいと思っていて。先月は沖縄に
自分なりに「人生の春休み」だと位置付けた長期休暇中の私。体調は少し良くなったかと思えば急に悪くなったり治まってきたと思っていたコロナ後遺症の目眩が再発したりと行ったり来たりしていますが”今はお休みなんだから 焦っちゃダメだよ” と毎日自分に言い聞かせて出
我が家には何匹かのメダカさん達とベタと言うお魚さんがいます。約20年間3匹の猫ちゃん達と過ごしましたが19年間生きてくれた最後の猫ちゃんを看取って以来新たに猫ちゃんをお迎えする事無くお魚達と暮らしています。猫ちゃんともう一度暮らしたい想いはありますがもう
今年の春はなんだか急ぎ足。いつもご近所猫の「ずっちゃん」と会う場所には目印のように木があって毎年春になると濃いピンク色の花を咲かせてくれるのですが今年はもう随分と開花が進んでいます。精神的にも肉体的にも限界を超え過ぎてしまって”このままじゃ本当に死んじゃ
3月に入りお昼間は暖かい日も増えてきました。お天気予報では桜の開花のニュースなんかもあって春になってくんだなーってとっても思います。「人生の春休み」中の私は前回の記事でもお話をしたご近所の猫のずっちゃんにちょくちょく会いに行っています。すりすりしてくれた
この子はご近所で暮らす地域猫ちゃん。前回の記事でもお話した「ずっちゃん」です。人生の春休み中の私は決してお暇ではなくて相変わらずちょっと忙し目な日々を過ごしておりますが春休み中なのでずっちゃんに出会うと立ち止まる余裕も会いに行く余裕も持ち合わせています。
ご近所のお決まりの場所でよく出会う猫ちゃん。私はこの子を「ずっちゃん」と呼んでいます。出会えた時は声を掛けたり手を振ったり時間がある時は撫でさせて貰ったりしていたのですが何度かよだれで顎がずるずるな時があって。その時から勝手に「ずるずるちゃん」って呼び始
人生の春休みとした長期休暇は5週目を迎えています。4週目だった先週は右肩の腫瘍を取り除く為の手術ではじまりました。右側の肩をまたがる様な感じで6㎝ほど切開し取り除いた腫瘍。大きな手術ではないので入院も2日間だけで10日後の抜糸までお家でケアしていました。
色んな事があって身体も心もクタクタになってボロボロになって初めて自分に与えた長期休暇。私の「人生の春休み」は4週目に突入。通院をメインに自分で選んだ小さな予定を細々と入れてゆくと私の性格上やっぱりなんだか地味に忙しくなって来たりして。忙しくなってくると1
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私は体験や想いを言葉に文字にする事で自分と向き合い何とか生き繋いできた。歌詞もそう、ブログもそう、壊されたら奪われたら生きてゆけないし個人的意見を押しつけられたり指図されたならそれは「死ね」と言われているのと同じ事。だからまた私はきっとこうして書きながら
3月9日午後5時46分、父とこの世でのお別れをした事はこちらの記事でお話しています。臨終を告げられた後看護師さんに父の身体を整えて貰う間に予定していたお葬儀屋さんに電話をしましたがお葬儀の内容やお話の仕方など対応に納得が出来ず…。亡骸の居場所に焦る中、父
2024年3月9日午後5時46分父の魂が父の身体から解放されました。誤嚥性肺炎で救急搬送されてちょうど1ヶ月。少し回復しては悪化する事を繰り返し施設に戻れないまま病室で最期を迎えました。数日前からお香も焚いていないのに隣に居る人には感じないのに私だけお線
3月1日に入院中の父が急変した事、会いに行った事などは以下の記事でもお話をしています。延命処置やお葬儀屋さんについても確認がありとても危ない状態が続いていましたが山場を乗り切ったかなと言っていただいたのは昨日の事でした。父の残りの時間がたとえあと少しの
3月1日、入院中の父が急変し病院へ駆け付けた事は前回のこちらの記事でお話しさせていただいています。いつどうなるかわからないいつお迎えが来てもおかしくない状態でまだ意識のある内に父に会えた事に感謝しました。その後父はまだ残り火を燃やすように何とか命を繋いで
3月が始まりました。父親が入院している事、延命処置についてのお話があった事など、少し前のこちらの記事でもお話をしました。お薬が効いてきて肺炎の症状は治まってきたものの食事が出来ずこのままでは施設でも点滴が続く事になりそうでそうなると保険適用は2週間まで、
右眼の視野が無くなって5ヶ月が過ぎてしまいました。まずは半年が1つの区切りになります。回復の可能性がほぼ無くなる区切りに立たされます。きっと良くなるとかもう少しでも見えるようになりたいとかそういう希望を絶たれる時が来ると言う事。神経の病気は難しくて現在の
2月もあと少し。1ヶ月後の今頃は桜が咲き始めているのかも知れませんね。3月はまた通院が増えます。眼と脳神経の大きな検査もあるし身体に掛かる負担も増えます。今後の生活を考えて片眼の視野がほとんど無い状態でも眼鏡が作りたいのでその準備に注ぐ時間も増えます。今
