大阪の桜の季節は駆け足で過ぎ去り空に向かって小さな手を広げるように花水木が咲いています。昨年9月に右眼の視野が無くなった事はこのブログでも何度もお話をしています。もうすぐ7ヶ月になります。もし病気の症状が再発したら次は左眼の視野まで失ってしまいます。両眼
シンガーでも陶芸作家でもあり。もと自傷癖者で摂食障害者でもあり。偏在な私の日々を綴ります。
愛知県出身・その後和歌山県へ移住。 現在大阪府在住。 6月生まれО型。 時には創作陶芸作家 時にはシンガー そして時には・・? インナーチャイルドと共に乗り越えた もと自傷癖者で在り もと摂食障害者です。 Instagram https://www.instagram.com/megmind_happy_moon/ Twitter https://twitter.com/iemachinotsuki お繋がり下さいね♪
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INポイント | 10 | 10 | 10 | 40 | 10 | 20 | 20 | 120/週 |
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ここ暫くは3月9日に亡くなった父に対して吹き出す沢山の感情と向き合い記事を書く事が続いていました。2月に急変して以来の父に関する記事はカテゴリー「父の最期の記録」に集めました。読んでみようかなって思って下さる方はクリックしてご覧下さい。この春は私にとって
大阪の桜の季節は駆け足で過ぎ去り空に向かって小さな手を広げるように花水木が咲いています。昨年9月に右眼の視野が無くなった事はこのブログでも何度もお話をしています。もうすぐ7ヶ月になります。もし病気の症状が再発したら次は左眼の視野まで失ってしまいます。両眼
ここ暫くは3月9日に亡くなった父に対して吹き出す沢山の感情と向き合い記事を書く事が続いていました。2月に急変して以来の父に関する記事はカテゴリー「父の最期の記録」に集めました。読んでみようかなって思って下さる方はクリックしてご覧下さい。この春は私にとって
父が亡くなって初めての月命日を迎えた4月9日の日の想いはこちらの記事でもお話をしています。「先月の今日」と言う日から父の存在が消える、今年の4月9日は私にとっては特別な日でした。好きでは無かった父をやっと大好きになれたのに、もう父は居ません。月命日にポス
今日は父の初めての月命日です。亡くなって1ヶ月。"先月の今日"から生きた父の存在が消えようとしています。今日を過ぎればきっと少し前に進めると信じて今日がきっとひとつ目の小さな区切りになると信じて今日の記事を書きます。父とのお別れについてはこちらの記事でもお
先月の今日はまだ父が生きていたんだよね…そんな想いを繰り返しながらもうすぐ先月の今日から父が居なくなります。父を見送った出来事はこちらでお話をしています。懐かしい父との写真を添えて想いを綴った記事はこちら前回の記事はこちらです。友人や先輩やお知り合い、
桜が咲き始めました。この時を待っていたかのように薄紅色を誇らせるかのように咲き始めました。お天気が良ければ青空と共に写せたのにな…でも光に耐えられない今の私には曇り空がありがたい。先月亡くなった父とのお別れについてはこちらの記事でお話ししています。またこ
陽射しの暖かさに春の訪れを感じます。お骨になった父を連れて帰り共に暮らし始めたこの春は潰されそうな想いが付き纏います。父のとお別れはこちらの記事でお話しをしています。父と過ごした証のような記事なのでクリックしてお読みいただけるととてもうれしいです。死は誰
私は体験や想いを言葉に文字にする事で自分と向き合い何とか生き繋いできた。歌詞もそう、ブログもそう、壊されたら奪われたら生きてゆけないし個人的意見を押しつけられたり指図されたならそれは「死ね」と言われているのと同じ事。だからまた私はきっとこうして書きながら
