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毛利元就家臣団列伝 http://blog.livedoor.jp/sakonsimotukenokami/

趣味で毛利元就を調べております。興味のある方は、是非足を運んで頂ければと思います。よろしくお願いいたします。

素人が趣味で研究しているブログです。宜しく願います。

佐近下野守
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2017/07/12

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  • 第14話【元就の軍配・陣旗(軍幟)・馬印】

    【元就の軍配・陣旗(軍幟)・馬印】 元就所用の伝えのある軍配(毛利博物館蔵)は、金箔地の面に黒漆で縁を塗り、頭金具は銀製唐草文を毛彫りしてある。軍配の握りは鹿革で紅緒を付けている、豪華なものであることが分かる。 部隊や個人の識標である旗・指物・馬印は

  • 第13話【大内義興】

    【大内義興】政弘は歌人としても優れ、大々名でありながら一流の文化人であった。政弘の政は、8代将軍義政から賜った偏諱である。その政弘から、弘の字を、毛利弘元が賜っている。こうした関係の深さを見ると、なぜ弘元が、尼子家に気兼ねしたのかわからない。大内家の

  • 第12話【山口の繁栄】

    【山口の繁栄】 大内家の所領は本拠の周防を中心にして、西は長門、豊前・豊後の一部に及び、石見から安芸、備後と東方に広がり「六分一ノ殿」とさえ呼ばれていた。日本全国の六分の一を領する殿、というわけだ。 大内家はすでに150年以上も、中国の覇者として君

  • 第11話【守護大名支配の崩壊と国人領主の台頭】

    【守護大名支配の崩壊と国人領主の台頭】文明四年(1472)1月、応仁の乱も開戦以来、すでに5年が経過し、ついに山名持豊から細川勝元に和平を申し入れる。事実上の停戦である。 というのは、京で戦う守護大名らの領国で、守護代や国人大名などの在地領主が地侍を

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