先日は久し振りに保護猫ずっちゃんとギターさんにお会い出来た事をお話ししました。どうか少しでも右眼の視野が戻って欲しいと願う一方で諦めて慣れてゆくしか無いと言い聞かせる気持ちもいっぱい。少しでも出来る事を増やしてゆこうと注ぐ毎日です。こうしてブログを書く事
退院して4ヶ月。やっと地域猫の「ずっちゃん」が居るところまで(徒歩2分程ですが…)ひとりでも大きな不便無く歩けるようになりました。久し振りの推しとの時間です。あー。かわいい。プリンみたいなお鼻がたまらん。ギターさんが会いに来てくれました。9月に入院して以来
今年3回目の救急搬送をされた父が先日入院しました。病院から電話があり延命処置についてお話がありました。父が入院した事はこれまでに何度もありましたが延命処置についての確認をされたのは初めてでした。それだけいつ、何が起きてもおかしくないという事だと理解しました
右眼の視野を大きく失ってもうすぐ5ヶ月。夢の中なら見えてるのになー、私の右眼。夢の中の私は見る事に何の苦労もしてないのになー。夢から覚めた私は両眼が見えて居た頃の感覚をもう思い出す事も出来ないんだけど…頭の中のどこかではまだ覚えてるのかな。不思議だなー。
日々の出来事や思い出す事、気付いた事や考える事、感じてる事、私なりの体験や病気の事…色んな事をたとえ1つの記事に何日もを費やしても言葉に出来る内はきっとまだ何とか出来るのだろうと思う。辛いって書ける内はまだどこかの誰かが聞いてくれてるって思ってギリギリで
「ヘルプマーク」をご存知ですか?病院へ行くとこのマークを持っている方々を沢山見掛けます。外見ではわからない援助や配慮を必要としている人がそれを周囲の人たちに知らせる事で助けていただけるように作成されたマークです。私も持っています。市役所まで貰いに行きまし
一生懸命前を向いていても片眼での生活はとても苦痛でとても不安でものすごく過酷で疲れてしまう時があります。そんな時は心が壊れ切ってしまわぬように病気を悪化させてしまわぬようにこれ以上の無理をしない。自分の心と身体なんだもの、自分で気付いて自分で守らなきゃね
突然電池が切れてしまったような数日でした。私は決して片眼が見えなくなった現状を投げ出した訳では無いのだけれど…しんどいなーって泣いてばかりの数日でした。いつも応援下さり夏には会いに来て下さった方から沢山の贈り物が届きました。箱の中ぎっしりと入浴剤やお味噌
明日からは2月。片眼が見えなくなって4ヶ月と少し。訓練みたい毎日はとても孤独で病気の悪化が怖くてたまらなくてどんなに強がってみても不安は消えません。じっと耐えながら逃げていないだけです。逃げる事は消える事だと思うから逃げ道をびっちり塞いで現実を受け止めよ
色々な配信の手段があります。もっと活動の幅を広げてゆきたい気持ちはすごくあります。でも近年の私はこのブログと共にX(旧Twitter)でブログの更新をお知らせするだけでいっぱいいっぱい。InstagramもYouTubeも何年も放置したままです。今年は1つでも新たな場所を増やそ
毎日自分に言い聞かせています。”今日の自分を 楽しくするのは自分だぞ”って。年明けの記事この中でも書いたけれどそう言い聞かせて負けないように踏ん張っています。でもね、どうしても落ち込んでしまう日も心がぐちゃぐちゃになってしまう日もあります。昨年の秋緊急入
みなさまは視力検査をされた事はありますか?学校や病院、眼鏡屋さんなど検査環境によって違いはありますがアルファベットの「C」みたいなマーク(ランドルト環)が並んだ検査表をご存知の方が多いのではないでしょうか。昨年の秋見えなくなってしまった私の右眼の視野につい
我が家には何匹かのメダカさん達とベタと言うお魚さんがいます。約20年間3匹の猫ちゃん達と過ごしましたが19年間生きてくれた最後の猫ちゃんを看取って以来新たに猫ちゃんをお迎えする事無くお魚達と暮らしています。猫ちゃんともう一度暮らしたい想いはありますがもう
今年の春はなんだか急ぎ足。いつもご近所猫の「ずっちゃん」と会う場所には目印のように木があって毎年春になると濃いピンク色の花を咲かせてくれるのですが今年はもう随分と開花が進んでいます。精神的にも肉体的にも限界を超え過ぎてしまって”このままじゃ本当に死んじゃ
3月に入りお昼間は暖かい日も増えてきました。お天気予報では桜の開花のニュースなんかもあって春になってくんだなーってとっても思います。「人生の春休み」中の私は前回の記事でもお話をしたご近所の猫のずっちゃんにちょくちょく会いに行っています。すりすりしてくれた
この子はご近所で暮らす地域猫ちゃん。前回の記事でもお話した「ずっちゃん」です。人生の春休み中の私は決してお暇ではなくて相変わらずちょっと忙し目な日々を過ごしておりますが春休み中なのでずっちゃんに出会うと立ち止まる余裕も会いに行く余裕も持ち合わせています。