3月9日午後5時46分、父とこの世でのお別れをした事はこちらの記事でお話しています。臨終を告げられた後看護師さんに父の身体を整えて貰う間に予定していたお葬儀屋さんに電話をしましたがお葬儀の内容やお話の仕方など対応に納得が出来ず…。亡骸の居場所に焦る中、父
2024年3月9日午後5時46分父の魂が父の身体から解放されました。誤嚥性肺炎で救急搬送されてちょうど1ヶ月。少し回復しては悪化する事を繰り返し施設に戻れないまま病室で最期を迎えました。数日前からお香も焚いていないのに隣に居る人には感じないのに私だけお線
3月1日に入院中の父が急変した事、会いに行った事などは以下の記事でもお話をしています。延命処置やお葬儀屋さんについても確認がありとても危ない状態が続いていましたが山場を乗り切ったかなと言っていただいたのは昨日の事でした。父の残りの時間がたとえあと少しの
3月1日、入院中の父が急変し病院へ駆け付けた事は前回のこちらの記事でお話しさせていただいています。いつどうなるかわからないいつお迎えが来てもおかしくない状態でまだ意識のある内に父に会えた事に感謝しました。その後父はまだ残り火を燃やすように何とか命を繋いで
3月が始まりました。父親が入院している事、延命処置についてのお話があった事など、少し前のこちらの記事でもお話をしました。お薬が効いてきて肺炎の症状は治まってきたものの食事が出来ずこのままでは施設でも点滴が続く事になりそうでそうなると保険適用は2週間まで、
右眼の視野が無くなって5ヶ月が過ぎてしまいました。まずは半年が1つの区切りになります。回復の可能性がほぼ無くなる区切りに立たされます。きっと良くなるとかもう少しでも見えるようになりたいとかそういう希望を絶たれる時が来ると言う事。神経の病気は難しくて現在の
2月もあと少し。1ヶ月後の今頃は桜が咲き始めているのかも知れませんね。3月はまた通院が増えます。眼と脳神経の大きな検査もあるし身体に掛かる負担も増えます。今後の生活を考えて片眼の視野がほとんど無い状態でも眼鏡が作りたいのでその準備に注ぐ時間も増えます。今
先日は久し振りに保護猫ずっちゃんとギターさんにお会い出来た事をお話ししました。どうか少しでも右眼の視野が戻って欲しいと願う一方で諦めて慣れてゆくしか無いと言い聞かせる気持ちもいっぱい。少しでも出来る事を増やしてゆこうと注ぐ毎日です。こうしてブログを書く事
退院して4ヶ月。やっと地域猫の「ずっちゃん」が居るところまで(徒歩2分程ですが…)ひとりでも大きな不便無く歩けるようになりました。久し振りの推しとの時間です。あー。かわいい。プリンみたいなお鼻がたまらん。ギターさんが会いに来てくれました。9月に入院して以来
今年3回目の救急搬送をされた父が先日入院しました。病院から電話があり延命処置についてお話がありました。父が入院した事はこれまでに何度もありましたが延命処置についての確認をされたのは初めてでした。それだけいつ、何が起きてもおかしくないという事だと理解しました
右眼の視野を大きく失ってもうすぐ5ヶ月。夢の中なら見えてるのになー、私の右眼。夢の中の私は見る事に何の苦労もしてないのになー。夢から覚めた私は両眼が見えて居た頃の感覚をもう思い出す事も出来ないんだけど…頭の中のどこかではまだ覚えてるのかな。不思議だなー。
日々の出来事や思い出す事、気付いた事や考える事、感じてる事、私なりの体験や病気の事…色んな事をたとえ1つの記事に何日もを費やしても言葉に出来る内はきっとまだ何とか出来るのだろうと思う。辛いって書ける内はまだどこかの誰かが聞いてくれてるって思ってギリギリで
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大阪の桜の季節は駆け足で過ぎ去り空に向かって小さな手を広げるように花水木が咲いています。昨年9月に右眼の視野が無くなった事はこのブログでも何度もお話をしています。もうすぐ7ヶ月になります。もし病気の症状が再発したら次は左眼の視野まで失ってしまいます。両眼
