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2017/12/17

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  • 罪悪感をすり減らさず かたちに挑む

    全部自分以外のものに捧げてしまいたい という欲求に駆られることがある。 清貧で自己犠牲をともなう生き方は、 一般に推奨される良い生き方の一例で あろう。 かたちのあり方、生ききる 状態がわからない(確定の仕様がない) から、この現象界に媚びることで 認められ且つ自分の罪悪感もすり減らせる ところへ自分自身を投げ込もうとしている。 わからない不安定な状態から、 社会の要請を受けとる形である種の金型に 自分を溶かして流し込もうとしている。 どこまで傲慢で卑怯な人格なのだろう。 なにかに捧げることが目的になっては いけない。あくまで私がかたちを 出しきる、つまり生ききる過程において 付随する現象でな…

  • 旅の途中

    通りをいく人を眺めるのは楽しい。 どこから来たのか、何を考え 誰を想い、どこへ向かうのか。 中でも気になるのが、小さい子を つれた女性。母になる、ということを ぼんやり考える。 そして、これから生きていく子を見て 不思議な気持ちになる。 一個の生命体としてまだかたちに なりきらない彼らは、いまここを 生きている。後先ない今を生きている。 それをたしなめたり見つめたりする 母もまた、今を生きている。 子を持つということは、今を生きること でもあるようだ。 そして、子が成長するほどに 自分の死んだあとを考えるものなのかも しれない。取り巻く環境が温かいもので ありますように、幸せでありますように …

  • 詩/荒野にたつ

    道具の手で黙々耕す農夫 言葉もなく微笑みあう子と兎 茹でた腸詰めのような赤子を抱く母 暮れかかる西日の麦色に包まれて まるで発光する美しさ 瞬間にひそむ永遠 眺める者には影しか見せぬのに 在る者にはこんなにも惜しみない それでもこの手を止めることはできまい その耳を塞ぐこともできまい いま、ここ、すべてを捉えたい 野心、否、傲慢か 振り絞り、超えんとする魂は かたちのふりした虚しさや ことばのふりした卑しさを 両手刀で斬りつける 返り血をぬらぬらと光らせながら あてどなくあるく 亡霊

  • かたちを求めて

    反出生主義。 おおよそ、生まれることで得られる幸福より 引き受ける苦痛の方が多いから、 生むべきではないという文脈で 語られる。 ほとんど反論のしようがない ように思えるのは、「存在者側の価値観」 を根拠にしているからだ。 幸福の方が多ければ生んでもいい、 と考えるならそれはほんとうの意味での 反出生主義ではない。 この地点において、かたちであること自体の 不完全性、あるいは虚無に対するあり方が 問われている。 なぜかたちなのか。 これは解明できないからこそ、 かたちであれるという自己矛盾を 内包している。 せいぜいある解釈を述べることしか できない。 では、どのようにあるべきか。 個々のかた…

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