ご近所のお決まりの場所でよく出会う猫ちゃん。私はこの子を「ずっちゃん」と呼んでいます。出会えた時は声を掛けたり手を振ったり時間がある時は撫でさせて貰ったりしていたのですが何度かよだれで顎がずるずるな時があって。その時から勝手に「ずるずるちゃん」って呼び始
人生の春休みとした長期休暇は5週目を迎えています。4週目だった先週は右肩の腫瘍を取り除く為の手術ではじまりました。右側の肩をまたがる様な感じで6㎝ほど切開し取り除いた腫瘍。大きな手術ではないので入院も2日間だけで10日後の抜糸までお家でケアしていました。
色んな事があって身体も心もクタクタになってボロボロになって初めて自分に与えた長期休暇。私の「人生の春休み」は4週目に突入。通院をメインに自分で選んだ小さな予定を細々と入れてゆくと私の性格上やっぱりなんだか地味に忙しくなって来たりして。忙しくなってくると1
カレンダーは2月のページ。私の「人生の春休み」は明日から4週目に突入です。身体にも心にもまだまだ回復が見られない事に焦る気持ちも小さくはなりません。悲しくなるし寂しくなるし苛立ちも感じるし時に怖い位の無気力も感じます。それだけ長い年月毎日毎日我慢して無理
初めてきちんと自分に与えてみると決めた長期休暇。「人生の春休み」だと掲げた休暇は3週目に突入しました。ベタの伊勢治さんを観察する時間が少し増えましたよ。前回の記事に書きましたがこの休暇はきっと私にとって良い「タイミング」だと毎日自分に言い聞かせています。
大好きな方に小さなお土産を送りました。今日あたり到着してるかなって思いながら帰宅するとその大好きな方からの贈り物が届いていました。一瞬あれれ?…って思う。で、焦る。もしかして私、送り先と自分の名前を間違えて書いちゃった?って。間違えて自分に送っちゃってな
真冬の寒さには弱いのでお家の中に入れたグリーン。身長150㎝ちょいの私の顎下位まで伸びています。水を与えると葉先からぽたぽたと零れ落ちる位みずみずしくてこの冬我が家は加湿器要らずです。父親を施設に入居させて2月で2年。誰も居なくなり実家を処分する際に沢山
カレンダーもスケジュールノートも2023年のページ。いつもより少し長めだった年末年始のお休みも終わり2023年をこれまで以上に歩幅を縮めて過ごして居ます。残念ながら昨年秋に感染したコロナの後遺症がまだ続いており仕事に行くのがやっとの状況はまだ改善されてい
2022年も終わり。一度もステージに立てませんでした。しんどかったなぁ…何よりも身体が辛かった。痛みがいっぱいの身体が本当に辛かった。行きたい所にも行けなくてやりたい事も出来なくてひたすら追い込まれてゆく心も本当に辛かった…。本当に。ものすごく辛かった。
私の暮らす大阪の夜空は星があまり見えません。ベランダからも駅のホームやマンションの外灯が明るくて星がほとんど見えません。少し前双子座流星群を見たくてベランダから夜空を眺めてみました。もし流れ星が見れたら掛けたい願いがあったのです。……♪みんな笑ってる遠く
2022年のカレンダーもあと少しでおしまい。病的な冷え性なのでものすごくものすごーく寒さが堪えます。食事をしていてもお箸を口元に運ぶ為に手を上げるだけで指先から冷え切って感覚がなくなる位の酷い冷え性なので冬はほんと堪えます。前回の記事にも書きましたが10
もう12月なんだね。寒さが急に深まりました。虚しさで胸が敷き詰められてしまいます。11月の下旬に療養期間を終えた後辛かった後遺症の咳は喘息のお薬で抑え込めていますが目眩と吐き気が続いています。もう1ヶ月以上になります。毎日目眩がして気持ち悪くなって吐き気
11月も後半。CMやスーパーもあちこちにクリスマスがいっぱい。我が家も限られたスペースにぎゅうぎゅうむぎゅっと詰め込んで少しだけクリスマス。体調がちーっとも良くならないままとっても悪いまんまそれでも我慢ガマンがまんでさぼらずに働いて耐えて耐えて生きてるけど
通勤路の街路樹も色付き始めています。もう11月も半ばですものね。先日は皆既月食を見る事が出来ました。おうちのベランダから欠けてゆくお月さまを見ながら願い事をひとつしました。月食だよって良く見えてるよって連絡下さった方が居られてそのメールがものすごくうれし
2022年のカレンダーのページはあと2枚。10月の最後まだ明るい夕方の空には細い細い白い月が覗いていました。私はハロウィーンは全く興味がなくて。でも大好きな先輩に頂いたハロウィーンのお菓子で今年はちょこっとお家にこもってハロウィン気分も頂きました。まだコ
飽きる景色はどこにもなくて。燦燦と陽の注ぐぽかぽかな日向に居たはずなのにいつの間にかそこは日陰になっていました。お日様、呆れてたかな?笑流れる雲と太陽の傾きが時の経過を知らせる追われない時間。川がゆらゆらとキラキラと揺れながら流れてく。オシャレな羽を纏っ