ここ暫くは3月9日に亡くなった父に対して吹き出す沢山の感情と向き合い記事を書く事が続いていました。2月に急変して以来の父に関する記事はカテゴリー「父の最期の記録」に集めました。読んでみようかなって思って下さる方はクリックしてご覧下さい。この春は私にとって
父が亡くなって初めての月命日を迎えた4月9日の日の想いはこちらの記事でもお話をしています。「先月の今日」と言う日から父の存在が消える、今年の4月9日は私にとっては特別な日でした。好きでは無かった父をやっと大好きになれたのに、もう父は居ません。月命日にポス
今日は父の初めての月命日です。亡くなって1ヶ月。"先月の今日"から生きた父の存在が消えようとしています。今日を過ぎればきっと少し前に進めると信じて今日がきっとひとつ目の小さな区切りになると信じて今日の記事を書きます。父とのお別れについてはこちらの記事でもお
先月の今日はまだ父が生きていたんだよね…そんな想いを繰り返しながらもうすぐ先月の今日から父が居なくなります。父を見送った出来事はこちらでお話をしています。懐かしい父との写真を添えて想いを綴った記事はこちら前回の記事はこちらです。友人や先輩やお知り合い、
桜が咲き始めました。この時を待っていたかのように薄紅色を誇らせるかのように咲き始めました。お天気が良ければ青空と共に写せたのにな…でも光に耐えられない今の私には曇り空がありがたい。先月亡くなった父とのお別れについてはこちらの記事でお話ししています。またこ
陽射しの暖かさに春の訪れを感じます。お骨になった父を連れて帰り共に暮らし始めたこの春は潰されそうな想いが付き纏います。父のとお別れはこちらの記事でお話しをしています。父と過ごした証のような記事なのでクリックしてお読みいただけるととてもうれしいです。死は誰
私は体験や想いを言葉に文字にする事で自分と向き合い何とか生き繋いできた。歌詞もそう、ブログもそう、壊されたら奪われたら生きてゆけないし個人的意見を押しつけられたり指図されたならそれは「死ね」と言われているのと同じ事。だからまた私はきっとこうして書きながら
3月9日午後5時46分、父とこの世でのお別れをした事はこちらの記事でお話しています。臨終を告げられた後看護師さんに父の身体を整えて貰う間に予定していたお葬儀屋さんに電話をしましたがお葬儀の内容やお話の仕方など対応に納得が出来ず…。亡骸の居場所に焦る中、父
2024年3月9日午後5時46分父の魂が父の身体から解放されました。誤嚥性肺炎で救急搬送されてちょうど1ヶ月。少し回復しては悪化する事を繰り返し施設に戻れないまま病室で最期を迎えました。数日前からお香も焚いていないのに隣に居る人には感じないのに私だけお線
3月1日に入院中の父が急変した事、会いに行った事などは以下の記事でもお話をしています。延命処置やお葬儀屋さんについても確認がありとても危ない状態が続いていましたが山場を乗り切ったかなと言っていただいたのは昨日の事でした。父の残りの時間がたとえあと少しの
3月1日、入院中の父が急変し病院へ駆け付けた事は前回のこちらの記事でお話しさせていただいています。いつどうなるかわからないいつお迎えが来てもおかしくない状態でまだ意識のある内に父に会えた事に感謝しました。その後父はまだ残り火を燃やすように何とか命を繋いで
3月が始まりました。父親が入院している事、延命処置についてのお話があった事など、少し前のこちらの記事でもお話をしました。お薬が効いてきて肺炎の症状は治まってきたものの食事が出来ずこのままでは施設でも点滴が続く事になりそうでそうなると保険適用は2週間まで、
右眼の視野が無くなって5ヶ月が過ぎてしまいました。まずは半年が1つの区切りになります。回復の可能性がほぼ無くなる区切りに立たされます。きっと良くなるとかもう少しでも見えるようになりたいとかそういう希望を絶たれる時が来ると言う事。神経の病気は難しくて現在の
2月もあと少し。1ヶ月後の今頃は桜が咲き始めているのかも知れませんね。3月はまた通院が増えます。眼と脳神経の大きな検査もあるし身体に掛かる負担も増えます。今後の生活を考えて片眼の視野がほとんど無い状態でも眼鏡が作りたいのでその準備に注ぐ時間も増えます。今
先日は久し振りに保護猫ずっちゃんとギターさんにお会い出来た事をお話ししました。どうか少しでも右眼の視野が戻って欲しいと願う一方で諦めて慣れてゆくしか無いと言い聞かせる気持ちもいっぱい。少しでも出来る事を増やしてゆこうと注ぐ毎日です。こうしてブログを書く事
退院して4ヶ月。やっと地域猫の「ずっちゃん」が居るところまで(徒歩2分程ですが…)ひとりでも大きな不便無く歩けるようになりました。久し振りの推しとの時間です。あー。かわいい。プリンみたいなお鼻がたまらん。ギターさんが会いに来てくれました。9月に入院して以来
今年3回目の救急搬送をされた父が先日入院しました。病院から電話があり延命処置についてお話がありました。父が入院した事はこれまでに何度もありましたが延命処置についての確認をされたのは初めてでした。それだけいつ、何が起きてもおかしくないという事だと理解しました
右眼の視野を大きく失ってもうすぐ5ヶ月。夢の中なら見えてるのになー、私の右眼。夢の中の私は見る事に何の苦労もしてないのになー。夢から覚めた私は両眼が見えて居た頃の感覚をもう思い出す事も出来ないんだけど…頭の中のどこかではまだ覚えてるのかな。不思議だなー。
日々の出来事や思い出す事、気付いた事や考える事、感じてる事、私なりの体験や病気の事…色んな事をたとえ1つの記事に何日もを費やしても言葉に出来る内はきっとまだ何とか出来るのだろうと思う。辛いって書ける内はまだどこかの誰かが聞いてくれてるって思ってギリギリで
「人生の春休み」と位置付けた長期休暇ももうすぐ3ヶ月。お家で出来る範囲での作家業は続けて居ますが心身共に壊れるまでの無理と我慢はしないと決めた3ヶ月。週に半分程は通院があるので暇でもなければ楽でもありませんが休み始めた頃には大きかった休む事への罪悪感や焦
カレンダーは4月のページ。桜の木は薄紅色から新緑へとお色直しを開始。でも私はまだ「人生の春休み」中。ずっと我慢と無理しかしてこなかったボロボロになっちゃった身体と心をケアしながら少し頑張れば叶えられる事なら今の内にやっておきたいと思っていて。先月は沖縄に
自分なりに「人生の春休み」だと位置付けた長期休暇中の私。体調は少し良くなったかと思えば急に悪くなったり治まってきたと思っていたコロナ後遺症の目眩が再発したりと行ったり来たりしていますが”今はお休みなんだから 焦っちゃダメだよ” と毎日自分に言い聞かせて出
我が家には何匹かのメダカさん達とベタと言うお魚さんがいます。約20年間3匹の猫ちゃん達と過ごしましたが19年間生きてくれた最後の猫ちゃんを看取って以来新たに猫ちゃんをお迎えする事無くお魚達と暮らしています。猫ちゃんともう一度暮らしたい想いはありますがもう
今年の春はなんだか急ぎ足。いつもご近所猫の「ずっちゃん」と会う場所には目印のように木があって毎年春になると濃いピンク色の花を咲かせてくれるのですが今年はもう随分と開花が進んでいます。精神的にも肉体的にも限界を超え過ぎてしまって”このままじゃ本当に死んじゃ
3月に入りお昼間は暖かい日も増えてきました。お天気予報では桜の開花のニュースなんかもあって春になってくんだなーってとっても思います。「人生の春休み」中の私は前回の記事でもお話をしたご近所の猫のずっちゃんにちょくちょく会いに行っています。すりすりしてくれた
この子はご近所で暮らす地域猫ちゃん。前回の記事でもお話した「ずっちゃん」です。人生の春休み中の私は決してお暇ではなくて相変わらずちょっと忙し目な日々を過ごしておりますが春休み中なのでずっちゃんに出会うと立ち止まる余裕も会いに行く余裕も持ち合わせています。
ご近所のお決まりの場所でよく出会う猫ちゃん。私はこの子を「ずっちゃん」と呼んでいます。出会えた時は声を掛けたり手を振ったり時間がある時は撫でさせて貰ったりしていたのですが何度かよだれで顎がずるずるな時があって。その時から勝手に「ずるずるちゃん」って呼び始
人生の春休みとした長期休暇は5週目を迎えています。4週目だった先週は右肩の腫瘍を取り除く為の手術ではじまりました。右側の肩をまたがる様な感じで6㎝ほど切開し取り除いた腫瘍。大きな手術ではないので入院も2日間だけで10日後の抜糸までお家でケアしていました。
色んな事があって身体も心もクタクタになってボロボロになって初めて自分に与えた長期休暇。私の「人生の春休み」は4週目に突入。通院をメインに自分で選んだ小さな予定を細々と入れてゆくと私の性格上やっぱりなんだか地味に忙しくなって来たりして。忙しくなってくると1
カレンダーは2月のページ。私の「人生の春休み」は明日から4週目に突入です。身体にも心にもまだまだ回復が見られない事に焦る気持ちも小さくはなりません。悲しくなるし寂しくなるし苛立ちも感じるし時に怖い位の無気力も感じます。それだけ長い年月毎日毎日我慢して無理
初めてきちんと自分に与えてみると決めた長期休暇。「人生の春休み」だと掲げた休暇は3週目に突入しました。ベタの伊勢治さんを観察する時間が少し増えましたよ。前回の記事に書きましたがこの休暇はきっと私にとって良い「タイミング」だと毎日自分に言い聞かせています。
大好きな方に小さなお土産を送りました。今日あたり到着してるかなって思いながら帰宅するとその大好きな方からの贈り物が届いていました。一瞬あれれ?…って思う。で、焦る。もしかして私、送り先と自分の名前を間違えて書いちゃった?って。間違えて自分に送っちゃってな
真冬の寒さには弱いのでお家の中に入れたグリーン。身長150㎝ちょいの私の顎下位まで伸びています。水を与えると葉先からぽたぽたと零れ落ちる位みずみずしくてこの冬我が家は加湿器要らずです。父親を施設に入居させて2月で2年。誰も居なくなり実家を処分する際に沢山
カレンダーもスケジュールノートも2023年のページ。いつもより少し長めだった年末年始のお休みも終わり2023年をこれまで以上に歩幅を縮めて過ごして居ます。残念ながら昨年秋に感染したコロナの後遺症がまだ続いており仕事に行くのがやっとの状況はまだ改善されてい
2022年も終わり。一度もステージに立てませんでした。しんどかったなぁ…何よりも身体が辛かった。痛みがいっぱいの身体が本当に辛かった。行きたい所にも行けなくてやりたい事も出来なくてひたすら追い込まれてゆく心も本当に辛かった…。本当に。ものすごく辛かった。
私の暮らす大阪の夜空は星があまり見えません。ベランダからも駅のホームやマンションの外灯が明るくて星がほとんど見えません。少し前双子座流星群を見たくてベランダから夜空を眺めてみました。もし流れ星が見れたら掛けたい願いがあったのです。……♪みんな笑ってる遠く
2022年のカレンダーもあと少しでおしまい。病的な冷え性なのでものすごくものすごーく寒さが堪えます。食事をしていてもお箸を口元に運ぶ為に手を上げるだけで指先から冷え切って感覚がなくなる位の酷い冷え性なので冬はほんと堪えます。前回の記事にも書きましたが10
もう12月なんだね。寒さが急に深まりました。虚しさで胸が敷き詰められてしまいます。11月の下旬に療養期間を終えた後辛かった後遺症の咳は喘息のお薬で抑え込めていますが目眩と吐き気が続いています。もう1ヶ月以上になります。毎日目眩がして気持ち悪くなって吐き気
11月も後半。CMやスーパーもあちこちにクリスマスがいっぱい。我が家も限られたスペースにぎゅうぎゅうむぎゅっと詰め込んで少しだけクリスマス。体調がちーっとも良くならないままとっても悪いまんまそれでも我慢ガマンがまんでさぼらずに働いて耐えて耐えて生きてるけど